第三十五話
かつて神樹と呼ばれた龍の成れの果て、その最期を見届けた俺達はようやく一息吐くことができた。
「クリス、今のは……」
「今まで広げるように使っていた【浄化】の力を集中させたんです。今までの使い方だと瘴気に侵された奥まで浄化できていないようだったのでどうにかできないかなって」
灰のようになったのは瘴気によって異常に変質した身体を浄化されて維持できなくなったからか……それにしてもよく思い付いたものだ。
「アルが雷を剣や槍の形に集中していたのでこれならできるんじゃないかって。周りを見て取り入れられるものは取り入れろってお師匠も言っていましたし」
そうか………………そんなこと言ったっけ? ……言ったかな? ……言ったな。言ったことにしよう。
「…………ちょっと待って。お師匠って誰の事?」
ここでアンナがクリスの師匠発言に引っかかったようだ。あー……そうか、クリスのお師匠呼びはアンナと別れてからだったな。
「それは……」
言いにくそうにしながらアルの視線は俺に向けられる。他の知っているヤツからも視線が向けられているのがわかる。
そうして周囲の視線を目で追ったアンナと俺の目が合った。
「…………えっ!? だ、ダメよ! こんなやつに師事したら碌なことにならないわよ!!」
「俺もそう思うんだけどな」
「ボクもそう思う」
「同じく」
僕もそう思うだわにゃん。
「自分で言うな!」
まあそれはさておき、ようやく一息吐けそうではあるがその前にこの後どういう方針で動くか決めるだけ決めておこう。
「この後って……エルロンを追うために次はどうするかってことか?」
それもあるが、その前段階の話だ。
つまり、今回の事後処理についてである。
何せエルフ大森林の象徴でありエルフたちの信仰の対象だった世界樹が物理的に崩れたのだ。今回の件に関わっていない第三者にも何かが起きたことは間違いなく伝わるだろう。
エルフたちへの説明はもちろん、公国側からも細かい説明を求められるだろう。
何せ合法的にとはいえ公国側の静止を振り切って勝手に森に入って、過程はともかくエルフの信仰する龍神の成れの果てを消してしまったのだ。最悪両者から敵対されてもおかしくはない。
……というかそもそもこの飛空船もたぶん密入国じゃないのか?
「あっ! そうだった! 公国側にどう説明すれば……!」
「大事の前の小事だ。仕方ないさ」
「仕方ないで済まないわよ……!」
何だったらエルロン一派の飛空船と違う事を理解してもらえるかも微妙な所だろう。混同されて王国と公国の関係が悪化したら最悪だな。というかエルフにも勘違いされる可能性もある。
「なら……エルフへの説明は私がしよう」
と、ここで顔色が悪く脂汗を浮かべているミラがエルフへの説明役を買って出た…………というか見るからに消耗が激しいが、大丈夫か?
「大丈夫……とは言い難いな。抗帯呪法は一時的に限界を超えた力を出せるが、その分反動が大きい。少なくとも今日一日は戦闘はできないと思ってくれ」
確かにあれは尋常ではない力だった。ただでさえゴリラパワーだとは思っていたが、あれはもはやキングコングパワーと言っても過言ではないのでは?
「ちょっと待て。何故そこでゴリラからコングになっているのだ、撤回しろ」
「え、そこなの?」
うぬぅ、エルフ特有の拘りなのだろうがどこが琴線に触れているのかわからん。
「……神樹様は既に呪霧によって狂われてしまっていた。あれを放置してしまう方が我らの信仰、何より神樹様の存在へ背信となっていた。貴様たちが悪くないということは私が証明してみせる」
「そう言ってくれるのなら、頼んだ」
これでエルフの方は何とか説得できそうだ。あとは公国に対してだが……
『あー、ちょっといいかな? そろそろ船の状態が拙い域まで来ているようだ。このままだとあまり長くは飛んでいられないけど、どうするね?』
おっと、ここで船の方がヤバくなってきているらしい。あれほどの激闘だったわけだし仕方ないというかよく持ったというべきか。
「一度修理のためにも着陸すべきだな。この辺りでこの船を止められそうな場所ってあるかい?」
「専用の施設もないのに修理できるの?」
「損傷の程度にもよるけど、ボクが作ったものをボクが直せない理由はないさ」
アンナの当然の疑問に対してニアは当然のようにそう言い切った。さすが天災……もとい天才。
「この辺りだったら世界樹の周りくらいしかないんじゃないか? 森の中じゃ樹々が生い茂っててとてもじゃないけど降りれないぞ」
「それ以外だと森を出ないとないかと思いますよ」
そこまで行くならまず公国に報告した方がいいな。どうあってもこの船は不審物だし。
「それはメンド……何かあったら困るからならひとまずこの辺りの平地に着陸後、船の点検・修理作業に入る事にしよう。総員、準備だ!」
その意見に全面的に賛成だ!
「今面倒って言おうとした? てか面倒って思って肯定した?」
「言ってないよ」
思ってないよ。
◆
世界樹跡付近に着陸した俺達だが、そこでおかしなことに遭遇した。
飛空船が着陸できる場所がすぐに見つけられた、というか探すまでもなくあったのである。
この言い方だと語弊があるかもしれないが、飛空船が着陸できるとしたらこの辺りしかないと思ったのは確かだが、ここまであっさり見つかるとは思っていなかったのだ。
というのも、少し前まではここには天まで届くと見紛うほどに高かった世界樹があったわけだが、それがついさっき崩壊したとなればそれだけ大量の瓦礫が広範囲に地上に降り注ぐはずである。
特に世界樹のお膝元でもあった場所であればなおさらである。
にもかかわらず瓦礫は世界樹のあった周辺に山のように固まっており、世界樹周辺にあった開けた空間は狭まってはいるものの飛空船が着陸するには十分なほどに残っていた。
「おそらく神樹様に巻き付かれていたせいで瓦解する塔がその外側に飛び散ることができなかったのだろう」
そう言うミラは、さすが神樹様……みたいな雰囲気を出しているが、そもそも塔が崩壊した理由はその神樹様のしめつける攻撃のせいなんだが…………まあそれも元を辿れば瘴気ばらまいたエルロンのせいだし、仕方ないね。おのれ、エルロン!
「じゃあ早速船の点検を始めようか」
「いや待て……囲まれているぞ」
「なんだって? まさかエルロン一派がまだいたのか……!?」
「いや、この気配は…………私だ! 警戒を解いてくれ!!」
ミラの呼びかけに答えるように姿を現したのは、いまだ警戒した様子のダークエルフ衆であった。
まあ敵が乗ってきていた空飛ぶ船で、さっきまでゾンビ化した信仰元のドラゴンと戦っていたのを見ていたのなら警戒するのも不思議ではない。
ミラや俺達が姿を見せるとその警戒は解かれたが、互いの無事を祝いこちらの事情を説明する前に向こうの事情を説明するためにと別の場所へと案内された。
その案内された先にあったのは墜落したかのように半壊した敵の飛空船であった。
「────飛空船!! ボクのだぞ!!」
「ステイ」
興奮するニアを留めながらダークエルフ衆に話を聞くと、世界樹が瘴気に包まれ始める前後でエルロン一派は飛空船に集まって離脱を始めたのだが、その際に離脱に遅れた飛空船の一艇が世界樹崩壊の瓦礫に巻き込まれて墜落したらしい。
運が悪いとしか言いようがないが、墜落した飛空船の中から生き残ったエルロン一派が出てくる可能性もあったのでダークエルフ衆はそれを無力化すべく乗り込んだのだが、飛空船の中には生存者は一人もいなかったのだが、その死体の一部が何やらおかしかったらしい。
具体的にどうおかしかったのかと言えば、どう見ても死体なのに動いていたり、体が毒々しい色に変色しながら溶けていたりと……何やら聞き覚えのある状態である。
「というかそれ瘴気でゾンビになったんじゃないか?」
「死体が瘴気に侵されていた……?」
「瘴気に侵されて死んだヤツも混じってそうね」
飛空船を墜落させた瓦礫に瘴気が溜め込まれていたとか、エルロン一派が瘴気の一部を集めていてそれが漏れ出したとか、可能性としては色々と考えられるが……どれもピンとこないな。
「瘴気を持ち出すとかできるのか?」
「できるかどうかで言えばできるんじゃないか? お前たちが前にボクの所に持ち込んだペンダントみたいな装置があれば瘴気の保管もその後の有効活用も十分に可能だ」
「それが何らかの要因で壊れて制御不能になって御覧の有様という可能性も十分に考えられるしネ」
そこまで重要なポジションじゃなさそうなクチーダが所持していたくらいだからエルロン一派が他に同様の物を持っていてもおかしくはない……が、あくまで憶測の域を出ないのも事実だ。
「結局真相は闇の中ってことか……」
まあ死人に口無しではあるが、それでも物は残っている。飛空船という物証が残っている以上そこから何かが見つかればいいのだが……さすがにそろそろ休まないか? さすがにしんどい。
「そうね。正直アタシも結構無茶したし、アンタたちもどうせ無茶してたんでしょ」
「いやまあ確かにだいぶ強行軍だったのは確かだけど……」
「では私はロリー婆たちへ説明に向かう……」
「ミラさんも休んでください。というか一番休まないといけないのは貴女ですよ」
「クリスもだよ」
ということでダークエルフ衆の一人に事の顛末をエルフの集落に伝えてもらうように伝えて、俺達はその場で休む事にした。
「さぁ! 解体の時間だよ!!」
「おい、点検しろよ」
…………飛空船に残っているだろうエルロン一派に繋がる何かまでニアに解体されない事を願いながら……
◆
休息を挟みつつ俺達は飛空船を中心に調べていたが、さしたる成果はなかった。
墜落の衝撃で思った以上に船の損壊が激しく、ニアの興味も失せたようで乗ってきた船の修繕に必要な部品を剥ぎ取るに治まった。ちなみに船の点検・修繕を終えたニアの興味は崩れ切った塔の残骸漁りに移行している。
エルロン一派の動向についてもさしたる物は存在しなかった。おそらく一派の中でも末端の集団だったのだろう。道理で離脱に遅れるわけだと納得してしまった。
モーティスとしても新たな発見はないので大した価値はないとのことで、本当に成果らしい成果が皆無なのであった。ちなみにモーティスも塔の残骸漁りに興味が移ってしまっていた。
そしてミラを始めとしたダークエルフ衆も仮にも聖地であった場所をこのままにしておくわけにはいかないので塔の残骸の撤去を行なっていた。
そして手持無沙汰な俺達も塔の残骸漁りもとい撤去を手伝うことにした。
図らずも異なる考えで動く集団が同じ行動をとる事となった。
「でもここまでしても何にもわかりませんでした……」
「奴らの足が一つ潰れたと思えばいいんじゃないか?」
兄の言葉に逆らって無断で国を飛び出してきたクリスは、エルロンを捕まえることもその目的を知る事も次の行き先の手掛かりすらも手に入らなかったために落ち込んでいた。
とはいえここにきて何もできなかったというわけではない。もし俺達が来ていなかったら最悪あのドラゴンゾンビが敵の支配下に落ちてエルフの森や公国を蹂躙していた可能性だってあったわけで、それを考えれば魔導都市を飛び出してきて正解だったわけだな。
「確かにそうだけど、納得いかない……」
アンナがそうぼやくが、文句があるならゴッフに言ってくれ。
「どうしてそこでゴッフさんが出てくるのよ……?」
アンナの疑問も当然だがこれは変えようのない事実なのだ……タイミングが絶妙すぎたのだ……俺は悪くない……!
「実際この件に関してはお師匠悪くないんですが……」
「その言い方だと自分が悪いって言ってるように聞こえるぞ」
「でもゴッフさんが悪いわけじゃないんでしょ?」
それは……そうなんですが…………
「────話は聞いていたけど、元気そうで何よりだよ」
と、俺が言い淀んでいた時に森の方(正確にはこちらが森の奥側なのだがこちらの方が木々が開けているのでこう言い表すしかない)から、その声とともに見覚えのある人達がその姿を現した。
ミラの弟であるテルを含む数人の付き人とともに現れたその幼い容姿は、まさしくエルフの長老の一人であるロリー婆であった。
「ロリー婆! それにテルも!? 何故ここに!?」
「何故も何も姉さんが向かった神樹様がこんな事になったからに決まってるだろ!」
「……お前が私の心配をするなど、百年早い。見ての通り私は何ともない」
ようテル。お前の姉さんだいぶ無理してたぞ。なんか呪印的なのを使ってだいぶ消耗してたし。
……と、伝えたらミラから鋭い視線が飛んできた。だが、俺の言葉を聞いたテルがミラに対して食って掛かった。
「姉さん抗帯呪法使ったのか!? あれは体に尋常じゃない負担がかかって寿命が縮まるから使っちゃダメだって言ってただろ!」
「つ、使わざるを得ない状況だったのだ……」
「そりゃ僕だって姉さんが何もないのに使うとは思ってないけど、どうせ使った後ちゃんと休んでないんだろ!」
「い……いや、ちゃんと休息は取った。問題ないぞ」
「今思いっきり力仕事してたじゃないか! しばらくは絶対安静!」
物凄い剣幕のテルとタジタジしているミラの姿に、俺達は思わず見入ってしまう。
「……ミラさんがテル君に圧されてますね」
「てっきり姉弟の力関係はミラの方が強いのかと思っていたけどそういうわけじゃないんだな」
まあミラは弟であるテルに対して甘い所があるのは傍から見てたらわかるからなぁ。本人は隠しているんだろうけど多少漏れてはいたし。
というかやっぱりあの馬鹿力はあんまり多用できないモノだっていうのは間違いないようだ。
「さて、姉弟の感動の再会もいいけど、それが一番の目的じゃないからね」
と、ミラテル姉弟のやり取りに目を取られていたが、ロリー婆がそう言いながらこちらに向かって歩み寄ってきた。
「今回の顛末に関しては簡単にだけど聞かせてもらったよ。一族と神樹様を信仰する者を代表して礼を言わせておくれ」
そしてそのままロリー婆は俺達に頭を下げた。
「あ、頭を上げてください!」
「俺達は頭を下げられるような事はできなかった。むしろ俺達が謝らないといけないくらいだ」
クリスとアルがロリー婆に対して語り掛けている後ろでアンナが「……あの子、誰?」と俺に訊いてきたのでエルフの長老と説明すると驚きで二度見した上で宇宙猫状態になっていた。気持ちはわかる。
そんな宇宙アンナの様子を眺めている間に不毛な謝罪合戦は終わったようだ。
「ところであんたたちのお仲間が乗ってきたっていう空飛ぶ船は動くのかい?」
「当然さ。何せこのボクの製作した船だ。当然動くさ」
ロリー婆の質問に対して先程まで撤去作業していた大鎧状態のニアが答えた。いきなり現れたニアにテルは思わずビクッと体を震わせていた。巨体にビビったのかもしれないが鎧の中身はお前より小さいからな。
「ならそれに乗せておくれ。連れて行ってほしい所があるんだ」
「それは構わないけど、どこに行こうっていうんだい?」
「なに。老いぼれなりにあんたたちの役に立ってやろうと思ってね」
どう見ても老いぼれに見えないロリー婆は、その幼子のような顔からは想定できない狡猾な笑みを浮かべていた。




