3.新しい従業員
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
大通りには馬車や荷車が通り、商品が並ぶ店や工房が連なる。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。たどり着く前に良い匂いのするパン屋やつやつやした果物を売る店があって目移りする。
一番賑やかな場所から少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。
そこは猫の錬金術師の工房だ。
工房の持ち主の猫族のにゃん太は茶トラ白だ。鼻筋と口から顎、胸と四肢が白く、ほかは薄茶色の毛並みにオレンジ色のトラ縞が入っている。耳や鼻、への字口がピンク色である。
錬金術工房は露地沿いの正面玄関を入れば、客対応するためのカウンターと棚のある店となっている。その奥の部屋は大きな間取りとなっているが、錬金釜や台、炉、すり鉢やすりこ木、ふるいなどといったさまざまな器具が置かれているので、広さは感じられない。
にゃん太は火にかけた釜の前に置いた台の上に乗って、柄杓の柄を掴んで中身をかき混ぜていた。
しかし、調子が良い時に出るハミングは、今は出てこない。
「すみませーん。誰かいませんかあ」
店側の方で客が訪いを告げる。
「はーい、今行きます」
ひっきりなし、というわけでもないが、わりに何度も呼ばれるのだ。その都度、錬金術を中断することになる。炉の火は一度消すとまた高温に達するには時間を要する。だから、釜を火にかけたままにしておくこともある。そんな時に限って客が長話をする。にゃん太は客対応をしながら、愛想笑いの奥でやきもきした。
こんな時ばかりは畑仕事に集中することができるケン太がうらやましい。
あれも作りたいし、これも作りたい。それも試してみたい。なのに、なかなか作業を進めることができなくて不満が募った。こういう時には失敗も起こりやすい。
「平常心、平常心」
にゃん太は柄杓の柄を掴み直してへの字口に、にゃむっと力を入れる。
「ちょっとぉ、誰もいないのお?」
そんな風に考えていると、嫌味ったらしい声が店から聞こえてくる。
「はーい、少々お待ちくださーい」
にゃん太は声を張りながら錬金釜の中を確認し、少し迷った後、そのまま火にかけておくことにした。
店へ続く扉を開けたとたん、とがめる声が飛んでくる。
「にゃん太、あんた、客を待たせ過ぎよ!」
「なんだ、たま絵姉ちゃんか」
店に姉がやって来ていた。
「なんだとはご挨拶ね。いらっしゃいませくらい言いなさいよ」
たま絵はにゃん太の姉だ。料理上手でケン太が作った作物であれこれ作るが、にゃん太をこき使う。最近、にゃん太が作った薬で作った風変わりな作物を材料にしたら、不思議な料理が出来上がったので、畑や工房に興味を持っていた風ではあった。まさか、やって来るとは思わなかった。たま絵は美人だが弟には辛口なので、にゃん太は苦手なのだ。
姉はぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い灰白だ。色あいのせいかクールな印象を持たれやすく、「可愛い」と言われがちなにゃん太にはうらやましい限りである。
いけない、いけない。最近忙しくて他の者をうらやんでばかりだ。
「悪い悪い。ちょっと忙しくてさ」
「まあ、暇をもてあましているよりはましね」
ケン太はどうしているのだと問われるままに、裏の畑へ案内した。
「ハーブも植えているのね」
「ああ、それ、持って行く? 料理で使えるんじゃない?」
「もらっていこうかしら」
ケン太そっちのけで姉弟はハーブが植わった一角でああだこうだ言い合う。
「あら、これは?」
「ああ、だめだめ。それはアルルーンと言って、」
「あらあらっ?! う、動き出したわ!」
わさわさと濃い緑色の葉を揺らして、アルルーンたちは土から抜け出した。にゃん太の後ろに隠れて初見のたま絵をじっと観察する様子を見せる。アルルーンたちには目も耳も鼻も口もないが、そんな風に思われた。
さすがのたま絵も驚いて棒立ちになる。
アルルーンは貴重な錬金術の素材ともなる。抜け落ちた葉や根っこをそっと差し出して来るのだ。
「あれ、たま絵姉ちゃん、とうとう見に来たのか」
騒ぎに気づいて、向こうの畑の手入れをしていたケン太の方がやって来る。
「とうとうって?」
にゃん太が首を傾げる。真似してアルルーンたちが葉を揺らす。たま絵の口元が緩む。それを見たケン太がにやにやする。
「弟がいきなり錬金術師になるって言って、さらには工房主にまでなったんだ。気にならないって方がおかしいだろう?」
にゃん太とケン太は忙しさから実家を出て、工房の住居部に住まいを移していた。夕食だけはにゃん太の実家に食べに帰り、次の日の朝食と昼食を持たされて工房に戻るという日々を送っていた。自分も三食の面倒を見てもらっているというのにも関わらず、可愛い弟が家を出たので様子を見に来たのだというケン太である。
「あら、わたしはにゃん太がしっかりやっているかどうか見に来ただけよ」
ケン太のにやけた顔を見て、たま絵はつんとすまし顔をする。横顔を上向け、きれいな毛並みを見せる。
「それで、ちゃっかりハーブを持って帰ろうとするんだもんな」
「わたしの料理はお金を出しても食べたいって人がいるのよ」
事実である。
にゃん太は遠い目をしながら言った。
「世も末だな———いてっ」
ねこパンチを腹にくらって、にゃん太は悶絶してうずくまる。
たま絵は特大の鼻を鳴らす「にゃふふん」を残して帰って行った。もちろん、もらったハーブを両前足に抱えながら。
「姉ちゃん、あれでもてるんだもんなあ」
ケン太が言うとおり、たま絵は美女であり、もてる。弟には厳しいが義理人情に篤いので、異性同性関係なく人気がある。
「俺はもっとこう、ふんわりした可愛い子が良いなあ」
にゃん太はうずくまって両前足で腹をかかえたまま言う。
「ああ、みい子さんみたいなのな」
しらりとケン太が返すのに、にゃん太はしどろもどろになる。
「えっ、いや、そのっ」
「にゃん太はあれだな、パンをくわえつつ女子とぶつかるとか、そんなきっかけを期待しているっぽいな」
ケン太が呆れた表情を浮かべる。
しかし、にゃん太はケン太の想像の上を行く。
すでに「煮干し(特大)をくわえつつ女子とぶつかる」を経験しているのだ。
「あれ、危険だぞ! 煮干しがのどに刺さって死ぬかと思った!」
「いや、マジでそれ、やばいだろう!」
「だからそう言っているんじゃないか」
への字口を急角度にするにゃん太は巷では「可愛い猫の錬金術師さん」で通っている。それで客層はお姉さま方(種族問わず)が増えているのだが、本人は気づいていない。姉耐性は良くも悪くも備わっているのだ。
たま絵レベルの美女を常日頃から見慣れている弊害とも言えよう。
ケン太はそこでふと不安に駆られてにゃん太の肩に片前足をぽんと乗せた。
「にゃん太、お前、見ず知らずのお姉さんにちょっと優しくされたからってついて行っちゃあだめだぞ」
「なんだよ、それ。子供か」
同世代に子ども扱いされて、にゃん太は盛大にふてくされるのだった。
工房は順調だ。客足も途切れない。工房は建物から器材、素材の在庫まで揃っていて、無借金である。
非常に恵まれている。だが、思うように仕事が進まない。どうしても途切れがちになる。
「にゃふーん」
「なによ、ため息なんてついて」
夕食を終え、にゃん太の前にたま絵が食後の茶を置く。いつものように、ケン太も相伴にあずかっている。ちなみに、メニューは畑のハーブで作った鶏の香草焼きである。とても美味しかった。
「ううん、どうにもこうにも、」
「工房が忙しいって言うのなら、だれか雇えば良いじゃないか」
テーブルに俯せていたにゃん太はがばりと起き上がった。
「それだ!」
「おいおい、今気づいたのかよ。工房は結構稼いでいるだろう?」
目を輝かせるにゃん太に、ケン太が目を丸くする。
「あら、じゃあ、わたしが働こうかしら」
「えぇー、姉ちゃんが?」
にゃん太が不満そうな声を上げるのに、たま絵がお盆を振り上げる。
「お、いいんじゃないか? たま絵姉ちゃんなら看板娘になれるだろう。度胸もあるし、客あしらいも上手そうだし」
両前足を上げてたま絵のお盆攻撃から身を守ろうとしていたにゃん太が、ケン太の言葉に真剣に検討を始める。
「そうだ。たま絵姉ちゃんの料理も置いたら?」
「そうねえ。日持ちするもの、焼き菓子とかなら大丈夫そうかしらね」
ケン太の提案に、たま絵もまんざらでもなさそうだ。
「あー、なら、畑のハーブを使ったものは?」
「それ、いいじゃないか!」
賛同するだろうな、と思ったらケンたはもろ手を挙げて歓迎する態勢だ。
薄々気づいてはいたが、ケン太はたま絵のことが好きなのだ。だが、年下であり、なんならにゃん太とまとめて弟扱いされているため、望み薄でもあった。
ケン太としては少しでもいっしょに過ごすチャンスは逃したくないだろう。にゃん太としては口うるさく横暴な姉とあまりいっしょにいたくはない。
それでも、働き手は必要だし、たま絵ならば気心も知れている。じいちゃんも言っていたように、錬金術の下処理は料理に通じるものがある。忙しい時には手伝ってもらえるかもしれない。身元は確かだからトラブルにもなりにくいだろう。
なにより、ケン太には引き抜きに応じてくれたという恩がある。
悪友に報いるためにも、ここはにゃん太が折れるほか、なかった。
弟には厳しいたま絵は、だが工房で店番を手伝うようになると、さらに客が増えた。すぐに棚に陳列している商品についてもひと通り説明することができるようになり、にゃん太は錬金術を中断されることなく、畑でケン太とああだこうだ話し合ったり、素材採取に出掛けたりすることすらできるようになった。
たま絵は興味津々であったアルルーンとも打ち解けた。
とはいえ、二度目に見たアルルーンを引っこ抜かれそうになってにゃん太は慌てて止める羽目になった。にゃん太に怒られた直後はふくれていたが、アルルーンに毎日声を掛け、次第に仲が良くなった。
「いつかはにゃん太にするみたいに、わたしにも抜けた葉や根っこをくれるようにならないかしらねえ。そうしたら、ハーブティにブレンドするのにな」
「たま絵姉ちゃん、それ、売るつもりなの?」
ケン太が恐る恐る聞いたものだ。
「売り物にならないって言うの? じゃあ、おやつの時にみんなで飲めばいいわ」
「そうじゃなくてさあ」
アルルーンは伝説とも言われる植物だ。熟練の錬金術師が厳重に魔法をかけて保護していた。それを用いた茶など、値段が付けられないほどのものになる。農作業に携わる者として、ケン太はそれを知っていた。
今は亡きじいちゃんは高名な錬金術師だ。だからこそ、獣人であるにゃん太が錬金術師として免許を得るに至ったのだ。さまざまな種族が共存するユール国、のどかなティーア市とはいえど、差別はある。それをおしてなお、じいちゃんの工房、ひいてはアルルーンという貴重な植物を育てる畑を存続させたいという思惑が人族側にはあるのだ。
じいちゃんが教えてくれた錬金術とアルルーンたちが、にゃん太が錬金術師たることを守っているとも言える。
錬金術師は劇物である鉱物や毒を持つ植物を扱う。それらは建物を破壊したり、動物を殺し、植物を枯れさせる。扱いは難しく、また、周囲に被害を及ぼすことがあるので、組合で厳しく取り締まっている。だからこその、免許制である。
そんな錬金術師として工房を運営することができているのだから、にゃん太は太平楽に見えて、錬金術の能力があると言えた。
にゃん太自身は他人の思惑にはどこ吹く風で、ただひたすら錬金術に没頭し、じいちゃんに約束したとおり、アルルーンたちを育てている。
ケン太はそれでいいじゃないかと思う。
余命を悟った才能ある錬金術師と、伝説とまで言われた不思議植物、そしてのほほんとしているけれど真心ある新米錬金術師、三者の気持ちが籠ったやさしさでこの箱庭が形成されているのだから。
そこから生み出されたものが、人々の役に立っている。
だったら、それでいいじゃないか。
まあ、でも、どんなとんでもない効果がもたらされるか分からないものを作りだそうとするたま絵には釘を刺しておく必要があるだろう。
さて、にゃん太はたま絵とは仲が悪いという。だが、ケン太からしてみれば、仲の良い姉弟だ。機嫌が良いときの鼻歌がいっしょだ。
「たまにハモっているのに、なんで気づかないんだ」
「「んーにゃっにゃっ、んーにゃっにゃっ」」
ワルツ調に姉弟でハモるのに合わせて、畑ではアルルーンたちが濃い緑の葉やこげ茶色の根っこを震わせている。
「さあ、今日も世話しましょうかね」
ケン太は鍬を土に刺して、ううんと伸びをした。
人と不思議植物と猫族と犬族と。さまざまな者の力で作り上げている楽園の手入れという、ちょっと不思議で、でも、特別でない日々。きっと後から思い返せば、心温まるかけがえのない毎日だ。