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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
37/53

その14 翁武村再び

 <14>


 中谷の住むアパートを出た時点で、まだ十一時にもなっていなかったが、わたし達は予定通り駅へと向かった。もちろん、全員徒歩で。

 思いがけない偶然とはいえ、あんな形で出会うなんて……わたしは決して、その人のことを嫌っているわけじゃないし、恐れているともいえない。ただ、どんな形であれ、今以上の関わりを持つことには抵抗があった。健全な関係を続けられる保証がないのだ。

 自分の性格は割に淡白だと自覚しているけれど、お人好しで他人に甘い側面もあることは否定できない。押しに弱いところもある。剣道部で次期指導長に抜擢されたのも、その場の雰囲気や部員の後押しによって、流されるまま決まったようなものだった。断るのが苦手だということもあるが、人間関係の面で少し臆病であることも否めない。

 ダメだなぁ、わたしは……あからさまにため息をついたつもりはないけれど、暗めの表情や雰囲気も相まってか、友人たちにはすぐ気づかれた。

「どうしたの、もっちゃん。さっきから冴えない顔してるけど」

「ああいや、まあ……こっちにも色々あるからさ」

 ちっとも答えになっていないが、キキはそれ以上の穿鑿をしなかった。

「ふうん……そっか」

「おいおい、親友が明らかに何か悩み事を抱えている感じだっていうのに、そのまま放置して無関心を装うのかよ」

 あさひからそんなふうに言われても、キキはどこ吹く風。

「もっちゃんが答えたくない事を無理に聞き出すなんて、そんな野暮な真似はしないよ。相談されたらやぶさかじゃないけど。どんなに腹を割って話せる親友でも、秘密の一つや二つくらいはあるものだよ。わたしにだってあるし……」

 キキが何を秘密にしているのかは知らないが、あえて知ろうとは思わない。親友だからこそ踏み越えてはならない一線というのがあるのだ。キキもそれは弁えていて、感謝しなければいけない事の一つでもある。

「おかしな関係じゃけぇのぉ。それで? さっきの調査は進展だと言えそうか?」

「どうかなぁ……気持ちはこっちに傾いたと思うけど」キキも首を傾けた。「あの人がどちら側の人間なのか分からなかったから、色々と言葉を引き出してみたんだ。どうも敵ではなさそうだけど、果たして味方になってくれるかどうか……」

「ずいぶんと含みを持たせた言い方だねぇ。なに、彼女も『ボット』の一員だとでも?」

 確かに優秀なプログラマーなら、金沢が目をつけても不思議じゃない。中谷は詳しい事を何も聞いていない様子だったから、『ボット』を操っているのが金沢だと知らなかった可能性もある。知らなければ、金沢の手先になっていることはありうる。

「もちろんそれも考えたよ。可能性はかなり低いだろうけど、念のために。だけど、あの様子だとやっぱり違うみたい。失踪した恋人を探そうとして妨害されたことに、今でも不快感を覚えているみたいだし」

「まあ確かに」頭の後ろで腕を組むあさひ。「詳細を知らないとしても、そんな連中を彷彿(ほうふつ)とさせるようなやり口に、言われて手を染めるとは思えないね」

 なんだ、やっぱり無関係なのか……あの人が『ボット』だったら、わたし達にとっては相手が悪すぎるところだった。

「でも味方になってくれるとは限らないんでしょ?」と、わたし。

「赤の他人であるわたし達を満足に信頼できないっていうのもあるだろうけど、そもそも中谷さん自身が、四年前の事についてあまり首を突っ込んでほしくない感じだしね」

「まあ、本人が忘れたいと思っている事だからなぁ」肩を竦めるあさひ。「土に埋めたものを掘り返されたくないと感じる人はいっぱいいる」

「そのまま土に埋めたのなら、だけどね……」

「え?」キキのセリフに、あさひは片方の眉を上げる。

「わたしだったら、大好きな人の思い出の品なんて、そう簡単に捨てないから」

 確かにこいつなら、わたしにまつわる思い出の品を後生大事にとっておきそうだ。余計なものまで残しそうだからたちが悪いけど。

「世のなか誰もがキキみたいに純粋なわけじゃないからね……ところで話は変わるけど、キキはどうしてあのコインの仕掛けに気づいた?」

「あ、それわたしも気になってた」

 わたしはあさひに便乗した。こっちはこっちの事情で夢中になり、すっかり失念していたのだ。

「特にこれといって根拠があるわけじゃないけど……」キキは宙を向く。「ただ、十回投げてぜんぶ表が出るなんて、ありえない確率だと思ったから」

「まあ確かに、〇.一パーセント以下だからな。統計的に見ても十分、仮説検定で棄却域に入る話だよ」

 言ってることの意味がまるで分からないのですが……。あさひは知識が豊富すぎて、時折ついて行けなくなる。

「難しいことはよく分からないけど、ありえない確率で起きたことなら、まずは何か仕掛けがあると考えるのが妥当だからね。他にも連続で表を出す方法があったかもしれないけど、わたしに思いつくのはあれくらいだったよ。コインの事なんか何も知らないし」

「あさひは、両面とも表の模様になっているコインの存在は知ってたんだね」

「話には聞いたことあるよ。実物を見たのは初めてだけど。というか、エラーコインの事を知らないのに気づけたなら、さすがとしか言いようがないけど」

 キキの閃きの前では、知識なんて無用の長物なのだろう。大抵の事は、推論と発想だけで乗り切れる、それがキキという人間だ。

「わたしの場合、コインの表と裏の区別さえ、今日初めて知ったくらいだからなぁ」

「げっ、そんなことも知らなかったの」

「もっちゃん……『げっ』とか言うのはやめようね」

 その程度のことは一般常識として知っておいてほしいのだが。……そうだった、こいつに一般常識という概念はない。

「あれって、花の模様がある方が表なんだね。なんか普通に考えたら、金額が書かれている方が表だと思うけど」

「うーん、それはわたしも同感かな……」

「厳密に言うとその区別は正しくない」あさひが言う。「そもそも、日本の硬貨の裏表は法律で決められているわけじゃなく、あくまで慣例として使われているだけだ。金額の書かれている方が裏ではなく、年号が書かれている面が裏側とされているんだよ」

「あ、年号の位置で決めているんだ」

「そうだよ。だから唯一五円玉だけは、金額の書かれている面が表になる。その辺は歴史的な事情が絡んでいるんだけどね」

 なるほど、貨幣ひとつとってもわたしの好きな歴史はあるものだ。今度詳しい歴史を調べてみよう。

「表とか裏っていうのは、人間が片方を決めることでようやく成立するものだ。そうでなければ裏表の区別はつかないものだよ。さっきのエラーコインだって、両面とも同じ模様になってしまったら、裏表を決めることなんてできないだろう?」

「まあ、そりゃそうだよね」と、キキ。

「それは両面に違いがあっても同じこと。どちらかを表と決めない限り、誰も表と裏を判別することはできない。キキがそうであるように、知らなければコインの表がどちらかなんて判断できない。表裏一体という言葉通り、表があれば裏があるのも当然だし、表があってようやく裏ができる。……まあ、裏表の概念なんてその程度のものよ」

 本当に、なんでわたしの周りには、なまじ哲学的な事を平然と語る奴が多いのか。普通の中学生らしい会話が一つも出てこない。

 それにしても、中谷がエイトコインの破綻(はたん)劇の説明にコインの裏表の話を持ち出したのは、何か意図があってのことだろうか。エイトコインは仮想通貨だから裏表などない。あるとすればその名前の方か……表向きの由来があって、その実、会社が公表していない本当の由来があるという。その事を暗示したかったとか……穿(うが)ちすぎかな。

 ともかく、中谷はキキにある程度の興味を持ってくれたようだが、信頼度はまだ今ひとつと言わざるを得ない。あの様子だと、信頼すべきか判断するためのテストとして、あの出題を行なったと捉えることもできる。その結果がどうだったのか、現時点ではわたし達に判断できない。

 もっともキキはこの程度で身を引く奴じゃない。中谷の煮え切らない対応さえも、手掛かりを得るための踏み台にするだろうし、本心を簡単に見せようとしないという点では、キキだって同類なのだ。口では微妙と言いながら、どんな感触があったか分からない。

 この件に決着がつく時、キキがこの調査から何を得たのか、ようやく判明する。ずっと付き合ってきたわたしには、最後まで見届ける必要がある……。

 なんて事を考えているうちに、わたし達は駅に到着した。二人と話している間も周囲に気配のアンテナを張っていたが、刑事らしき人たちが追っている様子はない。中谷のマンションを出て以降、本当に誰も尾行していないみたいだ。

「よほどさっきの秘密兵器が覿面(てきめん)に効いたんだな」

 あさひが券売機の画面に指を走らせながら言う。監察の舛岡のことだ。星奴署の刑事課長に睨まれていたはずだが、どうやら上手くやってくれたらしい。

「二人とも、いつの間に監察官の知り合いができたんだ。星奴署の連中がやらかした事を監察にリークして尾行をやめさせるなんて、中学生らしからぬやり方を」

「使えるものは骨まで使うもんね」

 キキは胸を張って鼻高々に言った。そんな自慢にならない事で威張るな。

 改札を通ってホームに向かう。幸い、すぐに下り電車が到着し、わたし達はそのまま乗り込んで空席に並んで腰かけた。周囲には吊り革に掴まって立っている人もいる。

 電車が駅を出て少し経ったところで、あさひの携帯にメールの着信がきた。もちろん電車の中なのでマナーモードにしている。

「おっ、みかんからだ」

「なんて?」キキが隣から覗き込む。

「準備が整ったよ、三十分くらいで着けると思う……だとさ。速いな」

 中谷のマンションに行く前に、あさひはみかんにあるお願いをしていた。これもキキに頼まれた事だが、あんな無茶な要求に応えて、こんな短時間で準備を整えるとは……みかんの財力と包容力は(すさ)まじい。

「それにしてもキキ……このくらいのお願いなら、キキから直接頼んでもよかったんじゃないか?」

「警察を敵に回しているからね……なるべく目立つ行動は避けたいんだ。それにみかんを動かすなら、あっちゃんの口から頼んだ方が早そうだったし」

「へいへい」

 否定の余地がないと悟って、あさひはそれ以上を言わなかった。

「まあ、さすがに電話の傍受まではやらないと思うけど、あの時点でまだ刑事が見張っている可能性はあったから、下手に使えなかったんだ。たぶん、星奴署はわたしやもっちゃんの携帯番号も把握しているだろうし、通話履歴も調べてくると思って。通話アプリを使おうにも、みかんがインストールしてないからなぁ……」

「通話履歴を取り寄せるにも、それ相応の理由がいるはずだけどな」

「功輔くんの居場所を知るためだけに盗聴器まで仕掛けるくらいだよ? 用心するに越した事はないよ」

「ホント、手段を選ばないって点では、金沢都知事と同じくらい油断ならない連中だからね……」わたしは頭の後ろで手を組んだ。「ま、いちばん油断ならないのはキキだけど」

「それは同感」と、あさひ。

 キキは半泣きの表情で「えー……」と言った。彼女としては不本意だろうが、そもそもこれから行く先でどんな調査をするのか説明しない時点で、何か企んでいると思われても致し方ない。

 ようやく目的地である翁武村の駅に到着して、無人の改札を通って駅舎の出入り口に向かうと、そこにはすでに先客がいた。

「おう、もう来たのか」

 功輔が出入り口近くのベンチに腰掛け、携帯をいじっていた。

「そっちもずいぶん早く来たじゃない。お昼頃を目処に動くよう言ったはずだけど」

「間違ってはいないだろ。俺もひとつ前の電車で来たばかりだし」功輔は携帯を服のポケットに仕舞い、ベンチから立ち上がる。「てか、もみじ達も早すぎないか? 俺は余裕をもって早めに来たけど、もう少し待つことになるかと思ってた」

「休校になったのよ。詳しい事情は聞いてないけど、たぶん金沢都知事の差し金」

「休校……」眉をひそめて呟く功輔。「それ、まずくないか?」

「まずくても大人しく引っ込む奴じゃないからね」

 そんな奴であるキキが、わたしの後ろから功輔に声をかけた。

「功輔くん、何事もなく来られたみたいだね」

「門間町はそれほど緊迫した状況になかったですけど、さすがに平日の昼間に出歩くのは目立つので、星子さんに無理言って送ってもらいましたよ」

「賢明な判断だね」

「キキさんが築き上げた信頼の賜ですよ。ところで……」功輔の視線はキキの背後に向いた。「さっきから俺をジト目で見ているあの人は?」

 あさひの事だ。功輔とは初対面のはずだけど、何ゆえ不満そうな眼差しを?

「あの子があさひだよ。前に話した……」

「あー、能登田中にいるお前の友達か」

 功輔には、あさひが狙われた事件のことを話していたので、名前だけは知っている。

「あっちゃん、この子がもっちゃんの幼馴染みの功輔くんだよ。今回の事件にもかなり深いところまで関わっているらしくて、わたし達以上に難儀しているんだ」

「…………」あさひは表情を変えない。

「……えーと」

 予想していなかった反応に、さすがのキキも戸惑っているらしい。

 すると、あさひはわたしとキキの間をすたすたと通り抜けて、真っすぐ功輔の元に歩み寄っていく。功輔のすぐ目の前で止まると、いつになく低い声で言った。

「もみじの幼馴染みだって?」

「……そうですけど」なぜか功輔は敬語。

「ただの幼馴染みか?」

「はい?」

 あさひは突然、功輔の右肩に重そうな手を置いた。

「悪いことは言わない。もみじと深い関係になるのは諦めろ」

「はあっ?」上ずった声を出す功輔。

「あいつと釣り合うのはキキだけだ」

「何の話ですか!」

 ホント、何の話をしているのでしょうね。そんな辛辣な言葉を吐きつけるまでもなく、わたしは元から功輔と深い関係になりたいと思っていないし。

 その後もあさひは功輔にきつい言葉を浴びせていたけど、キキの携帯にかかって来た電話の方に気を取られ、わたしは何も聞かずじまい。

「あ、城崎さんからだ……」キキは迷わず通話ボタンをタップする。「もしもし」

「キキちゃん? 今どこにいるんだい?」

「どこかです」

 なんだかさっきも似たようなリプライを聞いた気が……。ちなみにわたしは、例によってキキの携帯に耳を当てて会話を聞いている。

「ははは、素直に教えてはくれないか。まあいいや。ちょっと知らせておきたい事があってね。現時点で判明した捜査情報を」

「いいんですか?」

「普通はダメだけど、君たちの調査の一助になればと思ってね」

「ふうん」

 キキは特に嬉しくなさそうである。警察の情報が手に入るのは願ってもない事だが、話がうま過ぎて逆に怪しい。もっとも城崎は気にせず説明を始めたが。

「昨日の話で、最初の三人の被害者の家で発見されたルータに、不自然に欠けている箇所があったというのは覚えているかな」

「『ボット』のメンバーがルータに仕込んでいる紋章の事ですよね」

「そうそう。残りの音嶋家のルータも調べたけど、同様に部品の書けている所があった。これで君たちの友人を除く被害者全員が、『ボット』と繋がっている可能性が高いと判明したよ」

 それは早い段階で予想していたことだ……きちんと確認する必要はあるけれど。

「あと、押収したパソコンのログを調べたところ、メール通信の記録に気になるアドレスを見つけたんだ」

「気になるアドレス?」

「着信ボックスにしかなかったけどね……can-DCという文が入っていた」

「キャンディーシー?」

「パッと見て分かりづらくしてあるが、これは区切る位置を変えている。本来はC and Cという言葉だろう。コマンド・アンド・コントロールの略で、ボットウィルスで構築されたネットワークの中枢を意味する言葉だ」

「…………」キキは無言を返す。

「そう言われてもすぐには呑み込めないだろうな」

 おっしゃる通りです。中学生の理解の範疇を超えています。とはいえ、その単語が暗示している事実は何となく読み取れた。それはキキも同様らしい。

「はい、まあ……でもそれって、要するに『ボット』の中心人物を指しているのでは?」

「そう……だからこれは、『ボット』の親玉のアドレスである可能性が高い」

「じゃあ、そのアドレスを辿れば……ああでも、金沢都知事だったら、そのくらい対策を立てているかな」

「お察しの通りだよ。これも例によってヘッダ情報がいくつか書き換えられていて、しかも海外の複数のサーバを経由している。しかも、『ボット』メンバーが区別できるように“can-DC”の文があるほかは、すべてバラバラのアドレスになっている。命令を下すたびにヘッダを書き換えているんだろう。だからこちらから送信はできない」

「でもそれだと」わたしは気になって尋ねた。「『ボット』のメンバーが都知事に返信をすることもできないんじゃないですか」

「その声はもみじちゃんだね。まあメンバーからは、よほど差し迫った事態でない限り送信を行わないだろうけど……それでもゼロではないだろうね。ただ、送信ボックスを調べてもそれらしいメールはなかった。たぶん、メンバーしか知らない通信用のサイトがあって、パスワードで制限されているんだろう。サイトを運営するサーバが海外にあれば、たとえパスワードが判明しても手は出せないだろうな」

 やはり予防線は万全に張られていたか……正攻法で尻尾を掴むのは厳しそうだ。キキなら簡単に搦め手を思いつけるだろうが、今回は分が悪い。金沢都知事ひとりなら相手にならないが、『ボット』はコンピュータの扱いに長けた連中なのだ、専門性を盾にされるとキキは歯が立たない。

「結局のところ、進展らしい進展はないということですね」

「僕ひとりでできる事なんて高が知れてるよ。刑事課は未だに、外山功輔を捕まえる事にばかり気を取られているからね」

「望みをかけるだけ無駄ということですか」

「君なら話は違ってくるだろうけどね。木嶋さんは無視しているが、実は友永から気になる情報をゲットしているんだ。本人は話し損ねていたが」

「何ですか、気になる情報って」

 城崎がここまで言うなら期待する価値はあると、キキは考えたらしい。あからさまに目が輝いていた。

「五件目、つまり音嶋隆が殺害された事件現場で、被害者の携帯を見せてほしいと、現場の警官に頼んできた少年がいたそうだ」

「少年……」

「もちろん証拠品だし、一警官の独断で見せられるわけもないから、断ったうえで被害者と関わりがあるか否か尋ねたけど、少年は名前も言わず去ったそうだよ。だからどこの誰なのかは分からないが、見た感じは中学生くらいらしい」

 そこまで聞いて、キキは考え出した。その少年は恐らく音嶋の知り合いだろうが、音嶋本人の安否よりも携帯電話のほうに関心があるというのは、どうも解せない話だ。中学生の身分で警官に、証拠品を見せてほしいと頼んでくるあたり、手段を選んでいない。よほど不都合な何かが、音嶋の携帯に残されていたのだろうか……。

「どうだい? 何か推理の手助けになったかな」

「今の段階では何とも言えませんね……でも情報提供はありがたいです」

「それはよかった。僕だけでも少しは信頼してくれたら、色々とやりやすくなるからね。一応、刑事課にも友永みたいに君を頼りにしている人はいるけど、いかんせん木嶋さんの影響力が強いものだから……」

「城崎さんだって捜査に駆り出されているんですから、他人事じゃないのでは?」

「いやあ、僕があからさまに木嶋さんを嫌っているせいか、どうも信頼は今ひとつでね、今回も任される仕事はそう多くないんだ。おかげで自由に仕事ができるよ」

 どんな仕事をあてがわれても自由に振る舞っていそうだけど……というか、今回も、ということは初めてではないのだな。

「あの木嶋刑事と行動を別にしているなら、多少は信頼できますね」

「うぅむ、遠回しに木嶋さんへの信頼を全否定したね。まあそういうことだから、僕一人でも君たちに協力することはできるよ。友永と違って口は堅いし、外山功輔の居場所を教えてくれたら、彼を保護する手段をいくらでも提供できるけど」

「要は自分だけに教えてほしいということですね。でもお断りします。城崎さんの手を借りる事態になる前にけりをつけますし、油断して口を滑らせたところを木嶋さんに聞かれたら終わりですから」

 すると、電話の奥からごそごそとした会話が聞こえた。聴覚の鋭いわたしでも、電話越しでは聞き取りづらい。とはいえ、状況はキキが予測した通りなのだろう。城崎がキキから信頼を得ていると判断して、木嶋がそれを利用しようとしたのだろうが、キキの頭の回転の速さには敵わないみたいだ。

「……まったく、それだけの勘の良さを刑事課の連中も備えていれば、どれほどスムーズに捜査が進むことか」

「城崎さん自身のことは信頼していますけど、星奴署の刑事課にいる限り、全面的に任せることはできません。あなた方とわたしでは、望む解決の形が違いますから」

「そういえば昨日も言ってたね。君にとっては、安易な正義や真実の追求より、友達の方が何倍も大事なんだろう?」

「ええ。だからそちらは、そちらの思う形で捜査を進めてください。もっとも、わたしを相手に下手な騙し討ちを図るなんて、無謀もいいところですけどね」

 言い切ったな。確かにキキならそう易々とは騙されないだろうけど、たぶん本人はそこまでの自信を持っていない。ただこうやって強気に出れば、相手も手を出しにくくなるという計算だ。……むしろ騙し討ちはキキの得意技である。

「分かった、捜査本部に伝えておくよ。どうせ挑発と受け取って、さらに手段を選ばなくなるだろうけどね」

「そうしたら、待ち受ける結末は、自滅です」

「違いないね。じゃ、そちらからの報告も楽しみにしているよ」

 そう言って城崎は通話を切る。味方には変わりないのだろうが、どうも腹に一物ありそうな雰囲気があって、若干の不信感を拭えない。最後の最後で、わたし達からの情報提供も必要になると釘を刺してきた。

 キキは携帯の画面をぼうっと見つめながら呟く。

「こっちからの報告っていっても、事件解決に都合の悪いことはたぶん伏せてしまうと思うけど……いいのかなぁ」

「どうせ城崎さんもそこまで期待していないでしょ」と、わたし。「キキの考えもある程度は理解しているみたいだし、木嶋刑事みたいに文句を言うことはないんじゃない?」

「だといいけど」

 キキは遠慮がちに微笑むが、すぐに、視線の先に何かを見つけて「あっ」と言った。振り向くと、赤色回転灯を載せた水色の車が一台、駅舎の前に来て止まった。なぜここに覆面パトカーが?

 運転席から、見覚えのある人が現れた。というか数日前に会ったばかりだ。翁武署の刑事課に所属する中道という老刑事だ。中道刑事はキキに向かって手を振った。

「よお、元気にしていたかい」

「おかげさまで」キキはえくぼを浮かべながら答えた。

「トロフィーの事件では世話になったね。おや、今日はメンバーが増えているな」

 そう、功輔だけは五日前の事件の場にいなかった。

「わたしの幼馴染みの功輔です。いま調べている事件の重要な関係者でもあって……」

「ほう、それはまた」中道刑事は深く突っ込まなかった。「キキくんから話は聞いているよ。時間もかかるし、早く乗りたまえ」

「わお」あさひはおどけた。「今度はパトカーで目的地に行くのか」

「だって前回はリムジンに乗っていたから、道順がちっとも分からないし……知っている人の車に乗せてもらった方がいいと思って」

 キキの言い分は分かるけど、そういう事くらいは事前に言ってほしい。お前ほど図太い神経を持っていない限り、パトカーに乗せられて気分のいい人なんて普通いないぞ。

 功輔がわたしに耳打ちしてきた。

「キキさんって、星奴署以外にも警察の知り合いがいるのか?」

「中道刑事と知り合ったのはつい五日前だよ。きのう話したでしょ、雪像まつりの下見に行ったって……その時に起きた盗難事件を解決したのがきっかけ」

「いかにも、って感じだな……」

 功輔は苦笑した。トラブルをシュートして警察と信頼を築くというのは、確かに探偵らしいやり方ではある。重ねて言うが、キキ本人にその自覚はない。

 ついさっきキキは、使えるものは骨まで使うと胸を張って断言していた。警察との信頼関係も例外ではないのだろう。所轄も含めて警視庁の警察官は、実質的なトップである金沢都知事の圧力を受けやすいが、中道刑事なら信頼できると考えたようだ。たぶん中道刑事もキキの事を信頼していて、電話ひとつですぐに話がまとまったのだ。

 驚異的な信頼構築のスピードが、どんどん味方を増やしていく……キキには、何者をも圧倒する武器が多い。そしてその使い方も上手い。何しろキキは、そうした武器を使っているという感覚がないのだ。ただ一緒に協力して行動している、それだけだ。

 他の誰もが時間と苦労をかけて共同戦線を張る一方で、キキは自然体で仲間を作っていく。負けることなんてない。だからわたしも、安心して身を委ねられるのだ。

 それだけじゃ駄目だと分かっていても……。

 ところで、わたし達はこれからどこに向かおうとしているのだ? 仲間なんだから、そろそろ打ち明けてくれないものだろうか……。

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