2.希少で貴重で不思議な生物
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
大通りには馬車や荷車が通り、商品が並ぶ店や工房が連なり、とてもにぎやかだ。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
そこは猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。
工房の持ち主の猫族のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
錬金術工房は露地沿いの正面玄関を入れば、カウンターとその奥には商品がたくさん並んだ棚がある。その奥の部屋が錬金術の作業場である。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、素材が所狭しと置かれている。
建物を出れば街中とは思えない広々とした畑がある。
そこで、にゃん太はスカウトして来たケン太と、畑で育てているハーブや薬草についてあれこれ話していた。
「強引に連れて来るから、最悪、枯れているかもしれないと思っていたけれど、元気に育っているじゃないか」
「うん。でも、俺、雨が降らない日に水をやったり、たまに栄養剤をやるくらいしか手入れしていないんだよ。アルルーンは貴重な薬草だから、じいちゃんの特別レシピに沿って錬金術で調合した栄養剤をやっているくらいだ」
「ああ、アルルーンな」
アルルーンは希少な植物で、その抜け落ちた葉や根は錬金術や薬の素材となる。育てるのも難しいとされている。まずもってして、発見することができない。それを、工房の前の持ち主である錬金術師のじいちゃんは育てていた。今でも濃い緑の葉をわっさわっさと茂らせている。
にゃん太は工房と共にこのアルルーンを守ることをじいちゃんに約束した。だからこそ、土いじりにうといにゃん太は、詳しいケン太を引っ張って来たのだ。
アルルーンは植物ではあるが、自分の意志で動くことができる不思議生物でもあった。言葉もわかる。アルルーンには目も耳も鼻も口もないけれど、緑の葉を上下左右に振ることで意志を伝えることができる。さらには、根っこで立ち、あるいは先で物をつかむことすらできる。葉と根っこの間は茶褐色の丸いフォルムで、可愛らしい。
畑であれこれやっていたにゃん太は、休憩したくなった。ケン太を労うためにもスカっとする飲み物を作ることにする。
「ちょっと飲み物を作って来る」
「おー、俺は畑を見ているわ」
鍬を片手にしゃがみ込むケン太は、にゃん太からしてみれば非常に頼もしい。今は元気にしているアルルーンもいつ何時具合が悪くなるか分からない。できる限りのことをしたいと思う。
「えっと、まずは……」
にゃん太は書架に行き、じいちゃんが残してくれたレシピ帳を引っ張り出す。
「これだ。<しゅわしゅわレモン>。ええと、【すがすがしいメリッサ】と……」
【すがすがしいメリッサ】は畑に植えているハーブだ。レモンのようなさわやかな香りがする。気持ちを落ち着ける効果がある。
レシピ帳に沿ってまずは、【西方のハシバミ】を取り出す。これは錬成時に使う素材の溶媒である。次に、【まよけのナナカマド】だ。こちらは枝が素材の分離剤となる。
錬金術で素材から必要な成分を取り出そうとするときに、このふたつが必要となる。必要成分はひとつとは限らない。ほとんどの錬成において、複数を混合させる。その際、【瑠璃蝶のロベリア】を用いる。この三点は錬成に欠かせない素材であると言える。使用頻度が高いから、すぐに使えるように処理してある。
にゃん太は【西方のハシバミ】と【まよけのナナカマド】を錬金釜ふたつに入れて、それぞれ加熱する。釜の様子をときおり見ながら、素材が置かれた棚から【ナトロン岩石】を持って来てすり鉢に入れ、すりこ木で荒く砕く。これを釜のひとつに入れる。
もうひとつの釜の中には柑橘類を皮ごと輪切りにして入れる。
ふたつの釜を交互にかき混ぜながら、具合よく混ざったら、杖を取り出して、釜に向けて錬成陣を描く。目当ての成分を取り出せるように、間違えないようにレシピ帳をよく見てやった。
杖の先からきらきらと粒子が舞い、ふわりと釜に溶け込んでいく。
ぽふん、と軽い音をたてて、ひとつの釜からは【ぽこぽこのソディウム】が、もうひとつの釜からは【すっぱいヒドロキシ酸】が抽出される。
「よし!」
まずは分離に成功した。このふたつを混合させると、しゅわしゅわする成分が得られる。
次は庭から採取してきた【すがすがしいメリッサ】と【瑠璃蝶のロベリア】、【ぽこぽこのソディウム】、【すっぱいヒドロキシ酸】、そして水を入れた釜を火にかける。
柄杓の柄でかき混ぜていると、さわやかな良い香りが漂ってくる。ここまでくれば、あともうひと息だ。
「んーにゃっにゃっ、んーにゃっにゃっ(ワルツ調)」
だんだん楽しくなってきて、自然とハミングする。
仕上げに杖で錬成陣を描く。ふわん、とひときわ大きく湯気が上がる。
「にゃにゃにゃーん」
完成した嬉しさに、にゃん太は思わず喜びの声を上げる。
この<しゅわしゅわレモン>は何度か作ったことがあるが、不思議なことに、完成したらみるみる温度が下がるのだ。錬金釜を火から下ろして鍋敷きの上に置いておくだけで、ひんやりした飲み物になる。じいちゃんは錬成陣によって熱エネルギーを吸収させることで「しゅわしゅわ」感が出るとかなんとか言っていたが、にゃん太はそこら辺の小難しい理屈はイマイチ理解していない。
「できたのか?」
折よくケン太が顔を出す。にゃん太の高揚した声で完成に気づいたのだが、当のにゃん太は気づいていない。タイミングの良いやつだな、くらいの感想だ。
ハチミツを入れて甘く味付け、グラスに注ぐ。
「これ、のどにぱちぱちするな」
「面白いだろう?」
「うん。さわやかで甘ずっぱい。こんなものは初めて飲んだ。にゃん太はちゃんと錬金術師の仕事をしているんだな」
幼馴染の称賛に、にゃん太は面はゆくなって畑に出た。自分も<しゅわしゅわレモン>(ハチミツ風味)を飲みながら、アルルーンにも栄養剤をやる。
じいちゃんはにゃん太によくミルクをごちそうしてくれた。ほんのり甘かったり、イチゴやレモン、ミカン、バナナといったその日によって違うフルーツを入れたミルクで、今日はどんなのかな、と楽しみにしていた。
錬金術を教わるようになってからも、休憩する際にふるまってくれた。
じいちゃんは素材の処理をする傍ら、いろんなリキュールを作っていた。【すがすがしいメリッサ】リキュールもだ。水割りにして飲みながら、ほほを赤らめ、「にゃん太にはまだこれは早いのう」なんて言いながらご機嫌になっていた。
アルルーンもおやつの栄養剤をもらって、三人で並んで飲んだものだ。アルルーンは口はないから、根っこにかけてやる。アルルーンが収まる土に染み込ませても、根っこに直接かけても大丈夫なのだ。
今もアルルーンに栄養剤の容器を見せたら、自ら土から出て来て、「さあ、来い」とばかりに根っこ数本で仁王立ちし、他の根っこを持ち上げて待ち受けている。
にゃん太は笑ってアルルーンたちの根っこにちょっとずつかけていく。
じいちゃんにミルクをもらって、お腹いっぱいになって眠くなったら、アルルーンといっしょにじいちゃんの膝の上で昼寝したこともある。目が覚めて寝ぼけて目の前にあった白い長いひげを引っ張ったら、アルルーンも根っこで真似をした。じいちゃんはくすぐったそうに目を細めて笑っていた。にゃん太は胸がほこほこと温かくなって、アルルーンと顔を見あわせて笑い合った。アルルーンに顔はないけれど、たぶん、向きからして。
そんな風にじいちゃんといっしょのやさしい時間を過ごした。だから、にゃん太がアルルーンを守ろうとするように、アルルーンもにゃん太の助けになろうとした。
にゃん太はじいちゃんに教わった錬金術を、レシピ帳を見ながらならば、たいていのものを作ることができた。でも、畑仕事では苦戦した。ああでもないこうでもないと苦労するにゃん太を、アルルーンたちはハラハラと見ていた。そして、ケン太がやって来て、手伝い始めた。以前から何度かやって来ていた犬族に、アルルーンはすぐになじんだ。ケン太は土いじりが得意の様子で、にゃん太は目に見えて安堵していた。そして、ふたりで頭を突き合わせてああだこうだとやっている。楽しそうだ。
だから、自分たちもケン太のようににゃん太を手伝おうとした。
アルルーンは土について良く知っていた。そのほかの植物についても詳しかった。にゃん太ひとりではなにをどうしようとしているのか分からなかったが、ケン太にああしたいこうしたいと話すのを聞いて、にゃん太の考えを知った。
「じいちゃんが言っていたんだけれどさ、代替品を常に頭に置いておくんだって」
「代わりのものを?」
「そう。錬金術を行使するには、必ず素材が必要なんだ。もし、なにかの理由で、その素材が手に入らなければ、とたんに作れなくなる」
「なるほどなあ」
天候不良や自然災害によって被害を受ける農業に携わっていたケン太にはじいちゃんが言わんとしていることが良く分かった。
「だからさ、俺、アルルーンの栄養剤をいろいろ作れるようになりたいんだ」
にゃん太はアルルーンを育てることを最優先にしている。だから、素材が手に入らなくなったときのことを考えて、数種類の栄養剤を作れるようになっておきたいという。
「それに、栄養剤の方じゃなく、アルルーンの方がその栄養剤では合わないときもあるだろうからさ」
アルルーンは自在に動けるのだから、時と場合に応じた栄養剤をあげたい。
「わかった。俺も、日々のアルルーンの様子には注意しておくよ」
にゃん太はそれほどまでにアルルーンたちに細心の注意を払ってくれているのだ。ケン太はそれに協力を惜しまない。
アルルーンはじいちゃんの跡を継いだのがにゃん太で良かったとしみじみ感じた。そして、良い友を持っていることをも嬉しく思った。
にゃん太が話した方針や要望に沿うにはどうすれば良いか、アルルーンたちは知っていた。
そこで、にゃん太の足をつついて注意を引き、工房の方を根っこで指し示す。
「なんだ? どうしたんだ?」
「工房に行きたいって言っているんじゃないか?」
にゃん太が目を白黒させ、ケン太が首をひねる。アルルーンはそのとおり、とばかりにわっさと緑の葉を上下に揺らす。
わらわらとにゃん太とケン太を囲んで工房に向かい、棚からレシピ帳を出させ、たくさん記載されている栄養剤のひとつを、これ、これ、と根っこで指し示す。
「これを作るのか?」
【頑固なホップ】と【にやけたホップ】という素材を使った栄養剤である。
戸惑いながらもアルルーンが言わんとすることを読み取ろうとするにゃん太に、わっさと緑の葉を上下させて肯定する。なんだなんだとばかりに興味津々でケン太が見守っている。
にゃん太はケン太に手伝わせながら、レシピ帳にある<頑固なホップの栄養剤>と<にやけたホップの栄養剤>を作った。ホップはハーブで、球果を煎じてお茶に混ぜると、不安や不眠に効く。それを薬草と調合して栄養剤に錬金する。
出来上がった栄養剤に、「にゃにゃにゃーん」の興奮の雄たけびを上げる間もなく、またアルルーンに背中を押されるようにして畑に行く。
「なんだ? この栄養剤をこの薬草にかけるのか?」
アルルーンはそうだよ、と頷く。栄養剤のレシピ帳を見るに、そう悪いことにはならないだろう、とにゃん太は試しにかけてみた。アルルーンたちは楽し気に葉を上下に揺らしたり、根っこで薬草をつついたりしている。
「これ、なにが植えられているんだ?」
「ええと、じいちゃんの畑分布図には……」
ケン太に言われて、にゃん太は畑の見取り図を開く。ふたりで頭を突き合わせて覗き込んでいると、アルルーンたちも、見せて見せてとばかりに寄って来る。アルルーンたちに目はないけれども。
「そんなものまで作っているのか。じいちゃん、すごいな」
名称の他に、詳細なメモ書きも添えられている。ケン太は興味をそそられた。
「ケン太、文字を教えるから、読めるようになっておけよ」
「うん。畑分布図に書かれている文字だけなら覚える」
ちなみに、にゃん太もまた、じいちゃんに文字を教わった。そうでなければ、いくらイラスト付きのレシピ帳でも読めなかっただろう。こちらも詳細なメモ付きで、錬金術の際には大助かりだ。
「【あわてんぼうのメリッサ】と【ぶっきらぼうのミント】だな」
「それはふつうのメリッサやミントとは違うんだな」
「うん。ちなみに、<しゅわしゅわレモン>は【すがすがしいメリッサ】で作っているよ」
「いろいろあるんだなあ」
その名称に、どんなものなのだろうかとケンタはわくわくと目を輝かせる。
「この辺は錬金術師や薬師の領域だからな」
胸を張るにゃん太の足元で、アルルーンたちも根っこ二本を絡ませ、ぐっと緑の葉を後ろへ逸らせる。腕組みして胸を張っているのだ。じいちゃん、こんな格好はしなかったのに、どこで覚えてきたんだろうなあ、とケン太はこっそり考えていた。
「錬金術師や薬師の組合が薬草園を持つのが分かる気がする。それにしたって、畑としては狭い場所にこんなに多様な薬草を植えることができるなんてなあ」
ケン太はそんな風に言ったものの、答えに目星をつけていた。アルルーンだ。
他の畑とは決定的に違う存在だ。その影響を、この畑の植物も受けているのだ。
おそらく、アルルーンは土や植物について非常に詳しい。にゃん太がケン太に助言を求めたのを見て、自分たちも教えてやろうと思ったのだろう。そうでなかったとしても、にゃん太に好意を寄せているのだから、悪いようにはしないだろう。
「たぶんさ、アルルーンがいるから、上手く育っているんだよ」
「アルルーンたちが?」
にゃん太は吊り目のドングリ眼をさらに丸くして足元を見下ろす。アルルーンたちはより一層緑の葉を後ろに逸らし、ついにはころんと倒れ込む者までいた。丸い蕪が転がっているようにも見える。じたばた根っこを動かして、他のアルルーンに助け起こされている。
「俺の想像に過ぎないけれどな」
こうして見ていると、可愛らしい不思議生物のようだが、相当に知能は高い。
「そっか。それで、今も【あわてんぼうのメリッサ】と【ぶっきらぼうのミント】にやる栄養剤を教えてくれたんだな」
にゃん太はやさしい目になって、しゃがみこんだ。アルルーンたちをちょんちょんつつきながら礼を言う。
「ありがとうな。俺にいろいろ教えてくれようとしたんだな」
アルルーンたちは面はゆげに身を寄せ合ってひと塊になった。
にゃん太はその日から、ケン太だけでなく、アルルーンも交えて相談するようになった。アルルーンたちはにゃん太の希望に沿うための方策をあれこれと示して見せた。
ケン太はそれがどれほどとんでもないことか、農夫として分かっていた。にゃん太の「頼りにしているぞ」という言葉に、アルルーンたちは嬉しそうに跳びあがる。わっさわっさ。
にゃん太はじいちゃんのようにあれこれできる錬金術師ではなかったけれど、いろんな者たちの力を借りることができた。
「にゃん太の可愛さは立派な武器だ。可愛さで大抵のことは渡っていける」とは姉たま絵の言だ。この場合の「可愛さ」は外見的なことのほかに、素直さや他者に好かれなにかしてやろうという気持ちにさせるもののことを指す。
反射的なカウンターねこパンチで魔獣をのしたことがある姉弟の父が、その父の尾で遊んでいたにゃん太につのる興奮でガブリとやられても怒ることはなかったことからも明らかだ。
まだ子猫の時分のことで、上目づかいで「父ちゃん、ごめんね」「父ちゃん、痛い?」と言っても、吊り目を垂れ目にして「平気平気~」とデレデレしていた。
ちなみに、姉弟の父にい也は冒険者で、相当に強い。同じ猫科でも猛獣である虎族や豹族の冒険者ですら一目置く。
妻である母にぞっこんで、ひとり娘のたま絵を可愛がり、母似のにゃん太を溺愛している。そのため、猛獣系の獣人たちからも恐れられるにい也は、家族の中では一番弱いのである。
「妻は特別可愛い、娘のたま絵はすこぶる可愛い、息子のにゃん太はとんでもなく可愛い!」
そんな可愛いにゃん太は今や立派な錬金術師となって、今日も元気にあれこれと作っている。ちょっとばかり特別なものを生み出す、特別じゃない日々を送っている。