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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
6/53

その6 雪の夜

 <6>


「…………分かってたよ。下手に予想とかしたらこうなる事くらい」

 あさひは両手で顔面を覆いながら言った。さすがにシンメトリーの内装までは、誰も予想できないだろうけど、彼女としては、常に想像の斜め上をいくみかんの言動に振り回されて、かように混乱してしまうのが嫌なのだろう。

 しかしこの部屋、左右対称という以上に着目すべき特異点があるのだが。

 左右対称だから、当然ベッドも二つある。両方とも枕が二つのダブルベッドなのは、奇妙な趣向だとは思うがあえて気にしない。その二つのベッドの間に、あたかも当然の如く置かれている青色の球体、あれは気にせざるを得ない。

「とりあえず、少し休むわ」

 そう言ってあさひは、青色のバランスボールの上に横たわった。もちろん腰の所で歪曲しているが。

 ……いや、あんたも突っ込みなさいよ。

「みかん、あのバランスボールは何ゆえここに?」

「え? わたしの私物」みかんは平然と答えた。

「私物だと」

「恥ずかしながら、最近ダイエットを始めたところでありまして」

 ダイエットに効果的という触れ込みであれが持て(はや)されたのは、結構前のような気もするのだが……いや、近年のトレンドなどわたしは知らないが。こんなものがなくても、普段の部活動で十分にエクササイズできているし、そもそも興味ないし。

「そんなに太っているようには見えないけどなぁ」

 キキはみかんの腹部をまじまじと見ながら言った。うん、わたしも同感。

「いやあ、体重はキープできているつもりなんだけど、体脂肪率がちょっと……ほら、脂肪って筋肉より軽いから、体重だけだと分からないし」

「それってもしかして……」キキはみかんの胸部を指差した。「コレじゃない?」

「コレ?」みかんはキキの指先を見た。

「そう、コレ」

 キキはみかんの胸部を指で軽く押した。見るからに感触が柔らかそう。みかんはしばらくぼうっと見ていたが、やがて何かに気づいて呟いた。

「……コレかあ」

 嫌味か。わたしはみかんの巨乳を押し潰したくなった。が、耐えた。

 白けた気分になったので、バランスボールを弄んでいるあさひの元へ。みかん達のくだらない戯れが聞こえていないのか、あさひは両腕をだらんと垂らし、眠ったように目を閉じていた。口は思い切り開けているけど。

「これまた一段とだらけていますなあ」

「生徒会の仕事は相も変わらず堅苦しい。だらだらできるのは君たちの前だけですよ」

 素の姿を見せてくれるのは喜ばしいけれど、そんなに疲れる仕事なのか、生徒会副会長の職務は。だとしても、バランスボールの上は休息にふさわしくないと思う。

 ……ふと訊きたくなった。

「あさひって、ダイエットを考えたことある?」

「一度もなかとよ」変な訛りで答えた。「みかんがそういう事にこだわらないって言ってたから、考えていない」

「あの子がよければそれでいいのか。てか、そのみかんが自分のダイエットを考えていると発言しましたけど」

「自分の体重やBMIを気にするのは自然だし、無理さえしなけりゃオールOK」

 話が噛み合わないなあ……あさひの場合、好悪の基準に体型を含んでいないだけか。世の女子たちと感覚がずれているのは、わたしに限った事じゃないらしい。

「命に関わるような事だったら、さすがに気にするけどね」と、あさひ。「ちょいと噂で聞いたけど、商店街の方で人が銃で撃たれて亡くなったそうじゃない。あれ、キキやもみじも何か関係していたりするの」

 そこからあの事件の話にシフトチェンジするのか。この間もそうだけど、あさひはその手の話をどんな経緯で小耳に挟んでいるのだろう。

「えーと……なんでわたしやキキが?」まずそこが気になって訊いた。

「事件があったっていう商店街、キキともみじが夜食用のお菓子を買いに行ったスーパーに近いと思って。わたしの家から近い所で、多種多様なお菓子を入手できるお店なんて限られるし」

 ……こんなふざけた恰好をする奴だけど、成績優秀でパズルも得意な彼女は、的確に論理的思考を働かせている。隠す必要もないと踏んで、わたしは素直に答えた。

「うん、二人でバッチリ、犯行の瞬間を目撃したよ。しばらく夕飯に肉系はいらない」

「そりゃ災難だったね」特に不憫に思う素振りもないあさひ。「しかし、どうも妙なんだよね……日本で前例がほとんどない、一般市民への銃撃事件なのに、テレビでも新聞でも報じられた様子がないんだよ。被害者がどこかの要人の関係者だったりするのか」

「さすがにそこまでは知らないよ……友永刑事も、そんなに事件の事を教えてくれたわけじゃないし」

「ふうん、また友永刑事と会ったのか」

「そう。例によってね。まあ、星奴町内の事件だから当たり前だけど」

「もったいない事をしたなあ。友永刑事なら、ちょっと振り回せば簡単に事件の事を打ち明けてくれただろうに」

 本当に遠慮のない事を言いますね、あなたは。あさひにとっては、友永刑事はお人好しで扱いやすい人間という印象なのだ。

「キキの方が……自分が実害を受けていないから、事件に首を突っ込む理由はないって、それ以上追及しようとしなかったの。だったらわたしも無理強いはしない」

「もみじはキキがよければそれでいいんだな」

 さっきのわたしのセリフを、そっくりそのまま返してきた。あえて反論はしないけど。

「じゃあ、わたしも詳しく聞くのはやめにしておこう。どうせキキは、わたし達やわたし達の関係者が被害者にならない限り、行動を起こす事はないだろうから」

「縁起でもない事を言うなあ。あさひはキキに事件調査をしてほしいの?」

「あの子がその気になれば、どんな難事件も立ちどころに解決でしょ」

 それはどうだろう……わたしはあさひ以上に、というか誰よりもキキの事を信頼しているつもりだけど、そこまで超人的な事を期待してはいない。冷静に考えれば、どんな名探偵にも解決できない事件はあってしかるべきなのだ。ましてキキは名探偵ではなく、普通の女子中学生、他人より推理力が多少優れていたって、限界はあるのが当然だ。

 期待するだけなら勝手かもしれない。でもキキは、仲のいい友人などから寄せられる期待に、どこまでも応えようとしてしまう節がある。その結果として自分を追いつめてしまう事もある。そういう脆弱な一面を知っているから、わたしはキキに、必要以上の期待はせず、ただ隣にいて力になってあげたいと考えているのだ。

 面倒くさい親友を持ったものだ……などと思いながらキキのいる方を見ると、いつの間にかみかんが姿を消していた。

「あれ、みかんは?」キキに尋ねた。

「車で送ってくれた専務さんに呼ばれて出て行っちゃった」

 忙しいなぁ、お嬢様よ。戻って来たら十分に労をねぎらってやりますか。

「ねえもっちゃん、せっかくだからこの建物の中を散策しない? 外はどうせ雪像の骨組みと樹木しかないし、この建物の方が散策しがいがあるでしょ」

「別にいいけど……他の部屋に勝手に入るのは無しだからね。あともっちゃんと呼ぶな」

「もはやお約束だな、そのツッコミ」

 そう言ったあさひはキキの提案に乗らず、まだしばらくバランスボールの上に乗っている事にしたという。……上手い事を言ったつもりはない。

 実のところ、建物の散策とか探検といった(たぐ)いの(たわむ)れには、わたし自身はそれほど乗り気がしない。しかしキキは未だにそうした冒険事が好きな奴だし、親友としては放置しておけないと思ったから付き合ったのだ。放置したらどんな問題を起こすか知れないし。

 スキップでもしそうな足取りで廊下を行くキキ、その後ろをなるべく同じ速度でついて行くわたし……はたから見たら、はしゃぐ妹を無言で見守る姉、という組み合わせに見えるのだろうか。わたしも時々、キキが妹みたいな存在に思える事がある。身長も少しだけキキの方が低いし。実際はどちらも一人っ子である。

 建物の中央にあるロビーは二階まで吹き抜けといったが、その真上は、荘厳な雰囲気が漂う洋風の大広間だ。今は真ん中に大きなディナーテーブルが置かれ、十名分の席が用意されていた。

「すごいね……」両開きの扉を少しだけ開けて、隙間から広間を見た。「こういう所のディナーって、フレンチとかイタリアンとか? 豪勢な夕食になるだろうね」

「つまりフランス料理とイタリア料理って事だよね」

「あれ? なんかそっちの方が高級感あるなあ……なんで料理って単語を使わないと、こざっぱりした感じになるんだろ」

「フレンチもイタリアンも、その方面の料理全般に使えるからじゃない? 料理っていう堅い響きが、上等な雰囲気を与えるのかもしれないよ」

 それは一理あるな……。洋風の料理というと、真っ先にフルコース的なものを想像してしまうからな。実際にはポトフもフランス料理だし、ピザも立派なイタリア料理だ。大衆に広く浸透しているか否かの違いはあるけれど。

「まあ、どうせわたし達は呼ばれないよ。さっきの都知事さんが、部下の人や取り巻きを連れて来れば、あっという間に全ての席が埋まっちゃう」

「そ、それは高確率で起こりうるわね……」

「他にも偉い人達がたくさん来てるし、その人たちの中に交じるのは精神的にきつい」

 ああ、想像するだに冷や汗が溢れてくる。あのお歴々の中に交じって平然としていられるのはみかんくらいだ。わたし達はみかんに誘われたとはいえ(そしてプロモーションを引き受けたとはいえ)、他の人たちからすれば“ついで”で招かれたようなものだ。どの面を下げて晩餐に参加できるというのだろう。

「そういえば」大広間を離れてから口を開いた。「わたし達の夕飯は運営委員が用意してくれるって、みかんが言ってたけど、大丈夫なのかな……」

「まともなものは期待しない方がいいとも言ってたし、大丈夫じゃないかもね」

 とりあえず夜食のお菓子を大量に買ってきたのは正解だと思う事にしよう。

 それからしばらく三階を歩き回っていたが、キキが期待していたほどに注目できるものは見当たらない。来訪者を泊めるだけの施設だから、当然といえば当然だが。キキも退屈しのぎに歩き回っているだけに過ぎない。

「そろそろ下の階に行く?」わたしはキキに言った。

「うーん、もう少し面白いものがあればよかったけど……ん?」

 キキは何かに気づいて立ち止まり、階段にほど近いドアに顔を向けた。そのドアは閉め方が中途半端になっていたようで、部屋の中の声が微かに漏れて聞こえていた。キキは声に反応しただけだが、わたしには声の主も判別できた。

「これ……金沢都知事の声だ」

「おお、さすがはもっちゃん。人間声紋分析器」

「やかましい。それともっちゃん言うなと何度言ったら」

「しっ」キキは人差し指を口に当てた。「大声出したら気づかれるよ」

「気づかれて何かまずい事でもあるっていうの」

「だって、都知事さんが普段どんな会話をしているのか、気にならない?」

 早い話が、金沢都知事の会話を盗み聞きしたいわけか。退屈だからといって悪趣味な事を考えるものだ。とはいえ。

「……まあ、ちょっとは気になる」

「よし決定。では失礼して、覗かせていただきましょう」

 なんで止めるどころかわたしまで加担しているのだろう……これが心の甘さか。

 完全に閉まっていなかった扉を少しだけ開き、わたしとキキは部屋の中を覗いた。幸いなことに、都知事はこちらに背を向けてソファーに腰かけ、誰かと電話で話していた。都知事の背後には秘書と思われるスーツ姿の人影がある。その人もこちらを見てはいなかった。ばれたらみかんがとばっちりを受けかねないから、どうか気づかないでくれ。

「―――――ああ、明日の午後一時までには都庁へ戻る。予算に関する折衝(せっしょう)も、今日中には結論が出そうだ。ああ、三日後の定例会見には十分に間に合う。そのつもりで原稿を用意しておいてくれ」

 どうやら都庁に残っている部下に、指示を出している最中のようだ。会話の内容から察するに、お金に関するやり取りは順調に進んでいるようだ。よろしいことで。

「ん……? ああ、大丈夫だ。君が気を揉むまでもなく、私が念を押して直接調べ上げている。ここの出資企業はどれも、油に最適な所ばかりだ。自分の関わる事業が、期せずして暗礁に乗り上げる、そんな真似を私がすると思うかい?」

 ……何のことでしょう。

「キキ、意味分かる?」

 わたしはキキにだけ聞こえるように、できる限り小さな声で言った。キキは俯きながらかすれた声で答えた。

「お願いだから訊かないで……」

 盗み聞きすると決めた本人は、ここまでの会話が理解できなかったようだ。

 金沢都知事は電話での会話を終わらせ、ソファーから立ち上がった。

「よし、そろそろ行こうか」

 まずい。わたしはキキの手を引いて、急いでドアの前から離れた。三階の廊下に隠れられる場所はなさそうだが、どうしようか……。

「もっちゃん」キキが耳打ちしてきた。「とりあえず階段の踊り場に行こう。今から三階上がるところだと思わせるの」

 こういう時ばかり閃きがやってくるのだなあ。わたしは呆れつつもその通りにして、なんとか都知事たちをやり過ごす事ができた。元より中学生であるわたし達に、都知事が注意を引きつけられる事もなかった。

 それにしても、さっきのセリフはどういう意味なのだろう。自分が協賛している雪像まつりの企画が頓挫する事を、都知事が心配してはいないということだろうが……。

「ねえ、次は一階ロビーに行ってみない? まだちゃんと見てなかったよね」

 キキはまだ、探検を終わらせるつもりがないらしい。

 二階の廊下からは、()め殺しの窓の向こうにロビーが見える。天井からぶら下がっていたシャンデリアも、ここからであれば間近に見る事ができる。十メートルくらい上にあると大きさが判然としなかったが、二階から改めて確認すると相当に豪華な造りになっているのが分かる。

 これでは維持費の問題も待ったなしだな。この施設の管理人も、雪像まつりの成功に賭けているに違いない。

 今日中に集まる予定の役員レベルの人たちは、どうやら全員揃ったらしく、さっきまでお歴々がたむろしていたロビーは、無人になって静まり返っていた。みんなそれぞれ、自分にあてがわれた部屋に向かったようである。おかげでさっきよりロビーが広く感じる。

 二階の窓から見た時にすでに気づいていたが、ロビーの奥の壁にある窓は、天井付近にある換気用の窓だけで、室内の光源となっているのはシャンデリア一つである。奥の壁には巨大なタペストリーが掛けられていて、その下には衝立(ついたて)が置かれている。その衝立の向こうにも何かあるみたいだが……。

「わっ、すごい」

 衝立の裏側を覗いたキキが声を上げた。そこでは、ラッピングされた大量の箱と、豪華な装飾のトロフィーや楯が、テーブルの上に並べて置かれていた。雪像まつりのコンテストの賞品みたいだ。これもまた気合いが入っているな……。

「もっちゃん、あのトロフィーすごくでっかいよ」

「台座に最優秀賞って打刻されているよ。金ピカなんてかなりお金かけてるね」

「衝立の裏側で薄暗いはずなのに、よく台座の文字が判読できたね……さすがだ」

 野生動物みたいと言われる事には慣れている。

「よく見たらあのトロフィー、てっぺんに雪の結晶の形があしらわれているよ」

「ホントだ……雪のイベントにはぴったりだね」

 恐らくあのトロフィーも特注なのだろう。雪の結晶は非常に精密にデザインされ、細部までムラなく金が塗られている。職人技とも言える巧緻(こうち)な細工物だ。

「でも、大会は来月のはずなのに、今からもうスタンバイしてるの?」と、キキ。

「出資企業の重役や都知事に見せるためじゃない? こういう賞品も、イベントの広報などで重要な材料になるし、バックアップしてくれる人たちからの好評を事前に獲得しておこうと、運営委員が考えたのかも」

「うーん、大人の世界は何かと複雑だなあ」

 どんな華やかな舞台でも、その裏には営利関係の駆け引きがあるものだ。イベントの成功のために、後ろ盾になる人たちの機嫌を取ろうとする、大人たちの醜い戦いが透けて見える。本人たちはそれで必死なのだろうけど。

 その後は、三階大広間の隣にある厨房へと繋がる、勝手口脇の荷物用エレベーターや、建物の裏手にあるプレハブの物置などを、日が沈んで暗くなるまで探索した。初めての場所に来て、キキは目新しいものを探したくて仕方ないみたいだ。わたしはその度に、暴走しがちなキキを制止するのに必死なのだが、もはやこれは役目だと割り切っている。

 夜の七時に近づいてきた所で、わたし達は探索を切り上げて部屋に戻った。

「あ〜、さすがにお腹減るね」廊下を歩きながらキキは腹部を押さえた。

「お昼ご飯、リムジンの中で少ししか食べなかったしね。さて、どんな“まともではないもの”が用意されていることか」

「それ以前にちゃんと用意されているのかな」

 確かにその心配はするべきかもしれない。お歴々の人たちのための食事を優先していたら、わたし達の分の食料は疎かにされている可能性がある。その辺は、みかんがちゃんと運営委員に話をつけていると信じよう。

 部屋の前に辿り着き、わたしはドアを開けた。

「あっ、おかえり」

 一人部屋に残っていたあさひが、顔を上げて言った。バランスボールに腰かけているのはいいとして、なぜか彼女は箸を片手に麺をすすっていた。

 わたしもキキも、状況が呑み込めず無言になってしまった。

「……あさひ、そのカップ麺はどこから?」

「さっきみかんが持ってきた夕食」

 言葉が出ない。それが夕食かよ。想像以上にまともなものじゃなかった。

 わたしもキキも愕然としてしまう。反射的に顔を歪めても、文句を言われる筋合いなどあるまい。

「この部屋、給湯器も電気ケトルもないから、わざわざ三階の厨房でお湯を借りて、そこで作ってから運んでるんだ。たぶん、そろそろ二人の分を持って戻ってくるよ」

 その言葉通り、みかんは一分も経たないうちに戻ってきた。両手に、作ったばかりのカップ麺を持って……。

「あっ、二人とも戻ってたんだ。はい、夕ご飯だよ」

 そう言って両手に持ったものを差し出すみかん。……えーと。

「わたし……夕ご飯にカップ麺を食べた事なんて、生まれてこのかた一度もないのですけど」

「わたしも同じく」キキは軽く手を挙げて言った。珍しく表情が暗い。

「大丈夫だよ、わたしはカップ麺自体初めてだから」

 みかんは、あるべき屈託が一切ない笑顔で言った。何がどういうわけで大丈夫なのか、さっぱり分からない。それと、カップ麺初体験だと言い張るみかんに関して、非常に心配なことが一つある。

「みかん、まさかその恰好でカップ麺を食べる気じゃないよね」

「ん?」みかんは首をかしげた。

「どんなに注意深く食べても、すする事で必ず汁は飛ぶから。高確率で服に付く」

 経験者は語る、というやつだ。これを侮るほどみかんは愚かじゃない。たぶん。

 みかんはしばらく無言でわたしを見返していたが、やがて視線を下に向け、何かを悟ったように頷いた。わたしとキキにカップ麺を押し付けた後、部屋の中のクローゼットを漁り始めた。え? そこに服があったの?

「うーん、こんなものしかないのかあ」

「ねえ、まさかこの施設が貸し出している服に着替えるつもりじゃないでしょうね」

「え?」みかんはこちらを振り返った。「ここにあるの、わたしの私物だけど」

 バランスボールだけじゃ飽き足らず、自分の服まで持ち込んでいたのか。この部屋はVIP専用じゃない普通の客室だけど、ほぼみかんの私的な空間になっていないか。

「しょうがない、これでいいか」

 そうしてみかんが選んだのは、紫色の布に白と黄色の花と(つる)が描かれた、どう見ても浴衣にしか見えない着物だった。

「持ってきた中では、一番汚れが目立たないと思ったんだけど……」

 浴衣でカップ麺という組み合わせは、田園にリムジンと同じくらいミスマッチだ。しかし、もう突っ込む気力もなかった……。

 麺が伸びきってしまう前に食べ始める事にした。先に食べ終わったあさひは、ベッドの間の台に置かれたテレビをつけた。そして、わたしとキキが買ってきた夜食用のお菓子をつまみ始めた。

「何か面白い番組やってる?」わたしは尋ねてみた。

「さあ。わたしはいつも、七時のニュースを欠かさず見るようにしてるから」

「うわあ、まじめだねぇ」

 キキはそう言うが、ベッドに腰かけてお菓子を食べながらテレビを見ていると、とてもまじめそうに見えない。

 あさひと一緒にわたしもニュースに注目してみたけど、星奴町での銃撃事件はやはり報道されていない。最初に報じられたのは、『エイトコイン』なる仮想通貨の運営企業が、一週間前にシステム欠陥の発覚によって経営破綻し、その影響が国内外に波及しているという内容だった。それ以外は国会と政府の動向、アメリカ大統領府の人事、そして各地で起きた出来事……その中にも銃撃事件はなかった。

「エイトコインか……」あさひが口を開いた。「一年前に突如現れた時は、夢のような通貨だと持て囃されたけど、蓋を開けてみれば重大な欠陥があって、一年かけて上昇を続けた株価もここに来て急落……今や見る影もないね」

「セキュリティシステムに抜け穴があったんだっけ」と、わたし。

「どこかのクラッカーが、数万人のエイトコイン使用者の個人情報を、わざわざ個人のサーバをクラッキングして盗み出し、見せびらかすように運営企業にメールで送ってきたらしいよ。たちの悪いクラッカーがいたものね」

「ふうん……よく分かんないわ」

 世の中には、中学生レベルだと理解が追いつけない出来事が、続けざまに起きているものなのだな。いつかは理解できるようにならないといけないだろうけど。

「さてと」あさひはベッドから立ち上がった。「みかん、そろそろお風呂に入って休もうと思うんだけど、ここって浴室あるの」

「シャワールームしかないよ」

「まじかあ……ゆったり肩まで湯船に浸かりたかったんだけど」

「ほら、ここって旅館業法で決められている最低限の設備しかないから……」

 確かに昨日そう言っていたな。わたしは今日特に派手な運動をしていないし、シャワーで十分だけど。

 すると、この部屋のドアがノックされ、リムジンを運転していた専務の人が顔を出し、みかんを呼んだ。

「みかんお嬢様、ちょっと……」

「あれ、今日の挨拶回りはもう終わったんじゃ」

「そうではなくて、先ほどフロントから連絡があって、今日ここに来る予定の一般客が一組キャンセルを入れてきて、ツインが一室空いたそうなんです」

「あれま。当日キャンセルって手数料かかっちゃうのに」

 まあそれはどのホテルでも似たようなものだ。それにしてもこの専務、十代半ばの女の子に対してずいぶんと慇懃(いんぎん)な……代表取締役の娘なら仕方ないか。

「いかがいたしますか。三階の、廊下の端の部屋なのですが……」

「いえいえ」みかんは軽く手を振った。「現状、この部屋をわたし達四人で使っても不自由はありませんので、部屋を移らなくても大丈夫ですよ」

 父親の会社の人が相手だから、口調やトーンがお嬢様風になっている……。

「ねえ、まさかとは思うけど……」あさひが呟いた。

「ん?」

 みかんは専務の人が廊下に戻ってから振り向いた。

「この部屋も本当はツインなんじゃない?」

 あさひの問いかけに、みかんは何も答えず視線を天井へ向けた。

 わたしは身震いを覚えながら、ゆっくりと振り向く。目の前にあるのは、枕が二つ、二人分が余裕で収まるベッド、の片割れ。でもそれは違った。

「じゃあ、まさかこのベッド……シングルベッドなのっ?」

「うそおっ!」

 珍しくキキも声を張り上げた。

「いやあ、ベッドメイクを担当した人が、ダブルベッドと勘違いしたみたいだね。なんで誰も気づかなかったのかなぁ」

 笑ってごまかそうとしているのがバレバレだぞ、みかんよ。大体、あんたはここがツインだと知っていたんじゃないのか。

 どうやらここにも、出資者の娘による妙な力が働いているらしい……。たぶん、みかんがわたし達を二人ずつに分けて、同じベッドで寝るつもりだったのだろう。分け方についても大方の予想がつくというものだ。

 衝撃の事実が明らかになったところで、気を取り直してわたし達は、順番にシャワーを浴びることにした。なぜか一番動いていないはずのあさひが一番手である。あさひが席を外している間に、キキは散策中に気になったことをみかんに尋ねた。

「雪像コンテストの賞品? いろいろあるよ。温泉旅行のチケットとか、食べ物とか、ちょっとした便利グッズも揃えているよ」

「あれだけあったら用意するだけでもお金かかるでしょ?」と、キキ。

「まあね……ほとんどは運営委員で(つの)った資金、つまるところ企業からの出資金を使っているけれど、三割くらいは入場料で(まかな)う計画だってさ」

「あ、来る人からもお金取るのね……」

 てっきり、見に来るだけなら無料だと思っていた。これだけの規模なら、千円単位の入場料を取ってもおかしくないけど。

「特に、最優秀賞のトロフィーは、有名な細工師がこのイベントのためだけに作った一点物だから、依頼して作ってもらうだけで相当つぎ込んだはずだよ」

「それなら集客がかなり大きな問題になってくるね」

「そうそう、だからキキたちのプロモーションにも期待しているってわけ」

 やっぱりその話になるのか……しかし、雪像を見に行かないかと誘ったところで、果たしてどれだけの人が来てくれるだろう。オプションで、あの巨大な人工降雪機が稼働する瞬間が見られる、となれば集客も見込めるだろうか。オプションがメインにすり替わってしまう恐れはあるだろうが。

「おーい」あさひがシャワールームから出てきた。「次、入っていいよー」

「それじゃあわたしが行きまぁす」

 キキが真っ先に手を挙げた。一番疲れているはずのみかんに譲らないとは、気の利かない奴らだ。もっとも、本人は気にするどころか、疲れている様子さえ見せない。さすがはお嬢様である。

「おっ、雪が降り始めた」

 あさひが窓に視線を向けて呟いた。夕方ごろから急に冷え込んできたが、予報通り夜には降雪が始まったようだ。こうなると、明朝は少し積もっているかもしれない。

 それから全員がシャワーを浴びて寝床につくまで、三十分もかからなかった。結果的にシャワーはわたしが最後になった。みかんは気にしなくても、わたしが気にするのだ。わたしが出てきた時点で、すでに三人とも寝に入っていた。後始末、全部わたしに押しつけるつもりか、この薄情者連中め。

 明かりを消して部屋を暗くしてからも、わたしはなかなか寝付けなかった。宵っ張りな方ではないけれど、やはりいつもより時間が早い。そして一つ、わたしにはどうしても不安なことがある。

 友永刑事の話だと、例の銃撃事件は一日おきに発生している。昨日起きたのなら、明日また誰かが命を狙われる可能性があるのだ。現時点で被害者の共通点は十分に見いだせていない。だから、次に誰が襲われてもおかしくない。今は無関係で済ませられても、もしわたしの身近にいる人が、何の前触れもなく銃で撃たれたら……わたしは、そしてキキは、どんな決断をすることになるだろう。

 もう二度と、危ない目には遭いたくない。そんなことを延々と考えているうちに、いつの間にかわたしも寝落ちしていた。

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