その7 トロフィー盗難
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……我が親友が、恵比須顔でよだれを垂らして眠っている。
夢の中でも剣道部で後輩の指導をしていたせいか、わたしは目覚めた瞬間、自分がどこにいるのか思い出せなかった。でもすぐに思い出せた。そうだ、ここはみかんに誘われてやって来た、東京の中の片田舎にある宿泊施設だ。
いつ以来だろう……キキと同じベッドで添い寝をするのは。そして、こいつの気の抜けたような寝顔を見るのは。なぜかキキはわたしの寝巻の肩口を、がっしりと掴んでいる。もちろん、気づいてすぐに剥がしたけど。
上体を起こして隣のベッドを見ると、すでにあさひも目が覚めていて、何やら小さな紙を眺めていた。昨日、本に挟んでいたあの紙だろうか。
「あっ。もみじ、おはよう」
たった今気づいたかのように、あさひはさっと顔を上げて朝の挨拶。
「あ、おはようございます」わたしは思わず頭を下げた。「いま何時?」
「七時少し前。てか、そこの壁に時計掛かってる」
おお、本当だ。昨日の時点で知っていたはずなのに。ああやっぱり寝ぼけているな。
「顔洗ってくる」
「はいよ」
あさひは紙片を文庫本に挟み、同じベッドで寝ていたみかんを起こしにかかった。
「おーい、起きろ。わたしらの朝食はあんたにかかっとるんじゃけぇ」
いつ起床したのだろうか、あさひは通常運転を始めている。
シャワールームに備え付けられている洗面台にぬるま湯をためて、わたしは手ですくった温かな水を顔面にかけた。肌の表面の詰まった感じがなくなったところで、フェイスタオルで水滴をぬぐう。洗顔料とかは普段から使わないし、タオルで顔を拭くときも擦るように動かしているが、なぜか肌が荒れたことはない。そんな異常体質を持たない同年代の女子からは、羨ましがられると同時に恨まれる。理不尽なものだ。
少しは眠気も取れたので、シャワールームから出ようとしたとき、階下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ねえ、下がなんか騒がしいけど」
あさひに向かって告げた。キキとみかんはすでに上体を起こしていたが、見るからに眠りから覚めていなかった。
「そうなの?」あさひは床を見た。「全く聞こえん……」
「ちょっと見てこようか?」
「その前にこの二人をどうにかしよう。キキはともかく、みかんがいないと自由が利きそうにない」
随所でみかんのフォローが必要なほど冷遇されているわけではないと思うが……まあ、連れて行った方が面倒事も少なくなるか。でもその理屈だと、キキは放置しても構わないということにならないか。放っておいたら恨まれそうだから、しないけど。
あさひはみかんの頬に、水で湿らせたハンカチを当てて覚醒させた。キキの方はどうしようか……ぐっすり寝ているなら、鳩尾にチョップあるいは腹にエルボーをお見舞いするところだけど、起きかけのキキの目を覚ます方法は知らない。仕方なくわたしは、そのままキキの腕を取って部屋から引っ張り出した。
階段を下りて一階に向かう。みかんはまだ完全に眠気が取れていないらしく、しきりに目を擦っていた。キキは半分寝ているような状態なので、肩を支えながら下りていく。
ロビーの前まで来ると、奥の衝立の前に人が集まっていた。そのうちの何人かは、頻繁に群れを離れたり戻ったりしている。昨日の賑やかさとは性質が異なる。明らかに何か異常事態が起きている。
「何かあったんですかぁ」みかんは欠伸をしながら尋ねた。
「ああ、みかんお嬢様」専務の人が振り向いた。「それが、コンテストの最優秀賞トロフィーが、なくなったそうなんです」
「え、うそ」
一応驚いてはいるようだが、まだ少し寝ぼけているせいで反応が鈍い。そしてお嬢様口調を忘れている。
というか、あの精緻な細工が施された金のトロフィーが、紛失しただって? 雪像コンテスト大会のメインの一つがなくなったとは、確かに一大事、異常事態だ。
「他の賞品はどうなってるんですか」
「確認しましたが、全て揃っています。朝になって、賞品のチェックに来た運営委員が気づいたらしいのですが、トロフィーだけがなくなっていて……」
「盗まれた可能性が高そうですね」
発言したのはキキだった。いつの間にか顔つきに生気が戻っている。そうか、キキはよく分からない謎めいた出来事を耳にすれば、瞬時に覚醒するのか。そういえば以前からこういう体質だったな。
「昨日わたしもそのトロフィーを見ましたが、他の賞品と比べてかなり大きく目立っています。どこかでなくした時点で、必ず気づいたはずです。偶然の事故で紛失したのでないのなら、故意に誰かが持ち去ったと考えるべき……そうですよね?」
「そ、そうですね……」専務はあからさまにたじろいでいた。「今、衝立の裏側を映した監視カメラの映像を取り寄せています。それを見ればはっきりするかと……」
「映像、持ってきました! やはり不審者が映っています!」
若い男性がノートパソコンを抱えて駆けつけた。衝立の前のテーブルに置いて開き、序盤でポーズしている動画を再生させた。……という作業は予想できる。運営委員やお歴々のゲストが一斉に覗き込んでいるせいで、こちらは全く確認できない。下手な事をしたら何を言われるか分からないから、後で専務さんから聞くことにするか……。
「ちょっとすみません、わたしにも、わたしにも見せてください!」
なんて普通の考え方をしないキキは、立場の違う人たちの群れを掻き分けて、直接監視カメラの映像を見ようとしている。あれは真似できない事なのか、それとも真似してはいけない事なのか。
「大丈夫かよ、あれ……」あさひは腕組みしながら唸った。
「まあ、いざという時はわたしが間に入るから大丈夫じゃない?」
つまり問題を起こすまでは手を出さないという事か。みかんにとって、特に目に余るような状況ではないらしい。こっちは心配でならないのだが。
やがてキキが人ごみから抜け出してきた。寝ぐせは直す暇がなかったので、人に揉まれてもそんなに見た目が変わった様子はない。
「で、どうだったの」と、わたし。
「ばっちり映っていたよ。不審な人物がトロフィーを持ち去っていく様子が。時刻表示を見たら、今から大体一時間くらい前だったよ」
「紛うことなく盗難事件だな」一貫して冷静なあさひ。「犯人の人相は?」
「それが、覆面を被っていたみたいで顔は見えなかったの」
「つまり犯人は監視カメラの存在を知っていて、そのうえで覆面を用意した……計画的な犯罪と見るべきね」
「だね。ねえみかん、あのトロフィーって一点物なんだよね」
「そうだけど……あれってそんなに高くないよ。換金できるものでもないし」
後者はともかくとして、前者はそう簡単に鵜呑みにできない。みかんは身なりや生活こそ庶民とたいして変わらないが、金銭感覚はお嬢様らしく世間からずれている。お嬢様云々以前ともいえるずれ方もあるからなおさらだ。
玄関の方から駆けつけてくる人影があった。彼も運営委員のスタッフだろうか。
「玄関の外に、足跡があります!」
その言葉で何人かが、慌てた様子で玄関へと向かっていく。キキも駆け出した。彼女の暴走を止めるため、わたしも急いで後を追う。
開かれた扉の向こう、昨夜から降っていた雪は薄く積もり、見渡す限り真っ白に染まっていた。その銀世界の中で、靴の形に土壌が剥き出しになって、会場の入り口まで連なっている。見たところ一人分で、建物から入り口までの片道分だけ残っている。
スタッフの誰かが声を上げた。
「おい、今日ここにいる人間は全員揃っているのか」
「ええ、先ほど確かめましたので。一人も欠けていません」
「んじゃ、犯人はもう逃げ出したか。くそっ」
舌打ちをしながら、スタッフの一人が足跡を辿ろうと飛び出すが……。
「待った!」キキが大声で止めた。「下手に追いかけたら足跡が乱れます。これは犯人を特定する重要な証拠です。先に写真を撮っておきましょう」
「お、おお、そうだな……」
さっきから大人たちはキキの言動に困惑してばかりである。
他の人たちがカメラを用意する間もなく、キキはスマホを取り出して足跡の撮影を始めた。見たところ、足跡のサイズは二十五センチ少々といったところで、ごく平均的なサイズだ。割とくっきり残っていて、歩幅は五十センチ弱。足跡以外に目立った痕跡はない。
キキは一枚目を撮った後、自分の靴を片方だけ脱いで、足跡のそばに置いてからもう一度撮影した。
「キキ、なんで自分の靴も一緒に?」
「大きさの比較対象がほしいから。警察が来る前に雪が融けたら、サイズがあやふやになってしまうからね。こうすれば、写真からでもサイズを調べられるでしょ」
なるほど、相変わらずよく頭の回る奴だ。こういう時じゃないと発揮されないけど。
最後にキキは、会場入り口へ続く足跡全体を撮影した。そして、キキが証拠写真を撮っているために、他の人たちが追跡を諦めて引き返そうとしているのを見て、キキはこっそりと、足跡の下の露出した土を少しつまみ取った。
こいつ、証拠写真を残したら後はお構いなしに好き勝手しているな。
ロビーに戻ってみれば、集まっている人たちの論調は、警察への通報もやむなしという流れになっていた。普通この状況で警察を呼ぶのは自然な流れだが、大きなイベントを控えていて、しかも立場の高い人たちが集まっていると、事を荒立てたくないという考えが根底にできてしまうのだろう。
さっきまではいなかったが、金沢都知事とその連れもロビーに来ていた。部下と思しき人物が、金沢に耳打ちしている。
「どういたしますか、都知事……」
「致し方あるまい……できる限り関わりは避けたいが、ここは警察の捜査に協力するしかなかろう」
全部ばっちり聞こえています。床板一枚隔てた先の騒動が聞こえる聴力で、目の前のひそひそ話が聞き取れないはずはない。
すでに運営委員の一人が、宿泊施設のスタッフに通報を頼んでいる。後は到着を待つのみとなるが、いつやって来ることやら……。
「やっぱり外部からの侵入者があったんでしょうか」
「昨日の時点での宿泊客とスタッフが、全員揃っていることは確認済みだし、外に片道分の足跡が一人分だけあったんだ。そうとしか考えられないだろう」
「こんな山奥に泥棒が現れるなんて想定していなかったけど、もう少し戸締まりなどを確かめておくべきでした。試験用に監視カメラを設置しておいて正解でしたね」
「後は警察の捜査に委ねるしかないな。見つかるといいんだが……」
スタッフや出資企業の重役たちは、揃って浮かない表情をしていた。みかんも当事者の一人のはずだが、意外にも平然としていた。
「あんまり深刻そうな顔じゃないね」と、わたし。
「トロフィーが戻らなくても、上手い具合に代替品を用意できればしのげるし」
「そんなんで上手くいくもんなの?」わたしは眉根を寄せる。
「まあ、昨日も言ったように、トロフィーはこの世に一つしかない物だから、また同じ物を作ってもらう、というわけにもいかないの。賞品を変更しても、あの人たちならそれらしい変更理由をでっち上げられるし、特に心配はないかなって」
おいおい。ここにはお嬢様として来ているのだから、少しは品のある物言いをしてほしい。でっち上げるとか言うんじゃないよ。
「ねえ、みかん」
キキが近づいてきて、みかんに耳打ちした。みかんは幾度か頷いた後、「分かった」と言ってキキから何かを受け取った。空になったポケットティッシュの袋だが、茶色い物体が中にある……もしや、さっきキキが拾った土ではないか。
みかんは土の入ったティッシュ袋を持って、階段を駆け上がっていく。一体キキは何を頼んだのだろうか。わざわざ中身のティッシュを取り除いてまで保管するほど、あの土は重要なものなのだろうか。
それをキキに尋ねようとした矢先、玄関扉が開かれる音がした。警察が来たのだ。運営委員の何人かが玄関に向かっていったので、当然のようにキキもついていく。となると、わたしもついて行かねばなるまい。
玄関の前に立っていたのは、白髪交じりの年老いた男性と、新米らしき青年の二人。年老いた方が軽く頭を下げて告げた。
「どうも、翁武警察署の中道です。通報されたのはこちらでよろしいですかな」
「そうです」スタッフの一人が答えた。
「コンテスト用のトロフィーが盗まれたとか」
「はい、雪の結晶があしらわれたもので、表面に金の……ええっ?」
スタッフの一人が刑事たちの手元に視線を落とし、瞠目して声を上げた。何事かと思って覗き込んでみると、驚愕せざるを得ない光景があった。
昨日、わたしとキキで見たあのトロフィーと、寸分たがわず同じトロフィーが、老刑事の両手に抱えられていたのだ。
「あ、あの、そのトロフィーは……?」
スタッフの一人が震える指先を向けながら尋ねた。
「これですか? 通報を受けてこちらに来る途中、この会場の入り口近くに落ちていたところを拾いましてね。通報の内容がトロフィーの盗難だという事でしたから、まさかと思って持ってきたのですが……当たりでしたか」
当事者でない中道刑事が悠揚と答える一方、さっきまで深刻な雰囲気にあった運営委員の人たちは、誰もが途方に暮れていた。何が起きたのか、理解がついて行かないのだ。
ちなみに、当事者意識を持っていない人なら、ここにもう一人。
「あれぇ」キキは飄然と言った。「これって一件落着の雰囲気かな」
そんなわけがない。謎はもっと深まった。キキの出番はまだまだ続きそうである。
「ふうん、なるほどねぇ……」
中道刑事は、ノートパソコンに映し出された監視カメラの映像を見て、そう呟いた。
「盗まれた時刻は午前六時ごろか。このカメラに細工の余地はないんですな」
「ええ」スタッフの一人が答えた。「このカメラの映像は、ネットなどを介さず直接事務室のパソコンに送られます。時刻表示もカメラ本体の時計ですし、一時間ごとにファイルにまとめているので、ずれがあれば確実に分かります」
「まあ、あんな所にあるカメラに直接細工するのは、脚立使っても無理だな」
その通り、問題の監視カメラは一階と二階の境目あたりに設置されていて、ここにある脚立で届く高さではなく、二階から手を伸ばせる場所はない。
「んで?」中道刑事は自分で拾ったトロフィーに視線を向けた。「あのトロフィーは盗まれたもので間違いないですかな」
「ええ、台座の刻印も全く同じです」
別のスタッフが説明する。「そもそもあれが取り出されたのは昨日になってからで、それまでは制作者以外に完成品を見ている人はいません。だから複製品を作る余裕などなかったはずです」
「んじゃ、あれが本物だというのは確定として……価値のある物なんですかな」
中道刑事の質問に対して、スタッフは一様に首をかしげている。
「どうでしょう……有名細工師の一点物ではありますが、換金しても恐らく二万円がせいぜいというところでしょう。そもそも、まだ世に出ていない作品という扱いなので、換金してくれる業者もいないと思います」
「それじゃあ、もぐりの業者に持ち込めばさらに安く買い叩かれますね」
中道の部下の青年刑事が言った。
「ですから、お金目的で盗むということは、まず考えられません」
「とすると……あのトロフィーに、金に換えられる以上の価値があるんか。しかし、そんな大事なモンをみすみす手放すとは思えんし。ぜんたい犯人は何の目的で盗んだのだ?」
中道刑事も眉をしかめて悩み始めた。
目的が判然としない窃盗事件……思ったより厄介なトラブルに巻き込まれたものだ。我らが頼れるブレインにして、天然な女子中学生キキは、どう対処するのだろうか。
「ところで、犯人が外部の人間だっていうのは、間違いないんですかな」と、中道刑事。
「逃げていく足跡があったので……あ、そういえばそちらの女の子が、足跡をスマホのカメラで撮影しています」
スタッフ達と刑事二人が、一斉にキキへ視線を向ける。キキは臆することもなく、足跡の写真が表示されているスマホの画面を見せた。中道刑事はスマホを受け取った。
「全く、最近はスマホで何でもできるようになったんか。デジタル処理されとる写真は、証拠としちゃ微妙って判断されることが多いんだが……」
ぶつぶつとこぼしている割には、かなりスムーズに操作している老刑事・中道。何だかんだ言っても、警察官としては旧態依然で満足することはないようだ。
「ふむ、なかなか上手く撮れているな……足跡のサイズも分かるし。そうだ、この辺で雪が積もり始めたタイミングが知りたいですな」
「積雪のタイミング、ですか?」と、部下の刑事。
「確か降雪が確認されたのは、昨夜八時ごろだっただろう。あんなふうにくっきりと足跡が残るには、ある程度雪が積もってから歩かないとならない。でないと、その後の降雪で足跡は消えてしまうからな。で、本当に外部犯の仕業なら、ある程度積もる前にここへ来とるはずだ」
「なるほど、こちらに向かっている足跡はありませんからね……そうなれば、犯人の行動も絞り込めるでしょう。すぐに気象庁に連絡して、衛星写真の解析を」
「あの、積雪のタイミングなら分かりますよ」
スタッフの一人が言った。中道とその部下は揃って振り向く。
「なんですと?」
「三日ほど前に、この雪像まつりの会場にも監視カメラを設置したのです。元は、雪像の骨組みが強風で倒れたり変形したりするのを、事前に防ぐためだったのですが……」
「ひょっとして、犯人の姿も映っているんじゃ……」
「すぐに映像をとってきます!」
スタッフが事務室へと駆けていった。そして、数分も経たないうちに戻って来た。
ディスクをノートパソコンの中に入れて、映像を再生させた。……昼の十二時から。
「ちょっと待て。なんでこんなに早いところから始まっている」と、中道刑事。
「すみません……慌てていたんで、昨日の午後以降の映像すべてを入れてしまって」
「おいおい、ちゃんと八時以降の映像も入っているんだろうな。ディスクの容量を超えていなければいいんだが……とにかく早送りだ」
監視カメラの映像が早送りされる。またキキは人ごみの中に入った。
「それにしても、雪像の真上からの映像しかないのか……たぶん、位置的に足跡は映っていないな。他にはないんですかな」
「試験設置なので、まだこれ一台しか……」
キキは、ノートパソコンの置かれたテーブルのすぐ手前に潜り込んだ。部下の刑事が明らかに片側の眉を上げたが、キキは全く気にせず画面を見ている。
すると、キキが突然、早送りされていた動画を止めた。中道刑事が渋面を浮かべた。
「おい、何をして……」
「ここ……地面に何か影がありませんか。鳥みたいな……」
今わたしが立っている位置からでは、キキの動きや発言は分かっても、パソコンの画面までは見えない。本当に鳥のような影があるのか。というか……。
「そのまま鳥じゃないのか」
部下の刑事が言った。そう思っても無理はないよなぁ。
「そうですか?」
「子供はどこかで遊んでいなさい。警察の捜査の邪魔をするな」
そう言って中道刑事はキキを抱えて、大人たちの群れの外に放り出した。
「追い出されました」
キキは頭を掻きながらわたしに言った。ええ、見ていたから分かりますよ。
「どうだい、事件解決の手掛かりは得られたか」あさひが訊く。
「いやあ、まだ分からないこともいっぱいあるね。とりあえず、ここにいる人たちの中に犯人がいるっていうのは、ほぼ間違いないと思うよ」
うわ、この場で出た結論と完全に逆の事を、さらっと断言しやがった。
「まるで推理小説のような展開ね」あさひは微塵も動揺しない。「その心は?」
「うーん……もうちょっとしたら話すよ」
「いつものあれか、自分の中で完全に納得がいくまで、不用意に推理を話して混乱させたくないってやつ」と、わたし。
「いつもの事というほどではないと思うけどね。あっ」
また何かに気づいたのか。キキの視線の先を見ると、運営委員のスタッフ二名が、トロフィーをどこかへ運び出そうとしている。キキが近づいて話しかける。
「すみません、それもう仕舞うんですか」
「え? ああ……本物だということは確認したし、今度は厳重に保管しないと」
「ふうん……」
特に何か新しい発見があったわけではなさそうだが、キキは金のトロフィーをじっと見つめながら言った。一度は盗まれたものだから、じっくり観察する意義はある、少なくともキキはそう考えているらしい。
「……あれ」キキはわずかに目を開く。「すみません、ちょっとだけトロフィーを貸してくれませんか」
「はあ? なんでそんな……」
「お願いします。十秒だけでいいんです」
そんなに短くていいのか。許容範囲ぎりぎりを突いたつもりなのか。
「……本当に十秒間だけだぞ」
そう言ってスタッフはトロフィーを手渡した。寸前でキキはポケットからボビーピンを取り出した。飾りのないあのヘアピンは、キキが気まぐれで髪を留めるためにいつも持ち歩いているものだ。キキはそれをトロフィーの、雪の結晶をあしらった装飾の隙間にねじ込ませ、何かをほじくり出した。出てきたそれは、キキが受け止める前に床に落ちた。
「あ、あらっ……」
手に取り損ねてキキは間の抜けた声を出した。トロフィーを持っていて両手が塞がっている彼女の代わりに、わたしがそれを拾い上げた。
「……なんだこれ」
二ミリか三ミリくらいの大きさしかない、白い粘土を固めたような小さな物体だ。なぜこんなものがトロフィーの飾りの隙間に挟まっていたのだろう。
キキは、わたしの指先にあるこの白く小さな塊を凝視し、徐々にその、澱みのない双眸を大きく開いていく。来た、とわたしは直感した。少ない手掛かりから天啓の如く導かれた、閃きと論理の結晶が、彼女の中で形作られたのだ。
そういう時は必ずアレを飛ばすのだ、こいつは。
「もっちゃん、一緒に来て! あっちゃんも!」
「だからわたしをもっちゃんと呼ぶなぁ!」
ツッコミの準備をしておいて正解だった。キキはわたしとあさひの手を取り、駆け足でロビーを出て行く。いつものことだが、わたしのツッコミは彼女の耳に入っていない。一度何かが閃けば、キキはたちまち暴走機関車と化す。
とはいえ、わたしは必要以上に止めるつもりなどなかった。キキが脇目も振らずに走って行った先に真実がある事を、わたしは誰よりも知っている。