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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
33/53

その10 トリックPART.1

 <10>


 親友を理不尽に亡くし、警察にも見放された衝撃は強く、十歳の功輔はショックを引きずったまま数週間を過ごしていた。その間、学校の友達ともろくに口を利かなかった。わたしも市川将彦もうろ覚えの状態ではあったが、確かにそんな期間があった。

 漫然と日々を送っていた功輔はそんなある日、帰り道で野次馬が集まって騒然となっている現場に遭遇した。気になって野次馬の一人に尋ねると、小学生の少年に男が突然刃物で切りつけられたと分かった。幸い、周りにいた人たちが男を取り押さえ、警察もすぐに到着して難を逃れ、少年は軽傷のまま病院に搬送されたという。

 功輔は、パトカーに押し込まれている犯人の男に目を向けた。その人物は、功輔が一度星奴署で見たことのある人だった。功輔と同様に、刑事課の捜査員に向かって必死に何かを訴えていた。このように言っていたのを思い出した。

「親父は、安全管理は徹底してやる奴なんだ、事故なんか起きるわけがない! 警察ならちゃんと調べろよ!」

 功輔はすぐに理解した。この男は恐らく、事件が起きた町工場の経営者と繋がりのある人物なのだ。彼もあれが事故だとは考えていなかった。でも、その彼がなぜ、路上で小学生の少年を刃物で切りつけるなんて暴挙を……。

 功輔は搬送先の病院に向かった。後から考えると、搬送されたばかりで親族への伝達も行われていなかったのだろう。受付のスタッフはすぐに教えてくれた。運び込まれ、手当てを受けている少年の名前は、金沢怜弥だった。

「それって、まさか……!」

 わたしもキキもすぐに思い当たった。

「あの後で、事件が起きた町工場に行ってみたら、すでに潰れていた。近所の人たちに話を聞いてみたら、事件の一週間後くらいに経営者が首を吊って自殺していたらしいと分かったんだ。どうも聡史の事件をきっかけに、悪影響が及ぶことを危惧した元請けの業者が取引を白紙にしたらしく、経営が立ち行かなくなったのが原因らしい」

「功輔、その経営者の名前って……」

「名字だけは分かった。北原だ。そして一人息子の下の名前は、歩だそうだ」

 北原歩……彼がどうしてこの事件に関わっているのか、その根本も同じ事件にあったのだ。父を自殺に追い込んだ元凶に対し、復讐を試みたのだ。

「その時は、犯人も捕まって裁判も行われたって聞いたから、俺も突っ込んで調べようとは思わなかったよ。その頃になったら、俺もだいぶ落ち着いたし。だけど、それから四年が経った今年、俺はまたとんでもない事件現場に遭遇したんだ」

「よく出くわすわね……」

「宿命なんて言葉も使いたくなるだろ?」

「功輔くんがその時に遭遇した事件って、平津くんが撃たれた事件のこと?」

 キキの指摘に、功輔は頷いた。平津が撃たれたのは燦環区の繁華街だ、功輔が何かの用事で立ち寄るのは不自然じゃない。こいつは割とどこにでも行くのだ。

「ええ。その現場に居合わせた時に、北原の姿を目撃したんです」

 ……それは少し不自然かな。北原は路地の奥のビルにいたのではないのか。

「この出来事で確信した事があるんです。四年前の金沢怜弥に対する刺傷事件……背後の動機を探っていけば、あれが殺人未遂である事はすぐに分かります」

「あれ、でも星奴署で見せてもらったデータでは傷害罪って……」

「そうなんだ」功輔はわたしのセリフに反応した。「刑法上、未遂はそうでないものより刑が軽くなるけど、基本は元の罪状の規定に則っている。だから殺人未遂の場合、死刑や無期懲役はないだろうけど、確実に懲役五年以上になる」

「でも四年経った時点で、北原はすでに出所していた……!」

「もちろん刑期の途中で出ることもありうるけど、それは仮釈放の話だから保護観察官が必ず同行するはず。でも北原は明らかに一人で行動していた。つまり北原は、殺人未遂ではなく傷害の罪で裁判にかけられていた。金沢怜弥への殺意が否定されていたんだ」

 功輔の言いたい事が分かってきた。北原には怜弥少年を恨みに思うだけの動機がある。もし警察がその事実を裁判でも持ち出せば、北原は傷害罪ではなく殺人未遂になった可能性が高いし、恐らく北原自身もその事は否定しないだろう。しかし実際は違った。

 警察は北原の殺意を認めなかった。調べれば分かるはずの、そして北原自身も肯定するはずの事実を、無視した。金沢都知事が圧力を加えた結果とは限らないが、警察のこのおかしな行動に怜弥少年が関係している事は間違いない。

 それに、普通は都知事の孫が襲われたとなれば、加害者に手心が加えられるとは考えられないし、何もなければ都知事はそれを許さないだろう。……ということは、軽度の罪状で起訴された理由は、警察あるいは都知事の側に、これ以上突っ込まれたくない何かがあるからだ。

「基本的に裁判所は行政と独立しているし、実際に起訴する検察は法務省の下にある組織だから、どちらも都知事の力が及ぶ事はない。だからどこかで都知事による裏工作が行われたとすれば、捜査を担当した警察以外にはない」

「警察が金沢都知事の指示を受けて、事態の拡大を防ぐために軽い罪で裁こうと考えた、その可能性が極めて高くなったわけね」と、わたし。「でも、北原自身がその事を裁判でぶっちゃける恐れもあるよね?」

「北原にとっては、刑期が短くなるという利点もある。というより、その利点を持ち出して警察が、あるいは警察と繋がりのある弁護士かなんかが説得したんだ。だから北原も裁判では何も言わなかったんだと思う」

「いやあ、この話だけで二時間ドラマ一本が書けそうな気がするよ」

 当初の想像を遥かに超えて規模の大きい出来事を明かされて、キキはすでに気が遠くなりそうであった。監察官の舛岡は、金沢都知事に関する黒い噂があくまで噂に過ぎないと言っていたが、功輔の話を聞いていると、そうも言えなくなってくる。

「もしかしたら北原は、早く出所すれば、それだけ早く復讐の続きに取り掛かれると踏んだのかもね」と、キキ。

「まあ、本人が死んでしまった以上は、もう確かめようがないけど」

「え?」功輔が目を見開いた。「死んだ?」

「あ、そっか。まだ言ってなかったね。知り合いの刑事さんから聞いたんだけど、北原歩は功輔くんを切りつけた後、毒の入った煙草を吸って亡くなったの。警察は自殺だと見ているみたいだけど……」

「マジか……」功輔は表情を歪ませた。「四年前の事を証言してくれる数少ない証人だっていうのに。こうなると分かってたら、ちゃんと説得しておけばよかった……」

 またわたしの知らない事で後悔されても突っ込めないのですが。

「説得って?」

「ああ、悪い。説明が途中だったな。まあそういうわけで、いつの間にか出所していた北原が何をしているのか、気になって後をつけたんだよ」

「そして北原の出所後の住居を見つけたんだね」

「キキさん鋭いですね……住んでいたのは古いアパートでしたよ。一応北原の居場所を把握したうえで、繁華街の事件現場に戻って情報収集をして、いま言ったような結論に達したから、俺はこの事件を調べようと思い立ったわけだ。これが単なる復讐の続きなのか、まだ判断がつかなかったけど……」

「うん、その辺はだいたい予想通りだね。恐らく功輔くんがこの事件に関わるなら、第一の事件以降だろうとは思ってた」

 そうなの?

「え、どういうこと?」わたしはキキに尋ねた。

「警察が功輔くんの部屋から押収した、被害者たちの写真だよ。平津くんの写真だけ一枚しかなくて、しかもそれだけカメラ目線だったでしょ。あれはたぶん、プリクラか何かの写真を引き伸ばしたものだよ。最初の被害者である平津くんに関しては、恐らく彼の仲間から借りた写真を使っていた……初めから事件に関わっていたなら、そんな事をする必要はないでしょ? 他の三人みたいに盗撮で済ませるはず」

「ああ、だから第一の事件以降に関わったと考えたのね……ん? それじゃあ、あの写真は功輔が四人を狙っていた証拠にはならなくない?」

「そうだね。だからあれを見た時点で、功輔くんが犯人じゃない事は確信できたよ」

 キキが舛岡に語った通り、木嶋が功輔を主犯と疑うに至った証拠は、確かに証拠品としての能力に欠けていた。聞けば単純な事なのに、あの場にいた誰ひとりとして、写真が意味するものに気づけなかった……大丈夫か、星奴署よ。

「うぅむ……」功輔は唸った。「あの写真が押収される事は分かっていたから、四年前の事件を穿(ほじく)り返されたくない星奴署の連中が、あれを利用して俺を犯人に仕立てようとするかもしれないとは思っていたけど、キキさんの場合はそれ以上でしたね」

「やっぱり功輔、あの写真があったから警察から逃げたんだね?」

「盗撮したのは事実だからな、言っても聞いてもらえるとは思わなかったんだ」

 功輔は肩を竦めながら言った。

「で、北原のアパートを見つけて、平津くんの事件を知って、その後は?」

「しばらくメディアに事件の情報が現れるのを待ったけど、ネットでも一向に広まる気配を見せなくて……これは何か妙な力が働いていると思ったよ。正直、先日もみじ達から事件の話を聞くまで、あれ以降も被害者が出ているなんて知らなかったんだ」

「だろうね。そこはどうも都知事に、強力な兵器があるらしくて」

 くだんのハッカー集団については、話をややこしくする恐れがあるので後回しにすることにした。

「ふうん……? まあ、それらが北原の仕業だということはすぐに分かったけど、簡単には接触できないだろうから、どうしようかと思っていたけど、もみじ達から話を聞いていくうちに、有効そうな手段を思いついたんだ」

「ネットだね?」と、キキ。「柴宮酪人に接触するために使った、裏掲示板」

「そうです。後からばれにくいようなサイトで、犯罪への勧誘が第三者には冗談半分に見えるようなものといえば、そのくらいしか考えられない。だから能登田中の不良の一人を捕まえて、裏掲示板のパスワードを聞き出してアクセスしたんです」

 だから功輔はパスワードを知っていたのか……木嶋が言うような、まともじゃない理由で入手したわけじゃなかった。いや、殺人犯に接触するというのは、ある意味でまともではないのだろうが。

「それで、北原らしき人物のコメントを見つけたんだね」と、キキ。

「ええ。北原のパソコンにはアクセスの痕跡が残っているから、これは交渉の材料に使えると思いました。まあ、本人からすれば脅迫とたいして変わらないでしょうけど」

「さっき、北原を説得するとか言ったけど、何がしたかったの?」

「自首を勧めたかったんだよ」わたしの質問に、功輔はそう答えた。「北原が何の目的を持っていようと、人を殺している事に変わりはないからな。タイミングは任せるしかないけど、最終的には必ず自首をするように言いたかったんだ」

 ……そんな殊勝な事を考える奴だったかな、こいつ。

「なるほどね」と、キキ。「そのために、使い終えて処分する前のガラケーを、データをすべて消したうえで北原のアパートの郵便受けにでも入れて、確実に北原に接触できるようにしておいたんだね」

「すげぇ、そこまで見抜いていたんですか」

「功輔くんの携帯からの着信しかなかったと聞いた時点で、それしかないと思ったよ。番号を知っていたのも当然だね。元々功輔くんが持っていた携帯だったんだから」

 これで木嶋が挙げていた、功輔が主犯だと疑った証拠のすべてが、無実だという前提で説明がつけられる事が分かった。木嶋のやった事は捜査の進展に繋がるどころか、むしろ無能ぶりをさらけ出す事にしかならなかった。

「まあ、あれは友人がちょうどスマホに買い替えようとしていたところを、いらないっていうんで貰ったわけですけど。それで、もみじと電話で話した後、北原に渡したガラケーに電話をかけて呼び出して、話し合おうと思ったんです。もっともあの男は聞く耳を持たなくて、邪魔に思ったのか俺をナイフで刺してきたというわけです。……俺からの話は、これで全部だ」

 再び部屋の中が水を打ったように静まり返る。せっかく星子さんが作ってくれたホットケーキは冷めていた。キキは話の合間に食べていたけど。

 あの日……唐沢菜穂との話を終えて星奴署に行く途中で、功輔から電話があった。一体何のためにかけてきたのか分からなかったが、最後に、遊園地の約束の事で念を押されていた。あれは……功輔なりの決意表明だったのだろうか。命を懸ける行為であっても、無事でいようと覚悟を決めた、その証だったのかもしれない。

「えっと、他に何か聞きたい事ってあるか?」

「じゃあわたしから」キキが軽く手を挙げた。「功輔くん自身は、その五人を殺したいほど憎んだ事はないのかな」

「ちょっとキキ……!」

 あまりに無神経な質問じゃないのか。わたしはキキを止めようとしたが……。

「まあ……ないと言えば嘘になりますね」

 当の功輔が肯定の答えを返した。殺意を抱いた事を認める発言に、わたしは内心で動揺を隠せなかった。

「事情を知る前と後で、気持ちがそんなに変わったとは思えない。どんな理由があったにしても、聡史は俺の親友だった。何を説明されたところで、聡史の命を理不尽に奪ったあいつらを、許せるわけがなかったよ。正直いうと、それは今でも変わらない」

 功輔は淡々と言った。これまで何度、そんなつらい思いと向き合ってきたのだろう。何度も耐えて抑え込んできたから、冷静に自分の気持ちを吐露できるのだろうか。

「功輔くんの部屋から見つかった写真は、一枚だけ瓶の中で燃やされていたそうだし、何より、犯人の正体も居場所も見当がついていながら、四人目の犠牲者が出るまで犯行を放置していたよね。……恨みに思う気持ちが消えたわけじゃない事は、分かったよ」

「キキさんは何もかもお見通しですね」功輔は諦観したように言った。「確かに、あえて止めようとは思わなかったです。もし北原が先に動いていなければ、自分があいつらに手を下していたかもしれません……」

「そんな……!」

 わたしには受け入れがたかった。一歩間違えば、功輔が人殺しになっていたかもしれないなんて、わたしの知っている功輔の人物像からは考えられない。

「でも、北原が金沢怜弥を殺そうとして警察に捕まった時、それじゃ駄目なんだって気づいた……自分の人生を棒に振ってまで復讐するなんて、やっぱり正しいことのようには思えない。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ、なんてよく言ったものだけど、俺はそんな覚悟なんて持てなかったな」

 確かフィリップ・マーロウの言葉だったか……でもその解釈は正しいのか。

「恨む気持ちだけはどうしても消えなかったけど、北原と同じ(てつ)は踏むまいと思ったら耐えられたよ。事件を思い出すたびにきつくなるけどな。それに、実際に奴らが殺されたと知った時、自分でも驚くほど、全く気分が晴れなかったよ。復讐っていうのはそういうものなんだな、ってつくづく思ったな。そうなるまで実感できなかったのは、逆にまずいのかもしれないけど」

「それでも……」

 わたしの口が自然と動く。心から言いたい事が言えそうだ。

「どんなに恨みに思っても手を下さなかったのは……功輔が、復讐なんて薄汚れた事に手を染めなかったのは、わたしは、よかったと思うよ。頑張って耐えたと思う」

「もみじ……」

 功輔がじっと見返してくる。大丈夫、何も間違っていない。誰かを殺したほど憎んだとしても、その感情に流されず、一線を超えずに自分を守ったのだ。それが正解だ。

「……ありがとな」

 わたしが素直に言ったからか、功輔も素直に応えてくれた。飾り付けじゃない、心の底から微笑んだ姿を、なんか久しぶりに見たような気がする。


 それにしても、予想外の事ばかりだ。功輔の口から語られた事実は、これまでに調べて浮かび上がった謎を次々に繋げていくと同時に、それまで見えていなかった真実を白日の下にさらした。いや、わたし達が知っただけじゃ屋根の下がせいぜいだけど……。

 ただ、疑問点がないわけでもなかった。

「それにしても、功輔の話が本当だとしたら、北原は金沢都知事に翻弄された被害者サイドの人間ということになるよね。だったら、都知事が指揮しているっていうハッカー集団の『ボット』に協力する理由はないんじゃない?」

 ふうん、都知事の秘密兵器ってそれか、という功輔の呟きが聞こえた。わたしの疑問にキキが答える。

「正確には、北原が恨んでいたのは五人の少年たちと警察だからね。北原には、警察の動きが金沢都知事によるものだと分からなかった可能性もあるよ。証拠はないし、そもそも警察が純粋に事実を突き止めようとしていれば、そんな事態は起きなかったわけだから。そうなると、金沢都知事が北原を誘い込むのは容易だったと思うよ。問題の少年たちを始末する事にいちばん躊躇しないと考えられるし」

「なるほど……それじゃあやっぱり、金沢都知事があの少年たちを、ひいては『ボット』メンバーである親たちを消そうとした原因は、聡史くんの事件絡みなのかな」

「この状況を偶然だと捉えないなら、そう考えるしかないね。舛岡さんの推測通り、必要な証拠隠滅の作業は、ネットビギナーである北原に任せるつもりだったのかも」

「でもそんな証拠はどこにもないしねぇ……」

「元が推測ばかりだからね。今のところは、否定できる要素がないという程度かな。『ボット』の存在を知る捜査官は、その前提で動くのかもしれないけど」

 いろんな情報が入ってきているのに、未だに掴みどころのないという印象を与える。それほど『ボット』という集団は、存在も素性もうまい具合にひた隠しにしてきたのだ。果たして、普通の中学生であるわたし達に太刀打ちできるのか……。

 とはいえ、それが無理だと諦めることで、見えてくるものもある。

「ところで」功輔が言う。「これまでに殺された四人は全員が銃殺で、しかも現場から不自然に弾が消えているって言っていましたけど……その謎は解けたんですか?」

「状況に合致しそうな仮説なら、あっちゃんも含めた五件とも持ってるよ」

「キキ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

 わたしが頼んでも、キキは「うーん」と唸るばかりだ。キキは推理によって導かれた仮説は推測と同じだと考えるから、その段階で下手に話すことで、推測と事実を混同する事態を避けたいと思っているのだ。決してもったいぶっているわけではない。

 だが、今回ばかりは長引かせても意味がない。

「この事件が『ボット』によるものなら、悠長に証拠が出てくるのを待っても無駄じゃない? 奴らは徹底して証拠を残さないし。それに、キキがいま抱えている仮説が正しいとしても、犯人を特定することはできそうにないんでしょ? この場で推理を話しても話さなくても、状況が変わらないのなら……仮説の段階で話しても構わないんじゃない」

「……まあ、それも一理あるかな」

「さすがは親友、即座に相手が折れたな」

 功輔は半ば感心したように言った。そりゃあ、功輔よりは付き合う期間が短いけど、より濃密な付き合いをしているからな。キキの扱いは誰よりも慣れている。……分からなくなることも多々あるけど。

「それじゃあ、第三の事件と第四のあっちゃんの事件は、すでに功輔くんにも話したから省略するとして、まずは第一の平津くんの事件からだね」

 キキは基本的に、気心の知れた相手にしか推理を話さない。たぶん今後も滅多に推理を話す機会などないだろうから、こっちは謹聴しなければ。

「現場は繁華街の細い路地の中で、奥のビルの二階の窓から撃たれたと見られている。使われた銃弾の推定口径や射程距離から、銃弾は被害者のすぐ近くに落ちたと考えられる。でもどこからも発見されなかった……」

「野次馬の誰かが拾っていったという可能性は?」と、功輔。

「もちろん警察もそれを考えて、遺体に駆け寄った唯一の目撃者の身体検査も行なったけれど、銃弾は発見できなかったって。他の野次馬が見た限り、その人が誰かに何かを渡している様子もなかったってさ」

「なるほど……確かに忽然(こつぜん)と消えたようにしか思えませんね。で、キキさんの見解は?」

 キキは一度頷いてから告げた。

「警察が見逃したという可能性もゼロじゃないけど、ここは一応信用して、野次馬の誰も銃弾を回収していないと考えるね。そうすると、自然に消えることのない銃弾が姿を消していく先は、一つしか考えられない。平津くんの体の下にあったマンホールの蓋……そのガス抜き用の小さな穴を通って下水管に入ったんだよ」

 沈黙。……すでにその可能性は聞いていた。

「キキ、まだその可能性を捨ててなかったの?」

「もちろん」キキはすました顔で答えた。

「角度的にほぼ百パーセントありえないって、あの現場でも言ったよね?」

「うん。だけど、実際に銃を構えた場所が奥のビルじゃなかったとしたら、どう?」

 なんだと。そちらに嘘あるいは思い違いがあるというのか。

「ビルの中じゃないとしたら、どこだと?」と、功輔。

「倒れた平津くんの目の前で。つまりビルにいた人が実行犯で野次馬の中に共犯者、ではなくて、逆に野次馬の中に実行犯がいて、共犯者がビルにいたんだよ」

「えっ、じゃあ何?」わたしは声を上げた。「平津は倒れた後に撃たれたってこと? 駆け寄った人が実は撃ち殺した犯人だったの?」

「そう考えた方が一番しっくりくるんじゃないかな」

「でも、撃たれたわけでもないのに、なんで平津は倒れたわけ?」

「近くのビルで銃声が響いたからだよ。友永刑事からの報告にあったでしょ。平津くんは普通のクラッカーの音でも錯乱するほど、大きな音に弱いって。まして銃声はクラッカーよりも激しい音だし、その場で鳴り響くなんて予想もつかないでしょ。だったら、気絶くらいしてもおかしくないよ」

 なんて無茶苦茶なトリックだ……目撃者たちが聞いた銃声が、実はターゲットを気絶させるためだけのものだったとは。でも、そう簡単に上手くいくのか?

「上手くいかなくても大丈夫だよ。その場で殺害することができなくなるだけで、犯人に繋がる証拠を残さないような細工はすでに施してあったから、失敗してもまた次の機会を狙うことはできたはずだよ」

「確かに、殺害のタイミングがずれるくらいで済むなら、ダメージは少ないでしょうね」

「もちろん行き当たりばったりではなかったはずだよ。呼び出しのメールの内容も、あらかじめ平津くんに、命を狙われているという恐怖感を植え付ける工夫をして、自分が銃で撃たれたと錯覚する確率を可能な限り上げたはず。ほぼ確実に気絶させる準備も、倒れる位置も、その後にどの部位を撃つかも入念に計画していたと思うよ」

「ガス抜き用の穴を通るように撃ったんですね」

「最初に穴の位置を頭に入れておいて、ぴったり合う位置に向けてね。北原くらいの射撃の腕があれば、それくらいは数度の練習でものにできる」

 それは不可能じゃないだろうけど……でもまだ疑問点はある。

「ねえ、実際に使った銃はどこに行ったの? その後に身体検査を受けたのに」

「撃った本人がちゃんと持っていたと思うよ。自分の体で隠しながら、誰にも見られないようにして撃つのが前提なんだから、銃の形は何でもOK。一見して銃には見えない、例えばデジカメやペンライトに偽装しておけば、ばれることはないよ」

「そんなものを作っていたの?」

「ガリウムや岩塩の弾を扱える銃を作れるくらいだからね。どのみち一発しか撃ち込むことができない上に、実際は至近距離から撃つから、むしろたいして大きくないくらいの方が好都合だと思うよ。撃った犯人が奥のビルにいたと思い込ませた以上、多少銃の威力が落ちても不自然には思われないし、警察も野次馬の誰かが銃を持っているとは考えない。結果的に銃弾だけを探すことになるから、身体検査もごまかせるってわけ」

 なるほど。一見して銃に見えないものに偽装した結果、銃の威力が落ちたとしても、至近距離から撃って貫通させれば、奥のビルから撃ったと思っている警察の目には、遠くから撃って貫通させるだけの、十分な威力を持った銃が使われたと思わせられる。結果として偽装された銃には気づかないというわけか。

 遺体に駆け寄った目撃者……恐らく北原は、確かに銃弾は持っていなかった。でも、撃った後の空の銃は持っていたのだ。銃としての形を成していなかっただけで。

「じゃあ、奥のビルにいた人は?」

「その部屋で空砲を撃っただけだよ。部屋の中に弾痕はなかったらしいからね。その人があからさまに銃を持ってビルから出てくれば、いっそう錯覚が強くなるし」

「確かに……」

「ちょっと待ってください、キキさん」功輔が言った。「その仮説だと、目撃者が駆け寄った時点で、平津はまだ生きていたってことになりますよね?」

「まあ、数分のズレくらいなら分からないだろうけどね」

「それ以前に、生きている人間に銃弾を撃ち込んだら、うめき声をあげたり、わずかでも体が動いたりするんじゃないですか?」

「体の動きは目撃者自身が、覚醒を(うなが)しているように見せて体を揺することでごまかせるし、うめき声に関しては口元を塞いでおけば済むと思うよ」

「口元を塞ぐ? 跡が残りますよ?」

「手袋をした手で塞げば痕跡はほとんど残らないよ。この季節なら、手袋をつけていても怪しまれないし」

 圧倒されるしかない……犯人は大勢の目の前で堂々と犯行に及んだ、そんな大胆な、でも状況にまるで矛盾しない仮説を、あの短い時間で組み立てるとは。まあ、確かに証拠はどこにもないし、犯人の特定も難しそうだけど……。

「じゃあ、次は第二の事件について」

 キキの説明はまだ続く。

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