その18 遺族たち
遅くなりました。終盤に急展開を見せる、第二章その18です。
<18>
「今度は、聡史くんの親御さんに会ってみたいな」
翁武村から星奴町に向かう車中で、キキが呟くように提案した。中道刑事から、星奴町のどの辺りに送り届ければいいのか訊かれて、真っ先に答えたのがそれだった。
「当時のことを一番よく知っているはずだし、たぶん、聡史くんを殺害した少年たちを一番恨んでいるだろうしね」
「聡史くんの親が、犯行に関わっているってこと?」と、わたし。
「まだ決まったわけじゃないけどね。でも話を聞く価値はあると思うよ」
理屈は分からなくもないが、どんな理由であれ、キキが他人を疑うというのは、彼女をよく知る友人として違和感を拭えない。
「功輔くん、聡史くんの家族構成って分かる?」
キキは助手席の功輔に尋ねた。
「確か、自宅では両親と三人暮らしだったはずですよ。他にも親戚はいたかもしれませんけど、詳しくは聞きませんでしたね」
「ご両親、まだその家にいるかな」
「うーん……事件以来、聡史の家とも疎遠になっているから、何とも言えませんね。話に聞く限りでは、引っ越しとかはしていないと思いますけど……」
「実際に行ってみるまでは分からないかぁ。まあ、面識のある人がいれば、会う方法はいくらでもあるけどね」
自宅にいなければどんな手段に出るつもりなのだろう……いや、キキにはなぜか運を引き寄せる力があるからな、そんな事にはならないかもしれない。
「ずいぶんと積極的に動き回るね」運転席の中道刑事が言う。「銃撃事件の方は星奴署も調べているんじゃないのか」
「どういうわけか、未だに星奴署の刑事課は、そこにいる功輔くんを主犯と疑って追い回すことに執着しているんです。だからこっちも黙っているわけにはいかないんです」
「主犯? 君が?」中道刑事がちらっと功輔を見る。
「そんなわけがないでしょう」功輔は辟易とした感じで言った。「冤罪というか向こうの思い違いですよ。まあ、勘違いされるだけの原因を作ったのは事実ですけど」
「よく分からんが、星奴署の刑事課も妙な事を考えるものだな。五人の中学生が銃撃を受けたということは聞いているが、そんな大それた犯罪を実行できるとは思えんね。何を根拠にしているのか知らんが、その為体では君らもさぞ大変だろう」
正確には、功輔を主犯と断じているのは木嶋ひとりで、他の刑事はキキの指摘があったおかげで、次第に不信感を抱き始めている。だが、独裁状態が当たり前になりつつある星奴署刑事課で、木嶋の暴走を誰も咎められるとは思えない。
「大変といえば大変ですけどね」わたしは肩を竦めながら言った。「まあ、星奴署の中でもキキを信頼して情報提供してくれる人はいますけど、それでも大多数は、中学生が凶悪事件の調査に関わるべきでないという考えですからね」
「それは常識的だろうな」
「でも中道刑事は止めないんですね。むしろ好意的というか……まあ管轄外の事件なら他人事で済ませられるかもしれないですけど」
「いやいや」中道刑事は苦笑した。「そこまで突き放したりはせんよ。もちろん、君らが調べ回ることを黙認するにしても、危険な真似を避けることは大前提だ。ただ……俺はもうすぐ定年退職になるが、こんな田舎の警察署でくすぶったままじゃ、警察官になってよかったと思える瞬間なぞほとんどなくてな。せめて退職前に、警察官として若い者を応援して、いいものを残してやりたいわけよ」
なるほど。そんな時にキキと出会って、応援する価値があると思ったわけか。
「現役を続ける方法ならいくらでもありそうですけど」と、キキ。
「うーん、どうもな……年をとるとなかなか機敏に動けなくてね。しかるに、長らく交番勤務をしてきたせいか、管理職というのも肌に合わんでな。この歳になるまでずっと現場に出ていると、もう欲とかも出ないもんだよ。出世も高給もとうに手放した。だから今さらお上に何を言われようと、老体に鞭打ってまで続けるつもりはない」
「よかった。それなら中道さんに頼んで正解でしたよ。都知事の影響力がどこまで及ぶか分からなかったんですが、現役にこだわらないならなびく事はないですね」
「ああ、そこは安心していい。元より俺は、あの金沢晋太郎という男がどうも好きになれんのでな。もし圧力があっても、俺は面従腹背を貫くことになろう」
国語に弱い功輔と、聞き覚えのない単語に弱いキキは、揃って思考停止に陥った。しょうがないな、こいつらは。
「珍しいですね」わたしは言った。「結構あの強烈なキャラが、幅広い年代に受けているみたいですけど」
「定例会見での辛辣な発言とかだろう? 俺はあれが嫌だ。ほれ、昨日もギャンブルが人や社会を駄目にするとか言っていただろう」
「まあ言い方はきつかったですけど、間違いではないですよね?」
「間違ってはいないが正しくもない。俺から言わせりゃ、人間の行動はどれもある意味ギャンブルさ。この先の未来がどうなるか分からん状況で、何か一つの方針にかけて投資を行なう、そんなことは人生のあらゆる場面であるものだ。確定できない未来のことに、確率的な予想を立てて、それに従って時には大金を投じる……つまりギャンブルだろ」
それも極端な見方に思えるが……でも、ひょっとしたら一理あるのか?
「そりゃあ、あんまり大金を注ぎ込んで生活を苦しめるのはよくない。モノによっては依存症を招くこともあるから、やるなら徹底した規制が必要だ。その意味じゃ、金沢晋太郎の主張はあながち間違ってはいない。だが、この世に負の側面を持たないものは一つもない。政府はカジノの正の側面ばかり強調するが、都知事は負の側面ばかりを強調している。偏った見方にこだわっているという点では、どっちもどっちさ」
偏った見方、か……メディアでは、為政者側に対して時折手厳しい批判がなされることがある。野党の与党に対する姿勢も同じだ。でもほとんどは、批判するだけで代替案を示していない。それはつまり、一つの物事の負の側面ばかりに、気を取られているということだろうか。確かにそれでは、どちらも似たり寄ったりと言わざるを得ない。
「定例会見で都知事は、政府のやり方をダシにして自分の株を上げているだろう。でも奴がやっているのは政府への批判だけ。それなら一般人でもできることだ。その程度のことで偉ぶっているのが、どうも俺には気に食わん」
「あー、なんとなく分かります」
そうか、キキには分かるのか。彼女も金沢の主張には懐疑的だったな。……いや、正確には何も言っていないのだけど、一度たりとも頷いていなかったのだ。
「意見が合わないこともあって、俺はあの男が好きになれん。だから今後も、奴と歩調を合わせることもないだろう」
「中道刑事は、ギャンブル好きなんですか?」
「好きというほどじゃないが、競馬と競輪は普段からやっておるよ。どうせたいした儲けにならないと分かっているから、ちょっとした娯楽程度だけどな」
「ギャンブルってやればやるほど損をするシステムになっていますからね」
これは功輔の弁。後から聞いた話だと、どうも大数の法則というものがあるらしいが、よく分からない。なんだか確率の話も多いなぁ。
「ちなみに、俺は今この瞬間もギャンブルをしている」
「え?」
わたしとキキと功輔は、揃って困惑を返した。
「連続銃撃事件について、君たちに好きにさせようというこの計らいだよ」
「……ご冗談ですか」と、わたし。
「俺は大真面目だぞ。トロフィーの事件を通して思ったんだ。君らなら、その事件を一番いい形で解決できるとな」
また大人が容赦なくプレッシャーをかけてくる……キキは純粋に、憎しみの連鎖を断ち切りたいだけなのだ。それは誰のためでもなく、自分のためでもなく、自分にとって大切な人のために……だから、誰かから期待されることはあまり考えていない。
キキを見ると、案の定、口元をキュッと結んで困り果てた表情になっていた。大人が子供に期待するのはいい事かもしれないが、キキの場合は逆効果になりかねない。無言で見守るのが一番なのだが、まあ、長く付き合っていないと分からないだろうな。
こんな他愛もない話だけで、いつの間にか一時間半を費やした。気がつくと、もう星奴町内に入っていた。ここから先は功輔の案内に従って、山田聡史が生前住んでいた家へと向かった。
辿り着いた場所には、何の変哲もない二階建ての木造家屋があった。『山田』の表札が門に掲げられているので、聡史の両親がまだ住んでいる可能性は高いが、結構ありふれた名字だからなぁ……別の家族が移り住んだ可能性だって無きにしも非ず。
その家の前で、わたし達はパトカーを降りた。中道刑事はこのまま翁武署に戻ったが、去り際に「くれぐれも、気をつけなさい」とだけ言った。
代表して功輔が呼び鈴を鳴らす。少しの間をあけて、玄関のドアが開かれる。現れたのは白髪の交じった中年の男性だった。
男性はわたし達を見て、眉をひそめて尋ねた。
「君たちは……?」
「お久しぶりです、おじさん。外山功輔です」
「外山……ああ、功輔くんか!」
男性は功輔の名前を聞いて目を見開いた。功輔を知っていて、功輔も男性に対して違和感を持っていないということは、彼が聡史の父親で間違いなさそうだ。よかった、会えないかもしれないという不安は杞憂に終わったか。
「しばらく見ない間に大きくなったなぁ」
「聡史が亡くなって以来だから、もう四年近く会っていませんよ」
「そうだよな……そちらの二人は?」
聡史の父親の目がわたしとキキに向いた。この状況で放置すると何を言い出すか分からないので、わたしは即座にキキの口を手で塞いだ。
「俺の幼馴染みのもみじと、その友人のキキさんです。すみません、アポなしで失礼だとは思いますが、二人も交えて話したいことがあって……」
「ああいや、構わんよ。久しぶりに功輔くんの顔が見られるんだ。家内も喜ぶよ」
「おばさんもご健在ですか」
「いや……健在とはいいがたいな」
聡史の父親が表情を曇らせた。どういう事だろう。亡くなっているわけではないのか。
家の中にあがり、わたし達は和室に案内された。そこには仏壇があって、あどけない姿の少年の写真が置かれていた。あれが山田聡史だろう。
……なんだか、誰かに似ている気がする。
「聡史が亡くなってすぐ、家内は精神に変調をきたしてしまってね……」
四角いちゃぶ台を挟んで、わたし達と向かい合って座った聡史の父親は、鬱屈とした空気をにじませながら説明し始めた。
「割と年を食ってから生まれた子だから、大事に育ててきた分、ショックも大きかったんだろう。その点、腹を痛めていない俺はまだ何とかなった。それがせめてもの救いだ」
「おばさんが心を病んでも、支える人はいたわけですからね……」
「まあな。しばらくは入院してカウンセリングなどを受けていたが、ようやく落ち着いてきたので、半年くらい前から自宅療養を続けているよ。もっとも今となっては、普通の生活に戻るのは望み薄だがね……」
一人息子を不条理に亡くして、平凡な家庭が一気に変わってしまった。つい、目を背けてしまいたくなるけど、今はそういうわけにもいかない。もしかしたらこれこそが、私たちの追っている事件の核心かもしれないのだ。
「やっぱり、家の中で聡史の話は禁句ですか」
功輔は不安そうに尋ねた。それを確かめないと先に進めない。
「いや、最近は聡史の思い出話も普通にできるようになったよ。ただ、そうだな……亡くなる前後の出来事に関しては、精神科の先生からも控えるよう言われている。俺も、正直にいうと、聡史の話はあまりしたくない」
「そう、ですか……」
「いやまあ、功輔くんが来たなら、どのみち話すことにはなるだろうがな」
聡史の父親は弱々しく笑って言った。つらい気持ちを抑え込んでいるのが明白だ。あるいは、残念そうな表情を浮かべた功輔に気を使ったか。
「それで、今日はどんな用件で来たんだい?」
「はい。聡史のことで聞きたいことがあって……その前に、ちょっともみじの話を聞いてもらえますか」
やっぱりそう来るよな……ここにいる全員が当事者だけど、調査を始めるきっかけを作ったのはわたしとキキで、キキに説明を求めるのは得策といえない。賢明な判断だ。
とはいえ、わたしもそれほど説明力に自信はない。咳払いの後にわたしは告げた。
「ご存じないとは思いますが、四年前、息子さんをいじめの果てに死亡させた少年たちが、ここ二週間で立て続けに殺害されているんです」
「……何だって?」聡史の父親は瞠目した。
「少年たちが、ある大物政治家と繋がっているために、その人物の圧力もあって情報が制限されているんです。でも、犯行の過程でわたし達の友人が大怪我をして……その事もあって、わたし達はこの事件を調べているんです」
「そんなことが……その友人は大丈夫なのかい?」
「ええ、今はもう全快です。少しずつ事件の真相を紐解いているところですが、突き詰めていくとやはり、被害者たちが関わった四年前の事件が深く関わっているようです。それで、聡史くんの事件のことを詳しく調べようと思ったのですが……」
わたしがそこまで言うと、聡史の父親は厳かな表情で腕を組んだ。どうやら気分のいい話とは捉えなかったらしい。
「……犯人は、聡史の敵を討とうとしているのか?」
薄目を開けて聡史の父親が尋ねる。その穏やかならざる声に、わたしは少し引き気味になりながら答えた。
「まだ断定はできませんが、恐らく」
「司法が裁けなかった連中に、代わりに裁きを与えたというわけか……その犯人も、余計な真似をしてくれたものだ」
「余計な真似、ですか……?」わたしは眉をひそめた。
「家族が忘れようとしていた事を、そんな形で掘り返したわけだからな。情報が統制されて私たちの耳に入らなかったのは幸いだが、こちらはただ苦しむばかりだよ」
……この被害者家族は決して、事件の安定的な解決を願っているわけではないのか。生活環境の変化、あるいは虚無感による苦しみから逃れたくて、息子が亡くなったという事実を意識の外に出そうとしている。
篠原さそりの場合は、父親が殺害されて十四年が経っても、犯人に対する憎悪の念は消えなかった。山田家と比べて多少複雑な事情があるとはいえ、被害者家族の事件との向き合い方はここまで違うものなのか。
「俺は忘れませんでしたよ」
功輔が力強く言うと、聡史の父親は眉をぴくりと動かした。
「聡史が死んだあの日の事は、この四年間、一度だって忘れたことはありません。あいつを死なせた奴らへの、恨みも……」
「功輔……」
「まあ、そうだろうな」聡史の父親はふっと息を吐く。「何しろ君は、聡史が亡くなる現場に居合わせたわけだからな。忘れようと思ってもできはしまい」
「元より、忘れようと思った事もありません」
功輔が重ねて告げると、今度は何も言い返されなかった。こいつにとっては、親友が殺された事のつらさも、加害者への憎しみも、いずれすべての元凶にカタをつけるための足掛かりだったのだ。それほどの覚悟を、わたしもキキもよく知っていた。
「……それができない人もいるのだよ、功輔くん」
諦観したのか、聡史の父親は諭すような口調で言った。うぅむ、こんな調子では埒が明かないぞ。どこかで切り口を見つけて、慎重に話を本題に持っていかなければ……。
「ではその事も承知の上で、いくつか質問させてください」
……なんて普通の考え方をしない奴が、ここには若干一名いた。さっと手を挙げてこんな事を言い出したキキに、わたしはすかさず肘で頭を叩いた。
「いったぁい」キキは両手で頭を押さえながら文句を言った。「いちばん堅い所で叩かないでよ」
「お前はいい加減、遠慮というものを覚えろ」
「すみません、大体いつもこんな感じだそうです」
功輔が代わりに釈明した。わたしとキキがボケとツッコミの応酬に回ると、大体いつも周りの人がフォローに入る、これもお決まりのパターンだ。
「ああ、まあ……」聡史の父親は困惑気味に言った。「忘れたいことではあるが、君たちも思う所があってここに来たんだろうし、手ぶらで帰すのも寝覚めが悪いからな。できる限りは答えてあげよう」
「わあ、ありがとうございます」
キキは満面に笑みを浮かべた。時としてこの純真さがうらやましい。
「ではまず一つ目の質問です。最近、聡史くんを知る人がここを訪ねてきましたか?」
さっそく意図の見えない質問が飛び出して、聡史の父親は視線を泳がせた。突かれたくない所を突かれた時、往々にして見られる反応だ。そういえば、先々月にみかんが誘拐された事件でも、似たような場面があった気がする。
「……いや、来てないな。どの程度知っているかにもよるが……一応、会社の同僚や妻の友人たちは、会ったことはないにせよ、息子が死んだことは関知している。聡史が死んだ直後はその人たちも頻繁に来ていたが、今はあまり……」
「でも、今日その人たちの誰かが訪ねてきたのは確かですよね」キキは、聡史の父親の背後にある仏壇に目を向ける。「仏壇に立てられたお線香がまだ十分に長いですし。つい先ほど誰かが来ましたよね」
相変わらず細かい所によく気づく奴だ。
「ああ……会社の同僚が訪ねてきてね。用件は別にあったんだが、せっかくだからと線香をあげていったんだよ」
そりゃあ、息子が亡くなったと知っていながら何もせず帰るのは、さすがに社会人としてあり得ないだろう。
「同僚の方たちなんかは、聡史くんが亡くなった経緯を知ってるんですか?」
今度はわたしから訊いてみた。
「たぶん知らないな……元から世間に知られているニュースじゃないし、聡史自身、学校にもたいして友人がいなくて、昔からずっと一人で過ごすことが多かったからな。だから学外とはいえ、功輔くんが友人になってくれたのは本当に嬉しかったんだ。サッカーにも誘ってくれて、おかげでずいぶん明るくなったよ」
直後、功輔が(え?)とでも言いたそうな表情になった瞬間を、わたしは視界の端に捉えた。何か妙な話があったのだろうか。キキは気づいていないのか、早々に次の質問に移ったが。
「二つ目の質問です。あなた自身は、聡史くんの事件の詳細をどこまでご存じですか」
「遠慮のかけらもないな……残念ながら、ほとんど知らないね。俺自身がそれほど知りたくないと思ったのもあるが、何より警察からも十分な説明がなかった。せいぜい、五人の同い年の少年たちと遊んでいる最中に亡くなった、ということくらいだ。もっとも、そんな話はまるで信用できなかったがね。聡史が功輔くん以外の子と集団で遊んでいたことなど、少なくとも俺が知る限りでは一度もなかった」
やはり聡史の親はよく理解していた……警察の見解が根本的に間違っていると。原因までは探ろうとしなかったみたいだが。
「それと、さっきも言ったが、功輔くんがその現場に居合わせたことも知ってたよ。これは警察も話してはくれなかったが……」
まあ、下手に話して功輔に接触すれば、そこから警察の見解との齟齬が明らかになってしまうからな。実際は会って話すまでもなく、聡史の親は警察の話を真に受けたりなどしなかったが。
「じゃあ、功輔くんが現場にいたことは誰から?」
「聡史が亡くなった少し後に、功輔くんの父親とばったり会ってね。そこで色々と事情を聞いたんだ。精神的に参っているだろうから、あまり他の人にしゃべって話を広めない方がいいだろう、と警察に言われたらしい」
徹底して情報の拡散を防ごうとしているのが見え見えだ。わたしから言わせれば、警察はそんなふうに気を遣わない。
ところで……この場の仕切り役を功輔とキキに任せて、お呼びがかかった時だけ説明をしようと決めていたから、わたしはあまり自発的に質問をしなかった。だから、あれに気が付いていても口には出さなかった。
視界の端、壁際の低い棚の上に、それは無造作に置かれていた。大きく『トロント』の文字が書かれた旅行パンフ。近くカナダにでも旅行するのだろうか……。
「おじさん」功輔が言った。「無理にとは言いませんが、おばさんにも話を聞くことはできませんか。なるべく刺激しないよう、気をつけるので……」
「うむ……」聡史の父親は少し考えてから答えた。「さっきも言ったが、妻もだいぶ聡史の話には慣れてきている。事件の話さえなければ大丈夫かもしれない。ただし、あまり長話はできない」
「という事ですけど、キキさん、問題ないですか」
ああ、キキに情報収集の機会を与えたわけか。ずいぶん気の利く奴だ。
「話ができるなら問題はないよ。最悪、一個でも手掛かりが得られれば上出来」
にっこりと笑うキキ。彼女の場合はそうだろう。些細な会話から推理の材料を見出すことに関しては、達人級といってもいい。……他にその手の達人など知らないが。
家人からの許可を得たところで、わたし達は聡史の父親に連れられて、母親がいるという寝室に向かった。
そこには、介護用のベッドとサイドテーブルと箪笥以外、何もなかった。畳の床の上に設置された介護ベッドに、わずかに頬のこけた女性が横たわっている。両目と口を薄く開けて天井を見上げているその姿は、放心状態のようにも見える。
「佳菜恵」
聡史の父親が女性の名前を呼ぶと、彼女はおもむろにこちらを向いた。そして、瞼が微かに動いた。わたし達の存在を認識したようである。
「おばさん、お久しぶりです」
功輔が挨拶する。果たして彼女は、息子の友人の事が分かるだろうか。
「…………功輔くん?」
その声にハッとして、功輔は言った。「そうです。外山功輔です」
「やっぱり……しばらく見ない間に、大きくなったわねぇ……」
佳菜恵さんは力なく微笑んだ。精神を病んだと聞いていたが、頭の働きに問題はなさそうだった。おぼつかない口調ではあるが、多少でも話ができるなら安心だ。
「覚えていてくれましたか」
「ええ、そりゃもう……聡史といつも遊んでくれたでしょう」
「いつも、というほどではないですけど……」
確かに学外の友人だから頻繁に会えるわけでもないし、功輔に言わせればそれほど関係を深められたわけでもないが、この場で言うべきこととも思えない……。
「いいえ。聡史と仲良くしてくれただけで、私は嬉しいわよ。もうここ何年も、聡史のことで訪ねてくる人は、あの女の先生以外にいないから……」
佳菜恵さんはそう言った。何年も、といっても二、三年程度だろう。やはり少し記憶が混乱しているのだろうか……というか、いま何と言った?
「女の先生?」キキが聡史の父親に尋ねた。
「ああ、聡史の担任だよ」
担当教師にとっても、忘れがたい出来事だったのだろうな。そうでもないと、四年もずっと生徒の家を訪問し続けるなんてことはない。
……功輔はどうしたのだろう。神妙そうな表情を聡史の父親に向けている。先ほどから父親の話に何らかの違和感を覚えているようだが、ずっと無言だから分からない。
「…………」
「ああ、そういえばさっきも……」
佳菜恵さんはそこまで言ったところで咳き込み始めた。唾が気管に入ったのかもしれない。わたしは反射的に佳菜恵さんに駆け寄り、少し上半身を上げて背中をさすった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがと……」まだ微かに咳が混じっている。「こんな状態だから、色んな所が弱ってしまって、困る事も多いわ……」
なんだか憐れにさえ思えてくる。普通の会話だけで誤嚥してしまうほど、彼女の体の機能は弱くなっている。精神を病んだために安静にする必要があり、長きにわたり体を動かしていなかったからだろう。
「君たち」聡史の父親が言った。「すまないが、もうこの辺にしてくれないか。ちょっとしたことでも疲れてしまうから……」
「そうですか……仕方ないですね。佳菜恵さん、お大事に」
キキはそう言って佳菜恵さんに頭を下げながら、寝室を後にした。遠慮を知らないと言われるほど押しが強いが、それなりに引き際も弁えているのだ。
結局ろくに話を聞けないまま、聡史の父親が佳菜恵さんを寝かしつけて、わたし達は元いた和室に戻ってきた。
「すまなかったね。少しくらいなら大丈夫だと言っておいて……」
「いえ、いいんですよ。いつも都合よく手掛かりが得られるとは限らないですし」
いつもピンポイントで手掛かりを得ているキキが言っても、あまり説得力はない……。
「それにしても……殺されたのが聡史を死なせた連中である事は脇に置いても、中学生が続けざまに殺されるというのは尋常じゃないな。君らの話だと、大物政治家からの圧力があるという話だが、そう簡単に抑え込めるものなのか?」
「その辺はちょっと事情が絡み合っていまして……」
わたしは言葉を濁した。明かすだけで危険にさらされかねない話だからな。
「もうそろそろニュースにもなっているんじゃないか」
聡史の父親はそう言って、リモコンでテレビのスイッチを入れた。夕方の情報番組の時間だった。惜しまれつつ亡くなったフリーアナウンサーの特集が組まれていた。どうしてこのタイミングでこんなニュースが流れるのか……。
だが直後、本当になぜこのタイミングで、といえる速報ニュースが飛び込んだ。画面上部に、こんな文章が字幕テロップで映された。
『星奴町飛び降り自殺の中学生 能登田中に通う柴宮酪人(15)と判明』
「「ええっ!」」
わたしとキキは揃って大声を上げ、テレビ画面に食いついた。
「どうした、二人とも」
あさひの一件に関して、詳細を聞いていない功輔は首をかしげる。やがて、画面はニューススタジオに切り替わり、キャスターが速報の内容を伝え始めた。
「いま入ったニュースをお伝えします。きょう午後三時五十分頃、星奴町能登田区にある十階建ての商業用ビルから、中学生らしき少年が墜落し死亡した事件で、先ほど午後四時頃、警察からの発表がありました。それによりますと、少年の身元は所持品から、能登田中学校の柴宮酪人くん、十五歳と判明しました。現場の状況から、警察は自殺であると見て捜査を続けるという事です」
柴宮酪人……銃撃事件の犯人に協力し、あさひを陥れた張本人。まさか、ここでその名前が出てくるとは思わなかった。
でも、警察に拘束されたはずの彼がなぜ解放されて、そしてなぜビルから落ちて死んだのだろう。この展開はキキも想定外のはずだが、一瞬だけ驚いた表情を浮かべた後は、眉根を寄せて画面を睨みつけている。この事態が起きた原因に、心当たりがあるのか。
画面に、柴宮酪人の顔写真が映し出された。
「おや……?」聡史の父親が口を開いた。「この少年、見覚えがあるな」
「え?」
「どこで見たんだったかな……ああ、そうだ。少し前に、能登田区の青果店に買い物に行った帰りに見たんだ。昼間から遊び回って感心しないと思ったから、覚えていたんだ」
「そ、それ、いつの話ですか?」
わたしは聡史の父親に詰め寄って尋ねた。答えによっては、とんでもない事になるかもしれないのだ。
「いつだったかな……ちょっと待ってくれ。レシートがあるはずだ」
聡史の父親は壁際の棚の引き出しを開けて、財布を取り出した。どの青果店に行ったかは記憶しているので、問題のレシートはすぐ見つかった。
「三日前だな……時刻は一時少し前だ」
「キキ、三日前っていったら……」
わたしがそう言うと、キキは神妙な顔で頷き返した。そして、聡史の父親の手元にあるレシートをちらっと覗き込んだ後、叫びながら部屋を飛び出した。
「もっちゃん、行くよ!」
わたしは無言でキキの後をついていく。功輔だけは状況が呑み込めないでいた。
「えっと……すみません、今日はこれで。ありがとうございます」
「え、あ、ああ……」
立つ鳥跡を濁さず、功輔は断りを入れてから部屋を出た。聡史の父親の返事を聞いている余裕はなさそうだったが。
キキがどこに向かおうとしているのか、わたしには想像がついていた。その先には、今まで見えていなかった真実がある。絶対に逃してはならない。