表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰がために竪琴は鳴る  作者: 音楽制作ユニット【トリアノルン】
1/4

第一楽章~不機嫌な竪琴弾きとキザな吟遊詩人

 のどかな田舎町ジョーヌの外れにある小高い丘を、銀髪の少女クレールは竪琴を背負って足早に登っていた。

 竪琴は軽いが意外に大きい。16歳にしては小柄なクレールが背負うと、身体が隠れてしまうほどだ。後ろから見ると、まるで竪琴に足が生えているようだった。


「……わぁー!もうこんなに咲いてる……!」


 丘を登りきると、そこは一面にミモザの花が咲き誇り、陽の光を浴びてキラキラと金色に輝いていた。

 

 クレールはきょろきょろと辺りを見回した。誰もいないようだ。背負っていた竪琴を下ろすと、大きく伸びをした。爽やかな風が吹き抜けていく。


「んーっ、気持ちいーい!」


 柔らかな草むらに腰を下ろすと、竪琴を膝に乗せた。ポン、ポンと弦を爪弾く。ピチカートはやがてレガートになり、音は幾重にも重なり、それは滑らかな絹のように広がっていく。


 竪琴を弾きながら、クレールは生まれ育った町を見渡した。小さな町を囲むように広がる田園風景。町の中心にある大きな教会。教会から伸びる石畳の緩やかな上り坂。その先にある貴族たちの邸宅。

 クレールの目は、さらに遠くを眺める。


「アルジョンテ、どんな所なんだろう……行ってみたいなぁ……」


 おぼろげに見えるのは、長く連なる石造りの壁と、その中央にぼんやりと浮かぶ宮廷の影。芸術の都として名高い街、アルジョンテがそこにある。


「にぎやかなんだろうなぁきっと……お店が通りいっぱいに並んでたり……」


 竪琴を奏でながらクレールはつぶやいた。

 すると、目の前に何やら薄っすらとした光のようなものが現れ始めた。光は拡散と凝縮を繰り返しながら、次第に形を成していく。


「えーと……まずは雑貨屋さん」


 光は建物へと姿を変えた。それは田舎町ジョーヌで唯一の雑貨屋にそっくりだった。薄っすらと向こう側が透けて見えるものの、まるで本当にそこに建っているかのように見える。


「次は……鍛冶屋さんかな」


 雑貨屋の隣に、もやもやとまた光が現れ始めた。光はこの町で腕利きと評判の鍛冶屋へと姿を変えた。店の奥には鍛冶屋の主人が見え、真っ赤に焼けた鉄を打つカーン、カーンという音まで聞こえてくる。


「それから……織物屋さん」


 またしても光が現れると、クレールの家の近所にある織物屋そっくりに変わった。店の奥からはカラリカラリと機織り機の音が聞こえてくる。

 まるで竪琴の音に誘われるように、どこからか光が立ち現れてはクレールの思い描くものへと形を変えていった。


「あとは……めんどくさいな、もう同じでいいや」


 そう言うと、3軒の店の隣に全く同じ3軒の店が、その隣またその隣へと次から次へ建ち並んだ。これまた光が作り出した石畳の大通りを挟んで、商店が向かい合わせにずらりと並んだ。


 雑貨屋、鍛冶屋、織物屋、雑貨屋、鍛冶屋、織物屋、雑貨屋、鍛冶屋、織物屋……


 賑やかな通りにはなったが、いかんせん華やかさに欠けた。


「うーん……なんか芸術の都っぽくないなぁ」


 クレールが不満気につぶやいたその時、教会の鐘が鳴り響いた。


 そろそろ時間だ。もう行かなくては。

 クレールは竪琴を弾く手をぱたりと止めた。

 すると、建ち並んだ商店や石畳の大通りは途端にゆらゆらと揺れ始め、さらさらと砂のように崩れ、やがて風の中に溶けていった。


「あーあ、またお勤めかぁ……」


 楽しい夢から叩き起こされたような気分でそうぼやくと、クレールは竪琴を背負い、ミモザの丘を下りて行った。

 今日は伯爵夫人の邸宅でサロンが開かれるのだ。遅れるわけにはいかなかった。


――――――


 昼下がりの邸宅には、金と暇を持て余した貴婦人たちのさえずりが尽きることなく響き渡っている。


「まあマチルダ伯爵夫人!そちらの指輪、珍しい宝石じゃございませんこと!?」

「ああこれね……馴染みの商人に勧められましたの……」

「細工も緻密で素晴らしいわぁ」

「私は遠慮しましたのよ……だけど主人がせっかくだからと……」

「ルロワ伯爵様は素敵ねぇ。うちの主人は宝石になんてまるで興味がなくて」

「そういえば最近新しい馬を手に入れられたとか……」

「ああそれは、来月に狩猟会を催しますので若い馬をね。王家直系の方々をお迎えしますのよ」

「お二人ともうらやましいわぁ!うちなんてなぁんにも」

「あら、先月ご家族でご旅行されたと伺いましてよ?」

「ええそうですの!芸術の都アルジョンテ!それはもう素敵でしたわ!演劇を観たり音楽会へ行ったり絵画に触れたり。毎日が夢のようでしたわ!」

「楽しいご旅行でしたのね……私も主人にお願いしようかしら……」

 

 貴婦人たちは、込み上げる好奇心や嫉妬や嘲笑の感情をきつく巻いたコルセットで押し留めながら、涼やかな顔で談笑に興じていた。

それは実に優雅で、滑稽で、空疎なひとときであった。


 そんな貴族たちの傍らで、粛々と音楽を奏でる三人の少女の姿があった。

 宮廷音楽家の一族、ルグラン家の三姉妹である。長女のベアトリスはフィドル、次女のクレールは竪琴、三女のエミリーは縦笛の奏者として、サロンや催事で演奏を披露するのが仕事だった。


 竪琴を弾きながら、クレールは何食わぬ顔で切ない悲恋の歌を奏でていた。

 しかし、そのたおやかな指運びからは想像もつかないほど、彼女の心は荒んでいた。ついさっき、ミモザの丘で竪琴を弾いていた時とは真逆の気分である。


(来る日も来る日も、似たような色恋の歌ばかり……貴族の方々って他に関心のある事ないのかしら)


 貴族の好む音楽といえば、昔から決まって古臭く説教じみた曲か恋愛の曲。とりわけ貴婦人たちは身分違いの悲恋ものを好んだ。そしてお望み通りの演奏をしても、大抵はお喋りに夢中で誰も聴いてなどいないのだった。

 クレールはうんざりして、心の中で悪態をついていた。


(知的な会話を楽しむ場、とかなんとか言って自慢話しかしてないじゃないの。日々の暮らしに困ることがないと、こんなにも退屈な人間たちが出来上がるのね……)


 演奏を終えた三姉妹はまばらな拍手の中、気配を消した隠密のようにそそくさと大広間の脇へと退いた。


「絶対誰も聴いてなかったわよね」


 小声でクレールは言った。


「いいのよそれで。貴族の皆様方の楽しいひとときに音楽で彩りを添えるのが私たちの務めなんですから」


 長女のベアトリスがたしなめるように言った。確かにその通りではあった。依頼を受けたとしても、主役はあくまでも貴族たち。宮廷音楽家とはそういうものだ。


 だが次の奏者が現れた途端、それまでお喋りに夢中だった貴婦人たちは一転、嬌声を上げた。

 広間の中央に、肩まで届く金髪をなびかせた若きリュート弾きの男が颯爽と現れたのだ。


「フェルナン……!また来て下さって嬉しいわ。いつもの曲を聴かせて頂戴」

「この度も、麗しい淑女の皆様の前で演奏する機会を戴き大変光栄です、マチルダ伯爵婦人」


 フェルナンは伯爵夫人へ、それから大広間の全方位へ向けて恭しく礼をしてから椅子に腰かけると、切なげに眉を寄せ、もったいぶった仕草でリュートを弾き始めた。


 旅回りの吟遊詩人として芸術の都アルジョンテに現れた彼は、広場や酒場で演奏活動を始めるなり瞬く間に衆目を、とりわけ女性たちの目を集めた。

 噂を聞きつけた貴婦人たちはこぞって彼をサロンに呼びつけ、ついにはこの田舎町ジョーヌにも彼の名声が届くようになった。

 その細く長い指から紡がれる超絶技巧の数々、感傷的な旋律は、多くの女性たちの涙を誘うともっぱらの評判である。

 つまり、今もっとも旬な音楽家なのだ。


「あれが噂のフェルナン……私たちの時と全然反応が違うじゃない」


 クレールは忌々しげにそうつぶやいた。大して上手くもないのに。あの憧れの街アルジョンテで人気だなんて。しかもあのキザったらしい態度。何もかもがいけすかなかった。


「超絶技巧、というほどのことはないわね」


 演奏を聴きながら、ベアトリスは冷めた感想を漏らした。長女として、ルグラン家を誇りに思う気持ちは姉妹の誰よりも強い。たかだか吟遊詩人風情に、代々続く宮廷音楽家が負けるわけにはいかないのだ。

 

 しかし二人を除いてその場にいる女性たちは、フェルナンの甘い歌声とその端整な顔立ちも手伝ってすっかり彼の虜となっている。

 三女のエミリーもその一人だ。


「はあぁぁぁ……素敵ねぇ……本当に素敵……もう素敵としか、言いようが……」


 大広間の脇で、エミリーは語彙力を失くし潤んだ瞳でフェルナンを見つめていた。


「感心してる場合?商売敵なのよ。うかうかしてたら、ルグラン家の仕事まで全部持っていかれかねないわ」


 ベアトリスがたしなめるのも耳に入らない様子で、エミリーはすっかりフェルナンに魅入っている。


 フェルナンの歌う曲は悲恋ものばかりであった。それも、騎士や平民の男が既婚の貴婦人へ報われない愛を捧げるというもの。女性たちはそれに身悶えるのだ。実にわかりやすい自己投影である。

 女性たちはうっとりとした表情を浮かべてフェルナンの歌に聴き入っていた。だが最も恍惚の表情を浮かべていたのは、金髪を振り乱し、悪魔にでも取り憑かれたように大袈裟に弦を掻き鳴らすフェルナン自身であった。


「自分に酔ってるだけじゃないの」


 クレールはもはや苛立ちを隠せなかった。


 どいつもこいつも、口を開けば安っぽい色恋の歌ばかり。音楽はそんなもののためにあるんじゃないわ。音楽はこう、生きることの苦しみとか、その中にあるささやかな喜びとか、神に仕える敬虔な心とか、もっと根源的で、神秘的で……


「きゃあぁぁぁフェルナン様素敵ー!!」


 エミリーの黄色い声で、クレールは現実に引き戻された。


 演奏を終え、大広間中の女性の喝采を浴びたフェルナンは、貴族たちに向かって深々とお辞儀をして脇へと下がった。

 すると、手が腫れんばかりに拍手を贈っていたエミリーが何やらつぶやき始めた。


「え、ちょっと……フェルナン様が……こっちに来る……!?」


 フェルナンはゆっくりと近づいてきて、三姉妹の前で足を止めた。


「ルグラン家の方々……ですよね?はじめまして、フェルナン・シャルル・ミュレーと申します」

「きゃあぁぁぁフェルナン様が……!」


 興奮するエミリーを制してベアトリスが前に出た。さっきまでの態度が嘘のような、実に清楚な笑顔だ。


「はじめまして、長女のベアトリス・ソフィ・ルグランです。私たちのこと、ご存じでいらっしゃるのですか」

「もちろんですとも。この町で代々続く由緒ある音楽家一族と聞き及んでおります」

「まあ、こちらこそフェルナン様のご活躍は伺っております。お会いできて大変光栄ですわ」


 フェルナンは跪き、ベアトリスの手をとるとその甲にキスをした。

 それを見たエミリーは疾風の勢いでベアトリスを押しのけると、フェルナンに熱い思いの丈をぶちまけた。


「フェルナン様!お会いできてとっても光栄ですわ!!私、ルグラン家の三女エミリーと申します!先ほどの演奏とっても素敵でしたわ!美しくて……切なくて……私もう胸がいっぱいで……涙が出そうなほど感動的でしたわ!!」


 出そうと言うよりもはや号泣していた。

 熱のこもった少女の挨拶を、フェルナンはたじろぐこともなくにこやかに受け止めた。


「はじめましてエミリー。なんて可愛らしいお方だろう。まるで天使のようだ」


 そういう言うとエミリーの手の甲に軽くキスをした。


「きゃあぁぁぁフェルナン様……!!!」


 歓喜のあまり卒倒しかけたエミリーをクレールは慌てて後ろから支えた。

 当然、フェルナンの視線は3人目のルグラン家に向けられる。

 順当なので仕方ない、早々に切り上げよう。そう心に決めてクレールは伏し目がちに渋々挨拶した。


「……次女のクレールです」


 ――――――沈黙が流れた。

 

 前の二人に比べてあまりにもそっけない挨拶である。さすがのフェルナンも少し面食らったようだったが、すぐににこやかな笑顔に戻った。


「はじめましてクレール。先ほどの竪琴、素晴らしい音色でした。まるで風景が見えるような」


 一瞬、クレールの身体がびくっと震えた。

 クレールは思わず顔を上げ、フェルナンを見つめる。


(なんで、まさか見られ……いやそんなわけない。この人が知るわけ……)


 クレールの頭の中で、思考の矢が光の速さで飛び交う。

 その不意をつくように、フェルナンはクレールの手を取ると甲にキスをした。


(うげぇっっっ!!!しまった!!!気色悪っっっっっ!!!!!)


 できればご遠慮願いたかったキスの挨拶を受け、クレールの腕にはゾゾゾッと鳥肌が立った。


「近いうちお父上にもご挨拶させて下さい。それでは」


 そう言うと金髪をなびかせフェルナンは立ち去った。


「きゃあぁぁぁフェルナン様……!もうこの手、一生洗わないわ……!!」

「よしなさい。不潔にしてるとペストに罹るわよ」


 狂喜乱舞するエミリーにベアトリスはそっけなく言い放った。クレールは一刻も早く手洗い場に行きたかった。

 しかし、ベアトリスは続いてクレールに苦言を呈した。


「クレール、気が進まないからってさすがに失礼よあの態度は。表面上だけでも愛想よくなさい。無礼な印象を残したらルグラン家の名誉に関わるんですから」


 確かに、初対面の同業者に対してクレールの態度は無愛想極まりなかった。ベアトリスの言うことはもっともだ。が、もっともなだけに、クレールは余計に素直に従う気になれなかった。


「あんな歯の浮くような台詞、よく次から次へと……聞いてるだけで歯が抜け落ちそうだわ」

「あら、隣町にいい歯医者があるわよ。紹介しましょうか」

「…………ご親切にありがとう」


 ふてくされるクレールに、ベアトリスはやはりそっけなかった。

 すると、何を聞き間違えたかエミリーが叫んだ。


「ええぇぇぇ!!クレールったら入れ歯になるのぉ!?」


 なってたまるか。しかしクレールはもう何も言う気になれなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ