18.小さくて大変!1
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
街道と大河によって、交易品や旅人が行き交う。そのため、人口も多く、様々な種族が暮らしている。工業も盛んで、周辺の農地では多くの作物が作られている。多種多様な工房や店が建ち、そこを出入りする職人や買い物客がいる。大通りには馬車や荷車がひっきりなしに走っている。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
まだ年若い獣人であるにもかかわらず、立派に運営している猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているからこそ、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でもいっとう風変わりなのがアルルーンだ。なんと、自在に動く不思議植物だ。魔力を持ち、前の工房主から教わり、錬金術にも明るい。
工房から聞こえてくる「んーにゃっにゃっ、んーにゃっにゃっ(ワルツ調)」というハミングに合わせて、わーさっさっ、わーさっさっ、と濃い緑色の葉を揺らしている。
その鼻歌を歌うのは工房の主のにゃん太で、茶トラ白の毛並みを持つ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
不思議な植物が育つ畑では犬族のケン太が世話に勤しんでいる。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、二代目の看板娘となった猫族のみい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場では、にゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助がせっせと作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
高名な錬金術師であるじいちゃんから工房と畑を受け継いだにゃん太とその仲間たちは獣人と不思議生物である。彼らは職を得ることで糧をも得ている。けれど、案外、獣人たちが労働に就くことは難しい。良い環境のもとで働くことができる者はさらに少ない。
そこで、<吸臭石>という発明をして、その収益を困難な環境にある獣人たちのために使うことにした。
<吸臭石>は薬のきつい臭いへの対処のためのものだったが、嗅覚に優れた獣人たちは、より様々な用い方をした。雑多な臭いが入り混じる街中にあって、環境に順応しつつあったが、それでもつらいものはつらい。
<吸臭石>自体が獣人たちに喜ばれるものとなった。
猫の錬金術師工房は今や一躍有名となった。
にゃん太としては、思いもかけない事態に、戸惑いつつあるが、まだ心に引っかかっていることがある。自分にできることをしようと、工房の頼もしい仲間たちに相談をもちかけた。
「「小柄な獣人の移動を補助する魔道具」を作りたいんだ」
にゃん太が言うと、専用席が設置されているテーブルの端でハム助が身じろぎする。自分のためだけならば、<吸臭石>の大量注文をさばくだけでも大変なのだから、と固辞しただろう。
例えば、フェレット族だ。
非常に敏捷で勇敢だ。だけれど、身体が長く、比して四肢は短い。だから、二足走行するより、四つん這いになって走った方が速い。元々、獣人は四つん這いになって走った方が速いので、緊急時にはそうする。けれど、人族はそれを獣じみているとあげつらう。
フェレット族のフェレ人がせっかくすばらしい技能を持っているのに、身体が小さいがゆえにあるいはその種族の特徴から、後塵を拝する羽目に陥っていることに、にゃん太は以前からやきもきしていた。
「フェレ人さんは大変な思いをして、それでもがんばって生きているんだ。ようやっと冒険者になれたというのに、今度は小柄なのがハンデとなっている。そりゃあさ、世の中どうしようもないことがいっぱいだよ。でも、ううんと、その、」
言葉が見つからずに困るにゃん太にたま絵が助け舟を出す。
「そんなどうしようもないことを解決するのが錬金術であり、魔道具であるものね」
「そう! そうなんだよ!」
「錬金術師たちが今まで研究してきたことがハム助さんの助けになるなんて、とても素敵ですね」
みい子が片前足を胸に宛ててにっこり笑う。にゃん太がほほを染めてへの字口を緩める。
「ううん、でもさあ、具体的にどんなものなんだ? 俺、想像もつかないよ」
ケン太があごをテーブルの上に乗せる。
「移動するんだから、車輪がついている台のようなものはどうだ?」
にゃん太はせっかく木工職人の羊彦を紹介してもらったのだから、と色々考えていた。じいちゃんとの付き合いがあった木工工房は、獣人がその後を継いだとあって、取引きを断ってきた。それが、ひょんなことから知り合った木こりで川専門漁師、兼ハチミツ採取もする熊五郎から紹介してもらったのだ。なんと、羊彦が務める木工工房は鍛冶屋のうさ吉とも取引きがあると言う。うさ吉とはにゃん太も取引きをしている。これはとても心強い。
「ああ、良いんじゃないか?」
「木材は熊五郎さんから仕入れられるものね」
「木工職人の羊彦さんと鍛冶屋のうさ吉さんとで形にすることができますね」
「では、そこににゃん太さんが錬金術を使うんですね」
ケン太がテーブルに乗せていた上半身を起こし、たま絵とハム助が顔を見あわせて頷き合い、みい子が両前足の肉球を重ね合わせる。
だが、問題はそこなのだ。
「なう~ん」
にゃん太は大きなため息をついた。
「あんた、錬金術をどう使うのかはまったく考えていないのね?」
「う、うん、まあ、考え中、」
たま絵の問いに、外観だけは考え付いていたものの、後は真っ白な状態であるにゃん太はむにゃにゃと口ごもる。今度はたま絵が「にゃふん」とため息をつく。
「これからですよ、これから」
「<吸臭石>を考え出したときのようにみんなで考えましょう」
ハム助とみい子がとりなす。
「手押し車みたいなものなんだろう? じゃあ、誰かに押してもらわなきゃならないよな」
ケン太が言う手押し車は畑仕事でも活躍する道具である。重いものを運ぶのに活躍する。ただし、誰かが動かす必要がある。
「あら、移動配膳台の方が安定していて乗り心地が良いわよ、きっと」
たま絵は最近、買った便利アイテムの使い勝手が良いことから、そう言う。
どんどん工房に住む者が増え、<吸臭石>需要の忙しさから、とうとうみい子も寝泊まりするようになった。店を閉めた後にも薬作成や掃除、帳簿つけ、その他、食事の用意などやることは無数にある。
そうなると当然、料理の量も増える。それで、移動配膳台を購入したのだ。配膳だけでなく、調理中の際の物置にも活用している。
ケン太にしろ、たま絵にしろ、自分たちの行動範囲でよく使うものが意識にあって、そこから発想が生まれる。発明とはそういうものだ。唐突にまったく関係のないものが生れて来ることは滅多にない。
「移動配膳台を、乗っている者が自在に動かすことができたら、確かに便利だな」
「あ、それと、段差とか溝とかがある場合、どうするかを考えた方が良いぞ」
にゃん太が両前脚を組みながら思案すると、ケン太が言う。これも、ふだん手押し車を扱う際に気を付けるポイントなのであろう。
「そうだな。そこも重要だな」
横転した配膳台タイプの魔道具に下敷きになったら大変だ。
配膳台を扱うたま絵も二度三度頷いている。
「そうだ、<吸臭石>のときのように、アルルーンたちにも話して知恵を貸してもらいませんか?」
みい子がぱふ、と両前足を重ね合わせる。たま絵はしない類の仕草に、可愛いなあ、とにゃん太は相好を崩す。
ついこの間までみい子は憧れの猫族だった。それが、同じ工房で働くようになり、ついには住み込みとなったのだ。急接近だ。一番接近しているのはたま絵で、みい子はあれこれ手伝いをしている。特に料理を教えてもらえるとあって楽しそうだ。
にゃん太としてはもっと個人的に仲良くなりたい。けれど、前の職場を追われるようにして辞めたみい子がみなで和気あいあいしているのを壊したくないという気持ちもある。
「お、いいんじゃないか? 今後、畑を拡大したら、アルルーンも端から端までの移動するのが大変になるかもしれないし」
「あら、畑を拡大する予定なんてあるの?」
ケン太の言葉に、たま絵が小首を傾げる。
「いや、ないよ」
ケン太の冗談だと返しつつ、それも良いなと思うにゃん太だ。いろいろな取り組みをする中、じいちゃんのレシピ帳や錬金術素材一覧を見ているうちに、当たり前のことながら、畑に植えられているものはごく一部のものなのだと痛感する。じいちゃんが必要だと思うものを植えていたのだろう。けれど、にゃん太はもっといろいろ試してみたいので、違う種類のものも育ててみたい。
「畑を拡げるのも良いなあ」
ただ、そうなると、じいちゃんが施した守護の魔法がどうなるかが問題だ。新しい土地に守護の魔法が掛かっていないのは当たり前のことだが、もし仮に、今あるものがなくなってしまったら大変だ。
「ううん、人も増えたし、新しい土地を家にして、今の住居部分を畑にしちゃうとか」
「にゃん太さん、その計画には大きな問題がありますよ」
考え込むにゃん太にハム助が待ったをかける。
「え、どんな?」
「新しい土地をどうやって手に入れるか、です」
「あっ」
もうその気になっていたにゃん太は、大前提が整っていないことにようやく気づいた。
「お馬鹿な子ねえ」
いつぞやの、カン七に初めて会ったときのように、たま絵がため息をついた。
「隣の土地は借金してでも買え、というのはよく言われることですよね」
しかも、ティーア市は地方都市とは言え、近くに街道や運河が流れて人も物も出入りする。そんな街中に畑を持つのはなかなかに難しい。拡張するためにはどれほどの金銭が必要になるか。
「でも、畑が広くなったら、もっといろいろ育てたいなあ」
ケン太もにゃん太と同じく、文字を習い、未知の植物をたくさん知ったことから、実際に生育させてみたいと思っている様子だ。
「分かります。わたしも、文字を習って貴重な資料を目にしたことで、世の中にはこんなにたくさんの植物があるのだと知りました」
「わたしは<吸臭石>の素材となった【吸い込むパミス】のような鉱物に興味を持ちました」
「あ、俺も俺も。今まで、植物にばかり目を向けていたけれど、鉱物もいろいろあって面白いよな!」
ハム助やみい子、ケン太といった文字を学ぶ仲間がわいわいと言い合う。
「みんな、勉強の成果が出ているのね」
たま絵がしみじみ言う。それだけではなく、発明の影響もあるのだろう。
「俺はアルルーンが植物だけでなく、鉱物にも詳しいことに驚いたよ」
この中で一番アルルーンと付き合いの長いにゃん太ですらそうなのだ。
「そうだなあ。土の中のものだって言っても、まさかなあ」
「今までより一層、アルルーンを守らなければなりませんね」
二番目に付き合いの長いケン太も頷き、ハム助が憎めない顔つきを幾分引き締める。
アルルーンは自由に動くことができるというのは周知であるが、それ以上のこと、例えば、今出たように植物や鉱物に詳しいこと、文字が読めること、なんなら、錬金術に関してのアドバイスをくれることなどは口をつぐんでおくことを、改めて認識を強めた。
知られれば、取り上げられるかもしれない。そうするのが、錬金術師組合か、薬師組合か、はたまた、有力者かは分からないが、にゃん太たちには太刀打ちできない勢力であることは間違いない。
じいちゃんの工房と畑にはとんでもない宝があったのだ。それは使いようによってはどう変化するか分からない未知の宝である。
工房へ<吸臭石>を求めて、ティーア市だけでなく、ユール国のあちこちからも買い手がやって来た。
にゃん太は錬金術師組合へ行って、【吸い込むパミス】と【ちくちくのミルクシスル】といった素材を調達する。錬金術師組合でも全面的ににゃん太の工房の支援を約束しており、素材確保をしてくていれる。
「慈善活動の件に関して、賛同者が現れました」
<吸臭石>の必要経費を差し引いた売り上げ代金を寄付する取り組みを、ティーア市獣人新聞で取り上げてもらった。人族の新聞にも掲載すると言っていたが、にゃん太はそちらは組合に任せっきりにしていた。
新聞の呼びかけに応じた者が現れたと錬金術師組合の係員が伝える。にゃん太は素材を買いに来ただけなのに別室に通されたのはこの話があったからか、と得心がいく。
「亀之進さんという亀族の方です。ご存知ないですか、ほら、服飾関係の工房を持つ鶴美さんの伴侶です」
「ああ、そう言えば、ティーア市獣人新聞で鶴美さんの工房に出資したとあった、」
そして、鶴美といえば、みい子が機織り職人として働いていた工房の主だ。こんな風に関わることになるなど、にゃん太は予想だにしなかった。
「そうです、その方です」
亀之進は資産家であり、様々な事業に出資していると話した。
「今回の慈善活動の呼びかけに応じてくれたことをきっかけに、中長期的に取り組んでいただけるのではないかと期待しております」
錬金術師組合の係員が熱心に亀之進と一度会って話してみてくれと勧められた。その日、帰宅後にみなに話したところ、錬金術師組合にもなにかしらの寄付や出資をしているのではないかという意見が出た。その可能性もあると思えるほどの熱意があった。
そして、日を改め、錬金術師組合で亀之進と引き合わされた。
「やあ、君が猫族の錬金術師君か。噂はかねがね」
亀之進はじいちゃんよりも少し若いくらいだったが、亀族は鶴族と並んで長寿だと聞くので、実際にどうかは分からない。
互いに名乗り合い、挨拶をして亀之進のことを少し聞いた後、にゃん太は切り出した。
「俺は工房運営で手いっぱいです。だから、亀之進さんには慈善活動の「顔」となってほしいんです」
にゃん太がこの日、亀之進に会おうとしたのは、このことを依頼するためだ。
工房に話を持ち帰り、みなに相談したところ、錬金術師組合も取り込まれているのではないかという意見の他に、慈善を盾にした売名行為ではないかという意見もあった。
けれど、それで良いじゃないかとなった。自分のお金を使って困窮する者を助けたのだから立派な行為だ。それを世に知らしめたいなら、それで良いじゃないか。
「逆にさ、亀之進さんが前面に立ってくれた方が、なんていうか、その、やりやすいっていうか、」
「ああ、あんた、初めの方のティーア市獣人新聞の取材も嫌がっていたものね」
言いにくそうにするにゃん太に、たま絵が言う。姉ちゃんという生き物には、悪気はないのだろうが、とにかく圧があって、弱腰ねと責められている気持ちになる。
「まあ、にゃん太さんは褒められたくて寄付しているのではないですからね」
ハム助はそうフォローしてくれるも、にゃん太は上目遣いになる。
「う、そういうわけでも。褒められると嬉しいし」
素直である。
「そうだよな。褒められるとまた頑張るぞ、って気持ちになるしな」
ケン太が爽やかに笑う。畑仕事で汗をかいた後に<しゅわしゅわレモン>を飲んだかのようだ。
「にゃん太さんは過剰に褒められると怖くなってしまうんでしょうねえ」
「うん。褒められるのは嬉しいけれど、あまり期待され過ぎるとさ」
察しの良いハム助に、にゃん太は頷く。
「それは他者の勝手な期待が重荷に感じられるのでしょう」
勝手に期待したにもかかわらず、自分の思うとおりの結果を出せなければ、落胆し詰る。それなりの成果では駄目なのだ。「自分が思うとおりの結果」でないと。
あるいは、他者が努力して築いたものを我が物顔で披露し、その素晴らしさを自分のもののように思い込む。人の太刀で功名する、人の提灯で明かりをとる、といったところが同じだ。自分が労せず、結果だけをああだこうだ言う。他人が苦労して得た成果を、さも自分の手柄のように考える。
そういうことを、にゃん太ははっきりと考えたのではない。ただ、たとえば、意図しなかった象族の神聖視ということに驚き、怖くなったのだ。自分では予想もつかないところで、大仰にすごいと思われている。
「馬鹿ね。そんなの、あんたが気にすることはないわよ。他者が勝手に思い込んでいるだけなんだから」
さすがはその美貌で信奉者を持つだけあって、たま絵は毅然としたものである。
ともあれ、にゃん太は渡りに船とばかりに、亀之進が前面に立つのなら、そうしてほしいと告げた。
「おやおや、猫族の錬金術師君はずいぶんと謙虚のようだ」
片目を丸く見開いた亀之進は、それでも、快く引き受けた。今後は、ティーア市獣人新聞の取材も自身が受けると言う。
同席した錬金術師組合の組合長はなにか言いたげだったが、結局口を挟まなかった。
「やれ、錬金術の腕はあるかもしれないが、あれではおいしいところどりされて食いつぶされるだろう」
錬金術師組合を辞した亀之進はもったいないことだと呟いた。
だが、甘いばっかりではいけない。ユールは豊かな国だけあって、富と名誉によって、性質を歪める者が出てきている。それらの歪は獣人たちにしわ寄せがくる。
それをなんとかしたいと思ったからこそ、亀之進は巷で噂の猫の錬金術師の行いに出資をした。それが抜本的解決にならないとは知りつつ、なにかしたいと思ったのだ。根治は難しくとも、早急に手当てをすることで、助かる命はたくさんあるのだから。
「彼の行いは素晴らしい。それでも、彼を強固に阻む者たちに押しつぶされるだろう」
あんなに真っすぐではそうになるに違いないと亀之進は思う。
やさしい気持ちに同等のものが返って来るとは限らないのだ。長年生きてきた亀之進はそれを思い知らされていた。
しかし、亀之進は知らなかった。にゃん太がいくつもの守護をもつことを。
その真っすぐな性質だからこそ、足りない部分を補おうと考える者たちがいるのだということを。
文中の「姉ちゃんという生き物」云々に関しては、
本作では、あるいはたま絵に関しては、ということです。
すべての姉ちゃんがたま絵のようではないです。念のため。