14.特許申請
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
街道と近くを流れる大河が交易品や旅人が行き交う。そのため、大通りには馬車や荷車がすれ違うことができるように十分に広く取られている。多種多様な商品が店先に並び、それを買い求める客でとてもにぎやかだ。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
まだ年若い獣人であるにもかかわらず、立派に運営している猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているからこそ、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でも折り紙付きなのがアルルーンだ。なんと、自在に動く不思議植物だ。魔力を持ち、前の工房主から教わって錬金術にも明るい。
工房の主のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
不思議な植物が育つ畑では犬族のケン太が世話に勤しんでいる。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、二代目の看板娘となった猫族のみい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場では、にゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助がせっせと作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
新たな仲間たちとともに、今後の工房の運営方針について話し合い、店に置く薬の性能を向上させ、さらにはきつい臭いを除去する魔道具を作り出すことに成功した。
これは臭いに敏感な獣人たちにとっては非常にありがたいことだ。嫌な臭いを嗅ぐのと同時に、世界を臭いで認識する獣人にとって、それを邪魔されることとなるからだ。特に、冒険者たちは魔獣との戦闘中に怪我した部位に塗り薬をかけてそのまま戦うことになる。
とすれば、にゃん太が、いや、にゃん太たちが発明した<吸臭石>は多くの者が買い求めることとなる。
にゃん太はこれに対して腹案を持っていて、工房のみなに話すと、こぞって賛成してくれた。それに気をよくしてにゃん太は錬金術師組合に特許申請をしに出かけた。
受付で要件を話すとすぐに別室に通される。これは新発明の秘密保持のための措置であるが、にゃん太は気づかない。組合に来るのはたいていアルルーンの報告のためだ。アルルーンを連れているため、毎回受付を済ませると別室へ案内される。そのついでに素材を買うので、組合へ別件で来ることもあまりない。
<吸臭石>の試作品を実際に使ってみせ、一定時間間を置いて使用すれば長持ちすることなどを報告する。
特許の方はすんなり手続きすることができたが、思いもかけないことを話された。
「これは素晴らしい発明です。特に、獣人たちに及ぼす影響は非常に強いものでしょう」
褒め言葉をかけられたものの、にゃん太は不安に襲われた。組合の係員の表情が暗かったからだ。
「しかし、それだけに、犯罪に用いられることも考えられます」
「えっ」
係員は、錬金術師は世界の神秘を研究するがあまり、発明したものが世界にどんな影響を及ぼすかまで考えが至らないことはよくあることなのだと言う。
「にゃん太さんの前任者はそうしたことをよくよく考えて発明品を世に出すタイミングを計ったり、制限をかけたりされていました。しかし、そこまで周到な対処をするかどうかは、経験や人となりに左右されます。そういう面を補佐するのも組合の仕事です」
「じいちゃんは色々考えていたんだなあ」
穏やかな瞳で「にゃん太や」と呼びかけるやさしい声を今でも思い出せる。
「あの方は本当に優れた錬金術師です。技術や知識だけでなく、在り様が素晴らしい」
にゃん太は係員が現在形で話すのに気づいた。錬金術の世界ではじいちゃんはまだその存在感を強く残しているのだ。
にゃん太はじんわりと心が温かくなった。
にゃん太の強みはこれである。素直でまっすぐなところだ。前任者の影響が色濃く残っていれば、焦燥感を抱いたり、妙に意識することはままある。あるいは、逆に尊敬の念が勝ちすぎて殻を破ることができない。にゃん太にはそれはなかった。じいちゃんが好きで、すごい錬金術師だと思っていて、それを他の者の口から聞くと嬉しくなる。そこににゃん太の評価をいっしょくたにして張り合うことはない。これは案外、難しいことである。にゃん太は意識することなくやってのけていた。それは、にゃん太が周囲から惜しみない愛情を注がれていたからだ。そして、にゃん太が生まれ持ってきた性質、他者の優れた点を歪ませることなく認め敬うことができることである。
それは、じいちゃんに対してだけではなく、家族やその他の獣人たち、アルルーンにも向けられていた。
「にゃん太さんは獣人族が長年悩まされている問題に取り組み、解決する魔道具を発明された。あの方の後継者として立派に勤められているということですね」
表情が少し緩んだ係員に、今度こそ、にゃん太は盛大に照れた。
「従業員を増やして獣人族の雇用の機会を増加させているし、経費がかさんだ分をまかなうために新しい取り組みをして、ちゃんと実績を挙げている」
なるほど、にゃん太は行き当たりばったりに働き手を増やしていただけだが、そういう風にも受け取れるのだ。
「アルルーンは新しい従業員をもすんなり受け入れているのだから、問題はないでしょう」
それどころか、一丸となって<吸臭石>を始めとしてあれこれ作り、その労に報いるゲームをいっしょに楽しんでいる。アルルーンが文字を覚え、錬金術のアドバイスをくれることは秘密にしているから、にゃん太は口を閉じておいた。
アルルーンに対して思い入れがある様子の組合員に、虫を呼ぶためにわーっさわーっさと葉を揺らしていた様子などを放したら、卒倒するかもしれない。
うん、やっぱり、言わないでおこう。
事実はなんとかよりも奇なり。
アルルーンは今や、組合の誰の想像よりもはるか超えた次元で元気いっぱい動き、自分で考える、工房の一員なのだ。
「組合としても、にゃん太さんたちには期待しています。素晴らしい発明をされたのだから、しっかり悪用対策を取りましょう。最近、ティーア市では盗難事件が増えているようですから」
そういえば、どこかでそんな話を聞いたことがあるとにゃん太は思う。だからこそ、組合の方でも錬金術師の新発明の魔道具が悪用されたとあっては困るのだろう。錬金術に悪いイメージを持たれてしまう。
「価格設定に関してはいかがしましょう」
係員に問われて我が意を得たりとにゃん太は居ずまいを正す。このことを組合員とも相談したいと思っていたのだ。
獣人族のにゃん太がアルルーンを栽培する畑を含めた工房を引き継いだものだから、厳しい見方をされていると思っていた。定期報告を義務付けられていたこともその考えを後押しした。けれど、今話を聞いていると、どうもそうでもないような印象を受けた。
にゃん太のことをそれなりに認めてくれている上、獣人に対しても悪感情を抱いていない様子だ。
「価格は高めにして———」
にゃん太が語りだしたことに係員は目を見開き、少し考えた後、離席した。ふたたび入室してきたときには、別の組合員を連れていた。その後、三人で様々に話し合った。
後から加わった組合員が錬金術師組合長であると知り、うっかり、「にゃにゃーん」と驚きの鳴き声を上げてしまい、真っ赤になったものである。
薬師組合との兼ね合いについては錬金術師組合の方で話し合っておくと請け負ってくれた。そう言われて初めて、そういうことも考えておかなければならなかったのだと知ったにゃん太だ。正直に考えが及ばなかったことを言うと、工房運営をするうち、追々分かって来ると励ましてくれた。
「それよりも、発売する前に特許申請をして相談をもちかけてくれて良かったよ。そうやって他者の意見を聞けば、自分が足りない部分を補えるものだ。それも前もってできる。錬金術師組合としても、新しい魔道具が出てくることはありがたい。活性化につながるからな」
組合長はアルルーンについてあれこれ聞いた。少しずつ株を増やしていると言えば、非常に喜んでにゃん太の片前足を両手で掴んだ。
「あっ、ずるい!」
「ずるいってなんだ」
思わず漏れ出たという風な係員の声に、反応したのは組合長だ。にゃん太もずるいってなんだろうと不思議だった。
「だって……、猫族の手を、肉球を、」
係員はにゃん太を前にして言いにくそうにもごもご声を出す。
「握手だ、握手!」
「だって、あのアルルーンとの絵の、猫の錬金術師さん……」
なんだそれ、とばかりににゃん太は首を傾げた。
聞けば、じいちゃんがスケッチしたアルルーンとにゃん太のイラストを、額縁をつけて飾ってあるのだそうだ。それがアルルーンの信頼度を保証したとあっては、恥ずかしいなどとは言っていられない。
にゃん太が係員にも片前足を差し出すと、顔を輝かせて両手で握った。
「うちからもティーア市獣人新聞に話しておくよ」
「でも、ああいうのを読める獣人は限られています。俺が助けたいのは文字を読めないような獣人です」
錬金術師組合長ともなると、新聞社とも繋がりがあるのかとにゃん太は驚きつつもそう言った。
「そうだな。ただ、こういうのは賛同者が多いとすんなりいくことが多い。数は力になる。それに、文字が読めるのは獣人だろうと人族だろうと、それなりに権力やら財力やらあるやつらだからな」
加えて、新聞というのは大きな発信力を持つ。新聞を読む者たちは意識が高く、にゃん太たちの取り組みに興味を持ちやすいだろうという組合長に、にゃん太はそのとおりだと頷いた。
「あ、じゃあ、獣人新聞だけじゃなく、人族の新聞にも載せてもらいませんか?」
「お、いいな。そっちの方の取材は組合の方で受けておく」
そう言った組合長は人族の新聞社は意識の高さに比例して気位も高いから、にゃん太はやりづらいだろうと、そちらの対応を請け負ってくれた。ティーア市獣人新聞には一度取材を受けたことがあるから、そちらの対応は大丈夫だろうと言う。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
にゃん太は不思議だった。いち組合員にここまで肩入れするだろうか。
「いやな、錬金術師ってのは素材と器材を揃えるのにいっつも汲々としているんだ。それがだ、人助けのために、稼いだ金を必要経費を差っ引いて慈善活動に突っ込もうなんざ、大したことじゃないか」
話すうちに興奮してきたのか、組合長の喋り方がぞんざいになってきていた。
「それは、じいちゃんの築いた実績とアルルーンのおかげで、俺はなにも、」
言いつつ、自分でも情けなくなってきたにゃん太は、だから、声がしりすぼみになった。
「馬鹿言え、そんじょそこいらの錬金術師がアルルーンを育てられるものか!」
組合長はばんばんとにゃん太の肩を叩く。うっかり押し出されそうになって、係員に支えられる。
「俺たちはなあ、あの方が亡き後のことをずっと心配して来たんだ。長年、錬金術師たちの指標となっておられた方だからなあ。亡くなった後の喪失感は大きい。俺が組合長に就任したころにはすでにご高齢だったから」
「それに、アルルーンを育てられる者など、あの方をおいて他にいるなんて考えられなかったんです」
「さっきも出た薬師組合との兼ね合いってのはな、アルルーンのこともあるからな。この地方の錬金術師組合としても、がっちり薬師組合とタッグを組んで事に当たっているんだ」
「なにせ、伝説の植物の素材が確実に手に入るんですからねえ。そりゃあ、あちこちからいろいろちょっかいをかけられるんですよ」
組合長と係員は交互に言い募る。
実情はアルルーンを育てつつも、アルルーンに助言をもらっているのではあるが、にゃん太は口をつぐんでおいた。
「だからさ、にゃん太さんには定期報告をしてもらっているんだよ。錬金術師が育てているからって薬師組合に関わらせてはいない現状だ。報告だけはしておかなくちゃならん」
なるほど、そういう意図もあったのだ。
「貴重なアルルーンを持ち出す危険性も看過できないんですけれどね」
「まあ、多少のことは仕方あるまいよ。うちとしても、実情は把握しておきたい。神秘な植物に触れられる数少ない機会だってので、査察係が報告を受けた後にいっつも興奮するんだ。あの冷静極まりないあいつが!」
「ああ、冷静ですね」
にゃん太も頷く。ただし、アルルーンの周囲をぐるぐる回ったり、熱のこもった目で観察していた。どんな冷静な錬金術師をして、興奮させるのがアルルーンなのだと実感させられる。
「だろう? あいつ、にゃん太さんの報告を受けた後はしょっちゅう、アルルーンが動いた、非常に状態が良いって喜んでいるよ」
「それに、アルルーンがにゃん太さんを信頼すること、あの方にひけをとらないって言っています。だから、うちの組合員としてはにゃん太さんがあの方の後継者となってくれてとても有り難いんです」
「あ、忘れていた」
にゃん太は<吸臭石>のあれこれにかまけて、たま絵に納品日ではないものの、余剰にあるアルルーンからもらった葉や根っこを持って行くように言われていた。そういう気遣いが重要なんだな、というのを、話を聞いていて思い知らされる。にゃん太の考え至らない点を、みんなが支えてくれてありがたいことであり、送られる賛辞は自分だけのものではなく、工房のみんなのものなのだとも。
アルルーンの素材を、組合長と係員が押し頂くように受け取る。
「見ろよ、この艶、張り、色あい」
「野のアルルーンではこうはいかないですからねえ」
「じいちゃん、独自の栄養剤を作っていたんですよ。俺がじいちゃんからまず真っ先に教わった錬金術がそれです」
アルルーン素材を眺めて莞爾となるふたりに、にゃん太はそのくらいなら話しても良かろうと口にする。事実はもう少し違っていて、アルルーンは自分がほしい栄養剤の錬金を指定してくるくらいだ。自分になにが必要か分かってそれをにゃん太に教えてくれるのだから、非常にありがたいことである。
「おお、そうか、そうか。今後ともしっかり頼むぞ!」
またぞろ組合長に背中を叩かれ、たたらを踏むにゃん太であった。