第二十二話
おはよう。気分はどうだい?
まあよくはないだろうね。拘束されて尋問やら拷問やらされているわけだから仕方ない。
碌に飯も食べていないんだろう。よかったらカツ丼でも食うかい? いらない? そっかー。まあここに置いておくから食べたくなったら言ってくれ。
今日は俺が君の相手をする事になった。なるべく早く話してくれると助かる。
俺の天恵は【不殺】って言うんだけど、この天恵は文字通り相手を殺さないという効果なんだけど、実はそれだけじゃなくて、切り離された本体と部位の繋がりもそのまま残っているんだ。
うん? 俺が何を言っているのかわからないって様子だね? じゃあ実例を交えて説明していこうか。
ここに切り落とした君の右手がある。ああ、切り落としたと言っても峰打ちだから安心してくれ。あとで問題なく治せるから。
で、ここからが本題なんだけど、実はこの手、まだ君の意志で動かす事ができるんだ。
ほら、今君の指が掴まれているのがわかるかい? 確かに指を掴まれている感覚があるだろう?
感覚を意識できれば動かすのもそう難しい事じゃない。ただ今大事なのはそこじゃなくて、この切り離された右手にナイフを突き刺しても君自身に痛覚が伝わるって事だ…………こんな感じで、ね。
つまりは、この右手を君の目の前で細切れにすればその痛みが君を襲う事になる。
そういえば、左手の感覚はどうだい? ちょっとどこにやってしまったかど忘れしてしまってね。
もしかして痛いというか、熱くないかい? まるで熱した油で浸されたみたいに。それとも、熱さはだんだんマシになっているとか? そもそも……左手は動かせるかい?
────おっと、危うくカツ丼が落ちる所だった。どうして動いたんだろうねぇ。
ああ、蓋をするのを忘れていた。カツ丼が冷めてしまう。肉はそのまま丸揚げにしたんだけど、まあ多少冷めたくらいで食べれなくなる事もないだろう。
俺はまだ食べた事がないんだけど、狗の肉って美味しいんだろうかね? ああいや、君の天恵が狗、というか狼のような姿になるものだと聞いていたから、どんな味がするんだろうって思ってね。
どうかしたかい? そんなにカツ丼を凝視して? そんなにこれが気になるのかい? そんなにこれが、食べられたくないのかい?
だったら…………君が食うかい────?
◆
俺をお師匠と呼ぶようになったクリス。その次の日、俺と出掛けた先から戻ってきた彼女は……
「ガンバリマス……ガンバリマス……」
……ガンバリマスbotになっていた。
うーむ、そう大した事はしていないと思うのだが……まだクリスには早かったか……もぐもぐ。
「で、お前は何食ってんの?」
ハムカツ丼。無性にハムカツを食べたくなる時ってない?
「いや、というかそこのチョイスが何でハムカツ?」
正直に言えばカツに出来そうな肉がハムくらいしかなかったからなんだが、これが案外うまいんだ。あとハムもそうだが米も美味い。昨日のパンでピザもどきもなかなか美味かったけどやっぱり米はまた別格だな。まあ冷めてしまっているから味は落ちているのだが……クリスもどう?
「ガンバリマス……ガンバリ……!? お、お肉系は今はちょっと……うっ……!? ……ガンバリマス……」
「……お前クリスに何したんだ?」
別に何もしていない。強いて言えば社会見学だ。
元々は俺たちと一緒に捕らえられた兵士たちの様子を見に行ったのだ。
一応領主殿には兵士たちの大部分はシロだと伝えておいたが、それを判断するのは向こうだし、兵士たちの安否以外にも明らかなクロだった側近の狼男が何か吐いたかというのも知りたかった。
そうして牢屋で話を聞くと、狼男への尋問は既に拷問に変わっていたが、それでも吐く様子はなかったらしい。
狼男の義理堅さにも驚かされたが、しかし俺はそのやり方に問題があると感じた。
拷問とはただ痛めつけるだけでは意味はない。もちろん痛めつける事自体が目的なら別に構わないのだが、何か情報を吐かせるためにするのであれば、ただ拷問をすればいいという考えはむしろ悪手と言えるだろう。下手をすれば拷問官の精神が変に昂揚してしまい、拷問の手がヒートアップして相手を死なせてしまう可能性も十分にある。そして狼男に行なっていた拷問はただ痛めつけるためのものだった。
「やけに実感がこもっている気がするんだが……何も言うまい」
その事を伝えたのだが、相手は自分の非を認めようとしなかった。むしろそこまで言うならお前がやってみろよと突っぱねられてしまうくらいだった。
なので代わりに俺が『おはなし』する事にしたというわけだ。
「あっ……」
情報を吐かせるには、こちらの意思を肉体ではなく精神に影響させなければならない。
その事を心掛けながら対話を行ない、快く口を開いてくれるようになったというわけだ。
なおその後を引き継いだ拷問官たちには恐怖の目で見られた。解せぬ。
「残念ながら当然なんだよなぁ……」
あの後使用した肉片はクリスが責任を以って治癒しました。
また今回は訓練を受けた専門家の下で行なった事ですので良い子は真似しないでください(指導を受けたとは言ってない)
……アルに言う必要はないが、人狼の切り落としていた左手は熱湯にくぐらせた後に冷ましていただけで別に油で揚げていないのであしからず。
「で、何かわかったのか?」
ふむ。とりあえずわかった事はあの人狼は思っていたよりも下っ端だったという事だろう。
偽王の側近と潜入してたくらいだから幹部とはいかずともそれに準ずる地位だと思っていたが、当てが外れたというのが正直な所だ。
ひとまずわかった事は、あの人狼は元々エルロンに雇われた傭兵で組織内ではそこまでの地位になかった事。あの後クリスを聖都に運ぶ船以外はまた別の拠点に向かう予定だったという事。偽王による全世界への宣戦布告、もとい侵攻宣言と同時に飛空船団でどこかの国へ攻撃を始める予定だという事。わかったのはそのくらいだ。
聖王国との繋がりはわからん。あの人狼の視点ではないようだったが、所詮雇われだから何とも言えん。もしもエルロンたち組織との繋がりがあったとしても今の時点で公にする利点はないから聖王国が表立ってエルロンを庇う事はないだろう。裏では知らないが。
……こうなると、騎士団長が死んだのは痛かった。あの口ぶりから地位がどの程度かはともかく組織に忠誠を誓っている以上傭兵上がりよりかは知っている事も多かっただろうに……とはいえあの決まりっぷりを見るに捕らえた所で口を割らなかった可能性の方が高い。頭イッてる人間爆弾を抱え込むと考えれば、まあどうしようもなかったか。
ただちょっと気になったのはあの傭兵はあの後は正式に組織の一員になろうとしていた事だ。
クリスやアルの話からすると、あの傭兵は自爆した騎士団長とは違って自分が死ぬ事を良しとしていなかった。言ってみればまだ真っ当な精神をしていた。なのにこの街の衛兵の尋問や拷問には口を全く開かなかった。拷問に至っては死ぬ可能性すらあったのに、だ。もちろん傭兵としての矜持があったのかもしれないが、それにしたって自分が死ぬのを良しとしなかったヤツが司法取引を持ち掛ける事すらないとなると、ちょっと疑問が残る。
「つまり、もうそこまで組織に忠誠を誓っていたって事か?」
あるいは、恐怖か。
とはいえ、それも『おはなし』したら口を開いてくれた程度だ。案外勝ち馬に乗りたかっただけとかの可能性もあるし、俺の考えすぎかもしれないから置いておこう。
それより、傭兵の言葉が正しいのなら、偽王か偽王子からの号令がない現状、奴らも偽王がやられた事は把握しているだろう。騎士団長からの連絡も途絶える以上、クリスの奪還に関しても、だ。
「つまり、奴らがここを攻めてくる……?」
可能性はある。とはいえ奴らにとってのクリスの優先順位がいまいちわからない。
「わざわざ飛空船を使うくらいだから高いんじゃないか?」
だがそれにしてはクリスの拘束役として付けていたのは幹部や側近ではなくまだ雇われの傭兵だ。本当に必要ならもっとちゃんとしたヤツを付ける気がするが……何というか、飛空船を手に入れるついでにクリスを連れて行ったようにも感じる。
「じゃあ奴らにとってクリスはそこまで重要じゃないと?」
いやそこまでは言わないが……うーん、わからん。
まあこの辺りの事は俺たちが考えたところで答えも結論も出ない。傭兵の証言は領主殿やクロード王子の許にも報告されているはずだから一応の結論はそちらで出されるだろう。
「あのー、一つ訊いてもいいですかお師匠」
「あ、クリス正気に戻っ…………お師匠?」
お、ガンバリマスbotと化していたクリスが復活した。
「結論はお兄様たちが出すだろうと言っていましたが、それなら今ここでアルと話していた事に意味はあるのですか? 結局別の所から答えが出てくるのがわかっているのなら、それを待つだけでもいいのではと思ってしまうのですが……」
ふむ……確かに答えが欲しいだけなら正解が出るのを待っていればいいだけだ。事前にいくら考えた所で答えがわからないのならそれも間違いではない。
答えを知っているのと知らないのとでは行動に大きな差が出てくるのも確かだろう。
では、その知っている答えが本当に正しいものだと誰が保証してくれると思う?
「え? それは、その教えてくれた人じゃ……?」
してくれないさ。その教えられた答えが悪意による偽情報の可能性もある。本人すら知らぬ誤情報の可能性もある。何なら正しい情報を都合のいい様に解釈してしまう可能性すらもある。そんなものにただの他人が責任を持てるわけがない。
ではどうやって正しい答えを手に入れる? 正解を知っている人に尋ねるか? 何が正解なのかもわからないのに誰が知っているのかはどうやって判断する?
「そ、それは……」
そもそもとして物事は白黒だけで分けられないし、絶対の正解なんてものも存在しない。
結局のところ何が正しくて何が間違っているかなんて、その判断は自らがしなければいけないのだ。己が決めた行動の責任は、他の誰にも負わす事はできないのだから。
故に考える事をやめてはいけない。疑う事を心掛けていなければいけない。時に今までの正解を間違いに修正しないといけない。
与えられる物だけに満足してしまえばそれは洗脳されているのと何ら変わらないのだから。
聖書にもあるだろう? 『汝、己が道は己でしか選べぬ事を忘れるなかれ』って。この一説は『どういった経緯であろうと人は自分の選択によってしか自分の行動を決定できない』という事を示していると解釈できる。
「あっ……」
なおこの一説を曲解して『自分の道を選べない奴隷や洗脳被害者は人間じゃねぇ!』という極論を振りかざす輩もいたりいなかったり……というのは黙っておこう。
まあ長々と語ったが、結論として、何が正しいかは自分で判断しなければいけないという事だ。
特に扱う情報の量が増えれば増える程その能力は身に付けていなければ足元を掬われることになる。
俺とアルがこうして話していたのはそのための訓練でもあり解答を受け入れるための準備でもある。
「ふぇぇ……」
「そんな意図があったのか……知らなかったぜ」
お前……お前……!?
「いや、別にお前が言う事全部正しいだなんて盲目的に思ってるわけじゃないって。色々と難しく言ってたけど、要はその時に何を信じるか信じないかを選ぶって話だろ? 俺だってそこはちゃんと考えてるさ」
それにしてはお前、俺に色々と丸投げする事が多い気がするが、そこの所はどう弁明するつもりだ?
「それは単純に俺はお前を信じるって決めた俺を信じているってだけさ。それで何かあったとしてもお前に文句を言うつもりはないさ」
やだ、この幼馴染俺の事信用しすぎ……!?
これ、人によってはアルと俺の関係を疑うのでは……とクリスの様子をそっと窺うが、当のクリスはというと「二人は仲がいいんですね」とほのぼのと感想を述べていた。あれ、俺の思考が穢れているのか……? とりあえずクリスは純真なままの君でいて。
「それにしても、お師匠は聖書についても詳しいんですね。私、聖書の内容は覚えていますけど、解釈に関してはそこまで……実は敬虔な信徒なんですか? もしくは神学者を志していたり?」
「お前、教会の息子の俺よりも知ってるもんなー」
別に俺は信徒じゃないし、神学者志望でもない。あとアルは知らなすぎるだけだ。
俺はただ単に子どもの頃に聖書の内容を全部覚えたというだけだ。人間関係を築くのに共通の話題というのは基本にして大切な事だからな。ちなみに今でも諳んじれるぞ。
「人間関係というと、アル相手ですか?」
「いや俺じゃなくて……いや誰かとは言わないでおくけど……」
ふふ……シスターへのアプローチのために聖書を必死こいて暗記して、付け焼刃だとまずいから自分なりに解釈までしたのが懐かしい。シスターには好印象だったみたいでそこそこに会話は盛り上がった。
なおシスター本人よりもその将来の夫になる神父の方が食いつきがよかった。
三人で話をすることも少なくなく、その最中にアルが俺を遊びに引っ張って行って二人はそのまま盛り上がっていたような……あれ、まさか俺が二人の仲をお膳立てしていた……!? ……………………いややめよう俺の勝手な考えで俺を傷つけるのは…………
「どうした? そんな恨みがましい目でこっち見て?」
何でもない。何でもないはずだ。別にお前が引っ張っていってなければ俺にもチャンスがあったんじゃないかとか思ってないから。
「ところで何でクリスはコイツをお師匠って呼んでるんだ? 罰ゲームか何か?」
「あ、実は私、彼に弟子入りをしまして、色々と教えていただく事になりました」
「……何かの罰ゲーム?」
「違いますけど?」
「…………正気か?」
「どうして正気を疑われているんですか私?」
まあただの平民を師事する王族とか普通に正気を疑うだろう。
「いや、そうじゃなくて……いや深くは言うまい」
おう、言いたい事があるならちゃんとこっちを見て言ってみろよ。




