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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
45/53

その22 罪と罰PART.1

 <22>


 誰に見つかる事もなく、わたし達は無事に星奴署に到着した。そして刑事部屋では、想定内の洗礼を受けることになった。

「お前らぁ〜、のこのこと平気な顔して入ってきやがってぇ……」

 頬筋を引きつらせながら睥睨(へいげい)するのは、もちろん星奴署の迷刑事、木嶋である。こうなるだろうとは思っていたけどね。

「木嶋さん……生きてましたか」

 さっそくキキからは遠慮のない暴言攻撃である。

「なんで俺が死んでると思われるんだよ!」

「いえ、監察対象にされた事で、社会的にお亡くなりになられたと思いまして」

 敬語の使い方を完全に間違っているキキである。彼女は大人に対して必ず敬語を使うけれど、この男にまで使う必要はあるまい。実際、周りに星奴署刑事課の人間は何人もいるが、誰ひとりとして注意する人はいない。……まあ、諦めているだけだが。

「お前らが監察に余計な事を吹き込んだせいだろう! 捜査妨害だ!」

「監察に睨まれる事をする方が悪いんですよ」

 キキは頭の後ろで手を組んで、呆れたように言った。

「参考人ですらない中学生に、令状もなく盗聴器やGPSを仕掛けたなら、それは完全に違法捜査です。妨害されても文句は言えないでしょう」

「おっ……お前らだってその状況を悪用しただろう。目的のために手段を選ばないなら、偉そうなことを言える立場じゃないはずだ」

「あなたの場合、手段も目的も間違っていたので、致し方なかったんです。別に正当防衛だとか言うつもりはありませんが、少なくともわたし達は一度として、法に抵触することはしていません。あなたと違ってね。多少は偉そうなことを言ってもいいのでは?」

「あんたの場合は多少どころじゃないでしょ……」

 わたしは小声で突っ込んだ。暴言製造マシーンに際限はない。

「目的も間違ってるとはどういう意味だ」怒りの治まらない木嶋。

「言葉どおりの意味ですよ。それより城崎さん」

 キキは自然に木嶋を無視して、近くに立っていた城崎に声をかけた。

「自殺した柴宮くんのスマホ、ぜんぶ調べましたか」

「まあね」

「自殺の原因については……もうそちらでも見当がついていますね?」

「君は最初から予想済みというわけか」

 城崎はビニール袋に入ったスマホを取り出した。それが柴宮の物だろう。

「SNSの履歴をひと通り調べてみたが、そのいずれも似たような状況にあった。例の裏掲示板も同様にね。どこで嗅ぎつけたのか、柴宮酪人の犯行を知った連中が、揃ってコメントを送信していた。こんな感じだ」

 特殊な手袋をはめながらスマホを操作して、城崎はキキに手渡した。わたしも横から覗き込む。……途端、吐き気がした。

 罵詈(ばり)讒言(ざんげん)の集中攻撃だった。『柴宮のヤツ、逮捕されたってよ』『マジ?終わったなww』『大王陥落ワロタwwww』……なんて悪口は、まだかわいい。『殺そうとした女にケツ蹴られて、牢屋にぶち込まれたらしいぜ?』『お似合いww』『げー、超Mじゃん』『死刑希望』『どうせすぐに極刑になるぜ』……根拠のない出鱈目(でたらめ)まで見受けられた。

 城崎はかぶりを振りながら言った。

「柴宮はネット上で王様ぶっていたみたいだが、実際は裸の王様だな。参加者は誰も柴宮を内心では嫌っていて、日ごろの隠れた鬱憤を、いい機会とばかりにぶつけたんだ」

「ひどい、ですね……」

「飛び降りる直前に閲覧した形跡があったし、今まで王様気分でいた柴宮は、天地が引っくり返るほどの絶望を覚えただろう。恐らく、それが自殺の原因だ」

 その見解はたぶん正しい。ネット上のデマや雑言(ぞうごん)が自殺に追い込んだ、というニュースは後を絶たない。画面に映り込む世界がすべてだと思っている、わたし達の世代には、絶望のみを突きつけられた気分にもなるだろう。

 キキはしばらく、無表情で画面を見つめていた。感情の消えたキキは初めて見た。

「…………処刑、なんだろうな」

 ぼそりと呟くキキ。……あー、そういう事だろうね。

「なんだって?」城崎が尋ねた。

「たぶん、柴宮くんが使っていたコミュニティに向けて、逮捕の情報を握っていた人物がリークしたんです」キキはスマホを城崎に渡した。「そうすれば、コミュニティが柴宮くんへの悪口で満たされ、ショックを受けた柴宮くんが絶望する……そう計算して」

「つまり、これは意図して起こされた事だと?」友永刑事が言った。「でも、逮捕の情報を握っていた人物って……」

「警察関係者の仕業か、あるいは柴宮くんが逮捕されるよう誘導した人物か……どちらにしても、逮捕がひとつのきっかけであったことは確かですね」

 やっぱりキキも気づいていたんだ……美衣の言うとおり、主犯は柴宮を心理的に操って逮捕に追い込み、さらにこの逮捕を利用して柴宮を葬った。まさに処刑だ。

「逮捕は間違いだったっていうのか? 自分で罠を張っておいて」と、木嶋。

「柴宮くんを捕まえる必要はあったと思いますよ。すでにご存じのように、柴宮くんは下級生にストーカー行為を働いて、止めようとしたあっちゃんを殺そうとしました。さらなる事件を防ぐには、逮捕が必要でした」

「どちらかというと、条件付きでも釈放したのが原因じゃないですか?」

 城崎は木嶋を見ながら言った。まあ、釈放の判断はこいつのした事だろうな。

「仕方ないだろう! こうなるなんて予想できなかったんだから」

「まあ、仕方ないというのはわたしも同感ですね」

「え?」

 珍しくキキが木嶋を貶めなかったので、木嶋はポカンとした。キキだって何でも構わず木嶋を否定するわけじゃない。是々非々で臨んでいるだけだ。

「この事態は誰にも予想できなかった事です。犯人以外はね……」

 そう言ってから、キキはわたしの方を見た。ああ……気を遣ったのか。

 ある意味で、この事態を引き起こした遠因はわたしにある。その事でわたしが落ち込んでいると思ったのだろう。あれだけキキに励まされて、今さら気落ちすることもないのだけど……。

「それもよく意味が分からんが……」と、木嶋。「そもそも、お前らは何をしにここに来たんだ?」

「えっ、今になってそれ訊くんですか?」本気で驚くキキ。

「またさらっと馬鹿にしやがって……」

「そうですね。時間も時間ですし、早くこちらの話を始めましょう。とりあえず、先にはっきりさせておく事があります」

 そうして、キキは腕を組みながら言い放った。

「銃撃事件の実行犯である北原歩は、自殺していません。あれは他殺です」


 これまたいつもの事だけど、刑事部屋は瞬時に静まり返った。

「な、何を言って……」

「ほお、実に興味深い見解だ」

 いつものように木嶋が反駁に及ぼうとすると、刑事部屋の外から遮るように男性の声が聞こえてきた。入ってきたのは高村警部だった。

「あ、高村警部」

 すでに何度も顔を合わせているキキは、もう緊張していない。

「警部、なぜここに……?」あからさまにかしこまる木嶋。

「こっちの用事が終わったので、星奴署の様子を見にきたのだよ。案の定、キキちゃんばかり先を行って、星奴署は足踏みを続けているみたいだな」

「いえ、断じてそのような事はありません。彼女たちを締め上げれば、たちどころに被疑者の身柄を確保できる状況にあって……」

「感心せんな、中学生の女の子を尋問にかけるとは……野蛮な真似は(つつし)みたまえ」

「は、はい……」

 紳士然とした高村警部からこう言われたら、従うしかないよなぁ。

「それよりも警部、そちらの用事というのは……?」友永刑事が尋ねる。

「都知事の周辺に探りを入れていたのだよ。相手が相手なので、捜査から離脱して単身で動くしかなかったのでな」

「え、えっと……なぜそこで都知事が?」

「君らもとっくに知らされているだろう。この一件には、都知事と、『ボット』なるハッカー集団が関わっていると」

 やっぱり高村警部も気づいていたか……しかも『ボット』の関与のみならず、星奴署の面々がすでに知らされている事も分かっていたとは、さすがだ。

「高村警部もご存じでしたか……」

「小耳に挟んだ程度だがね。関与は薄々疑っていたが、確証もないうちに動くのは危険だと思ってな……一度捜査から手を引いて単独で調べていたんだ。その結果、都知事筋から警視庁への要請が、第一の事件の翌日にあったと分かった」

「都知事は後になって事件のことを知った、つまり犯行に都知事が直接関わっているわけではない、という事ですね」

 キキの言葉に、高村警部は満足そうに頷いた。

「うむ。恐らく犯人は都知事や『ボット』に恨みを持つ者で、今回の犯行によって都知事側にプレッシャーをかけようとしている。証拠は不足しているが、今回の事件の構造については、一定の確信を得たと思っている」

「どういう事です?」と、福島刑事。「北原は『ボット』のメンバーではなかったと?」

「銃弾消失の方法に見当がついた時点で、その可能性はないと踏んでいたよ。どれも凝ったトリックばかり使われていて、見るからに『ボット』の犯行体質と相容れない。『ボット』の関与を匂わせようとする、無関係の人物の仕業だとすぐに気づいたよ」

 開いた口が塞がらない……銃弾消失トリックもほぼ見抜いていて、その上で事件の構造をすべて読み取っていたのだ。これが検挙率ナンバーワンの実力か……。

「では、今回の事件は北原の単独の犯行だと?」

「でもその北原は殺害されたと、キキちゃんは言ってるのよね」と、紀伊刑事。

「とりあえずその話から先に聞こうか。キキちゃん、説明を」

 高村警部に促され、キキは咳払いのあとに説明を始めた。

「えっと……最初に確認しておきますが、警察が北原の死を自殺と考えた理由は、毒入りの煙草を北原以外が用意できないからという事でしたよね。煙草は四本使われていて、残りの煙草に毒は仕込まれていなかった」

「そうだとも」木嶋が言った。「北原が死ぬ寸前に吸っていた煙草からは、確かに毒が検出されている。つまり毒入り煙草は一本だけ。後から毒を入れられたのは明白だ。そんな事ができるのは、煙草や箱に触っていた唯一の人間、つまり唯一指紋を残している北原以外に考えられないんだ。この状況でどこが他殺だっていうんだよ!」

 この雄鶏(おんどり)刑事……隙あらばキキをやり込めようと必死だな。無駄だけど。

「まあ、一見するとその考えは妥当に思えますが……いくつか疑問点があります」

「疑問点だと?」

「その煙草の箱は、どこで買ったんでしょうね」

 キキがそう言った途端、刑事たちの間に困惑が広まった。こんな視点で疑問を持っていた人はひとりもいなかったらしい。

「そんなの……普通にコンビニとかで買ったんじゃないのか」と、木嶋。

「でも、そういえば財布には、煙草を買った時のレシートがありませんでしたよ」友永刑事が指摘する。「他のレシートは細かいものまでとっていたのに」

「たまたま失くしたってだけの事だろ。別に不自然でも何でもない」

 またこれだ……木嶋の頭はこじつけで出来ているのか?

「それでもおかしいんですよ」と、キキ。「だって、問題の煙草の箱は、蓋以外のフィルムが残された状態で、北原の指紋しか出てこなかったのでしょう? お店で買ったなら、店員の指紋もフィルムに残っているはずですけど」

「あっ……」

 今ごろになって気づいた木嶋は、間抜けな声を上げた。

「まあ、フィルムに付いただけの指紋なら、服に入れている間に擦れて取れたかもしれませんけど。その辺どうですか?」

 キキは城崎に尋ねた。

「多少擦れたって完全には消えないし、指紋検査は複数の特徴点を比較するものだから、少しくらい崩れても同一の指紋かどうかはちゃんと分かるよ。なかったなら、触っていないと考えるのが妥当じゃないかな」

「じゃあ自販機で買ったんだろ。それ以外考えられん!」

 懲りるという事を知らない木嶋に、キキは冷静に反論した。

「木嶋さん……自販機で煙草を買うには、お金以外に必要なものがありますよね」

「な、何だよ、必要なものって……」

 水溶紙やはがせる糊もそうだが、木嶋は通俗的なアイテムに弱すぎる。そのくらい、わたしでも知っている。

「タスポでしょ?」

「正解」キキはわたしに向かって微笑んだ。

「そうか!」友永刑事が声を上げた。「2008年から煙草の自販機は、成年識別カードのタスポがなければ購入できなくなっている。すべての自販機がそうだとは言えないけど、少なくとも都内の自販機はほとんどタスポ専用になっているはずだ」

「そういえば、財布の中に健康保険証や各種会員証はあったけど、タスポカードはなかったな。これじゃあ、自販機でも煙草は買えませんね」

「くっ……」

 次々と自分のこじつけが否定されて、立場を失くしつつある木嶋。まあ、元から彼の立場はないのも同然だけど。

 北原は元々タスポを持っていただろうが、刑務所に収監されているうちに期限が切れてしまったのだろう。なぜ再発行の手続きをしなかったのかは分からない。その暇が確保できなかったのか、あるいは、収監中に電子マネーが停止して、それに頼っていたから使う気になれなくなったのか……。まあ、どちらでも状況に変わりはない。

「自分で買ったのでないとすれば、どうやって入手したんだろう」

「万引き……はないですね」と、紀伊刑事。「出所したばかりでやらかすとは思えませんし、普通に店で買うくらいのお金はあったはずですし」

「となると……誰かにもらった?」

「そうですね」友永刑事の答えをキキは支持した。「そう考えるのが自然です」

「なるほど」城崎が腑に落ちたように言った。「北原に煙草の箱を渡したその人物なら、事前に毒を仕込むのは可能だ。手袋をしていれば指紋は残らない」

「でも、どうやって毒を仕込む? フィルムを破いてしまったら、渡された北原も怪しむんじゃないか?」

「フィルムの上から注射器の針を刺して注入すればいいだろう。北原がいつもフィルムの蓋部分を外すと知っていれば、何の問題もない。使っていくうちに、いずれ毒入りの煙草に行き着く……その程度だったんじゃないか」

「でも、箱にも穴があくんじゃ……」

「あの箱はソフトタイプだ。露出した銀紙を破ることで中の煙草を取り出す。銀箔と紙の間を狙って刺せば気づかれないし、後で破られて痕跡は消えるからな」

「煙草そのものにも穴があくんじゃないか?」

「写真を見なかったか? 北原は煙草の吸い口を噛む癖があった。ならば煙草についた穴も潰れて消えてしまうさ」

「城崎さん、ぜんぶ言っちゃいましたね……」

 説明を任されたはずのキキとしては、苦笑せざるを得ないだろうな。

「しかし、そんな工作が行われたという証拠はあるのか?」

 木嶋の問いに、城崎は迷わず言った。

「ないですねぇ。そもそも証拠を残す奴じゃないみたいですし」

「おい」木嶋は短く突っ込んだ。「だったら自殺の線が消えたわけじゃないだろ」

「それはどうでしょう」ようやくキキが口を挟んだ。「もし北原が毒を用意していたのなら、それは当然、功輔くんを刺す前のはず……北原はその時点で、毒で命を絶つ覚悟をしていたことになります。まさかナイフを持っておいて、誰かを殺すために毒を用意したわけでもないでしょうし」

「…………っ」

 木嶋は言葉を詰まらせた。どうやら本当に「誰かを殺すために用意したかもしれないだろ」と言うつもりだったらしい。

「でも一方で、毒が入れられた煙草は誰かに貰った可能性が高いと思われます。自殺するために用意した毒を、もらったばかりの煙草に入れるでしょうか? そのまま服用することも、自分であらかじめ買った煙草に入れることもせずに……」

「ああ、確かに」と、福島刑事。

「自殺者の心理としても明らかにおかしいわね」と、紀伊刑事。

「そう考えると、やっぱり自殺の線はかなり薄いな」

 キキの推理によって、今度こそ本当に矛盾がなくなった。刑事たちの間にも、北原は殺されたという認識が浸透しつつあった。

「しかし……」城崎が口を開いた。「毒入りの煙草を誰かが渡したとすると、それは北原を利用していた主犯以外に考えられないんじゃないかな」

「そうですね」と、キキ。「北原はすでに四人を殺害していますし、主犯以外の人物との接触は警戒するでしょうから」

「だったら、外山功輔が主犯とは思えないな」

「はあ? なんでだよ」

 木嶋が噛みついてきた。でも、それ自体が間抜けだという証になっている。ここまでくれば、キキが言っていた『功輔の無実を証明する材料』が何なのか分かる。わたしでもすぐに分かった事なのに……。

「分からないんですか」我慢できず、わたしは言った。「功輔は未成年です。だったらどんな理由でも煙草は購入できないじゃないですか。確か今の法律はそうでしたよね」

「あっ……!」

 木嶋は瞠目した。本当にいま気づいたのか。その程度の頭でよくキャリアのプライドをひけらかせるものだ。

「仮に不正な手段で入手したとしても、中学生が煙草を渡した時点で、北原は確実に怪しみます。功輔くんに北原を殺せない以上、主犯でもありえません。だから、功輔くんを容疑者として追うのは的外れもいいところです」

 さらにキキが畳みかけると、木嶋はもう何も言い返せなくなった。理路整然たる無実の証明に、完全にやり込められたようだ。

「はっはっは」

 すると、ずっと無言で様子を見ていた高村警部が、突然高笑いを始めた。

「なるほど。本庁でも、所轄の連中がバカな真似をしていると頭を抱えていたが、そんなことになっていたか。なんでも、令状もなしにGPSと盗聴器を使って、監察にこっぴどく叱られたそうじゃないか。本庁の連中は、それ見たことかと失笑していたよ」

「笑えることじゃありませんよ、高村警部」友永刑事が苦言を呈した。

「とはいえ、現時点でその少年が無実だという確実な証拠を提示しない限り、星奴署の刑事課は暴走を続けるだろうと危惧していた。まさか、北原歩の死が他殺である事を証左に無実を示すとは……いやいや、相変わらずたいしたものだ」

 こっちはこっちで、キキの株を上げつつ星奴署の人たちを笑って貶している。高村警部の遠慮のない物言いに、すっかり立場のない刑事課の人たち……項垂れたり視線を逸らしたりする人もいた。

「しかし、そこまで見抜いていたなら、早くに指摘してもよかったのに……」

「今の推理をした時には、まだ事件の構造がぜんぶ分かっていなかったんですよ」キキは頬を掻きながら答えた。「功輔くんがどのようにして事件に関わったのか、それも分からないうちに、無闇に推理を話すわけにはいかなかったんです。警察、というより木嶋さんが功輔くんを疑うに至った根拠を、どう説明すればいいか分からなかったので」

「ほお、少年を主犯と疑っていたのは木嶋くんひとりだったか」

 他は流されていただけだったからなぁ。

「いや、疑うに足る根拠はあったんですよ!」木嶋は必至に弁明する。「外山の部屋から被害者たちの写真が見つかっていますし、怪しい掲示板にアクセスした形跡も、それに北原と接触できる状況にあったことも……」

「うぅむ……今のキキちゃんの話と比べたら、根拠としてあまりに弱すぎるな」

 本庁の名警部にバッサリと切り捨てられ、ショックを隠せない木嶋。都合のいい解釈ばかり重ねてきた、そのツケが回ってきているのだ。

「ちなみにこれらの根拠……今なら説明できるかい、キキちゃん?」

「ええ。むしろここからが話の本筋です」

「おや?」城崎が眉を上げた。「てっきり、外山功輔の無実を証明するために来たと思っていたのだが」

「それも目的のひとつです。……本当は、この話をしてもしなくても、状況にほとんど変わりはないと思うんですが、今回の件ではわたしもさすがに腹に据えかねているので、ちょっと刑事課の皆さんには相応の覚悟を決めてもらおうかと」

 キキの両目が微かに狭まった。さっき柴宮を中傷するコメントを見た時も、同じ表情だった。……怒っている。ふだん滅多に怒らない、キキが。

「なんだか怖いねぇ」城崎は安定していた。「事件の裏で何があったんだ」

「木嶋さんが功輔くんを容疑者と見なした根拠ですが……功輔くんが北原に接触したのは自首を促すためです」

「へえ……」

 城崎は特に驚かないが、他の刑事たちはどよめいていた。

「あっちゃんの事件の手口から、功輔くんは裏掲示板の使用を疑いました。そして、掲示板を使っていそうな人を捕まえてパスワードを聞き出し、それらしいコメントを探したんです。そうして北原の存在に辿り着き、使用を終えたガラケーを北原の元に届け、その番号に電話をかけることで接触を試みたんです。ちなみに、功輔くんも都知事と同様、最初の事件が起きてからすべてを知りました。その上で狙われる可能性がある少年たちを、片っ端から調べたんです。現に、第一の被害者の平津くんの写真だけ、一枚しかない上に唯一カメラ目線だったでしょう。プリクラなどの写真を引き伸ばしたからです」

「なんだ、聞けば単純な真相だったな。でも、外山はどうしてそこまで?」

「功輔くんは北原のことを初めから知ってたんです。殺された四人の事も……それは、監察の舛岡さんが話していた、例の都庁職員失踪事件を皮切りとした、山田聡史という少年の死が、大きく関わっています」

「…………ん?」

 城崎は初めて首をかしげた。友永刑事をはじめ、ほとんどの刑事も同様だった。

 ……しかし何人かは、あからさまに表情を強張(こわば)らせている。木嶋も含めて。

「誰だい、山田聡史というのは」友永刑事が尋ねる。

「四年前、異なる学校に跨ったグループによるいじめの末、ある町工場で崩れた鉄パイプの下敷きになって亡くなった、当時十歳の少年です。実は北原は、その町工場を経営していた人の息子なんです」

「何だって!」

「でも、そんな事件、噂にも聞いた事がないぞ」と、福島刑事。

「当然です。その事件は他ならぬ警察によって隠蔽され、町工場の管理怠慢による事故として処理され、報道でもそのように伝えられたんです。その事をきっかけに、町工場は取引がすべて白紙に戻され、経営難に陥ったのち、経営者は自殺しました」

「北原歩の親が、自殺したっていうの?」と、紀伊刑事。

「だけど、なんで警察が隠蔽なんて……はっ、まさか!」

 勘のいい人なら、ここまで聞けば推測できるだろう。友永刑事をはじめ、最初は首をかしげていた刑事たちも、徐々に気づき始めた。

「そうです。そのいじめグループの中には、四年前に北原が殺害しようとした、金沢都知事の孫の怜弥くんがいました。そして四年前は、五期目がかかった知事選の最中でした」

「つまり、スキャンダルを恐れた都知事が警察に圧力をかけて、隠蔽するように命令したという事か? 都の公安委員会をも飛び越えて……」

「聡史くんへのいじめが始まる直前に、聡史くんはある場所で、失踪したと思われていた都庁職員の遺体が埋められる所を、目撃したんです。……いや、本当に目撃したかどうかは分かりませんが、職員の遺体を埋めた犯人は見られたと思った。その話を聞いた都知事は、星奴町に住む『ボット』メンバーを選んで、その息子たちに聡史くんをいじめさせることで、聡史くんがこの事を誰にも言えない状況に追い込んだんです」

「それが今回の事件の原因か……」城崎は渋面を浮かべた。「今回殺された四人は、いずれもそのいじめグループのメンバーだったんだね?」

「ええ。結果として聡史くんはいじめが行き過ぎて亡くなり、責任を被せられた北原の親は自殺した……もうひとつ言うと、功輔くんはその現場を実際に見ていました。だから聡史くんを死なせた少年たちの顔も、警察が事実を隠蔽した事も、その理由もすべて知っていました。北原がこのことで警察や少年たちに、強い恨みを抱いている事もね……」

「馬鹿を言うな!」

 真っ先に反応したのは木嶋だった。キキは薄目で見返した。

「ドラマじゃあるまいし、われわれ警察が事実を隠蔽するわけがないだろう! そんなふざけた話をまことしやかに語るなど、警察を愚弄する行為だ!」

「私にはそう思えんがね」

 暴走する木嶋をやんわりと止めたのは、高村警部だった。

「な、何をおっしゃって……」

「四年前の事実なら、私もほぼ調べがついている。北原という男がいかにして『ボット』と関わりを持ったのか、その原因を探っていたのだが、その果てに北原の親が経営難を苦に自殺していて、原因が鉄パイプ崩落事故だと突き止めた。その事故の資料を本庁で洗っていたら、関係者の中に今回の四人の被害者と金沢怜弥の名前があったんだ」

「で、でもそれはこいつらの言っていることの証明には……」

「それがね、事故と判断した根拠であるロープの写真があったんだが、劣化して切れた割にはずいぶん新しいものに見えてね……念のために業者に確認したら、やはり切れ方が不自然だという指摘を頂いたんだ。こりゃあ、捜査担当者による隠蔽があったと、考えざるを得ない状況だったよ」

 そこまで辿り着いていたのか……初老の紳士という外見からは想像できないほどのフットワークである。

「現場の人間が自発的に隠蔽工作をするとも思えんから、恐らく上層部の指示があったのだろうと推測できる。そして、その要因となったのは間違いなく、金沢怜弥の祖父である東京都知事だ。もっとも都知事サイドに確認は取れなかったがね……まあ、仮に都知事による圧力がなくとも、言葉ひとつで警視庁幹部が忖度(そんたく)することはあったろうな」

「出た! ソンタク!」

 一時期はやったその単語に、キキはなぜかテンションを上げていた。この空気でよくはしゃげるものだ。

「どちらにしても、当時星奴署で“事故”を担当した人間が、これら事実を揉み消したことは、ほぼ確実と言っていいだろう。ドラマじゃあるまいし……とは言ったが、私はそうしたドラマのような確執や泥仕合を、警視庁で何度も見ているよ」

「…………」木嶋は明らかに呼吸が狂っていた。

「まあ、揉み消したのが誰なのか、ここでは問わないがね。キキちゃん……これが四年前の事件をきっかけとした復讐劇なら、犯人の計画はまだ終わっていないと思うが?」

「そうですね。むしろ計画の核心はここからです。証拠湮滅を演出しながら四人の中学生を銃殺した今までの犯行は、これからの犯行のための踏み台に過ぎません」

「四人も殺しておいて、まだ始まったばかりだというのか……」

 城崎は苦笑しているが、予想以上の展開に、ついていくのがやっとという感じだ。

「高村警部。都知事の周辺を調べていたのであれば、もちろんお聞き及びですね? 金沢怜弥が何者かによって誘拐されていることを」

「何だって!」

 刑事部屋に動揺が広がる。怜弥は金沢都知事の次男の息子で、次男家族は星奴町に住んでいる。当然、管轄はここ星奴署である。

「……ああ。明確な情報を得たわけじゃないがね」と、高村警部。

「それは今回の事件の、主犯の仕業です。主犯は怜弥くんの身柄を利用して、残りすべての復讐を遂げるつもりです。具体的には、『ボット』に邪魔されることなく、四年前の事件を含めたすべての真相を、マスコミなどに一斉に暴露するつもりです。もちろん、警察の対応や都知事との癒着も明らかになるでしょう」

「主犯も証拠は握っていないのではないか?」

「確実な証拠がなくても、グレーゾーンにさえ持っていけばマスコミは追及しますし、疑惑の渦中にあれば、都知事選で相当に不利な情勢に追い込めます。六期目を目指そうと息巻いている都知事が相手なら、復讐はこれくらいで十分です。どのみち、誘拐した怜弥くんの命は、ないでしょう」

「そんな!」友永刑事は悲痛そうに言った。「防ぐ手立てはないのかい?」

「すでに怜弥くんは拉致されています。方法は分かりませんが、確実に殺害する準備は整えているはずですし、たとえ主犯を捕まえても白状しないでしょう。残念でしたね。見当違いの捜査に時間を割かずに、バックグラウンドに目を向けようとしていれば、わたしがこの場で言わなくても次の事件を防げたのに……もう手遅れです」

 キキのこのセリフからは、友達を苦しめた元凶である警察に対する、抑えがたい怒りが感じられた。もはやキキは、怜弥を救うことは元より、警察の不祥事が明るみになる事態を阻止するつもりなど微塵もない。

「……いや、まだ手はあるぞ」

 口を開いたのは木嶋だった。キキは表情を変えない。予想済みと言わんばかりだ。

「お前だ」木嶋はキキを指差す。「どうせ主犯の正体も分かってるんだろう。お前が主犯の名前を言って、今日中に我々が捕まえて吐かせればいい」

「やっぱりそう来ましたか」キキは冷静だ。「でも無駄ですよ。犯人は徹底して証拠を残さないようにしています。たとえわたしが教えても警察は逮捕できないし、今までろくに調べていなかったから、証拠を集めるだけでも一日や二日はかかるでしょう」

「なっ……何日かかろうと関係ない! たとえ都知事の孫が無事に救出できなくても、最悪、マスコミに知られる前に処理すれば大ごとにはならない」

「木嶋さん、それは……!」

 友永刑事の苦言も木嶋は聞き入れない。

「第一、その『ボット』とやらに邪魔されずにすべての事実を暴露するなど、どう考えても無理があるだろう。都知事だって黙っていないだろうし……」

「いいえ。真相を明るみにする方法なら分かっています。たぶん上手くいきますし、明日にでも実行されます。それに……わたしは今回、隠蔽に加担した警察を許すつもりなどありませんから、何を言われようと主犯の名前は告げません」

 しんと静まり返る刑事部屋。袋小路に突き当たったような雰囲気だった。

 ……これがキキなりの復讐だ。キキは基本、誰にでも手を差し伸べる慈愛の人だ。だから逆に、キキに見放された人は不幸になるしかない。これは、保身にこだわって他人の人生を踏みにじった、すなわちキキに見限られた人たちの、宿命なのだ。

 止めようとは思わない。キキの気持ちは、わたしが一番よく分かっている。

「と、取引をしないか。捜査に協力した褒賞でもいいし、犯人への恩赦でもいい、君が望む事なら何でもしてやろう。その代わりに……」

 キキを取り込もうとする木嶋。なるほど、これは腹に据えかねるな。

 わたしはキキの前に出て、木嶋の行く手を阻んだ。朝に約束した通り、わたしは何が何でもキキを守る。

「いい加減にしてくれませんか。キキもわたしも、大切な人たちを傷つけてきたあなたを決して許さない。そんなあなたから何を与えられたって、応えるわけがないでしょう」

「わ、我々だって、こうなるとは思っていなくて……」

「そうじゃないでしょう!」

 部屋中に響く声で、わたしは叫んだ。驚き硬直する木嶋。

「理由は問いませんが、あなたはあさひや功輔をやたら犯人扱いして、追い詰め、色んな人たちを苦しめた。その事でわたし達がどれほど怒ったと思います? それに、たとえ結果論に過ぎないとしても、あなた方の隠蔽工作がなければこんな事にはならなかった。あなた方だって重責を負うべき立場なんですよ!」

「ぐっ……」

「二度と隠蔽などさせませんよ。させてたまるものですか。罪なき人々を苦しめたあなた方は、(しか)るべき報いを受けることです!」

「簡単に言うな! これは星奴署だけの問題に収まらん。警視庁全体の権威と信頼が地に堕ちる可能性もあるんだぞ。そうなったらどうしてくれるという!」

 ……ここまで卑怯者とは思わなかった。警察全体の話にすり替えてきた。

 ところが、わたしの後ろから、キキが放ったひとことが効いた。

「何が信頼ですか。自分の過ちさえ正せない組織を、誰が信頼するというんですか!」

 反論はなかった。大事なことは、すべてこの中に集約されていた。因果応報。信頼が失われるのは、信頼を失うだけの事をしたからだ。組織の中にあって、こんな単純な理屈も分からなくなっていたと、彼らは今になって気づかされたようだ。

「……君たちは」高村警部が口を開いた。「あの都知事を敵に回すつもりか?」

 キキは振り向く。感情のない視線がぶつかり合う。

「敵対は宿命です。でも、真正面から戦うことはないでしょう」

「ほお……」

「わたしは、自分にとって最善の解決をするだけです。高村警部は以前にこうおっしゃっていましたね。どこかにパンドラの箱が隠れているかもしれないから、開ける前に慎重に見極めるべきだと。……忘れていませんよ。片時も」

「…………」わずかに瞠目する、高村警部。

「でも、もはや同じ道は歩めそうにないので……では、これで」

 話は終わった。キキはくるっと踵を返し、刑事部屋のドアに向かった。今度はわたしも慌てずについていく。……誰も追ってくる者はいなかった。

 閑散とした廊下に出たところで、友永刑事だけが追って出てきた。

「キキちゃん、もみじちゃん」

 呼びかけに振り向くと、友永刑事の後ろに紀伊刑事も見えた。

「君たちをあえて止めようとはしない。本音を言えば、できるなら僕は君たちの味方でいたい。だけど……それでも僕たちは組織の人間だ」

「…………はい」

「だから、僕たちは警察としての役割を優先させなければいけない。結果として、君たちが望む形を壊すことになるかもしれない。だけど、何というか、その……」

「友永さん、説得できてません」

 言葉が出てこなかったか。挙句に紀伊刑事から突っ込まれる、相変わらずだ。

「……構いませんよ、友永刑事」

「え?」

「自分のやり方にこだわるのは、お互い様ですからね」

 キキは柔らかく微笑んだ。これが友永刑事たちにとって救いになったのか、結果が出るまで誰にも分からなかった。

 ひとつだけはっきりしている事がある。キキは最初から最後まで、警察を味方につけようとはしなかった。使えるものは骨まで使う、その言葉どおり……キキにとって組織は、使い勝手のいい道具に過ぎなかったのだ。

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