その15 森の中
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中道刑事が運転するパトカーに乗り込んで、キキが探りを入れようとしている場所に向かう。窓から外の風景の変化を見ると、六日前に雪像まつりの会場に行くルートを通った時と、何も変わっていないことに気づく。
わたしは後部座席の真ん中に座るキキに尋ねた。ちなみに功輔だけは助手席だ。
「キキ、もしかして雪像まつりの会場に行くの?」
「惜しいけど違うよ。行くのはそのとなり」
「となり……サッカーグラウンド?」
頷きを返すキキ。彼女が調べようとしていたのは、四年前に功輔も来たというその場所だ。考えてみれば、今回の事件に関わりがありそうなのはそっちの方だ。かなり薄い関わりではあるけれど。
「でもなんでそんな所を……?」
「うん……もっちゃんは覚えているかな。雪像まつりの会場の施設を探索した時、金沢都知事が電話で話している所を聞いたでしょ」
「ああ……あれね」
すっかり忘れていたよ。というかここで盗み聞きをカミングアウトするか。
「お前ら、揃ってそんな事をしていたのか……」呆れるあさひ。
「わたしはキキに付き合わされただけだから」
「えー、もっちゃんだって夢中で聞いてたのに」
それもお前につられただけだ。最後まで乗り気じゃなかったし、忘れていたし。
「まあいいけど。その時、都知事が気になる事を言ってたでしょ?『ここに出資している企業はどれも、油に最適なものばかりだ』って」
「そういえば言ってたな……あれって結局何だったんだろ」
「これだけだと分かりにくいけど、同じく都知事が記者会見で使っていた、『ガラスのように透明性のある政治を』というフレーズと重ねたら、何か見えてこない?」
……何も見えません。おかしいなぁ、それは透明なのかなぁ。
「油と、ガラス……」あさひが呟く。「まさか、光の屈折の実験?」
「そうそう」キキは微笑んだ。「もっちゃんも聞いたことあるでしょ。大きさの違うガラスのコップを用意して、大きいコップの中に小さいコップを入れて、サラダ油を小さいコップの中に注いでいくと……」
「ああ、溢れ出したサラダ油に隠れて、小さいコップが見えなくなるってやつ?」
ずいぶん以前にテレビで見たような記憶がある。キキもそれを覚えていたようだが、油とガラスというキーワードだけで思いつくかな……。
功輔が助手席からこちらを向いて言った。
「それは確か、ガラスとサラダ油で屈折率がほぼ等しいから、サラダ油の中にガラスを入れると光が曲がらず直進して、結果見えなくなるという現象ですよね」
「うん。つまり油というのは、ガラスである金沢都知事の政治を見えなくさせるもの、という意味になるよね」
「ちょっと、それって……!」
わたしは思わず声を上げた。ガラスという言葉が示す透明性という意味が、完全に別物になってしまうのではないか。そう、ひとことで表すなら……。
「隠れ蓑、だな」と、あさひ。
「実体を見えなくさせるという意味では、確かに隠れ蓑だね。あの油って言葉は、隠れ蓑を示すいわば符牒だったんだよ」
符牒……ついこの間、わたしとキキも使っていた。
「でも、雪像まつりに出資した企業が、金沢都政の隠れ蓑ってどういう……」
わたしの問いかけに、キキは真剣な表情で答えた。
「みかんのお父さんの会社をはじめ、出資した企業には表向き問題がない。そうした優良企業が参加するイベントに、不正を疑う人は誰もいない。つまり不正がある事を前提に調べる人がいないから、本当にあったとしても発覚しなくなる……」
「まさか、あの会場が金沢都知事の不正の溜まり場ってこと?」
「どこまでの範囲がそうなのかは断言できないけどね……それに不正とは限らない。不正の証拠を湮滅するための場所として使っていた可能性もあるよ。どちらにしても、誰かに掘り返されたらまずいから、無関係で優良な第三者を募ってイベントを開き、健全さをアピールしようと考えた……優良企業が隠れ蓑になるなら、これしかない」
推測にすぎないが、もしこれが事実であれば、みかんのお父さんの会社が金沢の不正隠しに利用されていた事になる。本人たちは知らないとしても、この推測が公になれば会社はそれなりのダメージを受けるだろう。キキが軽々しく話そうとしなかった理由も、何となく分かった気がした。
あさひはどうだろうか……そう思い、キキを挟んで反対側に座っているあさひに目を向けると、案の定、眉根を寄せて不快そうな表情をしていた。こんな形でみかんが都知事の不正に巻き込まれたのは、やはりあさひにとっては気分を害される事なのだ。
「みかんも話していたけど、あの辺りの土地はかつて東京都の持ち物だったけど、二十年前に手放されたんだよね」
「へえ、キキもそこは何とか理解できていたんだ」
「馬鹿にしてるの? 要点を押さえるくらいの事はできるよ」
ムキになって主張するほどではないと思うが……。
「なるほど、二十年か……」と、あさひ。「知事の任期は四年。金沢晋太郎は五期連続でそろそろ任期が切れるから、計算上、金沢氏が初当選した頃という事になるな」
「そう。都知事に就任するとほぼ同時にあの土地を払い下げて、だけどその後も何かしら絡んできている……書類上は民間の土地でも影響力は残っていたんだね。手続きもタイミングも決して不自然じゃない、だけど表向きには無用なはずの土地に、今現在も関わりを持っている……そういう状況だと、不正工作がしやすくなるよね」
「それはまた、ずいぶん大胆な想像を働かせたものだな」
「もちろん確証はないけどね」
それでも想像を働かせる事自体が容易じゃない。しかもキキの場合、きっかけなく想像を働かせる事はない。別の何かと繋がると思ったからこそ、ここまで発想が及ぶのだ。
「その想像が正しければ……」と、わたし。「あの土地には、金沢都知事に関する秘密が隠されているって事になるよね。それも、あまりよくない秘密が……」
「当たっていなくても、何かあるとは思うよ。何もない場所に、力を持った人間がこだわるはずがないから」
……それも一理ある。そしてその場所に何が埋まっているのか、核心に近づくための好材料となるのか、掘り返してみなければ分からない。
覆面パトカーは、雪像まつり会場の入場門を素通りし、さらに奥の道を進んでいく。アスファルトの路面は穴ぼこだらけで、砂利道を通るように車体はガタガタと揺れた。
「こ、功輔……四年前もこんな道を通ったの?」
わたしは舌を噛まないよう、慎重に言葉を発した。ちなみに隣のキキがしがみついてきている。
「あの頃はもうちょっとマシだったかな……」
功輔も慎重に答える。つまりこの道路はずっとほったらかしなのか。雪像まつり会場までの道路は普通だったのに……これも金沢都知事の意向があるのかな。
やがてアスファルトの道路を抜けて、開けた草地の空間に出た。ここが問題のサッカーグラウンドだ。一面に生えている芝はカットされていないが、歩くのも走るのも支障はなさそうだ。二十メートルほど間を開けてゴールネットが二つ置かれていて、入り口に近い方のゴールに、二人の男性が来ていた。
「あ、中道さん」
男性の片割れが中道刑事に気づいた。彼は見覚えがある。中道刑事の部下だ。なぜか両手に大型のシャベルを持っている。
「スマンスマン、待たせたか?」と、中道。
「僕はそうでもないですけど、鑑識さんが痺れを切らしそうで……」
「ったく……」鑑識らしきもう一人の男性が毒づいた。「事件が起きたわけでもないのにこんな山奥まで駆り出されるとは思わなかったよ」
「おう、世話かけるわ」
あからさまに機嫌が悪そうな鑑識を、軽くあしらう中道刑事。トロフィー盗難事件の時もそうだったけど、終始飄々としている印象だ。
わたしはキキに尋ねた。
「鑑識まで呼ぶように頼んでいたの?」
「うん。たぶん必要な事態になると思うから。願わくは、そんな事態にならないことを祈りたいけどね……」
それはキキが望む手掛かりが得られないという事ではないのか? 今日の調査でつらい事実が浮き彫りになるとも言っていた。一体、何を想定しているのだろう……。
「それじゃ、さっそく捜索開始といきますか」と、部下の刑事。
「おいおい、何の手掛かりもなしにこのだだっ広い森の中を探すのか?」
鑑識が苦言を呈した。え、なに? この森の中を探すの? 聞いてないけど。
「もうちょっと待ってください」キキは携帯の画面を見ながら言った。「そろそろ残り一人が来ると思うので」
「残り一人って……ん?」
部下の刑事が眉をひそめて空を見た。断続的に空気を裂くような轟音が、上空から徐々に大きくなって聞こえてくる。正体はヘリコプターだった。
ヘリコプターはゆっくりと下降し、グラウンドの真ん中に降り立とうとしていた。プロペラによる風圧で、芝の細切れが宙に舞い上がる。そして、その場にいた全員の髪を一斉に乱した。事情を知っているわたしとあさひも含め、全員が呆然としていた。
着地してプロペラの回転を止めたヘリコプターから、スライドドアを開けて中から出てきたのは、みかんだった。大型犬を一匹連れている。
「お待たせぇ」
みかんはそう言いながら、ヘリから地面に飛び降りた。
「……ジョークで済むかと思っていたのに」
あさひはぼそっと呟いた。はい、わたしも同感です。
翁武署の三人は未だに状況が呑み込めないようだが、中道刑事とその部下は、すでにトロフィー事件でみかんと顔を合わせている。
「あの子、雪像まつりに出資していたIT関連企業の社長令嬢だ……」
どうやらちゃんと覚えていたようだ。ちなみにこのヘリはその会社の所有である。
「翁武署の刑事さんたちですよね?」みかんは頭を下げた。「その節は大変お世話になりました。今日もよろしくお願いいたします」
「あー……これはどうもご丁寧に」
中道刑事、相手が中学生だということを忘れているな。というかやっぱり、みかんがお嬢様口調を使うと不自然極まりないなぁ。
「紹介します」みかんは連れの大型犬に目をやる。「私の家で飼っているクロです。嘱託警察犬の資格を持っていますので、お役に立てるかと存じます」
(クロ……? どこが……?)
とでも思ったことだろう、初めて見た人は。どう見てもゴールデン・レトリバーで、黒の要素はまるでない。まあ、深く突っ込まない方がいいだろう。
「さて……これで役者は揃ったね」
果たしてどんな演劇を見せるつもりなのか、キキは楽しそうに口角を上げた。
わたし達八人と一匹は、サッカーグラウンドの周辺の森に入った。草や木々の間を掻き分け進んでいくクロと、リードを持つみかんを先頭に、まとまりながら歩く。昼間でも薄暗い森の中で、クロが歩いて作る道だけが頼りだ。
歩を進めながら、キキが自分の考えを説明し始めた。
「もし金沢都知事が、不正の証拠となるものを処分、あるいは半永久的に隠すとしたら、この森の中以上に適したところはない。それは、四年前も同じだったはず」
「四年前……都庁職員の失踪事件だね?」と、わたし。
「うん。今までの話を聞く限りだと、その男性職員は職場で、何らかの形で金沢都知事の不正に気づいてしまった……それが『ボット』に関係するのかどうかは分からないけど、都知事にとって都合の悪い状況であることに変わりはない」
「そのために職員を抹殺しようと考えた……」無表情で呟くあさひ。「そのくらいのことはしそうな人物なのか?」
「少なくとも監察の舛岡さんの話を聞く限りでは、やりそうじゃないかな」
すると、中道刑事の部下が呆れたようにこぼした。
「監察官とも知り合いって……一体何なんだ」
「しかし、実際にその職員に手をかけた事を示す証拠はないのだろう?」
中道刑事の問いかけに、キキはかぶりを振って応えた。
「そもそも、その職員が都知事の不正に気づいたという証拠さえないですよ。あれば確実に潰されていますし。ただ……そう考えた方が、功輔くんの友達の身に起きた出来事の説明がつくんです」
「聡史の?」功輔が反応した。
「功輔くんの話を聞いたとき、あまりに都合がよすぎると思ったんだ。聡史くんをいじめていたのは『ボット』メンバーの息子と都知事の孫の金沢怜弥で、しかも全員が違う学校に通っていながら、揃って行動できるほど密に連絡が取り合えた……最初から結託していたと考えるのが筋だよね」
「最初から?」と、わたし。「でも、元から同じ『ボット』のメンバーなら、繋がりがあってもおかしくないんじゃ……」
「それはどうだろう」あさひは首をかしげる。「都知事が用心深い性格なら、メンバーに横の繋がりは持たせないと思うよ。誰か一人がしっぽを掴まれるだけで、芋づる式に自分までたどり着かれてしまうし」
ああ、そうか……指示系統を自分一人に集約しておけば、末端が捕まっても、そう簡単に全貌が知られることはない。さっきの城崎の話では、都知事と『ボット』の連絡はほぼ一方通行となっていて、しかも巧妙に細工されたメールを使っていたという。そのうえ横の繋がりが全くなければ、都知事や他のメンバーに辿り着くことはなくなるのだ。
キキが口を開いた。
「仮に繋がりがあったとしても、息子たちの年齢が同じくらいで、しかも全員が異なる学校に通っている、そんな繋がりが偶然できるとは思えないよ。いかにも、聡史くんへのいじめが発覚しにくい構造にするために、意図的に集まったという感じがしない?」
「それでいて全員が『ボット』メンバーの息子……なんだか、金沢都知事が聡史くんをいじめたくて、それにふさわしいメンバーを集めて代行させたような感じね」
「そう、まさにそれが目的なんだよ」
当を得たと言わんばかりに、キキはわたしに人差し指を向けた。
「えっ……」
「この不自然な状況を説明するには、そう考えるしかないんだよ。実際に誰の意図で集められたかは定かじゃないけど」
おいおい、冗談で言っただけなのに当たりなのかよ。わたしってなんで、無意識的じゃないと的を射たことが言えないのだろう……我ながら悲しくなるな。
「でも、証拠湮滅に執心する都知事が、ただ子供をいじめたいがために人を集めるとは、ちょっと考えられませんね」と、功輔。
「うん。だから、普通のいじめとは違う何らかの目的、ないしはきっかけがあったんだと思うの。考えられるのはいじめの少し前の出来事……聡史くんが、ある形で金沢都知事のテリトリーに入ってしまった時のこと」
「まさか、遠征でここに来た時に?」
「それ以外に、都知事と関わりを持つ機会はなかったと思うよ。実際聡史くんは、試合に出場していなかったらしいからね。もし功輔くんたちが試合に出ている間、何かの理由でこの近くを通りかかったとしたら、聡史くんは何を見ることになっただろうね……」
そこまで聞けば、わたしにもキキの考えが読めてくる。四年前、山田聡史はこの森で何かを目撃した。それは金沢晋太郎にとって、決して表沙汰になってはいけないものだったはず。それを口外させまいと、必ず何か手を打ったはずだ。
都庁職員の失踪、聡史がここで目撃したこと、そしてその後の不可解ないじめ事件。すべてが一本の線で繋がっているとしたら、ここでキキが探しているのは……。
すると、クロが何かを嗅ぎつけたように顔を上げた。急に歩みが速くなる。
「おっとっと……クロ、何か見つけたの?」
リードに引かれながらも、みかんは慌てることなくついて行く。さすが飼い主、わたしと違って扱いに慣れている。わたし達七人も置いて行かれまいと速度を上げていく。
やがて、サッカーグラウンドから大きく離れた地点で歩みを止め、少し土が凹んでいる所に鼻を擦りつけながらにおいを嗅ぐと、クロは激しく吠え出した。ここに何か埋まっていると察知したらしい。
「うーん……」キキは周辺を見回す。「グラウンドからは離れたけど、この距離なら、グラウンドの周りを歩いている人の姿は見えるね。聡史くんが実際には見ていなくても、目をつけられるきっかけにはなったかも」
「地面が凹んでいるということは、生き物を埋めた可能性が高いわね」と、あさひ。「地中の微生物によって分解されて骨だけになれば、それだけ嵩が減るから……以前にクロも一発で篠原隆一の遺体を見つけていたし、これは間違いないかな」
何だろう、クロには血のにおいを嗅ぎ分ける能力があるのか。
「つまりここには仏さんが埋まっていると……?」
中道刑事の眼光が鋭くなる。
「かもしれません。それでは、くれぐれも慎重にお願いします」
「あいよ」
その返事を合図に、中道刑事とその部下はシャベルを手に取り、クロが教えてくれた場所を掘り始めた。推測通りなら、何かがここに埋められて四年が経過している。雑草が茂っているし、そもそも原形をとどめていない可能性もある。それでも掘り返さなければ何も分からない。
除去される土の量が次第に増えていく。しばらくして、中道刑事のシャベルの先が固いものに当たった。ガチンという音に、その場にいた全員が反応する。二人の刑事はシャベルを放り出し、今度は手で少しずつ土を払っていく。
そして、埋蔵物の一部があらわになった。
人骨だった。形からすると肋骨のようだ。
誰かの息をのむ声が聞こえた。もとい、それは自分の声かもしれない。
「まったく……」右手で顔を覆うあさひ。「遺骸を目にするのはこれっきりにしたいな」
一応冷静でいようとはしているみたいだが、さすがのあさひも動揺を隠せないらしい。そしてそれ以上に慣れていないみかんは、青ざめた表情で震えていた。耐え切れずあさひにしがみついたけど。
「んじゃ、ひとまず簡単に身元を調べますかね……」
中道刑事は遺体の前にしゃがみ、合掌して瞑目した。これが警察官の儀礼だという。
「前は盗難事件を調べに来ていたのに、ずいぶん遺体に慣れていますね」と、キキ。
「うちは小さな警察署だから、刑事課の中で係による分割はほぼないんだよ。俺は元々、前にいた所轄署で強行犯捜査係にいたもんでな、この手の事には慣れてんだ」
「はあ、なるほど……で、この遺体の身元は分かります?」
「ボロ切れになった衣服のポケットに、パスケースが入っておるわ。えーと」
中道刑事はパスケースの中身を取り出し始めた。もちろん手袋をはめている。
「運転免許証はないな……おっと、保険証はあるな。名義は、谷中英司」
「それって、行方不明の都庁職員の名前だよね?」わたしはキキに言った。
「うん。予想通り、谷中さんは『ボット』による証拠湮滅の対象になってたんだ。運転免許証がないのは、行方不明者届の不受理届を出す際に身元を偽るため、この人を殺害した人が奪い取ったから……」
舛岡の話とも繋がってくる。これで不受理届を出した人が、谷中に成りすました別人である可能性は高くなった。
「マツさん、この仏さんの死亡時期は分かりますかね」
中道刑事からマツさんと呼ばれた鑑識は、白骨をじっと見てから答えた。
「そうさねぇ……土に埋まっていちゃあ、ここでの推定は難しいが、ざっと三年から五年くらいってところか。詳細は解剖に回して調べてもらわんと、何とも言えんね」
「ふむ……」
「だけども、こいつが他殺だっていうのは間違いねぇ。頸骨の一部が不自然にずれて欠けている……たぶん首の骨を折られて死んだんだ」
相当な腕力を持った人物の犯行、あるいは頭を強く殴られたか……それだと事故の可能性もゼロとは言えない。だけど、ここに埋めた人がいるのもまた事実。
「キキ……聡史くんは、この遺体が埋められる所を見たの?」
「何が埋められているかまでは分からなかったかもしれない。でも、埋める所を見られたと思われるような状況だったのは確かだよ。その結果、聡史くんは口封じされる事になったわけだから……」
「いじめがエスカレートした結果の事故死に見せかけて?」
「本当にそこまで意図したかどうかは分からないよ。ただ……直接息の根を止めたり、あるいは略取監禁に及んだりすれば、足がついてしまう恐れもある。しかも、公務員である谷中さんと違って、学校に圧力をかけたところで小学生の失踪はごまかしにくい」
確かに……谷中の場合は、職場に直接圧力をかければ失踪という事態は肥大化しない。だけど山田聡史は、当時まだ小学生だった。いくら学校に圧力をかけたところで、彼を知る人たちは確実に異常事態だと考えるし、警察が出動する可能性も高い。マスコミも、谷中の失踪は大きく取り上げなくても、聡史の場合は違ってくるだろう。そのうち、聡史の行動を事細かに探り出すかもしれない。そうなれば、この森に目をつけられる確率は大きく跳ね上がる。
「なるほど」と、あさひ。「だからいじめによって精神的に孤立させ、ここで見たことを誰にも話せなくなる状況を作ろうとしたんだな」
「たとえいじめが発覚したとしても、世間は学校の責任ばかりに目を向けるから、加害者側に切り込もうとは考えない。少なくとも、加害者である少年たちと谷中さんの失踪事件を、あえて結びつけようとする人はひとりもいない。そこまで計算していたんだよ」
マスメディアでいじめが取り沙汰されれば、多くは学校や親に責任の所在を質そうとする。いじめのほとんどが学校を舞台としていて、加害者も例に漏れず未成年だから、誰も表立って非難の矢面に立たせようとは思わないのだ。何より、学校がこれ以上のイメージ悪化を避けるために、内輪の問題として片づけようとしてしまう。そうした、社会におけるいじめの性質を熟知したうえで、金沢都知事はこの方法を選んだのだ。
なんて汚いやり方だろう。自らは手を汚さず、社会の風潮を悪用して原因追及を避けようとするとは……そればかりか、不正を隠すために人ひとりの命を踏みにじり、それが明るみになる危険が生じれば、十歳の子供の人生さえ奪うなんて。
功輔がその場をおもむろに離れた。小さく肩を落とし、話しかけにくい雰囲気を纏っている。ある程度の予想はしていたけれど、耐え難い苦痛に苛まれているのは明白だ。功輔はそばにあった木の幹に手を突いた。
「ふざけてやがる……」
幼馴染みのわたしでさえ聞いた事のない、重く暗い声だった。
「こんな事のために……聡史は死んだのかよ!」
ごつごつとした木の幹に平手を打ちつけながら、功輔は声を張り上げた。やり場のない怒りと苦しみは、誰にも受け止められない。わたしもまた、胸を締めつけられる感覚を抱きながら、ただ見ている事しかできないのがやり切れなかった。
その様子を見ていた中道刑事は、なすすべがないと言わんばかりにかぶりを振って、ゆっくりと立ち上がった。
「……とりあえず、仏さんを署に運んでいこう。運転免許証がないこの状況だと、保険証も本当に仏さんの物かどうか分からん。身元に関しては、本庁の科捜研にも協力を仰いだうえで、DNA鑑定をするしかあるまい」
「おいおい」と、鑑識のマツさん。「一応、最低限の装備は持ってきているが、俺もあんたもパトカーで来ているだろ。白骨化した遺体を車に乗せて運んだら、ガタガタ揺れて傷がつくかもしれないじゃねぇか」
「そちらのお嬢さんが使っていたヘリがある。それで署まで運べばいい」
「えー、骨になった人を乗せるのぉ?」
みかんは嫌そうに眉をひそめた。ヘリコプターはみかんの私物ではないけれど、自分も使うヘリに白骨の遺体を乗せられたら、まあ、あまりいい気はしないだろうな。
「運ぶにしても、そのままヘリに載せるわけにはいかないと思いますけど」
あさひがそう言うと、マツさんが嘆息をつきながら答えた。
「中道刑事から事前に頼まれて、どんな証拠品が出てきてもいいように必要な装備を揃えておくように言われていたからな。遺体を運び出すための道具も持ってきている」
恐らくそれはキキからの要望である。どこまでも上手く使ってくれる奴だ。
それにしても、キキの予感や想像は見事に当たってしまった。四年前の真実を知ったことで、わたし達は精神的なダメージを受けたけれど、それ以上のダメージを都知事サイドは被ることになるだろう。もはや、彼らの本性は完全に暴かれたのだ。