30.愛玩獣人愛好家1
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。それでいて獣の多様な特性をそれぞれが持つ。膂力があったり瞬発力に富んでいたりする。
街道と大河によって、人や物が多く出入りし、交流は技術向上につながり、多種多様な工房や店が建つ。にぎわう大通りから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
国内外を驚かす発明を立て続けにした猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているからこそ、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でも極め付けなのがアルルーンだ。貴重な魔力をふんだんに持つ不思議植物だ。
工房の主のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、看板娘の猫族みい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場では、にゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助がせっせと作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
広大な畑では、犬族のケン太とカンガルー族のカン七が次にどんな植物を植えようかと頭を突き合わせる。
あれこれ話しているうち、ふと会話が途切れ、カン七が思い出したかのように尋ねた。
「ねえ、最近、みい子ちゃんの様子がおかしくない?」
「そうか? にゃん太の方はいつもの通りだけれどなあ」
「そうなのよねえ。にゃん太ちゃんがついに動いたのかと思ったけれど、そんなそぶりは見せないし」
ふだん通りどころか、先だって困窮するがあまり、生きるために犯罪に手を染める獣人たちを目の当たりにして、<吸臭石>の作成にいっそう力を入れるようになった。その売上代金を彼らに寄付しているからだ。
「うちの工房が評判になったら、取り組みにも賛同してくれる者が増えるかもしれない」
そう言って、以前から店で販売していた薬や、もうひとつの発明品<パンジャ>もより高い品質のものを作ろうと励んでいる。
それにしても、カン七はにゃん太とみい子のことを正確に把握しているんだなあ、とケン太は思う。にゃん太は知られたくない風であるが、こういうことは案外、肉親である姉たま絵の方が察することはできないものなのだ。
「たま絵姉ちゃんは姉ちゃんで、ふつうに仕事をこなしているけれど、薬師の免許取得試験の対策は大丈夫なの?」
「あの子は要領が良いからねえ。まあ、無理をしないようにアタシも目を光らせておくわ」
そう言って、細い垂れ目をいっしょうけんめい見開こうとする。思わず吹き出したケン太に、畑の土にうずもれていたアルルーンが葉を揺らす。ケン太はなんでもないよと答える。
「カン七さんがおかしなことをするものだから笑っただけだよ」
「あら、アタシはいつだって大真面目よお!」
たま絵は、せっかくじいちゃんのレシピ帳があり、広大な畑があり、育てるのが難しい植物もアルルーンによって健やかに植わわっているのだから、と積極的に薬を作るようになった。それでいて、固定客が求めるハーブクッキーやハーブティも作っている。
「あの調子だったら、試験は大丈夫そうね」
「いろいろ作っているもんなあ。薬草知識もどんどん増やしているし」
「アルルーンちゃんっていうすばらしい先生もついているものね!」
カン七の言葉に、アルルーンたちは任せておけとばかりに、わっさと葉を振る。
にゃん太とハム助はそのたま絵の指示に従って、広い作業場を右往左往しつつ、薬作成に加わっている。
「ちょっと、にゃん太、雑なすり潰し方をしないで! ハム助さん、次はあれを取って来て」
ここで言い訳をすれば十も二十も返って来ることを熟知しているにゃん太は、への字口にきゅっと力を入れながら、側を通り過ぎようとするハム助にこぼす。
「カン七さんよりも厳しい」
「言い方がきついだけで、動かされる速度は同じだと思いますよ」
つまり、たま絵もカン七もこきつあう度合いは同じということだ。
「やっているわねえ」
戸口でてきぱき指示を出すたま絵の、久々に活き活きした様子に、カン七は感慨深い。以前、働いていた薬師工房でよく見ていた光景だ。頭の回転が速く手際の良いたま絵は徒弟期間で学べるだけ学び、あとちょっとのところで職人になろうというところにまで達していたのだ。いつの間にか、徒弟仲間のリーダーとなって指示することも多々あった。
「カン七、畑から採ってきてくれた?」
「ええ。さあ、なにを作ろうかしらね? わくわくするわあ。またアンタとこうやって工房で薬を作るようになるなんてね」
カン七はたま絵の矢継ぎ早の指示にも慣れたもので、作業場の中央に置かれた台にうきうきと近づいて行く。
「向精神薬の中毒症状を緩和する薬を作ろうと思うのよ」
「———この工房では作ったことがなさそうね」
たま絵に指定された植物を置いて目を見張る。
「ところが、そうでもないのよ。求められたら作っていたみたい」
「今まで、定番アイテムの質の向上や俺が作りたいものを作って来たから。もし、じいちゃんがいなくなったことで困っている者がいるかもしれないからな」
にゃん太は店に置いてある定番の薬の効能を上げたから、次は個別で時折求められていた薬を作れるようになりたいとカン七やハム助に言う。事前に、たま絵に話していたことだ。
レシピ帳に紛れるようにして、じいちゃんの備忘録があった。そこには、日々どんな薬や魔道具を作っていたかという記録が残っていた。じいちゃんの読みやすい文字を指でなぞると、なんだか、じいちゃんの日常を追っている気になる。
「ううん、おじいちゃまは文字通り碩師名人な方だったのねえ」
傷薬や腹痛などの内服薬はもちろん、そういった専門分野の取り扱いが難しいものまで手掛けていたのだ。
「あまり作る者がいないんだったら、なおさら、じいちゃんがいなくなって困っている患者さんがいるだろうから」
今はいなくても、今後現れないとも限らない、とにゃん太は言う。
「転ばぬ先の杖、ですね」
「その意気や善し、だわあ」
「褒めるのはまだ早いわよ。ひとつふたつは作れるようになってからよ」
感心するハム助やカン七に、たま絵は冷静そのものだ。
「にゃん太さんがあまり前へ出たがらないのって、褒められ慣れていないことから、自己評価が低いのもあるかもしれませんねえ」
ハム助がこっそりカン七にささやいたものだ。
「すごい家族に囲まれていちゃあ、少々できても、大したことはないって思うのかもしれないわねえ。ましてや、にい也さんはなにをやっても褒めそうだし、」
「逆に、たま絵さんはなにをやっても褒めなさそうですよね」
カン七の言葉を、ハム助が続ける。ふたりで顔を見合わせ、ため息をついた。
「そこ、くっちゃべっていないで、前足を動かす!」
「「はい!」」
たま絵のやり方が受け入れられているのは、弟だけでなく他にも等しく厳しいからだ。そして、誰よりも自分に対して厳しい。
「姉ちゃん、これ、薬師のレシピ帳?」
たま絵が台の上に広げたレシピ帳を、にゃん太が興味津々で覗き込む。
「そうよ。———ああ、にゃん太、ちょっと、ここを見て」
たま絵がめくって指し示した該当箇所を、にゃん太が覗き込む。
「なになに、ええと、「やけどには、ユリを煮た湯で患部を何度も洗う」?」
「そうなの。薬師はやけどにはユリを用いるのよ」
「あれ、じいちゃんのレシピでは【うらぎりと流血の薬草】の精油がやけどに効くってったよ?」
だから、カン七の店が火事に遭ったと聞いた際、たま絵にことづけたのだ。
「そうね。でも、【うらぎりと流血の薬草】は珍しい部類の薬草だし、精油を抽出するのも難しいの。錬金術ではそうではないのかしら」
「へえ! そういう違いがあるのか!」
初めて知ることに目を輝かせるにゃん太に、自分も弟をこんな表情にさせることができて嬉しく思うたま絵だ。しかし、素直ではないので平気な顔を取り繕う。一方、にゃん太は錬金術師のじいちゃんやアルルーンたちに教わるばかりで、薬師という似て非なる職業の者から学ぶことを貪欲に吸収しようとしていた。
「おじいちゃまのレシピ帳のどこかにユリについて記載されていないかしら」
「そういうことでしたら、アルルーンたちに聞いてみるのも良いかもしれませんね」
カン七も興味津々で、ハム助がさっそく畑に向かう。
頼もしい教師であるアルルーンは果たして、じいちゃんのレシピ帳を繰り、「ユリの根は咳や呼吸器系の粘膜を潤すことに有効、炎症作用に効果がある。ユリの油には肩こり、捻挫、打ち身といった鈍痛に効果がある」といった記述のある個所を教えてくれた。
「炎症作用ってことはやけどにも効くみたいね」
レシピ帳の一部を読み上げたたま絵が言う。
「ひどいやけどには【すやすやのラベンダー】が良いらしいけれど、他にもいろいろあるんだなあ」
「ああ、そう言えば、【うらぎりと流血の薬草】の精油を渡してくれたときにひどいやけどだったら、うちに来るようにって言っていたわね」
にゃん太が感心したように言うと、たま絵がふと思い出す。
「にゃん太ちゃん、やけどの処置に詳しいのねえ」
「錬金術師は炉を使う機会が多いからでしょうね」
そのにゃん太が持たせてくれた精油のおかげで助けられたカン七が視線に感謝をこめ、ハム助が作業場に並ぶ大小いくつもある炉を眺める。
「立派な作業場よねえ。錬金術師の他に薬師がふたりいてもやっていけるわよ」
「分かっているわよ。さっさと免許を取得してやるわ」
カン七がからかうように笑い、たま絵がつんと顎を上げる。それがカン七なりの励ましなのだと、たま絵は理解している。
そんなふたりのやり取りを他所に、にゃん太は薬師のレシピ帳を興味深くめくる。ハム助とアルルーンがにゃん太を挟んで覗き込む。
「あっ、これ!」
にゃん太の片前足が止まる。
「アルルーンの精油、ですか」
わさわさわさっ。
三者三様に読みふける。
「アルルーンの葉のしぼり汁と【鎮痛のケシ】、【麻酔のヒヨス】の汁を【無憂樹の蘇合香】をまぜ合わせ、日の当たるところに置いて馴染ませる。よく馴染んだら、この液体を火にかけ、煮詰める。火から下ろして冷めて固まったら蘇合香を加える」
「あらあ、たま絵、アンタ、ずいぶんなレシピ帳を持って来たものねえ。アルルーンを素材にする薬のレシピがあるなんて」
「父さんがくれたのよ。薬師を目指すのならって」
やり合っていたカン七とたま絵もいつの間にかレシピ帳を読んでいた。カン七だけでなく、たま絵も呆れてため息をつく。
これは薬師のレシピ帳の中でも禁秘の書に近い部類のものだ。よくもまあ、手に入れることができたものだ、とはたま絵とカン七の感想だ。
「ええと、たしか、【鎮痛のケシ】、【麻酔のヒヨス】って劇物じゃあなかったですか?」
「そうよお、取り扱い要注意の厄介なやつよ!」
最近めきめきと知識を身につけつつあるハム助がとまどうのに、カン七がアルルーン以外の素材も相当なものだと言う。
「それにさ、【無憂樹の蘇合香】ってなに? 字面からしてとんでもなさそうな気がしてしょうがないよ」
にゃん太が眦を下げるのに、たま絵はあっけらかんと言う。
「【無憂樹の蘇合香】は樹脂の一種ね。無憂樹から採れるわ。あら、まさに、このレシピは向精神薬の中毒性に用いられる薬じゃない。ちょうど良いわ、これを作りましょう」
「「「えええ?!」」」
たま絵以外の者たちの声が揃う。そこには否定的な意味合いが込められていたが、たま絵は気にせずにゃん太に問う。
「【鎮痛のケシ】に【麻酔のヒヨス】はここの棚にもあるわね?」
「う、うん、まあ、」
工房の手伝いをするうち、なにがどこにあるかをしっかり把握するようになったたま絵に、にゃん太は消極的に答える。取り扱い要注意の素材ではあるが、たま絵が言うとおり、在庫している。
「さすがは、おじいちゃま。豊富なラインナップね」
「となると、あとは【無憂樹の蘇合香】ね。このレシピで一番用意するのが難しいアルルーンの素材はすでにあるんだもの。簡単なものよ」
たま絵がなんでもないことのように言う。
「禁秘の書に近いレシピの素材がそんなにあっさり揃うなんてねえ」
薬師工房で働き、自身の店を持っていたカン七が歓心を通り越して呆れる。しかし、彼らの予想以上の事実が待っていた。
残りの【無憂樹の蘇合香】を採取できる無憂樹ですらも、アルルーンに連れられて行った畑にあったのだ。
「な、なんでこんなものが!」
そこは拡張した畑の一角だ。幹の長さの何倍もの広がりを見せる梢がこんもりと葉を茂らせている。
「ケン太ー!」
にゃん太の呼び声に駆け寄って来たケン太が、集まって樹木を囲んで唖然とする面々に不思議そうな顔つきをする。
「なんで無憂樹なんてものが植えられているんだ?」
「なにを言っているんだよ。ほら、このあいだ市場へ行って苗を買っただろう?」
「「あのときの!」」
にゃん太とハム助は顔を見あわせた。珍しい苗だとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかったふたりである。そして、外国から手に入れた苗は環境の違いから育ちにくい。なのに、すでに高い樹木に育っている。
「それにしたって、育つの、早くないか?」
「そりゃあ、アルルーンたちが協力してくれているからさ」
にゃん太たちに【無憂樹の蘇合香】が手に入らないかと問われて畑に連れてきたアルルーンたちが胸を張る。
「いや、その、有り難いんだけれど、」
「なんだよ」
足元のアルルーンとケン太を見比べてとまどうにゃん太に、ケン太がせっかく短期間で育てたのに不満なのかと頬を膨らませる。
「すごすぎて、言葉にならないですよ。感謝よりもまず驚きが先に立ちます」
ハム助の言うとおりだとにゃん太も頷く。
そして、アルルーンを両前足で掴んで持ち上げ、「ありがとうな」と言う。アルルーンは嬉しそうに根っこをばたつかせる。
そのにゃん太の後ろ足を突く者がいた。他のアルルーンたちだ。畑から出て来てなんだなんだと様子を眺めていたアルルーンたちが、自分たちも褒めて!とばかりに順番待ちをしている。
にゃん太は一旦、屈み、えいやっと両前足に抱えられるだけアルルーンを抱き上げて立ちあがる。
「アルルーンたちのおかげで、こんなに育ったよ。ありがとうな」
にゃん太が抱えきれなかったアルルーンたちはケン太やカン七が同じように抱き上げる。頼もしい前足に根っこをかけ、得意げに緑の葉を後ろに倒して胸を逸らす。
ふだんなにかと辛口のたま絵も、さすがにこのほのぼのした光景に口元をほころばせた。
さて、たま絵が言う向精神薬の中毒症状を緩和する薬はさまざまあるが、効果のほどもいろいろだ。にい也が手に入れてきた、薬師と薬師の卵が驚くレシピ帳、そこに記載されていた薬は、アルルーンを始めとする非常に扱いの難しい素材であり、入手困難な素材を用いた。それだけに、効果のほどは素晴らしいものだった。
あれこれ実験して未知の真理を解き明かす。まだ知られていない世界の在り様の解明でもある。「どうしてそうなるのか」を考える。
物体の中に含まれる成分を取り出し、他の物体の成分と融合させ、あらたな効果を発見する。
錬金術は、あるいは薬作成は、多岐にわたる。どちらが北でどちらが東か分からない濃い霧のさなかをさ迷い歩くようなものだ。それでも、なにかがあると信じて、まだ誰も知らない事実を求めて、ひとつひとつハーケンを打ち付け、登り続ける。その足跡をふもとで見上げる者はめまいがする。あんな高みを行かねばならないのかと。強風にあおられ、体温を奪われ、疲労に苛まれながら、なにより危険が常に付きまとう。周囲にはなにもなく心もとない。
錬金術や薬作成に取り組むことに魅せられた者たちはそんな五里霧中の中の険しい道のりを行く。
猫の錬金術師工房でもそれは同じだったが、同じ道行きの者たちがいる。ひとりではないのだ。
にゃん太はみなとともに、あれこれためしているうち、実験中にしたことで「どうしてこうなったか」を突き詰めていき、新たな発見をする。世界の神秘をひとつひとつ紐解いていく作業に没頭した。
世界を構築する理論を、理解が及ばないとしていたにゃん太は、他者のために便利な魔道具を作るために攻略した。そして今、みなとともに肩を並べ、一歩ずつ、進んでいくのだった。




