その17 表と裏
<17>
翁武署に到着すると、さっそくわたし達は調書作成に立ち会う事になった。主たる質問は、わたし達が森の中を捜索したいと思い立った、その経緯だ。何しろキキが中道刑事に協力を申し出た時、ほとんど詳しい事情は話していなかったのだ。もっとも、電話越しの説明では要領を得なかっただろうし、中道刑事もキキの事は信頼していたので、結果が出るまでは深く尋ねてもこなかったのだが。
警視庁内で他言無用の扱いを受けている情報や、金沢都知事に関する黒い噂、果ては四年前に功輔の身に起きた事件まで関わっている。それでも、小さな所轄署の管内で発覚した死体遺棄事件とはいえ、調書はしっかり書かなければならない。都知事側にこの事が知られないよう、調書の扱いは慎重にしてほしいと前置きしたうえで、キキとわたし、そして功輔はすべての事情を打ち明けた。相手は中道刑事と部下の刑事だけだ。
「ほお……なるほど、それはまたずいぶんと複雑な事情があったもので」
これはあさひの弁である。
調書作成が終わった後、わたし達は小会議室に移動した。ヘリに同乗したあさひとみかんが先に来ていて、食堂で作ってもらったという昼食のおにぎりを食べていた。後で来ると予測して、わたし達三人の分ももらっていた。わたし達はありがたくいただきながら、同じ話をあさひ達に向けて説明した。
「要するに、わたしはそうした複雑な事情の巻き添えになったわけか」
「まあまあ」皮肉を飛ばすあさひに、みかんがやんわりと制止をかける。「とりあえずあさひは何も悪くないって分かったんだし、それでいいんじゃない? どういう人が犯人なのか見当がついたなら、事件の解決も近いはずだし」
「聡史くんの復讐を考えそうな人に、功輔くんが思い当れば、だけどね……」
キキはそう言って隣に座る功輔を見るが、功輔はおにぎりを口に含んだまま、無言でかぶりを振った。予想済みの反応らしく、キキは特に残念そうにせず肩を竦めた。
「そんなぁ」みかんは残念そうだ。
「まあ、心当たりがあるならさっさと警察に話しているだろうけどね」
「その辺の判断は、もう少し考えてからにしたいかな」キキは二個目のおにぎりにかぶりついた。「そもそもさっきの話にしても、まだ想像の域を出ないから、本当に確信が持てるまでは安易に警察に話したくないし」
「警察が確信をもたらす証拠を集められると思っていない、という事かな」
「あれ? そっか、そうなっちゃうのか」
今ごろ気づいたか。キキが警察の証拠収集能力に信を置いていない事は、かなり前から分かっていたぞ。本人だけが自覚していなかったようだが。
「まあ、どうやらわたしは本来無関係な存在だったみたいで、ちょっとほっとしたよ」あさひはふっと息を吐く。「キキの話を聞く限り、別の誰かの悪意が犯人に利用された結果として、わたしが狙われる事になったみたいだし」
柴宮酪人の名前を口に出すのがそんなに嫌か、あさひよ。
「利用されたのは確かだけど、あっちゃんが狙われた事は、実際犯人にとって計画の重要な一部分だったと思うよ」
「ん? 無関係な人間を狙う事で、警察の捜査を攪乱させるためだろう? それほど重要な事とは思えないけど」
「それだけじゃないと思うんだよね……これもまだ想像の段階だけど」
今度はどんな考えに行きついたのだろうか。キキが真相の核心に迫った時、大体いつもそんな事を言い出す。
「色んなことを整理して考えをまとめてみたんだけどね。犯人の計画の最後の一手は、金沢都知事の孫の怜弥くんを手にかけること……」
「だろうね。次があるとしたら、それが最も可能性大だ」
「そしてその前段階と言えるのが、第四の、音嶋くんの事件だと思う」
「……どういうこと?」
これはさすがにあさひもピンと来ないらしい。
「あっちゃんからコインの話を聞いた時から、ずっと心に引っかかっていたことがあるんだ。まあそれになぞらえてコインにたとえてみるけど」
「無理くりだな」と、わたし。
「この事件で殺害された少年たちの親は、城崎さんの話を聞く限り、『ボット』のメンバーである可能性が高い。なら、存在を知られたくない『ボット』にとって、その子供は一番のウィークポイントになりうる。子供の行動は常に監視しておく必要があるし、親との電話も他人に知られるわけにはいかないよね」
それは理解できる……一つ屋根の下にいて、子供に『ボット』としての活動を内緒にしておくのは無理がある。関知していない状況で、何かの弾みで知ってしまえば、子供はその事を黙ってはおけないだろう。むしろ知らせていないほうが危険なのだ。同じことは子供に知らせた後でも言えることで、何かの拍子に口を滑らせたり、『ボット』に関する親との会話を聞かれたら、それだけでアウトだ。監視は絶対に必要だろう。
「……あれ?」ここまで考えてわたしは気づく。「監視するなら、手持ちのスマホのGPSで事足りるよね。そのスマホを親との連絡専用にしても不思議はない……」
「そう。だから両親の携帯や家の固定電話が履歴にあれば、そっちが表に出せない携帯電話……いわば“裏”になって、親に内密で仲間内との連絡に使っていた方が、実は“表”だったということになるね」
「じゃあ、第三の事件で真鍋が持っていた携帯は、親に内緒でこっそり買ったものだから“表”ってこと?」
「そうなるね。知らなければコインの裏表を間違えてしまうのと同様、わたし達も警察も、あの携帯電話は表に出さない方……つまり“裏”だと思っていた。本当は、親との連絡に使っていた方が表に出せない“裏”で、その日は偶然持ち歩いていなかったんだね」
そこからすでに勘違いしていたというのか……。自然な感覚として、親や家族が関わらない手段が別にあれば、それが隠されている側面だと思いがちだ。家族との関係の方がオープンになっていてしかるべき、そんな固定観念のせいで気づけなかった。
真鍋がなぜ、その日に限って“裏”の携帯を忘れたかは分からない。もしかしたら、親に知られたくない行動をしていたのかもしれない。
「すると、真鍋くんが仲間たちに言っていた、『この携帯のことを俺の家族に言ったら死ぬぞ』というセリフも、別の意味をもつようになる」
そういえばそんな話もあった……冗談ではないとも言っていたらしいが。
「なるほど」と、あさひ。「真鍋少年が携帯電話を二つ持っている、この事実は、場合によっては表沙汰にできない携帯の存在をほのめかし、『ボット』の核心に近づくことにもなりうる。自分がそうだと真鍋少年の家族に知られたら、さっきの男性職員と同様、命の保証はできないという事だな」
「あれで一応仲間の身を気遣っていたのか……」
「それと同時に、真鍋くん自身が危うい立場に置かれることを恐れたかもしれないよ」
確かに、知られたら自分が『ボット』に消される可能性だってあるわけだし。もっとも本当にそんな事態になりえたかは定かじゃないが。
「で、同じように考えれば、音嶋くんが持っていた携帯は家族との通話履歴しかなかったから、これも“裏”ということになる。家族以外の人との連絡には使えないから、もし音嶋くんが電話で現場に呼び出されたとしたら、それは“表”の携帯が使われたはず……まあ本当に持っていたかどうかは分からないけど」
「口頭で呼び出された可能性もゼロじゃないしね」と、わたし。
「ただ、口頭だとどうしても対面の必要があるから、現場に来る前に、音嶋くんが犯人の特徴を誰かに知らせたり、どこかに記録したりする恐れもある……それを避けるなら、やっぱり携帯を使った方が安全ではあるよね。何しろ、音嶋くんの事件だけ、犯人は被害者に接近できたわけだから、回収するのは簡単だったはずだよ」
ああ、そうか。音嶋殺害の時は銃ではなくボウガンを使っていて、至近距離で射貫いてから抜き取っていた。比較的離れた場所から銃撃していた、他の四件とは違う。
「この時点で、音嶋くんが携帯を二種類持っていたことを犯人が知っていたか、それは分からない。だけど犯人は、犯行後に携帯を一つしか持ち去らなかった」
「その犯人っていうのはもちろん、主犯の指示で動いていた北原だよね?」
「用心するなら、携帯以外の記録装置の存在も念頭に入れておくべき、と主犯が指示していてもおかしくないよ。高い確率で、北原は二つの携帯を見つけただろうね。そのうえで北原は主犯に、二つの携帯をどうするべきか指示を仰ぐ。その結果が、呼び出しに使った“表”の携帯だけ持ち去ること。これこそが、重要なメッセージだと思う」
「どういうことですか?」功輔が尋ねる。
「“裏”の携帯の存在を知られたくないなら、誰に見られても不審がられないよう、二つともほぼ同じタイプにしているはず。その状況で呼び出しに使った携帯を特定するには、もう一度同じ番号にかけて、二つの携帯の反応を見るしかない。でも、銃弾消失トリックのためにはあまり時間をかけられない。一刻を争う状況なら、そんな手間をかけず、両方とも持ち去ろうとするものじゃない?」
「確かに、その方が確実ですからね……」
「でもそれが何のメッセージになるっていうの?」と、わたし。
「犯人が、二つの携帯のうち一つを持ち去った……その工作に気づけるのは、『ボット』の関係者で、音嶋くんの携帯のタイプを二つとも知っている人に限られる。四年前から音嶋くんの事をよく知っている怜弥くんなら、警察が保管している音嶋くんの所持品を、都知事のつてで直接見ることで、その事実に気づくかもしれない」
そういえば城崎が言っていた。中学生くらいの少年が、音嶋殺害の現場で警官に、音嶋の携帯を見せるよう頼んでいたらしいと。それが怜弥少年だったのか?
「真鍋くんが殺害された時点で、金沢都知事の口から『ボット』関係者に事件のことを知らされたら、音嶋くんも怜弥くんも間違いなく慌てたはず。何しろ、狙われたのは四年前に聡史くんをいじめていたメンバーばかりだからね。だからしばらくは目立つ動きを控えるようになる。そこで、あっちゃんの事件が利いてくるんだよ」
「そうか……四年前の事件と無関係なわたしが同じ手口で狙われた事で、二人とも気を緩めてしまったわけだな。というより、そうなるよう仕組まれた」
ようやくあさひの事件が計画の核心に繋がった。あれは、最後までこの復讐計画を遂行するための、大事なステップだったのだ。
「うん……そうして油断した音嶋くんと怜弥くんは、今後どう動くべきか相談するために接触を図る。でも実際は犯人がそれを仕組んだのだから、目をつけられるのも自然なことだった……具体的な方法は分からないけど、二人の連絡手段に介入する形で、会って話をする場所が例の立体駐車場になるようにした。二人の動きは随時把握できるようにしていただろうから、方法なんていくらでも思いつけたはずだよ」
「それで、あの場所で殺される事になったわけか……」
「トロフィー事件の後に金沢都知事が言ってたでしょ? 怜弥は時間にルーズだって。その性格によって、多少ながら待ち合わせに遅れてしまう事も、犯人は計算していた。その間に音嶋くんを殺害、後から来た怜弥くんは何らかの形で携帯電話の違和感に気づく。こうして、『ボット』を知る人間の脅威に気づくように……この計画は仕組まれた」
「つまり、怜弥少年に向けた脅迫メッセージってこと?」
「いくら都知事の孫とはいえ、中学生だからね。それなりの効果はあると思うよ」
強力なプロテクトを持つ都知事の孫に、精神的な攻撃を与えるために、これほど練りに練った計画が実行されたのか……入念に相手の事を調べ上げたうえで。銃弾消失トリックもまた、『ボット』を知る者の存在に信憑性を与える効果があった。あらゆる工作が、計画遂行のために欠かせないピースとなっていたのだ。
恐るべき執念と冷徹さが感じられる。一人の少年の死が、もとい『ボット』という悪なる存在が、ここまで壮大な復讐劇に繋がっていくなんて……。
「でも」功輔が反論する。「携帯を片方だけ持ち去ったくらいで、意図したように脅威を感じてくれるでしょうか? 場合によっては、たまたま見つけられなかったとして片づけられる事もあるのでは……」
「“裏”の携帯をあえて残すことに意味はあったと思うよ」あさひが答える。「いつも持ち歩いている“表”の携帯と違って、“裏”の携帯は所持品から無くなっても、警察などが特に重要視しない。となれば、怜弥少年も即座には気づかない恐れもある」
「それに、“裏”の携帯をあえて残した事が、怜弥くんへの脅迫にも繋がるんだよ」
「どういうこと?」今度はみかんがキキに尋ねた。
「本来、『ボット』メンバーの間に横の繋がりはない事になっている。外側の人たちにはそう思わせておかないと、芋づる式に捕まってしまうからね。つまり、『ボット』内部で使用する“裏”の携帯には、他のメンバーの記録などを残してはならない。だから、あるとすればそれは“表”の携帯という事になる」
「そっか、そっちなら無関係の人のデータもあるから、メンバーの記録があってもごまかせるんだ」
「そういうこと」キキはわたしに向かって頷いた。「横の繋がりは“表”の携帯を使っていた……ならば、四年前から続く五人の少年の関係は、すべて“表”に記録されている事になる。それが持ち去られたとなれば……」
「なるほど、分かりました」と、功輔。「持ち去られた音嶋の“表”の携帯には、金沢怜弥の連絡先が記録されている。相談のために一度接触を図ったなら、記録を見つけ出すのはたやすい。つまり、犯人が金沢怜弥に接触することが可能になった……」
「そう。おかげで最後の復讐が非常にやりやすい状況になった。標的にされた人間にとって、これ以上に恐ろしい状況はないと思うよ」
「まったく……」あさひは腕組みをして天井に顔を向けた。「普段の勉強でもそのくらい頭を回せたらいいものを」
「あさひ、それは言っちゃ駄目だって……」
優しいみかんは気を遣ってくれるが、キキはそのくらい言われても気にしないぞ。基本的に馬耳東風なのだ。
とにかく、都知事の孫という事でプロテクトは堅かったが、現状では何ら意味を持たなくなってしまった。すべては犯人側に有利なまま、状況は進み続けている。わたし達はようやく今、犯人の思考に追いついたばかりだ。
……というか、さっきまで根本的に事件の構造を誤解していたのに、こんな短時間で追いつくというのも十分驚異的だ。わたしにはキキの頭の構造の方が分からん。
「そうなると、怜弥少年は祖父の金沢都知事に相談するかもしれないわね」
あさひが言った。当然といえば当然の流れだ。
「仮にそうなったとしても、それは犯人の想定内だと思うよ。音嶋くんの“表”の携帯を手に入れた時点で、対策はいくらでも立てられるだろうし……まあ、実際に犯人がわたしと同じことを考えたとしても、いざ実行して上手くいったかどうかは分からないけど」
「それは都知事側の動きが分からないとどうしようもないわね。犯人の企み通りになったかどうかで、今後のあんた達の具体的な方針も変わるだろうし」
「あんた達、って……あさひは被害者なのにこっちに加わらないの」
「どうせあんた達が全部何とかしてくれると思ってるから、今さらわたしが主体的に関わる必要はないと思っているだけ」あさひは欠伸しながら言った。「今回みたいに必要とあらばためらわず出動するけどね」
「今日はもう出番ないから一緒に帰ろうって言ってたよ」と、笑顔のみかん。「基本的にだらだらするのが好きなんだよね」
「みかん、それは言っちゃ駄目だって……」
あさひも気にはしないだろうけど、一応忠告しておいた。
「で、正直なところ、キキはこれからどうしたい?」あさひが尋ねる。
「どうって?」
「犯人の計画はほぼ見抜いたわけだが、最後の標的をどのような形で狙うのか、そこまでは分かっていない。まだ計画のすべてが遂行されたわけじゃないと思われるけど、キキは犯人の計画を阻止したいか? それとも……」
「まだ決めてないよ」
キキは隠そうともせずに答えた。これが小説に出てくるような名探偵なら、ほぼ確実に止めようとするだろうけど、こいつの場合は違うのだ。
「この事件……誰が本当に罪を犯しているのか、わたしはよく分かってない。百パーセント正しい事をしている人間も、本当は一人もいないのかもしれない。これはね、推理だけじゃ解決できない事件なのかもしれないよ」
それほど難しい話なのだろうか……。質問したあさひは、じっと見返してから言った。
「……美衣が聞いたらこう言いそうだな。推理だけで解決できる事件なんて、フィクションの中でしか起きないって」
キキはぷっと吹き出し、遠慮がちに微笑んだ。うぅむ、美衣なら言いそうだ。
「確かにそうだね。まあ今のところは……」キキは天井を眺める。「犯人、というのは北原をバックアップしている人物が特定できないから、何ともいえないかな。どんな人が犯人であるかによって、対応は変わってくるよ。そこはあっちゃんの言う通り」
「まだしばらく推理の出番は続きそうだな」
「というわけで!」キキはパンと手を叩いた。「この話は終わり!」
がくっ。わたしは脱力してずっこけた。無理やり話題を変えるとは、最後まで場を引っ掻き回すのが使命とでも思っているのか、こいつ。
「それより、この機会にあっちゃんに訊いておこうと思ってた問題があるんだ」
「問題? どんな?」
「天秤と分銅を使って特定の重さを量りだすっていうものだけど……」
どこかで最近聞いたような話だな……って、わたしの担任の横村先生が出した問題じゃないか。
「一グラム刻みで四十グラムまで量るには、最低何種類の分銅が必要になるか、っていう問題」
「ちょっとキキ」わたしは一つ文句を言いたくなった。「それについてはもう答えを出していなかった?」
「あれはただの直感だよ。具体的に何グラムの分銅が必要か、そこまではまだ考えてなかったから」
「……わたしがその話をしてから、ずいぶん時間があったと思うけど」
「いやあ、あれから色んな話が入ってきて、まともに考えられなかったんだ」
こいつは昔からこれだ。一つの事を考え出すと他の事に手が回らなくなる。
「四十グラムね……それなら、一、三、九、二十七の四種類で足りる」
案の定、あさひはわずか数秒で答えを出した。数理問題ならお手のものだ。
「えー?」みかんは納得していない。「たった四種類で、一グラムから四十グラムまでぜんぶ量れるの?」
「量れるよ。三進法の考え方に則ればね」
同じく瞬時に答えを出した要綾子も、同じことを言っていたような……。
「その三進法? というのをどう使うんです?」と、功輔。
「二進法の考え方によって、すべての自然数が二の累乗数を一回ずつ使った足し算で表せるように、すべての自然数は三の累乗数を一回ずつ使った足し算と引き算で表せる。例えばキキ、四十以下の自然数を一つ言ってみて」
「じゃあ、三十一」
「一たす三たす二十七」
「うおう」あさひのあまりに速い計算に、キキは反射的に声を上げた。「二十五」
「一たす二十七ひく三」
「すごーい」
みかんは感心して拍手し始めた。いや確かにすごいけど、この問題と何の関係が?
「三十一グラムを量りとるなら、天秤の片方の皿に、一、三、二十七グラムの分銅を置けばいい。そして二十五グラムの場合は、片方の皿に一グラムと二十七グラム、そして量りたいものと同じ側の皿に三グラムの分銅を載せれば、ぴったり釣り合うだろう?」
「そっか、あえて両方の皿に分銅を載せるのか」と、わたし。
「そう。量りたいものと分銅を、別々の皿に載せる必要はないからな」
通常の量り方なら別々の皿に載せるから、その答えには容易に辿り着けないな。思い返せば、綾子も「実践には向かない」と言っていた。確かにこれは、数学的な発想だけが求められる問題なのかもしれない。
「まあ、種類だけを問題にするなら、一グラムの分銅を四十個用意すれば、一種類で済むわけだけど」
「それは問題としてあまりにつまらんな」
というか数学の問題として不適当が過ぎる。分銅の個数という面でも、必要最低限のレベルを考えるべきだろう。あさひの答えなら、四個で十分なわけだし。
「なるほど、別々の皿に載せる必要はない、か……」
キキは何を思ったのか、自分に言い聞かせるように唱えていた。直感的とはいえ答えを出せていたのに、改めて深く納得する要素などあるだろうか?
しかし……せっかく多少は明るい話題になったと思ったのに、もう終わってしまった。事件の話はどんなに続けても明るくなどならないし……まあそれは当然だが。どうしたものか、と思っていると。
「おお、待たせたね、君たち」
中道刑事が入室してきた。中学生相手に遠慮はいらないと思ったのか、ノックなしで。
「書類の作成は終わりましたか」と、キキ。
「まあな。それと、骨髄からのDNA抽出については、警視庁の科捜研に依頼しておいたよ。科捜研は大多数が警察官じゃないから、都知事の影響力もそれほどじゃないし、問題はないと思う。もっとも、抽出したDNAの鑑定には時間がかかるがね。人員が足りないから未鑑定のサンプルが山ほどあると言われたよ」
「DNA鑑定が本格化したのは今世紀に入ってからで、十分な技能を持った人間が集まっていないでしょうから、致し方ないですね」あさひが言った。
「そもそも、比較できるサンプルがないと話にならないとも言われたよ。まあ、予想していた事ではあるがね。それと、うちの鑑識の見立てだと、あの遺体は死後五年以内のものだという事だ。四年前に殺害されたとして、不自然な所はないらしい。死因については、白骨化しているために特定は難しいと」
やはりさそりのお父さんの時みたいに、簡単にはいかないか……。
「比較用のサンプルを入手しようにも、我々はその事件のことを何も知らんし、本庁の手助けを受けたら都知事に止められるかもしれないんだろう? できれば君たちで、失踪した都庁職員とやらのDNAを入手できないものかね」
「中学生に証拠集めを任せるって……」わたしは呆れる。
「それも含めて、わたし達はすぐ星奴町に戻った方がよさそうです」と、キキ。「まだ調べていないポイントがいくつかありますので。調書作成が終わったならいつでも出られそうですし、腹ごしらえも済ませましたし」
「別に俺は君たちを引きとめていたわけじゃないし、昼飯を済ませたなら、ひとこと言えばいつでも帰れたぞ」
「いえ、中道刑事の車で送ってもらおうかと思いまして。駅には星奴署の刑事さんが待ち構えている可能性がありますので」
監察官を使ってストップをかけても、時間が経てば分からなくなると思ったわけか。その辺はやはり慎重だ。というか、中道刑事の仕事が終わるのを待っていたから、別の話題で時間を繋いでいたのか。
「まったく、どこまでも都合よく使ってくれる……言っておくが、俺の車は五人も乗せられないぞ」
呆れてもキキの頼みは聞いてくれるのだな、この老刑事。
「あ、わたしはみかんと一緒にヘリで帰るので、そっち側の三人だけどうぞ」
あさひが軽く手を挙げて言った。みかんはあのヘリを会社に返さないといけない。
「うむ……五分ほど待っておくれ。外出の準備をしてくる」
そう言って中道刑事はまた廊下に出ていった。翁武村から星奴町まで、車を使っても片道で一時間半……ちょっと行って戻ってくる、という距離じゃない。あらかじめ上司に許可を取っておく必要はあるだろう。彼の場合、上司がいてもみんな年下だが。
ところで、キキは星奴町に戻って何を調べるというのだろう。彼女の閃きのアンテナが感知したもの、それはどうしたって他人には分からない。彼女にとっては、目に見えるすべてが大事な手掛かりなのだ。