その4 駐車場
<4>
星奴町内で発生している連続銃撃事件は、四件目だけ死者が出ていないので、五件目の被害者である音嶋隆は“四人目の犠牲者”と表現したいところだ。しかし世間的には四件目も同列に扱って、音嶋は五人目になるのかもしれない。まあ、そもそも世間にそれほど知られている事件ではないのだが。
四人目の犠牲者である音嶋は、ここ、璃織区にある立体駐車場の半地下階で殺された。入ってみると結構薄暗い空間である。夜間なら天井の蛍光灯で照らされるのだろうが、昼間の光源は窓から入る外光だけだ。たぶん、夜も同じくらい薄暗いと思うけど。
さて、来てみたのはいいが、事件発生が昨日の今日であるためか、半地下階への立ち入りは制限されていた。歩行者用の通路から駐車場に繋がる出入り口には、もう何度も見たことのある黄色のバリケードテープが張られていた。見張りの警官はいない。
「誰も見ていないみたいだし、入っちゃおう」
キキはそう言って、躊躇なくテープの下をくぐって場内に踏み込んだ。確かに人は見ていないけど、監視カメラは設置されている。これって事件現場への侵入を誰かが見ている事に違いはないのでは……。
まあ、キキのマイペースぶりはいつものことだ。わたしは早々に制止を諦めて、キキを追って駐車場内に入った。こうなったらもう後はどうなれ、という感じだ。
音嶋が倒れていた場所はすぐに見つかった。封鎖されているために、床に付着した血痕の洗浄が行われておらず、そのまま残っていたからだ。鑑識部屋のホワイトボードに書かれていた内容だと、事件当日はこの階に十台の車があったらしいが、現在はすべて持ち主の元に返されていて、ここには一台も車がない。
「こうして見ると、案外死角が少ない所だね」と、わたし。
「でも車は音嶋くんの遺体の近くにもあった。隠れられる場所は確保できたと思うよ」
確かに現場の写真には、二、三台の車が映っていた。
「つまり、ここで待ち構えて殺害することも可能ってことかな」
「そうだね。実際は窓の外から撃ったみたいだけど……冷静に考えたら、必ず誰かに目撃される窓の外より、この中で殺害した方が利点も多いよね」
「確かに……でも事実として窓の外から撃っている所が目撃されているし、犯行後にここから出た人は一人もいないみたいだよ?」
「そこがポイントだよ。普通なら取るはずのない行動を取っているという事は、目撃される危険を上回るほどの利点、あるいは重要な目的があるという事になる」
「重要な目的……?」
「まあ、それは大体見当がついているけど……」キキは血痕の近くに立って辺りを見回している。「未だに分からないのが、どうやって音嶋くんをここに呼びだしたのかだよ。こんな所、車を運転するわけでもない人が、一人で来るような所じゃないよ」
そりゃあ駐車場だからな。人目につく上に一応屋内だから、不良も来ないだろうし。誰かに呼び出されたか、自分から犯人を呼び出したと考えるほかはない。
だが音嶋が持っていた携帯にそれらしい履歴はない。家族との通話履歴と広告メールくらいしかなかったそうだ。家族以外との連絡が一切ないのも奇妙な話だ。
「呼び出した方法……携帯以外に何があるかな」と、わたし。
「パソコン、手紙、口頭。そのくらいかな。もっともパソコンは、個人用でなければ家族に見られる恐れがあるし、あれば警察が確実に調べている。手紙も証拠を残す。あっちゃんの時みたいに水に溶ける紙なんて使えないし……心証としては、口頭での呼び出しがいちばん可能性高いかな」
「そこは警察が音嶋の家族を調べないと、何とも言えないね」
「また蒸発していないといいけど」
ああ、その恐れもあるんだよな……。最初の三人の被害者の両親は、警察が再度の聞き込みで訪問する前に蒸発していた。監察官の舛岡が言うところの『ボット』が、この事件の被害者たちを繋ぐ鍵だとしたら、音嶋の親も同様に姿を消している可能性はある。また同じように、パソコンだけを持ち去り、ルータは破壊するという行動に出るかも。
「一応、そのための対応策は城崎さんに伝えてあるけど、上手くいくかどうかは警察のタイミング次第だからなぁ……」
「ところでキキ、さっきからなんで天井を見上げているのかな」
上ばかり見ていると足がもつれて転ぶぞ。ただでさえキキは何もない所でよく転ぶのだから。
「もっちゃん、あんな所にフックがあるよ」
「フック?」
キキの視線の先、血痕のある場所の真上を見ると、確かに銀色のフックが天井にねじ込まれている。よほど長めの脚立を使わないと届かないだろう。
「あれがどうしたっていうの?」
「もっちゃん、そのホークアイで他にフックがあるかどうか調べてみて」
「わたしゃ警戒用の戦闘機か。ていうかもっちゃんと呼ぶな」
文句を言いながらも調べるわたし。窓が天井近くにあるため、天井の大部分に光が当たっていないのだが、夜目の利くわたしにはあまり関係なかった。このフロアの天井を至る所まで調べたが、他にフックがねじ込まれている場所はなかった。
戻ってきてその事をキキに知らせると、「やっぱり」と呟いた。
「フックがあるのは天井灯のすぐ近く。あの位置だと夜でも、蛍光灯の光が当たらないから見えづらくなる。警察も簡単には見つけられない場所にねじ込んである」
「もしかして、あれが犯人の仕掛けの跡?」
「たぶんね。おかげで、犯行場所にここを選んだ理由が分かったよ」
「えっ……」わたしはキキを見た。「それじゃあ、銃を消した方法も?」
「これで合ってるんじゃないかな。もう少し確かめたい事はあるけど」
キキはこの事件で、現場を少し観察しただけで、銃弾消失のトリックをほぼ看破している。警察も現場はくまなく調べたはずだが、いったい何が違うのだろう。視点が違うのだろうがそれだけじゃない。何もなさそうに見える所からも手掛かりを引き出す、その柔軟な発想力もあるのだろう。
もっとも、それが犯人逮捕に繋がるとは必ずしも言えないのだが。
「ちょっと! そこで何してるの?」
突然、女性の声が歩行者用の出入り口から聞こえてきた。振り向くと、スーツ姿の三十代くらいの女性が二人、怪訝そうな表情でこちらを見ていた。ご丁寧にバリケードテープの前で立ち止まっている。
「あー、すみません。誰もいないから大丈夫かと思って」
キキはすっとぼけて言った。確かに彼女がそう考えたのは事実だけど、そう言われて納得する人なんかいるわけがないだろう。
「よくないわよ。あなたたち中学生? ここは人が殺された所なんだから、興味本位で近づいちゃ駄目なのよ?」
「あはは、どうもすみません……え?」
キキは後頭部に手を当てながら笑ってごまかそうとしたが、ふいに表情が固まった。
「あの、ここで起きた事件をご存じなんですか? たぶん、報道とかはされていないと思いますけど……」
「そりゃあ私たち、昨日ここで男の子が殺されるところを見たもの」
なんと、この人たちが五件目の事件の目撃者か。なんとも幸運な展開だ。
案の定キキは彼女たちに早足で歩み寄り、テープ越しに迫った。
「あの、お二人はよくこの駐車場をお使いになるのですか?」
「え? 私たちは使わないけど……」
「職場がこの近くにあって、昼食休憩で外のお店と往復する時によく通るのよ」もう一人の女性が言った。「昨日も会社に戻る途中で、事件を目撃して……」
「確かお昼の一時頃ですよね。その時も駐車場の外は人がいっぱいいましたか」
「そりゃあ、この辺は小さなオフィスやショップがたくさんあるし、お昼頃なら結構な人数が通っているわよ。いつものこと」
そんな状況で犯人は人を銃で撃ったというのか。逃げることさえ上手くいくかどうか分からないのに……やはりキキの言うように、他に重要な目的があったのか。
「あなた達もここでの事件のことは知っているのね。この辺りの子じゃなさそうだけど」
「あ、はい。別の地区から来ていまして……ここではわたし達と同じ歳くらいの男の子が銃で撃たれたそうですが、間違いない事ですか」
キキの狙いが分かった気がした。わたし達は星奴署で大体の事情を聞いている。しかしその事情を話せば怪しまれて、質問に答えてくれなくなる恐れがある。だから噂程度に知っていると見せることで、相手の警戒を解こうとしているのだ。
「そうよ。名前は聞いてないけど、中学生ぐらいの背の高さだったわ」
「あの窓から見たんですか」キキは問題の窓を指差した。
「えっと、鍵が壊れているこっち側じゃなくて、もう一つの方ね。こっち側は犯人が男の子を撃つ時に使っていたわ」
「点検の業者とかだとは思わなかったのですか」
「いえ全然。よくある作業着じゃなくて、厚手のコートにニット帽だったもの、どう見ても点検業者じゃなかったわ」
「あの時は何事かと思ったわよ」もう一人の女性が言った。「変な男の人が……あ、男かどうかは分かんないけど、駐車場の窓のそばで何かごそごそやっていて、声をかけようか迷っていた時にふと駐車場の中を見たら、男の子が道の真ん中に突っ立ってて、で、なんかパンって音がした直後に、急に膝から崩れたのよ」
「膝から崩れた? バタンと倒れたわけじゃなくて?」と、キキ。
「そうね、あれは倒れたっていうより、崩れたという感じじゃないかな」
写真に写っていた音嶋の遺体は俯せで倒れていたように見えたが……。わたしは気になってキキに耳打ちした。
「不自然な事なの?」
「そうでもないよ。銃で撃たれた衝撃で体が強く押されるって事はあまりないらしいし。それだけの衝撃が加えられるなら、撃った人も同じだけの衝撃を受けるって」
「ああ、そうか。作用・反作用の法則が働くから……」
「なにそれ?」
「しっかりしろよ、現役の中学生」
「それで、その後に犯人はすぐ逃げたんですか」
キキは自分の理解を超越した物理法則の話をスルーした。
「うーん……」女性は少し考える素振りを見せた。「音がした後に男の子が倒れたから、すぐにあの怪しい人に目を向けたけど、ごそごそと何かをカバンに仕舞ってすぐに逃げ出したわね。こんな事になるなら、もっとちゃんと見ておけばよかった」
「咄嗟にそれができる人の方が少ないですよ」わたしは苦笑して言う。
「それ以外で、犯人が何か怪しい行動を取っていませんでした? もしくは、カバンに道具を仕舞う時に変な音がしたとか」
「ああ、そういえば変な音がしたよね?」
「したした」もう一人の女性が同意して頷いた。「なんか、シャーって音」
「シャー? 蛇口から水が流れるような音ですか」
「うーん、近いような気もするけど……もっとこう、金属同士が擦れているような」
言葉で説明するのが難しい音だったらしい。勝手なイメージだけど、種類の違う金属の板同士を接触させて、ずっと一方向に動かして擦り合わせるような感じだろうか。金属を加工する工場とかでよく聞きそうな……わたしも上手く説明できない。
「あの、ひとつ伺いたいんですけど」と、すでにたくさん質問しているキキ。「撃たれる直前の男の子、顔はどちらを向いていましたか。上とか、下とか」
「顔? えーと……そうだ、下を向いてたわ」
「確かに俯いているように見えたよね。何か嫌な事でもあったのかしら」
この答えを聞いて、キキは口元を緩めた。どうやら核心に近づけたらしい。撃たれる直前に俯いていた事がどんなヒントになるというのだろう。
「というか、あなた何でそんなこと訊くの?」
その疑問はもっともだが、お姉さん方よ、あまりに遅すぎやしませんか。
「いえ、色々と気になる事もありまして」
そしてキキの返答は、全く理由になっていなかった。上手い言い訳を考えるつもりは露ほどもないみたいだ。調査を円滑に進める気があるのかないのか、分からない。
キキ自身が確かめたい事はすべて確かめたようで、わたし達は駐車場の外に出た。会社に戻っていく目撃者のOL二人を、軽く頭を下げながら見送ったが、あれで変に怪しまれていないだろうか……不安は消えてくれそうにない。
「さて、次はどうする?」
「そうだなぁ……ここで調べたい事は全部済んだし。あっ」
キキは自分のスマホの着信音に気づいた。どうやらメールが来たらしい。
「城崎さんからだ」
「あの人とメアド交換したの? いつの間に」
「わたしのアドレスを教えただけだよ。指定した証拠品の写真を送るように頼んでいたんだけど、やっと来たんだ……」
証拠品の写真を部外者にメールで送るのは何かと問題があるし、手間がかかってしまうのは致し方ないように思えるけど。
「で、その証拠品って?」
「音嶋くんが一番上に着ていた服。ダウンジャケットみたいだね」
黒のダウンジャケットは前面を撮影されていた。ジッパーは下げられていて、背面の裏側も少しだけ見えている。黒だから分かりづらいが、ほぼ全体に血液がべっとりと付着している。背面と、前面の右側ジッパー近くに、銃弾が貫通したものと思しき穴が見える。こんなものは刑事課の人たちも、それこそ穴があくほど見たのではないか。
「これがどうしたっていうの」
「もっちゃん、襟の所にブランドが書かれたテープがあるでしょ?」
「ああ……これって、なんて名前なんだろ」
後で調べてみたら『衿吊り』という名前だと分かった。
「このテープ、下の所が少し浮き上がっているよ」
「……それが?」つーかよく気づいたな。
「トリックの痕跡だよ。やっぱり、最初の想像が当たっていたみたい。これですべてのトリックに見当がついたよ」
さっぱり見当がつきません……わたし、本当に役に立っているのか。ただの付き人に成り下がっているような気もするのだが。
「すごいね……わたしにはまるで分からん。犯人はあの北原って人で間違いない?」
「そこまではまだ断言できないかな。ただ……用意がよすぎる。北原って人が犯人である可能性は高いけど、被害者四人との繋がりは見えないし、出所して一か月しか経っていないのに色んな道具を入手しているし……バックアップがいるんじゃないかな」
「じゃあ、やっぱり『ボット』が?」
「裏で糸を引いている可能性はあるね。確定はできないけど」
銃弾を消すトリックはキキがほとんど看破したが、他はまだ分からない事ばかりだ。監察官の舛岡が言っていたように、本当に謎のハッカー集団『ボット』が事件に関わっているのか、そもそもどうしてこの事件が起きたのか、何もはっきりしていない。
前回の事件は調べる対象が限定されていたから、キキも目標を絞りやすかったが、今回みたいに根底が不透明な状態ではそれも難しい。お得意の閃きが発揮されないと、一向に有力な手掛かりを掴めない。どうしたらいいだろう……。
そんな事を考えていると、今度はわたしの携帯に着信が入った。母からの電話だ。
「お母さん、どうしたの?」
「もみじ、今どこにいるの?」
逆に訊き返された。かなり焦っているようだが、何かあったのか。
「えー、ちょっと今は璃織区の方に……」
「すぐに家に戻って……いや、流成大附属病院に行ってくれる?」
「病院? どういうこと?」
「それが、さっき外山さんのとこから連絡があって……」
ん? なぜそこでその名前が出てくるのだ。わたしは母の言葉に耳を澄ました。電話越しに、焦燥感のある声で打ち明けられたその事実は……。
わたしの、体温を下げた。
「……すぐに行く」
それだけ言ってわたしは通話を切り、ちょうど近くを通りかかったタクシーを呼び止めて、急いで乗り込んだ。切迫した雰囲気を察したキキも一緒に乗り込む。わたしは運転手に、流成大附属病院へ行くように告げた。
タクシーが発進してから、キキが口を開いた。
「ねえ、何があったの?」
「……功輔が」
「功輔くんが?」キキはすでに一度会っている。
「……ナイフで刺されて、病院に搬送されたって」
キキの、息をのむ声が聞こえた。その表情を見るだけの精神的余裕が、今のわたしにはなかった。荒れそうな心を落ち着かせるだけで精一杯だったのだ。
訳の分からない事態ばかり起きる。流されてばかりでは何も変えられない、そう思っていても逆らえない事はある。抗うための力を、わたし達はまだ手にしていない。