16.恵み、あまねく1
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
街道と大河によって、交易品や旅人が行き交う。そのため、人口も多く、様々な種族が暮らしている。工業も盛んで、周辺の農地では多くの作物が作られている。多種多様な工房や店が建ち、そこを出入りする職人や買い物客がいる。大通りには馬車や荷車がひっきりなしに走っている。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
まだ年若い獣人であるにもかかわらず、立派に運営している猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているからこそ、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でもいっとう風変わりなのがアルルーンだ。なんと、自在に動く不思議植物だ。魔力を持ち、前の工房主から教わり、錬金術にも明るい。
工房の主のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
不思議な植物が育つ畑では犬族のケン太が世話に勤しんでいる。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、二代目の看板娘となった猫族のみい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場では、にゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助がせっせと作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
新たな仲間たちとともに、店に置く薬の性能を向上させ、さらにはきつい臭いを抑える魔道具を発明した。
これは臭いに敏感な獣人たちにとっては非常にありがたいことだ。嫌な臭いを嗅ぐのと同時に、世界を臭いで認識する獣人にとって、それを邪魔されることとなるからだ。特に、冒険者たちは魔獣との戦闘中に怪我した部位に塗り薬をかけてそのまま戦うことになる。
にゃん太たちが発明した<吸臭石>は特許申請をして売り出したことから、またたく間に名が知れ渡った。
少々値が張るものの、多くの獣人冒険者たちが買い求めた。
これにはからくりがある。
にゃん太は錬金術師組合に特許申請をした後に会った猛獣人族の中堅冒険者トラ平に、この<吸臭石>について話し、試用とともに宣伝も頼んでおいたのだ。にゃん太が立派な錬金術師になったと感激したトラ平は意欲的に動き、猛獣人族の上層部にも話を通しておいた。
それらが功を奏して、<吸臭石>を買い求める客が大勢いた。冒険者たちだけでなく、薬師や錬金術師の他、肉屋や皮革職人、染色工といった臭いに悩まされる者たちもやって来た。
「いやあ、すばらしい発明だ」
「画期的だよ。さすがは猫の錬金術師さん」
「あの伝説のアルルーンを育てているだけあるね」
そんな風に賞賛されていたと夕食の席で話すみい子が誇らしげで、この工房に務めて良かったと思っていると良いなあと願う思うにゃん太である。
「なんか、忙しいのに、収益は寄付しちゃってごめんな」
錬金術は素材がなければ行使できない。だから、経費分はちゃんと差し引いた上で、<吸臭石>の売り上げ代金を孤児院や施療所へ寄付しようとにゃん太は提案した。
工房のみなはこころよく賛成してくれたものの、宣伝効果のおかげか、<吸臭石>を買い求める客が多くて一時的に忙しい。けれど、その大変な分の労働は報酬には反映されない。
「あら、わたしたちはもう報酬はもらっているわよ」
「そうだよ。こないだ宝探しゲームをして賞品をくれたじゃないか」
「ふだん通りのお給金ももらっていますし」
「ああいうのも楽しいですね」
たま絵が言えばケン太やハム助、みい子が口々に言う。
思い付きでやったゲームを楽しんでもらえたとあって、にゃん太はあれこれ仕込んで良かったと充実感を噛みしめる。
「それに、にゃん太はわたしたちにお金では代えられないものをくれたのよ」
「それってどんなもの?」
たま絵の言葉ににゃん太は小首を傾げる。
「どんなものかはそれぞれで違うでしょうね。やり甲斐とか、発明にかかわることができたこととか、困っている者に力を貸すこととか、いろいろね」
「そうです、そうです。自分ではできないけど、にゃん太さんのお陰で、それらに参加することができたんです。これはとても嬉しいことです」
たま絵の言葉に、ハム助が飛びつくように言う。
ちなみに、ハム助は身体が小さいので、食卓の隅に乗っている。そこがハム助専用の席である。食卓の上に乗るのは、とハム助自身は固辞したが、みなで顔を合わせて食事がしたいのでと説得した。
「わたしなんて、自分が食べるものを手に入れることさえ難しかったというのに。それが困っている者の力になれるなんて、」
ハム助が喉を詰まらせる。
「それなんだけれどさ。俺、ずっと気にかかっていたんだ。ハム助さんやフェレ人さんみたいに技能を持っているのに、身体が小さいことが不利になっているってことが」
ハム助と出会ったのも、以前いた場所から逃げるようにしてティーア市に移動しているときのことだ。疲労困憊のところを魔獣に襲われ、あわやというところで居合わせた熊五郎が助けた場面に遭遇した。
「まあ、体格差はどうしようもないからなあ」
ケン太が満腹になった腹を撫でながら、仕方がないことだと眦を下げる。
「ううん、そうじゃない。どうしようもないで終わったら錬金術はだめなんだ」
そして、不利になっていることが問題なのではなく、もっと違うことが重要なのだと気づく。
「あきらめたらそこで終わりだよ。それに、身体が小さくて不利なのが問題じゃなかったんだ。不便なんだよ。俺たちにとってはなんてことない距離が、ハム助さんにとってはとんでもなく遠い」
みながにゃん太を見た。にゃん太は彼らひとりひとりを見やる。
「錬金術は、魔道具は、よりよい暮らしのためのものだ。そのための錬金術だよ」
便利なものを作りだすことで人や獣人の役に立ってきた。それが錬金術であり、そうやって生み出されたものが魔道具である。それを実現するために、多くの者が研鑽を積んできた。そういう積み重ねが、文明の発達を成し遂げてきた。
「<吸臭石>を発明したばかりで、今もまだ忙しいけれど、またみんなで考えてみようよ」
にゃん太の言葉に、みなが頷いた。そして、ハム助がくしゃくしゃの顔でしゃくりあげるのに、布を渡してやったり、水入れの水を替えたりした。
<吸臭石>の売り上げ代金を寄付することにしたのは、幸運に恵まれたにゃん太はそうではない獣人たちの境遇を知って、自分になにかできないかと思ったからだ。
施療所では担ぎ込まれたものの、治療代を払えない者もいると聞く。
孤児院では常に人手と資金が不足している。ティーア市獣人新聞は、育児放棄するくらいなら、孤児院にと喧伝している。人手と設備を増やし、ゆくゆくは教師を置き、学びの場を設けたい。じいちゃんがにゃん太に教えてくれたように。いろんなことを知れば、選択肢が増え、彼らにも道が開けるのではないか。そうなると良い。
錬金術師組合でそう話したところ、にゃん太たちのこの取り組みを一時のもので終わらせないように、賛同者、協力者を募るため、ティーア市獣人新聞や人族の新聞に声をかけてくれ、記事を載せてもらうことになった。
<吸臭石>という画期的な新発明とその売り上げ代金を寄付して役立たせたい、というのはティーア市獣人新聞の方針にも添うというので、ふたたび記者のリス緒が取材にやって来た。
ぴんと立った耳、鼻先から顔を横切って背筋まで筋が入っている。長くふんわりした尾にも縦に筋が走っている。
「ちょっとしたことで人助けになるのなら、という者は案外多いんです。自分の生活を左右するほどのことはできないけれど、気軽にできる善行は積みたい」
リス緒はそう話す。
そういう気持ちが集まったら大きな力になるのだとにゃん太は後に知ることになる。
さて、前回の取材はたま絵に任せたが、今回は自分がきちんと対応しなければならないと気負っていた。だが、やって来たリス緒は不調であるように見える。
「リス緒さん、なんだか調子が悪そうだけれど、」
「分かりますか。わたしはふだん良く食べるのに、一昨日あたりから、なんだか食欲がなくて」
新聞社の記者として常に忙しく立ち働くことからか、気が付けば空腹になり、その都度たくさん食べていたという。
「それがなんだか空腹感がないんですよね。初めはダイエットにちょうど良いと思っていたんですが」
食べなければ力が出ない。昨日まではなんとかなったが、今日にいたり、疲労感に苛まれているのだという。
「それでも、朝はきちんと食事して来たんですが」
「食欲不振かあ」
加齢による体調や環境の変化が原因であることが多い。リス緒はまだ若く、元気に働いているのだからこれには該当しない。
「心や体の不調のせいかなあ」
「特になにかがあったということはないんですよ」
「ううん、長く続けば病気が原因のときもあるからなあ」
「えっ?!」
単なる空腹を感じないことが、病気のサインだと言われて、リス緒は青ざめる。
そこで、にゃん太は【うまれかわりのフェヌグリーク】の種を使った茶を処方した。
「身体の回復力を活性化させるんだ」
「わ、甘い香りがする」
「そうだろう? うちでは姉ちゃんが前にパンケーキに添えていたよ」
今は熊五郎から仕入れたハチミツをかけるようになった。
「食欲が戻ったら、たま絵さんの作ったパンケーキを食べてみたいですね」
【うまれかわりのフェヌグリーク】は他に、内服では咳止めに、外用では皮膚の炎症に用いられる。
処方してやって茶を服用し、体調を整えてから、後日改めて取材することになった。身構えていたにゃん太は拍子抜けしたが、いつものように処方したおかげで、緊張することなく話すことができた。にゃん太の処方を、身をもって知ったリス緒はずいぶん記事で持ち上げてくれた。そのせいか、あちこちから問い合わせがあった。
「にゃ、にゃん太さん!」
いつになく慌てた様子で、みい子が作業場に駆け込んで来る。
「どうかしたの?」
まっ先にたま絵が気づいて声をかける。
「そ、それが! お客様が!」
以前も同じようなことがあったが、ここまで慌てていなかった。あのときは象族のパオ蔵がやって来たのだったか。
そんな風に思いながら、にゃん太が店の方へ顔を出すと、見知った者がいた。
「ヒョウ華おばちゃん」
「にゃん太、元気そうじゃないかい」
「おばちゃんこそ」
特徴的な斑点が尾の先、足の先にまで入った豹族の中年女性が立っていた。なだらかに盛り上がる筋肉に沿って、斑点はときに狭まり、時に大きく開き、うつくしい。勇猛果敢な豹族でももっとも剽悍だと言われる女性で、同族だけではなく、他種族からも憧憬されている。
以前、虎太郎とトラ平が言っていたとおり、にゃん太はおばちゃん呼ばわりするが、ヒョウ華は目を細めて表情をなごませる。虎族の猛者ですら「ヒョウ華様」と呼ぶくらいだ。
そのヒョウ華からしてみれば、自分の隣に並び立つことができる唯一であるにい也を、気安く呼び捨てにすることには注意を向けないのかと疑問だ。にい也は自分の興味がない部分にはとことん関心がないので、単純に気にしていないだけである。なお、猛獣人族の上層部はその点についてよくよく承知しており、十分に配慮している。
「今日はどうしたの? どこか調子が悪いの?」
長年、冒険者として第一線で戦い続けているヒョウ華に、にゃん太は言ったものだ。
「おばちゃん、無理しちゃ、駄目だよ。あのな、薬を飲むのは弱いからじゃない。どんなに強い獣人も不調になるし、いつかは老いる。これはもう、仕方がない自然の摂理だ。それと上手に付き合っていくために、薬を飲むんだよ。怪我をしたなら、がまんしないで手当てしてもらわないと。おばちゃんは長生きしないとな。みんな、おばちゃんと別れるのは先延ばしにしたがっているんだから」
ヒョウ華が医者にかかったと知られれば、周囲が騒がしくなる。それが面倒で、少々の傷は自然治癒に任せていたのを、にゃん太がせっせと治療してくれたのだ。そう、あれは工房主になってからのことだ。そんなに昔のことではないのに、にゃん太は新聞にも取り上げられ、さらには<吸臭石>なんていう画期的な発明を行い、あれよあれよという間に有名になった。その可愛い外見のせいか、親しみを込めて猫の錬金術師さんと呼ばれている。
そんなにゃん太には「おばちゃん」呼ばわりされても、不思議と腹は立たなかった。他の者がそんな生意気を言ったのなら、軽くひねってやる。考える間もなく反射的にやってのけるだろう。
「にゃん太が前に言っていた健康診断をしてもらおうと思ってさ」
「ああ、そりゃあ、良いや。じゃあ、奥へ入ってよ」
にゃん太がヒョウ華を連れて行くと、入れ替わりにみい子が店の方へ戻ろうとする。それを引き留めて、新しい工房の一員として紹介する。
「ケン太のことは知っていたっけ?」
「顔を見あわせて話をしたことはないけれど、噂には聞いているよ」
「ふへっ?!」
ケン太は猛獣人族の中でもトップクラスの有名豹族に知られていたとあって、しゃちほこばる。
「初めまして、ハム助と申します。にゃん太さんに助けられて、そのまま工房で働くようになりました」
硬くならないのはティーア市には最近来たばかりのハム助くらいだ。そのハム助も、後でとても迫力のあるご仁でしたねえ、と言っていた。
「ハム助さんが来てくれてから、細かい作業がはかどっているんだ」
「素晴らしいことだね。わたしらのような力こそすべての猛獣獣人の苦手分野だ」
ヒョウ華は自信があるからこそ、自分は持ち得ない他者の技能を認めることができる。
「ヒョウ華様、お久しぶりです」
「ああ、たま絵も元気そうだね。これを持って来たから、みんなでお食べ」
ヒョウ華はレッドボアの肉を手土産に持って来ていた。捌いて後は調理するばかりの状態ではあるが、いかんせん、大きな肉塊だ。たま絵にそのまま渡すことはせず、台所へヒョウ華自身が運んだ。さすがのたま絵も遠慮し、かしこまる。
「ヒョウ華おばちゃんもいっしょに食べて行きなよ」
「こんなに大きくておいしそうなお肉だもの。そうして行ってください」
「ご相伴に預かろうかしらね」
たま絵はみい子に早じまいを知らせに行き、掃除が済んだら料理を手伝ってくれと声をかけている。ケン太は畑仕事の、ハム助は作業場の片づけにとりかかる。
「じゃあ、ヒョウ華おばちゃんはこっちへ来て」