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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
52/53

その29 鉛色の空 ―完結回―

 <29>


 ひとつの町の中で中学生が相次いで射殺され、その原因を作ったのが都知事と謎のハッカー集団であると判明した、前代未聞といえる事件が報道されて二週間以上が経つ。一時期は新聞や週刊誌、ネットで騒ぎ立てられ、新聞社やテレビ局に流れてきた『ボット』の名簿により、その実態を暴き立てる動きが活発になった。一方で、銃撃事件の主犯格である人物が逮捕された事で、星奴町はほぼ平穏を取り戻し、何事もなかったように町内の中学校は一斉に冬休みに突入した。

 山本あさひは、自宅の隣にある喫茶店『フェリチタ』を訪れ、レジ近くのラックから新聞を一部とると、テーブル席に座って広げた。

「ほー……」思わず声が漏れる。「都議会が知事への辞任要求、か……市民オンブズマンによるリコールのための署名集めも始まっているし、これを機に追い落としにかかろうとしているみたいね……」

「なんか政治の世界は唐突に慌ただしくなったわねぇ」

 店主の晴美さんが、あさひの注文したコーヒーをテーブルに置いて言った。

「どうも都知事は裏で不正工作を続けていたようですが、いい加減に(ほころ)びが生じたということでしょう。いずれ明るみに出て叩かれる宿命だったんです」

「ひょっとして、キキちゃんが何か関わってるの?」

 あさひの、コーヒーをすする動きが止まる。

「……何ゆえそう思います?」

「いや、例の騒動が起きる少し前に、怪しい男の人とここでお話していたから。それも二度も。警察の人だってもみじちゃんは言ってたけど」

「ああ、あれか……」監察官の男はあさひも見ている。「詳しくは聞いていないんで、何ともいえないですけど、少なからず関わってはいるみたいですよ。というか晴美さん、キキから何か預かって燃やしていましたよね」

「怪しい男の人が書いたメモよ。気になったけど中身は見なかったわ。こういうのは内緒にしてもらいたいんでしょ?」

 そう言って晴美さんはウィンクを放ち、くるりと背を向けて厨房に戻った。あさひは呆然とする。……油断ならない人がここにもいるな。

 あさひはまた新聞に目を落とした。コーヒーを嗜みながら新聞を読むという、およそ中学生らしからぬ恰好ではあるが、あさひにとっては割と普通の行動である。

 東京地検はこの騒動を受けて、都知事に対し刑事訴追を行なう意思を示している。ハッカーを使って都合の悪い情報を揉み消し、その行為を暴露しかねないと判断された人間を秘密裡に殺害していた……重大な犯罪行為だと断定せざるを得ない。都知事に隠蔽を指示された警視庁は、この訴追に関わることを許されなかった。

 金沢は未だに観念していないらしく、火消しに躍起だが、『ボット』の名簿が流出して実態解明が進んでいる現状では、絶望的だろう。そしてこの状況にも関わらず、金沢は都知事選への立候補を取り下げなかった。「汚名を払拭して責任を果たすまでは、都知事として与えられた職務を終わりまでやり遂げなければならない」と息巻いているそうだ。とはいえ、マスコミもネットも、この発言への反応は冷ややかだった。すでに対抗馬となる候補も名乗りを上げていて、金沢の落選は必至という見方が強まっている。しかも知事への解職請求(リコール)は選挙管理委員会に届け出る決まりなので、選挙前に請求が通れば、出馬さえも危うくなるかもしれない。

 隠蔽を主導した星奴署にも批判の目が向けられ、ついに監察が本格的に介入した。メンバーには、キキたちの調査をバックアップしていた舛岡警視もいる。結果、名前は明かされていないが、隠蔽に加担したとされる警察官は全員、一年間の減給という極めて異例の処分が下った。

「一年間……」あさひは呟いた。「地方公務員の減給期間の、上限いっぱいですか」

 刑事課長の関与ははっきりしなかったが、監督責任として三か月の減給となった。どちらにしても、懲戒処分を受けた警察官は出世が遠のいたと言ってもいい。キキたちの話を聞く限り、あの木嶋という雄鶏刑事も隠蔽に加担していた様子なので、同様に重い減給処分を課されたことだろう。出世欲と自己顕示欲の塊のような奴だったが、結局自分で自分の首を絞め、出世からさらに遠ざかってしまったわけだ。

 銃撃事件の主犯であり、もみじのクラスの担任でもあった横村朱美は逮捕されたが、他の共犯者の行方は(よう)として知れず、横村もそれに関しては頑なに口を閉ざしている。そもそも警察が、共犯者の素性からして掴めているかどうか怪しい。キキもたぶん、共犯者について自分の口からは語っていないだろうし、横村もキキの説得の事は口を割らない。すでにキキともみじは、この件から完全に手を引いているのだ。

 もみじの話によれば、四ツ橋学園中の二年D組は新たに担任を置かず、副担任の多田という理科の教師が臨時担任になったそうだ。もみじはクラスメイト達に何ひとつ相談しないまま、全員で横村の帰還を待つと約束したが、どうやらたいして手間はかからなかったようだ。それほど多くの生徒に慕われていたのだろう、その女性教師は……。

 出入り口のベルが鳴る。あさひは顔を上げて来店客に目を向けた。

「あれ、美衣?」

 入ってきたのは友人の中沢美衣だった。美衣もあさひに気づくが、これといった反応を示すことなく、あさひの向かいの席に座った。空席は他にもあるのだが、知り合いがいると分かっていながら同席しないのは、さすがに悪いと思っているらしい。

「珍しいね、こんな所まで来るなんて」

「近場に用事があったんだよ。小腹が減ったのでここに来た」

「用事ねぇ……出不精の美衣が」

「出不精でも全く外に出ないわけじゃない。わたしは引きこもりではないからな」

 あさひから見れば、引きこもり予備軍になりつつあるように思えるのだが……。

「さて、何を頼もうかな」美衣はメニュー表を眺める。

「今日のオススメはオムライスだよ。デミグラスソースが絶品で、卵のトロトロとも相性抜群なんだよ。中身のチキンライスも香り高くて……」

「すいません、特製タルトタタンとアサイー入りジュースをひとつずつで」

「はーい、特製タルトタタンとアサイー入りジュース」厨房から晴美さんの声。

「ははは、さらっと無視しやがった」

 あさひは笑いながら怒った。美衣のつれなさは毎度のことだ。

「そっちは新聞片手にコーヒーか? 休日のサラリーマンみたいだな」

「ほっといて」

 糖分が足りていないのか、あさひの苦手な毒舌は今日も発揮されている。

「キキたちが調べていた一件、どうにかケリが付いたみたいだよ」

「あいつらにとってはそうだろうが、権力側は混乱に陥っている。キキがあらかじめこの事態になる可能性を知らせたからか、収束に向けた動きは思ったより素早いな」

「処分が下るのもずいぶん早かったしね……まあ、警察にとっては最悪の形で不祥事が暴かれた事に変わりないけど。これもキキが望んだ形なんだろうなぁ」

「官憲の隠蔽体質を考慮すれば、やむなしだろうな」

 ずけずけと言ってくるな……そしてこちらも、中学生らしからぬ物言いだ。

「蓋を開けてみれば、キキはほとんど何もしていないのよね。まあ、行方不明だった都庁職員の遺体が発見された事や、主犯が狙撃隊に射殺されずに済んだ事は大きいかな。おかげで真相が有耶無耶にならなかったわけだし」

「柴宮酪人とかいうアホウな中学生が捕まったのも、功績と言えるな。主犯による誘導があったとはいえ、キキが彼の犯行を証明できなければ危うかっただろう」

「そう考えると、今回もキキは大活躍だったんだね。相変わらず表には出てこないし、警察も功績を認めようとしないけど……まあ、今回は警察組織への代償がかなり大きかったからね。対内的には処分で決着がついても、信頼が落ちた事に変わりはないし」

「お待たせしましたぁ」

 晴美さんがタルトタタンとジュースを運んできた。美衣はすぐさまグラスにストローを挿し込み、ジュースを吸い込んだ。

「ふう……」半分くらい飲み込んでから口を離す。「あさひ、警察で最も優秀なのは誰か知ってるか」

「…………?」

「警察犬だ」

「なるほど、永久に尾を引くことになるのを覚悟すべき、ってことね」

 糖分を摂取したら途端に機嫌がよくなったな。警察にとっては耳に痛い暴言も同然だろうけど……。

「それにしても、キキもよくやるよね……わたしには真似できんわ」

「真似なんかするもんじゃないぞ」

 美衣はタルトタタンを一切れ口に入れる。よく咀嚼(そしゃく)して飲み込んでから言った。

「探偵きどりで刑事事件に首を突っ込むには、相応の覚悟と技能がいる。キキは両方とも備えているし、自覚もあるからこんな事ができるんだ」

「好き勝手にやっているだけに見えるけど……」

「いや、あいつは無闇に刑事事件に関わって調査する事はない。あさひも分かるだろ? キキが動くのは決まって、友達が絡んだ時だけだ。どれほど不可思議な事件が起きても、自分の知恵が求められる状況にあっても、それだけじゃキキは何もしない」

 言われてみれば、そうかもしれない……あさひは思った。キキはキキで、ある種の義務感を持って探偵的行為に臨んでいるのか。

「今回はわたしが巻き込まれて、結果的にもみじも関わったから、キキはあれで慎重に事を運んでいたんだろうなぁ……でも、どれほど真相究明に貢献しても、喧伝(けんでん)も自慢もしないよね。技能があるという自覚は本当にあるのかな」

「真相究明に寄与する能力というより、自分が調査することの価値を自覚しているんだ。本人は、友達のために一肌脱ぎたい、その思いだけでやっているし、それで何かが変わると信じている」

「ふむ……真相を見抜いたのはあくまで結果論だと思っているから、実績を広めようとも思わないわけか。謙虚で友達思い、それだけのことかな」

「性格的な一面もあるだろうが、キキの場合、色々あって特にもみじには気を遣うんだ。もみじのためなら何だってするだろうし、もみじのためにならない事は何があってもやらない……そう決めているのさ。ある意味でそれも覚悟だ」

「色々って……?」

「気にするな。いずれキキ本人の口から語られるさ」

 自分の口から語るつもりはないのか……自分ではなくキキの事だから、軽々に話すわけにもいかないのだろう。まあ、気にするな、と言われても気になるが。

 美衣のタルトタタンは半分ほどなくなっていた。

「そういえば、そのキキともみじはどうした?」

「ああ、キキは冬休みの宿題に勤しんでる。最終日に追い込まれないよう、今からできる限り進めるってさ」

「進むのか?」根本的な疑問が飛び出た。

「それはキキの努力次第だから何とも言えない。それと、もみじは遊園地に行ってる」

「ほお、これまた贅沢な。シーズンでもないのに遊園地か。当然、ひとりで行ってるわけじゃないんだろ?」

「ひとり遊園地は絶望的につまらないもんね。同じクラスの外山功輔っていう男の子と一緒だよ。まあ、ありていに言えばデートだわな」

 直後、かちゃりという音が聞こえた。美衣がスプーンをテーブルに落としたのだ。なぜか美衣は、おぞましいものでも見たかのような歪んだ形相をしていた。

 ……こんな顔に出る奴だったかな。

「もみじがデートだと……? 巨大隕石でも降ってくるのか」

「すげぇ礼を(しっ)した驚き方だなぁ」あさひは苦笑した。「以前から功輔くんと約束していた事らしいよ。もみじのほうは隠す気なさそうだし、たぶんデートという意識もない」

「あいつらしいな……そんな人と付き合うとは、その功輔という奴も気の毒に」

「だから、いちいち失礼だってば。まあわたしとしては? キキともみじの仲を邪魔するような奴は、男女問わず四散してほしいところだけど」

「お前は何様だ」

 怒られてしまった。あさひ自身は笑顔を絶やさなかったつもりだが。

「だってねぇ、あの二人は本当にいいコンビだもの。見ていてほっとするくらい。お互いを心から大切な存在だと思ってるし、無くてはならない存在だと思ってる。いつまでもあんな深い間柄でいてほしいとつくづく思うよ」

「それは友人としての目線なのか?」

「そうだね……二人の関係を羨む、ひとりの友人としての感想だね」

「羨ましいのか」美衣は淡々としている。

「わたし自身は、そんな関係を誰にも望めそうにないからねぇ」

「みかんがいるじゃないか」

「そりゃあみかんは、どんなわたしでも受け入れてくれるよ。でもね、誰かがわたしを受け止めても、わたしに同じことはできないから……誰かと深い関係になりたいと願っていても、構築するのは難しいからね。その点、本当にキキやもみじが羨ましいよ」

 あさひはコーヒーを一口含んだ。静かな時間が流れる。

 なんだか自分を卑下するような物言いだが、うまくいっていないのは確かだった。あの二人のような関係は、望んで手に入るものじゃないと分かっていても、自分に叶えられないのは少しだけ癪だった。こんな事、美衣に言っても困るだけだろうが。

 美衣は無関心そうな表情で、でも普段よりは上機嫌に言った。

「さて、それはどうかな……」

「え?」

 あさひが顔を上げてすぐ、店の入り口が開いてベルが鳴った。入ってきたのは……。

「あっ、あさひさん!」

 同じく生徒会に所属している、唐沢菜穂だった。息を切らしていた。

「唐沢さん……どうしてここに?」

「どうしても言わなきゃいけない事があって、家の方に行ったんです。ほんとは、学校で言えたらよかったんですけど、タイミングがなくて……」

「言わなきゃいけない事って……」

「その……ごめんなさい!」

 衆目も気にせず、菜穂は頭を下げた。突然の事で、あさひは少し混乱していた。

「えっと……何が?」

「だから、わたしの事で、あさひさんに迷惑ばかりかけてしまって……」

「ああ、柴宮のことか……別に、迷惑だったわけじゃないよ。わたしが怪我したのも、結局は自分のせいだし」

「でも、わたしがそもそも原因だってことに変わりはないから……だから、本当にごめんなさい。でもって……ありがとう」

 ずっと押し込めていた思いを打ち明けた菜穂の表情は、晴れ晴れとしていた。ストーカーの恐怖からも、恩人への申し訳なさから悩んでいた日々からも、解放されたように。

 いや……菜穂にとって、自分はただの恩人なのだろうか。他人の気持ちは分からない。だけど、分かりたいという思いが強くなっていくのを、あさひは感じた。

 あさひは、腰かける位置を窓際に寄せる。隣の空きスペースを手で叩いた。

「…………え?」

 きょとんとする菜穂。促しているつもりだけど、通じないか。

「隣、座りなよ」

 あさひがそう呼びかけると、菜穂の表情が徐々に緩んでいった。そして、縮こまってはいるものの、菜穂はあさひの隣に腰かけた。

 ……おっと、美衣の存在を忘れてはいけない。本人は我関せずと言わんばかりに、アサイー入りジュースを飲んでいるけど。

「美衣、このこと、みかんには内緒でね?」

 あさひは慣れないウィンクをして、美衣に言った。

「へいへい」

 とうに興味をなくした美衣は、なおざりに答えてまたストローに口をつけた。


 同じ頃、わたしと功輔は約束どおり、一日無料券が使える遊園地に来ていた。シーズンオフなので他に来園客は少ない。遊園地なんて滅多に来ないし、加えてここはアトラクションが割と充実している。思い切りはしゃぎまわるぞ!

「はしゃぎ過ぎだろ、お前……」

 序盤から飛ばしまくったわたしは、続けざまに絶叫マシンに乗り込んだ。もちろん、きょうの相棒の功輔も一緒である。四つほど体験したころには、功輔の表情は真っ青になってグロッキー状態だった。

「情けないなぁ、たった四つくらいで」

「間に休憩ひとつも挟まずにやるとかアホだろ。つか、なんでお前はそんなピンピンしてるんだ……」

「別にわたし、高い所で一回転しても平気だし」

「いなかっぺ大将のニャンコか」

 あれは三回転だから違うな……てか、そんな古い漫画をよく知ってるな。

「しょうがない、お昼時だし、ちょっと休憩入れるか」

「ああ、そうしてくれ」

 功輔はもう限界に達しそうだった。そういうわけで、わたし達はイートインコーナーで軽く腹を満たすことになった。お客が少ないので、並ばなくてもすぐ買える。わたしはホットドッグ、功輔はチキンナゲット、共にホットココアを注文した。

 テーブル席で隣り合った席に座って、他愛もない話に花を咲かせつつ食事。まあまあ健全な付き合いと言えるかな。

「そういえば、横村先生の裁判が終わったら、面会に行きたいって言ってた奴が結構いるみたいだぞ。多田もそうしたいと言ってたらしいぜ?」

「あんた、多田先生は呼び捨てなのね……」

「あの人はあんまり気にしてないみたいだぞ? 他人の言うことを気にするなら、あんな恰好はしないだろうし」

 忘れた人のためにもう一度言っておこう。多田先生は日常的に白衣を見に(まと)っている、変人を絵に描いたような理科教師である。生徒からの異名は『マッド多田』。

「確かに……いや本人からすれば意味があるのかもしれないけど」

「それにしても、なんだかんだ色んな人たちから慕われていたんだよな、横村先生。相談に乗ってくれる人なんていっぱいいただろうに……ああ、でも、復讐したいって気持ちを誰に相談したって無意味だよな。俺もそうだったし」

「でもわたしは……先生の助けになりたかったな。復讐心はどうしようもないけど、せめて傷を癒せる存在でいたかった……」

 わたしが泣き言を口にするのが珍しいからか、功輔は反応が遅れた。

「……まあ、最後の最後、先生が自分の命を投げ捨てる前に、なんとか繋ぎとめることができたなら、まだよかったんじゃないのか?」

「……それもそうだね」

 それができたから、わたしは、自分にもできる事があると心から思えたのだ。キキにとってのワトソン役にはなりきれないけど、先生を慕う生徒のひとりとして、先生を救いたいという気持ちがあったから……。

「よし」功輔は立ち上がった。「腹ごしらえも終わったし、次はどれに乗る? もうド派手なアトラクションは勘弁だけど」

「えー……じゃあ、あれにでも乗る?」

 わたしは適当に観覧車を指差した。

「ああいうのは締めに乗るってのが相場だけど……ま、いいか」

 アトラクションに乗る順番に相場などというものがあるのか? 異論がないなら気にしないけど。

 食べ物や飲み物の容器はゴミ箱に捨てて、わたし達は観覧車に向かった。こちらもほとんど行列がなかったので、到着してすぐに乗ることができた。

 乗り始めてから一分ほどで、ゴンドラは、遊園地全体が見渡せるくらいの高さまで到達した。窓から覗くと、思ったより広い所だと気づかされる。人が少ないからだろうか、規模の大きさがより際立って見えるような気がする……といっても、シーズン時に来た記憶はないのだが。

「で、なんであんたは外を見ないの?」

 功輔は無表情で腰かけたまま、あらぬ方向を見ていた。絶叫マシンは苦手みたいだが、高所が苦手という感じではなさそうだ。

「……なあ、ちょっと、訊きたい事があるんだけど」

「なに、改まって」

 変に真面目な功輔を見て、わたしは少し可笑しく思えた。

「お前は……俺のことをどう思ってる?」

「……ごめん、質問の意図が分からない」

「ああ、つまり……お前にとって、俺がどういう存在なのかってことだよ」

「わたしにとって? そりゃあ、幼馴染みでしょ」

 それ以外に何があるというのだ。……いや、ないわけじゃないか。

「だよなぁ……そう来ると思ったよ」

 なぜか功輔は落胆のポーズ。どうやら、予想していた悪い答えだったらしい。

「わたしに何て言ってほしかったの?」

「いや、お前が思った通りの答えでいいんだけど……俺としては、もうちょっと前進させるいい機会だと思ったんだよ」

「前進? 何を?」

「だからその……関係を。俺と、お前の」

 …………。ちょっと理解するのが遅れた。ずいぶん遠回しではあるけど、要はわたしと功輔の関係をもう少し深めたいという事だろうか。

「もちろん、お前が望むような関係で構わないけど、俺としては、まず……友達から始めてもいいと思う。キキさんほどでなくてもいいから……」

「あのさ」

 功輔はまだ何か言いたそうだけど、心の内はだいたい読み取れたので、わたしは功輔のセリフを遮った。

「それを言いたいがために、わざわざ一緒に遊園地行こうって誘ったの?」

「えっ」

「はー……」わたしはため息をつく。「くだらない」

 恐らく気分を高めてプロテクトを弱める状況を作りたかったのだろうが、やり方が回りくどいというか、基本的に相手をなめているとしか思えない。こんな状況に追い込まないと素直に気持ちをさらけ出せず、相手も自分を見てくれないと考えるとは、なるほど功輔はヘタレと呼べる人種かもしれない。

「いや、くだらないって……俺は真面目に言ってるんだけど」

 反論しているつもりみたいだが、もうひとつ、決定的に許せない点がある。

「だぁかぁらぁ!」

 わたしは席から立ち上がった。はずみでゴンドラが揺れて、功輔は慌てて座面と窓のサッシに掴まった。体勢を崩したままの功輔に向かって、わたしは言った。

「そういう大事なことは、相手の目を見て言いなさい!」

 何がそんなに意外なのか、功輔はポカンとしてわたしを見返している。わたしは腰に手を当てて、仁王立ちのまま功輔を見た。

「わたしも同じこと考えてた。勝手知ったる仲だと思っていたけど、今回の事件で、わたしは功輔のことを、何も知らなかったんだって分かったの。これからまだ、功輔と長い付き合いになるかもしれないなら、もっと功輔のことを知らなきゃいけないって思った」

「もみじ……」

「だから、いいよ」

 わたしは、功輔に向かって右手を差し出した。

「わたし達の関係……友達に昇格させよう」

 笑顔を見せる。意識しなくても笑顔が出せている。昔からそうだった気もするけど、やっぱりわたしにとって、功輔は気の置けない存在なのだ。

 功輔はしばらく呆然としていたが、やがてふっと笑って、わたしの右手を握り返した。喜びの笑みではない、いつも見せている、楽しげな笑顔だった。

「……おう」

 どこまで功輔が思い描いていた通りになったか知らないが、お互い、行き着くべき所に行き着いたようである。結果としては、これ以上のものはない。

「……というか、いま昇格って言ったか」

「うん」

「つまり、これまで俺は友達以下だったってことかよ」

「いや、友達未満だね」わたしは正直に言った。

「下方修正すんな。傷つくから」

 友達にはなっても、やっぱりいつもと変わらないわたし達なのだった。

 観覧車を降りてからも、わたし達は絶叫マシン以外のアトラクションも体験した。冬に集客が見込めないお化け屋敷は閉鎖されていたし、あからさまに子供向けのアトラクションは乗らなかったが、それでも夕方までの時間をいっぱいまで消費したものだ。

 電車の時刻も迫ってきたところで、わたし達は遊園地を出た。

「いやー、目いっぱい遊んだ。何やってもタダっていいね」

「お前はちょっとはしゃぎ過ぎだけどな」

「いいじゃない。今日は部活休みだったから、思いきり体を動かせると思ったし」

「別に部活休みでも、お前はいつも思いきり動いているだろ……」

 そんな呆れられるほどいつも運動に明け暮れているわけじゃない。

「まあとにかく、今日は誘ってくれてありがと。結構楽しかったよ」

「それならよかったけど……」

 功輔はどこか浮かない表情だ。何なのだ。楽しくなかったようには見えないし、一応当初の目的も果たせたのだから、心残りなどなかろうに。

「どうしたの?」

「いや……とりあえず友達に昇格して、いきなりこれもアレだけど、どうしても訊いておきたい事があって」

「観覧車で訊いたこと以外にまだ何か?」

「いや、最初はあれだけだったよ。でも、今を逃したら、もう確かめる機会はないと思ったんだ……この間の事件に関して、腑に落ちない事があって」

 二週間も経ってから蒸し返されるとは、思わなかったな。……それに、わたしはもうその話を避けたかったのだ。あの時のことは、キキとわたしの胸の中だけに収めておきたいと思っているから。

「キキはぜんぶの謎を解いたよ。今さら腑に落ちない事なんてあるの」

「確かにキキさんは謎を解いた。だけど、キキさんやお前がやったのはそれだけか?」

「…………」

「俺は、キキさんが何を考えていたのか分からない。だけど、報道で聞いた範囲で、横村先生の計画はだいたい推測できる。警察やマスコミを出動させ、孫の命を脅かすことで都知事を遠方に誘い出し、その隙に都知事のパソコンにマルウェアを仕込み、『ボット』の情報をマスコミにリークする……そんなところだろ」

「まあ……そんなところだね」

 わたしは功輔から目を背けている。たぶん、功輔はわたしを直視している。さっきとは立場が逆になっている。

「でも妙なんだ。先生が金沢怜弥の誘拐を予告して警察への通報を促せば、金沢は罠の可能性を疑うかもしれない。確実に警察へ通報させるなら、予告の中で、警察への通報を思い留まらせる主旨の発言はなかったはず。そんな不自然な犯行予告を見れば、都知事だって何かの罠だと考える可能性が高い。そうしたら、たとえ金沢怜弥を解放する条件として提示されても、犯人の元へ行くことは決してないし、あるいは都庁舎から離れない可能性もあった」

「…………」

「もちろん横村先生もそれは想定済みのはず。でも、もしそうなれば、先生はもっと過激な行動を取らざるを得ない。例えば、金沢怜弥を実際に殺害しかねないと思わせる、映像か何かをネットに流すとか……まあ、最終的にはどうせ殺害するんだろうけど、見るからに命の危険が迫っているような映像を、その前に作ることになる。当然、こんな事をすれば重い罪に問われるのは必至だ。方法がどうであれ、な」

「…………」

「キキさんとお前が、その計画を変更するよう先生を説得したなら、こんな事態には絶対にさせない。そのためには、何が何でも都知事には、一度知事室に来てもらってから、その場を離れるように誘導しなければならない。どっちもできたのはお前たちだけだ」

「……何が言いたいわけ?」

「もみじとキキさんは、横村先生の罪を軽くするために、都知事に直接会いに行ったんじゃないか? どう考えても、お前たちは先生の計画に大きく加担している。止めずに黙って見ているなんてレベルじゃない」

 ……やっぱり功輔は鋭いな。彼をなめていたつもりはない。もしかしたら、功輔には気づかれるかもしれないと、心のどこかで感じていた。

 でも、それが正しくても間違っていても、認めるわけにはいかない。

「……どうでもいいじゃない、そんなこと」

「どうでもいい?」

「事件は解決したんだよ。結果としてキキは、誰も悲しませる事なく決着をつけた。当初の目的どおりに解決できたんだから」

「でも……」

「標的にされた人たちは、どれも邪悪な考えに(とら)われていた。そんな人たちはね、いずれ傷つく宿命だったのよ。キキが何をしようと、するまいと……。功輔、これからわたしと友達でいつづけるなら、これだけは心に留めておいて。キキは名探偵でもなければ、正義の味方でもなければ、まして英雄なんかでもない。ただ友達のために、友達を悲しませないようにするために行動していた……それだけよ」

 功輔はまだ得心がいかないらしく、眉根を寄せてわたしを見返していた。だが、やがてふっと息を吐き、諦めたように答えた。

「そうか……全面的な賛同はしかねるけど、これ以上は何も言わない」

 納得はしなかったようだ。別に構わない。キキは理解など求めないだろうし、わたしもそのつもりはない。キキはこれが正しいと思ってやったのではなく、それが当然だと思っているだけだから……わたしは、彼女の親友として、最後まで信じなければならない。それだけのことだ。

「まあ、わたしとしても、あの事件はさっさと忘れたいんだけどね。もちろん、先生のことは忘れないけど……」

「そういや、この間きいた先生との会話……あれは全部そのとおりなのか?」

 キキには話さなかったけど、功輔は気にしていたので、数日前に、展望台で先生から聞いた話は功輔にも伝えていた。それも気になっていたのか。

「そのとおりかって……先生から聞いた、そのままの話だけど」

「二人を手にかけたっていうのも?」

「うん……別に、こっちも初めから知っていたことだし。何か気になるの?」

「いや、本当に先生がそう言ったのかって……まあいいか。悪い、忘れてくれ」

 そう言って功輔は先に駅へと歩き出した。何だったのだろう。友達になったとはいえ、やっぱり心の内をすべて曝け出すことはしないのか……。

 まあ、忘れてほしいというなら、忘れた事にするけど。

 わたしは功輔の後を追って歩き出す。途中、遊園地の外壁に飾られたイルミネーションが目に入った。そうか、もうすぐクリスマスか……何の予定もないな。

 この冬の唯一の楽しみが雪像まつりだけ、そんなわたしに、イベントが降って湧いてくるってことはない。今日はもう、帰ってご飯を食べて寝るだけだ。特にそれが寂しいとは思わない。陰惨な事件に見舞われるたび、何もない日常が愛おしく感じるのだ。

 ふと空を見上げる。夕方なのに厚い雲がかかり、薄い鉛色に染まっていた。刹那、吐息が視界を白く歪める。そのうち、また大地も白くなりそうだ。

 ああ、冬だなぁ。帰りにおでんでも買っていくか。


 ― 了 ―

サブタイトルに完結回とか書きながら、実はまだ続きます。

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