その12 監察の内幕
<12>
翌朝。わたしはいつもと同じ時刻に目が覚めた。平日にもかかわらず突然に学校が休みとなったので、少しくらい寝坊してもいいはずなのだが、やはり習慣というのは簡単に変えられないらしい。朝練でこれまで何度も早起きしていたからなぁ。
自室を出て一階に降りていくと、ポケットに入れていた携帯に着信が入った。キキからの電話だ。
「もしもし。どうした、こんな朝早く」
「うん、今からそっちに行って合流しようかと思って」
あくびのせいで何か肝心な部分を聞き逃したのかと思ったが、違うらしい。
「キキがこっちに来るの?」
「わたしはもう準備できたし、その方が早いかと思って。ほら、今日は一日中使えるし、どこかで待ち合わせるよりは効率的でしょ?」
そうなのか? 起き抜けで頭がうまく回らない。
「昨日も話したけど、これが都知事の罠である可能性もあるんでしょ? だったら一人で出歩くのは危険じゃない?」
「大丈夫だよ、もう着いちゃったし」
「はあっ?」
一気に目が覚めた。直後、玄関の呼び鈴が鳴る。
ドアを開けるとそこには、笑顔で手を振りながらスマホを耳に当てているキキの姿。
「もっちゃん、おはよう〜」
彼女が、目の前にいるわたしと電話の向こうのわたし、どっちに向かって挨拶をしたのか分からない。キキと付き合っているとこんな事ばかりだ。
とりあえず、外の冷たい空気が入ってくるから、キキを家の中に入れる。それからキキのこめかみに両手の拳をぐりぐりと押しつけた。
「いだだだだだ……もっちゃ、痛い、って」
「ちょっとは目が覚めるかと思ってねぇ」
「起きたばっかりなのはもっちゃんの方でしょ〜」
「やかましい。てか、もっちゃんと呼ぶな」
そんな恒例のやり取りを経て、わたしとキキは朝食が用意されている台所に向かう。起きたばかりのわたしはともかく、すでに準備を整えたはずのキキまで、椅子に座ってご飯を食べていた。
「あー、もっちゃんのお母さんのだし巻き卵、いつ食べてもおいしい」
幸せそうな顔でキキが言う。
「あら、嬉しいことを言うわね」
「毎日食べたい。いっそ、この家の子になろうかな。そうだ、もっちゃんと結婚して嫁入りしよう!」
もっぺん、こめかみに拳を押しつけてやろうか、と思ったがやめた。
「てか、なんでちゃっかりご飯食べてるの。家で食べてきたんでしょ?」
「ん? ああ、朝飯前ならぬ朝飯後」
聞いても理解できない答えをどうもありがとう。
「まったく……都知事や『ボット』が目を光らせているかもしれないのに、朝から外に出たら何が起きるか分からないでしょ」
「まあ、それはわたしも思ったけど……」キキは味噌汁をすすった後に言う。「事情を知っても外に出て遊ぼうとする中学生が皆無とは言えないでしょ? 関係ない人たちまで巻き添えにはしたくなかったから」
「…………」
「あれ、味噌汁に見たことのない具が入ってる。何だろ」
こういう所があるからなぁ、キキは。いや味噌汁は関係なくて、キキは無意識のうちに自己犠牲に動いてしまうきらいがあるのだ。キキの行動の根本にあるのは、自分のためではない、大切な誰かのため、という考え方だ。だから必要以上に他人が傷ついてしまう事態を避けるために、多少自分の身が危うくなっても気にしない。
それだけに、キキの危険回避能力はかなり高いと言えなくもないが……それに、大切な人が悲しむ事態も避けたいため、本当に自分が犠牲になる事もない。どんな状況でも、英雄的思想に染まらないのがキキという人間だ。
そういえばキキは、「歴史上で英雄と呼ばれる人は無責任だ」と言っていた。ある意味キキの中では、英雄が神格化されるような事は間違いでしかないのだろう。彼女がどんな経験からそんな思想を持つようになったのか、わたしもよく知らないけれど。
「キキちゃん」母が不安そうな面持ちで言った。「あまり危ないことはしないでね。もみじも……よく分からないけど、怪我をするような事にはならないようにね」
母の心配も分かる。先々月の誘拐事件では、無傷で戻ってはきたけれど、一歩間違えたら大怪我だけでも済まなかったかもしれない。その事を知っていれば、一人娘が危険な調査に関わろうとすること自体に、不安を覚えるのは当然だった。
だが、それでも立ち止まらない。わたしもキキも、そう決めたのだ。
「大丈夫ですよ」キキは微笑む。「わたしの事はもっちゃんが守ってくれるし、もっちゃんが危険な状況に立たされたら、わたしが知恵を絞って助け出します。お互いに守りたいと思えば、それが力になりますよ」
根拠のない事を……でも、キキのいう通りかもしれない。
何があっても互いを助け合っていこう。それが、保身のために味方さえ切り捨てる都知事に対する、絶対的な勝機になるのだから。
朝食を終えてわたし達は家を出た。町中を並んで歩く。キキが自分の考えを詳しく話してくれないため、わたしは当てもなく歩いているのと変わらない。
「キキ、これからどうするの? 予定外に暇な時間ができたけど」
「まあその暇な時間を利用しない手はないよね」
利用すればするほど、わたし達の危険度は増していくのですが……。
「昨日のうちに監察官の舛岡さんに連絡して、会って話をしたいって頼んでおいたんだ。四年前の都庁職員失踪事件について、もう少し詳しく聞いておきたくて」
「それを詳しく聞いたら何か分かるの?」
「分かることはあるかもしれないよ。ほら、失踪した職員やその恋人の女性……名前までは聞いていなかったし」
そういえば個人情報は上手い具合に伏せられていたな。さすが公安出身の監察官だ。
「色々と状況も変わってきたし、そろそろ教えてもらえるかな、と思って」
「ふうん……」
返事が上の空になる。わたしの注意が逸れていることにキキが気づいた。
「どうしたの?」
「家からずっと、誰かがわたし達の後をつけてる」
盗聴される心配はないので、符牒は使わずに言った。
「星奴署の刑事さんかな」
「恐らくね。まったく、まだ諦めてなかったとは……」
「大勢の部下や同僚の前で、本庁の刑事を出し抜けると豪語していたから、後に引けなくなっているんじゃないかなぁ」
これはもちろん木嶋のことだ。今日は功輔を匿っているさそりの家に行かないので、尾行しても無意味なのだけど。でもお昼頃に合流する予定だから、このまま尾行され続けるのは好ましくない。木嶋の存在は今や人畜無害だけど、都知事が功輔をスケープゴートにふさわしいと考える可能性は十分にある。
「どうする? 撒く?」
「必要ないよ。もう対策は考えてあるから」
キキはスマホをちらつかせて言った。ああ……あれを使うのか。そのスマホに入っている“武器”が何なのか知っているわたしは、すぐに理解できた。
「だから、このまま待ち合わせ場所の『フェリチタ』に行こう。尾行しているのが星奴署の刑事なら、待ち合わせの相手を見れば店内には入ってこないし」
確かに、星奴署の刑事のほとんどは、昨日の時点で舛岡と顔を合わせている。誰も好き好んで監察官と同じ部屋にはいたくないだろう。
舛岡から『ボット』の話を聞いた場所である『フェリチタ』に、舛岡はまだ来ていなかった。本庁勤めだから、星奴町にくるまで少し時間がかかるのだろう。先にテーブル席を確保したわたしとキキは、晴美さんにホットココアを注文した。
十分ほど遅れて舛岡が来店してきた。やはり瀟洒な喫茶店では浮いた存在だ。
「待たせたかな」
「大丈夫ですよ。わたし達も少し前に来たので」と、キキ。「何か頼んでは」
「そうしよう。ブレンドコーヒーを一つ」
低く響く声で、舛岡はカウンターに向かって言った。前にも頼んでいたけど、ここのコーヒーを気に入ったのかな……。
「感謝しろよ。職場を抜け出すのも一苦労だったんだ」舛岡は腕を組んで言った。
「何かトラブルでも?」
「俺の単独行動が、星奴署の刑事課長からうちの上司の首席監察官に知らされて、報告もなしに何を考えているんだと、大目玉を食らってしまってね。部下の監察室員も連れずに調べていたから、さすがに不審がられたようだ」
「ひょっとしてわたし達が、あのとき舛岡さんが来ていることをばらしたせいですか」
わたしはおずおずと尋ねた。そうだとしたらなんだか申し訳ない。
「いやあ、これは俺自身が蒔いた種だからな。君たちのせいではないよ。いずれは上司にも知られてしまう事だったのさ」
気にしないでほしいという事だろうが、結果として迷惑をかけたのなら、舛岡に何と言われても気にせざるを得ない。
「それで、上司の人に事情は話したんですか」と、キキ。
「致し方なかったからな。金沢都知事に関する黒い噂と、それに端を発する一連の事件のことを、包み隠さず話したよ。君たちに明かしていない情報も含めてね」
「あ、ずるい」
キキは半眼で口を尖らせる。そこはこだわるべき問題でもないだろうが……。
「首都警察の有り様にも影響を与える重要な案件という事で、俺自身は厳重注意で済んだけれど、この話を都の公安委員会に報告するかどうかは、完全に上司次第だ。場合によっては都知事からクレームをつけられて、自由が利かなくなるかもしれん」
「抜け出すのに苦労したなら、もうすでに自由に動けなくなっているのでは?」
「それは言えている。とにかく、ここからが本番だというのに、大事な所でつまずいてしまったものでね……今後はこちらから電話連絡するくらいしかできそうにない。それと、俺の口から君たちの事は話していないが、星奴署の刑事課長が心当たりを話したかもしれない。都知事の耳に入る可能性もある」
「ああ、たぶんとっくに知っていますよ」キキはココアを一口すする。「さすがにわたし達の事はまだ突き止めていないと思いますが、星奴町の女子中学生が事件のことを嗅ぎまわっている事は、恐らくすでに」
「なるほど、それで警察に情報開示を促し、星奴町内の中学校を一斉に休校にしたのか。そんな状況で動き回って君たちは大丈夫なのか?」
「凝り固まった組織主義や公務員法の束縛は、わたし達に適用されないんでしょう? もし暴力的な手段に訴えたら最後、もっちゃんの鉄拳制裁で返り討ちにされますから」
「だからわたしをもっちゃんと呼ぶな」
わたしはキキの頬をつねって引っ張った。
「詳しくは知らないが、もみじくんの腕っ節はそんなに強いのかい」
舛岡の問いかけに、キキは頬をさすりながら言った。
「ええ、その気になればゴキブリも見つけた途端に潰せます」
「そもそもゴキブリを目撃した事すらねぇよ。いい加減な武勇伝を語るな」
まあ、虫は全般的に平気だから、目撃しても冷静に対処できると思うけど、あのやたら丈夫で逃げ足も速い昆虫を、一瞬で圧殺するだけのパワーと瞬発力があるだろうか。やったことがないから判断しようがない。
「とはいうものの、わたしともっちゃんでも防ぎきれない事はありまして」
キキは服のポケットを探りながら言った。
「ん?」舛岡は眉を上げる。
「そちらも名誉挽回を図りたいなら、わたしからチャンスを与えますよ」
ポケットから取り出されたのはキキのスマホだった。ある写真を表示させてテーブルの上に置き、舛岡に見せる。
「これは……?」覗き込む舛岡。「小型のGPSと盗聴器か」
「さすがに元公安捜査官は分かりますよね。昨日、舛岡さんが星奴署を出た後で、わたしともっちゃんも刑事課を出たんですけど、その時にわたしが着ていたコートに仕込まれたんです。まあぶっちゃけ、わたしがそうなるよう仕向けたんですけど」
「ああ……それでずいぶん丈の長いコートを着ていたのか。GPSと盗聴器を仕掛けたのは、もみじくんの幼馴染みである外山功輔なる少年の居場所を探るためか」
「ええ。でもこれってどっちも、捜査で使う事は禁止されていますよね」
「盗聴器は当然違法だし、GPSは法整備が完了するまで使用を控えるよう、警察庁からお達しが出ているからな。令状を発行できる状況じゃないし、違法捜査である可能性が極めて高い」
「刑事課の木嶋さんは、ばれなきゃ問題ないと踏んでいたようですけど、これって監察官が出動するいい口実になりますよね?」
「当然だな」
「ではこの写真のデータを根拠に、星奴署の刑事課にわたし達の尾行を中止するよう言ってくれませんか。わたし達でこれを見せて尾行を止めるのは得策じゃないと思うので」
まあ、ひとつ間違えばこっちが脅迫罪になるからな。
「この写真のデータは監察に託します」
「ふむ……違法捜査を立証する材料としては乏しいが、同じものが星奴署にあって、会話や移動ルートの記録が残っていれば、監察の強権を発動させることは可能だな。俺も星奴署に口出しできる絶好の機会だし、引き受けるとしよう」
「やった、ありがとうございます」キキは満面に笑みを浮かべた。「これで今日くらいは尾行されなくなりますよ」
まさかとは思うが、最初からそうするつもりで、舛岡がいることをみんなにばらしたのではあるまいな……。キキも抜け目のない奴だ。
「で、星奴署の刑事による尾行をやめさせるために、わざわざ俺は呼ばれたのか」
「用件はもう一つありますよ。舛岡さんが先日わたし達に話さなかったという、四年前の事件に関するもう少し詳細な情報を、教えてほしいのです」
「ふうん……具体的には? 最低限の事さえ教えられないかもしれんが」
公安出身の舛岡は、情報の開示にどこか消極的だ。一昨日の時があまりに情報を与えすぎたのかもしれない。
「とりあえず、失踪した都庁職員の男性と、恋人の女性の名前を。それだけ分かればこちらで何とかできると思いますし」
「凄まじい行動力だな……言っておくが、前回それらの情報を伏せたのは、単にそれが秘匿事項だったからだ。これは監察室じゃなく、あくまで公安部のごく一部の人間が共有している情報……ゆえに、そう簡単に話せるものではなかったのだ」
「その割に前回はずいぶん丁寧に説明してくれましたけど」
「君が行動しやすいようにと思ったからな。とはいえ、一時的にでも公安部を離れて警務部の所属になっている俺が、独断で公安部の情報を一般人に教えるわけだから、ある程度の制約を設ける必要はあったんだ。まあしかし、今回の事で首席監察官にも知られてしまった以上、これは監察官室も握っている情報と言ってもいいだろう。元より、君に任せると確約した以上は、なぁ……」
舛岡はそう言って手帳を取り出した。ページを開いて、ボールペンでさらさらと何かを書きこむと、破り取ってキキに渡した。わたしも横から覗き込む。
『谷中英司 中谷雪奈』
左が職員の男性の名前で、右がその恋人の名前だろう。その下にはどこかのマンションの住所と部屋番号が書かれている。
「この住所……恋人の女性が住んでいる所ですか。お願いしていませんけど」
「どうせ、この女性に接触して話を聞くつもりなんだろう? どうやって突き止める気だったのか知らないが、先に教えておいた方が早いからな」
「お気遣いすみません」キキは深々と頭を下げて、すぐ上げた。「それにしても面白いですね。谷中さんと中谷さん……名字が互いに逆さまですよ」
「もしかしたら、これをきっかけに知り合ったのかもしれないね」
「あはは、もっちゃんも面白いこと言うね。ま、ありそうな話だけど」
馬鹿にしてんのか、こいつ。
「それからもう一つ、これは俺がついでに調べたことだが、恋人の女性は先々月まで、エイトコインという仮想通貨を取り扱う企業で、技術コンサルタントをしていたそうだ」
「エイトコインですか」わたしはキキの首を締め上げながら言った。「セキュリティシステムの欠陥が見つかって経営破綻した……」
その話だったら、翁武村に行った時にニュースで見たばかりだ。
「ああ。現在はフリーのプログラマーらしいが」
「へえ……」と、キキ。「都庁職員の恋人がプログラマーですか」
「先日も話した通り、この話を教えてくれた同僚の元監察官は、四年前に彼女と接触しているが、とにかく理屈屋で気難しい人だと評していた。ハッカーとクラッカーを取り違えていた時も、『恥をかくから使わない方がいい』と言われたらしいし」
根が人嫌いなのだろうか。そんな人の恋人でいたのなら、谷中という男性は、中谷にとって数少ない理解者だったのかもしれない……。
「今の俺から提供できる情報はここまでだが、少しは当てができたかい」
「ええ、十分に」
そう言ってキキは、名前と住所が書かれたメモを半分に破いた。どうやらすべて記憶したようだ。メモは粉々になるまで破かれた。
キキは細切れになったメモを持ってカウンターに近づき、晴美さんに向かって言った。
「晴美さん、これ、燃やして捨ててくれませんか」
「いいけど……燃やさないと駄目なの?」
「ええ。どうやら他の誰にも見られちゃいけない内容みたいなので。できれば今すぐ」
晴美さんはどこか腑に落ちない素振りだったが、結局は頼みを聞いてくれた。キキから受け取ったメモの細切れを持って、厨房に引っ込んでいく。コンロの火でも使って燃やすつもりだろうか……。
テーブル席に戻ってきたキキに、舛岡が満足そうに言った。
「たいした機転だな。俺が口頭で二人の名前を言わなかった事から、知られたくない情報だと察して、粉々に破いて判読不能な状態にしてから店主に渡すとは」
「後から『ボット』が回収する可能性もありましたからね。厨房の中なら誰も覗き込めませんし、燃やしてしまえば、後から回収して繋ぎ合わせても読めませんから。そもそも、燃やして炭にしたら繋げませんけど……」
「フン、毒を以て毒を制すとは、まさにこの事だな」
キキの笑顔が固まった。
「一緒にされても困るのですけど……」
「いやいや、思考回路が似通っていても君は金沢都知事と同類にはならんよ。もちろん、我々とも同じにはならない」
そうか、公安でも似たような事はやっているのだな。
「さて……」舛岡は席から立ち上がった。「俺はそろそろ本庁に戻るよ。あまり長く抜け出せないのでな」
「貴重な情報提供、ありがとうございます」キキはぺこりと頭を下げる。
「いや、こっちこそ、名誉挽回の機会を与えてくれたことには感謝するよ。それじゃ、また気が向いた時に連絡するよ。何か進展があっても、そちらから連絡は控えてくれ。さすがに『ボット』の動きは止められないから、十分気をつけるように」
舛岡はそのまま店を出ていった。コーヒー代はちゃんと払ったけど。
キキは背もたれに寄り掛かり、ふう、と息を吐いた。
「少しは慣れた?」わたしはキキに尋ねた。
「まあね……ここで慣れておけば、これから調査の過程でどんな人が相手になっても、ちゃんと対応できるようになるし」
「確かに心の準備は必要だよね……」
「それじゃ、わたし達もそろそろ出かけようか」
キキは両腕を上げて伸びをした。どこに行くのかといえば、四年前の事件の重要な証人である、中谷雪奈の住むマンションだ。功輔と合流するその時間まで、なんとか可能な限り事件の背景を洗い出さなければ。
そんなことを考えた、その時。
「どこに出かけるって?」
揃ってびくっとするわたしとキキ。後ろのテーブル席から聞こえたような……。
振り向くと、テーブル席を仕切る衝立の上から、あさひが顔を出していた。
「「うわあ」」
「驚く反応までシンクロするとは、お前ら本当に仲いいな」
「あっちゃん……なんでここに?」
「昨日退院したけど、いきなり学校が休みになったっていうから、数日ぶりに『フェリチタ』にお邪魔しようと思ったのよ。トイレから戻ってきたら、あんたらが見知らぬ怪しい男と話していたから、何事かと思って聞いてみれば……」
「……どこから聞いてたの」
「名誉挽回のチャンスを与えましょう、っていうくだりから」
そこから聞いていたのなら、舛岡との話の内容はほぼ理解できるだろう。しかし……やはり舛岡は初対面だと怪しく見えるか。あの風貌だと致し方ないよなぁ。
「まったく、一昨日から何か慌ただしいとは思っていたけど、また厄介な事件に関わっているわね。まあ、あんた達が自発的に首を突っ込むとも思えないし、わたしが狙われた事件とも密接に関係するんでねぇべが」
あさひはすっかり本調子を取り戻していた。そういえば、功輔を流成大附属病院から脱出させる時に、キキはあさひの病室から外を見張っていたな。
「うん、まあ……詳しく話せば長くなるけど」と、わたし。
「構わないよ、別に。わたしは基本的に釣り合いを重視して行動するけど、そういう大事なことは無難に済ませやしないよ」
何だかんだ言っても、義や情に厚いところもあるあさひである。
「それなら、あっちゃんもいつも通りになったところで、一緒に来てくれないかな」
「おっ、わたしも調査チームの仲間に加えてくれるか」
「相手が相手だからね。あっちゃんみたいな物知りが一緒だと心強い」
理屈屋で気難しい女性プログラマーから話を聞き出すわけだから、確かにわたしとキキだけでは何かと不安だ。あさひがいてくれれば話も進みやすいだろう。
そういうわけで、久々に三人で行動することになった。たった一週間のブランクを長く感じるほど、わたし達はずっと一緒だったのである。