本当の結末
* * *
その少年が目を覚ました場所は、足元もおぼつかないような深い森の中だった。
「ん……な、なんだ、ここ?」
周りを見渡してみても、苔むした樹木しか見えない。空は枝葉に覆われ、かすかに隙間から弱い光が漏れこむだけの、薄暗い世界だ。風に揺れてこすれ合う葉の音と、虫か野生動物の鳴く声、小さな水音が混ざりあった、どれともつかない音だけが聞こえる。
「俺、どうしてこんな……あっ」
少年には思い当たることがあった。記憶が途切れる前……少年は怪しい人物の呼び出しに応じ、夜中にこっそり星奴町の自宅を出て、ある場所に向かった。それまで少年はすっかり忘れていたが、その場所は、四年前に祖父と父親からの指示でいじめていた、一歳下の少年を調子に乗って死なせた現場だった。今はもう潰れている町工場である。
嫌な予感がした少年は、気づいてすぐにその場を去ろうとしたが、その行動を読まれていたのか、入り口近くで待ち伏せていた怪しい人物に殴り倒されてしまったのだ。少年は気絶して、それ以降の記憶がない。
「まさか、四年前のあの件で、俺を殺そうと……?」
呼び出しがかかる一時間ほど前に、自宅に手紙が届けられた。切手も消印も差出人の名前もない、怪しげな手紙だった。内容は、祖父が率いているとある集団の被害を受けた報復に、孫であるその少年に危害を加えるという犯行予告だった。祖父はすぐに警視庁の警備部に相談していたが、到着する前に、少年は家を出たのだ。
自分をこんな所に置き去りにしたのは、その犯人に違いない。
「と、とにかく、助けを呼ばないと……ああっ?」
自分のスマホでどこかに連絡をつけようとした少年だが、そのスマホは、粉々に砕かれた状態で地面に散らばっていた。基盤まで徹底的に破壊されていて、もはやただのゴミと化していた。
少年は震えた。それは状況に恐怖したためというだけじゃない。冬だというのに、少年は薄着のままになっていたのだ。少しだけ気温が高かったために凍死はしなかったが、それでも寒いことに変わりはなかった。どうやら犯人は、家を出た時に来ていた少年のコートなどもすべて奪ったらしい。靴まで奪う徹底ぶりだ。
「じ、冗談じゃねぇ! こんな所で死ねるか!」
少年は歩き出した。何の当てもないというのに。
防寒着もなければ、位置や方角を知るすべもなく、樹海を歩くだけの装備もない。樹海は自殺の名所などと呼ばれるが、実際はほとんどが人の通れる道からそう遠く離れていないため、何らかの目印をその場で出しておけば、誰かが見つける可能性は高かった。日光が差し込む場所を付近で探し、破壊されたスマホのレンズで光を集めれば、落ち葉などに火をつけられる。目印はそれで十分だった。だが少年には、それだけの知恵も、考える余裕もなかった。
結局少年は部屋着と靴下という無防備な恰好で、樹海をさまよう事になった。もちろん破壊されたスマホは放置している。少年にとってスマホは、連絡・通信手段として使えなければ用済みなのだ。
少年は普段から裏掲示板を使っていた。能登田中に通うひとりの男子生徒が、最近はその掲示板で幅を利かせていた。表面上はその男子生徒を持ち上げていたものの、内心は疎ましいと感じていた。何者かに気絶させられる前日のこと、少年は偶然、その掲示板で男子生徒が逮捕されたという主旨の投稿を目にした。自分の意のままにできるいい機会だ、そう思った少年は他のユーザを焚きつけ、男子生徒への中傷を次々に書き込ませた。ショックを受けて本人が自殺したとニュースで見た時、少年は昂揚感でいっぱいになった。
祖父や父からいつも聞かされていた。情報を統制し、思うがままに操れる人間だけが、あらゆる力を手に入れられる、と……少年はその言葉の正しさを知ったのだ。これから掲示板を利用する下等な連中をすべてまとめあげ、例の集団の後継を生み出すための足掛かりにする。そうすれば、祖父も自分を認めるだろうと考えていた。
だから、ここでくたばるわけにはいかないのだ。
「くそっ……揚げ足を取るような真似しやがって。今に見てろよ」
少年は足の痛みに耐えながら突き進んでいた。自分では真っすぐ歩いているつもりだったが、実際はかなり滅茶苦茶なルートになっていた。方角も確かめていないため、さらに森の奥へ向かっている事にも気づいていない。
そもそも少年が怪しい人物の呼び出しに素直に従ったのは、スマホに呼び出しの電話がかかってくる直前に、同じ人物からと思われるメールが届いたからだ。そのメールは写真が二枚添付されていただけだったが、見た瞬間、少年は背筋が凍りついた。
一枚目は、少年が同い年くらいの少女を連れて、とあるビルに入っていく様子を撮られたもので、二枚目はその少女の正面写真だった。この二枚が送信者の手元にあるという事は、送信者は証拠を握っていると仄めかしているのだ。そのビルの中で少女に乱暴を働いて妊娠させた、その証拠を……。
少女が合意なしに妊娠させられたことは、病院で検査すればすぐに分かる。だが、相手が都知事の孫であれば、少女が心当たりに関して口を割る事はない、少年はそう踏んでいた。ところが第三者がこの写真を持っているとなれば話は違ってくる。少年のしたことは世間的には犯罪だから、この写真が警察などの司法機関に渡れば、確実に少年のDNAを採取して、少女の腹の子の父親であるかどうかを調べるだろう。そうなれば、祖父の権力をもってしても隠蔽しきれなくなる。
少女の正面写真を持っているなら、送信者は簡単に少女と接触できる状況にある。少年はそのように考えたため、直後に送信者が呼び出しをかけてきても、断ることができなかったのだ。自業自得と言うほかないが、自分の支配欲を絶対善と思い込んでいる少年に、その認識はまるでなかった。
「おーい……誰かいないのかぁ……!」
無駄に歩いて体力を消耗したせいで、助けを呼ぶ声に力はなかった。しかも、道のある方向とは逆を向いて叫んでいるため、誰かが歩いていても届いていない。
すでに靴下は擦り切れて血が滲んでいる。一日以上放置されたためか空腹の状態で、おぼつかない足取りで何度も転んでいて、体中に痛みがある。冬場の乾燥した空気の中ではすぐに喉が渇く。しかし、少年は何の対処もせず歩き続けた。無知ゆえに、人のいる場所に出るのが最優先だと思い込んだのだ。
ここで死ぬわけにいかないと考えていながら、生き抜くための知恵がないばかりに、間違った行動にのみ走っている。都会で甘やかされて育ち、自分のやることが常に正しいと思い込んだ人間の、あまりに憐れな姿だった。
もう何時間歩いたか、少年にはもう分からなかった。身も心もボロボロになって、一瞬だけ、自分が間違ったことをしたという考えが頭をよぎった。だが、すぐに消えた。
「駄目だ、いけねぇ」少年は頭を振った。「四年前のアレは、向こうが勝手に死んだだけだ。翔悟がロープを切っても、ちゃんと避ければ死ななかったんだからな。鈍くさい奴が先に死ぬのは当たり前じゃないか……。それに、あの女はいずれ俺のものにする予定だったんだ。俺のやることを拒もうとした方が悪いんだ。そうさ、俺はなんにも悪いことはしていない、こんな所で惨めに死ぬ理由はない……」
気づかぬうちに、少年は惨めに絶命する方向をひた走っていた。
その時、少年の向かう先に、きらりと光るものが見えた。地面から少しだけ離れているようだ。縦長の長方形の板が上下に折れて、上半分が光を放っている。
「ああ、パソコンだ……!」
満身創痍で疲労困憊の少年には、文字通り一条の光が差し込んだ気分だっただろう。少年はふらつく足でその折れた板に近づいていく。
「近くに人がいるんだ。助けが呼べるぞ。いや、パソコンがあるなら自分で助けが呼べるぞ。メールでも掲示板でも、ツイッターでもいい。ネットに繋げればこっちのもんだ」
少年の中で、ここにネット環境があるように見えないという意識はなかった。ゆえに疑いも持たなかった。
「見ろ、やっぱり俺は死なないんだ。強力な武器を引き寄せたぞ」
……誰も見ていない。
「無事に戻ったら、俺の武勇伝を掲示板に書き込んでやる。一躍ヒーローだぜ」
……自らの醜態は見えていない。
「なんか森の音が大きくなっている。きっと俺を激励しているんだ。誰もが、俺を支持して、俺に従ってくれるんだ」
……水場が近づいているだけである。
「生きてやるぞ。生きて、俺をこんな目に遭わせた愚か者に、罰を下してやる」
……もうすでに受けている。
少年は、光る板に手を伸ばした。
「あのパソコンが証明してくれる。俺はやっぱり正しい。俺は死なな(ry
* * *
星奴町で、金沢都知事の悪事が暴露される事件が起きた、その二週間後。ある新聞記事が再び世間をにぎわせた。
ある山のふもとにある森を探検していた人たちが、中学生くらいの少年が沢の下で倒れている所を発見した。すでに息絶えていた少年は、冬なのにTシャツとズボンだけという軽装で、靴も履いておらず、体中がボロボロになっていた。
翌日に分かったことだが、少年は、連続銃撃事件の犯人に拉致されたとされる、都知事の孫の金沢怜弥であった。その後の捜査で、怜弥の遺体が発見された沢からそれほど離れていない場所で、粉々に砕かれたスマホが発見され、付着していた指紋や機種などから、怜弥の所持品であると結論づけられた。
死因は、沢にある崖から転落した事による全身打撲とされた。致命傷は、崖のすぐ下に転がっていたソフトボール大の石に、頭をぶつけた事だった。気温が低いために、そして近くの川の水位がそれほど上昇しなかったために、遺体の腐敗はあまりなかった。それでも、全身のいたる所に痣をつくり、頭をぶつけたはずみか、両目をひん剥いて舌を出した状態で、非常に醜悪な外見の遺体だったという。
怜弥の遺体が見つかった事に関して、騒動の渦中にあった都知事は、一切のコメントを拒否している。都知事の次男でもある怜弥の父親も、同様であった。
ただひとつ、警察の捜査でも判然としていない部分があった。怜弥が転落したとされる場所は、深い森を抜けてすぐの所にあり、比較的開けていた上に一メートル幅の平地があったので、普通に歩いていれば落ちることなどないという。なぜ少年がこの場所から転落したのか、現場の捜査官は首をかしげている。
他の特徴としては、怜弥が落ちた場所を囲むように崖が迫り出した所があり、その上に立っている一本の樹木の根元に、折れ曲がった看板が落ちていた事くらいだ。自治体の所有である事を示すもので、長方形の薄い鉄板に書かれていた。迫り出した崖は少し高くなっていて、その樹木は森から少し離れていた。
そのため、ある時間帯だけ樹木の根元に日光が当たるという。看板の折れ曲がった上半分は、陽の差し込む空に向いていて、きらりと光を反射している。
数日後、問題の裏掲示板は閉鎖された。
しかし一部の生徒が、再び同種のサイトを作るつもりでいるという……。
― 蛇足の結末 了 ―
この通り、蛇足ともいえるセクションでした。以下、言い訳も含めた後書きです。
女子中学生を主人公に据えたミステリーParadox Girlシリーズ第二作『EVIL TARGET~標的の宿命~』も、これで完結です。シリーズはまだまだ続く予定なので、現時点でも、解かれていない謎がいくつも存在します。ここで仕込んだ伏線がいつ回収されるのか、私にもまるで予想がつきません。
第二章に至っては月一にまでペースが落ちてしまい、結果として九か月もかかりましたが、どうにか思った通りの展開に持ち込めてよかったです。そして、前作よりもかなり分量が多くなりました。ここまで無事に読了された読者の方々、いかがだったでしょうか。途中から気まぐれで『軽く読者へ挑戦状』などという不遜なタグをつけてしまって、なんだか申し訳ありません。もし幸運にも途中で予想がつけられたのであれば、純粋に私の力量不足という事でしょう。
では、また次の作品でお会いしましょう。