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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第二章 断ち切られた禍根の鎖
25/53

その2 監察官

 <2>


 話は前日にさかのぼる。警視庁捜査一課の高村警部が捜査からの撤退を決め、混乱の気配が見え隠れする星奴署から出たわたし達に、その男性は声をかけてきた。

「君たち、ちょっといいかな。話があるんだ」

 黒のロングコートを纏ったその男性は、いかにも怪しいという雰囲気だった。というわけで、わたしはフィンガー・ジャブの体勢で応対することにした。この場はわたしに任せようと判断したらしく、美衣まで同じことはしなかった。

「話によりますけどね」

「ああ、待ってくれ」男はコートの内側を探り始めた。「見てくれは怪しいだろうが、決して怪しい者ではない。あそこにいる連中と、遠からず似た立場にいる人間だ」

 男は星奴署の建物に顎を向けながら言った。ええと、つまり……。

「警察の方ですか」

「厳密には、警察の警察と呼ぶべきかな」

「…………監察官?」

 反応したのは美衣だった。男は口角を上げながら警察手帳を取り出し開いた。

「ご名答。警視庁警務部人事第一課、監察官室所属の舛岡(ますおか)警視だ」

「わあ、警視って事は、高村警部より格上なんだ……」と、キキ。

「警視庁の監察官は全員が警視だよ。監察官の職域は知っているかな」

「うろ覚えですけど、警察官の不正を調べる部署でしたっけ……」

「まあそのような理解で構わない」

 なんだか変な人と関わりを持ってしまったな……警察官には違いないのだろうが、こんな怪しげな風体(ふうてい)では警戒されて当然だ。まして体格に差のある中学生が相手ではなおさらである。まあ、警察官なら多少は警戒を緩めてもいいだろうけど。

「それで、わたし達に話というのは?」

 ガタイのいい男を相手に、まるで怯える素振りを見せないキキ。

「ああ……君たち、連続銃撃事件のことを調べているようだね」

「え、なんでご存じなんですか」

 隠す気など微塵もないのか、こいつは……。

「一昨日もここに来ていただろう。そこの背の低い子はいなかったが」

 背の低い子とは美衣のことだ。言われて特に気分を害した様子はない……はず。元が無表情だから感情の変化が読み取りづらい。

「そういえば、一昨日も星奴署の前で誰かが張っていましたね。あれもあなたですか」

「え、そんな人がいたの?」

 驚くキキ。やっぱり気づいていたのはわたしだけだったか……。

「中学生が短期間に二度も警察署を訪問するなんて、少なくとも俺は前例を知らない。しかも強行犯捜査係の刑事に出迎えられていただろう。確実に、星奴署管内で発生している中学生連続銃撃事件に絡んでいると思ったよ。今のところ、星奴署の強行犯捜査係が三日以上前から抱えている案件は、それだけだからな」

 さすがに監察というだけあって、星奴署の内情を完全に把握している。

「でもそれだけで、ただの関係者ではなく、事件を調べている立場だと分かります?」

 美衣がぶっきらぼうに尋ねた。

「分かるさ。ただの関係者なら、署から出てきて考え込む素振りはしない。あれは事件のことを自分たちなりに考えている証拠だ」

 侮れない人だなぁ。同じ警察官を相手にする仕事だけに、普通の警察官よりも観察力や直感に優れている。

「いやあ、これは観念するしかなさそうですね」

 キキはへらへらと笑いながら、頭の後ろで手を組んだ。この舛岡という男を敵に回すべきではないと、本能で察したようだ。

「でも、わたし達は見ての通り、ただの中学生ですよ。そんなわたし達に何を訊いても、たいした情報は得られないと思いますが」

「それは俺の質問次第だろう」

「ではまずそちらの事情をお話しください。わたしには分からない事が多すぎて、まともに答えられる気がしませんから。監察官がこの事件を調べている理由も含めてね」

 恐れを知らないどころか、そもそもキキの辞書には恐れという単語がないのではなかろうか。見るからに屈強そうな男性、しかも警察を相手に捜査する警察官を目の前にして、引く姿勢など一切見せず、むしろ押し倒してやろうという勢いさえある。度胸があるのか間抜けなのか……今ひとつ判断しかねる奴だ。

 舛岡はじっとキキを見返し続けていたが、やがて嘆息をつくとこう答えた。

「やれやれ、ずいぶんふてぶてしい子供を捕まえてしまったものだ。ああ、そうだ……先に名前を聞いておこうか。知っておかないと話が円滑に進まないだろうし」

「そうですね……わたしはキキです。燦環中学校の二年生です」

「キキ……そうか。どこか、落ち着いて話ができる場所はないかな」

 あれ、わたしと美衣には名前を聞かないのか。

「それなら、『フェリチタ』という喫茶店はどうです? わたし達もよく使うお店なんですけど、店長さんも口が堅い人ですし、何より料理がおいしいんですよ」

「ここから近いのか?」

「うーん、近いとはいえませんね」

「そっちの方が好都合だ。星奴署の人間に聞かれる可能性は幾分でも減らしたい」

 どうやら舛岡はキキの提案に乗ることに決めたようだ。プロテクトが堅いのか甘いのか分からない人だ。

「では急ぎましょう。それと、訊いてこないのでこちらから言いますけど、この二人はわたしの友達で、左がもっちゃんで右が美衣です」

 わたしはキキの頬に拳を押しつけて黙らせた。

「もみじです。これ、気にしたら負けですからね」

「誰が何に負けるんだよ。すみませんね、基本属性がコメディアンなんですよ」

 美衣もずいぶん失礼な事を言ってのける……いつものことだけど。

「うぅむ……」舛岡は髪を掻いた。「人選は間違ってなかったと思うのだがな」

 そのセリフについて今は問い質しませんよ。聞くのが恐いから。


 喫茶店『フェリチタ』に入ると、案の定、舛岡に妙なものを見る視線が注がれた。この店に来る男性客のほとんどは、店主の晴美さんが目当てだが、舛岡はどう見てもその例に当てはまらない。醸し出す空気に重厚感があるし、何よりカウンターの晴美さんに見向きもしない。端的に言えば場違いな存在だ。

 舛岡の後に、常連であるわたし達が入ってきた事に気づき、晴美さんは舛岡に気づかれないようにわたし達を手招きした。カウンターに近寄ると、晴美さんは小声で言った。

「あの人、もみじちゃん達の知り合い?」

「まあ、ついさっき知り合ったばかりなので……あれで警察官なので、いつも通りに接して問題ないですよ」

「そ、そう……まあ、暴力団とかじゃなくて安心したけど」

 確かに屈強で威圧感のある風貌は暴力団員に見えなくもないが、敵対している勢力の一員に間違われるのはいかがなものだろう。

 窓際のテーブル席に座った舛岡は、メニュー表を広げると、低く響く声で告げた。

「ブレンドコーヒー、ひとつ」

「あ、はい。ただ今……」

 晴美さんは慌ててコーヒーメーカーのセッティングを始めた。たぶん誰もここでの会話を他人に漏らさないだろうけど、黒いコートの男性と女子中学生の組み合わせ……注目を浴びてしまう事は必然だった。

 わたし達は三人並んで、舛岡の向かいの席に座る。誰も舛岡の隣には座りたがらなかった。本人が気にしていないのは何よりだが。

「君たちは何か頼まないのか? 俺からは出せないが」

 どうやらここでの食事代は経費で落ちないようだ。まあ、常連で晴美さんに気に入られているわたし達には、何らかのサービスが受けられるだろうけど。

「いえ、わたし達は特には……」

「新作のラズベリータルトを試してみたいけど、後にしますね」

 おお、美衣がスイーツを後手に回すとは珍しいな。

「ではお話を聞かせてください」キキが言った。「なぜ監察官であるあなたが、銃撃事件に関わろうとしているのか」

「全部を打ち明けることは守秘義務があるので出来ないが、まあ、君たちが理解できる程度までは話してやろう。事の発端は四年前だ」

 四年前……連続銃撃事件に関係していると思われる、北原歩による金沢都知事の孫の怜弥への傷害事件が起きた頃だ。銃撃事件の被害者たちが関わったらしい殺人事件も、その頃に起きたと考えられる。そのどちらかに関係する事だろうか。

「当時、俺はまだ警視庁公安部に所属していて、この話は、同じく公安部から監察官室に派遣された同僚が、別の部署に異動してから聞かせてくれたものだ」

「監察官って、公安にいる人がなるものなんですか?」と、わたし。

「そうとは限らん。監察官は基本的に副署長経験者が多く選出されて、署長や本部課長に異動するまでの約一年間だけ勤めるのが慣習だ。俺も三年ほど副署長を経験している。公安部にいたと言っても、実動部隊じゃなく、あくまで指示系統の中枢にいただけだから、他の捜査員と比べて特別優秀だったわけでもない。監察官室で、俺の指揮の下で動く監察官室員は、ほとんどが公安出身のプロフェッショナルだが」

「つまり、監察という一つのチームのリーダーという事ですか」

「そのような理解で構わない。だから本来、現場に出て活動する義務が俺にはない」

「だったらどうして警察署の前で張り込みを?」

「一応キャリアでも、警察学校で研修は受けるから、張り込みの技術については粗方(あらかた)習得しているつもりだ。この件については、どうしても俺自身で調べたかった……まあ、その理由はもう少し後に話すよ。まずは四年前の出来事についてだ」

 うーん……警察組織について知らない事が多すぎて、話の腰を折る頻度が高くなりそうな気がする。気を悪くしている様子がないのは幸いだが。

「七月のある日、監察官室に通報が入った。そこは一般市民からの警察に対する苦情や監査請求を受け付けているんだ。で、その内容だが……東京都庁に勤務する男性職員の一人が失踪して、行方不明者届を提出したのに受理されなかったというものだ」

「警察への届け出が無視されたという事ですか……?」と、キキ。

「もしそうなら職務規定違反になるな。だが、通報を受けてその監察官が調べたところ、どうも妙な状況にあったそうだ」

「妙な状況?」

「行方不明者届が提出された当該の所轄署に確認したところ、その都庁職員本人が不受理届を出していたんだ。署員はその届け出を優先していた」

「すみません、不受理届というのは……?」

 わたしはおずおずと、控えめに手を挙げながら質問した。

「行方不明者届など、警察に対する捜査を依頼する届け出は、ストーカーが相手を探すために利用する事がある。それを防ぐために、ストーカーの被害に遭っているなどの差し迫った理由がある場合に、届け出を受理しないように依頼する、不受理届を提出することが法律で認められているんだ。この件も同じだった」

「そうなんですか……まあ、ストーカーが起こす事件って深刻化していますからね」

 どうもここ数日、この手の話を聞くことが多いな。少し嫌な気分だ。

「だが、女性が被害に遭っているならともかく、男性の地方公務員がストーカー被害を理由に不受理届を出すのは、いささか奇妙な話といえる。そこで監察官は、通報してきた自称恋人の女性に接触して話を聞くことにした」

「自称、ですか?」

「調べを始めた時点では、本当に恋人かどうか分からなかったからな。不受理届が出された場合、被害者の身の安全を考慮して、不受理届の事を明かさない事がある。事実その女性も、そんな事情がある事をまるで知らなかった。そして、自分がストーカーだという事は事実に反していると断言した。女性の友人や身近にいる人の証言でも、その男性職員と長らく同棲している事は確認できた。誰が見ても、仲睦(なかむつ)まじい恋人同士だった」

「そうなると不受理届を提出したのは、その男性ではない別の誰か、という可能性も出てきますね」

「確かにそうだが、事はそれほど単純じゃない。不受理届を受理するのはよほどの理由がある場合に限定されるし、何より被害を受けている本人が提出することが原則だ。当然警察署も、簡単ながら本人確認を求めるはず」

「運転免許証の提示とか?」

「ああ。同時に、行方不明者届が提出されたら、不受理届のリストに一致する人物がいるかどうかを確認することになる。実際に行方不明者届は受理されなかったのだから、リストにその男性と特徴が一致する人物がいたと見るべきだ」

「それでも別人の可能性は否定できませんよね?」

「まあ、免許証にICチップが導入されて以降、免許証の偽造は比較的困難になりつつあるが、額面の表記と写真だけで判断する署員もゼロではない。不受理リストの作成も、四年前はまだ始まったばかりで完全ではなかった。不受理届自体も、本人が提出してそのまま受理されるとは限らないが……署員を丸め込む事でどうにでもなる場合もある。よほどの偶然が重ならない限り、赤の他人が不受理届を出して受理されるなんて事態にはならないだろうな」

「別人が提出した可能性は低いという事ですか」

「ゼロとは言い切れない程度だな。だが、疑いの余地もある。その所轄署の署員に話を聞いてみても、不受理届を提出した人の居場所は誰も把握していない。さらに、監察官の要請でリストを調べたら、その男性のデータはなぜか消えていた。そして、提出した人物の人相については、誰もはっきりと記憶していなかった。恋人の女性の部屋にあった写真を見せても同様だった」

 それは確かに疑わしい状況ではある……。失踪した男性のデータが消えていたという事は、恋人の女性が提出した行方不明者届が退けられた後に、監察を受ける事を想定して誰かが消したのだろうか。その警察署の中に、籠絡(ろうらく)された人がいるのか。

「警察に、グルになっている人がいると……?」と、キキ。

「可能性としては無きにしも(あら)ず、だな。だが妙な事は警察だけでなく、男性の職場である都庁・会計管理局でもあった。彼は、失踪した直後に懲戒免職処分を受けていた」

 ……失踪直後に懲戒処分? 直前ではなくて?

「奇妙な話だろう? 職場の誰に聞いても詳しいことは知れなかった。辛うじて上司の課長が教えてくれたのは、職務規定に反する何らかの行動をとった、という事だけ」

「そりゃあ懲戒処分を受けるなら、表向きそういう事があったのは明白でしょう」

 美衣は冷徹に言い放った。舛岡は頷いた。

「俺もその監察官もそう思ったよ。だがそれ以上は、極秘事項として何も明かしてはくれなかった。同じ東京都直轄の組織だが、なかなか垣根を越えられないのが公務員の悲しい現状なんだよ」

「要するに職場の方でも、明らかに何か隠し事があって、それと警察署での対応が何か関係しているかもしれない」と、キキ。「少なくともあなた方はそう考えたと」

「そう勘繰るには十分な状況だったからな」

「しかし、それと今回の事件がどう繋がるんです?」

 言われてみれば、長々と話を聞いていても、連続銃撃事件との関連が一向に見えてこない。つまるところ、これでまだ話の途上という事だろう。

「銃撃事件と繋がるのはここからだ。恋人の女性は、男性が失踪した直後から、ブログやSNSで情報提供を呼びかけていたんだが、そこで妙な現象に遭遇していた」

「まだ妙な話が続いていたんですね……」

「それだけ謎だらけの事件という事だ。これも、女性に話を聞いた監察官に相談した事らしいが……情報提供を呼びかけるブログの記事やSNSのコメントが、アップした翌日に残らず削除されていたんだ。女性の知らない間に」

 それは……奇妙を通り越して、薄気味悪い。

「えっと、それはどういう……」

 さすがのキキも理解が追いつかないようだ。

「サイバー犯罪対策課の知り合いに調べてもらったら、外部からの不正アクセスによってアカウントが一時的に乗っ取られていたらしい」

「ハッキング……ですか?」

「正確にはクラッキングだな」わたしの発言に美衣がダメ出しをした。「ハッキングは本来、プログラムを改良したり安全性を検証したりする行為のことで、悪意を持って他人のサーバに侵入して改変を施す事はクラッキングと呼ぶのが正しい」

「そういえば俺の同僚の監察官も、サイバー犯罪対策課の知り合いから、全く同じ事を指摘されていたな。未だに混同している人は多いみたいだ」

 美衣が色んなことを知っているのはともかくとして、そんなプログラミングの知識なんて、普通の中学生が詳しく知っているはずもなかろうに。

「どうも、警視庁でも把握していない新型のコンピュータウィルスがあって、一度活動を終えたら即座に消滅するプログラムらしく、痕跡だけは見つかったがウィルスそのものは発見できなかった」

「それ……同じような事態が何度も繰り返されたのでは?」と、キキ。

「ご名答。それ以降も記事やコメントをアップするたび、不正アクセスで消されるというイタチごっこが続き、一か月ほどで更新を諦めたそうだ。一度、アップしてすぐに無線LANの接続を切ることで、不正アクセスの隙を無くそうとしたらしいが、それでもやはり消されたらしい」

「どうしてそんな事が……」

「接続を切ると言っても、アップしてから切断までは十秒以上かかる。事前に不正アクセスの準備をしていたなら、アカウントの乗っ取りにかける時間は十秒もいらない。恐らく女性のネット環境は、すべてどこかで監視されていたんだろう」

 ある意味でその行為自体がストーキングだ。なんだか想像を超えて厄介な事案に発展してきたぞ。よもや集団でクラッキングを仕掛けているのではあるまいな。

 ……おや? どことなく繋がりが見えたような。

「このエピソードを聞いた時、俺には思い当たる節があった。公安で左翼系セクトのメンバーから聞き出した話で、金沢都知事に関する不穏な噂があるという」

「ここで金沢都知事の名前が出てくるんですか」と、わたし。

「ああ。その噂というのが、都知事が裏でハッカーの集団を率いて、自分に都合の悪い情報を、拡散される前に消しているというものだ」

「ハッカー?」美衣が反応した。「クラッカーではなくて?」

「厳密にはクラッカーと呼ぶべきだろうが、非常に高度なクラッキング技術を持っているらしく、無政府主義の左翼系の中では敬意をこめてハッカーと呼んでいたよ。ちなみに、そのハッカー集団の名前は不明だが、連中は便宜(べんぎ)的に『ボット』と呼んでいた」

「ボット……その名が(たい)を表しているなら、かなり厄介な相手ですね」

 美衣は即座に、ボットという名前が表す意味に気づいたようだ。残念ながらコンピュータのことなどろくに知らないわたしは、まるでついて行けない。

 でも、そのハッカー集団が存在するなら、失踪した都庁職員の恋人がアップした記事を消していたのも、その連中である可能性は否定できない。目的が、都合の悪い情報の完全なる統制だというなら、それは今回の事件でも見え隠れしている。

「俺はその女性の話を伝え聞いた時、すぐに『ボット』の存在を思い出した。かねてより金沢都知事には、表向きは穏健派として振る舞っている一方で、裏では徹底した悪評潰しをしているという噂があった。もっともこれは公安部のトップシークレットで、そう易々と表に出ることではないがね」

 そのトップシークレットを聞かされているわたし達は、大丈夫なのか……?

「当然ながら証拠などあるわけもないし、第一、知事を糾弾する事など、警視庁内では御法度(ごはっと)だ。その辺はよくある組織の論理だから、腑に落ちなくても仕方ないが」

「ええ、全く腑に落ちませんね」

 どこまでも純粋なキキにとっては、理解に苦しむ話であろう。

「そして……」舛岡は天井を眺めた。「俺が監察に異動した今年、徹底した証拠潰しとネット情報の抹殺が起きている銃撃事件の存在が、耳に入ってきた……。都知事および『ボット』が関わっている可能性が極めて高かった」

「ひょっとして、警察内でのマスコミ規制も、金沢都知事の圧力で……?」

「それは刑事ドラマに影響されすぎだぞ。知事には警察への直接の影響力がない。大体は直轄組織である公安委員会を通さなければならないからな。ただし、金沢都知事は二十年に渡って都政を牛耳(ぎゅうじ)っている実力者だ、逆らうことが難しい状況にさらされている事は確かだろうな」

 非常識な手段に訴えれば、圧力を加えることも不可能ではない、というわけか。

「現時点で判明しているのはどれも噂ばかりだ。確かな事は何ひとつない。金沢都政という伏魔殿(ふくまでん)を相手に俺たち監察ができるのは、周囲からの切り崩しを図ることだけだ。火のない所に煙は立たない……不穏な噂があるならその火元に当たるものは必ず存在する。そのままの形で存在するとは限らないがね」

「そういうことでしたか」キキは腕組みして頷きながら言った。「やっと分かりました。あなたが銃撃事件を調べているのは、『ボット』が実在するかどうか確かめる絶好の機会だと思ったからですね。そして、星奴署の人たちに接触せず張り込みだけで情報収集をしようとしているのは、都知事が絡んでいるから」

「まあ、そういう事だな……」

 舛岡は後頭部を掻きながら言った。警視庁は都知事の影響力が及ぶ組織だから、都知事にまつわる黒い噂を警視庁の人間が調査していることは、簡単に都知事の耳に入ってしまう恐れがある。だから極力誰も関わらせないようにしているのだ。星奴署から少し離れている『フェリチタ』が好都合だと言ったのも、それと同じ理由だ。

 先ほどの話だと、監察官の任に就けるのは一年ほどらしいから、舛岡としては任期が終わる前にこの件を片づけたいのだろう。簡単に他の人に委託できる話でもないし、今後も同じような機会に恵まれる保証はない。(わら)にもすがる思いだろうな。

「監察の動きは、警視総監がまとめて公安委員会に報告しなければならない。それも四半期に一回以上だ。それに俺の調査は、市民からの通報を理由にしているわけでも、公安委員会からの要請があってのことでもない。つまりは勝手に動いているんだ。たとえ同僚であろうと、この調査のことを知られるわけにはいかなかった」

 あんたも組織の枠組みから外れている口ですか。星奴署の鑑識の城崎と同じだ。

「まあ、情報収集のためでも星奴署に乗り込めない事情は分かりますが」と、キキ。「それでわたし達に接触を試みるのは無理がありません? 確かに色々調べているのは事実ですが、そちらが満足できる情報を持っている可能性は低いと思いますよ」

「というか、中学生に声をかける時点で何か腹に一物ありそうです」

「うわ、もっちゃんもはっきり言うねぇ」

 別世界のような話を延々と聞かされて、わたしも話に付き合うのが億劫になっているのだろう。ていうか、もっちゃんと呼ぶなと何度言ったら……。

「最初はそうだな……中学生の身分で警察署に二度も出入りしている所を見て、君たちを味方に引き込めば、俺自身が署内に入らずとも情報を引き出せると考えたんだ」

「それって、わたし達が星奴署で得た情報を、あなたに提供するという事ですか」

「ああ。このまま張り込みを続けていても活路は見出せないと思ってね」

 悪びれなく言ったな、この人。中学生を調査の道具にしようと考えるほど、切迫した状況にあったのだろうか。

「だが、君の名前を聞いてすぐに方針転換をする事にしたよ」

「え?」

 舛岡に指先を向けられて、戸惑いがちに両目を見開くキキ。

「こちらが握っている情報を可能な限り提供して、俺のことなど気にせず好きに調べさせようと考えたのさ。もし君たちの力でどうにもならない事態に直面したら、俺が、監察官としての権限をフル活用して協力する。この方針に変えたんだ」

「わたし達に任せようと思ったんですか? どうして……」

「公安に長くいると、警察内部で流れる噂が自然と耳に入るものさ。先々月、続けざまに二つの難事件が解決され、その両方に君が深く関わっていて、捜査の進展に大きく貢献していると聞いてね。本庁捜査一課の実力派警部も信頼しているとか」

 高村警部のことか……キキの推理の実績はすでに警察内部で大きな反響を呼んでいるみたいだ。まあ、本人はそれで喜ぶことなどないだろうけど。

「買いかぶり過ぎですよ。わたしは警察に協力するつもりなんてなかったですし」

 ほら、言うと思った。むしろ警察を骨まで残らず利用していたくらいだ。

「それに……結果としてどうなるかは分かりませんが、あなたから見て、わたしが果たして信頼に足るかどうかは怪しいです」

「というと?」

「だってわたしはただの中学生ですし、何かを調べるとしてもそれは友達のためです。大切な人が困っているから助けてあげたい、そんな理由だけで動いています。警察と違い、私情ばかり重視しているんです」

 捜査に私情は禁物、という言葉はどこでもよく聞く。だからキキは自分の調査を、決して警察の捜査と同列に並べることはないのだ。

「まあ確かに、強大な権力を有する警察が一般市民の事情に踏み込む際に、私情を挟むのは決して好ましくない。だが俺に言わせれば、私情の持ち込みが禁忌とされるのは、警察が組織という形式で動いているからだろう」

「え……?」

「そうなると警察は一枚岩である事が大前提となる。そこに個人的な事情を持ち込めば、組織としての統率が不安定になってしまう。同じ理由で、警察官は法から逸脱した行為が許されない。警察組織全体のあり方を揺るがしかねない事だからな」

 それは何となく理解できる話ではあるけれど……。

「でもそうした理屈は、君たちに同様に通用するとは限らない」

 当然の事だった。わたし達は警察じゃない。強大な権力を有してもいなければ、それゆえの責任を負っているわけでもない。

「凝り固まった組織主義と、法による束縛のせいで、警察の捜査は割に自由度が低い。一番重要な、犯罪者の確保という役割さえ、それが理由で諦めざるを得なくなる、なんて事態も少なくない。その点でいえば、君たちの方に分があるといえる」

「意識して一枚岩になる必要もなく、法による束縛も関係ないと?」

「平たく言えばそういうことかな。もちろん最低限のルールは守るべきだが、警察は公務員法という、君たち一般人に適用されない法律が枷になっている。その分の違いはなかなか大きいぞ。警察にできないような調査が君たちにできる事もある。警察官からの信頼があれば、なおのこと行動の範疇は広くなる。俺が君たちに期待しているのは、それが理由だよ」

 言葉に詰まる。ようやく舛岡の真意を理解できたような気がした。

 キキは理論武装に頼らず相手を言い負かす事ができる。そもそも勝敗にこだわる性格でないため、真っすぐ正論をぶつけてくる。自分に非があっても隠さず早々に曝け出す。そうして相手に反撃の隙を与えないのだ。

 舛岡も同じだった。彼の主張する事はすべて正論だ。本来なら警察が一般人に先を越される事態などもっての外だが、彼は警察捜査の弱点を隠そうとしなかった。警察官から一定の信頼を得ているわたし達、というよりキキが、期待されるにふさわしい存在であると認めている。……どこにも反論の余地がない。

 キキの表情に迷いの色が見て取れた。彼女自身は、その時々で努力した結果に過ぎないと考えていて、自分の推理能力が期待される事を容易には受け入れない。だけど、舛岡の説明あるいは説得のせいで、その感覚がぐらついている。

 親友の実績が称えられる事は、わたしとしては嬉しいけれど、長く付き合っていると分かる事もある。この状況は、必ずしも好ましいものとは言えない。

 だからわたしは、キキの本来の感覚を守るため、舛岡にこう告げた。

「……あの、そろそろわたし達の話に移ってもいいですか」

「ん? ああ、そうだね……俺からの話は一旦ここまでとしよう」

 風向きを変えればキキの感覚は戻る。

 キキと目が合う。ほっとしたような表情で微笑むキキに、わたしは親指を立てて応えることにした。

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