第四十五話
鉄すらも食い破りそうなほどに凶暴な巨大鮫が、悪魔の触手のような巨大烏賊の足によって絡めとられる。
その強靭な足ごと巨大烏賊が太刀魚の群れによって膾切りにされていく。
それによって解放された巨大鮫が鉄のように硬いはずの太刀魚の群れを噛み砕いていく。
そんな地獄の様な生存競争が行われている海を尻目に、その上空を俺達を乗せた飛空船は進んでいく…………いや改めて恐ろしい海だな。海路で進んで無事で済む気がしない。
「逆に言えばカジキ君達ワダツミの民は危険はあってもこの海を船で渡れるわけだネ」
…………ワダツミすごい……すごくない?
「こういう危険な海域が近くにあるからこそ築かれた操船技術もあるんだろう。興味深いヨ」
「てっきり爺さんは先史文明しか興味ないかと思ってたぜ」
「いやいやそんなことはないサ。もちろん一番興味を抱いているのは先史文明だけど、僕は歴史を始めとした人が築き上げたモノ全般に興味を持っているヨ」
「歴史のぅ……正直ワシらがやってきた伝統とかならともかく先史文明とか見た事もないモンには興味は持てんのじゃが……」
「いやいや、ワダツミの民たちの伝統も先史文明も極端に言えばその大本は同じものだヨ。人々が何を求め、どう行動し、どれほど成否を乗り越え、どう歩んできたのか……その軌跡は知識となり、刺激となり、ゆとりとなり、娯楽になる。それこそが歴史であり文化であると私は思うヨ」
歴史や文化が娯楽とは、聞く人が聞けば憤慨しそうな言葉だな。
「ハハハ、でも言い方は違えど、伝承や歴史はただそれだけで過去から紡がれた財産なのは間違いないのサ。たとえそれがどれだけ忘れ去りたいモノだろうとネ」
「忘れ去りたい過去、のぅ……ほんまに忘れたいんなら伝わっとらんじゃろ」
それはそう。とはいえ忘れ去りたくてもそれを隠し通せる立場にないと他から伝わってしまうから完全に忘れるのは難しい…………うん?
「どうしたんだ?」
いや、自分で言ってて何か引っかかりを感じたような……? まあ大した事じゃないだろう。
「まあ、そういうわけで、君達の崇める海神についても個人的な興味を持っていてネ。詳しく教えてもらえると嬉しいナ」
「詳しい事のぅ……正直、詳しいことはワシらにも伝わっておらん。姿形も見た事はない」
「見た事はないのか」
「そりゃ普通はないでしょ」
「じゃが確かなんは、ワシらの崇める海神が鯨龍たちを僕として従えてこの海全てを支配しとる龍神っちゅう事と、その名がリヴァイアサンってことだけじゃ」
海龍神リヴァイアサン……やはり龍神か。エルロンがいる所に龍神伝説があると言う事は、奴らの狙いは龍なのか……?
「もしくは神樹様の時と同様に龍神に封じられている何かがあるのか……」
確かに。世界樹に封じられていた罪禍の塔の例を考えると、先史文明時代の施設が封じられていてそれを目当てに来ている可能性も十分にある。もし世界樹と同じように龍神が先史文明の遺跡を封じているのだとしたらおそらく穢れの瘴気が関係しているだろうし、それで龍神を汚染して手駒にしようと考えているとかだったら……あー、考えたくもないな。
「軽く話は聞いたが、エルロンっちゅう奴は碌なヤツじゃなさそうじゃのぅ……っと、そろそろ見えてきたぞ」
カジキが指さす方向を見るが、空が広がるばかりで特に何も見えない。いや、凝視してみればはるか先に何かが空中に浮かんでいるようにも見える。
それでもはっきりと視認できないので『遠視』の魔法を使って確認すると、驚くべきものが視界に飛び込んできた。
それは空中に浮かぶ巨大な水の球であった。
海水が海面から渦を巻きながら空へと立ち上り、宙に浮かぶ水の玉へ吸い込まれていくその光景はまるで水流の柱のようにも見え、その柱に水が巻き上げられたことによってすぐ近くに巨大な渦が発生していた。
明らかに自然には起こりえない現象を目の当たりにした俺達はSANチェック……もとい驚きを隠せなかった。
「なんだアレ……!?」
「あれが『水天宮』じゃ。ワシらも遠目からしか見た事はないが、四つの水玉が天に昇り、その中央に位置するデカい渦ン中に海神は住まうとされとる」
「え? 四つ……?」
ちょっと待て。空中にその水の塊は一つしか見当たらないが……?
「なんじゃと……!?」
カジキの言葉と現状は異なり、四つあるはずだという水玉とやらは一つしか見当たらない。
この情報の齟齬に戸惑っていると、その水の球体が瞬く間にその形を歪め始めた。
空に向かって吸い上げられていたようにも見えた水流はいつの間にか重力に従うように海へと流れていく。その水の流れを目で追っていると、空の水球が崩れるのと連動するように『海神の住処』だとカジキの言っていた巨大な渦も徐々に弱まっていく。
そしてついにその巨大な渦は治まったかと思えば、今度は海面がどんどんと盛り上がり、そして────そこから巨大なものが浮上してきた。
海中から現れたのは、先ほどの水玉よりもさらに巨大な球体だ。
しかしそれは先程まで浮かんでいた水の塊ではなく、金属でできたより巨大な球体だった。
側面に一か所、円形の凹みというか窪みのような物がある事から巨大な眼球のようにも見えるそれは、明らかに自然にできた物ではなく、人工的に作り上げられた施設、というか兵器なのだろう。いやあの規模はもはや兵器という括りで納まらない。何だったら空中要塞といってもいいのではないだろうか。
「な、なんじゃありゃあ!?」
「先史文明の遺産!? いやむしろあれ自体が遺跡とも言うべき規模だ!! 調査したくてうずうずするよネ!! うっひょー!!」
「凄まじい技術が用いられているのがこんなに遠くからでも察せられる! ああ、もっと近くで詳しく見てみたい!! ひゃっほー!!」
「喜んでいる場合か!!」
どう考えても先史文明関係の遺産が、この辺りで目撃されたエルロン一派と関係ないとは考えにくい。おそらくアレこそがエルロン一派がこの辺りにいた目的なのだろう。
あれがあの場から移動できるのかどうかはわからないが、宙に浮いてどこかに固定されているわけでもない以上動かすことはできると考えていた方がいいだろう。あれがどれだけの火力を持っているかはわからないが、どこでも移動できるとなれば空中戦力がほぼゼロな今の文明の技術力だと太刀打ちなんてできそうにない。
「つまりアレが俺達が何とかしないといけないものって事か……!」
その通りだが……と、アルの言葉を肯定しつつも問題点を上げようとした時だった。
「────■■■■■■■■■■■ッ!!」
「……ッ!? なんだ今の……!?」
「今のは、声……!?」
「下じゃ!!」
突如として辺りに響いた轟音に驚き、音の出所であろう海面に目を向けると、一頭の鯨龍が雄叫びを上げていた。
その声に応じるかのように、海中に夥しい数の鯨龍がどこからともなく集まっていく。
そして何をするかと思えば、なんとその鯨龍の一頭の鰭や尾に他の鯨龍が噛み付き始めた。
「なっ……!?」
「共食い……!? 何故このタイミングで!?」
「いや、これは……!?」
鯨龍が別の鯨龍の尾に噛み付き、さらに別の鯨龍が噛み付いて、その爪が備わった胸鰭で別の鯨龍を掴み合い、それらを繰り返していき…………気付けば鯨龍よりも巨大な存在へと変貌していた。
海蛇を想起させるような巨大な龍が、かつてエルフの森での汚染された龍で感じたモノと同じような威圧感を放ちながら、鎌首をもたげて海面からその長い巨体を現していた。
……いや、そうはならんやろ。
「なっとるじゃろがい!!」
いやだって、合体するしてもなるのはより巨大な鯨とかじゃないのか? 全く違うモチーフ生物になるのはおかしくないか?
「でも実際なっているし」
「は……はは、きっとあれこそがワシらワダツミに伝わる海龍神リヴァイアサンじゃ!!」
無数の神使が合体して神になるとか、予想外にも程があるんですけど……とはいえこれ、怪獣大決戦というか……ちょっとオラわくわくすっぞ!
「ワクワクしてる場合じゃないでしょ!」
そうだった。そもそもあの海龍、空中要塞の方は確実に敵認定だろうが俺達の味方って決まったわけじゃないのがちょっと怖い……
「────■■■■■■■■■■■■!!」
「……ッ!? 衝撃に備えてください!!」
最初に動いたのは海龍だった。
海龍の口内に何かエネルギーが集まっていくのが見える。水のような透き通った色に見えるソレに混じって、かつてドラゴンゾンビが放ってきた破壊の波動を彷彿とさせる黒い光が入り混じる。
そして集束されたエネルギーは海龍の口内からビーム、あるいはブレスとして解放され、空中要塞へと一直線に向かっていき、炸裂した。
「う、うおぁああああっ!?」
「おち、墜ちる!?」
「この程度の衝撃でボクの船が墜ちるわけないだろう! ……とはいえ危ういのは事実か」
「じゃ、じゃがこれであの鉄の目玉も……!!」
その余波だけでまだ距離のある俺達の乗る飛空船すらもその態勢が大きく崩れる程の衝撃を有しており、仮にあの一撃が城塞などに向けられたら跡形もなく吹き飛ばされる事は容易に想像できる。
だが、あの空中要塞は未だに健在であった。
「なっ!? 何じゃあの光っとる壁は!?」
あの海龍の一撃が当たる一瞬、空中要塞との間に光の障壁のが展開された。おそらく防御機構が働いたのだろう。今なお続く海龍のブレスはその光の障壁によって阻まれ続けている。
とはいえ要塞も無傷というわけではない。障壁の内側で守られているはずのその表面には防ぎきれない余波によって破壊されただろう箇所がいくつも見受けられ、所々から煙が上がっている。もしかしたら障壁の発生装置に負荷がかかりすぎて壊れていっているのかもしれない。
それを知ってか知らずか、海龍はそのままブレスを放ち続けている。このまま続けていればいずれ障壁を打ち破って空中要塞に致命的なダメージを与えることができるだろう。
────その時、空中要塞の瞳の様に見える箇所に、光が灯った。
そして次の瞬間、空中要塞から放たれた一条の光が障壁を摺り抜け、目前まで迫っていた海龍の砲撃を食い破り、そのまま砲撃ごと海龍と海を縦に真っ二つに切り裂いた。
「は……!?」
その砲撃のすさまじい余波による振動が飛空船を襲う中、誰かが放った、その掻き消される程に小さな声が、不思議と俺達の耳に響いた。
「あの龍を、あのブレスごと、一撃で……!?」
「んな、アホな……!?」
砲撃に引き裂かれた海龍の身体が滝の様な血液を流しながら、切り裂かれた海面へと落ちていき、荒れ狂う海へと呑まれていく。
強大な龍神の敗北を。先史文明の遺産の凶悪さを。あるいはそれが敵の手にある事への絶望を。
変えようのない事実として突き付けてくるその光景に、俺達は呆然としながら眺める事しかできなかった。
「────みんな、聞いてくれ!」
────そのアルの声で引き戻されるまでは。
「アレをこのまま野放しにするわけにはいかない。だから俺達は今からアレの内部に侵入して、破壊する!」
「はあっ!?」
「しょ、正気かよ!? 一回引いて何か対策を練ってからの方がいいだろ!?」
……いや、むしろタイミングとしては今しかない。
「えっ!?」
「ふむ、その心は?」
あれだけ高出力の攻撃を連発できるとは思えない。エネルギーのチャージだけでも時間がかかるはずだ。でなければ海龍に先手を取られる事もなかった。
「……一理あるな。チャージもそうだが、砲身部分の放熱するための時間も考えれば、まだ余裕はありそうだ」
さらにあの光の障壁も海龍の攻撃で目に見えて不備が見える。あの障壁がどういうタイミングで出現するのかはわからないが、今ならあれに阻まれる事もない。
今なら龍神の攻撃の影響が相手側に大きく出ていて、何よりあの高出力ビームが放たれる可能性が低い、侵入するためには絶好のチャンスなのだ。
「で、でももしあのビームが連射できるんなら……?」
もしそうなら引いて態勢を整えた所で纏めて消し炭にされるだけだ。今消されるか、後で纏めて消されるかの違いであるなら、まだ可能性のある今に賭ける方がまだマシだ。
「……正直、今まで以上に危険な事だってのはわかってる。でもここで何とかしないと手の打ちようがなくなる。だから、あれを止めるために力を貸してくれ」
「……そうですね。行きましょう」
「こういう場面に遭遇する事は覚悟してたわよ」
「何にせよエルフの聖域を荒らした者へ制裁を加えなければな」
「ワシもじゃ……海神様の仇は討たにゃいかん……!!」
「ボクとしては大義名分関係なくアレに乗り込んで調べたいし」
「遺跡探索としても興味があるしネ」
「そもそもここで素直に引かせてくれるかって心配もあるしね」
というわけで全会一致だな。さっさと終わらせて祝杯でもあげよう。
「みんな、ありがとう……それじゃ、行くぞ!! 目標は、あの巨大浮遊遺跡だ!」
アルの号令に従い、飛空船は空中要塞へと進路を向けるのであった。




