10.機織り職人
「以前にみい子さんが訪ねてきたことがあったのよ」
「み、みい子さんがこの工房に?! いつ、どうして?!」
「落ち着きのない子ねえ」
呆れた顔をしたたま絵は弟の興奮冷めやらぬ様子に、茶でも淹れて冷静さを取り戻させようとした。ところが、にゃん太としては話の続きが気になる。
ハム助は自分専用の車に夢中で、ケン太はあまり無理させないようにと気を取られている。
居間で茶を前にし、ようやく弟が落ち着いたのを見て取ったたま絵は口を開いた。ハム助は車が見えなくなったからか、こちらも憑き物が落ちたようになる。
「みい子さんは大きな機織り工房を経営する鶴美さんの下で働いていたそうよ」
そこでは多くの獣人女性が働いていたのだという。人族も獣人族も女性の働き口はすくない。服飾関係の仕事は女性が多く雇用されていた。なかでも、鶴美の工房というのは、鶴族が経営する大きな服飾関係の工房だ。
「みい子さんとしても、この職を失いたくはなかったそうなんだけれど」
しかし、みい子はめきめきと機織りの腕を上げ、とうとう先輩職人を追い越してしまったのだという。
「すごいじゃないか!」
「良いことばかりでもないのよ」
目を見開くにゃん太に、たま絵はため息をついて茶をひと口飲む。
みい子は先輩職人たちにやっかまれた挙句、そのうちのひとりに、恋人を奪われたと騒ぎ立てられたのだという。
「え、それって、」
「もちろん、言い掛かりよ。その先輩職人とやらの恋人があまり良くない獣人でね。ひとつの職を長く続けることができずにしょっちゅう転職を繰り返しているんですって」
ちょうど職探し中、つまり無職のころに暇だったもので、恋人を職場に迎えに来てみい子を見止めて気に入り、こなをかけるようになったのだという。
「じゃあ、みい子さんは悪くないじゃないか!」
「たぶん、その先輩職人も分かっているのよ」
分かっていても面白くない。当然、恋人に苦言を呈し、諍いが増える。
「そうなったのは、みい子さんが原因であると言い出したのよ」
「とばっちりだ!」
にゃん太はにゃむっとへの字口をひん曲げる。
ハム助は憤るにゃん太におろおろし、ケン太はにやにやする。
「鶴美さんもどちらに非があるかわかっていた。他の職人たちもみい子さんが悪いのではないと知っているでしょうと言っていたそうよ」
しかし、もめ事が起きてしまえば、ぎくしゃくして働きにくいと訴えが続出した。
被害者であっても、なんらかの非があるからこそ、もめ事が起きたと考える者は少なくない。
被害者の方にもなにかあったから、そうされるのだ。そうされるだけの原因があるのだ。そうでなければ、悪くない人間が被害をこうむることになる。ということは、自分もいつ何時そうなるか分からない。それでは困る。自分は安全だと思いたいから、「そうされるだけの原因」を探そうとする。
「えぇー! そんなのあり?」
「そういう群集心理というのはままあるのよ」
にゃん太を諭すようにたま絵が言う。
「たま絵姉ちゃん、大人だなあ」
「素晴らしい考察ですね」
ケン太とハム助が二度三度頷く。
決定打としては、先輩職人に続いて、他の職人も辞めると言い出したのだ。熟練工は工房の宝であり要でもある。雇用主が権力を持っているとはいえ、彼女らがいなくては立ち行かない。
それで、みい子の方が退職へ追い込まれた。
「それで同じ猫族の姉ちゃんに相談に来たのかあ」
たま絵はあちこちで頼りにされている。弟には厳しいが情に厚いと評判なのだ。
「機織り機は辞める際に鶴美さんからそれまでの功績の労いとして貰い受けたそうよ」
「うひゃあ」
ケン太が素っ頓狂な声を上げる。機織り機は非常に高価な機械だ。譲渡されるなどすごいことだが、それだけ申し訳ないという心情の表れなのだろう。鶴美としても、苦しい心境だったのだ。
苦境を渡ってきたハム助からしてみれば、上手いやり方だと思う。人に恨まれればどこでどんな風に返って来るか分からない。多くの職人を雇う大きな工房で使い古しの機械を与えるくらいはそう痛手ではないだろう。それを渡すことによって、厄介ごとが収まり、恨まれずに済むのであれば安いものだ。周囲へも十分にしてやったと示してみせることができる。経営者として辣腕の持ち主なのだと知れる。
同じ工房主として、にゃん太とは違うタイプだ。それでも、ハム助はにゃん太が大成しないとは思わない。足りない部分は確かにあるけれど、それを補う者たちが集まっている。冷静であるたま絵ですら、冷徹になりきれないこともあろうが、彼らは多くの厄介ごとを抱えても、それでも軽やかに自分たちの目指す先、道を進んでいくのではないか。
短い間過ごしただけでも、ハム助はそんな風な考えに至った。
「みい子さん、できれば独立したいと言っていたわ。彼女の作品を好む客筋は掴んでいるそうなの」
しかし、独立には資金がかかる。
「まずは場所だなあ」
「後はティーア市に税金を納めないといけないしな」
「だからね、うちの工房に機織り機を置いて商品を作って、それににゃん太が錬金術で付加価値をつけたらどうかなって思ったの」
「なるほどね」
単に工房の職員が増えただけだとすれば、新たに織物の商売を始める税金を支払わなくても良いし、場所の問題も解決する。
「だったら、そうしよう」
にゃん太はいちもにもなく賛同する。
「ちょっと待てよ。にゃん太、織物関係の錬金術を使うことができるのか?」
「それは、その、」
ケン太に言われて、にゃん太はむにゃにゃと口ごもる。
「あ、あの、新しい糸紡ぎ機、あれは確か、せっかく錬金術工房に置くのだからと、錬金術の素材から採れる特殊な綿にも対応していると聞きました」
羊彦に糸紡ぎ機のことを詳細に聞いていたハム助だ。たま絵は汎用品で良いとは言ったが、羊彦は腕をふるってくれたのだ。
「なおさら、ちょどよいじゃないか」
「たま絵姉ちゃんもそれを見込んで羊彦さんに回し車の糸紡ぎ機を注文しておいたんだな」
用意周到にお膳立てしたのだとケン太が言う。
「さすがは姉ちゃん」
「じゃあ、みい子さんはうちに来てもらうので良いわね?」
「もちろん」
機織り機の運び入れにはカン七が応援に駆け付けた。筋肉を駆使して機織り機を乗せた荷車をぐいぐい牽いた。
さて、にゃん太もケン太も気が付かなかったが、大容量かばんに納めれば軽々と運ぶことができた。しかし、そのとんでもない性能を秘匿するという意味では、気づかなくて正解だった。
カン七にハム助を紹介し、羊彦や熊五郎と新たに取引きをすることになったと言えば、興味津々であった。
「ハチミツかあ。美容成分が期待できそうね」
今日の荷運びの礼として、熊五郎を近々紹介することになった。
「お世話になります。猫族のみい子です」
みい子はサバトラ白の毛並みで、奇しくもこれで工房には鼻先から胸、腹にかけて白い毛並みの猫族が揃った。にゃん太は自分とはまた違った風に入った縞をうっとりと眺める。
「いらっしゃい。歓迎するわ。工房主のにゃん太、畑担当のケン太と、ハム助さんは見た通りハムスター族なの。細かい作業が得意で、みい子さんが機織りに使う糸を紡いでもらう予定よ」
さっそく、新しく作ってもらった糸紡ぎ機を見せる。
「錬金術の特別な素材の糸も紡ぐことができるそうなの」
「わあ、どんな織物ができるかしら!」
辛い目に遭ったというみい子は少し頬がこけていたものの、これから新しい生活に足を踏み出そうとする意欲に目を輝かせていた。
「ほら、にゃん太、なにかないの?」
たま絵に突かれて……というには力強すぎるねこパンチを受けて、にゃん太はつんのめるように前へ押し出される。
「え、そ、その、あ、そうだ、うちにはまだ仲間がいて。ええと、見てもらった方が早いかな」
にゃん太はみい子を畑へ案内した。
「広いんですね」
「うん。あ、敬語を使わなくても良いよ。みんな、適当に喋るからさ」
ちなみに、ハム助にも敬語を使わなくても良いと言っているのだが、慣れてしまったのでこちらの方が喋りやすいと言っていた。
「分かったわ。じゃあ、改めて、よろしくね、にゃん太さん」
にゃん太さん。にゃん太さん。
にゃん太はみい子に名前を呼ばれる日が来るとは思わなかった、と何度も反芻した。ふわふわした足どりで、畑に向かう。
「ハーブをいっぱい植えているのね」
「うん。錬金術の他にも、姉ちゃんがクッキーやお茶を作るのに使うんだ」
そして、アルルーンが植えられた一角にみい子を案内する。
「ええと、驚くかもしれないけれど、アルルーンと言って、自分で動く植物なんだ。とても貴重な植物だから、大切に守っているんだ。それだけじゃなくて、俺にいろいろ教えてくれる大切な仲間なんだよ」
ハム助も初めて見るアルルーンに目が飛び出さんばかりに驚いていた。アルルーンたちはハム助のような小さな獣人と接したことがないのか興味津々で、にゃん太の後ろに隠れつつ、ハム助をしきりにうかがっていた。
「アルルーン、また新しい仲間がやって来たよ。みい子さんと言うんだ」
にゃん太の呼びかけに応えて、緑の葉がわさわさと動く。
「本当だわ! 動いた!」
みい子が感激の声を上げる。可愛い声ではあっても、わりに落ち着いた話し方をするのでうるさく聞こえないが、今は興奮気味である。
しかし、序の口である。アルルーンはおそらく、みい子の想像よりも元気いっぱい自由に動く。
「自分で土から出るし、なんなら、たくさんある根っこで立つし、物を持てる」
「ええ? そうなの?」
みい子はその場でしゃがみこみ、首を左右にひねって覗き込む。にゃん太もまた、その傍らにしゃがんで、アルルーンの濃い緑のつやつやした葉をつつく。なんとはなしにしたことではあったが、アルルーンは顕著に反応した。
するりと根っこ二本を土から引き出して、地面につき、ずぼりと身体を引き上げる。
「わあ!」
みい子は感嘆した。
すると、アルルーンは驚いたように、すすす、とにゃん太の影に隠れる。その片後ろ足にしがみつきつつ、そっとみい子を気にする風を見せた。
「ああ、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら」
「大丈夫だよ。なあ」
にゃん太がアルルーンを撫でるように叩くと、わっさと緑の葉を上下させる。
「まあ、本当ににゃん太さんの言葉が分かるのね」
「うん。元はじいちゃんが育てていたんだけれど、文字も読めるよ」
なんなら、にゃん太にレシピ帳を示して有益なアドバイスすらくれる。
「じいちゃんとアルルーンたちが俺のお師匠さんなんだ」
みい子は植物が師なんておかしいなどとからかったり笑ったりせず、にこやかににゃん太の話を聞いた。
「アルルーン、みい子さんはな、ハム助さんが紡いだ糸で布を織るんだ。ほら、この前、紹介しただろう? ハムスター族の小さな獣人だ。糸が採れる素材があったら、教えてくれな」
にゃん太が言うと、アルルーンたちはわっさと緑の葉を揺らして請け負った。
「仲が良いのね」
みい子は羨ましそうな顔をした。にゃん太はみい子が前の職場でひどい目に遭ったことを思い出したが、気の利いたことを言えはしなかった。
まずは、ふつうの綿花から糸を紡ぎ、それを機織りしてみようとなった。
綿は前足で捩じっても糸を作れる。しかし、丈夫で長いものを作るには専用の機械や技術が必要となる。撚りが戻ったり切れたりする。
綿から種を取り去る。フックに綿から捩じって引き出した糸の端を引っかける。綿と糸の境目を押さえに挟みこみ、車を回す。この押さえの部分がきついと糸は途切れてしまう。綿だけでなく、他の素材にも使えるように、押さえの強さを調節することができるようになっている。
「ハム助さん、車を回すのは使われる素材によって調節しないといけないわ」
「それはやりながら微調整していくしかありませんね。腕が鳴ります」
ふだんから細かい作業でも活躍しているが、得意の車回しをすることで糸紡ぎができるとあって頼もしい答えが返って来る。
みい子も自分がやりたい仕事、機織りができるとあって嬉しかった。鶴美に機織り機をもらったものの、置き場所や騒音、納税、糸の仕入れという諸々の事柄があって、お金を貯めるまではなにか別の仕事に就く覚悟もしていた。
頼りになる同じ猫族で、同年代のたま絵を頼って良かった、としみじみと感じる。
しかし、工房ではすべてが上手く回っているのでもなかった。
にゃん太だ。
みい子に気を取られるあまり、アルルーンの栄養剤の調合がちょっとくるってしまったのだ。しかも、そのことに気づいたのは事が起きてからだった。
ハム助が畑で、栄養剤に酔っぱらったアルルーンに追いかけまわされたのだ。にゃん太とケン太はあわてて止めようとして、てんやわんやだった。
酔いがさめたアルルーンはおとなしく土に収まった。
にゃん太は当然、ケン太に怒られる。
「ハム助さんになのもなかったから良かったけれどさ。嫌がって出て行ったらどうするんだよ」
「だ、大丈夫です。命の危険は感じませんでしたから。これしき、大したことはありませんよ」
可愛い見た目に反して、腹が据わっている。
にゃん太はお詫びにハム助が好きな木の実を作ることにした。
以前、熊五郎から仕入れたハチミツで固めた木の実のクッキーを、ハム助がぽりぽりぽりぽりぽりぽり食べては目を細めて固まる、を繰り返していた。よほど気に入ったのだろう。木の実の殻を割る作業をせっせとがんばってくれている。にゃん太やケン太は殻だけでなく中の実も割ってしまって、たま絵に取り上げられてしまったので、重要な戦力である。
せっかくハチミツを仕入れたのだから、店にも置こうとたま絵が言い出す。
「これに特別感をプラスしましょう」
「どんな?」
「それを考えるのがあんたの仕事よ」
なんと、たま絵はそこから丸投げしてきた。姉ちゃんという生き物はそういうところがある。にゃん太はそう思う。
「うな~ん」
にゃん太は思わずうなったものだ。
そんなことがあったから、ハム助へのお詫びと言えば、美味しい木の実をごちそうすることが一番だと思った。
畑に植えられていた低木から採れる木の実でそのままでもおいしい。味にバリエーションを出そうと、塩、シナモンパウダー、粉砂糖をまぶしてみた。熊五郎のハチミツで複数種の木の実を固めてみもした。
「ぜいたくだな」
砂糖は高価なもので、シナモンパウダーと合わせて外国から交易で持ち込まれるものだ。
ハム助だけでなく、ケン太もぽりぽりやっている。たま絵やみい子も呼んでみなで食べたところ、こういう木の実は癖になるといって、しばらく、無言でぽりぽり齧った。ハム助など、複数の木の実のハチミツ固めを両前足に持って、頬袋を大きく膨らませながら無心に齧っていた。
「店に置きましょう」
たま絵のお眼鏡にかなった。味は今、食べたものの他、唐辛子を乾燥させて粉末にしたものをまぶしてみることにした。
「わたし、殻を割ります」
「じゃあ、わたしは唐辛子を買ってきて乾燥させますね」
新入社員のハム助とみい子が張り切る。
「日持ちするから、冒険者にも売れそうだな」
「ああ、良いな。かさばらないし」
「価格設定は高いけれど、その分美味しいし栄養満点ですものね」
にゃん太は冒険者と言えばと思いついて、羊彦の工房に持って行き、フェレ人に託けてもらうことにした。同じ弟であるということの他に、自分とは違って苦労してきたのだというので、なんだか気にかかるので、ふとした拍子に思い出しやすいのだ。
羊彦も味見し、フェレ人も喜ぶだろうと相好を崩す。
「これはお父さんにも渡しました?」
一時はざっくばらんな言葉遣いになっていたものの、丁寧なものに戻っている。
「え? ううん、渡していないよ」
「あげたら喜ぶんじゃないでしょうか」
ケン太がさんざん「父、にゃん太を溺愛する」エピソードを話したからか、羊彦はそんな風に言う。
にゃん太はそれもそうかと軽く考え、工房に取って返すとフレーバー木の実と、その他、回復薬と解毒薬も持って実家に行き、両親に渡した。
「父ちゃん、すごい冒険者なんだって? じゃあ、依頼も難しいのを受けるだろうからさ、回復薬や解毒薬はたくさんいるだろう?」
にゃん太が作った薬を胸に抱き、父にい也は目を潤ませた。
「にゃ、にゃん太~、なんて良い子なんだ! うちの子、天使! そうだ、お小遣いをやろうな。え、いらない? 夕食を食べて行けよ。え、たま絵が作って待っているから、良い?」
ちょっとしつこかったけれど、まあ、羊彦の言を受け入れて良かったと言えよう。久々に会ったものだから、にい也のテンションはいつもより高かった。———いや、いつも通りか?
後日、にゃん太が作った薬はもっていなくて使えないという父に代わって母が使っていた。最愛の妻の暴挙に、それでも怒ることはできず消沈したと聞いたにゃん太は、ふたたび調合してやることになった。
いつもの通り、なんてことのない日々だ。家族や友だちに囲まれる愛情いっぱいの、特別ではない毎日だ。