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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
34/53

その11 トリックPART.2

 <11>


「じゃあ、次は第二の事件について……被害者の室重くん以外に、誰も出入りしていない公園の中で、室重くんが右目を撃たれて殺され、同じように銃弾が消えた」

 詳細をかなり省いているが、要するにそういう内容の事件だ。情報が極端に制限されているため、そしてわたし達も多くを語らなかったため、詳しいことを何も知らない功輔にも分かるように説明している。

「その事件でも、目撃者とか野次馬はいたんですか?」

「もちろん。ただ、室重くんが撃たれた砂場が入り口の死角にあって、直接に見た人はいなかったみたいだよ。銃声を聞いてようやく気づいた人が大半みたい」

「でも気づいた人がいたなら……」

「うん。遺体に駆け寄った人も何人かいたみたいだよ。まあ、子供が目を撃たれて倒れている所に、進んで近づく人もいないけど。もちろん後で全員が身体検査を受けたけど、一人として銃弾を隠し持っていなかったって。ちなみに射撃残渣(ざんさ)が見つかったのは、入り口と反対の方にあるお堀の近くで、そこから撃ったと考えられているよ。遺体も入り口の方向に倒れていたようだし」

「そういえば、その公園で人が出入りできるのはその入り口だけなんですか?」

「他の所は金網の柵で囲われているからね。乗り越えた痕なんてすぐに見つかるよ」

「その状況で銃弾が消えたというのは確かに不可解ですが……キキさんはその謎をどう解きます?」

 キキの事を特別扱いしているようだけど、功輔が同年齢の女子に敬語を使っているとなんだか違和感があるなぁ。

「これも第一の事件と同様、撃った場所をそもそも読み違えていると思う」

「発射時の残滓(ざんし)物は残っていたんでしょう?」

「別のどこかで、袋に入れた状態で銃を撃っておけば、燃焼した火薬や銃弾の削りカスなどは手に入るよ。それを後で撒いておけばごまかせるし」

「それはそうでしょうけど……では、犯人はどこから撃ったと?」

「土の中から」

 ……また奇想天外な発想に及んだな。にわかには受け入れがたい。わたしは半ば呆れつつ訊いてみた。

「土の中に犯人が潜んでいたとでもいうの? モグラみたいに」

「さすがにそれはないよ。遠隔操作で発砲できる銃を埋めていただけ。正確には、砂場の砂の中に、銃口が砂場の表面に接するように埋めたんだよ。発射された弾が真上に飛ぶようにしてね」

「なるほど、横から撃ったんじゃなく、下から撃ったんですね。でもその状況で目を撃ち抜くには、室重が砂場の銃口を覗き込む必要があるのでは?」

「そのために、砂場に落ちていた十セント硬貨が必要だったんだよ」

 ああ、そういえばそんなものが現場に落ちていたと、城崎が言っていたな。

「……そうか、その硬貨を銃口の真上に置いておいたんですね。あらかじめ室重に、十セント硬貨を見つけるように言っておけば、確実に顔を近づけますね」

 そういうことか。見つけても拾わないように言っておけば、室重は砂場でそれらしいコインを見つけても、それが問題の十セント硬貨かどうか確かめるためには、自分が顔を接近させるしかなくなる。そのタイミングで撃たれたのだ。

「あれ、だったら銃弾は、やっぱり遺体のすぐ近くに落ちている事になるんじゃ?」

「そうだね、実際近くにあったと思うよ。だけど至近距離から撃つなら、そして遠隔操作で発射する特殊な銃を使うなら、銃弾も普通の金属である必要はない。たぶん小さな石を使ったんじゃないかな。砂場にあっても不自然じゃないし」

「えっと……それなら特殊な銃で砂の下から撃たなくても、普通に撃っても同じ事なんじゃないかな」

「でも、その小石には血痕も体液も付着しているはずでしょ? しかも全体に」

 ああ、そうか……普通に撃ったら、そんな不自然な血の付き方をしている小石が、遺体から離れた所から見つかって、トリックがすぐにばれる。でも真下から撃てば……小石は遺体の近くで同じように血がべっとり付いた砂に紛れてしまう。

「アメリカの硬貨を使った事も生きてくるよ。そんな目立つものが近くにあると、なおさら石ころには目を向けなくなるからね」

 十セント硬貨を選んだ理由はそれか……たぶん、室重が銃口に顔を近づけるように誘い込むと同時に、石ころの弾から目を逸らす事ができれば、何でもよかったのだ。

「誰も銃弾を回収していないなら、そして第一の事件みたいに銃弾の逃げ道がないなら、銃弾はその場にまだ残っていると考えるしかない。だったら銃弾の正体にも見当がつく。それを遺体の近くに残すには、真上か真下から撃つしかない」

「えっと、あの状況で真上から撃つには、両隣のマンションの屋上を使うしかないね」

「だけどそこから撃って、室重くんの頭部に水平な銃創を作るには、室重くんが屋上を見上げなければならない。その体勢だとどうしても体の重心が後ろにずれる。この状態で撃てば当然、重心のずれた方向、つまり後ろ向きに倒れることになるね」

「なるほど」と、功輔。「そうすると遺体はどちらかのマンション側に倒れてしまう。入り口に向かって倒れていたという状況と矛盾しますね」

「そう。消去法で、真下から、つまり砂場の砂の中に仕掛けがあると思ったんだ。実際、警察による見張りが解かれたタイミングで砂場に犯人が立ち入ってる。その時に、砂の中にあった銃を回収したんだね。堀のそばにダミーの射撃残渣を撒いておけば、誰も砂の中なんて調べないし」

 すごい……論理的思考と発想力の合わせ技による、見事な推理だ。証拠はすべて処分されたから確かめようもないが、これ以上に説得力のある仮説はないだろう。でもまあ、遠隔操作でそれなりの威力で弾を発射する装置を、犯人が作れるという前提はあるけど。それだけのものを一か月の間に作れるだろうか。

 やはり北原は都知事や『ボット』のバックアップを受けていたのか……?

「ここまでの推理に異論はないですか」と、キキ。

「ええ、無いです」

 功輔と同じくわたしも異議はなかったので、頷いた。

「それじゃあ最後に第五の事件を……立体駐車場の半地下階での犯行だね。人通りの多いところで、駐車場内にいた音嶋くんを撃ち殺したと見られていて、その後に誰も駐車場内に出入りしていない事は、監視カメラが証明している」

「にも関わらず、その半地下階から銃弾は発見されなかった……もしかしてこれも、犯人によって錯覚させられていることがあるのではないですか?」

「そう思うよ。第三と第四の事件のトリックは割と直球だけど、他の三件は捜査する側に事実を誤認させることで、銃弾が不自然に消えたように見せかけている」

 捜査側に真実を見誤らせることをトリックと呼ぶ……以前に功輔が言っていた言葉を引用するなら、それこそトリックと呼ぶにふさわしい。もっとも、何と呼ぼうが真相究明には関係のない話だが。

「わたしがまずおかしいと思ったのは、人通りの多い所で犯行に及んだことだね。派手に銃声を響かせているし、逃げ場がなくなるかもしれない状況で実行に移したからには、相応の理由があるはず……まあ、犯行の瞬間を見せたかったと考えるのが筋かな」

「見せたかった?」と、わたし。

「そこで確かに銃撃があったと思わせる、もっと言えば錯覚させるには、多少危険でもそれがいちばん効果的だった……犯人の目的はそこにあったんだよ。裏を返せば、目撃証言や警察の見解には事実と違う部分がある。つまり、犯人が音嶋くんを撃ち殺したと思われるそのタイミングが、実際の殺害のタイミングとずれていたとしたら?」

 ……思いつく可能性は限られる。すでに前例を聞いている。

「平津少年の事件と同じ、時間差トリックってこと?」

「うん。もっともこの場合、犯人が銃を発砲したと思われる時刻の後は、誰も現場に出入りしていないのだから、逆方向にずれていると考えた方がいいね」

「つまり、犯人が大勢の人の目の前で音嶋を撃つ前から、音嶋はすでに殺害されていたってことですね」

 功輔がそう言うと、キキはその通りと言わんばかりに頷いた。

「でも目撃したOLの話だと、音嶋少年は殺害される前に立っていたはずだけど」

「そこがどうしても分からなかったんだけどね……現場を調べたら分かったよ。ほら、音嶋くんが倒れていたところの真上の天井に、フックがねじ込まれていたでしょ。あれはたぶん、糸で音嶋くんの遺体を吊るして立たせるためのものだよ」

「糸で吊るして立たせる?」

 確かに昼間でも薄暗い所だったし、あると思わなければ見つからないだろうけど。

「想像でしかないけど、こんな感じじゃないかな。まず、あらかじめ天井のフックを経由して、鍵を壊しておいた窓から細い糸を引いてきて、何かの(おもり)をつけてピンと張らせておく。そして音嶋くんを殺害した後、錘を外した糸をコートの襟吊りに通して、再び錘をつけて同じ窓に運ぶ。もちろん音嶋くんの遺体を立たせた状態で、まあ糸の運び方についてはもう少し工夫したかな、途中で遺体が倒れないよう細心の注意を払ってね。糸の両端を固定するなら、磁石とかを使った方が確実かも」

 キキは襟吊りの形の不自然さを気にしていた。あの時点で、糸を使ったトリックに辿り着いていたのだ。考えてみれば、撃たれる直前まで音嶋が俯いていたというのも、糸で吊られている状態だと考えれば納得がいく。

「そうして準備を整えた後は、その窓の外に戻って、空砲を撃ったんですね」

「それと同時に糸も切れば、はた目には銃で撃たれて倒れたように見える」

 もはやこのトリック、錯覚させることが至上の命題になりつつある。いかに効率的に殺人を決行するか、そんなことはほぼ考えていない。

「銃弾が出てこないのは当然だね、実際には撃ってないんだから」

「音嶋はやっぱり、倒れていたその場所で撃たれたんですか。だって、別の場所で撃ち殺して運んできたなら、さすがにばれますよね」

「同じ場所で殺害したのは間違いないだろうけど、銃も使ってないと思うよ。銃弾消失を実現させるなら貫通させるのは絶対だし、でも犯行前に血が散ってしまうことは避けたいだろうし」

 言われてみればその通りだ。銃弾を撃ち込んで貫通させれば、確実に血が飛び散る。分厚いジャケットの上から撃ったとしても、血の付いた弾丸が地面に落ちてしまう。血の乾き具合で不自然に思われるかもしれないし、窓から撃たれたなら付くはずのない場所に血がつくことだって考えられる。

「じゃあ、実際には何を使ったの?」わたしは尋ねた。

「ボウガンを使ったんじゃないかな」と、キキ。「至近距離で発射すれば貫通するだろうし、銃弾と違って、貫通した後も床に落とすことなく回収できるし」

 凶器は弾丸ではなく矢だったのか……銃が使われたと思い込めば、考えつかないな。

 ちなみにボウガンというのは商標名で、一般的な名称はクロスボウだ。

「でも、上手く貫通したとしても、矢の大部分が体内に残ったら回収しにくくなるよ。ちょっとしか体から出なければ、引き抜くのも難しいだろうし……」

「いや」功輔がスマホを操作しながら言う。「ボウガンの矢は長いもので二十インチあるらしい。大体五十センチほどだ。それだけの長さなら、ちょっとしか体から出ないなんてことはまずないだろう」

「そうなんだ……」

「だけど、矢を体から引き抜いたら、やっぱり血が飛び散るのでは?」

 功輔の問いに、キキはかぶりを振る。

「音嶋くんは心臓を貫かれている。たぶんショック死に近い状態だから、すぐに抜かなければ血はほとんど出ないと思う。実際に矢を抜いたのは、糸で吊って立たせた後……元から黒いダウンジャケットを着ていたから、多少血が滲み出ても分からなかったと思うよ。足元に血が流れ落ちる前に、犯行に及べばいいものね」

「すでに死んだ状態で立たせたら、死斑が足や指先に現れませんか? 撃たれて倒れただけなら、腹とか背中に死斑が生じると思いますけど」

「個人差はあるけど、死斑が出るまでは二、三十分かかるから、窓の外に戻って目撃者が来るのを待つには十分に時間的余裕があるよ」

「……そもそも、細い糸だけで人ひとりの体を支えられますか?」

「糸の種類は当然選んでおくべきだけど……前のジッパーを完全に閉めておけば、両脇で上手く引っかかって支えられると思うよ。実際あのダウンジャケットは、前面にも穴が開いていたから、最初からジッパーが閉められていたのは明らかだし」

 そんなところまで見ていたのか。

「切った糸は、釣り竿に使われる電動リールですぐに回収できるよ。駐車場内は暗いし、目撃者は銃声のすぐ後に犯人の方を向いたから、数秒間だけの回収ならごまかせる」

「そっか、目撃者が聞いたっていうシャーって音は、電動リールで糸を巻き取る時の音だったんだ」

「たぶんね。本当にそれかどうか確かめるのは厳しいけど……」

 現時点で矛盾は見当たらない。とにかくこれで、五件すべての銃弾消失の謎に、一応の説明がつけられた。証拠がないから、これが真実かどうかは確かめられない。それこそ犯人に直接聞かない限りは、真実など明らかにはならないものだ。

 とはいえ、今の状況では犯人の正体に行きつくのは至難の業だろう。

「謎とされている物事に答えは出せましたけど、それで犯人が誰か分かります?」

 功輔が尋ねた。キキは腕組みをして「うーん」と唸る。

「今の推理から犯人を特定するのは無理じゃないかな……実行犯の素性はとうに割れていて、でも計画した人物の素性までは分からない。正直、手掛かりゼロだよ」

「キキ、今までの推理を抜きにして、犯人を特定する方法はないのかな」

「それも考えたけど、そもそも動機が不明瞭だからなぁ。計画の遂行はすべて北原に任せていただろうから、現場の遺留品とかも当てにならないし、そもそもどこにいてどういう立場の人間なのかも分からないし」

 キキは後ろ向きに倒れ、寝転がった。

「せめてこの犯行に、『ボット』が関わっている事だけでも証明できたらいいんだけど、相手が悪すぎるんだよぉ」

「まあ、証拠を残さないことに全精力を傾けるような連中だからね」

「はー……どうしようかなぁ」

 どの道へ進むべきなのか、それさえも分からない。暗中模索の途上にあって、いよいよ行き詰まりの様相を呈してきた。今回の事件で証拠を手に入れるには、犯人側が何らかのミスをしなければならない。しかしそれを期待するのは楽観的が過ぎるし、わたし達が見つけられなければ意味がない。

 次の一手はどこに進めるべきか……とりあえず、中途半端なワトスン役に甘んじているわたしは、適当な行動に出てヒントを作ることにしよう。キキの場合、どんな些細な事でもヒントにできる発想力があるのだ。

「テレビつける? ちょっとは気分を変えてみようよ」

「あー、それがいいかもね」

 投げやりな態度が丸見えだ。体起こそうとしないし、テレビも見ないし。音声だけで十分だろうから、とりあえずわたしはテレビをつけた。

 民法のニュース番組が出た。女性キャスターが告げる。

「本日午後三時に行われた、金沢晋太郎都知事の定例記者会見での発言が波紋を呼んでいます。IR推進法を根拠として、政府がカジノなどの統合型リゾート施設を展開させようとしていることについて、金沢都知事は厳しく批判しました」

 おお、随分タイムリーな話題が飛び出したな。画面が会見映像に切り替わる。

「あえてオブラートに包まず言わせていただきますが、カジノなどという野蛮な娯楽を、事もあろうに国が法律を武器に推し進めるなど、まれに見る愚行としか言いようがない。彼らは政権発足直後から、やたらと経済最優先で政策を進めていますが、経済効果ばかりに目を向けてそれ以外のファクターを無視する、これを愚行と呼ばずして何と呼べばいいでしょう」

「いくらでも他に言い方はありそうだけどね」

 金沢都知事の発言を聞いて、キキは身も蓋もないことを口にした。それにしても、公の場で(ののし)るほど賭け事が嫌いなのだな、この都知事は。

「カジノは人間を(すた)れさせ、いずれは日本の社会を崩壊させることにもなるでしょう。その一方でカジノを舞台に取引される莫大な額の金は、税金となって政府や役人の給料にすり替わる……つまり国政は国民を食い物にしようとしている。税収のアップは確かに急務ではありますが、そのために国民に生活面ばかりか精神面でも苦痛を強いては、まさに本末転倒。カジノがもたらすメリットは税収の増加くらいです。しかるに政府はその唯一のメリットだけを強調している。夢だけ見せて現実を見せないのは、政治の世界ではよくあることだと言われますが、そんな政治を一体だれが支持するというのでしょう」

 主張していることはいちいち正しい。だけど、噂にすぎないが、金沢都知事の裏の顔を知っているわたし達には、ただの偽善にしか見えない。

「正論でもって民衆の不満に乗っかる……歴史上の数多の政治家がやってきた、民衆を取り込むテクニックだな」と、功輔。

「本心と違うことが平然と言えるかどうかが、優秀な政治家の条件なのかもね」

「あんたらみたいに本心をズバズバと言う人間には、理解に苦しむ世界でしょうね」

 わたしは呆れながら言った。わたしの周りには、金沢のような人間と対照的な人が多すぎる。

「政策における夢と現実、その両方を見せてこそ透明性のある政治となる。すでに国には情報管理に関わる多くの問題がのしかかっている。誠意を見せるべきです。私と同じく、ガラスのごとくクリーンな政治を目指してほしいものだ」

 透明性のある政治をガラスに例えるとは……そんなに上手い比喩じゃないな。

「いやまったく、まんまと政府の株を下げて自分の株を上げている」と、功輔。「今まで何度も金沢都知事の定例会見を見てきたけど、やっぱり選挙が近いからか、いつもより語気が激しい感じがするな」

「自分の政治をガラスに例えるとか?」わたしは功輔に尋ねる。

「それはほぼ毎回言ってるよ。都知事の常套句なのさ。実際は薄汚れたガラスだけど」

 まだ確定できたわけではない……ていうかその比喩もどうなの。

「変な話だね」と、キキ。「ガラスみたいに透明だったら、むしろ見えにくくなるのに」

「……はい?」

「わたし、やたら綺麗な窓ガラスだと、ある事に気づかなくてぶつかることが多いんだよね。あるかどうか見えないなら、実体を持っていない事の喩えになるんじゃない?」

 ぶつかるのはお前がドジなだけだ……というか。

「いやいや、何を言い出すのかと思ったら……あれはガラスみたいな透明なものに包まれていても、中身がちゃんと見えるって意味だから。それ自体がガラスって事じゃなくて」

「あれ、そうなの?」

「そういうふうに解釈した方が自然、ってことだけど……」

「ふうん、なんだか誤解を招きそうな言葉。でも……」

 キキは何を思い浮かべたのか、急に黙り込んだ。

「キキ?」

 わたしの声にも反応しない。十秒ほど経ってから、キキは振り向いた。

「ねえ功輔くん、聡史くんへのいじめが始まる前に、聡史くんと一緒にどこかへ行かなかった? サッカー部の遠征とかで」

「いじめの前、って事は小四の秋より前……ああ、行きましたよ。夏頃に、燦環小と燦環東小のサッカー部で、町外に出て交流試合をしたんです」

「どこでやったか覚えてる?」

「西東京の翁武村って田舎ですよ」

「翁武村?」と、わたし。「そういえばあそこ、村の外からサッカーの試合をしに来る小学生が多いって……功輔も行ったことあったんだ」

「もみじも行ったことあるのか?」

「ついこの間、雪像まつりの下見に行ったばかりだよ。キキも一緒だった」

「それなら分かると思うけど、あそこすごくアクセス悪いから、十人を超える部員全員を連れていくだけでも大変なんだ。試合会場はさらに山の中だし、応援に来てくれと言えるシチュエーションじゃなかったのさ」

 どうやら功輔は、わたしに試合の事を言わなかった理由を話しているらしい。でもわたしは気にしてなかったし、言われてもたぶん行かなかった。

「その試合、聡史くんは出場したの?」キキが尋ねる。

「いや……あいつはまだ補欠だったから、試合中もずっと別行動だったな。そういや、その時からどこか様子がおかしい感じはしてたんだよな」

「…………」

 キキは再び視線を逸らし、何やらじっと考え込む。

「それより明日はどうするんだ?」功輔がわたしに尋ねる。「もちろんそっちは調査を続行するだろうけど、その『ボット』とやらの犯行をどう証明する?」

「わたしは基本的にキキの向かう先について行くだけだから、わたしに訊かれても答えようがない……」

「その調査だけど」と、キキ。「明日は功輔くんも一緒に来てくれない?」

「俺も?」功輔は目を丸くしながら自分を指差す。「でも、星奴町に戻ったらどこで警察に見つかるか分かりませんよ。いずれは門間町にも来るかもしれませんし……」

「大丈夫。明日行くのはもっと遠くだから。今のところは、星奴町内をくまなく探してから町外に捜査範囲を広げるだろうし、明日の昼間ならまだ動けるよ。わたし達の動きを見張りに来るだろうけど、目的地で落ち合えば問題ないと思う」

「それなら、まあ……」

 匿っている場所から出して調査に付き合わせるのは、ずいぶんリスクの高い行動に思えるけれど、何かキキなりの考えがあるのだろうか。功輔は行くべきか否か、少し迷っているようではある。

「それじゃあ、わたし達はそろそろ帰ろうか」キキが立ち上がる。「明日も午前中だけとはいえ学校があるし、もっちゃん、担任の先生からちゃんと登校するよう言われてるんでしょ?」

「ああ、まあね……でもどうやって帰るの? 公共交通機関を使ったら、一発で警察に目をつけられると思うけど」

「それならもう朝のうちに準備を整えておいたよ。これから星子さんが、塾に行ったさそりを車で迎えに行くから、まずはその車に乗って塾の前まで来て、後はみかんの家政婦の須藤さんに、同じように車で運んでもらうから」

 いつの間にそんな段取りを決めていたのだ……そういえばさそりが通っている塾は星奴町内にあって、当然ながら中学生がたくさん出入りしている。その中に紛れれば、警察は探しにくくなるだろう。星奴町内に塾は多くあるし、迎えにくる車もたくさんある。もし仮に星奴署の人たちが塾に目をつけても、わたし達を乗せてきた車がどれか、判別するのは難しい。星子さんの車と同じタイプは至る所にあるし、星子さん自身も多少変装してやって来るだろうから、高い確率で見つけられないだろう。

 キキはずっと先を読んで準備し、行動している。問題が起きないと対応できない体質の警察では、とうてい太刀打ちできない。

 翌日の調査をする場所はもう決めていて、帰宅してから先方に電話して、必要な事を頼んでおくらしいが……協力を得られる当てでもあるのだろうか。その場所と待ち合わせる時間帯は、三人で相談して決めた。

「分かりました……」功輔は居住まいを正した。「それにしても、俺が調査に付き合う意味はあるんですか? 俺がいなくても、キキさんともみじだけで大抵の事はやれると思いますけど」

「まあ、実際のところ、功輔くんがいてもいなくても、調査の進展具合はそれほど変わらないとは思うけど……」

「ずいぶんはっきり言ってきましたね」眉根を寄せる功輔。

「でも、功輔くんは見ておいた方がいいと思うよ。四年前の出来事には、もしかしたら功輔くんも知らない裏があるかもしれないから」

 キキは神妙な顔つきで功輔を見た。固唾(かたず)を呑む功輔。

「裏って……?」

「想像にすぎないから、はっきりとは言えない。でも高い確率で、明日の調査はつらい事実を浮き彫りにすると思う。功輔くんがまだ四年前の事件を引きずっているのなら、たとえ痛ましいことであっても知っておく必要はあるよ。覚悟はいるけど」

 何が明らかになると考えているのだろうか。この事件……底知れぬ悪意が裏にあって、掘り返そうとすれば地獄の(ふち)を覗くことになるかもしれない。でも、大切な人たちが傷つかなければならなかった、その理由をわたし達は知らなければならない。そのためには、どんな暗く苦い真実であっても、この目で確かめて受け止めるしかない。

「……覚悟ならできていますよ。警察を敵に回すと決めた、その時点で」

 功輔は口元をぎゅっと結びながら、キキを見返した。

 しかし、実際にその時を迎えて、想像以上の覚悟が必要になる事を、わたし達は誰ひとりとして予感していなかった。


 須藤さんがわたしとキキを迎えにきた時、乗ってきた車は銀色のボディのメルセデス・ベンツだった。雪像まつりに行った日に、みかんを駅まで送ってきた時の車と同じ。予想はしていたけど、あの界隈(かいわい)に似つかわしくないベンツは注目を集めていた。目立つからむしろ警察にマークされにくいと考えたようで、キキに不満はなさそうだったが。

 塾の周りに刑事の気配は感じられなかったが、自宅に戻った時には見張りの刑事の姿が視認できた。どうやら母がわたしを迎えに行く可能性を考えて、自宅での動きをずっと監視していたらしい。キキがそんな、警察に手掛かりを掴ませるような手段を取るはずがないのに。

 わたしが家の中に入ると、台所から母が駆けつけてきた。

「もみじ、よかった……ちゃんと帰ってきたわね」

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「それよりもみじ、さっき学校の連絡網で、明日は学校お休みだって言われたわよ」

 なんだと? わたしは理解がすぐに追いつかなかった。

「どういうこと?」

「なんか、町内で凶悪事件が発生して、安全確保のために急遽(きゅうきょ)休みにしたとか。詳しい事情はお母さんにも分からないけど……」

 例の銃撃事件のことか。でも今までずっとひた隠しにして来たのに、なぜ今になって、一部とはいえ事情を説明して休校措置を取ったのだろう。

 夕食後、部屋に戻ったわたしはキキに電話をかけた。

「休校? こっちもさっき知らされたよ」

「燦環中も? やっぱり一斉に情報が開示されているんだ……でもなんでだろう」

「さすがに隠しきれないと判断されたのか、それともあえて情報を放って、星奴町内の中学校をすべて休校にしたのか……」

「なんでそんな事を?」

 意図的に行われた事だと決まったわけじゃないけど、その可能性があるとしたらどういう目的が考えられるだろうか。

「わたし達が事件の調査……銃撃事件とその背後にある四年前の事件を調べている事は、とっくに警察も把握している。となれば、金沢都知事の耳に入っていてもおかしくないでしょ?」

「って事は……!」

「星奴町内の中学生が調査に動いている事だけは、確実に知っている。でも中学生が相手じゃ、誰が調べているのか特定するのは難しい。だからあえて大方の事情を公表して休校に追い込み、その上で外に出て活動しようとしている中学生に、当たりを付けようとしてるんじゃないかな」

「事件の核心に迫ろうとしている人間を、あぶり出そうと……?」

 このタイミングで公表に踏み切った事から考えて、ありそうな話ではある。やはり都知事も黙ってはいなかったか。自分の地位を脅かすような存在は、いかなる手段を使っても排除するのが彼らのやり方だ。

 これ以上首を突っ込めば、命が危うくなるかもしれない。だが……。

「上等じゃない、って感じ?」

「え」

「あれ、もっちゃんならそう言うと思ったけど」

 その通り、心の中で言おうと思いました。先に言われて調子が狂ったけど。

「もっちゃん言うな。まあ、わたしはここに来て引くつもりなんてないし、キキだって同じでしょ?」

「当然」キキは力強く言った。「何があったかすべて突き止めるまでは、わたしは立ち止まらないよ」

 その度胸と信念の強さが、時に羨ましい。そしてわたしは、キキの行く先にどこまでもついて行く。彼女が最後に見る景色がどんなものか、わたしも見たいから。

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