第十話
王様の前で取り押さえられた俺たちは兵士に連行されて城の地下牢へと連れ込まれていた。
地下牢自体そこまで広くなく、牢屋の数もそう多くないようだが、一箇所に三人をぶち込むには狭かったためか、俺とアル、そしてアンナはそれぞれ隣同士の牢屋に押し込まれたのだった。
「くそ……こんな牢、ブッ飛ばしてやりたいけど……!」
「天恵か? やめとけやめとけ! この牢には天恵や魔法を阻害する魔術結界が施されてる。無理に使おうとしても発動するんだかしないんだか……暴発して自分に戻ってくるだけさ」
苛立つアルに二人いる看守役の兵士の内の一人がわざわざ説明してくれる。なるほど。道理で。アルが大人しくしているわけだ。
アルの天恵であれば鉄格子を消し飛ばすくらいできるだろうが、この魔術結界の中だと制御が上手くできずにアル自身はともかく俺たちまで消し炭になりかねない。
「くそ……武器さえあれば……!」
武器があれば鉄格子を切り裂く事くらいアルならできそうだが、武器も持ち物も取り上げられた以上どうしようもない。アルは完全に封じ込められていた。
……とはいえ、俺たちが取り押さえられたあの場でアルが武器を抜けていたとしても切り抜けるのは難しかっただろう。
多勢に無勢、さらには俺を瞬時に押さえ付けた騎士団長やら側近の騎士がクリスを抑えていたのを考えれば攻めきれず逃げきれず結局捕らえられていた可能性が高い。
……しかしこのままここにいてもこの看守たちから有益な情報は出そうにないし、そろそろ限界も近い。行動を開始しよう。
牢屋の奥の方に移動し、鉄格子に背を向けて懐に手を入れる。
あえてごそごそと音を立てた事で看守の一人がこちらに目敏く気付いた。
「おい、そこのお前何してる?」
その声に動きを止める……が、それ以上反応しない。あたかも疚しい事をしていたかのように。
その位置からでは俺が何をしているのかわからない。確認するためにはどうしても中に入らなければならない。
「一人で行く気か? やめとけやめとけ! 王女誘拐犯の一人で、天恵も持っているんだかいないんだか……牢屋の中で後方強者面している読み切れない男だぞ」
「はん、俺だけで十分だ。そもそもフル装備の俺に丸腰で勝てるわけないだろいい加減にしろ!」
もう一人の看守が止めにかかったものの、聞く耳持たずに牢の扉を開けてこちらに歩いてくる看守。
その足音のタイミング、そしてそこから推測できる歩幅からして口で言っていたほど慢心はしておらず、俺が何らかの抵抗をしてくることを警戒していることが窺える。
そして俺の手元が見えるくらいの位置に来た瞬間────口内に溜まっていた液体を看守の顔面目掛けて噴き出し、それに怯んだ隙に手にしたナイフでヤツの首元を切り裂いた。
「……う”ぁ?」
自身の首元から噴き出た鮮血に思わず声にならない声が漏れ出た看守の頭部を掴み地面に思い切り叩きつけ、意識を飛ばす。
「なっ!? 貴様どうやっグェッ!?」
続けてもう一人の看守目掛けてナイフを投げようとする前に、どこからか飛来した光の球体が看守の頭部に直撃し、その意識を奪っていた。
「全く……! アンタ何したのよ……!」
「え? 何? 何が起きてるんだ……?」
その言葉とアルの状況がわかっていない様子からして、今の球体はどうやらアンナの仕業らしい。姿が見えず声しか聞こえてこない辺り、おそらく牢の中から鉄格子の隙間を縫って魔法を撃ち出したのだろう…………?
……ちょっと待った。今どうやって魔法使ったんです……? この魔術結界って魔法を阻害するのでは?
「掌の間に空間ができるようにして手を合わせることで、その空洞を一つの界として定義して魔術結界の阻害効果から除外したの。その界の中で魔法を発動さえさせてしまえば阻害結界は関係ないからあとは撃ち出すだけ。まあこんなのできる人の方が少ないだろうけど、理屈だけなら簡単でしょ?」
(簡単じゃ)ないです。
「というかやってみたけど手間も多いし効率的じゃないわね。時間があったらこの結界の魔術式書き換えて無力化する方が簡単そう」
魔法の阻害結界をその効果範囲内で魔法で書き換えて無力化って……何言ってるのかわからないですね。
うーん、何でカニに捕まってたんだろうこの女……?
「で、ずっと黙ってたと思ったら何したのよ……?」
ちょっと怪しげな動きをして看守に牢を開けさせるよう誘導しただけだ。不審がってわざわざ近付いてきた看守をナイフで一閃、と言った所だ。さすがにアルのようにナイフで鉄格子を切るのは出来ないのだ。
そう説明しながら、血塗れで地に臥した看守から鍵束を拝借し、牢屋から出る。
「ちょっと待って。そのナイフはどこから……?」
部屋で俺が取り押さえられた時があっただろう。あの時に懐に手を入れたのだがその際にナイフを一本隠したのだ。
「隠したって、武器なんて荷物と一緒に全部取り上げられただろ。よく見つからなかったな」
ナイフを隠した場所は腹の中だからな。
そう言って俺は腹と口から血をダラダラ垂らしながらアンナの牢屋の鍵を開ける。
「は…………っ!? あ、アンタ何やってんの!?」
「というかそれこそいつの間に……!?」
あの時、床に叩きつけられた時にだが?
「まさか脱獄を見越してそこまでしたと……!?」
………………もちろんさ!
「……うん? 今の間は一体……?」
決してひと暴れしてやろうと武器を手にしてその前に叩きつけられた時にたまたま腹に刺さったとかじゃないから。『峰打ち』はちゃんと発動してたから。あえてだから。
「まあその真偽は置いといて、それじゃあクリスを助けに行こうぜ」
そうだな。そのためにもまずは情報を整理しよう……アンナ? どうかしたのか?
「……アンタたち、逃げてもいいのよ?」
アンナのその問い掛けに、俺たちは問い掛けで返す。
その問答何回目だ?
「……そうね。そうだったわね。ほんとお人好しなんだから」
それにクリスを助ける理由が一つ増えてしまっている。
腹部の刺し傷をクリスに治してもらわないといけない。
『峰打ち』なので死なないとはいえ、物凄く痛いのだ。
こうなったらもうクリスを助けて助けてもらうしかないのだ。
「それは自業自得じゃ……いや違うの……?」
何はともあれまずは脱獄である。
アンナによって昏睡している看守から装備を剥ぎ取りアルに渡す。これで封じられしアルフォンスが無双兵士アルフォンスへと早変わりである。
ついでに衣服も剥ぎ取り、破って一枚の布にして腹部に巻き付ける。止血代わりだ。
そして剥ぎ取られた看守を血塗れ看守と同じ牢に放り込み鍵をかける。
「……何か剥ぎ取るの手馴れてない?」
人聞きの悪い事を言わないでほしい。こんな追剥強盗のような真似をしたことなど……1……5……11…………そんなにあるわけないではないか。
「十分に多そうだけど!?」
そんなにあるわけないではないか。せいぜい両手の指で数えられないくらいだ。
「十分に多いけど!?」
そんなにあるわけないではないか。と繰り返して誤魔化すしかない状況での事だった。
「その声、アンナか……?」
どこからともなく、アンナを呼ぶ声が聞こえてきた。幽霊かな?
「何か奥の牢から聞こえてきたな」
「こ、この声は……!?」
暢気な俺たちとは対照的にアンナはその声が聞こえてきた方へと駆け出していった。
俺たちも仕方なくついていくと、そこには牢の中を見て驚くアンナの姿があった。
「ど、どうして!? 貴方様がこんな所に!?」
「誰か知っているのかアンナ?」
牢を覗き込んだアルに続いて俺も中を窺い……思わず絶句した。
「あれ、知らないの俺だけ?」
……そうだな。俺も知っている。
彼の名はクロード・クロリシア。
クロリシア王国の第一王子、つまり次期王位継承者だ。
「第一王子……つまり、クリスのお兄さんか?」
「いやそうだけど食いつくのそこなの?」
いや、それよりも牢から出した方がよさそうだ。俺は看守から拝借した鍵で囚われの王子を牢から解放した。
「大丈夫ですか殿下!?」
「……おかしいな。牢屋に入れられて私は幻覚でも見ているのだろうか……? アンナの横に血塗れの動く死体がいるように見える……」
あ、お構いなく。
「……っ!? 幻覚が喋った……!?」
「その幻覚は気にしないでください。それよりも一体何が……?」
……最近アンナからの扱いがぞんざいになっている気がするんだけど、どう思う?
「出会った時にやった事を考えればいい方じゃないか?」
せやろか? ………………せやな。
「そこ、ちょっと黙ってなさい」
はい…………いや待て。それよりも先に移動した方がいいだろう。
もしここで交代要員なり兵士が来たらこの阻害結界が張られた逃げ場のない狭い場所で戦わなくてはならない。そんな中でハラキリゾンビ状態の俺に天恵の封じられたアル、そして魔法使いのアンナで切り抜けられるかと問われると……………………あれ、別に問題ない気がしてきたぞ……?
ここから出て見つからないという保証はないわけだし、人心地つける場所に辿り着けるとも限らないわけだし……?
「で、どうするんだ?」
…………ここでいいや。
「幻覚が一喜一憂している……それともアンナが死体操作術すらも修得したと……?」
「違います」
◆
「父上は、変わってしまわれた……」
まず敵側であるクロリシア王の目的を知るために、クロード王子が何故投獄されていたのか、話してもらう事になった。
「元々父上が先史文明の発掘と解析に力を入れ始めたのは技術の発展のためだった。先史文明が崩壊した後、人類はその文明の残骸をかき集める事で生き延びたと言われている。それと同じように遺物を集める事で今の文明も先に進めると信じていた。軍拡はその一部にすぎない」
かつての王は国のため理想のために周囲の協力を仰いでいた。多くの臣下たちとも意見を交わし、時に自身の考えを修正しながら、理想の国家にするために周囲と力を合わせて進んでいた。
「だが、いつしかその目的はすり替わっていた。父上は人が変わったように先史文明の発掘と軍拡に力を入れるようになった。それ以外の責務は臣下などに放り投げるようになり始めてな。その事を私は、父上から後継として任せてもらえるようになったのだと喜んだものだ。そこから父上とあまり接する機会が減ったというのに……愚かなものだ。ようやく父上の変化に気付いた時には……既に遅かった」
人を近付けず、全てを己が独断で決め、それを押し通す。気付けばそんな暴君へと変じてしまっていたのだという。
「その末に父上は正気とは思えない事をしようとしていた。それを諌めようと直談判しにいって…………このザマだ」
自身の後継であるはずの第一王子ですら秘密裏にとはいえ軟禁ではなく投獄している辺り、その凶行は度を越してきているのが察せられる。
「その、王は何をしようとしているのですか……?」
「────全世界への宣戦布告」
「…………は?」
「クロリシア王国は武力によって世界統一を目指す、とのことだ」
段階的な領土拡大ではなく急速な世界統一……確かに、これは正気とは思えないな……。
「なあ、実際この国だけで世界と戦うとかできるのか?」
普通に考えれば、無理だ。最初の近隣諸国までなら順調に進むかもしれないが、どうしても多方面戦争になり、兵糧や武器などの物資、派遣する兵士、それらを送る時間などあらゆるものが足りなくなる。占領した現地で徴収するにしても限度がある。
先日俺が言った止めに来た国に吹っ掛けていくパターンでも同時に相手ができておそらく2、3か国が限界だろう。それをいきなり全方面に戦争を仕掛けるなど不可能だ。全てを打ち倒すよりも先に干からびてしまうのは目に見えている。
だが、先史文明の遺産の中でそれが可能になり得るものを俺たちは知っている。
飛空船だ。
今の文明において、飛空船の他に空を自由に移動する手段はほとんど存在しない。あっても天恵などの個人による物になるだろう。
空飛ぶ魔物たちとの戦いならともかく戦争となると平面的なものしかしたことがなくそれ用の戦力しかない国が、空高くという全く想定もしない場所から一方的に攻撃を食らうのだ。こちらの攻撃は届かず相手は攻撃し放題……もはや戦争ではなくただの蹂躙だ。
もちろん飛空船を持っている国もあるだろうが、あって一隻か二隻程度。先史文明遺跡を率先して発掘・研究を進めていたクロリシア王国はその何倍もの数を所持している。それこそ飛空船団を組織できるほどには確保しているのではないだろうか。
「……その通りだ。クロリシアが保有している飛空船の数は、私が把握しているだけでも最低八隻……おそらくは十を超えているだろう…………それにしても本当に大丈夫なのか? 今にも死にそうというか何故死んでないのかというくらいなのだが……」
「ほら、無理して喋らないの」
ぬーん…………
「というかクリスが狙われた理由がわからないよな。今までの流れからして王様が黒幕って事だろ? 実の娘を誘拐させるってどういう事だよ?」
「クリスを欲しがっていたのは父上ではなく、父上が懇意にしていたエルロン枢機卿だという……今思えば父上が変わり始めたのもヤツが来てからのような気がする……」
「枢機卿?」
簡単に言えば、教会のお偉いさんだ。もっと言えば聖王が指名した自らの補佐役にして次の聖王候補でもある。
「つまり教会のナンバー2じゃないか!」
とはいえ枢機卿は一人ではない。代々聖王は枢機卿に複数人指名するのが通例になっている。今も確か五人ほどいたはずだ。
「へぇ、そうなのか……」
だから何故知らないんだ神父の息子……
ちなみにエルロン枢機卿だが政治手腕は優れているものの『主神絶対主義』の中でも過激派として知られており、他の信徒からは嫌厭され気味だとかで現状だと次期聖王に最も遠い枢機卿とされている人物だ。黒い噂もいくつか流れていて、教義を無理やり曲解して教育を施した私兵団とやらも実際にいるようだ。
「だから何でそんな事まで知ってるの……?」
「でも教会の人間ならクリスをわざわざ要求する必要性があるのか……?」
「おそらくだが、秘密裏に、というのが重要なのだろう。表立った活動のためではなく、後ろ暗い目的のために、利己的に利用したいと言った所か」
目的は何にせよ、つまりクリスはこれから改めて聖都へと送られることになるだろう。であればどのように聖都へ送られるかだが……陸路か、海路か、あるいは……
「おそらく空路────飛空船だ」
王子はそう断言するが、飛空船で移送するにはさすがに目立ち過ぎるのでは……?
「どちらにしてもクリスは聖都の治癒院にいることになっている。そこまでならたとえ目立ってしまっても問題はない。それよりも一度失敗している以上確実に送り届けることを優先してくるだろう。それに全世界に飛空船で戦争を仕掛けるのだから、飛空船の一隻が聖都に向かったからといって注視される前にそれ以上の衝撃で有耶無耶にすることも可能だ」
確かに、一理ある。確実に早くと考えれば飛空船以上に適した手段はないだろう。
「問題があるとすれば、現時点でクリスがどこにいるのかわからないという事だ」
私室で軟禁、というのが鉄板だが……すでに飛空船に乗せられている可能性もある。あるいは王子のようにこことは別の牢屋に投獄されている……?
「ここからクリスの私室まで大分距離があるわ。案内できるけどどれだけ慎重に動いても絶対にどこかで見つかるわね」
「飛空船の保管場所なら私が案内しよう。だがそこを抑えてしまえばどれだけ隠そうがさすがに父上たちにも伝わるだろう」
アルは……っと、ここでのんびりする時間は終わりのようだ。
言葉も途中に口元に人差し指を持っていき沈黙を促す。こちらの意図をくみ取って話が途切れた辺りでより耳を澄ませる。
地下牢の入り口の方から足音と話し声が聞こえてくる。おそらく見張りの交代だろう。数は……2。
微かに聞こえてくる歩調と話からこちらへの警戒はほとんどしていないだろう。
なので不意を打って二人ともナイフで無力化した後、鎧を剥ぎ取り牢屋へぶち込み鍵をかけておく。
「というか躊躇いなく殺すのだな……いや、責める気はないのだが……」
俺のダイナミックなアン・ブッシュに若干引いてしまっている様子の王子に対して弁明する。
心配ご無用、『峰打ち』なので。
「峰打ち……峰……?」
血がドクドク出ている看守たちを見ながら王子が混乱しているが、峰打ちは峰打ちでそれ以上でも以下でもないし時間もないので説明は省く事にする。
「……この魔術結界、天恵も阻害するみたいだけど、なんで使えてるの?」
あくまでこの結界は阻害・抑制するだけで無効化ではない。制御が難しくなるだけだ。であれば制御さえきちんとできていれば使用に問題はないということだ。
「俺、この感覚が乱されてる空間の中でまともに使える気がしないんだけど……」
アルは天恵制御の修行が足りてないのだ。カラテだ、カラテあるのみである。
「ぐっ、カラテが何かわからんが言い返せない……!」
「……それって天恵の使用頻度どれだけ多いかって話になるんじゃ……?」
まあ今はそれどころではない。
変装用に鎧を剥ぎ取ったがこれで完全に誤魔化せる程甘くはないだろう。血もついているし。
「ついてるというか血塗れよね」
それにどれだけ順調に進めたとしても選択を誤れば間に合わなくなることも十分にあり得る。
アルはどう動くべきだと思う?
「なら……────」




