その16
やっと書けた。
「どうしたの、めぐるさん。何がそうなの?」
その表情に言いえぬ不安感を感じた僕は訳も分からぬままただオウム返しの様にめぐるさんへと尋ねる。
その時の僕の表情は怒っている様に見えたかも知れないし、顔面蒼白で何かの恐怖に怯えている様に見えたかも知れない。それは僕には分からない。何故ならばそう尋ねた僕を見るめぐるさんの表情は、先程までと何一つも変わってはいなかったからだ。
「あ……」
そして僅かに声だけを漏らしても、その先を語れないでいるめぐるさん。
一体何があったのかは依然分からないが、きっとその事をまだめぐるさん自身もちゃんと説明出来る程には理解していないのだろう。漏らした声と共に薄く開いた口は何かを伝えようと僅かに震えながらまだ開いたままだ。
「私から説明しようか」
その時、再び頭上より藤崎ほのかの声が降って来た。
彼女は事の説明にあたって何の躊躇いもないのだろう。その声は明朗ですっきりとした響きを持っていた。
だから僕は再びめぐるさんから顔を上げて頂上に立つ彼女の方を見る。
杉野と言ったっけ。
男の方は相変わらず僕がそちらを見上げると視線を外す様に顔を少しずらして直接目が合うのを避け様とする。ん? 杉野?
それに対して藤崎ほのかの方は、視線を外すどころか僕の目を直視して微笑んでいる。それはまるでこの状況を楽しんでいるかの様で…だから僕は、彼女の言葉に答える様にそちらを睨みながら口を開いた。
「何があったんですか? めぐるさんが困っている様に見える。トラブル? それからそっちの人。あんた杉野って呼ばれていたけど、まさか僕に溝口ゆきの葬式を教えて来たのはあんたか?」
「ひっ!」
杉野と呼ばれた男はその時の僕の表情がよっぽど怖かったのか、一瞬声を漏らすと助け舟を求める様に隣の藤崎ほのかという女の方を向いて口を開いた。
「だから僕は嫌だったんだ。こんな面倒臭い事に関るのは」
「そんな事を言ったって、彼女を放って置く訳にもいかなかったでしょ」
困り顔で藤崎ほのかに詰め寄る杉野に、愛想笑いを浮かべながらそう答える彼女。
それから彼女、藤崎ほのかは開いた手を杉野の方に差し出すと彼を静止する様にして、再び僕の方を向いて口を開いた。
「私が彼に頼んだの。確かに溝口ゆきのお葬式をあなたに教えたのは私達。理由はここに呼び出す為」
「呼び出すって!? 僕はめぐるさんを探しに来ただけだ。それとも何か、めぐるさんはあんた達と今日此処で会う約束でもしてたって言うのか?」
半ば叫び声の様な僕の言葉を聞いた藤崎ほのかは、かるく下段で座り俯いているめぐるさんの背中の方を眺める。
「彼女は何も知らなかったよ。知っていたら来なかったと思うし、きっと君とも付き合ってはいなかったと思う。でも夢で見たのか、感覚的に感じていたのか、彼女、室町めぐるさんは君と付き合って、そして此処に来た。だからこれはやっぱり…運命なんだと思う。どうしようもない決まり事」
「……」
めぐるさんの背中から、いつの間にか僕の方へと視線を移しながらそう話し続ける彼女に、僕はあまりの意味不明さに言葉を失っていた。
何故ならば言っている事の一つも意味が解らなかったからだ。
これでは解らな過ぎて何かを尋ねる事も出来ない。
「ねえ、えーっと太郎君」
そして僕にとっては何も理解出来ないままそれでも続く彼女の話。
「君にはそこの狛犬に跨っている溝口ゆきちゃんが小学生に見えるんでしょ? でもそれは、君が小学生の時の彼女しか良く知らないからそう見えているだけなの。現在の君の中の彼女のイメージが具現化されているだけ。本当の彼女は君と同い年。先程君が葬式に行って来た死んだ溝口ゆきさんと同い年。実はね、君と此処にいるゆきちゃんはこの世界の住人ではないの。あなた達は飛ばされたの。それはジュネーブにある大型ハドロンが稼動してから世界中で頻繁に起きている事例の一つに過ぎないのだけれど。でもその事でこの世界は隣接する多重世界から大きく一つだけ狂った。本当はね、この世界の溝口ゆきちゃんは臓器移植で助かる筈だったの。交通事故で死んだ室町めぐるさんの臓器で」
つづく
いつも読んで下さる皆様、有難うございます。