閑話3.羊彦とフェレ人とにい也
猛獣人族の若者たちのひとりは、苛立ちに任せて、通りに置かれた木箱を蹴った。箱の中にはなにも入っていなかったようで、軽くふっ飛び、壁にぶつかってばらばらと崩れ落ちる。
「ふん。気に入らねえなあ」
「俺たちがなにをしたって言うんだよ」
「ったく、どいつもこいつも」
ひとりが口火を切ると、次々と不満が噴出する。
以前から、粗暴なふるまいをすることで、自分たちを大きく見せ、他者たちに譲らせることを良しとしてきた。だから、怯えた視線を向けられるのは良い。それは自分たちの強さを意味した。
けれど、いつからか、その視線に冷たさや忌み嫌う色合いが強くなってきた。ひそひそと囁き合っている。彼らの姿を見ると、さあ、と潮が引くように遠ざかって行く者たちもいる。なんだか良くない雰囲気だなと思っているところへ、とうとう、入店拒否されるに至った。
自分たちは勇猛果敢な猛獣人族だ。前途洋々である。だからこそ、少々大きく見せる必要がある。舐められたら終わりだ。
ヒョウ華やにい也といった怪物クラスにはなれなくても、各族長やそれに続く者たち、たとえば虎族のトラ平くらいの強さには達したい。そして、それ以上に一目置かれたい。丁重に扱われたい。
明確な言葉にはならなくても、常々そう思っていた。
なのに、なぜか、真逆の対応を取られる。誰もかれもが、自分たちに嫌そうな目を向けてくる。
「なんだあ? 感じ悪ぃなあ」
くさくさした気持ちのまま、彼らはうっ憤を晴らした。自分たちが圧倒的優位な立場にある他種族の者たちに向けて。
馬族にはすぐに逃げられるだろうし、犬族は小さな体でも勇猛に立ち向かってくるだろう。ならば、小さな兎族はどうだ。あれはあれで反撃する能力も逃げおおせる力も持っている。
そして、猫族は論外だ。実は彼らはにゃん太の風体をもはや忘れ去っている。それでも、猛獣人族の上層部に可愛がられている猫族、というのは覚えてはいる。だから、猫族自体にかかわることを控えていた。
制限されれば、腹立たしい。その苛立ちを、他にぶつけることにした。
のんきな顔をして歩く羊族を見つけて、絡みだした。
通りを歩く者たちは顔をしかめて、目を逸らして足早に行ってしまう。そうだ。弱いのだから、大人しくしておけば良いのだ。
彼らはそんな風に肩で風を切っていられるのもそれまでだった。
誰も寄せ付けない冷厳とした雰囲気で、銀色にも見えるグレーの毛並みの猫族がするすると近寄っていき、彼らに話しかけた。
「俺のダチになにか用か?」
「あァん?」
「なんだよ、てめ————げっ、にい也!」
「はァ?! にい也がなんで羊族なんかとダチなんだよ」
「俺が誰と友誼を結ぼうと勝手だろうがよ」
さて、猛獣人族の若者たちに絡まれた羊彦である。奇しくもにゃん太と同じく、現場を見かけた知人がいた。そそくさと離れて助けを呼びに行っていた。羊彦の危難を聞いたフェレ人が駆け付ける。非常に俊敏な動きであっという間に現場にたどり着く。
そこには地面に倒れ伏してうめいている猛獣人族の若者たちと、平然と立つにい也、そしておろおろする羊彦がいた。
「ありがとうございます、にい也さん。本当にお強いですね」
「いや、こいつらが見掛け倒しだっただけだ」
羊彦がにい也に礼を言う。そんなふたりに、フェレ人は近づく。
「兄さん、なんでにい也さんと知り合ってるの?」
フェレ人は先ほどからずっと頭の中を警鐘が鳴り響いていた。それはもう、割れ鐘ががんがんと嫌な予感を打ち鳴らしていた。
「そりゃあ、もちろん、にゃん太さんを通してさ。にい也さんとは気が合うんだ」
「————どんな風に?」
獣人は獣と人の特性を併せ持つ。人というものはとかく余計なことをしがちだ。今のような聞かずに済ませておけばよいものを、怖いもの見たさというやつでついフェレ人はたずねてしまったのだ。
「にい也さんは息子自慢で僕は弟自慢をするというところで意気投合したんだ」
フェレ人は気づけばその場に膝をついていた。意識せずそうなったのだ。予想通りだった。
「話しこみすぎて、なんと一夜を明かしたんだよ」
いや、予想以上だった。
「いやあ、いつもセーブしているからさ、羊彦相手なら遠慮なくしゃべることができる」
「僕もですよ。にゃん太さんは素晴らしい錬金術師だって知っているので、すんなりにい也さんのお話を聞くことができます」
羊彦の言葉に、フェレ人はばっと顔を上げてにい也を見た。
「に、兄さんの話は聞き流してくれて良いので!」
「ええ、ひどいなあ」
兄の訴えなど、続くにい也の言葉でふっ飛んだ。にい也は涼し気な視線をフェレ人に向けた。
「———きゅるんとした瞳。まあ、そうかもな」
「あああああああ!」
フェレ人は珍しく取り乱した。
フェレ人の迅速さをもってしても、羊彦を止めることはできなかった。だって、だれが予測できる? コツコツ働く木工職人の羊彦と、ほとんど英雄視されているにい也が意気投合して話し込むようになるなど。
さて、猛獣人族の若者たちは、にい也に圧倒的な力を見せつけられた。心が折れた。ならば、いちから出直して自身を鍛え直せば良い。けれど、彼らはそうしなかった。逆を行ったのだ。
自信を取り戻すために、徹底的に弱者をいたぶり、自分の強さを実感しようとした。
最初は上手くいった。それが良くなかった。調子に乗った彼らは、景気づけに大型の種族を狙った。温厚に見える象族を。
そして、手ひどく返り討ちを食らった。
それだけではない。あわや、他種族戦争が勃発するかというところにまで至ったのである。猛獣人族の族長たちが奔走した。少々の諍いならまだしも、大きなもめ事になれば、人族につけこまれる。獣人たちは危険だとして、多くの権利を奪われ、規制でがんじがらめにされるだろう。
自由を謳歌する獣人族の若者たちは、力をふるうのであれば、それだけの責任を伴うのだということを理解していなかった。
彼らのしでかした尻拭いを、最終的ににゃん太がしたということは奇縁であるとも言える。
虎太郎は各族長たちに事の次第を説明し、象族が矛先を納めたのはひとえににゃん太の打ち立てた功績によるところが大きいと話した。その上で、これ以上、にゃん太に意識を向けさせないためにも、張本人である獣人族の若者たちにはにゃん太うんぬんは伏せておくことにした。
その上で、しっかりみっちりと教育し直すことにしたのだ。




