恋に落ちたからこそ
そう俺はフラン、いやフランお嬢様に拾われた身。
あの日俺は貴族では無くなり、そして自らの罪により最下層の人間である重罪人まで落ちた俺を拾って下さったのである。
俺の独房の正面にある独房に収容された父上は独房に入れられた時にそのまま斬首刑が告げられ、そして翌日には刑が執行された。
証拠も十分に揃っており言い訳のしようもない状況かつ死刑であるのならば、そこまでに至るまでは兎に角速い。
死刑を告げらるほどの重罪人には、それが例え帝国全体から見て微々たるものであったとしても食事を与える事はまごう事なく帝国の損失である。
そして父上は最後まで喚き散らしていた。
まるで蜃気楼のように消えていった権力を未だに保持しているかのようであり、ただひたすら喚き散らして吠え怒鳴るその姿を俺は客観的に見て初めて貴族主義という思考がかくも醜い物であるとこの時始めて俺は理解した。
今まで散々貴族至上主義を肯定してきたくせに重罪人まで落とされてなお自分は人間であると、自身はまだ貴族であると思い込んでるその後ろ姿は正に滑稽と言う言葉がお似合いであろう。
醜い。
余りにも醜い。
そんな時、フランお嬢様が現れたのである。
当初見た時はまた醜い奴が来たと思った。
しかし、それと同時に今の自分を見られたくないという激しい羞恥心にも襲われた。
当たり前であろう。
それは逆に言えば俺はまだ心の奥底では貴族至上主義が残っているという事でもある。
それを知った時、俺は自分で自分を軽蔑した。
しかしながら、例え自分で自分を軽蔑しようが今まで培って来た常識というものは強敵でありハイそうですかと今までの価値観を捨て真逆の価値観を持つ事などどうして出来ようか。
だって俺はまだ、人間でいたいのである。
俺という生き物はどうしようもなく意思も心も弱くみっともなく、そしてそうなってしまう程にフランの事が好きであるという事を思い知らされる。
こんな状態になって初めて自分の気持ちに気付くなど、本当に救えない奴である。
いつからフランを好きになったのかわからない。
今思えば好きになったであろうキッカケの数々が思い当たるものの、どれも決定打に欠ける。
それはもしかすると一目惚れであったのかもしれない。
まだ恋だの愛だのと分からない年頃に出会い、そして恋に落ちたからこそそれを恋心だと分からずにここまで来てしまったと思えばしっくりとくる。
だからこそ俺はまだ人間でいたい、いや、一人の人間としてフランには見て欲しかったのである。
しかしそんな俺の苦悩も全てが杞憂に終わった。
「そう、全てはフランお嬢様の前では杞憂であったのです」
俺が生まれ変わった過去を振り返りそう言葉にして見渡すはジュレミア邸の中庭。
そこにはフランお嬢様の奴隷達が姦しくも談笑している姿が見える。
あの奴隷達は恐らく昼休憩中の者達であろう。
昼食を終えた後こうして中庭で談笑したり、社歌をピアノで弾く練習をしたり、魔術や戦闘の稽古をしたり、勉学に励んだりと各々自由な過ごし方をしている。
時計を見ると十二時を少し回った所なので、そろそろシフトの交代なのであろう。
チラホラと仕事へ戻る者達の姿も見えるが、それら全てが女性である。
この光景こそがある意味でこの帝国の貧困層を表していると言っても過言では無い。
ジュレミアは確かに違法に奴隷を集める場合もあったのだが、それは全体の一割程度である。
これはある意味では奴隷術式を施した魔道具の実験、又は狐狩り程度の趣味の一つであったのであろう。
そもそも奴隷など貧しい村々を回れば勝手に集まってくる上に、都心では何もしなくとも勝手に向こうから奴隷になりにやって来るのだ。
実験や趣味でなければわざわざ危険を冒してまで奴隷狩りなど、そもそもしないであろう。
そして、まだ奴隷になった者達はマシな方である。
それはなぜかと問われれば奴隷は犯罪奴隷を除き圧倒的に女性が多い事と繋がっている。
その理由を一言で表すならば口減らし、であり奴隷になるか餓死かの二択である。
であるならば親としては口減らしもでき、纏まったお金も貰え、更に娘を生かす事が出来るという訳である。
しかし息子の場合は跡取りも兼ねている為そうもいかない。
もし奴隷に落とされるとすれば次男三男は保険であり基本的は奴隷の男性は四男前後となってしまう。
更に残された長男達は人攫いを防ぐ為に女装をさせる村々がある程である。
そして、この奴隷となった男性の奴隷達は即座に売り切れてしまう。
幼い者は子供に恵まれなかった家庭、その家庭の家の跡取りとして、十才を超えて来ると炭鉱や地主や貴族の所有する農地へと買われていくのも男性奴隷の供給は追いついていないのが原因であり現状である。
そしてそれらは全て男性の奴隷が来れば回す様にと常に予約が入っている為、店頭に並ぶことすらせず予約順に売り飛ばされていくのである。
その為戦時中は敵兵を捕虜にし奴隷へと落として戦争により奪った土地の開拓などにあてがわれる為奴隷商が忙しくなり店先でも男性が売られ始める。
その為奴隷商に男性の奴隷が売られ始めるということは、どこかと帝国が戦争をしているという事でもある。
また、一割の誘拐された奴隷達であるが、一度フラン様が「命令は致しません。好きな様に生きなさい。生まれ故郷に帰りたいという者には護衛を付け安全に故郷へ返し、幾ばくかの路銀も渡します」と言ってもまず故郷には戻ろうとしない。
戻ったところでどの道近い将来口減らしとして奴隷に落とされる可能性が高い程に貧しいのである。
その現状にフランお嬢様は心を痛めている事を俺は知っている。
誤字脱字報告ありがとうございますっ!!^^
奴隷について地味に調べておりましたら昔日本では長男以外全員奴隷(おばさ、おじろく)という風習がある地域が20世紀、つい最近(昭和40年)まであったと知って地味に驚いております。
彼ら彼女らは二十歳を超えてから性格が変わり精神に異常をきたし不平不満は無くこの現状こそが最良であり村を出る事は掟を破る為それは悪い事であるという思考になってしまっていたそうです。
これが社畜が出来るメカニズムなんだと思います。




