第三十九話
今日はニアに呼ばれてシド工房の作業場にやってきたのだが、スカルフォーザの前でニアが何やら首を傾げていた。
「うーん……」
何を唸っている? スカルフォーザの改造に何か問題でもあったのか?
「いや、スカルフォーザの改修は大体終わった。あとは微調整といった所だね」
いくら何でも早くない? 動力の入れ替えなんてそう簡単にできるもんじゃないだろうに……
「そう、そこが少し引っかかっている」
自分でやっといて引っかかってるってどういう事なんだ……?
「いや、それについては大した事じゃない。それより今はアンナの件だ。彼女いつになったら魔導師になるんだ?」
それは俺も知りたい。
正式に【アルカンシエル】というチームとして動く事に決めたあの後、エルフ姉弟の常識度チェックをしたり、嘘マナーを教えてミラと鬼ごっこをする羽目になったり、モーティスの悪巧みに巻き込まれたり、アルとクリスの逢瀬(仮)を後方保護者面して送り出したり、ニアによるスカルフォーザの動作確認に付き合わされたり、魔導ネットのスレを荒らしたり……などなど、束の間の休息ってなんだったっけと思うくらいには長引いている。
アンナの口ぶりからはすぐに終わるように思えたのだが、思った以上に難航しているようだ。
とはいえ魔導師なんて本来そう簡単になれるものでもないのだから時間がかかるのも仕方ないのでは?
「だとしてもこのまま魔導都市で時間を無為に過ごすわけにもいかないだろう。飛空船もスカルフォーザも準備はできているんだ。相手の情報が少ない以上数打つしかない現状、そろそろアルカンシエル出動の計画を立てるべきじゃないかな」
確かに一理ある…………で、本音は?
「飛空船とスカルフォーザの稼働データが欲しい」
私欲じゃねぇか。
「とはいえさっきの建て前も事実さ。ボクは間違った事は言っていない」
まあそれはそう。現状、アンナの事情を除けば俺達はすぐにでも飛空船で魔導都市を発つ事ができる状態だ。厳密に言えば具体的な目的地を決める必要はあるが、それもそう時間はかからないだろう。最悪アンナ抜きで出る事も考えないといけない。
「だが彼女がいるのといないのとでは戦力が大きく変わってくる」
それもそう。アンナがいるだけでもしもの時の安全度が段違いに違う。アンナがいなかったら詰んでた場面なんて数え出したらもうきりがないくらいだ。
「ということで何とかしてやるといい」
何故そこで俺に投げるのか……内容が内容だし天才同士で話した方が解決するんじゃないか?
「確かに分野は違えどボクは天才で、アンナも天才なのは間違いない。だけどボクと彼女は違う種類の天才だ。天才という同じ括りにされたとしても感性やら考え方が根本的に違うのさ。そもそも今彼女に必要なのは専門的な知識や知恵じゃないというのはキミも理解しているんだろう?」
それはまあ……具体的に何を悩んでいるのかはわからないが、少なくとも論文にする内容にできることがなくて書けない、というわけではないという事は察せる。
まあできる範囲で行動してみるとするか。問題が余計にこじれても知らないからな。
「そこはボクの管轄じゃないから知らないさ」
うーん、この無責任発言よ。というか今日呼ばれた用件ってそのこと?
「いや、ちゃんとスカルフォーザの操作方法を覚えろって話さ」
おぉん……また勉強の時間でござるか……
◆
というわけでニアによる講習を終えた後、自室で缶詰になってたアンナを連れ出し、隠れ家的な落ち着いたいい雰囲気のバーで二人グラスを傾けていた。
「……アンタ、禁酒してたんじゃなかったの?」
禁酒明けである。こうも平穏が続いているのだ。前後不覚にならない程度には飲んでも構わないだろうとアルとクリスを説得して成功していたのだ。
とはいえ節度は守るつもりではある。酒は飲んでも飲まれるな。酒飲みの基本だな。
「それを守れなかったから禁酒してたんじゃないの……?」
人は反省する生き物である。三度目の正直という言葉もあるくらいだ。まあ俺がやらかしたのはまだ一回だけだが。
「二度ある事は三度あるとも言うけど」
それこそ神のみぞ知る、というヤツだ。
「神、ね…………で、わざわざ二人きりで連れ出して何の用なの? こっちは魔導師になるために論文を書かないといけないんだけど」
単刀直入にいえば、その論文の進展がどんな感じなのか聞きたかった。
「…………」
苦虫を潰したような表情からして進展があんまりよろしくないのがわかる。というか連れ出した時点でわかっていた。
なので気分転換がてらちょっといい酒でも飲みかわそうと思ったのだ。まあ王族や貴族の普段飲んでいる最高級品と比べられても困るのだが、アルも知らないとっておきの店なのだ。
「アタシもそんな最高級品なんて飲めないわよ。でも意外ね。ここアルも知らないの?」
別に俺もあいつも別行動しないわけじゃないぞ。あいつは宴会とかの騒がしい雰囲気は好きみたいだけど酒自体はそこまでだからこういう酒そのものを楽しむ店はあまり興味はないしな。
とまあそんな俺達の行動範囲の話は置いておいて、アンナの論文について話を戻そう。
そろそろエルロン達の情報を探るために手あたり次第にでも動かないといけない。最悪アンナを置いていく事も考えなければならない時期にもなっているので、アンナには早く魔導師になってもらわなければ困るのだ。
「言いたいことはわかるけど、そんな簡単に魔導師になれると思う?」
普通は無理だろうが領主殿はアンナならすぐにでも魔導師として認められる論文を書けると言っていた。例えば獄炎魔法の改変の術理を纏めればそれだけでいいとも言っていた。
「……それ、本人に伝えていい話? あとで何か言われないの?」
何の問題ないだろう。そもそもそれくらいアンナ本人も理解しているだろうし。
「それ、は…………」
だが、そうであるならば、アンナが悩んでいるのは論文の内容が認められるかどうかという点ではない。
一体アンナは何を悩んでいる?
「…………アンタが解決できるような事だと?」
俺の言葉を否定しない辺り、書けない理由に自覚はあるようで何よりだ。
正直に言えば俺も魔導知識は詳しくないが、それでも愚痴を聞くくらいはできるさ。悩みっていうのは誰かと共有するだけでだいぶ楽になるものだ。
それでも話しにくいと思うならそれこそ酒の力を借りればいい。口が滑ってもおかしくはない。
そこから少しの間沈黙に包まれるが、意を決したようにアンナはポツリと呟いた。
「……もし、それで、悪用されたらどうすればいいの?」
その言葉は静かなこの空間にすぐさま溶けていったが、不思議と耳に残っているような気がした。
「例えば改変した獄炎魔法だけど、禁術指定されているオリジナルでが複数人で長時間の詠唱が必要なのに対してアタシの改良版は一定以上の魔術師であれば一人で短時間で発動が可能になるわ。オリジナル同様禁術認定されるでしょうね」
そこまで言ってからアンナは少しグラスを呷り、再び口を開く。
「禁術認定されたとしても、その術理はどこかで漏れ出すでしょう。今みたいに大きな戦いが起きそうな時には、特にね」
当然禁術の情報がそれを悪用しようとする輩の目や手に触れないわけがない。そもそも善人が使うにしてもその善意が正しく発揮されるとは限らない。良かれと思って~の行動が最悪の結果に繋がる事などざらにあるのだ。
「今、アタシが出せる魔導理論の中で確実に魔導師になれるって言い切れる内容はそういう危険なモノばっかりなの」
そこでふと、前世で有名だった爆弾の話を思い出した。
人の役に立つように良かれと思って生み出された発明が、戦争で多くの人を殺す道具として使用されたという話だ。
……ああ、なるほど。ここまで聞いてようやく腑に落ちた。
「ここまで言ったらわかったでしょ……まだ論文が何もかけていない理由って、私が臆病なだけなのよ」
アンナは、自身の理論が近い将来多くの人を殺すかもしれない可能性に怯えているのだ。
「しかもそれ、多くの誰かが犠牲になる事自体じゃなくてアタシ自身への精神的被害が嫌だからって理由なんだから我ながら救えないわ。アタシ自身に何とかできるのならまだいいけど、それはきっとアタシの手の届かない所で問題になる。そうなったらアタシはそれを絶対に後悔する。そのことをずっと引き摺り続ける。そんなのごめんよ」
それに罪悪感を抱く時点でアンナ自身の優しさを感じるが……今大事なのはそこじゃない。アンナが気にしているのは齎した技術が及ぼす影響力についてだ。
新しい技術が世の中に良くも悪くも大きな影響を持つことは世の常だ。とはいえ平時ならその影響もある程度コントロール、というか理性が働くだろうが、今はエルロン一派という世を乱す集団がいるような時代だ。新技術が悪い方向に利用される可能性も普段以上に高いのも事実。アンナの心配も一理ある。そこをどうこうすることはできないだろう。であるならば攻めるべきはそこではなく…………
「……何よ。なんか言ってみなさいよ」
そうだな…………俺から何か言える事があるとすれば、その考えは自惚れだって事だな。
「……え?」
アンナの言う通り、容易に使えるようになった獄炎魔法やそれに類する魔法が将来戦争で飛び交い夥しい戦死者を生み出すかもしれない。さらにいえばさらに改変してもっと酷い使い方をされるかもしれない。例えば改変獄炎魔法をあえて不完全に発動させることで術者ごと周囲を巻き込む爆弾にする、みたいな外道戦法なんかは俺にだって思いつく。であるならもっと卑劣な輩がさらなる悪用方法を思いついてももおかしくはないだろう。
「何その使い方……引くわ……」
だが、そんな事にまでアンナが責任を感じる必要はないのだ。
技術はあくまで技術に過ぎない。それをどう使うかはそれを使う人間の責任だ。
生み出した技術や道具の責任を永劫に負い続けるなど、むしろそれは傲慢だ。
もしも悪用されたのなら、その責任は悪用した輩が負うべきだ。
「……たとえ傲慢だとしても、そこから目を背けちゃいけない、背けられないわ」
俺が用意した言い訳、逃げ道を、アンナははっきりと否定した。
……どうして?
「アタシ自身が後悔するもの。そのことで一生気に病むかもしれない。そんなの嫌じゃない」
まっすぐと、酔いを感じさせない眼差しでこちらを見つめながら、アンナははっきりとそう言い切った。
それらの言葉には彼女なりの信念や矜持とも言える想いが込められているように感じた。
例え他人に責任を押し付けたとしても誰も責める事などしないだろうに。
他者への思い遣りではなく自己愛護からくるものだとしてもそれが彼女の優しさの表れである事に変わりはない。
その一本芯の通った想いを聞いて、俺は────
「……何よ。言いたいことがあるならなんか言いなさいよ」
────…………いや、要は、アンナは今回の功績がのちのち自分の手の届かない所で何か悪事に使われた時に襲ってくるだろう罪悪感に襲われたくないわけだ。余計な責任は負いたくない、と。
「もっと言い方なかった? 確かにその通りなんだけど」
いやいや、気持ちはわかる。自分のせいじゃないと割り切ってもどこかでそれを意識してしまうというのは大なり小なり経験があるはずだ。
であれば、一つ思い付いた案がある。問題の先送りでしかないのだが、こういうのはどうだろうか?
────と、言うだけならタダであるし、荒唐無稽とも言える案をアンナに伝えてみた。
「…………アンタ、それ通ると思ってるの……?」
普通は通らないだろう。だがそこに説得力さえ付与できれば話は変わる。
まあダメで元々で出してみてもいいのではないだろうか。なぁに落ちたからと言って死ぬわけでも魔導師への道が閉ざされるわけでもないのだ。
「……アンタ、詐欺師に向いてるとか言われたことない?」
どうかな。どこかの誰かにはスパイと疑われた事はあるが。
「それアタシの事じゃ…………」
と、アンナは急に何か考え込むかのように黙り込んでしまった。一体どうしたのだろうか? 別に俺をスパイと疑った事に後ろめたさを感じているわけでもあるまいし。
「……ねえ、正直に答えて…………アンタは何者?」
…………? 何者というと……どういう意味で?
「あの魔法を見てからずっと引っかかってた。玉座の間で見せたあの神聖魔法。あれは教会内でも特に信仰心が高い人にしか使えないとされている魔法のはず。それを使ったアンタがただの旅人だとは思えない。間違いなく教会、それも上層部の関係者のはず」
玉座の間での魔法、というと……心当たりとしては一つしかない。『銀光』の事か。
「答えて」
アンナはこちらを明確に疑っている。それはその口調からも確かだ。しかし俺を責める意思は感じられず、むしろ縋るかのような目をしていた。
それは、たとえ何かを隠していたとしても俺が敵ではないと信じてくれているからなのだろう。
その証拠というべきか、こちらに対して魔法を使う素振りはしていない。
彼女のその信頼を裏切らないためにも、こちらも茶化したりせずに正直に答えなければならない。
俺は嘘偽りない真実を彼女に告げた。
知らん……何それ……怖……
「えっ」
いや、確かにあれが習得率が低い魔法だっていうのは知っているが、あれの習得に信仰心は関係ない。単に相性の問題だ。教会の上層部とかしか使えない魔法ではない。
確かにあの魔法が使われている所を見た覚えはないが、それも使い所がないってだけだろう。
「そんなわけないわよ! というかあの魔法自体聖教国の信仰心ある限られた役割の人にしか伝授されないって話よ!」
またまた~、ご冗談を~…………え、マジなの?
いや、習得に信仰心全く関係ないのは間違いないのだが……えー? まさかすぎて調べた事もなかったぞ。
「じゃ、じゃあアンタはその魔法を誰から教わったの?」
あの魔法は村にいた時に神父であるアルの父親から普通に習ったが。
「アルのお父さんが……いや普通村どころか大都市の教会でもあの魔法使える神父なんていないわよ? ちなみに名前は?」
確かトム……だったかな? 村人からは名前じゃなくて大体神父様って呼ばれてたし俺は神父呼び以外だとアルパパとかアル父って呼んでいたくらいだからうろ覚えだが、たまにシスターがそう呼んでたような……うっ! 頭が……!
「トム……よくある名前だから何とも言えないわね……少なくともここ最近の有名どころの教会関係者ではなさそうだけど……」
しかしここでまさかアルパパの経歴に謎が増えるとは…………はっ!? まさかアルパパの隠された経歴にシスターとくっついた秘密が……!? おのれ神父……ッ!!
「神父とシスターでくっつくのは比較的普通じゃない?」
つまり、神父になれば俺がシスターとくっついていた……ってコトォ!?
「そんなわけないでしょ。そうなる前にくっついたんだから。というかアンタ神父になれるの?」
さあ? でも神父の息子のアルは教会を継ぐ気はなかったからその役目を俺に割り振られていた可能性はあったんだよな。
「ええ……どっちにせよアンタがただの村人で納まってる姿が思い浮かばないわ……というか村から追い出されそう」
なにおう! これでも頑張れば村長だって目指せた器だぞ!
「さすがにそれはないでしょ」
ノータイムでの完全否定で悲しい。まあ村長という柄でもないので頑張る事はないのだが、それでも村での評判は良かった方だぞ。
「ええ、ホントに~?」
ホントホント。何だったらアルよりも俺の方が大人からの評価は高かったんだぞ。村から出ていくときも惜しむ声は多かった。
「それは嘘ね」
またノータイムで切り捨てられたでござる。
というかこっちの話を信じないのならそっちの話もすべきだ。
「どういう理屈よ……まあいいわ。といっても昔から臆病だったのは変わらないわね」
臆病……臆病ねぇ。あんまりアンナと結びつかない言葉だよな。
「そんなことないわよ。小さい頃からアタシは臆病だった。何かを始めるのはいつもクリスで、アタシは先に駆け出したクリスの後に付いていくだけ。それをみんなは私がお転婆なクリスに振り回されて大変だろうとか、真面目で思慮深いいい子だとか、誉めてくれていたけど、別にそんなことはない。アタシは自分で行動を起こして何か問題が起きるのが怖かっただけ」
……おそらくだが、魔術を学ぶ前の幼少期のアンナは天才というには程遠い人間だったのだろう。もっとも身近な比較対象が希少すぎる天恵持ちのお転婆姫なクリスで、周囲からもあまり能力自体を褒められる事が少なかったため普遍的な感性を身に着けたといった所か。
ニアが生まれながらに才能を生かしてきた天才ならば、アンナは急に才能を発揮した元凡人という表現が適しているかもしれない。いやお前のような凡人がいてたまるかという話なのだが。
急に天賦の才に目覚めたら感性がまともでもその力に増長する事も少なくないのだろうが、アンナの場合は臆病な性格だったおかげか、力を行使した後のリスクを考えて、あるいは成功のビジョンが思い浮かばなかったから、そういった行動に移さなかったのだろう。
それは良い事ではあるが、結果として慎重気味な性格へと落ち着いたのだろう……領主殿やニアが仄めかしていたのはこの辺りの事なのかもしれない。
とはいえいざという時の判断や思い切りの良さはクェスの遺跡で発揮されているから優柔不断と言い切るのも難しい所だ。
まあ昔はともかく今のアンナは名実ともに頼れる存在であることは確定的に明らか。はやく魔導師問題を解決して旅に付いてきてもらいたいものだ。
「アンタはどうしてアタシを連れていきたいの?」
どうして……? 理由としては色々ある。アンナの魔法が頼もしいとか、色んな交渉事とか任せられそうとか、俺の負担が減りそうとか、数え出したらきりがない。
それでも、具体的に理由を言葉にはできないのだが…………純粋に俺達の旅にアンナも一緒に来てほしいと思ったから……というのが一番大きい。
「そう………………よしっ! 決めたわ!!」
うん?
◆
その数日後、俺達【アルカンシエル】一行は飛空船に乗って魔導都市を後にしていた。
「とりあえず俺達はエルロン一派の情報を掴むために、まず調べた先史文明の遺跡や龍神伝承がある場所を中心に虱潰しに調査をしていくわけだけど……」
「アンナも間に合ったみたいでよかったです」
「心配かけたわね」
船にはあの日チームへの参加を表明していた全員、つまりアンナもちゃんと乗っていた。
アンナもこの数日の内に魔導論文を書き切って提出してきたらしい。そして提出したその足で飛空船に乗り込み今に至る。書ききるの早くない?
「論文のテーマは『童話の空想道具を再現するための魔導理論』だったっけ? これまた夢のあるテーマだネ」
「でもまだ結果が出る前に出てきてよかったのか?」
「大丈夫よ」
「それだけ試練に通る自信があるって事ですね。さすがアンナです」
自分の事のように誇らしげに胸を張るクリスの言葉に何でもないようにアンナが言葉を返した。
「いや、あれじゃ魔導師にはなれないわね」
「ふぇ……?」
「主題の魔導理論を組み立てるための前提に、まだ一般的に確立されていない魔導理論を書き連ねたからね。あれは控えめに言っても論文とは言えない代物よ。今頃お父様も頭抱えているんじゃないかしら」
「アンナ、貴様試練とやらに出鱈目を提出したのか!?」
「出鱈目じゃないわ。まだ世の中に出ていないってだけでアタシの中では確立してた理論だからあの論文を読み解いて行使すればちゃんと再現できるわよ。できればだけど」
ほら、と言って何やら小言で唱えて手を叩いたかと思えば、何もない宙に手を突っ込んでそこから杖を取り出し、その杖を両手で挟んで圧し潰すかのように再び消し去った。ふんふん……えっ……?
「でも一般的な魔導研究においてはまだ実証されていない理論であることは間違いないから論文としては却下されると思うわ」
アンナの魔導師になれない宣言に驚きざわつく一同の中、俺もまた別の意味で驚いていた。もしかして論文で再現した空想道具って、何でも収納できる異次元のポケット……!?
と、ここでみんなと様子が違う俺に気付いたらしいアルがこっちに疑惑の視線を向けていることに気付いた。
「……なんかお前あんまり驚いてないよな?」
「た、確かに……お師匠、もしかしてアンナが試練に通らない論文出したってこと知ってたんですか!?」
アルとクリスに指摘されるが、そんなことはない。現在進行形で驚いている。
「知らなかったとは言わないんだな」
「だって今回の事提案したのソイツよ」
「なんだと!? 貴様、アンナまで唆したのか!?」
アンナまでとはなんだ、までとは。そもそも俺は別に誰も唆した覚えはない。
一流の魔導師でさえ現状で読み解けないような代物であればたとえどこかから内容が漏れたとしても悪用されるまで時間は稼げる。最悪、のちのち悪用されるにしてもアンナが天寿を全うしていれば罪悪感を抱く事はない。その上で再現性やらの説得力が付与できれば魔導師として認められる可能性はあるのではないか。
そう言った考えをきちんと説明した上で提案したのは事実だがそれを選択したのは他ならぬアンナ本人だ。
なのでその辺りの理由をぼかしつつも、『最後に決めたのはアンナだから、僕は悪くない』とカッコつけて訴える。
「それ悪事がバレた詐欺師の常套句なんだよな」
「というかなおさらアンナはこの船に乗っていて大丈夫なのか? 我々とともに行動するために父親から出された条件が魔導師になる事だったのでは?」
「いいのよ。魔導師だろうがなかろうが関係なく、アタシはここの一員として一緒に行きたかったの。たとえお父様の頼みでも止まってなんかやらないんだから」
そう言うアンナの表情は、まるで抱えていた重荷を下ろしたかのようなすっきりとしたものであった。
……まあ魔導都市からの支援は貰えないんですけどね。
「うぐっ……」
「お、お兄様からは支援してもらえますから!」
「何、シド工房も利用できるだけ利用してやればいいさ」
「それ仮にも工房の棟梁が言うセリフじゃないんだよなぁ」
「棟梁の役目は飛空船に釣られてのこのこ戻ってきた両親に押し付けてきたからセーフさ」
それでもアンナ自身が俺達と同行してくれると決めた事が一番大事な事だと俺は思った。




