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31.愛玩獣人愛好家2

 

 カン七がやって来て、変化があった。たま絵がやる気を出し、薬師の免許を取得すると宣言した。にゃん太もハム助も薬師の知識を伝授されており、にゃん太はカン七やハム助に錬金術師のことを教えている。畑では、ケン太とアルルーンといっしょに喜々としてあれこれ植えようと話し合っている。


「みい子ちゃんはどんな美容商品を使っているの?」

 カン七は以前、美容商品を扱う店を持っていただけあって、みい子にそんな風に質問した。


「わたしは汎用品を。あ、でも、<グラウ・ヴァイスのオイル>は使っています」

「そうよねえ! ここの工房主が作りだしたんだもの。あれ、香りも良いしね」

「店の方でも良く売れていますよ」

 カン七の店が半焼して事業を畳むこととなった際、<グラウ・ヴァイスのオイル>はにゃん太が考案して作り出したものだということで、錬金術師工房の店の陳列棚に並べることにした。


「いつか、美容商品専用の棚を作りたいな」

「あらあ、そうなったら嬉しいわあ」

 にゃん太が薬の隣に置かれたオイルの小瓶を見ながら言うと、カン七は垂れた細目を一層細めた。


「カン七さんにはいろいろ教わっていますし、作製する際にはお手伝いできるように頑張りますね」

「あの精油を使ってみたら? 以前採取してきた【エレガントなフリージア】、順調に増えているよ」

「良いわね。バラも挿し木と接ぎ木でどんどん増えて行っているものね」

 ハム助が言えばケン太とたま絵も、乗り気であれこれ提案する。


 カン七は早々に自分の役割を得た。誰にもできないことをして、さらには多くの者に影響を与えられる。

 みい子はそんなカン七と自分をどうしても比べてしまう。せっかく、機織り機を持っているというのに、カバーをかけたまま、最近は触ってもいない。


 みい子とて、役に立とうと努力している。店に陳列している商品の効能を覚えて、きちんと説明することができる。文字も覚え、暇があれば錬金術素材一覧を眺めているし、ケン太やアルルーンに畑に植えられている植物のことを教わってもいる。

 でも、みい子独自の特色は出せていない。


 ハム助は回し車の糸紡ぎ機を回すことはなくなったけれど、代わりに<パンジャ>を与えられた。身体が小さい種族のハンデを解消しようというにゃん太のやさしい気持ちが形になった。それがハム助は必要な獣人材なのだという証のように思え、一層、みい子にお前はどうなのだと突き付ける。


 ケン太は拡張した畑を任されている。にゃん太が必要とする素材を、先んじて育て、驚かせるほどだ。なにより、世にも珍しい植物アルルーンの世話を任されられている。これほどの信頼があるだろうか。


 たま絵は言うまでもなく、にゃん太の姉であり、誰よりも遠慮がない。だが、にゃん太の不足を補う者なのだ。渉外を担当し、工房の顔として動き、揺るぎない。たま絵がいるから、にゃん太は安心して錬金術に取り組むことができるのだ。


 そして、また思考は元の位置に戻って来る。では、みい子は?

 足踏みしているように思えてならない。


 だから、みい子はにゃん太の告白に返事をすることができないでいた。

 にゃん太は良い獣人だ。すごい発明をした。でも、自分は見合う獣人だろうか。


 工房主の恋愛感情に縋ることで居場所に代えることにはしたくない。なぜなら、気持ちは変化するものだからだ。自分の力で居所を持たなければならない。そうでなければ、以前勤めていた織物工房と同じように、みい子はまた働き口を失うことになる。この工房の給金は、以前の職場よりも高い。それでいて、住み込みで食事もついており、最近忙しくて使う暇もなかったから、貯まる一方だ。だから、失職してもすぐに路頭に迷うことはない。


 けれど、違うのだ。お前は不要だと言われることの痛み、悲しさ。自己肯定感が極端に低くなる。

 そのため、にゃん太の感情にたいして、みい子は躊躇していた。返事を急かされることはなかったので、保留にしたままである。


 にゃん太はにゃん太で忙しそうにあれこれやっている。なんだか、自分だけが置いてきぼりにされた気持ちになる。分かっている。拗ねた気持ちになっているのだと。

 自分の至らなさにみい子が落ち込んでいた折、店に意外な者がやって来た。


「鶴美さん!」

 思わずカウンターの奥で跳びあがる。

「みい子さん、お元気そうじゃない。良かったわ」

 以前勤めていた服飾関係の大きな工房の持ち主だ。鶴族の細長い首を巡らせ、店内を興味津々で眺める。


「ここがあの有名なアルルーンを育てている錬金術師工房なのね」

 鶴美の工房では客と商談する部屋がいくつもある。この錬金術師工房で一般客が足を踏み入れるスペースは路地で小売業をする小さな店くらいのものでしかない。みい子ははがゆかった。


 奥の作業場はたくさんの素材と器材が置かれ、錬金術師と薬師と薬師の卵と助手が忙しく動き回ることができる広さがある。敷地内の畑は都市内にあるとは思えないほどに広い。鶴美の工房の敷地よりもよほど大きいのだ。けれど、それらは関係者以外立ち入り禁止区域である。


 そう考えたみい子は、なにも自分が優位に立とうとしてそんな風に思ったのではないことに気づく。鶴美の目つきが値踏みをするものだったから、とっさに反論したくなったのだ。


「想像したよりも、小規模ね」

 鶴美の工房は服飾関係を扱うだけあって、多くの女性獣人を雇っていた。だからこそ、細やかな気遣いをしていた鶴美だ。こんなことを口にしてしまう獣人だっただろうか、とみい子は愕然とする。よくよく見れば、どこか疲れているようにも見える。


「鶴美さん、お忙しくしているんですか?」

「おかげさまでね」

 まさか、やつれましたね、などとは言えず、遠回しに尋ねたみい子に、鶴美はおなざりに返事をしつつ、陳列棚の隅々まで視線を送り、ふと興味を失ったかのように眺めまわすのを止めた。


「ずいぶん、畑違いのところで働き出したのね。織物はしているの?」

 鶴美は謝罪の意味も込めてではあろうが、退職時に高価な機織り機をくれた。それをカバーをかけたままにしているみい子はばつの悪い心持ちになる。


「今は工房の仕事が忙しくて」

「そう。今、注目の工房ですものね。でも、機織り機も眠らせておくとすぐにがたがくるわよ」

 そして、みい子の腕前も。鶴美はもちろんそんなことを言わなかったが、みい子はそんな風に考えてしまった。


「こちらの工房主は発明を立て続けにしたわりには、人前には出たがらないのね。いえね、うちの夫がこちらの工房主との慈善活動で顔を務めているでしょう?」

 鶴美はさまざまな慈善活動に出資している亀之進の伴侶である。そして、亀之進は鶴美の工房にも出資している。さぞかし、押し出しの良い夫が誇らしいことだろう。

 しかし、それとにゃん太のことを前へ出ない不甲斐ない者のように言うのとは別だ。


 自身の夫を自慢に思うのは良いが、比べてけなすのとはいかがなものか。それでいて、鶴美は亀之進とにゃん太との違いを聞いて来る。みい子としては、そんな風に質問されてもにゃん太はにゃん太だとしか言いようがない。それに、にゃん太は素晴らしいことをしている。亀之進とは違う方向へ進んでいるというだけだ。そのことをうまく伝えることができなくて、みい子は苛立つ。


 それもそのはず、鶴美ははなからにゃん太の素晴らしさなど理解する気はなかったのだ。それよりももっと気にかかることがあったのだから。


 鶴美は最近、なんとなく夫の様子がいつもと違っている気がしていた。亀之進は立派な獣人だ。しかし、どこか鬱屈があるように思える。自分はずっと夫を頼りにし、信じてきた。だから、事情を探ったりすることはできない。立派な夫だからこそ、妻から心配されたくはないだろう。少なくとも、鶴美はそう考えた。


 だったら、別の者にやってもらえば良い。そう思って、最近、忙しくしている慈善活動に携わる別の獣人のことを思いついた。同じ獣人だから、やりやすかろう。


 使用人に話を聞けば、なんと、鶴美の工房を辞したみい子が働いていると聞く。そこで、早速様子を見に来たのだ。退職したとはいえ、元従業員であれば、みい子は鶴美の聞きたいことを教えて当然だ。少々ごたついたとはいえ、みい子には高価な機織り機をあげたのだ。なんの借りもない。


 そこで、鶴美は使用人がなぜ猫の錬金術師工房の内情に詳しいのか、といったことにまで考えは及ばなかった。自分が知らないことやってほしいことを、下の者が教え、やるのは当然なのだから。考えが及んだとしても、夫と同じ慈善活動をしている工房のことを調べたのだろうとしか結論付けなかっただろう。


 なのに、みい子はろくに鶴美が知りたいことを教えない。具体的になにを知りたいかは鶴美本人も知らない。なんでもいいから、安心したいのだ。夫は大丈夫。ちょっとここの錬金術師工房の主が頼りないから、それで鬱屈しているだけだ。そう思いたかった。

 なのに、みい子はにゃん太がどれだけ素晴らしいかを話した。鶴美にはどうでも良いことだ。鶴美は途中で話を打ち切って帰ることにした。そのせいか、忘れ物をして行った。


 みい子がそれに気づいたのは、店を閉める作業をしていたときのことだ。

「あ、これ、」


 懐かしい。


 それは織物の見本帳だった。

 様々な糸で織った布はそれ以上の数の触感を生み出す。そこが織り職人の腕の見せ所だ。

 みい子も見本帳を何度も手にして、練習したものだ。この風合いを際立たせるためには、自分の機織り機とどうやって向き合っていくか、没頭した。ちょうど、にゃん太たちが今そうしているように。

 みい子は見本帳を胸に抱えて、涙がこぼれそうになるのをこらえた。


 織りたい。

 もう、どれだけ機織り機に触れていなかっただろう。


 錬金術師工房の仕事も面白い。けれど、みい子は今、無性に機織りをしたかった。それは疎外感や無い物ねだりに近いかもしれない。みなが一丸となって、それでいて自分の特色を活かして働いている。それができないみい子は、以前夢中になっていたことを懐かしがっているだけなのかもしれない。でも、自分も機織りを精いっぱいやってきたのだ。


 生きるためには、自分がやりたいことばかりやってはいられない。恵まれた環境を与えられている。分かっている。でも、切ない。





 店に来た客が忘れ物をしたのを届けて来るというみい子に、じきに暗くなるから自分もいっしょに行くと言うも、断られたにゃん太はすごすごと引き上げてきた。

「みい子さん、ひとりで行ったんだ?」

 住居部の食堂で夕食の準備を手伝っていたケン太がひょいと片目をすがめる。

「うん、なんかさ、鶴美さんが来たらしいよ」

「おや、そうなんですか?」

 ハム助も思わず声をかける。そして、さっとケン太と視線を交わらせる。みい子が鶴美の工房を辞めた一件が思い出された。


「なんの用だったんだ?」

 ケン太は言外に、単なる客としてやって来たのではないだろうと言う。

「ちょっと顔を見せただけだって言っていたけれど」

 あまり引き留めても、みい子が戻って来るのが遅くなっては本末転倒だ。


 ハム助が<パンジャ>を操って厨房に行くのを見送った後、ケン太からなにかあったのかと問われ、にゃん太はみい子に告白したのだと白状した。

「ああ、それで、ぎこちない感じだったんだな」

「なんの話をしているの?」

「あ、たま絵姉ちゃん」


 見れば、湯気の立つ皿をいくつも載せた移動配膳台をたま絵が押しながらやって来ていた。配膳台が動く音がとたんに聞こえてくる。まさか、戸口で立ち止まって聞き耳を立てていたのではあるまいな、とにゃん太は青くなる。ケン太は素早く配膳台の上の皿をテーブルに移動させる。


「「ぎこちない」ってさあ、動きが「ギコギコ」するから「ギコちない」って言うのかなあって」

 にゃん太があからさまに話を逸らした。

 たま絵は疑わしそうな目つきになったが、弟が変な発想をするのはいつものことで、「にゃふふん」とためいきをついて行ってしまった。おおかた、「おバカな子だわあ」といったところだろう。


「たま絵さんにはまだないしょにしておくのか?」

「だって、いやな未来しか想像がつかないよ」


 さんざんからかい倒される。なんなら、父にまで話してしまうかもしれない。そうなれば、父はみい子とはどんな女性だと見に来るかもしれない。みい子に迷惑が掛かってしまうではないか!

 むろん、これらのことはにゃん太の勝手な想像である。



 さて、鶴美の忘れ物を届けに行ったみい子は、すでに織物工房は閉まり、誰もいないことから、住居の方に向かった。少し離れたところにあるが、鶴美が不在でも使用人がいる。言づければ良いだろう。その考えの通り、裏口で訪いを告げ、鶴美の忘れ物の見本帳を渡した。


 正面の門は立派で、馬車がすれ違うことができるほどの大きさだ。しかし、みい子は忘れ物を届けに来ただけで、客ではない。

 そう思って裏口の方へ回ったのだが、なぜか、その付近で亀之進を見かけた。館の主が裏口付近、つまり使用人たちが使う施設が集中している場所だ。

 みい子の視線に気づいた使用人が押し出すようにして帰るように促す。みい子は逆らわずに従った。


 亀之進はなんともなかった。ただ、亀之進のすぐそばにいる者からなんだか妙な臭いが漂ってきた。大分離れているのに、なんだか酸っぱいような、食べ物が腐ったような臭いがした。

 気のせいだろうか。亀之進は裕福であり、その付き人も不自由はしていないだろう。

 それでも、みい子に不可解な気持ちを強く残した。





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