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誰がために竪琴は鳴る  作者: 音楽制作ユニット【トリアノルン】
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第三楽章~怒れる竪琴弾きと噂好きな紳士淑女

 いよいよルロワ伯爵主催の音楽祭が始まった。


 大広間には、伯爵の人脈により多くの紳士淑女が一堂に会していた。

 そして来賓の特等席には、王族の遠縁に当たるバルザミン公爵の姿があった。


 あの芸術の都アルジョンテを治めるバルザミン公爵―――しかし憧れも期待も、今のクレールにはもう持てなかった。


 三姉妹の出番となり、ベアトリスが代表して主催であるルロワ伯爵に挨拶した。


「本日はこのような素晴らしい音楽祭に出演させて頂きますこと大変光栄に存じます。伯爵には感謝の意をお伝えするようにと父から言いつかっております」

「ルグラン家の娘たちか。彼には演奏会などでたびたび世話になっている」

「伯爵のお話は父からかねがね伺っております。多大なご恩を感じておりますと……」


 ベアトリスは恭しく頭を下げると、傍らに座る伯爵夫人に視線を送りながら続けた。


「先日は伯爵夫人のサロンでも演奏させて頂きまして、誠に有難うございました」

「ああ、先日のサロンに……そういえばいらしたかしら……」


 伯爵夫人は、覚えていないとでも言いたげにそっけなかったが、ベアトリスはこのきっかけを逃すまいと勢い込んだ。


「ええ、大変貴重な経験をさせて頂きました。ご厚意に感謝申し上げます。機会がございましたらまた是非とも」


 しかしベアトリスの言葉を遮るように、伯爵夫人の粘着質な声が割り込んだ。


「……古典音楽がお得意のご一家でいらしたわね。ただ……ここにお見えになるお客様たちは、常に新しい音楽を求めていらっしゃる方ばかりで……古臭い音楽は……正直もう聴き飽きておりますのよ。新しい音楽も取り入れなくては、この先難しくなるのではないかしら……?」


 伯爵夫人の言葉はあからさまに嫌味たらしかったが、それでもベアトリスは笑顔を絶やさなかった。


「古典音楽は、その普遍性こそが最大の魅力でございます。長い年月で培われた音楽は、時代の変化にも耐えうる芸術性を有しております。きっと皆様のお心にも響きますかと……」


 挨拶を終えた三姉妹は、伯爵夫妻の前から下がると演奏の準備にかかった。


 準備をしながらエミリーが小声でぼやいた。


「なぁんか感じ悪くない?あのおばさん」

「しっ!滅多なこと言わないの。悔しいなら、伯爵夫人が何も言えなくなるくらい私たちが素晴らしい演奏をすればいいだけよ」


 人差し指を口元に立て、ベアトリスはエミリーをたしなめた。


 悔しいなら、そう言ったベアトリスが誰よりも一番悔しい思いだった。

 誇りに思っているルグラン家を、代々受け継いできた音楽を、古臭いなどとこき下ろされたのだ。

 しかし、ルグラン家のことを思えばこそ堪えるしかなかった。

 コケにされたのなら、見返してやればいい。私たちが素晴らしい演奏をすれば……。


 しかし媚びへつらっても、素晴らしい演奏をしようとも、もはや何の意味もなさないと知っていたクレールは、発奮する姉を冷ややかな目で見ていた。

 何もかもが、無駄に思えた。だって、裏ではもう根回しが済んでいるのだから。

 

 三姉妹は演奏を始めた。曲目は古典音楽の王道とも言える恋物語だった。


 音楽会と銘打たれてはいたものの、貴族たちは相変わらず演奏よりも酒とお喋りに夢中であった。


 そんな大広間の様子をぼんやりと眺めながら、何食わぬ顔で美しい人へ寄せる甘い恋心を歌ううち、クレールの中にはふつふつと怒りの感情が湧き上がっていた。

 美しい歌声の主とは別人のように、そのはらわたは煮えくり返っている。


(新しい音楽を求めている……?笑わせるわ。伯爵夫人もフェルナンも、ここにいる貴族たちもみんな、誰も本当の音楽なんて求めてやしない。求めているのは快楽だけのくせに!)


 たぎらせた怒りの奥にふと、ちょっとした悪戯心が芽生えた。


(……そうだ、色恋に溺れた自分の姿がどんなに哀れで滑稽か見せてあげる。さあ、その目で確かめるといい……!)


 すると、クレールは途中から歌詞を変えて歌い出した。


―――道ならぬ想いに焦がれる人よ 赤く頬染めるは見せかけの淑女


 クレールが歌うと、大広間の中央にはぼんやりと二つの光が浮かび上がった。

 お喋りに夢中だった貴族たちが一人、また一人と、光に気づいてざわつき始める。


「あれは……なんだ?」

「何かしら、丸い光の玉のような……」


 光は徐々に人の形となり、やがてはっきりと二人の人物の顔を映し出した。


「あ、あれは……伯爵夫人では……?」

「いやしかしマチルダ様はあちらにおいでで……」

「もう一人は……あれは、フェルナンじゃないの……!?」


 貴族たちのざわつく声が次第に大きくなっていく。


「なんだ私は……夢でも見ているのか……?」

「いやしかし私の目にも見えておりますぞ……!」


 来賓席のバルザミン公爵までもが、ルロワ伯爵に尋ねていた。


「伯爵、あれは一体……?」

「も、申し訳ございません……!しかし、私にも何が何だか……」


 妻の姿をした得体の知れない幻影を前に、伯爵はうろたえるばかりであった。


 それがクレールの創り出した幻影だとは、誰一人気づくはずもなかった。二人の姉妹を除いては。


 エミリーは縦笛を吹きながら、目を見開いて二つの幻影を凝視していた。


「……クレール……クレール?ちょっとあなた、何やってるの……!?」


 演奏の手を止めずに、ベアトリスは小声でクレールに呼びかけた。

 が、クレールは返事をしない。


 やがて二つの幻影から会話が聞こえてくる。クレールがついさっき庭で見た光景の通りに。


―――フェルナン、約束通りあなたの事をバルザミン公爵に推薦するよう夫にはお願いしておいたわ

―――貴女のような、芸術を深く愛する慈悲深い聖母のような女性に出会えてこの上ない喜びです、伯爵夫人


「なん……だと……?マチルダ、どういうことだあれは……!?」


 幻影の会話とはいえ、身に覚えがあるのかルロワ伯爵は傍らの夫人に詰め寄った。

 伯爵夫人は夫の方には顔を向けず、じっと幻影を見つめたまま、声も出せずにいた。


(みんな見るがいいわ!欲にまみれた愚かな二人の姿を!!)


 クレールは荒々しく弦を掻き鳴らし、あらん限りの声を張り上げて歌った。

 二つの幻影の会話が続いていく。


―――私の方こそ……!私、何だか恥ずかしいの……貴方に出会えて、初めてこんな気持ちになってしまって。こんな……少女のような……

―――ええ、貴女はまるで少女のように可愛らしい。伯爵夫人……いえ、マチルダ

―――……フェルナン……!


 初めは、悪魔の仕業だ何だと口々に言っていた貴族たちだったが、幻影の会話を聞くうち、次第に憶測の言葉が飛び交うようになっていた。


「まさか……本当なのかあれは!?」

「伯爵夫人が……?そういえば……あの吟遊詩人、サロンで何度か見かけましたわね」

「私見ましたわ!お二人が親しげにお話しされているのを!」

「伯爵はご存じなかったのだろうか……これはとんだ裏切りではないか!」


 貴族たちの興味は、幻影の謎から伯爵夫人の不貞疑惑へとすっかり矛先が変わっていた。

 誰もが紳士淑女たらんと正義を振りかざして糾弾しているが、その目にはこの騒動をどこか面白がっている卑俗な輝きが宿っていた。


 混乱を極める大広間の中で一人、クレールだけが胸のすく思いだった。


(ほらご覧なさい!やれ品性だ教養だとか言いながら、化けの皮が剥がれたらこんなものよ!貴族だって所詮は低俗の集まりじゃない!!)


 クレールの心はまるで仇でも取ったかのように高揚していた。


(自業自得よ。伯爵夫人ったら、一体どんな顔をしているかしら……)


 クレールは伯爵夫人の方をちらりと盗み見た。

 夫に詰め寄られた伯爵夫人は、顔面蒼白で今にも倒れてしまいそうだった。


(…………ちょっと、やりすぎちゃったかな…………)


 哀れな伯爵夫人の姿を目にして、クレールは急速に後ろめたさを感じていた。



 その時。一瞬、伯爵夫人と目が合った。



 クレールは、ぐらりと妙な眩暈を覚えた。



 その途端、大広間の幻影が形を変えた。

 現れたのは薄暗い部屋だった。

 部屋の中では、庭で見たときと同じように伯爵夫人とフェルナンが向かい合っている。


(…………あれ?これは……どこの部屋…………?)


 壁には豪奢な縁取りの大鏡が立て掛けられていた。部屋の奥にはベッドが見える。

 どうやら寝室のようだ。しかし、クレールには全く見覚えのない部屋だった。


「……フェ、フェルナン……」


 新たに立ち現れた幻影を前に、伯爵夫人はか細い声でフェルナンの名を呼んだ。


 クレールが伯爵夫人の視線の先に目を向けると、大広間の脇で出番を待っていたはずのフェルナンは、引きつった顔に冷や汗を浮かべ、扉に向かってそろそろと後ずさりをしていた。


(あいつ……逃げるわけ!?とんだ腰抜けだわ!!)


 伯爵夫人を残して一人逃げようとするフェルナンに、クレールは怒りというよりも呆れ果てていた。


 伯爵夫人の幻影もまた、フェルナンに語りかけていた。


―――……フェルナン、ここから連れ出して頂戴、私を……フェルナン…………


 呼びかけられたフェルナンの幻影は、現実とは違って優しげな笑みを浮かべながら答えた。


―――……お連れしましょう、マチルダ。誰もいないところへ……


 貴族たちは音楽会のことも忘れた様子で、幻影にくぎづけになっている。


 やがて、庭で繰り広げられた光景と同じように、二人の影は徐々に顔を近づけていく。


 決定的とも言える不貞の光景を前に、淑女たちの嬌声に似た悲鳴と、紳士たちの興奮した怒号とが飛び交い、大広間は混沌の坩堝と化した。


「クレール!やめなさい!クレール!!」


 もはやクレールにも何が起こっているのかわからなくなっていた。自分が思い浮かべたはずのない幻影が、勝手に動き出しているのだ。

 ベアトリスの制止する声が、遥か遠くから聞こえるように感じられた。しかしクレールの手は止まらない。自我を持たないあやつり人形のように、ただひたすら竪琴を弾き狂っていた。


 焦ったベアトリスは手近のテーブルから食事用のナイフを引っ掴むやいなや、クレールにその切っ先を向けた―――






 プツッッッ…………!!!






 突然、指先の手ごたえを失い、クレールは我に返った。






 手元を見ると、切れた竪琴の弦が数本だらりと垂れ下がっていた。


 竪琴の音が鳴り止むと共に、寝室と二人の幻影はさらさらと霧のように消え去っていった。


 人々の興奮は徐々に収まり、やがて大広間は居心地の悪い静寂に包まれた―――


 が、ベアトリスがその空気を断ち切るように立ち上がり声を上げた。


「み、皆様、誠に申し訳ございません……!竪琴の弦が、切れてしまいましたので……ここからはフィドルと縦笛の二重奏をお送り致します」


 ベアトリスの言葉で、貴族たちはここが音楽会の場であることを思い出したようだった。

 と同時に、紳士淑女にあるまじきはしたない振る舞いをしたことが恥ずかしくなったのか、ばつが悪そうにすごすごと自席へと戻っていった。


 ベアトリスはすかさずエミリーに目配せすると、二人は急いで演奏の準備を始めた。


「…………!!!」


 弦を切ったのが姉の仕業と気づくや、クレールはキッと抗議の目を向けたが、ベアトリスは悪魔のような恐ろしい形相でクレールを睨み返した。

 クレールはそれ以上何も言えず、もはや弾くものもなく、椅子に座ってうなだれたまま、ただ演奏が終わるのを待つしかなかった。


 扉に向かって後ずさりをしていたフェルナンの姿は、もうどこにもなかった。

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