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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
23/53

その23 撤退

 <23>


 星奴署に来たわたしは、とりあえず受付でキキの居場所を訊くことにした。キキは後から来るわたしのことを考えて、どこに行けばいいのか受付に知らせていたようで、スムーズに居場所を聞き出すことができた。行き先は鑑識部屋。察するに、受付に通達を行なったのは鑑識課の城崎だろう。

 鑑識部屋に来てみると、なぜかそこには美衣もいた。

「やあ」

 美衣は無表情のまま、軽く手を挙げてわたしに言った。これでもノリがいい方だ。

「なんで美衣まで来てるの?」

「調査の進捗(しんちょく)状況が気になってキキに連絡したら、ここに行くと聞いてね。二日もかければかなりの情報が入っただろうから、電話だと要領を得ないと思い、直接話を聞こうとここに来た次第だ」

 すると、隣に立つキキが笑顔で言った。

「ついでに電池の容量も気になったんだよね。要領と容量、なんつって」

「誰がそんな駄洒落を言うように頼んだ」

 案の定、美衣は冷たく言い放った。この手のつまらない冗談は美衣に通じない。

「おっと、もみじちゃんも登場か」デスクに向かっていた城崎がこちらを向いた。「いいねぇ、かわいい女の子が三人に増えて、むさ苦しい空間に花が添えられたみたいだ」

 美衣は突き刺すような視線を城崎に向け、どす黒いオーラを放ちながら、フィンガー・ジャブを食らわせるような体勢になった。城崎の軽薄な発言は、美衣の怒りに触れたようだ。キキも半眼で見返しているし、わたしに至っては寒気が襲って身震いしたほどだ。

「君たち……なんでかわいいと褒められて気を悪くするの」

「おっさんに容姿を褒められて女の子が気を良くするのは、接待の時だけですよ」

 キキはストレートに言った。当の城崎は笑い飛ばしてくれたが。

「おっさんって……まだ三十路にもなってないのに」

「そんな事はどうでもいいです」と、わたし。「刑事課の人たちはどちらに?」

「少し前に別件の被疑者の取り調べを始めたみたいだよ」キキが答えた。「他の人は柴宮くんの聴取内容を精査して、書類に起こす作業にかかってる。他にも、五人目の被害者のことでも捜査を続けているみたい」

「道理で慌ただしかったわけだ……」

「柴宮酪人のスマホとパソコンは押収している」城崎が椅子から立ち上がる。「一連の犯人と接触している唯一の人物だから、なんとしても証拠を見つけ出せ、というのが刑事課からの要請だ。言われるまでもない事だけど」

「どこまで調べましたか?」キキが尋ねる。

「ハードを解析して、メールやSNSの履歴を調べたよ。結論から言うと、今回の犯行を匂わせるような文面は見受けられない。犯人と接触した痕跡はなかった」

「じゃあ、犯行の段取りはすべて電話で?」

「恐らくそうだろう。会話の内容までは調べられないし、通信履歴に残っている番号もあてにならない。後で警察に押収された場合のことを考えれば、電話を使うのが最も安全な方法だと言えよう。ただし……」

 城崎は踵を返し、スチール棚の向こうのスペースに入った。キキと一緒に後を追ってみると、中央のテーブルの上にノートパソコンと、ビニール袋に入ったスマホが置かれていた。あれが柴宮から押収した証拠品だろう。城崎はノートパソコンを操作し始めた。

「能登田中で生徒指導の先生が言っていただろう。柴宮は学校の裏掲示板を頻繁に使っていて、そのサイトでは結構な有名人だったと」

「そっか、裏掲示板にアクセスするにはパスワードがいるから、一回の接触だけなら誰にも気づかれない可能性がありますね。掲示板にアクセスするのは学校やシステムに反抗している人ばかりですから、警察などに告げ口する人もいない」

「中身を伴わない誹謗中傷が主体のサイトだから、犯罪に誘おうとするコメントがあっても、第三者は悪戯の一環としか考えない。まして一回だけならなおさらだ。刑事課に、柴宮の取り調べでパスワードを聞き出すように頼んだら、十分で吐いてくれたよ。さすがに大人の刑事が相手だと、ネット上で威張り散らす奴もただの弱気な子供になる」

「それで、アクセスして調べた結果は……」

「予想的中だよ。柴宮の発言に対してコメントがいくつも寄せられているが、その中であからさまに、犯行を促すようなものがあった。しかもこの一回しか使われていないアカウントだ」

「そのアカウントから犯人のパソコンに辿り着けそうですか」

「やってみなければ分からないが、会話のきっかけを作るためだけに裏掲示板を使ったのなら、ネットカフェからでも十分だ。IPアドレスを辿ったところで、犯人の正体には行きつかないだろうね」

 キキが事前に予想した通り、犯人は、柴宮がネット上に書き連ねていたあさひへの恨み言を見て、共犯者に使えると考え接触を図った。これまでの犯行でも見られたように、確実に犯人へ繋がる証拠を残さないよう、ネット上での接触は一回きりだった。柴宮が捕まった事は、犯人の計算の内だっただろうか。だとすれば城崎の言う通り、アカウントから辿る方法は望み薄といわざるを得ない。

 この状況で、キキはどのようにして決定打を探すのか……。

「城崎さん、犯人のコメントの全文を見せてくれませんか」

「そう言うと思った。ほら、これだよ」

 わたしもキキと一緒に画面を覗き込む。確かに誹謗中傷で溢れている。柴宮のコメントも同様で、根拠のない妄言をもっともらしく並べ立ててあさひを貶めている。だが、回数を重ねるごとに、柴宮の意見を肯定するコメントは減っていて、焦りからなのか柴宮のコメントもただの悪口に成り果てている。生徒指導担当の丹羽が言っていたように、学校でのあさひの活動を支持する人が、ここに投稿していた人の中からも現れたのだ。

 そんな中、一か月前の柴宮の発言に、こんなコメントが返されている。ハンドルネームは『西に歩く虎』とあった。

『それほどまでに山本あさひという女子生徒が憎いなら、私でよければ手を貸そう。君の恨みを晴らすのに十分な手段を、私は持っている。興味があれば、下記の番号に電話をしてほしい。名前はAさんと呼んでくれればいい』

 その後に携帯電話の番号が堂々と記されていた。今も消されていないという事は、犯行が終わった今、もうこの番号は使われていないと見るべきだろう。

「念のためにこの番号を問い合わせてみたが、偽の名義で購入されていた上に、すでに変更されて使い物にならなくなっていた。予想はしていたけどね」

 城崎の説明を聞いているのかいないのか、キキは画面を凝視していた。見ただけで分かる事があるだろうか。犯人自身も想像しない何かを、キキはその閃きで探しあてようとしているみたいだが……。

「まあ、この文面から分かる事なんて、かなり少ないだろうけどね」

「無職の男性。たぶんネットツールに明るくない。下の名前はたぶん『(あゆむ)』かな」

「…………わお」

 城崎は思わずアメリカ風のリアクション。本当に見ただけでここまで探しあてた。結論を先に言われると、論理の飛躍とか当て推量のように思えるけど。

「もう少し考えを広げたら、名字も分かるかもしれませんね」

「一応聞くけど、根拠は?」と、城崎。

「コメントが投稿された日付と時刻を見れば、無職である事は明白ですよ」

「日付と時刻?」城崎は画面を見た。「……ああ、平日の昼間だね。勤め人ならこの時間帯にアクセスしてコメントを投稿するなんてできないな」

「フリーターとかもあり得ますけどね」

「少なくとも普通のサラリーマンである可能性は消えたな。男性というのは?」

「女子生徒という単語です。女性なら基本的に“女の子”と呼びます。勤め人でない人が堅苦しい雰囲気の言葉を使うなら、それは高い確率で男性です。もちろん例外はいると思いますが」

「ネットツールに明るくないというのは? 犯人はパスワードを知っていたんだろう」

「パスワードは別の誰かに教えてもらったのでしょう。入手できるルートがどこかになければ、サイトの存在を知る現役の中学生はすぐに減ります。この犯人は、ハンドルネームを使っておきながら、本文では自分のことをAさんと呼ぶように言っています。サイトのアクセスの際に使うユーザー名でしかないと思っている……ハンドルネームの使い方さえ知らないなんて、よほどパソコン通信やネットに慣れていない人です」

「それじゃあ下の名前は、その“Aさん”から発想したのかな」

「ええ。ネットに慣れていない人がハンドルネームを作るなら、他の人の使っている名前を参考にしたでしょう。しかし適当に考えてできるものでもないですから、少しは自分の本名から連想した可能性があります。そのうえでハンドルネームを見ると……」

「ああ、“歩”という字が入っている。これが名前に入っていると考えれば、Aさんとはイニシャルのことだと分かるわけか。男性なら普通は“歩”……凄まじい発想力だな」

 確かに。発想としてはどれも悪くないものばかりだ。犯人は、警察が自分の痕跡を探す方法として、IPアドレスや電話番号から辿るという方法しか採らないと考える。その場合、実際に使う文面に注意が行き渡らなくなる。キキはその盲点を突いたのだ。

「恐らく、残りの“西”と“虎”が名字に当てはまると思うのですが、“歩”がそのまま使われている以上、名字までもそのままとは言えないでしょう」

「西と虎……どことなく、四神の白虎(びゃっこ)を彷彿とさせるな」

「それなら知ってます」と、わたし。「古代中国の五行思想になぞらえて作られた、季節や方位を守護する獣の事ですよね。白虎は西を守護する神です」

「さすがはもっちゃん……歴史が絡むとずば抜けて詳しいね」

「そのくらいあさひも美衣も知ってるよ。つか、もっちゃんと呼ぶな」

「ええと……」城崎はわたしとキキのコントを無視した。「犯人は何から連想して、白虎と、そいつが守護する方角を思いついたのかな。単純に方角が名字に入っているという事はなさそうだし……」

「もっちゃん、四神は季節も関係しているみたいだけど、白虎はどうなの?」

「…………」懲りないな、こいつも。「白虎は秋の象徴だよ。五行思想では、森羅万象が五つの要素で構成されていると考えられているの。方角は東西南北とその中心。季節は春夏秋冬と節目に位置する土用。色は赤と青と黄色と白と黒。物質は水と木と土と火と金属という具合にね。白虎と繋がっているのは、方角が西、季節が秋、色が白、物質は金属。……まあ、こじつけといえばそれまでだけど、この考え方は至る所に散見されるね」

「という事は、西と虎を除く要素は、白と秋と金属……何かあるかな」

「君たち」城崎が口を開いた。「青春という言葉の語源は知っているか」

 突然に何を言い出すのだろう。急に話が変な方向に飛んで、戸惑うわたしとキキ。

「青春の語源……?」

「元来その言葉は、春を表す別称でしかなかった。五行思想になぞらえると、春に対応する色は青だからね。同じように夏の別称は朱夏(しゅか)、冬の別称は玄冬(げんとう)となる」

「ふうん、思春期とはあまり関係なかったんだ……」と、キキ。

「そして同じ理由で秋の場合はこう呼ばれる。白秋(はくしゅう)……とね」

「詩人の北原(きたはら)白秋ですか」わたしは尋ねた。

「そう、彼のペンネームの由来となった言葉だ。もし自分の名前から白秋を連想し、そこからさらに白虎、守護する方角の西と連想を広げていけば、このハンドルネームに行きついても不思議じゃない」

 うん……それは決して不思議じゃない。知っていれば思いつきそうだ。

「つまり、名字は“北原”ですか」

「君の想像に乗っかっただけだから、何とも言えないな。一応、“北原歩”で前科者データベースに照会してみるよ」

 城崎は壁際のデスクトップ型パソコンの前に移動し、キーボードを操った。結果はすぐに表れた。

「わあ、あったよ。ドンピシャってやつだ」

 パソコンの画面には、どこか冴えない印象の男性の写真と、名前や生年月日などのデータが表示されていた。名前はズバリ“北原歩”。罪状は傷害罪とあった。もう少し調べてみない事には確定できないが、思わぬ形で有力な容疑者が浮かび上がった。本当にキキの閃きは凄まじい。

「この人、何をしたんですか」キキが訊いた。

「四年前の十月二十六日に、十一歳の少年を刃物で切りつけたそうだ。その場で取り押さえられて現行犯逮捕、懲役四年の判決を受けて、先月出所したばかりだ。おまけに北原はアマチュアの射撃大会で何度も優勝した経歴がある」

「おお、今回の事件の主犯として、申し分ない存在ですね」と、わたし。

「だけどわたし、こんな事件、ニュースで見たことありませんよ」

 そもそもキキは普段からニュースを見ないのではないか。わたしもあまり人の事は言えないけど。

「あまり表沙汰にできない事情があったんだろうね。見てごらん。被害者の少年の名前は金沢怜弥(れいや)、あの金沢晋太郎の孫だよ。大ごとになると政権運営に支障が出かねないから、報道を完全にシャットアウトしていたのさ。警視庁が逆らえるはずもない」

 目まぐるしい展開だ……まさかここに来て、あの金沢晋太郎の名前が出てくるとは。

「有名人なんですか?」

 キキの間抜けな質問に、思わずずっこけるわたしと城崎。

「東京都知事だよ! あんたもつい数日前に会ったでしょうが!」

「あー、なんかそれらしい人に会った気もするけど、あまり印象に残らなくて」

「嘘だろ……五期連続で東京都政のトップに君臨していて、メディアへの露出もかなり多い人なのに」

 キキはどうやら、どんな有名人がテレビに出ていても、自分の興味の範囲外だったら見ても記憶に残らないらしい。いや、それは誰でもありうることだけど、キキの場合はそれが極端なのだ。

「君たち、金沢都知事に会ったことがあるのかい?」と、城崎。

「ええ、友達の誘いで翁武村に行った時に……来年あそこで開かれる雪像まつりに、都知事も協賛しているらしくて、たまたま同じ日に来ていたんです」

「なるほど」

「それにしても……この状況は喜ぶべきかどうか疑わしいですね」

 北原のデータが表示されている画面を、キキは鬱屈しているような表情で見ている。手掛かりが次々と得られているというのに、それらを歓迎している様子がない。

「何が気に入らないの?」

「自分で言い出しておいてアレだけど、事が上手く運びすぎているような気がする。出所して一か月も経たないうちに、さらに重い犯罪に手を染めるなんて不自然だし、用意もよすぎると思わない? 考え過ぎかもしれないけど、まだ誰か関わっているような……」

「他にも犯人がいるかもしれないってこと?」

「分かんない」キキはかぶりを振った。「だけどこの状況を素直に受け入れて、そのまま事件解決に繋がるようには、わたしには見えないの。ハンドルネームにしたって、冷静に考えれば、本文にあった“Aさん”を使った方がいいに決まっているのに。なんだか、この状況さえも犯人が想定していたようにも感じられる……」

 鑑識部屋の雰囲気が暗くなってきた。言いようのない不安が襲ってくる。

「そ、それは考え過ぎだよ……大体、今まで犯人に繋がる証拠を徹底して消していたはずなのに、犯人の正体に近づくような状況を自ら作るなんて、ありえないでしょ」

「普通ならありえない。でも犯人側に、素性を知られる危険を冒してでも、ターゲットの側に伝えたいことがあるとしたら?」

「キキ、あんた何を言って……」

「うん……何を言ってるんだろうね」キキは瞑目した。「犯人の素性に近づけるなら、わたし達にとっては歓迎すべき状況に違いはないのに」

 考え過ぎるとかえって真実が見えなくなるとはよく言うが、さっきのキキがまさにそうだったのだろうか。閃きが暴走して、非現実的な想像をしてしまっただけなのか。キキが今までに幾多もの真実を見出してきたために、わたしはこの想像を、たやすく一笑に付すことができない。

「ところで、美衣はさっきからどこに?」

 きょろきょろと辺りを見回すキキ。そういえば全く会話に参加していないな。

「ああ、あの背の小さなかわいい子だったら……」城崎は部屋の奥を指差した。「ずっとホワイトボードの前にいるけど」

 指を差された美衣はすっと振り向き、再びフィンガー・ジャブの体勢に。本人は低身長をあまり気にしていないが、それを理由に容姿を評価されるのは気に入らないらしい。揶揄(やゆ)されているようにしか聞こえないそうだ。

「……ねえ、いったい何を言えばあの子は機嫌をよくしてくれるの」

「そもそも美衣が機嫌をよくする瞬間なんてほとんどないです」

「美衣、なに見てたの?」

 恐れを知らないキキは、とことこと美衣の元へ駆け寄っていく。

「昨日の事件の現場写真を見ていた。不思議だなぁ、と思ったよ」

「不思議って、弾が消えていることが?」

「それは次点だ。現場は立体駐車場の半地下階で、遺体はほぼ中央に倒れていることが、ここにある写真から読み取れるだろう」

 美衣が指で示した写真には、俯せで倒れている被害者の姿がある。名前は音嶋隆。美衣と同じ璃織中学校の生徒だと友永刑事は言っていたが……。

「半地下階? 一階じゃなくて?」

「通報者がそのように言ってしまったようだ。フロアの半分が地下に埋まっているから、見ようによっては一階ともいえる。ただ、この駐車場の外観を見る限りだと、厳密には半地下階といった方がいいな」

 立体駐車場の外観の写真を見ると、確かに一階部分の高さは、他の階の半分ほどしかない。フロアの半分が地下にある、いわゆる半地下階なのだろう。

「駐車場のすべての出入り口に監視カメラがあって、確認したところ、犯行後にこの階を離れた人物は一人もいない……と、ここに書いてある」

 被害者・音嶋隆の解説文の隣に、捜査で判明した詳細な情報が書かれていた。

「つまり、誰かが銃弾を回収して逃走する事はできないってことだね」

「それ以前の問題だろう。どこから被害者を撃てば、監視カメラに映らず逃げ出すことができるというんだ」

「ああ、言われてみれば。確かに不思議だね」

 美衣の呆れたような物言いにも、キキはまるで動じない。このくらい図太い神経をしていないと、美衣とは対等に付き合えないのかな。

「目撃者の話だと」城崎が説明する。「建物の南側の、歩道に面した二つの窓の片方から撃ったそうだ。普段は閉め切られているのだが、犯人が使った方はあらかじめロック装置を壊してあったんだ。窓の点検は月に一度やるくらいだから、駐車場のスタッフも気づかなかったらしい」

「待ってください。目撃者がいたんですか」

「ああ。三件目の真鍋俊成の事件で君たちが目撃したように、犯行の瞬間までバッチリ見ていたそうだよ。問題の窓の前で何かを構える不審な人物がいて、何を見ているのか不思議に思った目撃者が、もう一つの窓から現場のフロアを覗いたんだ。すると、真ん中に立っていた被害者が、銃声とほぼ同時に倒れた所を見たそうだ。その後に不審な人物が、持っていた何かをバッグに仕舞って立ち去ったと」

「その何かというのは、凶器に使われた銃ですね。種類は分かりますか」

「今の時点では何も分からん」城崎は肩をすくめた。「目撃者も銃の本体が見えたわけじゃないから、それが拳銃なのかライフルなのかは判別できない。銃創の大きさからみて九ミリ口径の銃弾だと思われるから、拳銃の可能性が高いかな。これ以上は無理だね」

「うーん……一件目の平津くんの事件では六.四ミリ口径だっていうし、同一人の犯行にしては統一感がないですね」

「案外その辺が、銃弾消失の鍵になるかもしれないな」

 適当な事を言って……。

 わたしもホワイトボードに書かれている文章を読んでみた。まとめると、音嶋は背中から心臓を撃ち抜かれてほぼ即死状態で、貫通した弾はやはり近くから見つかっていない。目撃者の通報を受けて警察が到着したのが午後一時ごろ。犯行はその十分前。

「白昼の犯行かぁ……ずいぶん堂々としているわね」

「しかも他の四件と違って、人のいる所から撃っているよね」と、キキ。「もちろん、ある程度顔を隠せるマスクやサングラスをつけていただろうけど、それでも歩道脇で銃を構えて人を撃つっていうのは、かなり危険を伴う行動だよ」

「おかしな事は他にもあるんだ」腕を組む城崎。「こんな所に中学生が一人で来ているという事は、何者かに呼び出されたと考えるべきだが、被害者が持っていた携帯電話を調べてみても、通話履歴は家族の携帯や家の固定電話だけ、メールに至っては広告メールばかり残っていて、それらしい履歴が一つもなかったんだよ」

 呼び出した方法も不明、という事か。警察が被害者の足取りを追うのにも、これでは苦労を()いられそうだ。

「もう一つ、これは銃弾消失に直結する疑問なんだが……」

「何ですか?」

「さっきも言ったように、被害者の心臓に撃ち込まれた弾は貫通している。普通なら、その弾は駐車場の床に落ちるだろう? そしてその弾は血液を纏っている。当然、弾が床に落ちた時、その場所に血痕が付着していなければならない」

「まさか、なかったんですか?」キキが目を見開いた。

「そうなんだ。まるで、貫通した直後に、空中で消えてしまったみたいに」

 にわかには信じがたい。城崎の話が本当なら、空中で消えるなんて非現実的な解釈は脇に置くとしても、少なくとも誰かが弾を拾ったという可能性は否定される。詳しい事は知らないけれど、人体を貫通した銃弾だってかなりのスピードを持っているから、それを空中でキャッチするなんて人間には不可能だ。まず無事では済まない。

「まだ方法が解明できていない一件目と二件目もそうだけど、人間の体を貫通するだけの強度がある銃弾が、煙のように消えたとしか思えない。そんな事は百パーセントありえないとは分かっているのに……」

 すると美衣が呟いた。

「人間はありえない事を信じられるが、ありそうにない事は信じられない」

「え……?」

「つまり、理論的にありえない事は簡単に信じても、現実的にありえない事を受け入れる人は少ないってことだよ。どれほど科学や理論が発達しても、人が何を信じるか決定する要因にはならない。現実にないだろうと思えば、ないと考えるのが人間なのさ」

 どことなく理解できる話ではある……というか、それは誰かの格言なのか?

「ただし、理論は宇宙の果てまで届くものだが、現実は自分の視界に映るものだけがすべてだ。だから現実的にありえない事でも、百パーセント否定する事はできない。自分の視界の外では、十分に起こりうることだからね」

「固定観念にとらわれるな、ってことだね」

 キキは即座に美衣の言いたい事を察した。そして彼女の瞳は、自信に満ちあふれて煌めいていた。長い付き合いだから分かる、あれは閃きが訪れたサインだ。

「キキ、何か分かったの?」

「まだ完璧ではないけどね……現場を見てみたら、推理が補強できるかも。城崎さん、この立体駐車場って、璃織区のどこにあるんですか」

「ああ、住所なら別の資料に……ん、なんだ?」

 城崎だけでなく、ここにいる全員が気づいていた。廊下がやけに騒がしい。

 鑑識部屋から廊下に出てみると、隣の刑事課の前に人が集まっていた。何事かと思いながら見ていると、警視庁捜査一課の高村警部が出てきた。

「ちょっと待ってください!」

 あとから木嶋をはじめ、強行犯捜査係の面々も現れた。高村を呼び止めようとしているみたいだ。

「どういう事ですか、本件の捜査から手を引くって!」

 何だって? 高村警部が、連続銃撃事件の捜査から撤退を表明したのか。

「ああ……」高村は振り返って言った。「一課長にはもう通達を済ませている。明日には別の係がこちらに派遣されるだろう」

「私は理由を訊いているのです! なぜ捜査をやめるのですか」

「木嶋くん」高村はじっと見返している。「私は……ノンキャリながらこの地位に辿り着くまで、幾多もの地獄を見てきたと自負している。凄惨な事件現場は元より、組織の力学に翻弄されて理不尽な仕打ちを受けたことも一度や二度じゃない。今さらになって、そうした積み重ねを水の泡にするのは御免なのだよ」

 どういう意味だろうか。警察官としてのキャリアを無駄にしかねない、そうした類いの事件だというのか。高村にはそう見えたのか……。

「いちばん傷が少なくすむ方法は、これしかなかったんだ」

「怖じ気づかれたのですか」木嶋は明らかに苛立っていた。「ご自分には、この事件は手に負えないと、そうおっしゃるおつもりですか」

「怖じ気づいた……まあ、ある意味ではそうかもしれんな。ところで……」

 高村の視線がこちらに向いた。呼応するように他の刑事たちもこちらを向く。来ていることがばれてしまった……。

「キキちゃん、今さら君を止めようとは思わないが……」

「は、はい」緊張気味のキキ。

「必要以上に深入りすることだけは避けたまえ。私としても君を失いたくはない。真実を希求せんとする姿勢は称賛に値するが、世の中にはその姿勢を忌み嫌う人もいるのだという事を、常に頭の片隅に置いていてくれ」

「でもわたしは……」

「この事件、思わぬところにパンドラの箱が隠れているかもしれん。開けるべき箱をしっかり見極めてこそ、君が望むような解決に繋がるのだ。これは、説教くさい年寄りの下手な気遣いだと思って聞いてくれ」

 聞き入れてほしいのかそうでないのか分からないな。だが、それ以上キキにいう事はなかったようで、高村は(きびす)を返して去っていった。誰一人として、彼を引き留めようとする者は出なかった。

 (くし)の歯が欠けたように、何か大事なものが失われた空虚さばかりが残った。


 わたし達を歓迎しない人たちに見られた以上、星奴署に留まり続けることはできなかった。キキは城崎に、駐車場の住所を教えてもらった後、城崎にしてほしい事を耳打ちでお願いして、鑑識部屋を離れた。わたしと美衣もついて行く。

 星奴署を出て、わたし達は当てもなく歩いていた。

「なんで高村警部、捜査から手を引くなんて言い出したんだろう……」

「怖じ気づいたからだって、本人が言ったじゃないか」

 特に興味がなさそうな美衣は冷たく言った。

「警視庁検挙率ナンバーワンの名警部が手を引くなんて、それだけで異常事態だよ? 怖じ気づいたなんて理由になるかな」

「検挙率は統計上の事実に過ぎない。否定の根拠としては弱いな」

「それはそうだけど……」

「もしかしたら」前を歩くキキが言う。「高村警部は何か知っているのかもね。この事件には裏があって、首を突っ込めば痛い目に遭うと判断できる、そんな何かを。途中で捜査を投げ出さざるを得ないような何かが、あるのかも」

 そう思っていても、キキは事件の調査をやめようとはしないだろうなぁ。高村と違って警察組織の力学なんてお構いなしだし。

「その“何か”について、キキは予想できているのか」と、美衣。

「いいや、さっぱり。でも、その一部らしきものなら見えているよ」

「一部?」

「三番目に殺害された真鍋くんだけど……もっちゃん、覚えてる? 彼は昔、人を殺した事があると、仲間に言っていたよね」

 そうだ、キキに言われるまですっかり忘れていた。その話を聞いた時、真鍋少年のことを最低な奴だと思った。でも関わりを避けた途端に失念してしまったのだ。

「そしてもう一つ……北原歩って人に刃物で襲われた、金沢怜弥少年は当時十一歳。もし現在まで生きていれば、あっちゃんを除く他の被害者と同じ十五歳になる」

 そうか、その事件は四年前に起きているから……。確か金沢都知事は、自分の孫が星奴町に住んでいると言っていた。

 四年前、星奴町に住む都知事の孫が刃物で襲われ、四年経った今、その犯人の名前が、やはり同じ星奴町で起きている連続銃撃事件の容疑者として浮上し、その孫と同年齢の少年たちばかりが命を狙われている……何だろう、この偶然とも思えない一致は。

「四年前なら全員が小学生だし、たぶん警察も正式なデータを見つけられていないようだけど、もしかしたら彼らは……今回の事件で死亡した四人と金沢怜弥は、四年前、殺人事件に関わったのかもしれない。それも加害者側に」

 その時、わたしの脳裏にあの言葉が浮かんだ。

 ―――――確信犯に罰を与ふ。

 彼らが過去に犯した罪とはその事だったのか。そしてそれが、四年経って今回の悲劇を生んだとでもいうのか。

 何があった。死者であり、被害者であるはずの彼らは、どんな罪を犯したのだ。

 不吉な想像ばかりが浮かんできて、冷静さを保てない。そのせいか、その人が背後から接近してくることに、寸前まで気づかなかった。

「君たち、ちょっといいかな」

 振り向くと、黒のロングコートを纏った怪しげな男が立っていた。

「話があるんだ」

 ……これがパンドラの箱だったのか、今でもわたしは分からない。

以上で、第一章は完結となります。

第二章の開始はいつになるか分かりませんが、どうぞ最後までお付き合いください。

なお、セクション23における美衣の台詞『人間はありえない事を信じられるが、ありそうにない事は信じられない』という言葉は、アメリカの詩人オスカー・ワイルドの格言を引用したものです。もしかしたら、今後もオスカーの名言を至る所で使うかもしれません……。

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