13.薬の臭いをなんとかしたい3
翌朝、工房で突っ伏していつの間にか眠っていたにゃん太を、たま絵が揺り動かして起こした。
「あまり根を詰めちゃ駄目よ?」
「むにゃ、ねえちゃん、おはよ」
寝ぼけ眼で言うにゃん太に、たま絵はひと眠りしたらどうかとあきれ顔だ。しかし、にゃん太としては昨晩発見したことを試したい。
「じゃあ、顔を洗ってしゃっきりしなさい。すぐに朝食を作るから」
「うん、ありがとう」
洗顔をして朝食を摂ったら、大分、頭がすっきりした。
そして、畑に行ってアルルーンに昨晩思いついたことを話すと、いそいそ土から出てくる。
「協力してくれるのはありがたいんだけれどさ、こんなにずっと土から出ていても大丈夫か?」
心配するにゃん太に、アルルーンはぱぱーんとばかりに、栄養剤の器を掲げて見せる。アルルーンの指示のもとに作った<頑固なホップの栄養剤>と<にやけたホップの栄養剤>を掛けた【あわてんぼうのメリッサ】と【ぶっきらぼうのミント】を、今度はアルルーン専用の栄養剤の素材とした。いわば、<あわてんぼうのメリッサの栄養剤~頑固なホップ風味~>と<ぶっきらぼうのミントの栄養剤~にやけたホップ風味~>である。
アルルーンはにゃん太に作らせた栄養剤で、元気いっぱいなのだとジェスチャーで示して見せた。
「それにしても、名前が長いから縮めるか。ええと、<あわてんぼうで頑固な栄養剤>? <ぶっきらぼうでにやけた栄養剤>?」
後からケン太に訂正され、<ホップとメリッサの栄養剤>と<ホップとミントの栄養剤>という無難な名称に落ち着いた。
「にゃん太さん、なんでも言ってくださいね」
「そうですよ。わたしたちも、ちょっとずつ、文字を読めるようになりましたから」
みい子とハム助は「臭い」という文字を片っ端から探していくという。
にゃん太はたま絵に文字を習うのをきまり悪く思うケン太の心情と同じような気持ちになった。みい子には格好悪いところをあまり見せたくないという気持ちがどうしても邪魔をする。
こんなことはケン太に相談しにくい。にやにや笑いでからかわれるだけだ。たま絵にはなおさら言いにくい。アルルーンは心強いアドバイザーではあるが、いかんせん、言葉を話せない。ジェスチャーだけでは心の機微のあれこれは伝わってこない。
そこでこっそりハム助に相談することにした。言いにくそうにするにゃん太に、だが、ハム助は察していたようで、「そういうものですよ」とおだやかに共感してくれた。くりっとした愛嬌のある瞳、おとぼけ顔が今は頼もしい。
「にゃん太さんの気持ちも、ケン太さんの心持ちも良く分かります。おふたりが思われるように、女性からしたら、頼りがいというのは魅力的に映るでしょう。でも、」
そこで言葉を切ったハム助に、にゃん太はごくりと喉を鳴らして次の言葉を待つ。ああ、ケン太よ、なんでこの場にいないのだ。今、とてつもなく、重要なことを聞いているような気がするにゃん太は、自分がこっそり相談したことも忘れてハム助のアドバイスを聞けないでいるケン太を残念に思った。
「でもですね、女性というものは、ふだん頼りがいのある男性がたまに見せる弱さに心を揺らすものなのですよ」
「!!」
にゃん太は絶句した。
まさしく、啓蒙された心地になる。
にゃん太の両前足に乗る(ちょっぴりはみ出るけれども)ほどの大きさのハム助が、今は自分よりも大きく見えるほどだ。
「そうか!」
「にゃん太さんは立派に工房を経営されています。その上で、わたしたち従業員の意見を取り入れようとします。そんな方がたまに見せる弱った姿というのは、弱みにはなりませんよ。それよりも、わたしたち従業員を信頼してくれている証だと思われるでしょう」
それはにゃん太が独善的でなかったことや、多くの者たちから助けの手が差し伸べられる性質であったことが大きい。そうなったのは、にゃん太が他の者の立場になって考えたり、だれかのためになにかをしようとする者だったからこそである。
ハム助は、そういうにゃん太の下だからこそ、自分も役に立つことができるのだと知っていた。
「そ、そうかな。でも、俺、「可愛い」って言われることはあっても、頼りがいがあるとか思われないからなあ」
それは外見が大きく影響しているのだろうと考えたが、ハム助は口をつぐんでおいた。なんとなく、にゃん太が気にしているように思えたからだ。
「すぐにはできないけれど、格好悪いとは思わずに、ちょっとずつ頼って行くようにするよ」
「そうすると良いと思いますよ」
力みすぎるから、失敗するのだ。以前のアルルーンの栄養剤の調合を間違えたように。
アルルーンに追いかけられたものの、にゃん太は心の底から悪かったと謝ったし、お詫びとしてハム助が好むものを作ってくれもした。
今までのハム助の境遇からしてみれば、とてもやさしい獣人である。けれど、ここで甘ちゃんで与しやすしとして、今までの不幸を取り戻そうとしてはいけないと、ハム助は考える。ハム助を冷遇した者とにゃん太は関係がない。このやさしい獣人と知り合えた幸運に感謝するに留め置くことにする。
そして、他の者がするように、にゃん太を助け支えて行きたい。猫の錬金術師工房の一員になり、みなで立てた目標を達成しようと自分ができることをする。そんな毎日を特別でない日々とすることができたことを、この上なく喜んだ。
にゃん太は改めて、みなに「臭いを吸い込ませる」方向性で考えていると話した。
「なにも薬自体の臭いを封じ込めなくても良いと思うんだ」
「あ、そっか」
「発想の転換ね」
にゃん太の言葉にケン太がぽんと両前足を打ち付け合い、たま絵が頷く。
「でも、」
みい子が言いにくそうにする。
「みい子さん、気が付いたことがあったら、遠慮することないわよ」
「ええ、その、臭いを吸い込ませる魔道具というのは、大きければ冒険者が使うには邪魔になりそうだな、と思ったんです」
「そうなんだよ。そこがネックなんだよね」
なんでも、小型化するには高度な技術力が必要となる。
「ともかく、まずはその「臭いを吸う」素材を探してみましょう」
ハム助の言葉に、各々頷いた。
文字を勉強中の三人は「臭い」という文字をたま絵が書いた紙を見ながら、レシピ帳を繰って行く。
もちろん、その間にも工房は開店するし、畑の手入れも行う。
「にゃん太さん、あの、お客さんがいらしているんですが、」
みい子が遠慮がちに呼びに来たので、何事かと思いつつ店に向かえば、外から覗き込んでいる者がいた。象族だ。入り口から入ることができないほどの大柄だった。それもそのはず、象は最大の陸上哺乳類だ。その特性を持つ象族も大柄であり、うちわのような大きな耳、長い鼻を持っている。
パオ蔵と名乗った彼は、急な腹痛を起こし、獣人新聞に載っていた猫の錬金術工房のことを思い出してやって来たのだと言う。
にゃん太は裏から回ってもらって、工房へ入るように指示をした。色んな器具や素材を運ぶので、裏口とそれに続く工房の出入り口は大きく取られている。
「それで、腹が痛い心当たりはある?」
「それがその、」
食べ過ぎたのだと言う。
「そっかあ。そんなに大きな身体だもん。いっぱい食べるよな。ただ、急に大量に食べたから、胃が消化しきれなかったんだよ」
「面目ない」
治療するという強い立場から咎めるようなことを言わずに、事情を知ってこういう理由から腹痛が起こったのだろうと言うにゃん太に、パオ蔵は安堵した。横柄な医者、薬師というものは案外多い。
「今度からはちょっとずつ小分けに食べた方が良いかな。ええと、消化不良には———」
にゃん太は胃腸の働きを助け、鎮痙、消炎効果もある【ヘビも好むフェンネル】を用いて処方した。歳を考えずに食べる猛獣人族によく処方するので空で調合することができる。
「へ、ヘビ?!」
「ヘビを材料にしているんじゃないよ。ヘビも食べるくらい効果抜群だってことだよ」
大きな身体をしているが、草食動物なだけあって、やはりヘビは苦手である様子だ。にゃん太がなだめると、なんとか調合した薬を飲みほした。
「あとは様子を見て、この【かおりとあまみのディル】のお茶を飲んで」
「おお、名前のとおり、良い香りがしますな」
「うん。これも胃もたれや腸内ガスに作用してくれるんだ。消化トラブルに活躍してくれる」
「後々のことまで考えて調合して下さるとは、いやはや、さすがは新聞に取り扱われる錬金術師だ」
褒められてにゃん太は照れつつも、具合が悪くなったらすぐにこの工房に来るか医者に行くことを伝えた。
薬を飲んでも、すぐに腹痛が収まるわけではない。しばらく工房の隅で休んでいくことを勧めると、パオ蔵は大人しくしたがった。
「すぐに効くのではなくても、なんだか気持ちが楽になった気がします」
「分かります。安心感がありますよね」
パオ蔵の相手をするのはハム助だ。ふたりの体格差はとても大きい。
「熊五郎さんのときよりも身体の大きさの違いがすごい」
工房に顔を出したケン太が感心する。
「休ませてもらったのだから、なにか買えれば良いのですが、」
錬金術工房に置いてあるものは高価なものが多い。消耗品の薬も錬金術というひと手間ふた手間かかると価格は跳ね上がる。それでも、この工房はまだ良心価格である。引き継いだときから金額設定は替えていないから、じいちゃんが安価で提供していたと言える。高名な錬金術師が手掛けたにしては安価な金額設定は、にゃん太が引き継いでからは妥当な価格となったと言える。ちなみに、にゃん太はそこまで考えが及んでいない。錬金術師組合としては、適正価格となっているので、口を出す必要はないと心得ている。
「なにを言っているの。薬とお茶の代金はきっちりいただきましたよ」
たま絵は、それでも心苦しく思うのならうちの宣伝でもしておいてくれとからりと笑う。
「姉ちゃん、男前だな」
「そういうところが獣人族の女性に好まれて頼りにされるんですよ」
にゃん太の呟きに、みい子が微笑む。
確かに、そのおかげでみい子がこうやってこの工房で働き出したのだから、と心の中で感謝しておくことにする。
さて、アルルーンは土の領域に詳しい。
土、つまり大地の中には鉱物も含まれる。それら鉱物の中から、これは、というものを見つけてきた。
【吸い込むパミス】
多孔質の石。密度の小さい火山砕屑物の一種。
たくさんの孔に空気や水を取り込む性質がある。
「これだ! これだよ、アルルーン!」
にゃん太はここ最近ずっと探し求めていたものを発見して、感極まり、アルルーンを抱き上げてぽーいと宙へ放った。両前足で受け止めてほおずりする。と、後ろ足をなにかが突く感触がある。見下ろすと、他のアルルーンたちが、自分も、自分も、と順番待ちをしている。
「いいぞ、順番な!」
にゃん太は次々にアルルーンを放り投げては受け止め、緑の葉を撫でて労った。それにしても数が多いので、ケン太とたま絵、みい子も手伝って放り投げた。たま絵は思い切りが良く、ひと際たかくアルルーンは宙を舞い、みい子の場合は遠慮がちだった。
調子に乗ったケン太がハム助も放り投げていた。
「はあ、はあ、よ、よし、これでみんな、宙を舞ったな」
最も多くアルルーンとたわむれたにゃん太は、終わるころには息切れした。
「なあ、なんでこんなにアルルーンは放られたがったんだ?」
「いや、やってみたら他のみんなも我も我もってなったんだよ」
ケン太が不思議がるも、にゃん太もアルルーンの価値観は完全に理解していない。楽しそうだから良いのだ。そのお陰で葉が濃い緑色にツヤツヤするのだ。たぶん。
「それで、その【吸い込むパミス】で臭いを吸い取らせるのか?」
「うん。その上で、もうひと工夫したいな」
ケン太に、そのままでは効力は薄いとにゃん太は妥協しなかった。
「だったら、これはどうかしら?」
たま絵が示してみせた<錬金術素材一覧>を、みなでのぞき込む。もちろん、アルルーンも加わっていた。
【ちくちくのミルクシスル】
とげとげの葉が特徴。毒素の分解を促す成分を有している。
「薬草の一種だけれど、毒素の分解、というところが、使えないかと思っていたの」
たま絵の言葉ににゃん太は頷いた。
「そうだなあ。臭いの成分の分解になるように錬成陣を考えてみるよ。患部にかけた塗り薬に近づけすぎて、薬効を消し去らないようにしないとな」
「ははあ。いろいろ考えないといけませんねえ」
ハム助が感心する。
そうして、にゃん太は試行錯誤を重ねた。方針は決まり、素材を見つけた。後は何度も繰り返し錬金術を行う。手探りの右も左も分からない五里霧中ではないだけやりやすい。
ハム助の手伝いのおかげで不純物が少ない素材を使うことができる。みい子が店番をして、たま絵が素材の処理をする。ケン太は必要な素材を畑から採ってきて、土を洗ったり、ざっくりした処理とたま絵とハム助の補助を行う。
にゃん太は指示を出しつつ、アルルーンからときおりアドバイスをもらいながら、素材の分量を変え、煮込む時間に変化をつけ、その記録を残していく。
そうしながらも、みい子が早く本来の機織りができるようになると良い、パオ蔵は本調子になったか、そういえば、父を通して知り合った猛獣人族の年配の者たちの身体の調子はどうだろう、など様々に考えた。
そんな風にして、薬の強烈な臭いは、薬自体に手を加えるのではなく、その臭いを軽減させる方法を作り出した。
<吸臭石>
臭いを吸いとり、軽減させる石。とても軽く孔がたくさん開いている。
「やった、できた!」
にゃん太が試しに回復剤をかけた前足に、<吸臭石>をかざしてみると、みるみるうちに、いやあな臭いが軽減していく。にゃん太の片前足の肉球に乗るサイズでも十分効果がある。
わっと工房に歓声が上がる。
その後も何度も試用し、数回繰り返し使えることや、多少間を置いた方が長く使えることなどを実証した。
「これ、すごいわね」
「ああ。にゃん太のやつ、とんでもないことをやってのけたって分かっているのかなあ?」
アルルーンとああだこうだやっているにゃん太から少し離れたところで、たま絵とケン太が言い合う。
「にゃん太さんは獣人たちの苦労を少しでも減らしたいという一心でやってのけただけなんでしょうねえ」
「本当に、すごい方ですね、にゃん太さん」
ハム助とみい子もうなずき合う。
にゃん太はそれだけで満足せず、飲み薬の方にも取り掛かった。
「覆って臭いを遮断するのはどうかな」
このためにまず、覆う素材は唾液で溶けるタイプでなければならない。また、飲みこめるように小さくなる。複数錠飲むとしても、限度がある。
「その点については、液体を煮詰めて濃密なものにするからなんとかなる、かな?」
「まあ、やってみよう」
そうして、飲むタイプの回復薬もまた、臭いが抑えられたものを作りだした。
さて、工房のみなから一目置かれるようになったにゃん太は、そんなことは露ほども知らない。頑張ってくれたみんなを労おうと頭を悩ませていた。
最近はずっと忙しくしていたし、なにより心に余裕がなかった。
「楽しいことをしよう」
なにが良いかいろいろ考えたあげく、ちょっとしたゲームをしようと思いついた。
「宝さがしゲームをしよう」
「宝さがし?」
「ゲーム?」
なんだなんだとアルルーンたちも楽し気に緑の葉を震わせる。
「卵の殻になぞかけを書いた紙を入れて、張り合わせて畑や工房のあちこちに隠してあるんだ」
「いつの間に」
「そう言えば、夜中にごそごそやっていたなあ」
ケン太の言葉にたま絵がまた夜更かしをして無理をしたのかと顔をしかめる。にゃん太は慌てて説明を続ける。
「それを見つけて、中の謎が解けたら賞品を貰える」
謎は錬金術のことや店のことなどに関したものだ。
「なるほど。つまり、勉強会でやったことのおさらいであり、文字が読めなかったら謎も解けないということですね」
ハム助が良く考えてあると感心する。
「わ、大丈夫かしら」
みい子がほほに片前足を当てる。
にゃん太は単なる褒賞ではなく、遊んで賞品があれば楽しいのではないかと考えた。あれこれ仕込むのも面白かった。
宝探しゲームはアルルーンも参加した。
隙間ではハム助が、畑ではアルルーンが有利だ。そのほか、店や工房ではたま絵に軍配が上がる。
みんな、きゃっきゃしながら楽しんだ。
「これ、なぞかけ、難しくないか?」
「もちろん、レシピ帳や<錬金術素材一覧>を見ても良いよ」
文字が読めれば答えが分かる仕組みである。
結果としては、アルルーンがいちばん多く見つけた。なにしろ、数が多い。総出で当たったのだから、宝をみんな持って行かれると、他の者たちが慌てたのはご愛敬だ。
アルルーンのためにちょっぴり高価な素材を使った栄養剤を作ることになった、次点で得点の高かったハム助には熊五郎のハチミツで固めた木の実、たま絵は猫族用の包丁がほしいと言われた
「姉ちゃん、それは必要器具だから、別で用意するよ」
「じゃあ、また、ハンドオイルを作って」
カン七のところに卸した美容商品は順調な売れ行きだと言う。
それを聞いたみい子は、自分もそれが良いと言う。ケン太は高級肉だ。
「今日はごちそうにしましょうね」
たま絵はそう言って、みなにそれぞれ料理を手伝わせた。そうして、新発明の祝いを、みなで楽しく過ごした。
「パオ蔵」はさすがに……でも、象だから、蔵、いやでもパオ……
めっちゃ葛藤しましたが、そのままいきました(いつもの通り)。
どんなシリアスな場面でも主人公は「にゃん太」。
ちなみに、わたしは打っている間に慣れました。