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偶然苗字が一緒の勅使河原くんと勅使河原さんは校内でおしどり夫婦と揶揄われている

作者: 墨江夢

 とある土曜日。

 俺・勅使河原宗輔(てしがわらそうすけ)は、インフルエンザの予防接種を受けるべく近所のクリニックに来ていた。


「はい、じゃあ少しチクッとしますけど、泣かないで下さいね〜」


 この女医は、一体俺を何歳児だと思っているんだ? 高校生にもなって、注射程度で泣くわけないだろう?


 予防接種は滞りなく終わり(意外と痛くて顔をしかめてしまったことは、俺と女医だけの秘密だ)、俺は診療室を出る。

 注射した箇所に貼られた、子供用のバンドエイド。そこに描かれた某有名キャラクターのイラストを見る度に、「子供の頃はこんなので喜んでいたんだよなぁ」と童心を思い出し、感慨深くなるのだった。


 診療室を出て、待合室に向かうと……俺は赤ちゃんを抱っこした少女と出会した。


「あっ、友里(ゆうり)

「あら、宗輔くん」


 少女の名前は友里。そして友里の抱っこしている赤ちゃんは、光莉(ひかり)といった。


「宗輔くんは、どうしてクリニックに?」

「インフルの注射を打ちに来た。試験当日に熱出して休みとか、勘弁して欲しいからな。……そういう友里は?」

「私は光莉を連れて来たの。この子、朝から少し調子悪いみたいで。酷くならないうちに、先生に診てもらおうかなーって」

 

 勘違いして欲しくないのだが、俺と友里は別に好きで下の名前で呼び合っているわけじゃない。そうしなければならないから、泣く泣くそうしているだけだ。というのも――


「勅使河原さーん! 勅使河原光莉さーん!」


 女医が診療室から顔だけ出して、次の患者の名前を呼ぶ。

 そう。友里と光莉の苗字も、勅使河原というのだ。


 名前を呼ばれた友里は(正しくは呼ばれたのは光莉だが、赤ちゃんである彼女に返事は出来ない)、「はーい!」と女医に返す。


 友里と光莉、そして二人と一緒にいる俺を見た女医は……何やら納得したような表情をしてみせた。


「確かあなたも勅使河原。……あらあら、そういうことだったの」


 いや、どういうことだよ? あんた絶対勘違いしてるだろ?


「光莉ちゃん、入って下さい。良かったら、お父さんも一緒にどうぞ」

『いや、お父さんじゃないから。赤の他人だから』


 やっぱり、盛大な勘違いをしていたじゃないか。


 俺の苗字は勅使河原。友里・光莉姉妹の苗字も勅使河原。一見仲睦まじい核家族に見えるけど……実の所血の繋がりなんて一切ない、赤の他人だった。





 勅使河原という苗字は、珍しい。少なくとも俺は自分と家族以外に、勅使河原という苗字の人間と会ったことがない。


 校内珍しい苗字ランキング第1位、勅使河原。校内書くのが面倒臭い苗字ランキング第1位、勅使河原。校内偏屈な男子ランキングぶっち切りの第1位、勅使河原。……最後のは苗字関係なくね?


 とにかく勅使河原というのは、佐藤や田中や山田や高橋と比べたら圧倒的に人数の少ない苗字であって。

 だから隣に自分たち以外の勅使河原家が引っ越してきた時は、こんな偶然あるのかと本当に驚いた。


 マンションの307号室が、俺の済む勅使河原家。隣の308号室が、友里と光莉の住む勅使河原家。

 

「いってきます」と言って自宅を出た後で、俺が大きく伸びをしていると、背後から「おはよ」と声をかけられた。


「友里か。おはよーっす。ふあーあ」

「何よ、盛大にあくびなんかしちゃって。どうしたらそんなだらしない顔になるっていうのよ?」

「俺の父さんと母さんのDNAが奇跡のコラボレーションを果たした結果だよ。文句なら、俺の両親に言ってくれ」


 登校時仲の良い同級生と会ったなら、一緒に学校へ向かうものだ。友里と会ったのが家を出てすぐだっただけで、その通例に変わりはない。

 俺と友里は二人揃ってエレベーターに乗り、二人並んでマンションの外に出た。

 

 俺と友里が外に出ると、偶然同じ高校に通う女子生徒二人も出会した。

 リボンの色を見るに、恐らくあれは一年生。俺と友里に血の繋がりがないことは有名だから、当然彼女たちもその事実を知っている。

 だけど自宅が隣同士であることまでは知らないから、同じマンションから二人仲良く(?)出てきた俺たちを見て、邪推をするわけだ。


「ねぇ。あれって、勅使河原先輩と勅使河原先輩だよね? ていうか今、同じマンションから出て来なかった?」

「先輩たちに血の繋がりはないって言ってたし……ということは、やっぱり二人は付き合ってるってこと?」

「付き合っている二人が同じ部屋から出てきた……つまり先輩たちの関係は、もうそこまで進んでるってことだよね?」


『きゃーっ!』と、何を想像したのか興奮する二人の女子生徒。


 ちょっと待て。同じマンションから出て来たのは確かだが、同じ部屋から出てきた事実はない。当然一つ屋根の下で夜を明かしたという事実もない。


 恐らく彼女たちは教室に着くなり、今見た光景を級友たちに話すのだろう。そして広がるあらぬ誤解。

 あぁ。またも「おしどり夫婦」と、一年生たちから影で噂されるんだろうなぁ。





 俺と友里に対する揶揄いは、教室に着いても続いている。

 後輩たちとは異なり、クラスメイトたちは俺たちの関係を熟知した上であれこれ言ってくれるわけだから、尚タチが悪い。


「夫婦揃って登校とは、朝からお熱いね! ヒューヒュー!」


 などと言われても、今更否定する気にはなれなかった。


 8時45分の始業のチャイムと共に、ホームルームが始まる。

 担任は来たる定期試験の時間割など特記事項について軽く説明してから、最後に学級日誌を見て今日の日直が誰なのか確認した。


「今日の日直は……勅使河原と勅使河原か」


 相変わらずどっちがどっちを指しているのかわからないが、俺と友里が日直であることは伝わったので良しとしよう。


「それじゃあ、ダブル勅使河原。昨日出した英語の課題を集めて、職員室に持ってきてくれ。夫婦共同作業で頼むぞ?」

「先生、それ勅使河ハラっすよ」


 勅使河ハラとは、我が校のみで使われている俗語だ。俺と友里が夫婦だの何だのと揶揄われた時、それを糾弾する為に使う。

 教師にまで勅使河原いじりが普及しているのだから、まったく恐ろしいものだ。


 担任に指示された通り、友里と協力して英語の課題を職員室に運んでいると、道中である女子生徒が声をかけてきた。


「あのっ、勅使河原先輩!」

『どっちの勅使河原先輩?』

「あっ、えーと……男性の方です」

「だってよ、友里。呼ばれてるぞ」

「誰が男だって? もぎ取るわよ?」


 もぎ取るって、何を!? 恐ろしいこと言うんじゃねーよ!


「あの子、宗輔に用があるみたいよ。課題は私が運んでおくから、話を聞いてあげなさい」

「悪いな」

「そう思っているのなら、今度買い物の荷物持ちをすること。それで手を打つわ」


 今週末は、雪が降るかもしれないって天気予報で言っていたからな。前日に買い物に付き合わされて、とんでもない量の食料品を買い込むつもりなのだろう。

 お隣さんのよしみだ。それくらい付き合ってやるか。


 友里と別れた後、俺は女子生徒の方に向き直った。


「それで、何の用なんだ? 話が長くなるなら、昼休みにでも時間を設けるけど?」

「いえ。話自体は、すぐに終わるというか。……勅使河原先輩、私とデートして下さい!」


 デートって……。廊下でのまさかのデートのお誘いに、流石の俺もたじろぐ。

 周囲には、多少なりとも生徒たちがいるわけで。案の定、「浮気だ。不倫だ」という声が耳に入ってきた。


「デート? どうして俺と?」

「それは、その……先輩のことが好きだからに決まってるじゃないですか」


 パシャパシャパシャ。周りのパパラッチ改め生徒たちが、証拠写真をスマホで撮影しまくる。これで明日の校内新聞の一面を独占出来るな。


「その気持ちはありがたいし、本当に嬉しいんだけど、でも……」

「わかっています。先輩が友里先輩と良い感じだっていうことは。昨日も一緒のベッドで夜を明かしたとか」


 うん、全然わかってないね。ていうかいつの間にか一緒のマンションという事実が一緒の部屋という噂に変わって、更に尾鰭が付いて一緒のベッドというゲスの勘ぐりにまで変わっているし。


「でも本当は、先輩たちは付き合っていないんでしょう? だったら、私と付き合って下さい」

「いや、そう言われても。俺の答えは変わらな……」


 申し出を断ろうとする俺に、女子生徒は待ったをかける。


「今すぐ返事をして欲しいわけじゃありません。せめて、デートをして下さい。デートをした上で、それでも私と本当に付き合えないか判断して欲しいです」


 この女子生徒は、フラれるとわかっていた。失恋を承知で、俺に告白してきた。それって……すごい勇気がいることだよな。

 そんな彼女の真っ直ぐな気持ちに対して、俺は真摯に向き合う義務がある。


「わかった。付き合う云々は別にして、一度デートをしよう」

「ありがとうございます! ……今週末なんてどうですか? 時間と場所については、追って連絡します!」

「あぁ、そうしてくれ」


 週末の予定は……あぁ。友里の買い物に付き合うくらいか。

 だけど事情を説明すれば、友里もわかってくれるだろう。


 その日の夜、俺は友里に「週末デートをすることになったから、買い物に付き合えない」というメッセージを送った。

 返信はすぐにきた。「わかった」と、淡白に一言だけ。





「勅使河原先輩、おはようございます!」


 週末。俺は約束通り、女子生徒とのデートに赴いた。


「誘ったのは私ですから」ということで、デートプランは全て女子生徒が立ててくれていた。

 俺自身デートなんてしたことがないから、正直助かった。下手なエスコートをして恥をかかずに済む。


 女子生徒に連れられて最初にやって来たのは、映画館。だけど俺の好みがわからなかったので、観る作品までは決めていなかったらしい。


「先輩は、いつもどんなものを観るんですか? アクション、サスペンス、それともまさかのアニメ作品?」

「そうだなぁ……光莉がいるからあまり過激な映画は観れないし。大体が邦画のコメディーだな」

「……光莉って?」


 あっ、そうか。彼女は光莉のことを知らないのか。


「友里の妹だ。あいつが映画に集中したい時は誰かが光莉の面倒を見なくちゃいけないから、よく付き合わされるんだよ」

「へぇ……。そう……なんですか」


 映画を見終わった後は、オシャレなイタリアンでランチを食べる。


「このピザって、辛くないよな?」

「辛くないですよ。もしかして先輩、辛いの苦手なんですか?」

「俺じゃなくて、友里が苦手なんだ。あいつ毎回人が食っているものに目をつけて、「一口くれ」ってせがんでくるんだよ。お陰で辛いメニューを頼まないっていうのが癖になっちまってる」

「……また、友里先輩ですか」


 そう呟くと、女子生徒は大きく溜息を吐いた。


「ん? どうかしたのか?」

「どうかしたのかって……やっぱり無意識でしたか。先輩、さっきから友里先輩の話しかしていませんよ?」


 ……何だって? 

 俺はいつも通りの思考でいつも通りの行動を起こしているだけだから、決して友里を意識しているわけじゃない。


「映画は友里先輩と妹さんを気遣ったものを選んで、ランチのメニューも友里先輩に一口あげることを前提で注文している。ここには友里先輩はいないのに」

「それは……」


 指摘されて、確かにそうだと今更ながら納得した。

 俺にとって友里がいる日常は当たり前で。だから女子生徒とデートをしている今でさえも、友里のことを一番に考えてしまっている。


「一つお聞きしたいんですけど、先輩の理想の家族像って、どういうのですか?」

「理想の家族像? そうだなぁ……言い争いは絶えないけど互いに尊重し合っている奥さんと、可愛い愛娘と三人で暮らしている。家は大きくなくて良い。ある程度狭い方が、家族の時間を大切に出来るから」

「幸せそうな家庭ですね。でもそれ……友里先輩たちと家族だと誤解されている今と、何ら変わらないんじゃないですか?」


 ……いいや。きっと、それは逆だ。

 理想の家族像が今の友里たちとの関係性なのではなく、今の友里たちとの関係性こそ俺の理想の家族像なのだ。

 そう思えるくらいに、俺は友里と光莉との日常を楽しんでいる。


 今だって、そう。

 デート中にもかかわらず、事あるごとに友里と光莉は何をしているかなーって考えてしまっている。

 俺の予想通りなら、多分友里は今頃――


「……そういや、明日は雪が降るかもしれないんだよな」

「みたいですね。お買い物なんかも、今日のうちに済ませておかないと」

「一人で家族全員の分の食料品を買い込むのって、結構重労働だよな」

「ですね。だから……すぐにでも友里先輩のところへ行ってあげないと」


「……悪いな」。俺が謝罪すると、女子生徒は首を横に振った。


「謝らないでください。謝られると……惨めになるだけなんで」

「そうか。なら……ありがとう」


 俺は女子生徒にお礼を言うと、その場から駆け出した。


 友里のよく行くスーパーなら、把握している。

 俺がスーパーに到着すると、友里は丁度買い物を終え、店内から出てきたところだった。

 両手いっぱいに買い物袋を提げている。加えて光莉をおんぶしているわけだから、大変そうだ。

 俺はそんな彼女から、半ば強引に買い物袋を奪い取った。


「宗輔……どうしてここに? 今日はデートの筈じゃないの?」

「今さっきまでデートをしていたんだけどな。これ以上浮気するのは心が痛んだから、急遽中止してきたんだ」

「浮気って……私たちは同じ苗字だけど、赤の他人。恋人同士でもなければ、ましてや夫婦でもないでしょうに」

「そうだな。恋人同士でもなければ、夫婦でもない。だけどーー隣にいるのが当たり前で、とても大切な存在だ」


 大切な存在と言われて、友里は目を見開いて驚く。


「何? 宗輔って、実は私のこと好きなの?」

「うーん、どうだろうな? 正直わからん」

「わからないって……」

「恋心なんて明確な定義や計算式があるわけじゃないし、簡単に証明出来ないだろう? だけど……お前以外の女と付き合って、家庭を持つ光景が、不思議と想像出来ないんだよなぁ」

「何それ? バカじゃないの?」


 口では悪態を吐きつつも、友里の口元は綻んでいて。どれだけお前と一緒にいると思っているんだ? 隠したって、照れているのが丸わかりだ。


「だけど宗輔と結婚するメリットって、何かしら? 苗字が変わらずに済むとか?」

「おい。真っ先に浮かんだのがそれかよ?」

「慣れ親しんだ苗字が変わらずに済むなんて、結構大事なことだと思うけど? だから……宗輔と付き合うって話、前向きに考えといてあげる」


 そうして歩く俺たち三人の姿は、成る程、確かに親子に見えるかもしれない。

 そんな勘違いも……今だけは、存外悪くなかった。

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