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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
4/53

その4 銃撃事件

 <4>


 銃撃だ、と気づくまで時間はかからなかった。

 商店街のこの一角に、混乱は一気に広がっていった。首を撃ち抜かれた少年は、さながら糸の切れた操り人形の如く、膝から順に崩れて倒れた。仲間の少年たちは何が起きたのか頭の中で整理できないようで、怯えた表情を浮かべながら立ち尽くしていた。留まる事のない流血を前にして、少年に接近する者は皆無だった。

 ……いや、一人だけいた。少年が倒れてすぐに、キキが駆け寄った。キキは少年の体を揺すって呼びかけた。

「ちょっと、大丈夫? しっかりして!」

 遠目だからわたしには判別しにくいが、少年に覚醒の気配はない。

 わたしは視界の端に、向かいの建物の屋上に(うごめ)く人影を捉えた。まさか、あれが少年を撃った犯人か。その事に気づいてすぐに、わたしの足は動き出した。

「もっちゃん!」

 わたしが商店街の道を横断し始めたのを見て、キキは叫んだ。残念ながら呼び名について突っ込んでいる余裕はない。

 クリスマス商戦で混みあう幅の長い道を、人の流れを縫うように突き進んでいく。怪しい人影のあった廃ビルは五階建てだ、屋上から地上に出るまでに、わたしの方が先に建物へ辿り着く。単独で確保はできなくても、せめて犯人の特徴だけでも知っておきたい。

 廃ビルの出入り口であるガラス戸を開けて、内部に足を踏み入れる。電気が来ていないらしく、窓以外に光が射し込んでいる所はなく、室内は薄暗かった。

 わたしは急いで階段を探した。電気が来ていないのならエレベーターは無視すべきだ。犯人も恐らく階段を使うだろう。外のあの騒ぎの中で、建物の中に踏み込んでくる人がいるとは考えないはずだ。階段を駆け下りて、そして裏口などから脱出すると見た。

 あった。わたしはなるべく音を立てないように階段を上った。元より暗いので、慎重に上らざるを得ないのだが、犯人を必要以上に追い詰めるのは危険だと思ったのだ。予想外の所で人と出くわした時の方が、相手に時間的余裕を与えない。つまりわたしを突破するための方策を考える時間が無くなるのだ。

 二階まで来たが、犯人が降りてくる気配はない。よもやまだ屋上にいるのか。わたしが目撃した時点ですでに身を引っ込めていたようだったが……。

 その時、静寂の中で微かに音が聞こえた。階段を駆け下りる音。だがそれは、今わたしが上がって来たコンクリートの階段ではなく、金属製の階段を踏み鳴らす音に聞こえた。しかもそれは真上ではなく、横方向から聞こえる。

「……しまった!」

 わたしはなんて間が抜けているのだろう。金属製の薄いステップが使われているのは、屋外に併設している非常階段と相場が決まっている。犯人は最初から非常階段で地上へ降りるつもりだったのだ。

 しかし、非常階段が設置されるのは広い道に面した場所だ。そうでなければ避難がスムーズにいかないからだ。その非常階段を屋上から駆け下りてきたら、嫌でも地上にいる人たちの目についてしまうのに、なぜそんな危険を冒してまで……。

 非常階段に通じるドアを開けた時、その答えが分かった。螺旋状になっている非常階段を覆うように、カバーが掛けられていたのだ。恐らく補強工事が行われているように見せかけているのだろう。駆け下りる音がしても、姿さえ見せなければ怪しまれる事はない、そう踏んだのだ。なんて計画的な犯人なのだろう。

 鉄柵から身を乗り出して下を見ると、黒いジャケットの人物がゴルフバッグらしきものを背負い、バイクに跨って今にも発進しようとしていた。

「くそっ!」

 わたしは反射的に苦言を吐いた。もう階段を普通に降りていては間に合わない。坊っちゃんみたいに無鉄砲なわけじゃないと内心で言い訳をしながら、わたしは鉄柵を越えて五メートル下の地面へ飛び降りた。

 地上に到達してすぐ、受け身を取りながら前転した。両足に衝撃のダメージを残さないようにするためだ。即座に体勢を整えて、バネのように膝を伸ばして立ち上がった時、バイクはエンジン音を轟かせ、今にも発進しそうになっていた。

 先々月の事件では、逃走するワゴン車を自転車で追いかけた事があったが、今は丸腰の状態で、とてもバイクを追跡する事はできない。わたしは急いでスマホを取り出し、カメラのアプリを起動させた。

 バイクが走り出した。わたしはバイクと犯人が全体に映るようにフレームとピントを調整し、走り去ろうとする犯人を連写してスマホに収めた。瞬く間に、犯人を載せたバイクは彼方へ遠ざかっていった。

 二階から飛び降りるなどの目立つ行動に出れば、犯人がこちらを向くかもしれないと思ったが、期待に反して犯人は一度も振り返らなかった。とはいえ、バイクに跨った時点でヘルメットを被っていたから、もし振り向いても顔は確認できなかっただろうけど。結局撮影できたのは後ろ姿だけだった。とっさのことでフォーカスを合わせる余裕もなかったが、一枚くらい綺麗に撮れたものがないだろうか……。

 データを確認すると、ブレの少ない写真が二枚見つかった。バイクの後部を拡大したところ、ナンバーもしっかり判読できた。小説やマンガだと、計画的犯罪で使われる車両はたいてい盗難車だけど……まあ、分かって損する事ではないだろう。警察が到着したらちゃんと写真のデータを渡したいので、SDカードに写真をコピーした。

 刹那、ほぼ無意識に嘆息(たんそく)をついていた。……わたしは何をしているのだろう。

 廃ビルの両隣に人が通り抜けられるだけのスペースはなかったので、わたしは廃ビルの中を通って現場に戻った。警察はまだ来ていないが、さっきより野次馬が増えていた。キキはまだあの中にいるだろうか。

 ここに集まっている人たちの多くは、ただの興味本位で近づいた傍観者だ。よく分からない事が眼前で起きて、何事か知りたいという欲求だけで動いている。誰が誰にどのようにして殺されたのか、自分が満足する所まで知れたらそこで終わりだ。傍観者たちにとっての真実などその程度でしかない。当事者がどう思おうとも……。

 人ごみを掻き分けて中心部へと向かっていく。野次馬たちは、倒れた少年から一定の距離を置いていた。仲間の少年たちも同様だった。例外は、少年に向かって合掌し、微かに俯いて瞑目しているキキ、ただひとり。

「キキ、その人は……」

 わたしが呼びかけると、キキは薄く目を開いて答えた。

「……救急車を呼ぶ必要が、なくなった」

 やはり息絶えていたか……首を通る太い動脈は、脳に直接つながっている。そこを切断されれば脳に血液が供給されず、短時間でショック死する。犯人はビルの屋上という高低差のある場所から、正確に首の動脈を狙って撃ち抜き、瞬時にして死に至らしめた。素人目には動脈と静脈の判別さえ難しいというのに……。

 キキは立ち上がった。思いつめたような表情だった。

「警察にはさっき通報したよ。なんか、誰もやろうとしなかったから」

 言われて周りの野次馬たちを見渡すと、衝撃のあまり何もせず立ちすくんでいるか、スマホなどの端末を取り出しても現場の撮影をしているかの、二種類しかなかった。異常事態に直面した時、人は無関係の他人になる事ばかり考えるのだろうか。関わりを避けることに全精力を傾けるとでもいうのか。

 いったい彼らは、どこまで行けば“関係者”になると思っているのだろう。当事者でなければ関係者じゃない、その程度の認識なのか。

 わたしはかぶりを振った。答えなど、いくら考えても出るはずがなかった。

 少年の首からはまだ鮮血が流れ出ているが、他にも地面に流れて広がっている液体があった。漂うにおいがあまりよろしくなくて、掃除の一つでもしたいところだけど、警察が来るまでは、不用意に現場をいじるわけにいかなかった。

 貫通した弾丸が撃ち込まれ、穴の開いたおでんの鍋から溢れ出した、おでんの汁だった。帰りに買おうと思っていたが、諦めるしかなさそうだ。


「まさか、年を越す前にまた会うことになるなんてね……それも、こんな凄惨な現場で」

 警視庁星奴署、刑事課強行犯捜査係に所属する友永(ともなが)刑事は、現場に到着してわたし達の姿を見て驚愕し、そして事情を聴いた後にそう呟いた。

「年を越してから会った方がよかったですか?」と、キキ。

「僕と会うということは、凶悪事件に出くわすということだよ? 何回年越しをしたって合わない方がマシに決まっているじゃないか」

 要するに友永刑事は、運命のいたずらでまたわたし達と会うとしても、一年も経った頃になるだろうと思っていたのだ。実際には、二ヶ月足らずで再会したわけだが。

 先々月にキキが解決に導き、その存在感を知らしめた刑事事件で、担当した所轄の刑事の一人がこの友永刑事である。初対面からどこか間の抜けた言動を見せて、どこか頼りない印象を与える人ではあるのだが、一応いざという時には機敏に動ける人だ。優男然とした外見から分かる通りのお人好しであり、わたし達のいい情報源になっている。

「今日は二人だけで帰っていたのかい?」

「途中まであさひも一緒でしたけどね。今日はこれから、明日みんなで食べる夜食の買い出しに行く所だったんです。向こうのスーパーに」

「夜食って……まあ、そっちの詳細は訊かないでおくよ」

 友永刑事は基本的に空気の読める人である。いや、キキと比べればほとんどの人は空気が読める方だ。

「それで、犯人があの廃ビルの屋上から撃った事は、間違いないんだね?」

「実際に撃った瞬間を見たわけじゃないですけど、ゴルフバッグらしきものを背負っていたところは見ました」

「ゴルフバッグ……その中にライフルでも入れていたのか」

「断定はできませんけど」キキが言った。「おでん鍋に開いた穴の位置と、撃たれた男の子が立っていた位置と身長から見て、屋上から撃ったというのは妥当だと思います」

「屋上か……」友永刑事は問題の廃ビルを見た。「それほど距離があるわけじゃないが、角度もあるし、あそこから首筋を狙うのは容易じゃない。犯人は相当の腕利きだと見た方がいいな。他に、犯人について気づいた事は?」

 わたし達を信用してくれるのはいいけれど、特定の一般人にばかり踏み込んだ質問をするのはいかがだろう。まあ、こちらとしては願ってもない事だが。

「一応、大体の身長と体格と、逃走に使ったバイクの種類、ゴルフバッグの背負い方の癖などが分かりますけど」

「…………え?」

「スマホで写真を撮っておきました。慌てていたんで連写でしたけど、二枚ほど綺麗に撮れたやつがあるんで、そのデータを提供します。ついでにピンボケのやつも」

「あ、それはどうもご丁寧に……」

 偶然に出くわしただけの女子中学生が冷静な対応をしていた事に、友永刑事は驚きを隠せないようだ。わたしはスマホから取り出したSDカードを友永刑事に手渡した。その様子を、キキがじっと見ていた。

「もっちゃん、よくSDカードなんて持ってたね」

「え? ああ、まあたまたま……」

 頼むからその辺は突っ込まないでほしい。無駄に焦るだけだから。

「ところで、殺された男の子の身元は分かったんですか」

 幸いにもキキはそれ以上踏み込まなかった。

「…………」友永刑事は渋面を浮かべた。「警察の公式発表がまだだから、誰にも言わないでくれよ? とりあえず君たちの事は信用して話すけど」

 信用はするけど念押しは忘れないのだな。前回の事件で色々振り回されたから、若干警戒しているのかもしれない。まあ、キキが相手ならそれで正しいけど。

「被害者の名前は、近くにいた友人の証言から、真鍋(まなべ)俊成(としなり)、十五歳と分かった。絵笛地区在住で、絵笛中学校に通っている」

「やっぱりみかんと同じ学校だ……」

「友人を連れてこっちに来たところだったそうだ。命を狙われるような覚えはないそうだけど……」

 感触としては微妙という所か。銃の扱いに慣れた人物とは、プロのスナイパーのことだろうか。そんな人物が中学生を狙う理由とは何だろう。あるいは、特に標的を決めていない通り魔的な犯行なのか。その可能性もゼロではないだろうが……。

「友永さん」同じ係の福島(ふくしま)刑事が駆け寄ってきた。「おでんの鍋の中を調べましたが、やはり弾丸は見つかりません」

「くそっ、またか……」

「穴が開いて中身がこぼれたおかげで、具材を取り出すだけで鍋の底まで見えるのですが、それらしいものはどこにも……もちろん、具材の中にもありません」

「鍋自体を貫通した様子はないし、一体どうして……」

「あのぉ」

 わたしが声をかけると、二人の刑事は揃ってこちらを見た。聞き漏らすべきでない言葉があちこちにあったように思えたのだ。

「お話し中のところ失礼ですが、『やはり』とか『またか』とか、まるで前例があるかのような口ぶりでしたけど」

「いや、これは、えっと……」

「友永さん、まさかまたこの子たちに……」福島刑事は呆れながら言った。

「仕方がないだろう、話さなきゃ引っ込みがつかないんだから」

「要するに」キキがよく通る声で言った。「これは連続殺人なんですね。星奴町内で銃撃事件が複数起きていて、いずれの現場でも銃弾が不自然に消えていて、しかも被害者は全員中学生」

「えっ……」友永刑事は瞠目した。「なんで被害者の事まで……」

「警察って、滅多なことじゃ連続殺人だと断定しないと思うんですよ。確かに日本で銃撃事件は少ないですけど、同じ町内、銃弾が消えているというだけじゃ、関連性を疑うまでには至らない。というか、銃弾を捜索した結果が出る前から、見つからないのではないかという予感があったみたいですし、通報を受けて駆けつけた時点で、連続殺人の一環だと疑うだけの要因があったのではないかと思ったんです」

「確かに、同じ町内で中学生ばかりが続けざまに銃殺されたら、関連性を疑わない方がおかしいね」

 相変わらず、ここぞという時の閃きは群を抜いている。肝心な時を除いて発揮される事がないという点も、相変わらずであるが……。

「ははは……」友永刑事は乾いた笑いを漏らした。「その見た目にそぐわない勘の良さは健在のようだね」

「ひとこと余計ですよ」キキは唇を尖らせた。

「それじゃあ、やっぱりそういう事件が? 初耳ですけど……」

「うーん……」友永刑事は頭髪を掻きながら言った。「この件は現状、マスコミにもまだ公表していない事だから、この場で説明できる事は少ないけど……」

「でも説明はするんですね、友永さん」

 福島刑事からすれば、最初から頑なに断れば悩む事もないのに、と言いたいところだろう。恐らく友永刑事は、ここで説明を渋ればさらに引っ掻き回されると思っているから、強気な態度に出ることができないのだ。

「まあ、大枠はキキちゃんの推察通りで、一日おきに男子中学生ばかりが銃撃を受けて死亡する事件が発生している。今日で三件目だ。被害者はいずれも星奴町内在住の十五歳だけど、現段階でそれ以外の共通点は見つかっていない」

「星奴町に住んでいる十五歳の少年なら百人近くいますから、そのうちの三人では微妙な割合ですね」と、わたし。

「ああ。学校もバラバラだし、銃で狙われるほどの動機も不明。現場から銃弾が消えた理由も判然としない。そもそも銃弾が発見されないおかげで、凶器の銃がどういう種類なのか分からなくて、それも捜査が停滞している要因の一つなんだ」

 そういえばミステリーだと、銃弾の種類から使われた銃の種別が分かる、という展開が見受けられる。銃器には固有の形態があるから、使える弾丸も限定されるという理屈だ。わたしにはさっぱり区別がつかないが。

「ただ一つ言えるのは、この事件の犯人が徹底して証拠を残さないように動いているという事だ。さっき廃ビルの屋上を調べた鑑識から報告があったけど、直前まで誰かがいた形跡はあるけれど、硝煙や(すす)などの残滓(ざんし)物は一切検出できなかった。たぶん、もう少し精密に調べれば出てくるだろうけど、その程度では火薬の種類さえ分からない。つまり、個人を特定できるような痕跡は何一つ残さないように、用心深く行動しているんだ」

「もう一つ、はっきりと分かる事がありますよ」

 キキが人差し指を立てて告げた。友永刑事は片方の眉を上げる。

「四日経っても犯人の行動はおろか動機さえ掴めていない。だから、もしこの件が公になろうものなら、中学生の子を持つ親たちから一斉に非難や罵声を浴びることになります。英断でしたね、この件を公表しなかったのは」

 キキはにこりと笑った。彼女に警察を侮辱しているつもりは微塵もない。ただ思った通りの事を言っているだけである。天然とは恐ろしいものだ。

「まあ、いずれは隠し通せなくなるでしょうから、早めに周知させて批判を最小限にとどめた方がいいと思いますけどね」

「あ、いや……」強烈な毒舌に気力を削がれた友永刑事。「刑事事件のマスコミ対応は、本庁の意向を抜きにして所轄署が行えることではないから……」

「ドラマでもよく見ますけど、警視庁ってそんなに立場が高いんですか」と、わたし。

「そりゃあ、首都警察の中枢だからね。所轄署はあくまで現場における実動部隊に過ぎない。本庁の刑事は、現場での捜査はあまりしないで、所轄の捜査結果をまとめて捜査本部で報告するのがほとんどだからね」

「楽な立ち位置ですね」

「重大な事件でなければ、所轄署に赴く事さえないよ。あるとすれば、所轄から本庁への報告に不備があった場合に、その時々の判断で直接確認する時くらいだし。だけど、所轄がその地域での事件だけを基本的に捜査するのと違って、本庁は東京都で発生する刑事事件すべてを担当するから、多忙さは所轄の並みじゃないよ」

 決して楽な役回りだけを任されているわけではないのか。警察官個人に非番が与えられる事はあっても、警察全体が休むことは一秒もない。所轄でも本庁でも、年中いつでも起こりうる事件に対応するのだから、仕事量に差があるわけじゃないのだ。

「友永さん」星奴署刑事課の女性刑事、紀伊(きい)刑事が呼びかけた。「被害者の連れの少年たちへの聞き込み、終わりました。それから木嶋(きじま)さんから電話で、六時から捜査会議が始まるそうです」

「分かった、それじゃあ報告は車の中で」友永刑事はそう答えると、わたし達に向き直った。「残念だけど、これ以上の情報提供は無理だ……まだやることもあるし」

「いえいえ、それほど残念じゃありませんよ」笑顔でキキは手を振る。「むしろ、皆さんの捜査が残念な結果にならないように、わたし達も祈っていますから」

「素直に歓迎したくない激励だな」

 友永刑事は頬を引きつらせながら言った。本当に、誰が上手い事を言えと……。

 警察が現場を去ってからも、好んで接近する人は現れなかった。被害者である真鍋の遺体は搬送され、青果店の前は黄色いバリケードテープで封鎖されている。誰も進んで殺人現場に足を踏み入れようとは思わないのだろう。アスファルトの地面にこびりついた血液はすでに黒く固まっているが、こぼれ出たおでんの汁は綺麗に取り除かれている。

 ただ、まだ何か名状しがたいにおいが残っているような気がする。例えられるものが思いつかないが、不快なにおいである事に違いはない。

「さて、と」パトカーが去った事を確認して、キキは体の向きを変えた。「真鍋くんのお連れさん方、ちょっと訊きたい事があるんだけど」

 真鍋の友人たちは、あからさまにこの場から立ち去ろうとしていたが、キキに呼び止められて肩をびくりと揺らした。三人いるが、全員が蒼い顔をしている。

「な、なんだよ、お前まで……」

「大丈夫だよ。滅多切りとかフルボッコとかするわけじゃないから」

 キキがにこやかに言った事で、少年たちは完全にすくみ上がった。大丈夫だと思わせる気が皆無であった。たぶん他意はないのだろうけど。

「ここって、真鍋くんや皆さんがよく使っていたルートだったりするの?」

「あ、はい……よく、というか毎日使っています……」

 怯懦(きょうだ)につられて言葉遣いが急に丁寧になったな、この不良たち。

「毎日? でも君たちって、絵笛中学校の生徒じゃないの? ここは明らかに絵笛中の生徒が使う通学路じゃないと思うけど」

「よ、寄り道くらいしますよ。絵笛には遊べる場所があまりないし、ここ半年くらいはずっとこっちに来ていますし……」

「そっかあ、もう公園で遊ぶような年齢じゃないものねぇ」

 いったい何に納得しているのか、キキはしきりに頷きながら言った。

「なんか思い切り馬鹿にされているような……」

「じゃあ次の質問だけど」キキは少年たちの不満を無視した。「真鍋くんの携帯のアドレスを知っている人って、どのくらいいるか分かる?」

 携帯のアドレス? キキは何故そんな事を訊くのだろう。

「真鍋さんのメアドか……同い年の友人くらいじゃないかな。友人といえる人がそもそも少ないけど」

「あれ、親御さんとかは知らないの?」

「たぶん知らないんじゃないかな……前に真鍋さんが言ってたけど、普段使い用の他にもう一つ携帯を持っているそうですよ」

「携帯を二つも? じゃあ、君たちはそのもう一つの携帯のアドレスを……」

「いや、俺らは知りませんよ」少年は首を横に振った。「真鍋さんの携帯のアドレスはどっちも知りません。お互い頻繁に連絡を取り合うほど親しいわけじゃないし」

「そういえば同じくらいの年頃なのに、真鍋くんのことを“さん”付けだね」

「逆らってボコにされた奴を何人も見てきたから、タメ口なんて利けないんだよ。携帯の話を聞いた時も、真鍋さんの家族に忠告(チク)ったら死ぬって言われて……」

「家族にも内緒なんだ。でも、死ぬっていうのは大袈裟な……」

「俺らもそう言ったら、冗談なんかじゃねぇってマジな顔で言われたんだよ」

 なるほど、真鍋俊成は不良少年の集団の中でも、リーダー的な立ち位置であったのは間違いない。道理で、道端でぶつかっただけのわたしにも尊大な態度を取っていたわけだ。怯える取り巻き達に持ち上げられて、調子に乗っていただけだろうけど。

 しかし、家族に内緒で中学生が二つ目の携帯を買う……そんな事が可能なのか。携帯電話会社から自宅に請求書が送られたら、一発でばれてしまうはずだが。それとも、別の住所を登録しているのか? 中学生にできる事とは思えないが……。

「じゃあ、真鍋くんは君たちを友人だとは思ってなかったんだね」

「友人なんて、こっちから願い下げだよ。関わったら最後、逃げ道を奪われてしまうんだからな」

「付き合いはちゃんと選んだ方がいいよ。それで、真鍋くんは普段から二つの携帯を両方とも持ち歩いていたの?」

「いや……俺らが見る限り、使っていた携帯は一種類だけだったけど」

「ふうん、もう一つは家にでも置いていたのかな。そもそも、真鍋くんはなんで携帯を二つも持っているの?」

「さあ。俺らや家族も知らない所で、さらにあくどい事でもやってるんじゃないか。それより、さっさと話を終わらせてくれ。早く帰りたいんだ」

「待って、あと一つだけ訊きたい事が」

「しつけぇよ。なんで刑事でもねぇあんたにいつまでも拘束されなきゃならないんだ。鬱陶(うっとう)しいんだよ」

「ん? なんか言った?」

 キキは柔らかな笑みを浮かべて、ちょこんと顔を傾けた。

 少年たちはまた肩をびくりと揺らした。さっきキキが微笑みながら脅し文句をかけたことで、キキの笑顔に無意識に恐怖心を覚えるようになったらしい。いわゆる古典的条件反射というやつだ。キキがこれを意図してやったのかは分からないが……。

「い、いえ、何でもありません……」

「そう? だったら質問に入るけど、真鍋くんが命を狙われた理由……心当たりは何もないの?」

 少年たちは口をつぐんだ。中には視線が定まらなくなった人もいる。どうやら図星を射られたらしい。

「あるんだね」キキも気づいて言った。「警察にも言ってないのかな」

「……調べりゃ警察も分かる事だけど」少年の一人が重い口を開いた。「真鍋さん、以前に人を殺した事があるって、自慢げに言ってたんだ……」

 キキの笑顔がここにきて強張りを見せた。不良だから軽犯罪はいくつかやらかしていると思っていたけど、殺人というワードが出てくるとは予想外だった。

「……いつのこと?」キキは低い声で尋ねた。

「詳しい事は知らない。この事も、絶対に他人にはバラすなって言ってたし……本当のことかどうかも分からない。だけど真鍋さん、『こんなのお前らには真似できねぇだろ』とか言って、自慢げにその事だけ語っていた……一度だけだけど」

 何だ、それは……。わたしは、意識が遠のきそうになった。

 真鍋少年が殺された事を正当化する気はないが、話に聞くような真鍋の態度には、憤りを通り越して呆れてしまう。不良とはすなわち、悪事を悪事だと自覚しない人間の事を指す。人の命を奪う事を自慢材料にするくらい、真鍋にとって殺人は軽い事なのか。

 それなら十分に、真鍋を恨む理由になるだろう。だからと言って、真鍋を殺害していいことにはならないが。

「……その話を聞いた時、君たちは正直どう思ったの」

 キキは鋭い視線を向けて言った。少年たちは俯きながら答えた。

「そりゃあ、いくら何でもやり過ぎじゃないかって思ったけど、やっぱ、真鍋さんの言った通り、そんなの絶対真似できねぇから、(うらや)ましいっつーか、内心かっけぇなあって思っちまって……」

「かっこいい? 目の前で仲間が殺されても、そんな事が言える?」

 少年たちはバツが悪そうな表情で口を閉ざした。真鍋や彼らの主張は間違っている。殺人は真似のできない事じゃない、真似してはいけない事だ。羨むべきことでも、ましてかっこいいものなどでは断じてない。

 ……その程度のことを、実際にその目で見なければ認識できないのか、この連中は。

 キキは大仰にため息をついた。始末に負えないと感じたのは明らかだった。

「……あのさ、偉そうな事を言える立場じゃないけど」

 あくまで謙虚な姿勢を貫くキキが、少年たちに向かって言い放った。

「君たちはもっと、想像力を大事にした方がいいと思うよ」

 少年たちは何も言い返せなかった。反論する余地など、あろうはずもなかった。

 くるりと踵を返して、キキは少年たちから離れていく。

「行こう、もっちゃん」

「う、うん……」

 キキの後ろをついていきながら、ちらっと振り返って少年たちを見た。彼らは肩を落として立ち尽くしていた。人命に対して甘い認識しかなかった彼らが、何を思ってあそこまで意気消沈しているのか、わたしはもうこれ以上興味が湧かなかった。

 キキの向かう先は分かっていた。元々の目的地であるスーパーマーケットだ。その途中で、彼女はスマホを取りだして何やら調べていた。

「キキ、何してるの?」

 わたしは後ろから覗き込みながら訊いた。キキは画面を注視したまま答えた。

「ツイッターで、前に起きた二つの事件の事を調べようと思って。日付と、被害の状況が分かっているから、絞り込みは容易だと思う」

「友永刑事が言ってたね。これで三件目だって」

「銃声らしき音が聞こえて、血を流した人が倒れているっていうツイートは結構あるけど、どこを探しても被害者の名前が出てこない。通っている学校の名前さえ出てこない。ここ数日で誰かが行方不明になっているという情報もないね」

 あらゆる噂話が跋扈(ばっこ)しがちなSNSで、そんな肝心の情報がほとんど流れていないとは奇妙な話だ。

「事件のあった場所は?」

「どこかの町の繁華街だとか、長らく止まっている工事の現場だとか、団地のそばの公園だとか、とにかく色んな所で情報があるね。この中で正しいのは多くて二つだからなぁ、今ひとつ判然としない」

「まあそこはネット上の情報だから仕方ないけど……でも、場所以外の情報はそれほど、というかほとんど流れていないね。どういうことだろ」

「誰かが意図的にツイートを消去しているとか」

「まさか……」わたしは笑い飛ばした。「ツイートを削除できるのは投稿した本人だけだよ。別の誰かが意図的に削除するなんて……」

「もしくは、本当に誰も被害者の名前を知らないか」

 ああ……キキはどうやら、可能性を列挙して発言しているだけのようだ。どちらも本気で信じているわけじゃない。キキは勘の鋭い人ではあるけれど、考えを進める時はいつだって慎重になるのだ。推理さえ謙虚な姿勢を忘れない、それがキキだ。

 キキはふっと息を吐くと、スマホをポケットに仕舞った。

「あれ、もういいの?」

「これ以上は調べても無駄みたいだからね。あとは警察に任せよう」

「事件のこと気にならないの」

「気になるよ。だけど自分から調べるほどのことじゃない。わたしが何かしなくたって、警察がちゃんと調べてくれるから」

「それって、警察の捜査に多少なりとも期待している……って事はないね、うん」

 先々月の事件で、キキの調査は完全に警察の捜査を先行していた。あのまま警察に全任せしていれば、人一人の命が失われてもおかしくなかったし、犯人にも逃亡を許してしまうところだった。ここまでの醜態をさらされて、わたし達が警察の捜査に全面的な期待を寄せるなんて、どう転んでも考えられなかった。

「まあ確かに、それほど期待はしていないけど……調べる権限は警察にあるんだから、任せるしかないじゃん」

「キキがそんな不本意な事をするとはね」

「もっちゃん」キキは振り向いてわたしを見た。「さっきの事件で、わたし達は実害を何も受けていないんだよ? 今夜夢に出るかもしれないけど、それも一回で終わり。まあ、みかんだったら引きずるかもしれないけど……」

 ああ、あいつは本当に怖がりだからな。

「わたしに本来調べる権限はないし、調べてまで事件の真相を知る必要もない。だったら首を突っ込む理由なんかないでしょう。それだけのこと」

 言われてみれば、こいつが先々月の事件を積極的に調べたのは、みかんを始めとした友人たちが深く関わっていたからだ。裏を返せば、そういう友人の関与がなければ、事件捜査に首を突っ込む事はしないということだ。なかなか分際を(わきま)えているようで。

 分かっていた。彼女は名探偵じゃない。自分とは関係のない事件を調べて推理する、そんな事は頼まれたって決してやらない。キキはただの女子中学生なのだ。

「それより、早くお菓子買っちゃおうよ。あっちゃんから五百円預かっている以上、中止にするわけにはいかないでしょ」

「ははは、それもそうだ」わたしは苦笑した。「にしても、あんな凄惨な殺人現場を見た後で、よく切り替えができるよね」

「いやぁ、しばらく夕ご飯で肉系は食べたくない。レアなんてもってのほか」

 さすがのキキも顔面蒼白になっていた。やっぱりここは普通の女子中学生である。

 わたしも当分は野菜中心のメニューがいいと、思い始めていた。流血の惨事、できるならもう二度と見たくない。

 ……だが、人生思ったほどには上手くいかないものである。

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