11.薬の臭いをなんとかしたい1
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
街道が通り、近くを大河が流れるおかげで、交易品がたくさん入って来る。そのため、大通りには馬車や荷車がひっきりなしに通る。多種多様な商品が店先に並び、それを買い求める客でとてもにぎやかだ。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。
まだ年若い獣人であるにもかかわらず、立派に運営している猫の錬金術師の工房だ。
大通りから少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。錬金術の素材にもなる不思議な植物がたくさん植えられている。中でも折り紙付きなのがアルルーンだ。なんと、自在に動く不思議植物だ。魔力も持ち、前の工房主から教わり、錬金術にも明るい。
工房の主のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
不思議な植物が育つ畑では犬族のケン太が世話に勤しんでいる。
露地沿いの錬金術工房の正面玄関を入れば、二代目の看板娘となった猫族のみい子が客を迎える。その奥の部屋の錬金術の作業場ではせっせとにゃん太の姉たま絵とハムスター族のハム助が作業をしている。いくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具、壁一面の棚には素材が所狭しと置かれている。
従業員も増え、工房としてもそれなりの利益を出さなければならない。
工房はみんなで運営しているが、責任者はにゃん太だ。にゃん太がじいちゃんから錬金術を教わり、アルルーンの世話を請け負ったのだ。だから、経営に関してもきちんと考えなければならない。
今後の工房の運営方針について漠然とした考えを持っていたにゃん太は、それでもみなで取り組むことなのだから、独断で決めてしまわずに、意見を求めた。
アルルーンも交えて相談し合う。アルルーンはにゃん太がじいちゃんにあれこれ教わるのを見聞きするうち、文字も覚え、レシピ帳や錬金術素材にも詳しくなった。だから、決して賑やかしではない、貴重なアドバイザーだ。
「うーん、これからの工房の方針かあ。やっぱり、新しいものを打ち出さないとな」
「簡単に新しい商品を発明することなんてできるものなの?」
ケン太の提案に、たま絵は懐疑的である。
「あの、たま絵さんブランドのオイルのようなものはどうでしょう?」
たま絵ブランドというのは、工房を手伝うようになって指先の毛並みが荒れてきた姉のためににゃん太がさらさらタイプのハンドクリームならぬハンドオイルを作ったものだ。<グラウ・ヴァイスのオイル>と名付けられている。たま絵の毛並みから名付けたのだから、たま絵ブランドと言えなくもない。
しかし、それを言い出したのがみい子だというので、にゃん太は盛大に照れた。知っていてくれたのだ。
「わたしも使っています。あれ、良いですよね。香りも良いし、瓶も可愛いし」
「へえ、にゃん太さんはそういったものも作っているんですねえ」
みい子が嬉しそうに言い、ハム助が感心する。みい子には敬語を使わなくても良いと言ったものの、先輩のハム助が敬語を使っているから、と元に戻ってしまった。ちょっと近づいた距離がふたたび開いてしまって少し残念に思うにゃん太だ。
「そ、それほどでも、」
にゃん太がもじもじして話が進まないからか、アルルーンたちが<錬金術素材一覧>と棚の下の方にあるレシピ帳を抜き出して持ってきた。なぜ下の方かと言えば、単純に、彼らでは上の段のものには手———もとい、根っこが届かないからだ。
「あ、うん、じゃあ、見ながら考えるか」
しゃっきりしろと活を入れられたにゃん太はレシピ帳を繰る。
「やっぱり作るなら美容商品?」
「あー、うーん、」
この中で文字が読めるのはにゃん太の他、アルルーンとたま絵だけらしく、他のメンバーはじいちゃんの手書きのイラストを眺めている。
「にゃん太、なにか気になることがあるなら、言いなさいよ」
「うん、その、確かにオイルをカン七さんに気に入ってもらえたし、次の商品をって言ってくれているけれど、俺、薬の性能を向上させたいなあ。今までじいちゃんの薬を頼りにしていた人たちにさ、じいちゃんがいなくなってから薬の効き目が弱くなって困っていたりしたら嫌だもん」
にゃむっとへの字口に力を入れる。
「そりゃあ、じいちゃんが作る薬ほどの効果はないだろうけれどさ」
羊彦とフェレ人の話を聞いたにゃん太は、愛されるばかりの自分がもどかしくなった。なにかしたい。なにかしなくては。気ばかり急くが、したいこと、やるべきことはたくさんあって目移りする状態だ。
フェレ人は薬の臭いを抑えることに興味を持った。正確にいえば、兄の羊彦がフェレ人のために、興味津々だった。
それもそのはず、獣人は鼻が利くので、いつも苦痛にさいなまれるのだ。臭いが抑えられれば、多くの獣人冒険者たちに喜ばれるのではないだろうか。
そんな風に考えていたのだ。
「確かに、そうやってちょっとずつ品質を上げていくことが大切だよな」
「そうよね。カン七だって評判の良い工房とタイアップするのはプラスになるんだし。もし、催促されたら、ただいま開発中です、って言っておくわよ」
ケン太とたま絵がすかさず同意する。
「うん、ありがとう」
ごめんな、と謝罪の言葉を言いかけたにゃん太は、礼に代えた。謝罪だと、自分ひとりで工房を運営しているようではないか。そうではない、みんなで協力し合っているのだ。ならば、ここは謝罪よりも礼の方がふさわしいだろう。
にゃん太が回復薬や解毒薬といった薬のきつい臭いをどうにかしたいと言うと、まず真っ先にケン太が賛同する。犬族であるから、特に臭いには敏感だ。
「おお、そうなったら良いな!」
「じゃあ、効果向上と臭いを和らげることの二点ね」
獣人族は人と獣の特性を併せ持つ種族だ。だから、鼻が利く者が多い。傷を癒したり、毒を除去するという必要に応じて、臭いがきついとはいえど、薬を使わないわけにはいかない。
それらの薬は、外傷を治す、毒の成分を中和するといった必要不可欠な役割を果たす素材以外を加味すれば、とたんに本来必要とする効果が低下するのだとじいちゃんが言っていた。
「臭いを抑える方法を探すついでに、ハム助さんが糸巻き機を動かして作った糸と、それでみい子さんが機織りした布製品になにか錬金術で特別な付加価値を出せないかもいっしょに調べましょうよ」
「う、うん、そうだな」
にゃん太はこっそり考えていたことそのものズバリをたま絵に言われて、口ごもる。姉ちゃんという生き物はときおりこういうことがあるのだ。心の中を見透かされたのかとつい、びくびくしてしまう。
「わたしたちのことなら、後でも構わないですよ。まずは工房の仕事に慣れて行くのが先ですし」
「そうですよ。工房の方針に従います」
ハム助とみい子は苦労してきただけあって、弁えたことを言う。工房主のしたいようにやるものだが、にゃん太は意見を出し合って、なるべくみなが納得した上で行おうとした。その心意気が自分たちはないがしろにされているのではなく、尊重されているのだと思えた。自然とやる気も出てくる。自分たちがやるのだ、という主体性が生まれてくる。
「ありがとう。でも、せっかく、新しい機械も手に入れたことだし、それを有効活用することを考えてみるよ」
<回復薬>
外傷を癒す。飲み薬とぬり薬。いやあなにおいがする。
飲んだ後もしばらくはすれ違うと、あ、あいつ、つけているなと分かる。
<解毒薬>
毒によって薬の種類が変わる。まずはなんの毒か判明することが重要。
おおおおおお落ち着け! 効かないからってむきになって飲み続けないように。
つまり、解毒薬は配剤である。症状によって調合する素材が変わってくる。
既存の<回復薬>は、【懺悔のヒヤシンス】を主成分としたいくつかの素材で作られる。現行で知られているものとは他の素材を加えれば、とたんに回復、あるいは解毒の作用が低下する。
にゃん太はなにかヒントはないかと<錬金術素材一覧>とレシピ帳を台の上に積み上げ、あれこれと調べた。
「あ、これ、」
<錬金術素材一覧>のページを繰る手が止まる。
【ころころ変わるホーソ-ン】
これは時代時代で適応症が変遷を遂げてきた。
ヘビの噛み傷、下痢 → 下痢、胃痙攣、膿瘍と止血 → 心疾患
「じいちゃんに聞いたことがある。そのとき、そのまんまの名前なんだなあって思ったんだよな」
名は体を表すと言うとおり、ややこしいものよりも、分かりやすいものが良いとばかりにそのまんまの名称がつくことが多い。
「にゃん太や、よく覚えておおき。こんな風に、効果があるとされていたのが実は違っていたということはままあるのだよ。だから、既存の事柄を学びつつも、それが正しいとは限らないと知っておくことが大切じゃ。なにか違和感に気づいたら、とことん、追及するのだよ。錬金術師はいつまでも真実を追い求めるものなのじゃ」
「じいちゃんも、そうやってきたの?」
「そうじゃよ」
「ふうん。だから、みんなが貴重だっていうアルルーンを育てるだけで終わらずに、こんな風に面白いアルルーンになったんだな」
「面白いかのう」
「うん! ぜったい、こっちの方が楽しいよ。俺、アルルーンたち、大好きだ!」
じいちゃんは莞爾と笑った。いつものようにじいちゃんとにゃん太のやり取りを覗き見していたアルルーンは、二本の根っこの先をもじもじと突き合わせたり、わさわさもじもじと葉を揺らしたり、いやーんとばかりにもじもじと身を震わせていたが、とうとう、「自分たちもにゃん太、好きー」とばかりに、にゃん太に飛びついた。一斉に。
「にゃわわっ」
飛びつかれたにゃん太はその場でひっくり返り、その上にひとつの大きな低木のようにアルルーンたちが塊になる。
「ほっほっほ、アルルーンたちはずいぶん、にゃん太になついておるのう」
「じいちゃん、笑っていないで助けてよ」
アルルーンは他者になれ親しむことはなく、じいちゃんだけが育てることができた。そのことを知らないにゃん太はこだわりなくつき合っていた。
どの回復に必要な素材も、【西方のハシバミ】と【まよけのナナカマド】を使って必要成分を分離させ、【西方のハシバミ】と【瑠璃蝶のロベリア】を使って混合させる。
何度やっても、回復に必要な素材のことごとくが、この二段階の錬金の際にきつい臭いを発するようになるのだ。もうそういうものなのだと錬金術師は慣れてしまったのだという。
「かといって、溶媒や分離剤、配合剤を新しく探し出すのなんて無理だからなあ」
あるにはあるのだが、【西方のハシバミ】と【まよけのナナカマド】、【瑠璃蝶のロベリア】が用いられるのは、それが一番効率が良い素材だからだ。
薬を錬金するときに、もうすでに魚が腐ったような臭いがし始める。
猫族のにゃん太は魚は大好物だ。その好きなものが嫌な臭いを発するような気がしてくるのだから、とんでもない苦行だ。当分、魚を食べたいとは思えなくなる。
「これがあるから、薬づくりはいっぺんに大量に作ってしまいたいんだよなあ」
錬金術師工房でも特色があり、それぞれ取り扱う商品は違ってくる。じいちゃんが作る薬は良く効くとして、大勢の者たちが買いにやって来た。だから、臭いがきついからと言って、作らないわけにはいかなかった。
「臭いの強いものを足して打ち消すことが出来たら良いのになあ」
ケン太はそれでは効果が下がることを知りつつも言う。
「限りなく効果が下がりにくい、臭いの強いものを加えてみるのはどう?」
効果が下がることを前提として、その下がり幅が一番少ないものを採用するのはどうかとたま絵が提案する。
「それもひとつの手ですね」
「片っ端から試して行きますか?」
ハム助が同意し、みい子が<錬金術素材一覧>を繰る。
「俺、考えたんだけれどさ、薬の素材に変化をつけたらどうだろうって」
ふだん作る回復薬や解毒薬といった薬の素材に栄養剤をやることで、変化させることができないかと考えたのだ。
「使われている素材をそのままで、別の要素を取り入れるために栄養剤をやってみるのはどうかな」
アルルーンたちは<ハツラツのミントの栄養剤>で元気いっぱいに、そして、にゃん太がみい子に気を取られてちょっぴり失敗してしまった栄養剤では酔っぱらったようになった。それほどにまで顕著な影響を受けるのはアルルーンならばこそなのかもしれないが、他の素材にもそれなりの変化があるのではないだろうか。
「おお、良いんじゃないか?」
「ただ、それだと、大分時間が掛かりそうね」
ケン太が明るい表情をするのとは対照的にたま絵が顔を曇らせる。
あれこれ試してみるにしても、相手は植物だ。ここの畑はアルルーンがいるからか、成長は大分早い。それはもう、ケン太がびっくりしたくらいだ。それでも、相応の時間はかかるだろう。
「でも、こういうものはひとつひとつ試していくしかありませんよ」
ハム助が諭すように言う。小さい身体だから他の者たちよりも苦労の多いハム助ならではの言葉に、たま絵も「そうね、性急すぎたわね」と受け入れる。
錬金術は過去に多くの錬金術師が様々に試して得た知識を書に残してきた。それらの書や口伝によって知識、技術が伝えられている。それを読むことで、情報を得ることができる。自分がいちから研鑽を積まなくても良いのだ。
「だからさ、俺たちが見つけ出したこともまた、この後の者たちの役に立つんだよ。錬金術ってのはそうやって連綿と繋がって行くんだ」
だから、じいちゃんとにゃん太は繋がっている。じいちゃんがいなくなっても、錬金術でにゃん太とアルルーンと結びついているのだ。
「そういうものを探すんだから、簡単には見つからないよな。ただ、」
ただ、生活していくことを考えると、同時に金銭を得られる物を作る必要もある。
いったん口をつぐむと、みなはにゃん太をじっと見つめていた。そこには不平などはなかった。「やろう」「やりましょう」という熱意や決心、意欲や静かな意志、それぞれの思いが籠っていた。
「と、とりあえず、工房の方針としてはそういう感じで、」
定番商品を作りつつ、新しい試みを研究する。ケン太は畑仕事、たま絵とハム助はにゃん太が商品を作ることの補佐、みい子は店番、という役割を担う。そして、各々が新しい試みに関することを必要に応じて手伝う、ということになった。
にゃん太はいつもの通りに錬金術を駆使しつつ、まずは薬の素材の栄養剤を作らなければならない。
いわば、舵取りだ。
今まではじいちゃんの指導の元、錬金術を使った。じいちゃんなき後はアルルーンと共に。そして、ケン太が、たま絵が、と従業員を増やしていった。その期待と生活の責任を負う重みを感じて、押しつぶされないように後ろ足に力を入れる。その足を、つんつんと突く者がいた。
アルルーンだ。