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K転

 夕焼けへと続いている帰り道の先で歩いている二人分の後姿を何とはなしに眺めていた。

 すると隣で一生懸命におしゃべりしていた彼女が一歩ひょいと歩み出て、

 

「ところで先輩、この頃この辺りで変質者が出るらしいので自首したらどうですか」


 振り返り、西日を背に彼女はそう微笑みかけてきた。

 流れるように濡れ衣を着せられた俺がまたもや浮かべているのは、きっと苦虫を噛み潰したような表情だろう。


「どうしました? そんなハトが豆鉄砲でヘッショされたような表情をして……まさか図星?」


 違ったね。なにその表情。俺は今そんな顔をしているのか。その……ハトがヘッショされている、たぶんめっぽうに驚愕していると思わしき表情を?


「違うよ。俺じゃない」


 俺じゃないんだ。

 いつだって丁寧口調の後輩へ、そんな確信を込めて微笑みかける。こんなに穏やかな笑顔の変質者がいると思う? という意味合いも含んで。


「ひっ……犯されるっ……」


 怯えを多分に主張し、後輩は俺から一歩距離をとる。彼女は俺の心が鋼鉄でできているとでも思っているのだろうか。もう慣れたものだけどさ。


「俺はそういうことをする人間じゃない」


 無実であることを主張する。明言する。俺ではない。俺は違う。この陳述はそして、紛うことない事実だ。自分自身がそうだと確定できるし、潔白の過去が裏付けしてくれることだろう。幾重にも積み重なり続けてきた俺の過去が。遠い昔の記憶は、正直なところもうあやふやだけど。


「なら私には犯すほどの魅力もないって言いたいんですかっ」


 なんか怒られた。そこそこの付き合いだけど、たまに彼女のことが分からなくなる。


「魅力云々じゃなく、倫理的な意味での潔白を言いたかった」

「はあ?」


『はあ?』って。彼女は俺に近寄り、眉を吊り上げて接敵したチンピラみたいな表情で見上げておられる。

 たまにじゃなかったかもしれない。俺は彼女をしょっちゅう分からない。


「倫理云々ではなく、魅力云々の話を今の私は望んでいますが?」


『いますが?』と言われてもなあ。


「じゃあこんな仮定の話をしましょう」


 唐突だ。

 

「一人の女子高生が夕闇に染まる通学路を歩いて帰宅しているとします、その子の名前を仮にA子ちゃんとしますね……家から徒歩三十分ほどの距離にあるB高校の一年C組に通っている一年生で、学業優秀、容姿端麗、明朗快活の綺麗よりもかわいいよりで、友達がいっぱいいて、先生方からの期待も厚い、部活はバレーボール部に所属したての未来のセッター候補で、文武両道の女の子です。そんな彼女にはなんと気になる先輩が一人いるんです!」


 へえ、と相槌を打ち、歩みは止まらない。

 彼女は隣に並び歩き、身振り手振りで一所懸命な語り口。

 俺達の目の前には家と家で挟まれた真っ直ぐの道が続いていた。ずっと向こうには十字路だ。その手前の左手には公園。遠目には、俺達よりも年下の子どもたちが遊んでいて、その保護者の姿が見える。西へ続く道なものだから、丸く滲む夕陽と真っ向から対面しなければならず、なんとも眩しいものだ。

 道のずっと先に、逆光で黒くなった二人ぶんの影がさっきからずっと見えている。帰宅途中の誰かだろう、俺たちと同じく。


「その先輩とは同じバレーボール部の二年生で、名前は仮にDとしまして、身長は同年代としては高めの180センチのコンマ6。体重は77キロジャスト。住所はE県F市G町H区にあるI薬局の裏手にあって……なんとなんとA子ちゃんのご近所さんで、こんくらいのときから二人はいっしょに育ってきて、A子ちゃんはDの妹分として近所の公園を荒らしまわっていて、A子ちゃんはもともと大人しい子どもでしたがDの影響によりやんちゃへとなってしまったらいいなあって日々を私は妄想してました! 実際はお互いに全然違う地区で高校で初めて会っただけなんですがね! でも幼馴染な関係だったらいいなあってD先輩もそう思いませんか!?」


 親指と人差し指で三、四センチメートルの間を空けて“こんくらい”の大きさを示した彼女が食い気味に妄想の同意を求めてくる。胎児ぐらいの大きさだろうか、小さすぎないか、などと考えながら、


「ま、まあな、うん」


 俺は戸惑い気味にひとつ、頷いた。

 満足そうに彼女は目を細め、「それなら続けますね!」と息巻いた。


「視力は両目共に2.0、部活ではスパイカーをしていて、なんとなんとスーパーエースなんです! 現在副主将、三年生が引退した後には主将の座が確約されているスポーツマンでっす! 利き手は左で、最高到達点は330センチ! 今年の春高では惜しくもJ高校に敗れて準優勝でしたが、接戦でした! 私見てて興奮しました!!! 惚れ直しました!!!!」


 細かい設定だなあと、他人事のように思う。身近に感じる。感じるだけだ。あまりに長い間を挟んだ過去は、それが俺のものだったとしても他人事だと錯覚してしまうのだろうな。そう、やはり他人事みたいに考える。


「前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。そのA子ちゃんがある日、一人で帰っていました。その日の部活はいつも通りにあって、でも帰り道が同じだからいつも一緒に帰るチームメイトの友達はどうしても外せない家の用事があるとかなんとかであたし今日部活休むけどところであんたとDさんって帰る方向いっしょじゃなかったけ変質者出てるし一人だと危ないんじゃないかなうふふふふがんばってとか言われて、でもスーパーエースさんは居残り練習するからってかっこいいこと言ってくれちゃって、けっきょく一人で帰る羽目になってしまいました。それでA子ちゃんは俯きがちに帰宅途中です、なぜだか分かります?」

「いっしょに帰れなかったからだな」


 はい、と彼女。「ふふふ」微笑んでいる。


「A子ちゃんは帰路を急いでいたわけですね。変質者の話もありますから、速足でした。するとぉ……後ろから誰かが走ってくるんです」


 声を低くし、おどろおどろしく彼女は不敵に口角を吊り上げる。


「不審に思ったA子ちゃんが振り返るとぉ、なんとそこにはぁ……」


 俺に目配せをすると、彼女はゆっくりと背後へと振り返り始める。今まさに、その後ろから走ってくる変質者がいるかのように。


 俺は彼女につられて振り返り、そして──道の向こう側に。



 振り返っている俺の後頭部を見た。



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