第四十四話
カジキの要望で飛空船に場所を移した後、再びカジキは口を開いた。
「海神様の使徒である鯨龍の遺骸が流れ着くってのはさっき話したが、最近はおかしいくらいによう流れ着くようになってな。今までじゃと一年に一度あれば多い方じゃったんじゃが……さっきので今月に入って三度目じゃ」
「そんなに!?」
今まで年に一度あるかないかだったのが月に三度目とか頻度が増えすぎている。明らかな異常事態だ。
「しかもその流れ着いた三頭の死因も共通しとる。刀傷じゃ」
「刀傷……? 鯨龍って海にいるんだろ? 海の中で刀傷っておかしくないか?」
いや、太刀魚がいる海域であれば刀傷が付く可能性はある。まあ鯨龍を切り裂ける程の腕前を持つ業物太刀魚が生息しているというのが前提にはなるが。
「太刀魚なのに腕前って、表現合ってるのか?」
「そこは一旦置いておこう」
流れ着いた鯨龍やカジキたちから聞いた話から考えるに、皮膚は強度や柔軟性にも優れており、さらにその上に鱗まで生えている以上、生半可な太刀魚ではそれこそ太刀打ちできないだろう。
「ワシも最初の一頭目が流れてきた時は業物の太刀魚にでもやられたんかと思ったが、よう見たら太刀魚による傷とは違った」
「太刀魚の傷と刀傷って違うのか?」
「違う。太刀魚は自力で対象を切断する際、切先が進行方向である頭部になるから基本的に突いて切る形になる。じゃが鯨龍の傷は刀の腹から切り開いたもんじゃった」
「突き切り……切り開……?」
刀剣を使わない組にはあまりピンとこないのかもしれないが、要するに切り方で傷口の形状が変わって、今回は太刀魚の切り方じゃなかったって事だろうな。傷口見てそこまでわかるのかは正直わからんが。
「その通りじゃ。そん時はおかしいと思いながらも疑問を流したが、二頭目の傷を見てまた太刀魚とは違う傷じゃと思うた。一頭目の傷も二頭目の傷も生きた太刀魚の太刀筋とは違う切り方の、じゃが同じような形状の傷じゃった。あの三頭目も含めてのぅ」
「同じような傷、ということは……」
つまり、カジキは特定の人物が故意に鯨龍を殺傷していると考えているわけか。
「おう。今まであくまで推測にすぎんかったが今回の三頭目の傷を見てそれが確信に変わった。鯨龍を切り捨てられる腕を持った下手人がこの海のどっかにおるっちゅうんは間違いない」
「もっと言えば、流れ着いたのが三頭だけでもっと多くの数が殺されている可能性も大いにあるわけだ」
「でも海の中にいる鯨龍を人が切るのって無理じゃないか? それとも泳ぎながら切ったとか?」
「水中で剣を振るえる技能を持った人間か、あるいは海中の鯨龍を海上に引き上げてから切ったとかだろうか?」
「引き上げてって、あの巨体を海から引きずり出すってどうやるのよ」
「水中で剣を振るう技能っていっても、普通に考えるとそんな技能あるか?」
そもそも鯨龍がいる海域で生身の人間が飛び込んで無事で済むのかという問題もある。
「人の手でやったというより別の海洋生物にやられたと考えた方が自然な気がするけどネ」
「じゃが太刀魚以外にあれほど綺麗な切り口で斬撃できる生き物はこの海にはおらん。その上であの傷は太刀魚のモンとは違うと断言できる」
太刀魚以外にできる海洋生物がいたらいたらでそれは新たな脅威になりそうだしな。
とにかく鯨龍の仕留め方が何であれ、カジキとしてはまず鯨龍の死因になっているその元凶を何とかしないといけないと考えているわけか。
「確かに原因を何とかしないとこれからも鯨龍が殺され続けるわけだし正論だよネ」
「とはいえ、原因がわからん事には動きようがない。闇雲に船出そうとしても止められるは目に見えとる。というか止められた」
「実行しようとしたのかよ……」
「かといって海に出ずに調べた所で大した成果はでん。どうしたもんかと悩んでた時じゃった。コヤミが襲撃されたっちゅう話を聞いたんわ」
成程、そこで飛空船が今回の鯨龍の死に関わっていると思ったのか。
「そうじゃ。鯨龍の不審死が続く中で、そこに現れた謎の空飛ぶ船じゃ。間違いなく関係がある。ワシの勘もそう言っとる」
「でもそれ時系列的におかしくないですか? 飛空船がグントー国のコヤミを襲撃してまだ何日も経っていませんし、鯨龍は飛空船が来る前から殺傷されていた事になるんじゃ……?」
「おかしない。単純にその襲撃があったらしい日より前にも空飛ぶ船を見たっちゅう話じゃ」
「なっ……!?」
「それ本当ですか!?」
つまりカジキの話が本当ならば、エルロン一派の飛空船はコヤミを襲撃する前からこの辺りの海域を飛び回っているという事だ。
まだそこが本拠地なのか目的地なのかはわからないが、これはいよいよ奴らに近づいていると言っていいだろう。
「まあ鯨龍を殺した下手人が誰であれ、沖の方で何かがあったのは間違いなさそうね」
「とはいえワシらが『海神の住処』って呼んどる鯨龍のおる海域に行くんは厳しかったんじゃ」
「それは信仰上の理由で?」
信仰の聖地にみだりに足を踏み入れられないというのはエルフの世界樹の例もある。それと同様の理由でワダツミの民も鯨龍の住む場所にいけなかったりするのだろうか。もし同様の理由があるのなら、同じく同様のナニカが存在する可能性も高まるのだが……
「いや、単純に危険なんじゃ。海は荒れ狂い、海中には太刀魚の群れすらものともせん生物がうじゃうじゃおる。いくらワシらが海戦に慣れとる言うても限度がある。遠目に見える所まではいけるじゃろうが、それ以上は無理じゃろうな」
うーん、これ間違いなく『海神の住処』があるのは『魔の海域』の中だな。というか止められなかったら一人でも船でそこまでいくつもりだったのか。
「じゃからこそ、空飛ぶ船の話が出てきて下手人がその空飛ぶ船に乗っとる可能性があるっちゅうんと一緒に、もう一ついいアイディアが下りてきたんじゃ」
「いいアイディア?」
「おう。何とかしてあの空飛ぶ船を奪えれば、村に迷惑かけることなく敵の戦力を削った上で『海神の住処』まで安全に行けるってな!」
「成程。合理的な考えだな」
「確かにナイスアイディアだ」
それなら一石三鳥だな。
「船を奪うって行為自体に肯定的な意見ばっかりなのおかしくない?」
倫理観に目を瞑ればそれが一番最適解なのは間違いないので仕方ない。
「それで僕は殺されかけたんだけどな」
テルが文句を言うが、それはそれ、これはこれ、というヤツだ。
とはいえこのカジキのアイディアが最適解になるのは船を奪う事ができればの話ではあるが。
「じゃからこそ、ワシはお前らの空飛ぶ船が海上に降りてきたのを見てチャンスじゃ思うて奪おうとしたんじゃ」
「まあアタシたちはエルロン一派とは違ったんだけど」
「事前情報なしじゃ俺達の船とエルロン一派の船の違いなんてわかるはずもないしな」
何も知らなければ飛空船という特殊な船に乗っている時点で同一勢力だと思ってしまってもおかしくない。俺がカジキの立場でもそう考えただろう。
「だがもしうまく船を奪えていたとしても操縦するのは無理だっただろうね」
「そこは……まあ考えなしじゃったと今は反省しとる。で、じゃ……頼みがある」
そう言うとカジキは地面に両膝を付け、そのまま頭を下げた。下は土ではないが、まさしく土下座である。
「お、おい。何して……!?」
「ワシをお前らの船に乗せて『海神の住処』まで連れてっとくれ! ワシはこの海で何が起きとるのか確かめんといかんのじゃ!」
……まずは頭を上げろ。そんなことしてもこっちの返答に影響はないぞ。
そう伝えるが、カジキが頭を上げる事はなかった。こちらが頷くまでこのままでいるぞと言わんばかりだった。
「そもそもどうしてアンタはそこまでして行きたがっているの?」
「自らの信仰を守るためではないのか? そう不思議なことではないと思うが」
「それにしては妹のサンゴちゃんとかは龍捌きの準備の方が大事にしているように見えたけど」
「それだけ龍捌きという儀式を重視しているのだろう。教えというのは大事だ」
信仰が大事だというミラの考え方もわかるが、アンナの疑問も理解できる。何せ俺達という原因を調査してくれそうな存在がいる以上、信仰を守りたいという理由があってもわざわざカジキ自身が向かう必要はないのだ。
もちろん俺達が信用できないとかであればわかるが、もしそうであれば鯨龍被害の情報を伝えた後に俺達に黙って船に忍び込めばいいだけで、頭を下げて頼み込むという正攻法を取る必要がない。
であればカジキが俺達に任せず自分で行きたいと思う理由は少し気になる、そう考えていると、カジキは頭を下げたまま口を開いた。
「……サンゴも含めて村の連中の多くはそもそもワシみたいに鯨龍が頻繁に流れ着いた原因に関してそこまで気にしとらん。そのほとんどが神使のいざこざに首を突っ込む必要はないっちゅう考えじゃ」
「そんな……!?」
まあ、その考え方もわからなくはない。
触らぬ神に祟りなしという言葉があるくらいだ。信仰する神たちのいざこざに手を出す事自体神の領域に踏み入る事になって不敬となると考えたり、そもそも手を出した所で自分たちの力ではどうにもできないという考え、何だったら自分たちは信仰しているだけでその信仰先を助ける必要はない、なんて考えるのは何もおかしなものでない。むしろ普遍的な物だろう。
「かもしれんのう。じゃがワシはそうは考えん。今までワシらの糧として幾度とワダツミを救ってくれていた鯨龍たちに危機が訪れとるとしたら、それを見過ごす事は不義理じゃ。信仰しとるけどいざこざには巻き込まれたくないからそれ以上は踏み入らん、っちゅうんは絶対におかしい!」
「うむ。その考え方は理解できる」
「それにそういった変化がもっと大きな災害の前触れだった、なんて話は過去の文献を見る限り多くあるしネ」
「だからこそ、そこでただ人に任せるだけっちゅうんもおかしいじゃろ! 何が起きとるかもわからん場所に余所者のお前らだけに任せて当事者のワシらが安全な場所で待っとるだけっちゅうんは! それこそ何よりの不義理じゃ!」
なるほど、カジキの義理を大事にするという考え方はよく理解できた。
「うーん、俺としてはカジキを船に乗せるのも、鯨龍がいるだろう海域を目指すのもいいと思うんだけど、みんなはどうだ?」
まあ反対したいわけではないが、したくてもそれ以上の利があるわけだし問題ないだろう。目的地としても奴らを追いかけるために向かう必要がある場所だし、カジキの実力も相当なものだ。足を引っ張るなんてこともない。俺も構わない。
「さっきは何やってもダメだって言動だったけど……」
ダメだとは言ってないだろうに。土下座しようがしまいが、乗せるか乗せないかは話し合って決めるから関係ないと言っただけだ。早とちりしてもらっては困る。
それはそうと断られてもこちらが根負けするまで頭下げてやろうっていう魂胆が見えたのでとりあえず船外に放り投げてやろうかと思った。
「それそんなに怒る事?」
「落ち着け」
感情に訴えかけたり感情で押し切れたら何でもごり押しできると思われたら困るのだ。それでうまくいってカジキが今後もこの手法を使い続けて常習化してしまったら誰も得しないぞ。
「いや誰目線だよ」
「そもそもアル君が彼と和解した時点で反対する人はいないんじゃないかネ? 実力もあるみたいだし」
というわけでモーティスの発言に反論する者がいないのを確認して、アルは改めてカジキに手を差し伸べる。
「というわけだ。よろしくなカジキ」
「すまん……! 恩に着る!!」
そこで初めて頭を上げたカジキは差し伸べられたアルのその手を握り返した。
ちなみに何も言っていないがテルはよかったのか? カジキに殺されかけただろうに。
「いや確かに殺されかけた事には思うところはあるけど、それとこれとは今は別だしな。というかお前も同じような事言ってただろ」
それはそう。
というわけでカジキも連れていくと決まった所で聞いてもいいか?
「なんじゃ?」
今回の鯨龍の切り傷だが、人が切ったと仮定してそいつはどれくらいの腕前だと思う。
「……正直わからん。鯨龍を斬った状況にもよるが、もし本当に海中で斬ったんなら、ワシよりも上じゃろうな」
「……俺はカジキの腕前を直接見てないんだけど、ヤバそうか?」
はっきり言おう。ヤバい。
俺は少しの間打ち合ったからこそわかるが、カジキの剣の腕は相当なものだ。俺達の中だとアルと並ぶかそれ以上だろう。
そんなカジキも超える腕前の剣士が敵にいるとか、正直考えたくもない。そんな凄腕剣士じゃなくて海上に引き上げた可能性を信じたくなる。
「それはそれで引き上げ方も問題になってくるわね」
「あと一応言うとくが、海上に引き上げて斬ってたとしても相当の腕じゃからな。そもそも鯨龍は並の腕では切れん」
……剣の腕以外ダメなポンコツであってくれないかなぁ。
「さすがにその想定はやめておけ」
「まあどんな奴じゃろうがワシが切り捨てたるわ!」
「楽観的すぎないか?」
意識しすぎるよりかはそれくらいがちょうどいいんじゃないか。
それで、目的地が決まったのはいいが、ただ『魔の海域』を何の指標もなしに探すのは危険すぎる。仮でもいいから『海神の住処』とやらを目指すために目印となるポイントとかはないのか?
「目指すための、というより『海神の住処』自体の目印じゃったらあるぞ」
目的地自体に目印があるのはいい知らせである。風景としては変わり映えしないだろうこの大海原の、しかも『魔の海域』なんて言われている危険な場所で、闇雲に目に見えないモノを探し回るのは考えるだけで気力が擦り減ると思っていたので、その手間が省けるのは本当に助かる。
「ほう、それはどんなものだ?」
「目立つもんじゃし見たらわかるもんじゃが、ワシらワダツミの民の間じゃとこう呼ばれとる
────『水天宮』と」




