その16 暴くべき敵
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森の中で発見された白骨の遺体は、残らず回収されて、人ひとり分が入りそうな大きさの箱に収納された。埋められて四年が経過しているため、骨の中のDNAが正常な状態で残っているかどうか、現時点では分からない。だが、中道刑事に言わせれば、それでも執念で検出するのが科捜研の仕事だという。
遺体を収納した箱はヘリの機体の後部に載せられた。乗り込むのは、中道の部下と鑑識のマツさん、みかんとクロも同乗することになった。
「まあ、みかんのお父さんの会社の持ち物だからね……」と、あさひ。
「わたしも頼み込んで使わせてもらっている立場だから、おいそれと他の人に預けるわけにもいかないしね」
みかんは肩をすくめた。社長令嬢でもやっぱり勝手は許されないらしい。
「ねえ、あっちゃん。念のためにあっちゃんも一緒に乗ってくれるかな」
「……いいけど、なぜに?」
「この事態を都知事が放置しておくとも思えないでしょ。こっちは気づかれないように動いているつもりでも、どこで聞きつけるか分からないもの、用心するに越したことはないでしょ」
「ちょっとは俺の部下も信用してくれないかねぇ」と、中道刑事。
「念には念を、ですよ。翁武署に到着してからも、みかんの身の安全を確保しておきたいですからね。刑事さんたちには、大事な証拠品を守ってもらいますから」
役割分担というわけか。みかんの安全確保に刑事ではなくあさひを選ぶあたり、それほど信用していないという内心が透けて見える。
こうして、操縦士の他に四人の人間と一匹の犬、そして遺体の入った箱を乗せて、ヘリコプターはサッカーグラウンドから飛び立った。残されたわたし達四人は、中道刑事が運転する車で、地上を通って翁武署に向かう。さすがにあのヘリに、これ以上の人は乗せられなかったのだ。
遺体の検査はすべて警察が受け持つが、立件に際して、遺体を見つけた経緯などもしっかりと調書にしたためなければならない。その作成のために、わたし達も一度翁武署に行くことになったのだ。似たようなことは先々月の事件でも経験しているが、その時はもう二度とあるまいなんて思っていた。まさか二ヶ月も経たないうちに、また警察の調書作成に関わることになろうとは……。
翁武署に向かう道の途中、後部座席でわたしの隣に座っているキキが口を開いた。ちなみに功輔はまた助手席である。
「あの森の中には、まだ金沢都知事による証拠湮滅の痕跡があるかもしれませんね」
「二十年前からずっとやり続けているなら、そのほとんどが土に返っているだろうがな。しかし、探せばいくらでも出るだろう。いくら都知事の影響力が強いとはいえ、現時点であそこは民有地、警察の捜索を阻む理由などなかろう。まして遺体が一つ見つかっているわけだからな」
中道刑事の言う通りだ。これまで都知事は、この土地の存在から目をそらすため、民間に払い下げて表向きの関わりをずっと失くしてきた。雪像まつりも、民間企業の企画に都政が興味を示したというだけなら、関わりを疑う人はいない。だがそれは裏を返せば、裏で関わりを持っていると知られた時点で、一巻の終わりという事でもある。都知事にとってこの場所は、切り札であると同時にウィークポイントでもあるのだ。
目をつけられないための工作が水泡に帰した今、都知事はどう出るだろうか。もっともどう出たところで、警察はともかく、キキが動きを止めることはまずありえないが。
「とはいえ、あの仏さんの身元がはっきりせんと、どこまでも掘り返していくっていうのは難しいな。今ンところ、その失踪した都庁職員である可能性が高そうだが、そもそも照合するためのサンプルがないと話にならんぞ」
「そこはまだ厳しいですね……」と、キキ。「谷中さんの両親は亡くなっているし、他に身内も確認されていませんし、遺品とかを受け取った彼女さんも、すべて処分したって言っていましたし」
「あれは本当かどうか怪しいって言ってなかった?」
「あくまでわたしの個人的な感触だよ、もっちゃん。それに、DNA鑑定ができそうな物を持っていても、差し出してくれる可能性は低いし」
確かに、あまり心を開けていない様子だったからなぁ。
都知事による牙城を切り崩すには、白骨の司法解剖とDNA鑑定の結果を皮切りに、四年前の事件の真相を暴くしかないわけだが、現時点ではそれさえも怪しい。関係者の協力を得られないと、事件調査はここまで捗らなくなるのか……今になって警察の仕事の大変さが分かる気がする。
「しかし、詳しい話は聞いていないが、星奴町で連続銃撃事件とは……それがあの仏さんと何か関係があるのかい」
「だいぶ遠回りな繋がりですけどね。翁武署の人たちの耳には入ってないのですか?」
「噂にも聞いた事がないな。君から事件の話を聞いて、本庁の知り合いに確かめてもらって初めて知ったよ。なんでも、現場から不自然に銃弾が消えているそうだな」
「ええ」
「本庁の担当者も困惑しているらしいぞ。銃弾を消す理由は分からなくもないが、方法となると皆目見当がつかん。まあ、詳細に聞いているわけじゃないから、考えようがないんだが……」
「あっ、銃弾を消した方法については、ほぼ分かっています」
「んあ?」
キキがあまりにさらっとすごい事を言ってのけたので、中道刑事は頓狂な声を上げる。
「おいおい、まーた警察の先を行ってやがんのか?」
「どれも現場の状況をしっかり観察して、ちょっと考えを巡らせたら分かるものです」
お前はそうだろうが、すでに仮説を聞いているわたしから言わせれば、ちょっと考えて分かる程度の話ではなかったぞ。
「むしろわたしの場合、トリックを使ってまで銃弾を消す理由のほうが、未だに分からなくて困っているんですよ」
「あのさ、それは第三の事件現場で友永刑事がそれっぽいことを言ってたよね?」
「だって詳しいことは何も教えてくれなかったじゃん。銃弾が何かの証拠になるっていうのは分かるけど、どんな証拠になるかまでは言ってなかったし」
ああ、なるほど……わたしは小耳に挟んだ程度なら知っているが、キキは自分の興味の対象以外は全く知識として受け入れない性質だ。だから割と誰でも知っていそうな知識に限って、彼女は知らなかったりする。
「お嬢ちゃん、銃の筒部分の内壁には、ライフリングと呼ばれる螺旋状の溝があるんだ」
中道刑事が説明を始めた。
「ライフリング……」
「日本では施条とも呼ばれるがね。これは銃弾に回転をかけて発射することで、真っすぐ弾を飛ばすための仕掛けなんだ」
「ジャイロ効果ってやつですね」と、功輔。「回転軸の向きを保持する方向に力が加わるっていう……」
「その通り。身近な例でいうと、走行中の自転車が倒れないのもジャイロ効果だ。タイヤが回転することでバランスをとっているんだよ」
「はあ……」
果たしてちゃんと理解できたのか、キキは表情を変えることなく生返事。
「で、それが何の証拠になると?」
「しっかりと回転をかけるために、銃身内部はわずかに銃弾より狭くなっている。当然、銃弾にはライフリングの溝でこすれた跡が残るんだ。その傷をライフリングマーク、日本では施条痕というが、それは使われた銃によって形状が異なるんだ。そのため、使われた銃の種類を特定する手掛かりになりうるんだよ。これも人間の指紋と同じく、製造過程で溝の形状がわずかに違ってくる上に、発砲するごとに溝も削られてさらに形状が変わってくるから、大体は同じ形の施条痕などないといわれている」
「あー、なるほど。そういう事情でしたか」
ようやく納得したらしいキキの言動に、中道刑事は苦笑する。
「まったく、紙飛行機のことには詳しいのに、そういうことは知らないのか」
「基本、知識にムラがある奴なんですよ」
「…………」キキは無言。
「おーい、なんか言えよ」
横を見ると、キキは何やら考え込んでいた。まだ何か腑に落ちないのか。
「……あの、もしライフリングのない銃で撃ったら、どうなりますか?」
キキはまた突飛なことを中道刑事に尋ねた。
「ライフリングのない銃か。見たこともないから何とも言えんが……まあ、軌道は安定しないだろうな。正確無比が求められる射撃には不向きだろう。ただ当てるだけなら、比較的大きめの弾を近距離で撃てば問題ないと思う。それでも相当な腕が必要になるな」
「回転をかけることができないなら、実際には、火薬の爆発で急激に膨張した空気に押し出されるだけだから、空気鉄砲とたいして変わらなくなります」と、功輔。「よほどのことがない限り、ライフリングのない銃で撃つことはまずないと思いますけど」
それはそうなのだが、キキがわざわざ訊いてきたからには、その可能性をどこかで考えたのではないか。この場面で、キキが無駄な質問をすることはない。
キキは視線を少し下げ、口元に手を当てて考え込む。もう何度も見てきた。わたし達の誰も想定していないような閃きを、必死で手に掴もうとしているのだ。そして、掴み取ったものの実体に気づいたとき、キキはこうやって……ゆっくりと顔を上げる。
なぜか、思いつめたような表情になっていた。
「…………なんて」
「え?」
「もっちゃん、今ようやく繋がったよ。わたし達は、ずっと思い違いをしていた」
キキはわたしだけに顔を向けて、本当に予想もしないことを口にした。
「一連の銃撃事件の犯人は、『ボット』じゃない」
刹那、脳内の時計が狂ったような気がした。
「……どういうこと?」
理解が追いつかず、わたしはただ反射的に尋ねた。これまでの調査の流れからして、銃撃事件の実行犯である北原のバックに、『ボット』が潜んでいるのは確定じゃないのか。
「『ボット』が銃撃事件に絡んでいるとしたら、根本的に矛盾するんだよ」
「矛盾?」
「『ボット』や、連中を指揮する金沢都知事は、異常なくらい証拠湮滅に執着しているでしょう? それなら、銃弾を消そうとは決して考えない」
えーと……それこそ矛盾していないか? 銃弾が証拠になることはさっきも聞いたはずだけど。
「ごめん、意味が分からない」
「昨日わたしが話した、銃弾消失トリックの話は覚えているよね? わたしの考えた仮説が正しければ、犯人は一度も、普通の銃を使っていないことになる」
普通の銃というのは、よくある拳銃やライフルみたいなものか。確かに、第一の事件はペンライトやデジカメのような小物に偽装した装置で、第二の事件は遠隔操作で小石を発射するものだった。第三は熱で溶けるから、第四は水に溶ける弾を使っていて、傷がつけば途中で壊れてしまう恐れがあるから、やっぱり普通の銃は使えない。第五の事件に至っては銃さえ使っていない。あれはボウガンによる犯行と考えられている。
「つまりどのパターンでも、ライフリングのない手製の道具を使っている、ということになるでしょ?」
「そっか……最初の二件はどちらも至近距離で撃っているから、あえてライフリングを入れる必要なんてないし、四件目は、岩塩の弾にヒビが入るかもしれないし……あれ、三件目は金属の弾を使っていたような」
「それは流成大学の鷺山先生からのメールで分かるよ。ほら、あっちゃんが襲われた翌日に星奴署へ行ったとき、城崎さんのパソコンに真鍋くんの解剖結果が送られてきたじゃない。あれで、傷口にねじれがなかったから、手製の銃を使ったんだろうって、高村警部たちが言ってたでしょ」
すっかり忘れていた……というか、キキは話の内容が理解できなくても覚えていたようだ。その記憶力を勉学にも生かせないものだろうか……。
「手製の銃器を使った四件から考えても、犯人はライフリングなしでもほぼ正確に狙えるだけの腕を持っている。ライフリングのない手製の銃を作って使えるなら、銃弾には施条痕が残らない。という事は、現場に残しておいても、犯人に繋がる証拠にはならない」
「あっ……!」
「それなら、手間をかけてまで銃弾を消す必要なんてどこにもないんだよ。元から出回っていない銃を使っているわけだし。むしろ、トリックに頼る事で別の痕跡を残してしまう可能性だってある。もちろん、なるべく痕跡を残さないように工作はできるけど、もっと簡単に証拠を残さないでいられるなら、普通に撃って弾丸を残しても問題ないと考えるんじゃないかな」
言われてみればその通りだ。最初から弾丸に重要な痕跡を残さず撃てるなら、それを消すために余計なトリックを仕掛ける必要はない。まして、証拠湮滅に固執する『ボット』の犯行なら、なおさらありえない。何かトリックを仕掛ければ、それだけ消すべき証拠が増えてしまう。実際、第二の事件では砂場の中に銃器を埋めたままで、警察の見張りが解かれた後に回収しなければならなかった。そんな手間をかけてまで、銃弾消失を演出する意味なんてない。
聞けばごく単純な矛盾だった。証拠となる銃弾を消すことが、そのまま証拠湮滅に繋がると思い込んでいたせいで、すぐには気づけなかった……。わたしだって、ライフリングマークの事は知っていたはずなのに。
「じゃあ、実行犯の北原は『ボット』のメンバーじゃなかったんですね」と、功輔。
「そうなるね」
「だったら、犯人は何のために弾を消したの?」
わたしの問いかけに、キキは少し考えてから答えた。
「……銃弾消失以外にも、犯人が証拠湮滅にこだわっている感じがあったよね。第三の事件で、逃走用に使ったバイクの痕跡を綺麗に拭き取って、燃料も抜いてメーターをリセットしていた。一応犯人にも、証拠を残さないように徹底するという意思はある。というより、証拠を決して残さないという犯人像を、見せつけているように感じられる」
「見せつける? アピールしているってこと?」
「そうだね。もしかしたらこれは、何かのメッセージかもしれない」
「メッセージ……」功輔が呟いた。「誰に対するメッセージですか」
「これは想像にすぎないけど」
キキがこのように言い出した時は、たいてい的を射ているのだ。もうこれが真相だと思って聞いていい。
「『ボット』はその性質上、存在が公にならない事を前提に活動している。だけど、『ボット』メンバーの子供が殺されて、『ボット』と同じように証拠湮滅にこだわる犯人の存在を知ったら、『ボット』や金沢都知事はどう思うかな……?」
「自分たちの存在を知っている人がいる、とか?」
キキはこくりと頷いた。
「高い確率でそう考えるだろうね。自分たちの関知していない、あるいは金沢都知事の力が及ばないような所に、『ボット』の存在を知る人がいたと分かったら……とても捨て置ける状況じゃないよね」
「まさか、そうやって精神的に揺さぶってボロを出させるつもりだと?」と、功輔。「銃弾消失は、他ならぬ金沢都知事へのメッセージだったというんですか」
「ただの可能性だけどね。悪評を徹底的に潰すためにハッカー集団を組織するなら、少しでも自分に関係ありそうな情報は確実に集めているだろうし、警察の情報を手に入れるのは立場的にたやすいから、メッセージが伝わる機会なんていくらでもあるよ」
想像にすぎない、とキキは言った。だが、これほどに現状を上手く説明できる仮説などあるだろうか。演出過剰にも見える銃弾消失も、大掛かりな犯行の割に情報統制への対策をしていない事も、すべて特定の個人への意思表示だと考えれば腑に落ちる。
「もうちょっと考える必要はあるけど、恐らく犯人の目的は、都知事や『ボット』、というより聡史くんを殺害した少年たちに対する、純粋な復讐だよ」
「復讐……聡史を知っている人の中に、犯人がいるんですか」
「その可能性は極めて高いね。しかもこれは、まだ続きがある」
「あっ、そういえばまだ一人、生き残っている人が……!」
わたしは気づいた。四年前、聡史少年を死に追いやった五人の少年、そのうち北原に銃殺されたのは四人だけ。まだ一人、金沢怜弥が残っている。しかも、すべての元凶でもある金沢都知事や『ボット』も、まだ息を潜めている……。
「何かあるはずだよ」キキが眉間にしわを寄せる。「この事件はまだ終わらない。金沢都知事や『ボット』を潰すとどめの一手が、犯人の手に残っている以上は……!」
この瞬間、本当の戦いが始まった。暴くべき敵の正体は見通されたのだ。