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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
19/53

その19 特定された事実

 <19>


 紀伊刑事の運転する覆面パトカーで能登田中に戻り、キキはすぐ職員室に向かった。彼女の推理が裏付けられた以上、犯人に繋がる手掛かりは鍵にある。おっかない人たちがいない間に、犯人を追いつめる材料を可能な限り集めるのだ。

 鑑識の城崎は職員室の応接スペースで、ソファーに座って待っていた。ほとんどの教職員は帰っていたが、案内役を引き受けた丹羽と、協力を申し出た菜穂は残っていた。

「やあ、やっと来てくれたか」城崎は軽く手を挙げて言った。「今までどこに?」

「城崎さんの期待通りの働きをしました」キキは答えた。

「ああ、なるほど。木嶋さんの天狗鼻をへし折ってきたわけか。見てみたかったなぁ。たぶん、歯ぎしりでもしそうなくらいに顔を歪めたか、面目が立たなくなって逃げるようにその場を離れたか、どっちだったんだろうなぁ」

 どっちもやりました。よほど城崎は木嶋のことが嫌いなのだな。まあ、あれで嫌いにならない人がいるとは思えないけど。

「それで? 紀伊刑事からまだここに留まるよう言われたけど、僕は何をすればいい?」

「その前に、ちょっと確かめたい事がありまして……」キキは丹羽に顔を向けた。「丹羽先生、プールの鍵には事件以降、誰も触れていませんよね?」

「ええと……」丹羽は少し考えて言った。「いや、午前中に来た刑事の一人が、確か触ったはずだよ。上司の方だった」

「…………」キキは顔をしかめた。「その時、手袋はつけていました?」

「つけてなかったと思うが」

 キキは片手で顔を覆い、がっくりと項垂れた。午前中ここに来た刑事は、友永と木嶋の二名である。どちらが素手で証拠品に触れるという失態をしでかしたかは明白だ。

「紀伊刑事、この事は課長に報告しておいた方がいいですよ」と、城崎。

「それはご勘弁を。一応直属の部下なので」

 さすがに上司を売るような真似をしたら、何をされるか分からないだろうな。

「まあいいです。では、プールの鍵を見せてください。キーホルダーには触らずに出してくださいね」

「鍵には触っていいのか? あの、刑事さん……」

 丹羽が困惑の表情を向けると、紀伊刑事は嘆息をつきながら言った。

「彼女の言う通りにしてください。明確な考えを持っているのは彼女だけです」

 まだ得心がいかない様子の丹羽の代わりに、菜穂が保管庫からプールの鍵を取り出してきた。もちろんキキの指示通り、キーホルダーではなく鍵本体を指でつまんで。丹羽は唖然としたまま何も言わなかった。

「はい、これ」

「ありがとう、菜穂さん」

 笑みを交わすキキと菜穂。あさひの友人だと知ったからか、かなり従順である。

 キキはキーホルダーの縁を押さえて持つと、“プール”と書かれたシールの隅を爪で掻き始めた。指がシールに触れないよう、細心の注意を払いながら。シールは思いのほか簡単に剥がれた。そしてその下は……同じく“プール”と書かれたシールだった。

「重ね貼りされている……!」そばで見ていたわたしは思わず呟いた。

「予想通り。トリックに使われたシールはまだあった」

「トリックって?」

 わたしは菜穂に、キキが病室で話した鍵のすり替えトリックを説明した。

「ああ、そっか……そんな簡単な方法で切り抜けられたんだ。でも、なんでそのシールがまだここに? それもプールの鍵に重ね貼りされているなんて……」

「このトリックのポイントは、一見して鍵の形の違いに気づく人が非常に少ないこと。でも、シールの文字の違いだったら、気づく人がいるかもしれないでしょ?」

「確かに、大多数はキーホルダーの文字で鍵を区別するだろうから、鍵の形状よりは注目する人が多いだろうね」と、わたし。

「手書きならなおさら、違いがはっきりと分かるかも」と、菜穂。

「そう。まあその場合でも、古くなったシールを誰かが貼り替えたと考えるくらいだろうね。ただそうなると、この偽のシールは簡単に捨てられなくなる。貼り替えたはずのシールが元に戻っていたら、さすがに怪しまれるからね」

「なるほど」菜穂は頷いた。「だから元通りに直す時、別の鍵に重ね貼りしていたシールを、今度はプールの鍵に移したんだね。そうすれば見た目上は、何も変化していないように見えるから」

 キキはそうした犯人の心理を的確に見抜いて、証拠のシールがまだ保管庫にあると察しをつけたのだ。舌を巻くしかない。これこそ閃きの妙技だ。

「このシールには犯人の指紋がついている」キキは爪の先で器用につまんだシールを、自らの眼前に掲げた。「貼って剥がせる糊で接着した後に剥がしたものだから、こっちのキーホルダーに貼る時はしっかり押さえていたはず。少なくとも木嶋さんの指紋より、くっきりと残っているはずだよ」

「そこで僕の出番というわけか」城崎がソファーから立ち上がる。「指紋検出の道具は持ってきている。今この場で調べられるよ」

 わたしは息を呑んだ。いよいよ、あさひをあんな目に遭わせた犯人の正体を、白日の下にさらせるのか……。指紋ひとつではまだ序の口だろうが、キキが言ったようなトリックを使えるのは能登田中の関係者だけだ、これだけでも十分に絞り込める。

 ……と、思いきや。

「あれ、おかしいな……」

 同僚の鑑識が写真撮影をしている横で、城崎は、シアノアクリレートという液体を噴霧したシールに、ALSという装置で特殊な光を照射し、遮光ゴーグル越しにシールをじっと見ていたが、やがてこう呟いた。

「端の所から少ししか出てこない。たぶん木嶋さんの指紋だろうけど、犯人のものらしき指紋は見つからないな」

「どういう事ですか」紀伊刑事が尋ねた。

「ちょっと待ってくれ。顕微鏡で拡大してみる」

 城崎は高性能の顕微鏡でシールの表面をつぶさに観察した。その結果。

「紙の繊維が圧迫され、潰れている範囲がある。しかも繊維の間に、わずかだが接着剤みたいなものがある。たぶん、指先に接着剤を塗ってコーティングしていたんだ。科捜研に持っていっても、指紋検出は難しいだろうな」

「うーん、先を読まれていましたか……思ったより手ごわい相手ですね」

 その割にキキの表情はまるで変わっていない。まだ余裕があるというのか。

「ちなみに城崎さん、シールの裏面は調べました?」

「ああ。機械にかけるまでもなく、何らかの接着剤が塗られているのは間違いない。成分分析は科捜研に任せるしかないが、接着剤の表面に他の紙の繊維がほとんど見られない。貼って剥がせるタイプの糊だと考えた方がいいな」

「丹羽先生」と、キキ。「この学校で貼って剥がせる糊は使われていますか」

「いや……うちで使っているのは普通の液体糊と、あとは両面テープくらいだな」

「つまり、他の鍵にこれと同じ糊がついていたら、それがプールの鍵とすり替えられたものという事になりますね」

 キキはどうやら、すり替えられた鍵を特定しようと考えているみたいだ。

「しかし、学校の鍵はたくさんあるからなぁ」と、城崎。「この中から、少ししか糊が付着していない鍵を探すなんて、骨が折れる作業になりそうだな」

「そうでもないですよ。選択肢は絞り込めます」

 キキは保管庫の前に移動した。プールの鍵がかかっていた位置を指差して言う。

「誰が見ているか分からない状況で、気づかれないようにすり替えるなら、プールの鍵と近い所の鍵を選ぶはずです。プールの鍵は取っ手に近い所にありますから、同じ扉側の鍵がいちばん理想的ですね」

「おっ、約半分に減ったな」

「付け加えるなら、外の施設の鍵はともかくとして、普通教室の鍵を借りていく人は滅多にいません。せいぜい、戸締りがなされた後で忘れ物を取りに行く時くらいです。それでもほとんどは翌日になってから取りに行くでしょうから、本当に数える程度でしょう」

「つまり、ノートの記録と見比べながら探せば、問題の鍵はすぐに見つかるというわけだな。それなら少し希望が見えてくるな。よし」

 城崎はソファーから立ち上がり、丹羽の許可を得てノートを手に取った。パラパラとページをめくると、ぴう、と口笛を吹いた。

「読み通りだ。普通教室の鍵を借りた記録はかなり少ない。こりゃあ、一時間もかけずに見つけられるな」

 キキの閃きは次々と、有用な方針を生みだしていく。今度ばかりは犯人もごまかせないはずだ。すり替えトリックを実行すれば、この手の痕跡は消しようがない。

 しかし……犯人を追いつめる道具としては、決定打に欠けるという印象だ。間接的な証拠にはなるかもしれないが、犯人を観念させるまでには至らない。キキもそれは分かっているだろうから、次の仕掛けを考えているかもしれないが。

 ……言うべきなのだろうか。これはもしかしたら、推理の一助になるかもしれないが。

 逡巡していると、わたしの迷いをキキに見抜かれた。

「で、もっちゃんは何か言いたい事があるのかな?」

「あれ、声に出てた?」

「むしろ何も出てなかったよ。さっきからほとんど喋ってないし」

 おっと、黙っている時間が長すぎたか……キキが看破するには十分すぎた。役には立たないかもしれないが、キキが笑顔で凝視してくるので、とりあえず話すことに決めた。

「えっと……病室で話していたけど、犯人はプールから逃げる時にペンキの缶を蹴り倒して、そのはずみで転んで床のペンキに手を突いたんだよね」

「うん」

「ペンキ自体は人に無害だけど、乾いてもにおいは残るんだよね」

「……もっちゃん、もしかして」

 さすが、理解が早い。キキは即時に察してくれた。

 きょう最初にここに来た時だ。下校途中の生徒たちの何人かとすれ違ったが、その中の一人が、男子生徒でありながら香水のにおいを漂わせていた。奇妙に感じたので、記憶の片隅にずっと残っていたのだ。

 この事を話すと、神妙に頷きながら言った。

「なるほど……手についたペンキのにおいがどうしても消えないから、やむを得ず香水をつけてごまかした。ありうる話ではあるね。その男の子の顔は分かる?」

「うん、ちゃんと覚えてるよ」

「丹羽先生!」キキは大声で丹羽を呼んだ。「ここの生徒たちが写っている写真ってあります?」

「写真? 三年生なら卒業アルバム用の個人写真があるけど、一、二年生だと全員分あるわけじゃないからなぁ。それでもいいなら」

 というわけで、丹羽が持ってきた卒業アルバム用の写真を見せてもらったが、生憎、わたしが見た男子生徒はどこにもいなかった。そう簡単には見つからないか……。

「うーん……」キキは困り果てている。「せめて全員分の集合写真があればいいけど、さすがにそこまでは管理しきれていないか……」

「だったらわたしに任せて」

 そう言ったのは菜穂だった。胸に手を当てながら自信満々に告げた。

「とっておきの助っ人がいるから」


 菜穂が携帯で呼び出した友人は、腕のいい美術部員だという。眼鏡とそばかすと、後ろ髪を全てまとめた三つ編みが特徴的な女子生徒は、丸椅子に腰かけ、膝に乗せたスケッチブックの画用紙に、デッサン用の鉛筆をさらさらと滑らせていく。

「顔の輪郭はこんな感じですか」女子生徒は画用紙を見せた。

「うーん」わたしはじっと見てから言った。「頬のこの辺が、もう少し細かったです」

「では二ミリほど中央に寄せます」

 女子生徒はか細い声で言った。あまり喋ることなく淡々と作業を進めていく。

 ここは能登田中の美術室。女子生徒は美術室にいる時がいちばん集中できるらしく、わざわざ職員室から移動して似顔絵を描いてもらっている。わたしが目撃した、犯人候補の男子学生の似顔絵。写真で探せないなら絵にすればいいというのが菜穂の考えだ。

 キキと菜穂は美術室の入り口近くに立って、様子を見守っている。

「菜穂さん、あの人の絵の技能は信頼できますか」

美咲(みさき)は美術部員だけど、芸術に造詣(ぞうけい)があるわけでもなくて……でも人の絵をそっくりに描くのは大得意なんですよ。なんでも、似顔絵捜査官に憧れているとか」

「ああ、目撃者の話から容疑者の似顔絵を描く警察官ですね。マニアックな所に心惹かれてるなぁ」

 確かに……似顔絵捜査官ってどうやったらなれるんだろう。

 それから十分くらいで似顔絵は完成した。美咲という女子生徒が見せてくれた絵は、わたしが見た男子生徒の顔とほぼ瓜二つだった。

「すごい……バッチリですよ。ありがとうございます」

 すると、ずっと無表情だった美咲が柔らかな笑みを浮かべた。

「いえ、菜穂の頼みですから。あさひさんのためになればいいと思っているので、お役に立ったのならわたしも嬉しいです」

 ここにもいた。あさひを慕っている能登田中の生徒。この事件の犯人を捕らえる事は、能登田中の生徒ほぼ全員が切願している事に違いない。

「完成したの? 見せて」

 キキはわたしの背後に回り込んできて、画用紙の似顔絵を覗き込んだ。

「ふうん……美咲さんは、この男の子に見覚えがあります?」

「わたしは無いですね。描いている最中も思いましたけど」

 よほど目立たない存在なのか、それとも一連の事件の被害者のように、普段からあまり学校に来ていないのか……まあ、先生に訊けば分かるだろうけど。

「ひっ」

 ん? 誰の声だ。急激に息を飲み込んだような悲鳴は、わたしの背後から聞こえた。キキの声ではない。

 振り向いてみると、菜穂が青ざめた表情で口元を押さえていた。心なしか体が震えているように見える。どうしたのだろう?

「菜穂さん」キキが訊いた。「知っている人ですか?」

「……知らない」菜穂は必死にかぶりを振った。「わたしは、知りません」

 全く知らないという人の反応じゃない。しかしこの様子だと、深く尋ねる事はできそうにない。必要以上に突っ込めば彼女の心を傷つけそうだ。

 とりあえず、職員室で待っている丹羽に見せて尋ねてみよう。教師一人が把握している生徒の顔は限られているだろうが、確かめる事に意義はあるはずだ。

 似顔絵を見せると、丹羽はあからさまに顔をしかめた。

「こいつ、二年の柴宮(しばみや)じゃねぇか……とうとう重罪に手を染めたか」

「生徒指導の先生に知られているような人なんですか」と、キキ。

「ああ。柴宮酪人(らくと)、かねてから乱暴な言動が多い問題児だが、口だけは達者で、どんなに我々が注意してものらりくらりと言い逃れるばかり……生徒指導部の天敵だよ」

 そこまで酷評されるような生徒なのか。この絵を見るからに、斜に構えて見下している態度が透けているけれど。

「学校の裏掲示板でも悪ぶっているらしいし、本当に困った奴だよ」

「裏掲示板?」と、キキ。

「善良な中学生なら知らないだろうが、学校に不満を抱いている連中が、密かに作ったチャットやSNSで不満をぶちまける所だよ。非公認だからそう呼んでいる」

「つまりその柴宮という生徒は、裏掲示板で学校への批判をもっともらしく書いて、掲示板の参加者から支持を集めていると?」

 何となくその話は聞いた事があったので、わたしは尋ねてみた。

「まあそんなところだ。裏掲示板は、アクセスするのにパスワードがいるらしく、我々教師も簡単には立ち入れないんだ。だから学校への幼稚な報復作戦とかが、そこで計画されたりもするんだよ。柴宮はそのまとめ役を買って出ているらしい」

「当然ながら生徒会も無視しませんよね」

「そうだ。特に山本は学校環境の改善に努めているから、最初に裏掲示板で不満を書き綴っていた連中も、次第に山本を支持し始めたんだ。柴宮としては受け入れたくない状況だろう。生徒会に対する嫌がらせも、表には出さないが結構やらかしている」

 十分あさひに恨みを抱いていそうだな……ネット上で暴れる事が多いせいか、柴宮は普通の生徒には名前を知られていない。だから警察の聞き込みでも浮上しなかったのか。

「その柴宮酪人という生徒がクロと見ていいんじゃないかな」城崎が記録ノートを持って歩み寄る。「一番近い日付から辿っていったら、みごとに見つかったよ。十日前、その柴宮くんが自分の教室の鍵を借りていったが、その教室の鍵のキーホルダーから、偽のシールに使われたものと同じ接着剤が検出されたよ」

「じゃあ、やはり柴宮が……」

「念のために伺いますが」と、紀伊刑事。「柴宮酪人は銃が扱えますか?」

「それはないでしょう。刑事さんならご存じでしょうが、日本国内で十四歳が使用を認められる銃器は空気銃だけで、しかも日本体育協会の推薦が必要になります。柴宮が公的機関から推薦を受けられるとは思えませんし、十四歳だと射撃の練習に適した場所が見つけられません」

 生徒指導の先生だと、少年犯罪に関連する物事に詳しくなるのか……?

「まあ確かに……非公認の施設でも門前払いされますね」

「そもそも柴宮が裏掲示板で影響力を持つようになったのは半年ほど前です。半年では、夜中に人を正確に狙えるまで腕を上げるのは難しいでしょう」

 それだけじゃない。柴宮には他の三人の被害者を殺害する動機がない。少なくとも柴宮は、前の三件には関わっていないと見るべきだ。あさひの事件に関しても、柴宮はあくまで共犯者の立ち位置だろう。

「だけど……」紀伊刑事は唸った。「もみじちゃんの証言とキーホルダーに付着していた糊だけでは、証拠としては不十分ね。柴宮本人もこれだけでは観念しないだろうし」

 確かにどちらも、言い逃れをしようと思えばできそうだ。せめて、柴宮が事件当時プールに来ていたことだけでも証明できればいいのだが……。

 ところで、行き詰まりの様相を呈してきた空気の中で、キキは未だに余裕の表情を崩していない。どれほどたくさんの策を抱えているのだろうか。

「キキ……もしかしてこの現状は想定済みだったり?」

「うん」

「あっさり言ったな……」

「指紋を残さないよう接着剤で指先をコーティングしていたと聞いた時に、たぶん決定的な証拠はどこからも出ないだろうと思ったの。一応、尻尾を掴むための方策は最初から考えてあったけど、間接証拠は多いに越したことはないし、ここでの調査が無駄になる事はないと思う。無事に捕まえた後のことを考えれば、ね」

 一理ある解釈ではある……というか、いま何と言った?

「最初から考えてあったって、いつから?」

「昨日の夜、美衣から事情を聞いた時から」

 そんなに早い段階で、すでに犯人を捕らえる手段を考えていたのか。本気モードに入ったキキには誰も敵わない。やっぱり世界最強だなぁ。

「ただね、もう一押し欲しいんだよね。より確実に犯人を捕まえる方法が、あと一つくらいあればいいんだけど……」

「すでに思いついている方策だけだと不完全なの?」

「その柴宮って人を甘く見てはいけないと思う。たぶん、今のままじゃ簡単に(くつがえ)される」

「具体的にどうしたいの」

「そうだね……事件当時、柴宮くんがプールにいた、その事実が引き出せれば」

 同じ事をわたしも考えていた。つまりキキはすでに、わたし達に先んじてその段階に到達していたのだ。これでは何ら的確な助言を与えられそうにない。わたしの場合は意識して手助けしようとしても、大抵は上手くいかないから、思いつくままに喋って偶発的な閃きを誘い出すしかないのだ。それさえ意識すると難しいのだけど。

「キキ、剣道部の先輩から常々いわれている事だけど、もし迷ったりつまずいたりしそうな時は、初心に帰るのが一番なんだよ」

「初心に回帰せよ、か……」キキは口元を緩めた。「いいね。もう一度ここで起きた事を整理してみよう。まず、この事件には二人の犯人がいる。前の三件にも関与し、実際に銃撃を与えている主犯と、複製した鍵でプールの扉を開錠して誘い込み、あっちゃんをプールに突き落とした協力者。主犯の動向はまだ分からないけど、協力者は恐らく柴宮という男子生徒で、すり替えトリックによって鍵の複製を入手した」

 ここまでにおかしな点はない。そもそも事件の流れを整理したところで、改めて不審点が見つかるなんて都合のいいことが起きるだろうか……心配になる。

「柴宮くんはプールの扉を開錠しておいた後、あっちゃんが手紙で呼び出されてやって来るまで、恐らく更衣室のどこかに隠れて待ち伏せていた。主犯があっちゃんの足を撃ち抜いた後、あっちゃんはまだプールに落ちていない。その後に柴宮くんが現れて、動けなくなっていたあっちゃんをプールに突き落とし、同時に岩塩の弾を水中に消した。その後プールを去る時に、ペンキの缶を蹴り倒してペンキをこぼし、そして……ん?」

「どうしたの」

「柴宮くんは缶を蹴り倒した後、転んで床のペンキに手を突いたんだよね」

「他ならぬキキがそう考えたんだよ」

「……なんで柴宮くんは転んだんだろう」

 ずいぶん安易なポイントに食らいついたな……どこに疑問の余地がある?

「それは缶を蹴ってつまずいたからでしょ」

「蹴ってつまずいただけで、床に手を突くほど派手に転ぶの?」

 何もない所でもたまにつまずいて派手に転ぶお前が言うか。

「それだけ急いでいたってことじゃないの。焦っていたというべきか」

「なんで焦っていたの?」

「いやいや、人ひとりをプールに突き落とした後なら、心理的にその場を離れようとするものでしょ。後ろめたさだってあるだろうし」

「衝動的にそうしたならまだ分かるけど、これは明らかに計画的犯行だよ? 職員室の鍵のすり替えをやってのけるくらいだから、それほど小心者ではないだろうし。それに、事件があったのは休日の夜の学校で、誰かが来る確率は極めて低かったはず。焦ってその場を立ち去る理由はないはずだよ」

 ああ、言われてみれば……冷静に状況を想像すれば、不自然な行動だと気づかされる。確かにその状況で、柴宮が焦って逃げ出すというのは解せない話だ。

「何が、柴宮くんを焦らせたんだろう。いったい何が……あっ、そういえば」

 キキは不意に顔をあげて、踵を返すと、駆け足で職員室を出ていく。突然のことで反応が遅れてしまった。

「あ、キキ、待ってよ!」

 頼むからわたしの視界からいなくならないでくれ。ストッパーが機能しなくなる。

 他の人を全員職員室に放置して、キキは職員用玄関から校舎を出て校庭を横切って走っていく。わたしはその背中をただひたすら追いかけていく。もちろんキキがどれだけ全速力で走っても、わたしの方が速いからすぐに追いついたが。

 プールの前に辿り着いた時点で、キキは立ち止まり、苦しそうに胸を押さえながら喘いだ。そんなたいした距離でもなかろうに。

「ぜえ、ぜえ……あーもう、心臓が破裂しそう」

「あんたね、ちょっとは自分の体力を考えて行動しなさいよ」

 好奇心や探究心の赴くままに突っ走って力尽きる、これで何度目か知れない。その度にフォローに回るわたしの身にもなってほしい。

「で、どこに行きたいの」

 わたしはキキの肩を支えながら訊いた。キキは息も絶え絶えに言った。

「とりあえずプールサイドに連れていって」

「要するに侵入するってことね。もう慣れっこだよ、正直」

 更衣室を通り抜けるのはさすがに気が引けるので、直接プールサイドに出られる階段を使った。あさひも柴宮も、恐らくこのルートを使っただろう。

 プールサイドに出ると、ようやくキキは自力で直立した。ぐるっと周囲を見渡して、何か手掛かりを探そうとしている……と思う。キキの考えなんてわたしには分からない。

 するとキキは何かを見つけて動きを止めた。視線の先にあったのは、道路を挟んで学校の向かいにある、十階建てのマンションだ。何の変哲もない普通のマンションに見えるけど、あそこに何かあるのだろうか。

「……これならいける」

 ふと呟いたキキの顔を見ると、その双眸には輝きが戻っていた。赤みを増していく空を映して、まるで炎が宿っているかのようだ。

「これを使えば、犯人を追いつめられるかもしれない……!」

 経験で分かる。これでもう、チェックメイトは決定づけられた。何者にも覆せない勝ち戦が、始まろうとしていた。

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