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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
46/53

その23 英雄

 <23>


「もっちゃん、本当にこのままついて来て大丈夫?」

 星奴署を出て、次なる場所へと向かおうとした矢先、わたしの前方を歩いていたキキが立ち止まり、振り返って尋ねた。すでに時刻は九時、深夜徘徊の対象ではないものの、中学生が出歩くには十分に問題視されそうな時間である。

「何が?」

「もっちゃんも犯人が誰なのか、おおよそ見当はついているでしょ? この先どんなに掘り下げても、つらい真実しか浮かんでこないのは目に見えてる。そこまで共有することはないと思うけど……」

 そう言っているキキの方がずっとつらそうに見える。本当にこの子は……自分の感情を度外視してでも友人を気遣う、不器用で優し過ぎる性格。まあ、前者に関しては、わたしも人のことは言えないが……。

「大丈夫だよ」

 そう答えたら、キキはきゅっと口元を結んだ。

「わたしだって、真相が分かってから今まで、無駄に塞ぎ込んでたわけじゃない。泣く覚悟くらいはできてるよ」

 本心だった。わずかもつらくないと言えば嘘だけど、真実を受け入れるための心の準備はできていた。自分で確かめられた真実だから、迷いなく受け止められる。

 だのに、キキは伏し目がちのまま呟いた。

「わたしも、こんなふうに強くいられたら、よかったのになぁ……」

 ……弱くもないだろう、と言いたかったが、なぜか口が動かなかった。どうしてか、何を言っても陳腐なものにしかならない気がした。

 何ひとつ言葉をかける余裕もないまま、キキは再び歩きだした。

 行く先がどこなのか、もう分かっている。

「先々月の事件でもこうやって、犯人の家に直接行って話をしたの?」

「犯人ではなかったけどね。だってその方が真相を知るには確実だし……まあ、危害を加える恐れがない、というのが前提だけど」

「そりゃそうだ……わたしでも危ない所には行きたくないし」

 こんな会話をしていると、わたしの携帯に電話の着信が入った。功輔からだ。

「功輔? どうしたの。…………うん。うん、分かった、知らせとく」

「功輔くん、なんて言ってた?」

 通話を切ったわたしにキキが尋ねた。

「読み通りだよ。キキの張った罠はちゃんと効いたみたい」

「そっか……」キキはほっとした表情。「とりあえず望みは繋がったかな。でもこれで犯人が観念するかどうか分からないし……交渉次第になるかも」

 そうでもない。少なくとも今、わたしは犯人を観念させる材料を持っている。だけどそれをこの場で明かすことはできない。キキは気にしないかもしれないけど、わたし自身の居心地が悪くなる。

 ……なんて、わたしが下手に悩んだりすれば、顔に出てすぐばれるのだけど。

「もっちゃん、どうしたの?」

「あ、いや……ねえ、以前にキキが言ってたよね。歴史上の英雄はみんな無責任だって。あれってどういう意味?」

 ついはぐらかしてしまったけど、実をいえばずっと気になっていた事でもあった。いま聞いてもいいはずだ。

「ああ、あれね……とっくに忘れてると思ってた」キキは苦笑した。

「え、忘れた方がよかった?」

「そうじゃないけど、もっちゃんにも好きな歴史上の偉人っているだろうから、その人をディスっちゃうような話はやめた方がいいかと思い直して……」

 そんな事かよ。こいつは何をするにしても坂井もみじありきだ。

「別に気にしないよ。わたし、歴史は好きだけど好きな偉人なんていないし」

「そこは普通の歴女と違うね……」

 それ以前に、わたしは自分を歴女だと名乗った覚えがない。歴史好きだとは公言しているけど。

「うーん……」キキは少し考えてから話した。「全部がそうだとは言わないけど、歴史上で英雄と評された人たちはほとんど、自分を大切に思ってくれる人のことを、何も考えていないと思うんだ」

「へえ?」

「あるところでは国を守るために、あるところでは自分の信念を貫くために、勇敢に戦ったものを英雄としている。でも戦うってことは、違う考えを持った人たちを容赦なく傷つけることでもあるんだよ。それによって悲しむ人がいるはずなのに」

 あっ……そういうことか。それがキキの考え方だった。

「一方で、戦いの中で散っていった人のことも、歴史は英雄扱いする。結果がどうであろうと関係なく……でも、その人のことを大切に思っていた人は、身近に必ずいる。どんな動機があっても、どんな結果になっても、大切な人が死ぬことを喜ぶ人なんていない。そんな気持ちを顧みずに戦って、大切に思ってくれる人を悲しませるなんて、ろくでなしのやり方だよ。誰かの幸せを犠牲にしておいて、自分ひとりが死んで持て(はや)されるのは、その誰かの幸せに応える努力を怠っている……無責任だと考えるのが自然でしょ?」

「…………」

 キキは眉根を寄せながら語っていた。戦いの中で信念を貫き、あるいは国を守るという名目のために殉じる。それは歴史の中であまりに自然な事として描かれるけど、キキにとっては不自然極まりない事なのだ。誰かの幸せを第一に考える、キキには……。

「何かを犠牲にして得た幸福や栄誉は、欺瞞(ぎまん)に他ならない。誰にも、人の幸せを奪い(もてあそ)ぶ権利なんてないんだから……そんなものに、どれほどの価値があるっていうの」

 正しい……この上なく正しい。

 爆弾三勇士が立派だと持て囃された戦時中の日本のように、革命や国家主義が礼賛(らいさん)されていた時代だったら、異端だと後ろ指を差されるだろう。それでもキキのこの考えは、本当なら古今東西で共有されるべきなのだ。身近な幸せを犠牲にしてまで、巨大で曖昧なものを守ることに意味などない。キキが正義を掲げて行動することに否定的なのも、きっと同じ理由だ。

 単純だ……この上なく単純で、でも誰も気づいていない。この違いが希望になる。キキなら必ず、誰も悲しませずに解決できるはずだ。

 気を遣う必要なんてなかった。驚くほどわたしは、キキの考えに共感できた。確かに歴史上の英雄と呼ばれる人たちは、揃いも揃って無責任かもしれない。それ以上に、英雄扱いする人たちも無責任だ。

 美衣は言っていた。歴史には本来暗い側面しかないと。それを美談に仕立てたのは、暗い側面を知らない後世の人たちの、無責任さなのだろう。

 そんな事を考えながら歩き続けていると、暗い夜道の先でたくさん何かが蠢いているのが見えてきた。少し進むと、それは十人ほどの人影だと気づいた。

「やっぱり来たか……」

 キキは小声で言った。とうに予想済みの展開のようだ。

 人影はどれも、大小様々な棒状の物体を携えている。棍棒(こんぼう)であったり、あるいは金属バットであったり……ひっくるめて武器と呼べそうな代物だ。

「金沢都知事の指令ですか!」

 キキは声を張り上げた。静謐(せいひつ)な夜の住宅地に響く声は、暴力的な意識に支配されている連中の足を止めた。

 どうやら星奴署から出た所を見られていたらしい。すぐさま付近の『ボット』メンバーに襲撃の命令を下した、という事だろう……動きの素早いことで。

 先頭のひとりが鉄パイプの先をわたし達に向けた。

「お前たちは……俺たちの平穏な生活を脅かす、害虫だ。お前たちを潰せば、ボスへの忠義になる」

 爛々(らんらん)と血走った目を剥いて、喉から出すような重い声で言った。たぶん、薬物などを飲まされたわけじゃない。終日パソコンに向かっているせいで、目や喉の状態が悪くなっているだけだ。

 武器のセレクトから見ても素人だ。わたし一人でも制圧は余裕だろう。とはいえ、キキの前で腕力による制止は好ましくない……どうしようかな。

 すると、キキがわたしの方を指でつつき、耳打ちしてきた。

「あの人たちはメッセンジャーに使おうと思う。もっちゃん、今からわたしが言うことを大声で伝えて」

 そうしてキキは、伝えたい言葉を後に続けた。ひとことも漏らさず聞き取ると、わたしは『ボット』の連中に向き直り、大きく息を吸ってから言い放った。

「お前ら道を開けろぉ!」

 思いきり命令口調で言ったら、さっきまで今にも攻めかからんとしていた連中は、勢いを(くじ)かれたように揃って足踏みして止まった。付近から寄せ集めただけの一般人だ、都知事の命令ひとつでは、抱く悪意など高が知れている。

「あんた達のボスに伝えなさい」わたしは仁王立ちで言った。「明日十一時、真実を手土産(てみやげ)に会いに行く。首を洗って待っていろ、ってね!」

 全く恐怖を覚えないばかりか、強気な態度で言葉を放ってきて、『ボット』の連中はたじたじになっていた。話が違うじゃないか、というぼやきが聞こえそうだ。

 中学生の女の子が相手だから、路地裏にでも追い詰めて袋叩きにすれば済むと思っていたのだろうが、お門違いもいいところだ。わたしは戦闘の素人が集まったところで簡単には(ひる)まないし、キキも予測していたから冷静に対処できた。力量差は初めから歴然としているのだ。

「わたし達はこれから行く所があるの。道を開けなさい!」

 再度迫ると、連中はあっさり道路の両脇に退いた。どうするのが正解なのか、かなり迷っている節はあったけど。とりあえず通り道ができたので、キキと一緒に並んで進む。

 連中とすれ違った時、ひとりが金属バットを振り上げて襲ってきた。……が、その程度は気配ですぐ分かったので、握り締めた左手の甲で受け止め、難事を逃れた。襲いかかって来た男性は、素手で防御された事が信じられないのか、両目を見開いていた。

 前を歩いていたキキは振り向かず言った。

「……あなた達は(イヌ)です。人間としての、平穏な生活を送っていない」

 わたしの左手に押さえ込まれたバットが、震え始めた。

「そろそろ普通の人間に戻った方が、いいんじゃないですか……?」

 それだけ言ってまた歩きだしたので、わたしもバットから手を離して、キキの後を追って歩き始めた。今度こそ、追ってくる者はいなかった。

 静かすぎる夜の町を、ただひたすらに歩いていく。

 お互い無言のまましばらく進んでいくうちに、目的の家に到着した。家といっても、六階建てのアパートの一室だけど。

「それじゃあもっちゃん、お願いね」

 ここはわたしから呼び出した方が、話が早く進むだろうという事になった。

 インターホンのボタンを押して、この部屋に住む唯一の住人が出てくるのを待った。時刻は九時半になりそうな頃合い。あまりに夜が遅いから、どちらにしても怒られそうな気もする。

 その人はすぐに出てきた。玄関のドアが開き、女性が顔を出す。

「あら……どうしたの、こんな時間に」女性の視線が、わたしの背後に向く。「……そちらの子は?」

「わたしの友達でキキと言います。すみません、夜分に失礼だとは承知していますが、どうしても聞いておきたいことがあったので」

「あら、何かしら」

 とうに気づいていてもおかしくないのに、その人は慈悲深く微笑んでいた。胸の痛みに耐えながら、わたしは尋ねた。

「わたしの……わたし達の存在は、先生にとって救いにならなかったんですか」


 横村先生がわたしにとって、どういう存在であったか、説明するのは難しい。彼女を慕う生徒は二年D組に限らず、四ツ橋学園中の全体にたくさんいると聞く。誰もがああいう女性になりたいと憧れを抱いているが、わたしの場合はどこか違う気がする。

 わたしの中に、目標になりうる理想の女性像というものはない。なるようにしかならないと思っているから、あれほど剣道に打ち込めるのだ。横村先生のことは単純に、そう、あの包み込むような優しい空気が好きなのだ。入学して先生に出会った時、世の中にはこんな素敵な女性もいるのかと、素直に心惹かれるものがあって……。

 だから、今でも信じられない。横村先生が、この一連の殺人事件の主犯だなんて。

「えっと……質問の意味がよく分からないかな。救いってどういうこと?」

「横村朱美先生ですね」キキがわたしの真横に立った。

「ええ、そうよ」先生は戸惑うことなく答えた。

「唐突に失礼します。先生の携帯やパソコンに、ツイッターのアカウントがありますね。それを見せてくれませんか」

 本当に唐突で失礼なお願いだが、これが一気に核心に迫るものであるのは間違いない。先生の微笑みが、時間が止まったように固まったから。

「…………どうして、見たいの?」

「そこにあるからですよ。横村先生が、星奴町で起きた一連の中学生銃撃事件の主犯であるという、状況証拠が」

 キキはじっと、先生に眼差しを送っている。

 何を思っているのか、先生は右手で両目をしばらく覆って、次に宙を仰いだ。心の整理をしているようにも見えた。

「ふー……」先生は深く息を吐く。「なんか、ずいぶん積もる話がありそうね」

「先生……」

「こんな時間だから、早く家に帰してやりたいところだけど……仕方ないわね。どう? 気分転換にドライブでもしない?」

「えっ、先生の車で、ですか?」

「他に誰がいるのよ。大丈夫、大人が一緒なら出歩いても問題ないわ」

 それはそうだが……普通に見ればおかしな言動を取っているとしか思えない生徒を、何も深く尋ねずドライブに誘うのは、いかがだろう? やっぱり薄々気づいているのだ。気づいていて、無下に帰していけないと悟ったのだ。

 アパートの敷地内に停めてあった薄茶色の車に乗り込んで、先生は発進させた。わたしとキキは後部座席に座っている。

 住宅地を突っ切る太い道路を、西の方角へ進んでいく。星奴町の中でも、まだわたしの知らない区域に入っていくようだ。次第に民家の数が少なくなる。

「先生、いったいどちらへ……?」不安になって訊いた。

「先生のおすすめスポット。何もないけどいい所よ」

 それは安心していいものなのだろうか……?

「なんだか楽しそうですね」と、キキ。

「そう?」

「目的を果たせそうだから、ですか?」

「何のこと? わたしはただ、生徒と一緒にドライブして、おしゃべりできているのが嬉しいだけよ」

 教師として、実に当たり障りのないことを言ってくれる。でもそれは、簡単には落ちないからそのつもりで、という趣旨の軽い挑発にも聞こえた。

 キキと目が合った。分かっている。わたし達は先生と戦うために来たんじゃない。

 だって、本当に戦うべき相手は別にいるのだから。

キキのこの英雄観、皆さんはどう思われますか?

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