閑話5.にい也
猫族に生まれてきたから、その身軽さを利用して冒険者稼業に役立たせてきた。
猫の必殺技は上目遣い、猫なで声だけではない。助走無しで壁を駆けあがり、自分の背丈よりも高い壁を上ることができる。
獣人である猫族も素晴らしい跳躍力、脚力、そして柔軟性を持っている。
なお、にい也の息子、にゃん太は必殺技を繰りださなくても、常態がすでに可愛い目つき、愛らしい声をしている。よって、いつもにい也は息子に完敗している。
にい也は猫族の柔軟性を十分に活かし、迫りくる魔獣を引き付け、眼前で跳びあがる。両前足にそれぞれ得物を持っていてなお、その重量や空気抵抗をものともしない動きだ。たまに即座に対応して跳ね上がる者もいたが、それはそれで対処のしようがある。この魔獣は行き過ぎた後、驚いて左右を見渡している。完全ににい也の姿を見失っていた。隙だらけの背中ににい也は自身の武器のひとつである、鋼の爪を繰り出す。籠手から伸びた鋼の鋭い切っ先はやすやすと魔獣の分厚い皮を切り裂く。魔獣は痛みと怒りで気が狂ったかのように暴れ回り、土煙がたつ。
「はァ?! なんでイエローボアの装甲に武器が折れないんだよ!」
「な、なあ、あれ、猛獣人族なのか? 俺には猫族に見えるんだが」
「ばっか、あいつだよ! あいつがにい也だ!」
「ああ!」
外野がうるさいが、にい也は気にせずもうひと振りの武器、片手剣をふるい、動き回った疲労からやや勢いが衰えた魔獣の首を刎ねる。
「なっ! イエローボアの首を一刀両断!」
「もしかして、あれ、イエローボアっぽく見える別物?」
「だからあ、にい也だからだってば!」
「あいつ、本当に猫族なの?」
どれほど硬い皮ふだろうと、状況を作り上げ、タイミングを合わせ、弱い部分を見極めれば、刃は通る。跳躍も同じだ。どれほど重く邪魔になるものを持っていても、脚力と勢い、機会を捉えれば可能だ。問題は、それを瞬時に見抜き、咄嗟に動くことができるかどうか、それを実現できる肉体を持っているかどうかである。
他者からあれこれ言われることがあっても、適当に受け流していた。
ところが、成獣人に近づくにつれ、他者から声を掛けられ絡まれることが増えた。同性からはけんかをふっかけられ、異性からは秋波を送られた。
けんかは買った。獣人族は力で優劣をつける。純粋な力でかなわなくても、頭を使い、経験則でもって、タイミングを掴み、勝ちを手繰り寄せるのは決して難しいことではなかった。猫族のしなやかな身体能力を最大限に引き出した。後は頭の使いようだ。
そうしていると、いつの間にか、言いがかりからの実力行使はおもねりに変わっていった。そうなってくると、だんだん、他者との付き合いはわずらわしくなってきた。にい也の見た目は、同性からはいけすかないと思われ、異性からは好まれるようだった。
にい也はとにかく実績を積むことに集中した。誰からもなにも物言いをつけられないようにすれば、このわずらわしさから少しは解放されるだろうと思った。
そんな折、なお乃に出会った。はじめはちょっとむずがゆくなる感を覚えた程度だ。だが、常にふんわり笑いつつ、しっかり事の肝所を抑えるところに素直に感心した。それから、あれこれアドバイスを受けるうちに、いつの間にか恋仲になっていた。
所帯を持ってもにい也はあまり変わらなかったように思う。一変したのは、子供ができてからだ。
娘のたま絵はすばらしく美しい子供だった。そして早熟だった。すぐに手がかからなくなり、寂しいほどであった。
「女の子だからおませさんなのよねえ」
なお乃はその時もそんな風にふんわり笑いながら、にい也をなぐさめた。猫族の冒険者にい也なぐさめることができる数少ない存在だった。
その後すぐにふたたび子供ができた。
にゃん太だ。
にゃん太はとてもかわいかった。なお乃に似ていた。猫族のこどもらしく、なんにでも興味を示し、危険に疎い。
にい也が構うのをわずらわしがらず、とても嬉しそうに受け入れた。にい也とはまったく異なる存在だった。にい也の自在に動く長い尾に目が釘付けでより目になっているのも可愛い。ちょいちょいと片前足でつつこうとし、もう片前足だけでは身体を支えきれなくて(頭が大きいからバランスが悪いのだ)、ころりと転がったときは可愛さのあまりに笑えるという体験をした。その後すぐににゃん太がみいみい泣きだしたので大慌てした。
「ど、どうした、にゃん太、どこか痛めたのか?!」とおろおろするにい也とは対照的に、なお乃は母親らしくどっしり構えて「驚いちゃったのよねえ」と言いながら、にゃん太を抱き上げてあちこち撫でてやるうちに、にゃん太はうとうとしだした。
遊んで泣いて眠って。
子供とはこれほどまでに目まぐるしいのかと初めて知った。
たま絵もこんな風だったが、ほんのわずかな間のことで、すぐにしっかりしだしたのだ。
にゃん太は平均的な猫族の子供で、成長もそれほど早くはなかった。
そんなにゃん太は何度も誘拐されかけた。
「愛玩獣人愛好家」
それはにい也にとって憎悪の対象となった。
すばしっこく隙のないにい也にはそれまで縁のなかった存在だ。たま絵にも魔の手が及んだことがあるが、聡い子なのですぐに逃げた。
しかし、にゃん太はまだ他者を疑うことを知らない。愛されるばかりの存在である。
愛玩獣人愛好家は人族だけではない。獣人族の中にもいるのだ。そして、愛玩獣人愛好家自らが可愛い獣人の子供を攫おうとするのではない。実行犯がいる。それはたいてい、困窮した獣人だった。
だから、捕まえても、獣人族の誘拐は減らなかった。人族には警戒しても、同じ獣人であれば気が緩む。猛獣人族であれば、近寄りがたいが、そうでない獣人族であれば気安くなる。常に警戒することは難しいのだ。
強者が弱者を虐げむさぼるのはままあることだ。しかし、弱者が弱者を危険にさらす。しかも、自分が生きて行くためにする。そんなやりきれない出来事が起きていたのだ。
にい也は家族を養うために働く必要があったから、ずっとにゃん太に張り付いていることはできない。心情的にもそうしていたいところだが。
「蓄えはあるし、にゃん太がもう少し大きくなるまでは———」
「良いから、仕事に行ってきて」
有無を言わせぬ笑顔でなお乃に送り出されたものだ。たびたびあること、というよりは、毎朝そんなやり取りをしていた。なお乃は忍耐強い女性である。にい也が懲りないとも言える。
なお乃からしてみれば、それだけ愛情深いのだと知っていた。誰にもなににも執着しないにい也と恋に落ちたときには、いつも終わりに怯えていた。愛情を受けたときは有頂天になるが、ふいに不安が襲い掛かってくる。いつまで続くのだろうか。いつ、にい也の気持ちが冷めて他の人への対応と同じになるのだろうかと思っていた。
けれど、違った。にい也はなお乃を伴侶とし、子供が生まれた。それもふたりも。そのどちらをも、にい也は可愛がった。他の獣人たちが驚くほどだ。話に聞くだけではみな信じない。目の当たりにした者たちはにい也の子供たちへ向ける柔らかい視線、とろけるような表情、やさしい仕草に度肝を抜かれた。
だから、大丈夫。冷徹のにい也は家族に対するときには変わるのだ。
子供たちはすくすくと育ち、たま絵は早いうちから働きに出た。同時に賢い姉という、にゃん太に対する保護壁が一枚なくなったことから、一層にい也が過保護となった。
そんな父の心知らずのにゃん太は、いつの間にか人族の錬金術工房に通うようになった。
にい也は愛玩獣人愛好家ではないかと疑った。調べてみれば、高名な錬金術師であり、高齢の人族で人となりは良く、獣人たちを差別することもないという。
なにより、にゃん太がじいちゃんは、じいちゃんに、じいちゃんから、と楽しそうに語って聞かせるのだ。
にい也は半ば覚悟していた。そして、にゃん太は言った。
「俺、錬金術師になる」
にい也だけでなく、同じようにじいちゃんのことについていろいろ聞いていたなお乃もたま絵も反対しなかった。
ただ、困難が多いだろうと心配した。だが、にゃん太の師匠は素晴らしい人で、なおかつ用意周到だった。錬金術師組合を納得させ、あっという間ににゃん太に工房を引き継ぐ手続きを済ませてしまった。そして、にゃん太は免許を取得し、錬金術師となった。
おそらく、にゃん太の師匠は自身の死期を悟っていたのだろう。自分の築き上げたものを譲り渡すことができて、満足しているのかもしれない。
そうして、にゃん太は錬金術師として工房を運営するようになった。ティーア市獣人新聞にも取り上げられるような、すばらしい錬金術師となったのだ。
それだけではない。
獣人のためになにができるかと考え、それを形にした。
多くの獣人のために働いている。にい也は考えたこともない事柄だ。
あの小さく可愛いばかりだった我が子が。力はなくとも、にゃん太はある一面では、父を超えたのだ。
にい也は次代を生み出し、その子がいつの間にか名を残す存在となった。
震えるほどに感動した。
どれほどすごいことをやってのけても、無防備で安らかな寝顔は変わらない。にい也はこの寝顔を守るために戦っている。
その屋敷は強固な守護魔法がかけられていた。しかし、家が大きければ大きいほど、敷地が広ければ広いほど、四六時中魔法をかけておくには相当な魔力を必要とする。
ということは、必要ではない箇所には魔法を用いず、門扉や扉、下層の窓といった出入り口に施すことが一般的である。
その屋敷も、正面の門の他、裏口も、階下の窓という窓にも、守護魔法がかけられていた。ならば、壁を越え、階上の窓から入れば良い。
にい也は音もなく跳躍し、壁の縁に立つ。少しとっかかりがあれば、容易にできる。壁の上に有刺鉄線があってもなんのそのだ。触れなければ怪我しないのだから。
そうやって、にい也はやすやすと潜り込み、愛玩獣人愛好家が誘拐した獣人を助け出した。連れ去られた獣人は大抵が子供か小柄な獣人だったからこそ、できる芸当だ。さすがのにい也も自分より大きい獣人を抱えて人知れず逃げるのは骨が折れる。
救助した後は、親元へ返すか、親がとんでもない者の場合は孤児院へ置いて行く。
いつからか、獣人が獣人を攫っているのではないかという考えを持つようになった。そのころ、にい也が嗅ぎまわっているということを、獣人愛好家たちが知るようになり、またたく間にその事実は彼らの間に浸透している様子だった。
それでいい。自分の存在が抑止力となる。警戒して誘拐を控えるようになるだろう。
自分に敵意が向けられるのは今更だ。猫族なのに冒険者のトップを張っているのが面白くないということから、足を引っ張られることはしょっちゅうだったし、こびないので権力者から疎まれることもしばしばだ。
しかし、家族は違う。にい也の家族はみな愛らしい。その愛らしさに目をつけられ攫われたら。
「にゃふふん。地の果てまで追ってやる」
そして、地獄に叩き落す。だが、もっと重要なのは、そうならないことだ。事を未然に防ぐのが肝要だ。
「家族の平和は俺が守る」
家族にはなんでもない日常を送ってほしいものである。
さて、にい也は情報を集め、誘拐を行う獣人を探った。彼らと愛玩獣人愛好家調べを進めるうち、実行犯とは別の存在が浮き上がってきた。指示する者の後を付けて身元も掴んでいる。しかし、動機が分からない。
にい也はたま絵が火事のことについて聞くために訪ねてきたことから気になって、警邏から巧みに聞き出し、火事が起きた日の昼間、隣家に子供の獣人ふたりが迷い込んで来て、さらにはその親が引き取りにやって来たと知った。
おそらく、それだけを見た放火犯は、そこが獣人の子供とその親の家だと思って火を放ったのだろう。そうして逃げ出てきた子供をさらおうとしていたのだ。火事のどさくさに紛れて。
なぜなら、誘拐犯の獣人こそが放火犯だったのだから。
にい也は泳がしておいた実行犯が放火犯として捕まったのを見て、さて、指示をしている者たちがどう動くかに注意を向けた。




