20.災難と備え1
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
街道と大河によって、交易品や旅人が行き交い、様々な種族が暮らしている。多種多様な工房や店が建ち、そこを出入りする職人や買い物客がいる。大通りには馬車や荷車がひっきりなしに走っている。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
徐々に名を馳せつつある猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているからこそ、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でもいっとう風変わりなのがアルルーンだ。なんと、自在に動く不思議植物だ。魔力を持ち、前の工房主から教わり、錬金術にも明るい。
工房の主のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
不思議な植物が育つ畑では犬族のケン太が世話に勤しんでいる。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、二代目の看板娘となった猫族のみい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場では、にゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助がせっせと作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
高名な錬金術師であるじいちゃんから工房と畑を受け継いだにゃん太とその仲間たちは獣人と不思議生物である。彼らは職を得ることで糧をも得ている。けれど、案外、獣人たちが労働に就くことは難しい。良い環境のもとで働くことができる者はさらに少ない。
特に、ハム助のような小柄な種族は移動するだけでも大変だ。ハム助やフェレット族のフェレ人と出会ってから、にゃん太はそのことがずっと気にかかっていた。
なんとかできないかと乗り出した。
錬金術は多くの者がより良い暮らしのために連綿と研究を積み重ねているのである。
フェレ人の兄の木工職人である羊彦や鍛冶屋のうさ吉とも力を合わせ、<パンタグラフ式ジャッキ付き移動置装>、略称<パンジャ>を開発した。
この<パンジャ>にはアルルーンの素材を用いたため、完成品を真っ先に錬金術師組合に持ち込んだ。
別室で自分が書いたレシピ帳を見ながら、いっしょうけんめい説明するのを、いつも対応する係員の他、組合長と査察係も加わって真剣に聞いた。
「ほう、上下に伸縮するのか」
「走行も上下伸縮も自在というのがすごいですね」
「ホイールの強度も申し分ない。このなめらかな動き!」
ハム助を伴い、試運転を披露した。ハム助はすでに<パンジャ>を使いこなしていて、工房の棚から必要なものを台へ移動させるということもしている。台から転がり落ちそうになった木の実を<パンジャ>に乗って追いかけ、パンタグラフ式ジャッキを畳むことでテーブルを下げて見事にキャッチすることもできる。
「しかし、勿体ないですな。小柄な者に限定されるのは」
「そうだな。大型化が可能なら、運搬や作業用に活躍するだろう」
「ただ、そうするには強度と使用素材の問題が立ちはだかります」
たいていの物品は小型化、軽量化するのが難しい。けれど、にゃん太が作った魔道具は小柄な獣人族、たとえばハムスター族からフェレット族くらいまでの体格の者が使用するに合わせて作った。それ以上大きくなれば、構造上で問題が発生する。
「しかし、乗ったまま動かすことができるというところがすごい」
「さすがはアルルーンの素材というところですね」
「にゃん太さんはアルルーンの育成だけでなく、その素材を使いこなすにまで至ったのですね」
査察係は感極まって、にゃん太の片前足を両手で握った。
「あっ」
とたんに、なじみの係員が声を上げる。
「またお前、猫族の肉球がどうのと言うんじゃないだろうな」
「だって、」
係員と組合長がこそこそと言い合うのを他所に、査察係はよくぞここまで、研鑽を積まれましたね、などと手放しで褒めた。
「なにより、にゃん太さんの取り組みはわたしのような小さな者の不便を解消しようという真心のあるものです。大型のものがあればそれはそれで便利でしょうが、まずは困窮する者を救おうという魔道具であることが、この<パンタグラフ式ジャッキ付き移動置装>なのだと思います」
ハム助が査察係に感化されたように目を潤ませながら、訴えかける。
錬金術師組合の者たち三人は何度も頷く。
「まったくもってその通りだ」
「すばらしい心意気です」
「しかし、アルルーンの素材を使っていることもあって、所有者には制限を課す必要がありますね」
「当り前だな。これはあちこちで欲しがられるだろう。外国にも広まる。だからこそ、制限速度や二人乗り禁止などの条例を前もって作っておく必要がある」
「他国にまでは制限の効力は及ばないのでは?」
「かもな。でも、うちはきっちりやっています。事故が起きたのはそちらの管理がずさんだったからじゃないですか、と言えるだろう?」
「なるほど」
組合長の言葉に、組合員だけでなく、ハム助も頷く。
「こういう風に事前にあれこれ方策を打ち立てておくことも必要なんですねえ」
「おや、にゃん太さんのところの工房の従業員さんは頭が切れるな」
しみじみ言うハム助に、組合長が感心する。
「そうなんです。ハム助さんを始めとするみんなに助言をもらって助かっています。ううん、助けてもらっているんじゃなくて、みんなで発明したんだ」
にゃん太は話す最中に違うと思って言を変える。
「にゃん太さん……」
ハム助は感極まった風に言葉を途切らせる。
主が工房の成果を独り占めするのが一般的である。だからこそ、腕の良い、あるいは発想力のある者を雇い入れようとする。にゃん太はこんな風にみなで達成したのだと公言する。だからこそ、工房に集った者たちは力を発揮できるのかもしれない。やったらやった分だけ、自分に返って来るのだから。
「そうか、良い従業員たちに恵まれたんだな」
錬金術組合としては、貴重な植物アルルーンを育てる工房の従業員が誠実かつ有能だと知ることができて胸をなでおろす。
組合長の言葉の通り、<パンタグラフ式ジャッキ付き移動置装>は注文が殺到した。羊彦の工房には改めてにゃん太が挨拶に出向き、錬金術師組合からも口添えがあって、当分羊彦はこの<パンジャ>の部品を作成することに集中することとなった。
「より小さいテーブルの場合、ふちを少しばかり高くなるように削ろうと思うんです。そうしたら、段差で弾みがついた時に落ちにくくなるでしょう」
「うちの他の職人も手伝いますよ。頑丈で軽い木材を仕入れてきますね」
<パンジャ>需要にほくほく顔をする羊族の親方は請け負う。
うさ吉も新しい職人を雇い入れ、部品を作りつつ、フェレ人から試用報告を受けて改良点を探っているという。
「昨日作った部品よりも具合の良いのを作ってやるぜ!」
頼もしい限りである。
さて、にゃん太の方はと言えば、組合の方からアルルーンの素材納品数を一時的に落としても良いと言われて気づいた。
「あれ、そういやあ、アルルーン、ずいぶん増えたなあ」
だからこそ、ふんだんに素材をもらってなお、通常通り組合にも納品することができた。アルルーンの素材の代金は<パンジャ>の他の素材に代わる。
「錬金術師の組合でもしっかりにゃん太さんをフォローする態勢でしたよ」
いっしょに組合に行ったハム助がそう言うものだから、他の面々は安堵する。
「確かに、俺が来たばかりのときからと比べて、大分増えたな」
畑仕事に明るいケン太が言うのだから、間違いない。にゃん太はふと不安がこみ上げて来てアルルーンたちの様子を見に行った。案の定、畑の定位置で、隙間なくみっちりと詰まっている。
「苦しくないか?」
にゃん太が訊ねるも、わさわさと葉を振る。大丈夫だそうだ。
「それなんだけれどね、ほら、前にみんなで言っていたじゃない? 隣の土地は借金してでも買えってやつ」
にゃん太についてきたたま絵が横からアルルーンを覗き込む。
「言っていましたね」
みい子が思い出して頷く。結局、みなついてきた様子だ。
「なんだよ、姉ちゃん、隣の土地が売りに出されでもしたのか?」
にゃん太は冗談のつもりだった。
「そうなのよ」
「ええっ?!」
たま絵が言うところによると、隣に住む者の息子が別の街で商売を始めるので、いっしょに移り住むことにしたのだという。
「それでまず、うちに買取りの話を持って来てくれたの」
「買おう!」
にゃん太は即座に言う。ここは飛びついておくべき局面だ。
「街中の土地代というのは高額ではないですか?」
「錬金術師組合に相談したら、融通してくれそうですけれど」
前職を失った際、独立も考えていたみい子が言い、ハム助が小首を傾げる。
「いや、まず真っ先に頼るべきはにい也さんだろう」
「そうね。父さんなら稼いでいるものね」
にゃん太が頼めば無利子で貸してくれるに違いない、とケン太とたま絵は頷き合う。それどころか、お小遣いという名の生前贈与という形になりかねない。
「<パンジャ>につられて他の商品も売れているから、手付金だけならなんとかなるんじゃないかな」
後金はそれこそ、<パンジャ>の売り上げ代金でまかなえる。
「<パンジャ>の素材としても使うから、アルルーンの数が増えているのはありがたいことだな」
「ただ、問題があるんだ」
じいちゃんは希少な植物であるアルルーンを守るために、畑や工房といった敷地全体に強固な守護の魔法をかけている。
「拡張したところで、魔法の効果がないからなあ」
「じゃあ、住居をそちらに移すのは?」
「工房の中の器材や素材もひと財産だからな」
じいちゃんのレシピ帳も大切な宝物だ。
守護魔法の問題は一旦棚上げにして、隣の敷地を購入する方向で動くことになった。
「あらあ、豪勢な話ねえ」
たま絵を訪ねてきたカンガルー族のカン七が隣の敷地を買い取ったという話を聞いて羨ましそうにする。カン七も店を持っていることから、敷地を拡張するというのは商売繁盛の証である。
「初めに畑を見た時は、こんな都市にこんなに広い畑があるなんて、って思ったけれどね。今となっちゃあ、あれも植えたいこれも植えたいとなって、手狭なのよ」
そして、最も希少な不思議植物アルルーンはどんどん勢力を伸ばしていっている。あまりにもみっちりしすぎて、ひとつの大きな低木のようになっている。
「でも、にゃん太ちゃんが言うとおり、前の錬金術師さんの防御の魔法は必要よ。今、ティーア市では窃盗が横行しているからねえ」
「そうなのよ。カン七のところも気を付けてね」
「本当よお。他人事ではないわあ。でも、本当にすごいお人ねえ、前の錬金術師さん」
カン七はカウンターに両前足を交差させて置く。仕草がけだるげだ。そのカウンターにはみい子が淹れたハーブティが置かれている。たま絵のブレンドである。美容にも良く、カン七の店でも取り扱おうかと、ときおり話は横道に逸れながらも続く。
「そうなのよね。まさか、隣の敷地にも守護の魔法が及ぶなんてね」
居間の住居を隣の敷地に移し、畑の拡張をするつもりでいた。錬金術は成果物も高価だが、素材と器材はなくてはならないもので、時によっては莫大な金額となる。アルルーンはもちろんのこと、畑には貴重な植物が植えられており、工房の作業場には大切な器材がある。となると、移すことができるのは住居だ。しかし、にゃん太は従業員の安全面も重要だと悩んでいる風であった。
しかし、隣地を買い取り、しばらくして、気づいた。守護の魔法もまた拡張されたのだ。まず、隣家は古かったため、移り住むには不便が多く、解体することとなった。更地にして不要物を撤去し、畑にして汎用的な薬草を植えることにした。隣の敷地を囲む壁はそのままで、こちらと隣接した部分に門を設けた。
それらは専門の業者に依頼した。後日、道具を忘れた者が声を掛けてそのまま入ろうとして、できなかった。透明な壁に阻まれでもしているようで、隣地の路面側の門は開け放たれたままで、そこから更地が見えるのに足を踏み入れられないという状況だった。こちら側と買い取った隣地との間に新設した門をしっかり施錠していたから、なにもない状態の隣地は作業しやすいようにそちら側の出入り口は開けっぱなしだったのだ。
困惑して工房の店側へ顔をだした業者から聞いて仰天した。
「え、どういうことだ? もしかして、じいちゃんの守護の魔法が隣地にも?」
「そうとしか考えられないわね。私たちは向こうの出入り口からも新しい門からも入れるのですもの」
「じいちゃん、にゃん太に工房を譲り渡してから、こうなることも見越していたのかなあ」
「そういうことなのでしょうな」
「それにしても、すごい錬金術師ですね」
みなで驚いたものだ。
そこで、アルルーンたちと相談し、アルルーンのエリアを少し移動させることにした。本来の畑のより奥まったところに植え替える。ここは、隣地寄りの場所となるが、すでにそこはにゃん太たちの敷地となった。こうすることで、外の路地から遠ざかる。そして、更地にした隣地は畑とする。
「小屋も作ろう。中に棚を作ってさ」
「良いな。そこで簡単な作業もできるようにしよう」
ケン太が言うのに、隣地の水場付近に建てて、そこで畑から採取したものを一次処理しようとにゃん太も発案する。
「じゃあ、また羊彦さんに頼まなくちゃね」
浮き浮きする弟ふたりにたま絵がしようのない子たちねえとばかりになる。
「<パンジャ>の依頼で忙しいのではないでしょうか」
「では、熊五郎さんにお願いしてはどうですか?」
ハム助にみい子が提案する。
熊五郎は木こりである。羊彦を紹介してくれた熊族だ。相談してみると、小屋は熊五郎が、棚や作業台などは羊彦の木工工房の職人が作ってくれることになった。工房に持って来てもらい、組み立てるのはこちらでやることになる。
「そう、その熊五郎さんよ!」
話を聞いていたカン七が唐突に声を上げる。
「ハチミツを仕入れるようになったんだっけ?」
「そうなの。美容成分たっぷりだから。そのハチミツにプラスする特別なものを探していたのよ」
たま絵とカン七は以前、同じ薬師工房で働いていた。同じ時期に入った徒弟としてふたりは仕事に励み、めきめきと頭角を現した。ただ職に就いて糧を得ようとしたのではない。目的意識を持って、工房でのあらゆることを吸収しようとがんばった。その結果、たま絵はハーブに詳しくなり、料理に取り入れるようになった。カン七は仕入れに詳しくなり、美容商品を扱う店を持つに至った。
そして、珍しいバラを手に入れることができたのだという。だが、その割には浮かない顔をしている。けだるげにほう、とため息を吐く。
「それがね、ようやく手に入ったというのに、株分けが難しいらしいのよ」
薬草の種類や仕入れルート、適正価格といったことには詳しいが、育てるとなると専門外だ。
どこの農夫も取り扱ったことがないから保証はできないという。
「そうよねえ、希少だということは、それだけ扱う者がいないということだわ」
「そう言えば、にゃん太が以前、ハーブにかける栄養剤を作ったわね」
<ハツラツのミントの栄養剤>をかけられたハーブはワンランク上の品質を保ち、生長も早くなった。
それを聞いたカン七はがばりと身を起こす。投げ出していた両前足でカウンターに身を乗り出す。
「それよ!」
「待って。その希少なバラに使えるかどうかは分からないわ」
そうは言うものの、たま絵の脳裏にアルルーンがよぎる。彼らならば、バラを育て株分けすることができるのではないか。
「心当たりがあるのね?」
ぐいぐい迫って来るカン七に、たま絵は苦笑する。
「うちは畑を拡げるほどだからね。にゃん太も植物には詳しいし、なによりケン太がいるから」
そういうことにしておく。アルルーンが工房の一員となって土の領域についてあれこれアドバイスしてくれるのは秘匿しているのだ。
「いいの。弟君たちに賭けるわ!」
「話してみるけれど、失敗しても責任は持てないわよ?」
「構わないわよ。どこもできやしないんだから、このまま弱って行くくらいなら、いっそそちらの新しく購入した畑に移し替えちゃってちょうだい」