その20 真相PART.1
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事件調査は一つの区切りを迎えることになった。これにより、今日はその場で解散という事になった。もちろん全員が普通に帰宅できる状況ではないが。
紀伊刑事の運転する車で、わたし達は一度自宅に戻ることにした。とはいえ、功輔は自宅に警官が待ち構えている可能性があるので、今晩だけわたしの家に匿う事になる。友永刑事たちは功輔の居場所を知ることになるが、黙認してくれるようだ。
それでもまだ、すべての事情を話すわけにはいかなかった。ようやく真相が見えて、当初目指していた解決に持ち込むためにどう対処するべきか、キキもわたしもまだ決めかねているのだ。今の状況では、どっちに転んでも誰か一人は悲しむことになる。わたしはそこまでこだわらないけれど、キキがとにかく気にしてしまうのだ。
詰み寸前まで来ているのかな……わたしにはまだ判断がつかない。
キキは先に自宅の前で降りて、「もう少し経ったらもっちゃんの家に行く」と言い残して家の中に入った。また一人でじっくり考え込むつもりだ。キキは決して友達を埒外に置くことはしないけど、大事なことは一人で抱えてしまう節がある。そうして苦しむ姿を、わたしが放置しておけるはずもないのに……。
やがて車はわたしの自宅に到着し、わたしは功輔と一緒に降りた。キキの家でもそうだったが、功輔の捜索が再開されたはずなのに、なぜか見張りが一人もいない。……その程度のことは気配で分かりますが、何か?
「首席監察官からの指摘があったから、捜索の指示があっても目立つ行動はできないでいるのさ」友永刑事が言う。「監察に睨まれている間に見張りの大部分が撤退して、今はまだ補充されていない段階なんだよ」
「こちらにとってはいいタイミングってわけですね」
「ことごとく邪魔が入るものだから、逆に木嶋さんの暴走に拍車がかかったけどね。君たちがこれからどう行動するか分からないけど、くれぐれも無茶はしないでくれ」
「止めはしないんですね……」
紀伊刑事も呆れてはいるものの、基本的に友永刑事のやり方に異論はなさそうだ。理解の速い人が味方でいてくれて、こっちは大助かりだ。あまり頼りにならないけど。
今朝の時点で大方の事情を知っている母は、あっさり功輔のお泊りを許した。今日も父は仕事で関西に出張していて不在だ。まあ、いたとしても、功輔のことで特に文句は言わない人だけど。
夕食を前に、わたしは功輔を空き部屋に連れていった。今晩寝てもらう場所だ。数年前までは何度も泊まりに来ていて、いつもあてがっている部屋でもある。
「もうこの部屋に来ることはないかと思ってたのにな……」
功輔は和室の真ん中に立って、見回しながら言った。
「だってここ以外に使える部屋がなかったんだもん、しょうがないでしょ」
「別に不満なわけじゃないさ。ただ、この歳になって同級生の女子の家に泊まることになろうとは、って思ったんだよ」
なに年寄りみたいな物言いを……。
「いいじゃない、勝手知ったる仲だし。それに今の時間じゃ、ここ以外に気安く泊めてくれる所なんてないでしょ。今の功輔は無一文だし」
「いくら財布持ってても中学生の財力なんて高が知れてるだろうが……」
「ふむ、それもそうだな」
「俺は文句が言いたいわけじゃなくて、感慨深いと思っただけだよ。この部屋に来るのも何年ぶりになるかな」
「わたしもさっぱり覚えてないや」
そう言いながら、わたしは押入れから布団を一式取り出し、畳の上に置いた。
「定期的に洗っているから、埃やハウスダストの心配はないよ。遠慮なく使いな」
「そりゃいいや」功輔はさっそく寝転んだ。「うちなんかファブリーズで終了だし」
「厚めの布団を洗うのは大変なんだぞ? 母親の苦労なめるな」
「なんでお前が母親の立場になって言うんだよ」
…………。しばらく無言の時間。そして、ほぼ同時に噴き出した。
「なんか懐かしいね。しばらくこんな遠慮のない会話ってしてないよね」
「ああ……俺がしばらく塞ぎ込んでいたからな。もみじ、あんまり気にしてなかったろ」
「いや、違和感はあったよ。わずかばかりだけど」
「ひでぇ」
功輔は苦笑したが、次第に表情が落ち着いてきた。上体を起こして布団に座り、穏やかな口調で告げる。
「約束……覚えてるよな」
「……なんかあった?」
「おい」功輔はちょっと怒気をこめて言った。
「冗談だよ。遊園地のやつでしょ、覚えてるよ。すでに一度、念を押されているからね。終わったら行こうね。……二人で」
そういう約束だったはずだ。でも、約束を交わした一週間前より、少しだけ楽しみに感じている自分がいる。なんでだろうなぁ。
功輔は頬を微かに赤くしながら、視線を逸らして顔をぽりぽりと掻いた。なぜか不機嫌そうに口を尖らせている。それとも、ガラにもなく恥ずかしがっているのか。
「……まあ、少しでも、思い出作りができるといい、な」
「ふふ、そうだね」わたしは引き戸に体を向けた。「夕飯、もう少しでできるけど」
「まだ早いんじゃないか? 後でキキさんも来るっていうし」
「それもそっか。じゃあわたし、いったん部屋に戻るから」
それだけ言って、わたしは廊下に出る。途端に、何かが肩にのしかかったように、気分が重くなるのを感じた。
功輔との会話はわたしにとって、清涼剤のようなものかもしれない。楽しくて、それまでのつらくて重苦しい気持ちを、一時的とはいえ忘れられた。効き目が切れたらまたぶり返すところまで同じで……いや、それでも無いよりはマシだよね。
つまるところ、わたしは逃げたがっているのだ。この厳しい現実から……功輔との約束を楽しみに感じているのも、それが理由なのだろうか。
まあ、キキが逃げずに向き合おうとしているのに、わたしだけが現実逃避するなど許されないだろう。誰が許すという問題でもないけど。
部屋に戻り、わたしは勉強机の前の椅子に腰かけた。
嫌だな……なんで一人で部屋に戻ったんだろう。今のわたしじゃ、一人でいたらどんどんネガティブな方向に陥ってしまうのに。
誰でもいい、わたしを深い穴の底から引きずり出してほしい。今のわたしに這い上がるだけの力はない……そんなことを考えていると、願いが通じたかのように、わたしの携帯に着信が入った。
一縷の望みをかけて携帯に飛びつくわたし。発信者は美衣だった。
……この子に任せて大丈夫かな。一瞬そう思ったが、とりあえず出ることにした。
「もしもし、美衣?」
「ああ、もみじ。落ち込みはどの程度解消できた?」
ぜんぶお見通しの上に遠慮のない質問をぶっこんできた……安定的だな、美衣は。
「……知ってたの?」
「さっきキキから電話で聞いた。相談を受けたついでに色々事情を話してもらってね」
「キキからわたしの様子を尋ねるよう言われたわけじゃないよね。美衣、わたしを心配して電話してきたの?」
「ほお、おぼつかない口調で軽口を叩けるほどには回復したか」
皮肉は毎度のこととしても、やはり美衣は気遣いのつもりなどないらしい。わずかも心配していないという事はないだろうが……。
「キキからはお前に関して何も言われていない。ただ、あれからもみじ達が調べて判明した事実を、色々聞かせてもらっただけだ。四年前に起きた胸くそ悪い事件とか」
「ははは、その舌鋒の鋭さが、今はむしろ心地いいですよ……」
「そうか? ではさらにその矛を研いでやろうか」
「結構です」
「本当はもう少し早くお前の様子を知りたかったが、恐らく今の今まで真相に到達できていなかっただろうから、十分な時間を与えるべきだと思ったんだ。キキから報告と相談を受けて、様子を窺うなら今だと判断したんだよ」
……何だか、ずいぶん達観している感じの言い方だ。
「ちょっと待って。美衣はとっくに真相を見抜いていたの?」
「真相なんか知るわけないだろう、わたしは当事者じゃないんだから。ただ、キキから説明を受ける前から、犯人の正体について大方の予想はついてた」
「なっ……!」
「具体的には分からないが、もみじ……犯人は四ツ橋学園中にいる、お前の知り合い。そうだろう?」
嘘でしょ……わたしは呆然とした。昨日と今日でほとんど調査に参加していないはずなのに、誰よりも早く、誰よりも核心に接近していたというのか。
「えっ、いつから気づいてたの」
「そうだな……舛岡という監察官の話を聞いて、家に戻ってからしばらく考えを巡らせていくうちに気づいた」
「昨日の時点でもう分かったってこと……? どうして」
そう尋ねると、電話の向こうからあからさまなため息が聞こえた。そこ、憐れむように呆れるんじゃない。
「キキたちが後れを取ると思った理由は、恐らくキキが銃のライフリングの事を知らないだろうと踏んだからだ。知っていれば、監察から『ボット』の話を聞いてすぐに、この銃撃事件の犯行に『ボット』が関わっていないと気づくはずだからな」
「気づく……かなぁ」
「キキなら気づいてしかるべきだ」
ある意味、わたし以上にキキの推理力を信用しているようで……。
「でもそれって、銃弾消失トリックが分からないと気づきようがないよね?」
「ああ。『ボット』は確実な証拠湮滅を常に考える集団だから、ライフリングマークが付かない、現場に残しても問題ない銃弾を、まるで消したように演出する意味がない。むしろ余計なトリックを実行することで、変に証拠を残す恐れだってあるからな。わたしは星奴署で五件目の事件の詳細しか見なかったから、五件目の銃弾消失トリックに予想をつけるくらいしか出来なかった。三件目と四件目はキキの口から説明されたけどな……だがそれでも十分だったよ」
「そうなの?」
「現場の状況から考えて、あれは事前に殺害しておいた被害者を糸か何かで吊るして立たせておき、空砲を撃つと同時に糸を切ることで、銃殺したように見せかけたんだろう。そして、事前に殺害するなら激しい出血を伴う銃殺はご法度……銃殺と思わせ、かつ出血を最小限で抑えられる手段となれば、クロスボウによる殺害が理想的。つまり、実際には一度も銃弾が発射されていない事になる」
キキも星奴署で同じことを考えて、慎重を期すために現場を自分で調べたけど、美衣には必要なかったみたいだ。
「ガリウムや岩塩の弾もそうだが、銃弾を消したように見せかけるため、ここまで凝ったトリックを使っている時点で、『ボット』が絡んでいる可能性はゼロだと思ったよ。冷静に考えりゃ、証拠を残さない犯行というなら、道端で連れ去って眠らせて、火をつけて焼死させた方がよっぽど合理的だ。残酷なくらい証拠湮滅にこだわる都知事なら、確実にそっちを選ぶ。何しろ身元も分からなくなるからな」
「あんたも大概物騒な事を考えつくわね……」
「実行はしないから安心しろ。まあ、最初の二件に関しても同様という保証はないが、警察がどれほど検証しても消失の手段が分からないなら、恐らくぜんぶ凝ったトリックが使われているんだろう。その時点で『ボット』は無関係だと分かる」
「まったくの無関係というわけじゃないけどね……」
「確かに。この犯行はどう見ても、『ボット』の行動体質を連想させる。だが、犯行そのものに『ボット』が関わっていないなら、この事件は『ボット』以外の者による、『ボット』メンバーに対する犯行、という事になる。ならば、純粋な復讐と考えるのがいちばん妥当だろう。そして犯行の際に『ボット』を意識しているという事は、『ボット』や金沢都知事へのメッセージも含んでいるかもしれん」
うわあ、キキが一日かけて辿り着いた推理を、そんな一瞬で……。美衣の冷徹すぎるほどの知性は、本当に侮れない。
「で、そこからどうやって犯人の正体に行き着くわけ?」
「犯人の目的が復讐である事を踏まえて、あさひの事件をもう一度検証したんだよ」
「あさひの?」
確かにあさひの事件から、わたし達は犯人の正体に行き着いたけど、柴宮の自殺や目撃証言も知らないうちに分かるものだろうか。
「この事件の主犯は『ボット』の犯行体質を意識している。演出過剰な一面があるとはいえ、犯人も証拠の湮滅にはことさら執着しているようだ。動機が純粋な復讐であり、かつ証拠を残さない事に終始するのであれば、明らかに四人の少年たちと無関係なあさひを、殺害しようと目論むはずがない」
「う、うん……」
「実際に銃撃を与えた北原という男の他に、バックアップをした人物がいることは聞いているよ。自己陶酔が空回って逆恨みし、あさひを殺そうと考えた浅はかな奴がな」
動機が動機であるだけに、美衣も柴宮に対しては怒りを隠せないらしい。本人が聞いたら自尊心をズタズタにされそうなことを言ってのけた。もっとも、本人はもう聞くこともできないけど。
「要するに、あくまであさひを死の危険にさらそうとしたのは、共犯者であるその愚か者だけというわけだ。そう考えた時、一つ腑に落ちることがある」
「腑に落ちること?」
「この件に関して、キキはわずかに推理を誤ったんだ。恐らくキキもその事に気づいているだろう。口には出さなかったが」
「そうなの?」
「あいつは名探偵を名乗らないが、それでも自分の間違いを軽々しく口には出さないさ。まあ、隠すこともしないが」
「うん……キキも普通の女の子だしね。でも、推理を誤ったってどういう事? 柴宮は結局ぜんぶ認めたけど」
「柴宮という少年が認めた事が、計画のすべてだという考えが間違っていたんだ。トリックの要である、岩塩の弾を水で消す方法……当初の計画では恐らく、銃撃後に水道の水をホースで撒いて、氷の上に転がっている弾を溶かすはずだったんだ。塩の水に対する溶解度は、水温による変化が他の物質と比べて鈍い……冷たい水でも容易に溶ける」
「そっか、あさひを突き落として表面の氷を割る必要はなかったんだ」
「もちろん事前の準備は必要だ。何しろその日は、プールの表面に氷が張るほどの寒波に襲われていた。となると、絶対に気を付けなければいけない事があるだろう?」
絶対に気を付けなければならない事……何だろう。強烈な寒波。水道の水をホースで撒く時は……。
「そっか、水道管の凍結!」
「正解だ。冬の期間、使わない水道は元栓まで閉めるのが常識だ。もし元栓を開けて、水道管に水が入った状態で寒波が来たら、瞬時に凍結して水道管が破断してしまう。だから犯人は更衣室に暖房器具を置いて、室温を極端に上げたんだよ。水道管の凍結を防ぐためにな」
そうだった……今の今まで忘れていたが、美衣が確かに証言していた。あさひを救出した後、駆けつけた救急隊員を迎え入れるため、更衣室を通って出入り口に行った時、なぜか暖房器具があって更衣室が暖められていたと……あれは、本来トリックに必要不可欠な要素だったのだ。
「実際、きょう能登田中に行ってプールの裏手の元栓を調べたら、最近になっていじられた痕跡を見つけたよ。事件当日も水道設備の定期点検があったらしいが、それでも冬の時期に元栓を開けることはしない。基本、メーターに変化がなければ異常なしと考えるものだからな」
「美衣、そこはちゃんと実地調査をしたんだね……」
「簡単に確かめられる事だし、キキたちに任せられる余裕はないと思ったから」
本当はついさっきまで能登田区にいたから、知っていれば確実に能登田中へ行くように指示しただろうな……。
というか、プール裏手の元栓は、確か木嶋も見ていたはずだ。それなのにいじられた痕跡に気づかないとは……。
「以上を踏まえると、犯人はあさひを殺害する予定などなかったことになる。水道の水による湮滅も、共犯の柴宮に任せるつもりだった……ところが、柴宮が勝手に別の方法をとったために、状況が複雑になってしまったのさ」
そういう事か……キキは、水溶性の手紙と鍵の他にも、柴宮が考えたトリックがあるのかもしれないと言っていた。あさひを冷たいプールに突き落としたのも、本当は柴宮のオリジナルだったのだ。
「犯人としてはただ軽い傷を負わせて、捜査を攪乱させると同時に、残りの少年たちを手にかける足掛かりにしたかった……それだけだったんだね。だったら、この状況は犯人にとっても想定外だったってこと?」
「ああ。そしてその結果、柴宮は逮捕に追い込まれたんだ」
「……やっぱり、そういう事なのかな」
ついさっき判明した事実を鑑みれば、柴宮の逮捕さえも、主犯によって仕組まれたものと考えるほかはない。でも、美衣はどうして気が付いた?
「確証があるわけではないがな。ただ、キキが柴宮確保の作戦を始めた時点で、主犯はあさひが無事だと考え、柴宮はあさひが危篤だと思っていた。警察によって情報統制が敷かれている上に、夜中だから目撃証言もなくネット上でも話題に上らない。だからそうした意識の違いが生じても不思議はない。そして、この違いは決して無視できない」
「どういうこと?」
「いいか? トリックを変更したという事実を、柴宮は絶対犯人に伝えない。相手がすでに三人殺害しているだけに、言えばどうなるか分からないからな。しかも夜中、封鎖されているプールに人が落ちれば、しばらくは気づかれることなく放置される……柴宮はそう考えた事だろう。まさか、あさひが事前にわたしを巻き込んだとは、露ほども考えてはいまい」
「まあ、他言無用と遠回しに脅迫していたみたいだしね」
「ところが、予測に反してあさひはすぐ発見され、翌日には警察が動き出した。これによって、犯人側にこの事実が伝わる恐れが出てきた。もみじ、お前は事件の翌日に能登田中へ出向いた時、柴宮とすれ違ったそうだな。という事は、柴宮はその日学校にいて、それらの情報を聞いている事になる。詳しい事情は分からなくとも、警察が動いている事は見れば分かるからな」
「そっか……その時点で柴宮は、身の危険を感じたはず」
「ああ。柴宮は犯人に見つかる事を避けようとする。当然、犯人が真っ先に調べる学校に来るはずもない。だから、それ以降は登校しないと考えられる」
なるほど、だから美衣は調べるまでもなく気づいたんだ。キキが作戦を実行に移したその日、柴宮が学校に来ていなかった事を……。わたしとキキは、ゲーセンでの目撃証言を得るまで考えもしなかったのに。
「だが柴宮は学校で流れた偽の噂を耳にして、病院に侵入した……すでに犯人が嗅ぎつけているかもしれないこの状況で、あさひが目覚めるかもしれないという噂に信憑性があると判断するのは、どういう場合だと思う?」
また質問で試してきた。どういう場合、か……確かに、学校にいなければ、ただ人から聞いたというだけじゃデマの可能性を疑うだろう。犯人への警戒を強めていれば、いっそう疑り深くなる。その状況で噂を信用するのはどういう場合だろうか……。
「答えは一つ。犯人側が調べた結果である場合だ」
なんだと?
「えっ……でも、それはもっと罠の可能性を考えるんじゃない?」
「いいや。犯人側の人間が直接関わっているからこそ、作為の可能性は逆に疑わない。すでにキキから聞いているが、柴宮という少年の携帯の通話履歴は、ここ一週間ずっと同じ番号だけだったんだろう? つまり、キキが流した噂を柴宮に伝えた人物は、その番号の主以外に考えられない。そしてそれは、柴宮に接触した唯一の人物……」
「北原が、それを教えたってこと……?」
「そう考えれば説明がつく。犯人側の人間であれば、あさひがどんな状況下に置かれているか調べるのは自然だし、そのための努力を惜しむはずもない。当事者であり、綿密に調べるだけの動機があるからこそ、その人物の話は疑わない。加えて、調べたことで犯人側が事実を知るに至ったと分かり、柴宮は焦って冷静さを失ったはずだ」
「でも、それでも罠の可能性は少しも疑わないのかな……」
「北原が伝えたという所が重要なんだ。そもそも北原はあさひを銃撃した張本人で、現場であるプールが見える場所にいた。そんな状況で、柴宮がのこのこ出てきてあさひをプールに突き落とせば、北原に目撃される恐れがあるだろう?」
言われてみれば……マンションの住人に目撃された可能性を考え、過剰に反応して、慌ててその場を離れたくらいだ。北原の存在を考慮しないはずがない。
「という事は、銃弾を消す手段の変更を、北原にだけは知らせていたってこと?」
「そう考えるのが自然だ。あさひを狙う事による北原たちのメリットがはっきりしなければ、柴宮は話がうますぎると思って手を結ばなくなる。だから、自分の他に主犯がいて、その人物の犯行のカムフラージュである事くらいは話しただろう。他の犯行に柴宮は関わっていないのだから、関連性を匂わせれば柴宮は疑われない、という利点を与えれば、柴宮も納得しただろうな」
「直接事情を話した北原だから、柴宮は無条件で信用したんだ……」
「まあ、少しも疑わないという事はないだろうが、北原がせっつけば、少なくとも病院への侵入くらいはやるだろうな。こうなると、たとえ生き証人のあさひを消したところで、自分が主犯から追われ続けることに変わりはない……だから病院に侵入して、その主犯があさひを殺害したように偽装するつもりだったのさ。主犯に罪を被せ、自分の安全を確保するために」
「病院に侵入すれば、主犯に罪を着せられるの?」
「柴宮はあさひの息の根を止めたあと、どこから病室を出るつもりだったと思う? 入り口が固められている以上、窓から出るしかないだろう。クレセント錠の周りのガラスを静かに割っておけば、侵入も窓からだと思わせられる。そうすれば、四階の窓に素早く登れるだけの身体能力があるように見えない自分は疑われず、警察は犯人側の人間に的を絞るしかなくなる……そう考えたのさ」
柴宮が考えつきそうなことだ。どこまでも姑息なやつである。
「もっとも、北原が伝えた噂は当然デマだし、犯人側もすでに何らかの形であさひの無事を確認し、柴宮の行動にも気づいている……ならば、こうした柴宮の行動はすべて、犯人に誘導されたものだと考えるほかないな。予定にない行動を取り、結果としてあさひに瀕死の重傷を負わせたことが、犯人にとっては許せず、罰を与えるという意味で柴宮にデマを伝え、そしてキキたちの張っていた罠に飛びこませ、逮捕に追い込んだ」
「…………」
「柴宮があさひをプールに突き落とした事実を知っているのは、キキたちと警察関係者を除けばごく限られる。その中で最も可能性が高いのは、殺害された四人と関わりを持たない場所にいる人間。ここまで言えば……分かるよな?」
分かる。分かるけど……何も言えない。
美衣の推理は見事としかいいようがない。四年前の事件について何も知らないまま、誰よりも先に犯人の正体に辿り着いていた。とはいえ、美衣もキキと同じく、自分の推理をあくまで“予想”と言いきっていて、確信が得られていない状態で人に話そうとはしなかったようだが。
わたしは、あまりに気づくのが遅すぎた。美衣以上に多くの情報を持っていたのに、犯人を特定するのに十分な材料が早い段階で揃っていたのに、気づかなかった。わたしにキキみたいな推理力はないので、悔やまれる事ではないけれど……でも、もう少し早く気づいていれば、ここまで事態はこじれなかったかもしれない。
「……美衣が辿り着いたのは、そこまでなの?」
「これ以上は情報がないから無理だな。だがその様子だと、後れを取ったとはいえ、そっちは具体的な犯人の正体にも辿り着けたみたいだな」
「…………」
「おい、返答しろ」
「美衣……わたし、どうすればいいのかな」
こんな事を言われても美衣は困るだろうが、聞かずにはいられなかった。いま気持ちをぶつけられる相手は、悔しいが美衣しかいないのだ。
「…………ふう」
処置なしと言わんばかりのため息が聞こえた。まあ、そうなるよな……。
「具体的な事情を話せ、と言いたいところだが、どうやらそれは無理そうだ。今のわたしでは、突き放すような言い方しかできない。それでもいいなら答えるが?」
「構わないよ」
今さら美衣の皮肉でどうなる事もないくらい、わたしはどん底にいるのだ。
「ふうん……では言わせてもらおう。わたしはもみじじゃないから、もみじがどうするべきかなんて分からないし、感情移入もできないから気持ちも理解できない。だから自分で考えろ」
「うぅ……やっぱりそうなるよね」
思ったより厳しい物言いに、わたしのライフゲージはだだ下がりだ。
「誤解しないでほしいが、わたしは考えるようにと言っただけで、お前が自分で何とかするようにと言ったわけじゃない」
「えっ……?」
「現実の問題は、考えて実行すれば解決できるものじゃない。考えて実行しても、どうにもならない事は山ほどある。お前も知っているだろう。白河法皇の三不如意を」
もちろん知っている。日本史の有名なエピソードだ。
「平安時代に院政で権力を振るった白河法皇が、自らの力をもってしても思い通りに出来なかった、三つの事象だよね。賀茂川の水、双六の賽、山法師の三つ」
「まあ最初の二つは自然現象だから操りようがないけど、山法師……つまり比叡山の僧兵はどうしても防げなかった。恐いもの知らずと言われた白河法皇さえ、どうしようもない事はあったんだ。ましてわたし達は普通の中学生……森羅万象を操るすべなんて、持っているはずもあるまい」
こんな会話が成立している時点で、普通とは言い難いけどね……。
「どうしようもない、か……でも、どうにかしないと誰も幸せでいられないんだよ?」
「だから、幸せで居続けるためにどうするべきか、お前が考えるんだよ。よもや、キキだけにぜんぶ任せようなんて、甘ったれた事を考えているわけじゃあるまいな」
これはさすがにむっとする。わたしだって必死に悩んで考えているのに……。
「わたしだって考えてるよ。それで分からないから美衣に訊いたんじゃない」
「でも事件の解決はキキにしかできないと思っている。違うか?」
……ぐうの音も出ない。美衣の指摘はいちいち的を射ていた。
元より、わたしは自分で考えてもろくな答えを出せないと決めてかかっている。その手の事に長けたキキに、あらゆる解決を委ねようとしているというのは、あながち間違いでもなかった。
「現実の事件は、名探偵だけで解決できるものじゃない。この件にお前が深く関わっているなら、お前が主体的に動かなくてどうする」
あまりに厳しい言葉だった。わたしは、キキに甘えていただけだったのか……。
事件は名探偵だけじゃ解決できない。その類いの言葉を、キキもよく言っていた。キキは分かっていたのだ。自分一人ではどうしようもない事もあると……分かっていても、決して歩みを止めなかったのだ。
うん……止まってなんか、いられないよね。
「ありがとう、美衣。考えてみるよ。……自分で」
「そうか。なら、これ以上いうことはない」
さっぱりしているなぁ……あ、一つ忘れている事があった。
「そういえば、キキから何を相談されたの?」
「ん? エイトコインの意味と、損して得取る方法」
「…………は?」
「あいつはこの手の話に弱いからな。ま、続きはあいつから聞きな。じゃ」
十分に様子を探れて満足したのか、美衣はぷつんと通話を切った。どこまでも引き際があっさりしている……。
まあいい。美衣はあのように言っていたが、事件解決はキキに委ねるしかない。わたしは、わたしにできる事を必死に考えないと。
何をするべきだろう……わたしは腕組みをして考えた。キキはたぶん、警察にこの事を告げる前に、真犯人に接触を試みるだろう。だが現状では、まともに話ができるとは思えない。何しろ、その人物が犯人である証拠はどこにもないから……。
だが、北原や柴宮が亡くなった今、犯人はたった一人で計画を続行するだろうか。キキが予想していたように、他にも協力者がいるとしたら……それこそ、犯人の築いた牙城を切り崩す、絶好の材料になるのではないか。
よし……わたしは結論を出した。
本当にこれで事態が好転するのか、わたしには分からない。だが、わたしが主体的に動くことで、開ける未来もあるはず……。
わたしは手元の携帯に電話帳を表示し、目的の番号を選んでかけた。
そして、わたしは……。
謎解きはまだ少し続きます。