21.災難と備え2
「じいちゃん、すごいな」
新しい土地を耕しながらケン太がもう何回言ったか分からない科白を口にする。さっそく熊五郎が作ってくれた小屋を運び入れ組み立て、その中に真新しい棚や台を置いた。水場は元々あった隣家のものを使うことにしたので、小屋もそのあたりに設置した。
「たぶん、これ、アルルーンの魔力が影響しているんだと思う」
「そうなんですか?」
にゃん太も畑仕事を手伝いながら言うのに、掘り起こしたやわらかい土の上で器用に<パンジャ>を操るハム助が聞く。
「土はアルルーンの領域だからさ。そこへじいちゃんの魔法が乗っかっているんだと思う」
おそらく、じいちゃんはアルルーンが土へ及ぼす魔力を見越して魔法を使ったのだ。にゃん太はそう推理した。
「ははあ、なるほどねえ」
「すごいものですね、錬金術師殿もアルルーンたちも」
分かっているのかどうかのケン太はともかく、ハム助は心底感心する。
にゃん太はふたりに頷いた。じいちゃんやアルルーンはここでもにゃん太の憂いを払ってくれたのだ。畑を広くしようとしたのも、アルルーンの居心地を良くするためだとはいえ、感謝してもしきれない。にゃん太はいっそういろいろ育てて栄養剤を充実させようと思った。
「でもまあ、これで錬金術師組合の査察が来ても大丈夫だろう」
「うん。まさか、ここへ来るとは思わなかったよ」
じいちゃんは一度だけ、畑で生育するアルルーンを錬金術師組合の査察係が見に来たと言っていた。それ以降は来なかった。それはじいちゃんに敬意を表してのことだ。にゃん太は定期的にひと株持ち出して報告することを義務付けられていた。
工房や畑は錬金術師の財産であり、秘密が詰まった場所だ。その重要な場所に足を踏み入れ見聞きするのを、錬金術師を管理する組合だからこそ、遠慮してきたのだ。だが、じいちゃん亡き後、敷地を拡張したことによって守護が行き届かなくなったら。それはアルルーンが危険にさらされることと等しい。
そんなわけで、組合の査察がやってくることとなった。
その日は、朝から緊張気味のにゃん太を他所に、ケン太もたま絵もいつもの通りに働いていた。
「なるほど。基本的には招き入れられた者しか、店の奥には入ることができないようになっているんですね」
「そうなんです。以前、身体の大きい象族の方に薬を処方するために裏へ回って工房の作業場へ入ってもらいました」
「ほほう」
「あ、ちゃんと裏口から入っても畑を通らない道があるから」
にゃん太の言葉に査察がきらりと目を光らせ、ケン太が慌てて言葉を添える。
ケン太は今ではじいちゃんの畑分布図を見なくてもなにがどこに植えられているか分かっている。
にゃん太とともに畑を案内した。たま絵が悠然と後からついてくる。まるで、査察する側の余裕である。
「おおっ! アルルーンでは? あんなにたくさん!」
目ざとくアルルーンを植えた一角を見つけ、査察が足早に近寄って行く。その振動をいち早く察したアルルーンが葉を揺らす。
わさわさわさっ。
アルルーンには錬金術師組合の査察係が訪れることを前もって話してある。希少植物がつややかな濃い緑色に葉を光らせている様を見て、感動に打ち震える。
「こ、これが!」
野生ですら見出すことが難しいと言われている伝説の植物が、いち個人の工房でこれほどこんもりと茂っている。
と、ずぼりと根っこを土から出すと、それを土の上に置いて、ぐいと丸い胴体を引っこ抜く。
そして、わさわさわさっと葉を揺らしてにゃん太の後ろに集合する。もちろん、標準的体格の猫族であるにゃん太であるから、みなが隠れられない。一部はケン太の後ろに移動する。
「にゃん太さんだけではなく、そちらの犬族の方にもずいぶん懐いているのですね」
「ケン太と言います。彼は以前農家で働いていて畑に詳しいので来てもらいました。アルルーンの世話も手伝ってくれています」
「ほほう」
アルルーンは根っこ二本できゅっとケン太の片後ろ足に回してしがみついている。にゃん太と言えば、後ろ足だけでなく、背中にもわさわさ乗っている。両肩や両前足にぶら下がっている。アルルーンまみれである。
「守護の魔法も隅々まで行き届いておりますな。こちらが新しい敷地ですか?」
「はい。今畑を作っているところです」
査察となるだけあって、錬金術の素材にも詳しく、話すうちにケン太があれこれ質問するようになった。
とうとう、作業場の棚から錬金術素材一覧を持ち出してそれを見ながら訊ねる。
「おや、ケン太さんは文字が読めるのですか?」
「はい。以前はまったく読めなかったんですが、この工房に来て、必要性を感じて習っているところです」
「いや、素晴らしい。向上心がおありですな」
「うちの工房の者はみんな文字を読めますよ」
にゃん太が胸を張る。にゃん太の身体にまとわりつくことができず、土に立っていたアルルーンも真似する。自分たちも読める、というところか。
そんなことは露知らない査察は、ほわわんと表情を緩める。
「アルルーンがこれほど影響を受けているとは。にゃん太さんだけでなく、他の者をも信頼している。素晴らしい環境です。しかも、この量、この質!」
それまで口を差し挟むのを控えていたたま絵は抜かりなく、にゃん太にアルルーンの素材を渡すように言い、それを聞いていたアルルーン自ら、抜け落ちた根っこや葉を差し出した。
「……!!」
査察はアルルーンからその素材を受け取るという体験をして、感動に言葉もない。大切に押し抱き、懐に仕舞っていた。
たま絵はダメ押しとばかりに、畑で作った【ハツラツのミント】や【爽やかカモミール】で作ったクッキーやハーブティも渡していた。
「ほう、なるほど」
「じいちゃんのときには作っていなかったんですけれど」
じいちゃんのことを尊敬するあまり、勝手なことをするなと言われやしないかとにゃん太の鼓動は早くなる。じいちゃんがやっていたことを踏襲すれば良いのだと言われたら、なんと言えば良いのだろうか。だって、じいちゃんはにゃん太がどんな錬金術師になるのか楽しみだと言ってくれたのだ。
「にゃん太さんの特色がこういう路線だということですね。他者を楽しませるものを作っていることか」
「はい。獣人たちは力が強い。だから、歳を取って身体が最盛期の頃より動かなくなるのは当たり前なのに、それを隠そうとする。だから、こういう「身体に良いもの」を手軽に摂取してほしいと思っているのです」
にゃん太は驚いてたま絵を見た。単に料理上手な特性を活かしていただけではなかったのか。たま絵はたま絵でいろいろ考えているのだ。
査察係は満足して帰って行った。
たま絵に後で聞いてみたところ、「あら、あんなの、適当にそれなりのことを言って見せただけよ」と言うものだから、絶句する。姉ちゃんという生き物はこれだから!
「なによ」と言ったたま絵はにゃふふんと鼻を鳴らして顎を上げてにゃん太を見下ろして来る。
「あんたねえ、仮にも工房の主なんだったら、とっさにあれくらいのことを言えなくてどうするの」
まったくもってその通り。にゃん太としては、常々思っていたことをたま絵が査察係に話したものだから、読心術の心得があるに違いないと思ってしまったのだ。以前、ヒョウ華が来たことからそう考えるにいたった。案外、たま絵もそうだったのかもしれない。だったら、今のは単なる憎まれ口で、査察係に話したことを実際に思っているのかもしれない。姉ちゃんという生き物はそういうところがある。弟には素直になれないのだ。虚勢を張るというか、常に偉そうであるというか。
「そんなだから、シシ姫に良い様に扱われるのよ」
「そ、そうだ、姉ちゃん、シシ姫が俺のことを探っている理由ってなんだったの?」
ヒョウ華がシシ姫がにゃん太のことを聞き回っていると言っていた。聞いた時はなにごとかと震え上がったものだが、その後にあれこれあったので、すっかり忘れていた。
「落ち着きなさいよ。大丈夫よ。単に情報収集していただけなんですって」
「お、俺の情報?! 個人情報は慎重に取り扱わないといけないんだぞ!」
にゃん太は慌てるあまり、妙なことを口走る。
「あー、もしかして、ウルシかぶれの薬をやったあの時に恋しちゃったとかそんな感じなのか?」
ケン太がにやにやしながら言う。
「シシ姫が俺を?!」
もわわん。にゃん太は想像した。シシ姫がにゃん太の肩に片前脚をかけているのを。なんだそれ、猛獣に捕獲された仔猫ちゃん状態ではないか。
ぶるぶるっと勢いよく顔を左右に振って妄想をはねのける。
「決して、俺は!」
可愛い仔猫ちゃんではないのだ!
「あら、そんなことがあったの?」
「さすがはにゃん太さんですね」
たま絵に続き、ハム助が言うのに、ケン太が補足する。
「あれは確か、ハム助さんと出会った日のことだよ。その少し前のことだ」
あれもこれもといろんな薬を用意していると、ケン太に女子みたいだとからかわれた。そのことを思い出し、さらには今、完全に面白がっていることと相まって、にゃん太はにゃむっとへの字口に力が入る。
「あながち、ケン太が言うことは的外れじゃなさそうよ」
たま絵がケン太よろしくにやにやする。
「え、じゃあ!」
ケン太がここぞとばかりに身を乗り出す。
「まあ!」
みい子が両前足を口元に宛てる。ああ、みい子までもがそんな反応をするなんて!
「悪い気持ちで探られているんじゃないなら、良いよ。俺も後ろ暗いところはないし」
にゃん太はそう言ってこの話はここまで、とばかりに打ち切った。
「それよりさ、ケン太、カン七さんから預かったバラはどんな様子だ?」
「おお、あれな。アルルーンにもお願いしておいたから、ばっちり育っているぜ」
「良かったわ」
にゃん太を積極的にからかってくるのはケン太とたま絵だ。そのふたりの意識を逸らすことに成功して、にゃん太はこっそり安堵のため息を吐くのだった。
他の異性から秋波を送られたことでみい子の嫉妬心を煽る、あるいはにゃん太を意識させるといったことにはつながらない。ケン太に「そういうところだぞ」と言われるゆえんである。
獣人族は力があるし、多種族がいる分、多様な技能や特性を持つ。なのに、職に就く機会に乏しく、貧困にあえぐものが多い。あっても重労働や汚れる仕事が多い。それですら奪い合いとなる。
亀之進も幼いころは食べるのにも精いっぱいの家庭で育った。幼い妹を亡くしたのを覚えている。悲しくて悲しくて仕方がなかった。自分よりも小さい身体でじたばたと動いて後をついて回った。その姿をもう見ることはないのだ。
亀之進はその悲しみを糧に、必死に働いて、財産を築いた。運が味方したのもあるだろう。亀之進のように貧困で家族を亡くす獣人は多かったし、彼よりもよほど懸命に働く者もいた。
でも、獣人はなかなか豊かな暮らしをする機会に恵まれない。
どうすれば解決できるか。
雇用を生み出すのだ。炊き出しを配布するのは急場しのぎだ。抜本的な問題解決は自立する手立てを与えてやることだ。
だから、伴侶である鶴族の鶴美が獣人女性を雇用する工房に出資して支えている。その他にも様々な福祉活動を行っている。
その一環が様々な職業組合への寄付である。これは獣人の雇用を宜しくお願いします、という意味合いがある。
亀之進の行いは生きられなかった妹のような獣人を少しでも減らせるようにということが原動力となっている。それを知る家人たちが亀之進の手となり足となって動いている。彼らの表情や仕草から、亀之進への尊敬や賛同の念を感じ取れる。いつからか、亀之進はそれだけでは満足できないようになっていた。それに気づいたのは、新たな慈善活動に手を出してからのことだ。
各組合は寄付するからこそ、亀之進を恭しく扱う。
けれど、<吸臭石>という画期的な魔道具の売り上げを獣人たちの育成に用いるという活動で亀之進は「顔」となった。
それまでも身銭を切っていたが、実働は家人たちが行っていた。組合や工房に顔を出すのとは違って、養育施設に出向けば、「亀のおじいちゃん、ありがとうございます!」と歓迎してくれる。妹が亡くなった年頃の子もいればもっと大きな子供もいた。
亀之進はそこで将来どんなことをしたいかと訊ねてその答えを聞くのが好きだった。初めは戸惑い、今日食べるのも精いっぱいでそんなことは考えられないという子供たちが、どんどん明るい表情を浮かべて、あれもしたいこれもしたいと言う姿を見るのが好きだった。
彼らの未来の選択肢を増やしたい。妹の生はほんのわずかな時間で唐突に途切れてしまったが、彼らはもっとずっと先を自由に進んで行ってほしい。
そう話すと、家人たちは涙を浮かべながら亀之進について行くと言った。
そんな家人たちだからこそ、少々後ろ暗いことも厭わずに行ってくれる。
「旦那様、手の者から報告を受けました。近々実行するとのことでした」
執務室で書類をさばいていると、執事がやってくる。少しばかり饐えた臭いが移っている。あの界隈の者たちはあまりにも強烈な体臭を発するものだから、屋敷には呼ばず、下町の一角に執事が足を運ぶようになった。きっと、巷で話題の<吸臭石>ですら、この臭いを吸いつくすことはできないだろう。
「そうか。彼らには存分に報酬は渡したか?」
「もちろんでございます」
「今回の分が先方に渡れば、きっと、今後、我ら獣人の暮らし向きも楽になる」
「さようにございます」
恭しく一礼する執事に、亀之進は満足げにひとつ頷いた。
必要悪というものだ。
きっと、獣人のために<吸臭石>を発明し、その売り上げを慈善活動に捧げた猫族の錬金術師であれば、考え至らない事柄だ。
さまざまな思惑が渦巻く都市では、綺麗ごとだけでは渡って行けない。水清ければ魚棲まず。
みながみな、立派な考えや慈悲を持ち合わせているのではない。それぞれの願いがあり、欲望があり、目的がある。そのために動くのだ。だからこそ、ぶつかる。その衝突を最小限にするのが亀之進の役割だと自認している。
そのためには少々の必要悪は致し方がないのだ。
亀之進にやすやすと功名を明け渡した勘違いした格好つけの猫族の錬金術師には理解が及ばないだろう。
「時に、旦那様、ティーア市獣人新聞社の記者に姿を見られたようで、尾行されましたが、撒いてきました」
「ほう。それで、件の獣人たちと密談しているのは見られたのかね?」
密談などと大仰に言って見せた亀之進の下手な冗談に、執事は微笑む。
「いえ、その点は抜かりなく」
「では、問題ない。なに、問い合わせがあれば、我らは慈善活動のために下町の様子を把握しているのだと本当のことを告げれば良い。渡した金銭は寄付の一環だ」
慌てることはない。手の者と会っていたとしても、話を聞かれていなければどうとでも言い抜けられる。それを承知している執事も平然としたものだ。
「かしこまりました」
「それで、その記者というのは?」
「たしか、若い女性記者で、リス緒と言ったかと存じます」
亀之進はうなずきながら、次に取るべき手を考えるのだった。