その18
「じゃああちら側にいたゆきちゃんはその時に死んだのか?」
だから僕はこちら側にいて、今現在狛犬の上に乗ってしょぼくれた様な顔をしているゆきちゃんに良く似た少女を見ながら、そう藤崎ほのかに尋ねる。
「まさか、本来彼女の寿命はそこで終るものじゃないもの。だから今も魂の抜けた抜け殻として体は仮死状態とはいえ生きている。両親が尊厳死とか延命治療の中止を選ばない限りはね。でもこの状態は長くは続かないだろうし、微妙よね。現にこちら側では二人存在する事になった溝口ゆきさんはついに一人死んでしまったのだから。同じ人間が二人存在するという歪みの所為でね」
「歪み?」
「そう、その歪みの所為で死なずに済んだ人もいるけどね」
僕の質問にそう答えながら彼女は俯いているめぐるさんの方を見た。
つまりはそういう事なのか?
「めぐるさんの事か?」
だから僕は睨んだ顔で尋ねる。
「そう、本当なら彼女は大学生になどなれなかった。高校を卒業して進学する筈だった大学に入る前に彼女は、当時付き合っていた彼氏と共に車で旅行に出たの。丁度こっちの方にね。そこで田舎の峠道で事故に合う。急カーブで車線をはみ出したトラックとの接触からガードレールにぶつかって車は大破。彼氏は死亡。彼女はしかし軽傷で助かった。でもね、本当は室町めぐるはこの事故で死ななければいけなかったの。他の世界ではみんなそうなってるの。そうしてその死亡した彼女のお陰でこちらの世界の溝口ゆきは臓器移植の手術が行われ命が助かる筈だった。これはかなり大きな矛盾よ。平行世界の近しい帯がこんな風に極端に狂うなんて」
その話に僕は愕然とした。
めぐるさんが死ぬ筈だった云々はどうせ眉唾だからいいとしても、彼女に彼氏がいた事と、その死、そしてこの町に一度来ていたという話は、どれも僕にとって初耳だったからだ。
つまりは色々と調べたという話はデタラメで、彼女がこんな神社を目指したのもその死んだ彼氏への為だったのかも知れない。それどころか僕に付いて来た事自体が僕の知らない意味があった事で…
「めぐるさん、今の話は本当? その、彼氏がいたとか、交通事故で死んだとか…」
だから僕は今度は下を向いて、相手の顔を見ないようにしてめぐるさんに尋ねた。
それに対して相変わらず石の階段に座り項垂れたままのめぐるさんは小さく頷く。
この藤崎ほのかという女性が、それを何処でどう調べたのかは分からないが、つまり過去に起こったそれらの出来事は、少なくとも事実なのだ。
「でも知らなかった…こんな風に繋がって行くなんて…何故か惹かれて、付き合う事になった太郎君がこの町の出身だと知った時は本当に驚いたの」
小さく頷いた後、めぐるさんは少しの時間を置いてそんな風に切り出した。
「確かに私はあの事故以降生きているんだか死んでいるんだか自分でも分からない感覚に囚われていて、こんな事を太郎君の前で言うと失礼かもしれないけれど、彼の事も本当に愛していた。高校の同級生でね。二人で卒業旅行のつもりだったの」
めぐるさんの話を聞く僕は、その時沸々と湧いてくる嫉妬心を抑えるのに必死だった。
(高校の同級生…本当に愛してた…死んで今はいない彼氏…そんなの、敵う訳ないじゃないか)
外見も含めて正直自分に自信のない僕だ。到底めぐるさんから昔の男を忘れさせる自信なんてものもない。だからただ膨らむだけの嫉妬心。
そしてその嫉妬心はお門違いかも知れないけれど、藤崎ほのかへと向けた。
「フン、でもそんなのは何処かで調べただけの事じゃないのか。だからってそんな平行世界とか、めぐるさんが本当は死ぬ筈だったとかの論拠にも証拠にもなっていないじゃないか!」
「それはそう。だったは仮定だから。でもね、あなた達が入れ替わった祠、この小学生のゆきちゃんが一人でずっとあなたが来るのを待っていた祠に行けば、全て分かるし、何よりの証拠にもなる筈よ」
「祠…」
彼女の言葉に思わず繰り返し呟く僕。
彼女の言っている祠とは間違いなく今日この町に来る途中でも電車から見えた田んぼの中の小山の事だろう。
祠のある小山…
「どうしたの? 行くのが怖い? 元の世界に帰って、こちらのその室町めぐるさんと別れるのが嫌? でもそれならば心配はいらないよ。多分彼女は本心からは君の事愛していないから。本来は死ぬはずだった彼女は、多分その運命のレールの上をまだ動いているだけ。だから溝口ゆきの幼馴染である君と出会って、付き合って、今この場所にいる。これは恋愛でも何でもない。ただの運命に彼女が揺り動かされただけの事なんだよ」
藤崎ほのかの言葉に返す言葉も浮かばない僕は、その時はただ黙って相変わらず俯いてもうすっかり意気消沈しているめぐるさんの事を見ていた。
確かに彼女が何故僕なんかと付き合ってくれたのかはずっと謎だった。そしてそれはもしかすると彼女自身にとっても謎だったのかも知れない。何故僕を選んだのかを。
そんな訳でまるで狐にでもばかにされた様な気分の中にいた僕は、突然肩に優しい小さな手を置かれた様な気がして我に返った。そしてその肩の方を振り返る。
そこにはいつ狛犬から降りて来たのか、僕の立つ石段にいつの間にか並んで立っている杉野統という男に抱えられたゆきちゃん似の小学生の顔があった。
「ねえ、帰ろう」
少女は僕と目が合うと、少し寂し気な表情でそう話す。
もし仮に、彼女が本物の溝口ゆきであったとしたら、彼女もまた僕が女性と一緒にいて、その人を想っているというのを見るのは、やはり辛い事なのだろうか。
だから僕は少女に尋ねてみた。
「君は本当にゆきちゃんなのかい」
と。
つづく
いつも読んで下さる皆様、有難うございます。