第二十五話
「暇だな……」
「暇ですね……」
魔導都市を出発してから数日、ライン商会の船に乗り込んだ俺たちは平和な航海を満喫していた。それこそ三人並んで釣り糸を海に垂らすくらいには暇していた。
「こんな暇でいいんでしょうか……?」
嵐などの緊急事態ならともかく幸いそういった事態にも遭遇してないのだから構わないだろう。
そもそもできる事はないので仕方ない。
ゴッフたちがシド工房から譲り受けた実験船の動力は、水力を補助に使用する魔導エンジンと一般的な帆船のように帆で受ける風力のハイブリッド方式で、操舵方法も通常の帆船とそこまで大きく変わらないらしい。
当然だが実験船どころか帆船の操舵方法すら知らない俺たちにできる事はそうはなく、船に関わりのない雑用係に任命された。
「お前は飛空船操縦してただろ?」
あれはノーカン。というか飛空船と帆船はまた別物だし、そもそも飛空船も操縦方法わかってないからな。無茶ぶりにも程があったからな。
それにしても船のクルーを見るに全員がゴッフの部下であるライン商会の人間なのだが、もともと身に付けていたとかのだろうか?
そう思ってゴッフに尋ねてみたのだが……
「いや、もともと全員素人だったはずなのだが……地獄のようなおつかいを熟していたら自然と船の操縦もできるようになっていた……これは一体……?」
……どうやらシド研ゼミの成果だったようだ。
まあそういうわけで、特別やることのない俺達は食材調達の一巻として甲板で釣りをして時間を過ごしているのであった。
「まだ一匹も釣れてないんですけど……」
「まあ釣りなんてそんなもんだって」
そもそも船も止まらず動いている状態で釣り糸垂らして釣れるとは思えんのだが……
「おっ、かかった!」
言ってる側からこれかぁ……アルのやつ、やはり何か持ってるのだろうか。とりあえずすぐに掬えるように網の準備をしておこう。
「む、結構な引きだが……!」
そもそも船の速度で動く餌に食いついてくる魚って普通じゃない気がするが……もしかしなくても海の魔物じゃないか?
「あ、今ちらっと見えましたけど、魚っぽかったですよ」
ほう、具体的にはどんな感じだった?
「なんというか細長くて……あ、ギラりと光りましたね……まるで刃物みたいな……」
クリスの言葉を聞いて俺もピンと張られた釣り糸の先にいるはずの獲物の姿に目を凝らす。
あれは……太刀魚だ!!
「太刀魚? どういう魚……」
────────戦闘配備!! クリスは下がっていてくれ!
「ふぇ?」
アル、カウントとともに太刀魚を上に引き上げろ!
そう言って俺は腰に差した鉈を手にする。
「わかった! 1……2の……3ッ!!」
掛け声とともに海中から引き上げられそのまま船の上空まで引き上げられたその魚は、太陽光を反射するかのような光沢をその身に纏っていた。あれはまさしく太刀魚だ。
太刀魚は引き上げられた上空から風を切る音とともに落下してきて、俺はソレを切り上げるように手にした鉈を振るい、そして……
────金属同士がぶつかり合うかのような甲高い音が鳴り響いた。
「ふぇっ!?」
ッッ…………!! ふっ!!
想定以上の斬撃に体勢が崩れそうになるが、腰を入れて力を入れ直してもう一度太刀魚を上空へと打ち上げる。
……打ち合った結果わかった事は、あの太刀魚自身の切れ味も技量も並以上のモノだという事。そしてあからさまに好戦的だという事だ。少なくとも俺じゃ斬れないな……
そしてそれを相手も理解したのか、こちらを見下ろしてくる太刀魚がどことなくこちらを小馬鹿にしたような目をしているように見える。「怖いか人間よ!! 己の非力を嘆くがいい!!」とでも言っているかのようだ。
「────雷よ、糸を伝え────!」
なおそのドヤ顔もアルによって釣り糸経由で流された電流でご臨終。無事死んだ魚の目となった。
そのまま感電死した太刀魚はごとりと鉄の棒のような重量感を以って甲板へと落下したのだった。
「え……え……? 何ですかこの魚……?」
巷に出回るような魚ではないからか、どうやらクリスは知らないようなので説明しておこう。
太刀魚────その見た目が美しい刀剣を思わせる事からそう名付けられた魚だ。が、それは見た目だけではない。実際に刃物のように斬れるのだ。
「え……?」
太刀魚はその全身が金属のように固く、その中でも腹側が刃物のように鋭い形状になっており、しかし生物としての柔軟性はある、まさに生きた刀身とも言うべき魚である。
実際にあった話として、太刀魚を捕食した鮫がそのまま一刀両断されたとか、太刀魚を釣り上げた際に乗っていた船が両断されたとか……そんな物騒な逸話が尽きない魚……魔物? ……魚なのだ。
「あ、じゃあアルがわざわざ空まで引き上げたのは……」
引き上げる際に船体を斬られでもしたら堪ったモノものではないからな。網も掬おうとしたらそのまま斬られるだろうし。
もちろん個体によって危険性は大きく変わり、同じ太刀魚でもナイフサイズから大太刀サイズまで大きさも大分違ったりするし、切れ味についても個体差は様々だ。
特に危険度の高い太刀魚は『業物』と呼ばれるようになり、懸賞金が掛けられる場合もある。例を挙げれば、秋に現れるという『秋刀』辺りが有名所だ。
噂によれば業物を超える大業物と呼称される黒い太刀魚が存在するとかしないとか……いやこれはデマだろう。
ちなみにこの太刀魚、食用には向かない。鮮度が落ちると急速に身から柔軟性がなくなり、何故か切れ味が失われ、まるで鉄の棍棒のようになる。鮮度が落ちる前に火を通してもそうなるらしい。
捌いてすぐ食べるとかはできるそうだが、まあ特別美味しいという事もないらしい。強いて言えば珍味と言った所か。
ちなみにどこかの海辺の集落にいるという海サムライの一族はこの太刀魚を特殊な技法を使って切れ味を落とさずに武器として振るうとか……何だよ海サムライって。
「……お前そういうのどこで調べてくるんだ?」
魔導都市の『叡知の泉』ことググペディアである。
そんなことよりも太刀魚が釣れたということは下手するとこの辺りは太刀魚の縄張りの可能性がある。釣りはやめておこう。
誰だって自分の乗る船を両断し得る集団に追いかけられたくはないだろう。
◆
さて、これ以上太刀魚を釣らないように釣りができなくなったのでその代わりに公国に付く前に公国の勉強をしよう。
「頑張ろうなクリス!」
「あれ? 私生徒側なんですか?」
さすがにそれはない……ないよな? むしろ立場的には俺よりも詳しくないと困るくらいなんだが……
「さすがにその辺りは習ってますよ。クロリシアの歴史にも関わってきますし」
とりあえず俺が知っている範囲で教えていくから、クリスは何か捕捉とか間違いがあれば指摘してくれ。
「わかりました」
では説明していこう。
ハイリア公国はその国土のほとんどが森林で占められた国であり、公国人はその森林以外の僅かな土地で暮らしている。
「うん……? 森ばっかりだけどそこに暮らしてるわけじゃない……? 森を切り拓いたりとかしないのか?」
しない。というのもその森にこそ公国が成り立った経緯があるからだ。
元々ハイリア公国がある一帯はどこの国も所有していない危険地帯だった。
森を切り拓こうとしたら魔物やら植物やらが開拓団に牙を向きその悉くを壊滅させてきたらしく、森からの呪いだと信じられていた時期すらもあったそうだ。『魔の森』なんて呼ばれていた時期もある。
そんな中でクロリシア王国がこの地域に手を伸ばした際、これらと似たような事が起きたもののその当時の王国の開拓団は、かつてからその森を住処とする一族の存在を知った。
彼らは『魔の森』と恐れられたその場所で、獲物を狩り、果実を集め、木々を間引きながらも、森と共に暮らしてきた。その生存能力にも驚くが、それ以上に当時の王国はある事実に驚いた。
つまりは彼らは、その暮らしの中で自然と森の管理を行なっていたのだ。
元々『魔の森』の噂を知っていたクロリシア王国としても、防衛上の関係でその地域を呑み込んだだけであり、無理に開拓するつもりはなかった。できたらラッキーくらいの感覚だった。
そんな厄介な森の管理をしてくれる一族がいるのなら、王国としては森の近くに何かあった時のための監視塔代わりに集落を作っておけばそれで最低限の目的は果たせる事になる。
とはいえ領土は領土であり、そこを治める領主は派遣しなければならない。かといってあまり旨味のない土地を欲しがる物好きはそうはいないし、何かの間違いで『魔の森』を開拓しようと企てられても困る。
ということで開拓団を率いていた当時の王弟にその領土を与えることにした。『魔の森』の危険性を良く知っていたし、何より現地民である森の民ともうまく交友関係を築いていたからだ。
こうしてこの一帯はクロリシア王国の公爵領となり、後々クロリシア王国の一部として管理するよりも一つの国とする方が王国に利する事になると公国として独立を許す事となった。
大まかではあるが、公国の成り立ちとしてはこんな所である。
「お師匠、よくそこまで知ってますね」
少し、いや大分気になる事があって一時期ハイリア公国ひいてはその森の民について調べたんだ。
「何で?」
その『魔の森』の正式名称は『エルフ大森林』、そしてそこに住む森の一族は『エルフ』と呼称される。
「エルフ……エルフ? エルフってあのエルフ?」
そう、あのエルフだ。物語でもよく出てくる森の民、あるいは精霊。自然と共に生き、弓と魔法に長けた長命種としても有名なあのエルフだ。
それが実在すると知った俺は、一つ、ある事が気になった。気になって気になって夜しか眠れないくらいに気になった。
「で、何が気になったんだ?」
即ち────────
────────実際のエルフは果たして金髪巨乳か金髪貧乳、どちらが正しいのか……!
「うん……?」
エルフと言えば弓だ。そして弓を引く際胸が大きいと弦が当たってしまうためまな板体型の方が向いている。普段はない方がいいと気にしないが酒の席などで指摘されれば少しコンプレックスに感じてしまう、そんな絶妙な塩梅の拗らせ方をしているのではないだろうか?
しかし森の恵みと共に生きる彼女たちの実りが貧相だなんて事が有り得るだろうか? むしろ魔法があるのであれば弓を使う必要はないのではないだろうか? であれば巨乳でも問題はないし、むしろ魔法の魔素的なサムシングによってたわわに実っている方が可能性が高いのではないだろうか?
ここまで言っておいてなんだが、俺は別に巨乳でも貧乳でも問題はない。巨乳には巨乳の、貧乳には貧乳の良さがあり、そこに優劣はない。ないが……しかし、その良さの質はベクトルが違う。
エルフという題材において想像を働かせる以上どちらがより近いのか、それを探求しておくのは当然の事だろう。ちなみにだが、ダークエルフは褐色肌銀髪巨乳のイメージが強い。
「控えめに言ってセクハラですよ、お師匠……アルはこんなふうにならないでくださいね」
そんなのをお師匠と師事してるのはクリスなのだが……
「で、どっちだったんだ?」
「どっちでもないです」
「え?」
そう、どっちでもなかった。
結論から言えば、物語に出てくるエルフと実際のエルフは全くの別物だ。
エルフは別に金髪でもトンガリ耳でも長命でもないようで、単純にエルフの森に住む集団の事をエルフと呼称しているのだそうだ。
なのでエルフという種族ではなく、エルフという民族と言った方が正しい。極論をいえばエルフの森で暮らしてたらエルフ認定だ。たとえ巨乳だろうが貧乳だろうが金髪だろうがなかろうがエルフ族となる。
「何故物語においてエルフが現在のモノになったのかは不明ですが、本当のエルフは大森林を住処とする民族というのが現実です」
「夢が崩れるなぁ……」
……これは言う必要はないので言わないが、たぶんこれにも転生者が関係してるのだろう。
創作に『エルフ』を出した転生者たちと自分の民族の名称をエルフにした転生者がいた、とかそんな理由な気がする……
まあエルフの概念に関しては一旦おいておいて、公国の話に戻そう。
公国の成り立ちからもわかるようにエルフの森を保護するという目的のもとで公国とエルフは協力関係にある。具体的に言えば、公国は森を外敵から護り、その代わりにエルフは森の恵みを公国にだけ卸す、という関係だ。
卸すといっても税金のように徴収するというわけではなく、あくまで対等な関係として物々交換を行なうらしい。言ってしまえば交易だ。
エルフ大森林から齎されるそれらは貴重な物が多い。果実にせよ、肉にせよ、木材にせよ、エルフの手芸品にせよ、それらはエルフからしか得られないし、その卸先は公国しかなく、それらを求めて世界中からゴッフのような商人が集まってくる。その対価として金や世界各地の物品、知識や技術などが公国に集まり、公国はそれをエルフとの交換材料にして新たなエルフ産の品を仕入れる……という循環が行なわれている。
つまり公国は貿易大国なのだ。
「エルフとも交易? 貿易? してるのか? 税金とかで持っていくとかじゃなくて?」
エルフは税金を払う義務がないのだ。なにせエルフは正式な公国民ではなく、公国としてはあやふやなグレーな存在として扱われているとの事だ。というか特別扱い?
そもそもとして、エルフは森から滅多に出てこないせいでエルフの総数を把握できないのだ。その辺りが王国が公国を独立させた理由の一つだとも言われている。
税金の徴収ができない代わりに国民ではないエルフを護る責任が公国には生じない、というのは利点と言えるかもしれない。
「でも公国の場合は、逆にそのグレー性を利用してでもエルフを護る方向に動くような気がします」
確かに。公国はもはやエルフ抜きではもう成り立たないだろうし、本当にどうしようもなくならない限りはエルフを切り捨てることはないだろう。
「大公家は初代を始めとして何度かエルフ族から伴侶を娶っていたりしますし、公国とエルフとの関係は盤石だと思いますよ」
「え? エルフって森から出てこないんじゃないのか?」
全く出てこないわけじゃない。交易のために一部のエルフは定期的に森の外の公国の街まで出てくるし、森での生活が嫌になって飛び出してくるヤツもたまにはいるらしい。
「何か親近感湧くな」
逆にエルフに憧れがあるとかで帰化しようとするヤツもいるらしいが……その辺りに関してはあまり詳しいことはわかっていない。
「そうなのか?」
エルフが滅多に森の外に出てこないのは間違いではなく、そのためエルフやエルフ大森林に関する情報もほとんど出てこないのだ。
「エルフ一族や公国の許可なくエルフの森の奥に入り込むことは重罪ですからね。最悪死罪になる事も有り得ます」
「げ。そんなに厳しいのか」
「それがなくても普通に危ないですからね、エルフの森」
まあ俺たちの目的はエルフの森への侵入ではなく公国へ来たはずのエルロン一派の動向の確認なので、そこはまだ心配する必要はないだろう。
まずは街での情報を集めてできたら大公から話を聞く、といった辺りがすべきことだろう。ついでに王国に関して公国との関係改善の意向を伝えられたらクロード王子への義理立てにもなるだろうし。
「あはは、無断で出てきちゃいましたからね……」
「まあクロードもちゃんと謝ったら許してくれるだろ」
アルのクロード王子の扱いがすごく軽いのが気になるが、まあいい。
…………さて、そろそろ見えてきてもおかしくないか。
「……? 何の話だ?」
謎に包まれたエルフ大森林だが、一つだけあるモノが存在する事が確認されている。
「あるモノ? というか入れないのに確認できてるってどういうことだよ?」
文字通りの意味だ。試しに『遠視』の魔法を使って向こうの方を見てみろ。水平線の先にうっすらと一本の線のようなものが見えるはずだ。
「うーん……確かに、何か見えるな……何だあれ?」
それが、あるモノだ。
「…………は?」
今、まだ陸地が見えていないこの場所からも見えたそれこそが、広大なエルフ大森林、その中心にあると言われている天を衝く柱。
天地を支え根を介して天界や冥界に通じているとも伝えられる、世界最大にして唯一無二の存在。
所謂────────【世界樹】と呼称される大樹である。




