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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
16/53

その16 二つの現場

 <16>


 燦環区はわたしとキキが住んでいる地域だが、二丁目の繁華街にはどちらもあまり出向いた事がない。生活圏外にあるという理由もあるが、わたし達が興味を持てるような店が一つもなく、雰囲気からして近づきがたいというのもある。

 ゲーセンやカラオケなんてただでさえ年齢層を選ぶのに、薄汚れた建物の壁は至る所にスプレーの落書きがある。見慣れてしまえば気にならないだろうけど、わたしやキキにその手の耐性ができていないのは言うまでもない。片や歴史と剣道を愛する女子、片や友達とおしゃべりができれば他に何も望まない女子……まず、縁がない。

 途中のコンビニで紀伊刑事が買ってきた昼食を胃袋に詰め込んだ後、わたし達はその繁華街へと向かった。もちろん、紀伊刑事の運転する覆面パトカーに乗って。

 事件現場は繁華街の中でも特に汚れていて、昼間なのにどことなく薄暗かった。すぐ近くには何やらいかがわしい店もあるし、わたし達にはことさら縁がない。紀伊刑事がいてくれて助かった……。

 現場に到着してキキが真っ先に向かったのは、平津卓也の遺体の下にあったという、マンホールの蓋だった。

「キキ、その蓋が何か気になるの」

「もっちゃん、この穴って何のために開けてあるの?」

 質問を無視した上にまたそのあだ名を使ってきて……もう突っ込むのも面倒だ。

「確かガス抜きのためだったと思うよ。下水管の中で腐敗ガスが溜まると、下手したら爆発事故を起こす事もあるし、大雨で大量の水が流れ込んだ時は、空気の抜け道がないと蓋が吹き飛んでしまうから」

「おお、結構大事な役目があったんだね。えーと……」

 キキはガス抜き用の穴を指でいじり始めた。

「直径が大体一センチくらいかな。紀伊刑事、使われた弾のサイズって分かります?」

「え? ええ、一応……推定で六.四ミリ口径よ」

「まさかと思うけど、キキ、銃弾はこのガス抜き用の穴を通って下水管の中に入った、なんて考えていないよね」

「バッチリ考えていたよ」

 ジョークの一つも言わないくらい、彼女は真剣そのものだった。でも、この状況ではあまり褒められた事ではないような。

「あのさ、犯人はこの路地の奥のビルから、被害者の心臓を撃ったはずでしょ? 蓋が開いていても角度的に入らないかもしれないのに、ましてこんな小さな穴になんて……」

「まだ分からないよ。紀伊刑事、その六.四ミリ口径の弾が使えるのはどんな銃です?」

「小型銃くらいよ。威力も小さいから、あの距離だと貫通するかどうかは五分五分ね」

「そもそも、なんで被害者の少年はこんな所にいたんですか?」

「ああ、いつもつるんでいる仲間の一人に、メールで呼び出されたみたいよ。携帯のメールボックスにも残っていたわ。だけど、その仲間の方はメールを出した覚えがないっていうのよ」

「覚えがない?」

「なんでも、少し前にカバンごとスマホを盗まれたそうなのよ。近くに手つかずのまま捨てられているのを見つけたから、被害届は出さなかったらしいけど」

 たぶん、そのスマホやカバンにも、盗んだ人の痕跡は残っていないだろう。ここまで徹底して自身に繋がる証拠を消していた犯人が、見落とすとは思えない。

「では、誰でも被害者をここに呼び出す事は可能だったわけですね」

「メールの文章の癖とかも模倣してあったから、平津少年は確実に来たでしょう」

「奥のビルはどうです? 二階に直前まで誰かがいた痕跡はあったそうですが」

「痕跡があったのは、この路地に面した部屋の前の廊下だけよ。下足痕(ゲソコン)の付き方や唯一開いていた窓から推測して、その部屋で犯行に及んだと考えたのよ」

「その部屋の中に痕跡は少しもなかったのですか」

「いや、壁のあちこちに粘着テープの跡があったわ。たぶん、ビニールシートなどで壁や床を覆った状態で撃ったのよ。だから発砲時の残滓物は検出されなかったわ」

「壁に真新しい傷などもなかったのですね?」

「ええ。ヒビならあちこちにあったけど」

 キキは顎に手を当てて考え出したが、熟考している様子はない。確信を得たように微笑んでいた。

「キキ、さっきのガス抜きの穴を使った仮説が、これで強固になったの?」

「本当にそれが使われた証拠はどこにもないけどね。それ以前に、このトリックを使うなら重要な大前提があるんだけど……紀伊刑事、被害者の仲間ってこの近くにいます?」

「ほとんどいつも、近くにあるゲームセンターでたむろしているわよ。まあ、事件の影響もあるし、今日も来ているかどうかは分からないけど、連絡くらいなら取れるわよ」

「そっか……でも、今この状態で直接会って話を聞くのは、ちょっと厳しそう」

 だろうな。今日は平日で正午を過ぎたばかり、おまけに片方は制服だ。不良少年の仲間なら人柄も推して知るべきだろうし、たとえ刑事が同伴しても堂々と聞き込みをするのは問題になりそうだ。

「では、最後の確認は紀伊刑事に託します。被害者の仲間や知り合いに尋ねてください」

「……何を?」

 紀伊刑事は見るからに気が進まないようだが、構わずキキは言った。

「被害者の平津くんが、大きな音に特別弱いかどうか、です」


 託された確認作業は後日行なうこととなり、わたし達は早くも繁華街を離れ、第二の事件現場へ向かった。キキが自分の推理にほぼ確信を持った以上、あの場所に長居する意味はなかったのだ。

 走行するパトカーの後部座席に並んで腰かけながら、わたしはキキに尋ねた。

「キキ、二つ目の事件については何か仮説ある?」

「まだ何も分からないよ」キキはかぶりを振った。「もう少し視点を変えてみたいところだけど、決定打に欠けるっていうか……何かもう一つヒントがあれば、一気に答えに辿り着けそうな気がするんだけど」

「肝心要の竜の瞳が足りませんか。ヒントが自ら現れるのを待つのは無謀だと思うよ」

「もう、もっちゃんまでそんな事を言う……ていうか、竜の瞳ってどういうこと」

「中国の有名な故事よ。画竜点睛といって……ん?」

 知識がぶっ飛びがちなキキのために説明しようと思った矢先、わたしは微かな異臭に気づいた。どこから漂っているのか分からないけど。

「あの、なんだか焦げ臭いにおいがしません?」

「え、そう?」

 キキは鼻をヒクヒクと動かしたが、問題のにおいは感知できなかったようだ。まあ、わたしだけがにおいに気づくというのも毎度のことだが。

「焦げ臭い?」と、紀伊刑事。「やだなぁ……エンジントラブルじゃないでしょうね。ハンドルやブレーキの感触に異常はないけど」

「もっちゃんだけが気づくレベルだから、そこまで深刻なものではないでしょうけど」

 それは否定しないが、わたしばかりこの不快な臭気に苛まれるのは御免だ。とりあえず換気をしようと思い、わたしはそばの窓を開けた。

 そして分かった。この臭気の正体が。

「あれ……外の方が焦げ臭い。紀伊刑事、これ外から漂っているにおいですよ」

「外から? タイヤが擦れて焦げたのかしら。そんな乱暴な運転はしていないけど」

「走っている車から焦げたにおいが発生しても、こちらには届かないと思いますよ」

 キキの言う通り、恐らくにおいの原因は車ではなく、周囲のどこかに……ああ、それらしいものが遠くに見えたぞ。

「一キロ先で煙が立っていますね。たぶんあれが臭気の原因です」

「はあっ?」紀伊刑事は頓狂な声を上げた。「あんな遠くから来るにおいに気づいたっていうの? それも窓を閉めたパトカーの中で?」

「それがもっちゃんのスペックですよ……たぶん、優秀な警察犬に匹敵します」

 犬と同列にされても嬉しくはないなぁ。一応自覚はしているのだ。視覚、嗅覚、聴覚、いずれも人並みを遥かに凌駕している事は、ねぇ。とはいえ、わたしより五感の優れた人間なんて、地球全体を探せばいくらでもいそうではあるが。

「ちなみにあの煙は何でしょう……」

「紀伊刑事、あの……第二の事件現場って、もう目と鼻の先ですか」

「いや、待って。まさかそんな事って……」

 たぶんここにいる三人全員が、同じ事を考えている。もはやこの事件では、というかキキが関わっていれば、何が起きても不思議ではない。

 予想は見事に的中し、わたし達は公園の前で呆然と立ち尽くした。遺体が倒れていたという砂場に、現場保存用にかけられていたブルーシートから、火の手が上がっていた。

「うわあ……」

 何かが派手に燃えている所って、つい見入ってしまうな。炎に気づいて、周りに次々と人が駆けつけてくる。

「ちょっと、冗談じゃないわよ!」

 早々に正気に返った紀伊刑事は、慌てて砂場に向かい駆け出した。あの火の規模だと手助けが必要かもしれないと思い、わたしも紀伊刑事に続いた。

「あ、二人とも……」

 キキは一人、出入り口の前に留まった。何か言おうとしたみたいだが、わたしと紀伊刑事は構わず砂場へと走っていく。昨日と今日でそれほど気温は上がらなかったらしく、一昨日に降った雪のせいでまだ地面がぬかるんでいた。

 ブルーシートを固定している金属の杭を引き抜くと、紀伊刑事はシートの端を両手に持って上下に振り始めた。わたしも反対側で同じように振ってみたが、炎は弱まる様子を見せない。仕方なくわたしは、持っていたシートの端を前方に放った。酸素の供給を減らすと同時に、足で踏んで炎を払えるくらいの大きさにするためだ。

 しかし、火は次第に小さくなってきたものの、なかなか完全に消えてくれない。そんな時にわたしは、すぐ近くに水飲み場があることに気づいた。ああ、くそぅ。火を消すのに夢中でよく見ていなかった!

 とりあえず蛇口の水をかけて消火しようと思ったのだが、水飲み場に近づいたところでキキに大声で止められた。

「待って、もっちゃん! 水は使わないで!」

「え?」

 振り向くと、ようやくキキが駆けつけてきた。すでに息が荒れているけど。

「そのまま、火が消えるまで踏み続けて!」

「え、どういうこと?」

「キキちゃんの言う通りにして」紀伊刑事も作業をしながら言った。「これはたぶん、水をかけたらさらに火が大きくなるわ」

 まだその意味が理解しかねるが、考えている余裕はなさそうだった。わたしは水飲み場から離れて、シートを踏んで火を消す事に専念した。キキの協力も加わったおかげで、それから一分足らずで完全に火は消えたが、ブルーシートはほぼ黒焦げになった。もうブルーシートとは呼べない。

 終わってみれば、ため息をつく余裕もないほど息が荒れていた。気が急いていた状態で必死に足踏みをしていたからだ。

「ねえ、これってどういう……」

 わたしの問いかけに答える前に、キキは黒くなったシートをめくって何やらまさぐり始めた。キキは白い粒を拾い上げた。

「なにこれ?」と、わたし。

「たぶん水酸化ナトリウムね」紀伊刑事が言った。「それが発火原因よ」

「これが?」

 水酸化ナトリウムなら理科の授業で見たことがあるけど、発火する恐れがあるなんて聞いた事もないが……。すると、隙間だらけの知識しかないキキが言った。

「正確には、発火の原因は金属ナトリウムの欠片だよ。水酸化ナトリウムは、金属ナトリウムが水と化学反応を起こした後にできるものだから」

「ナトリウムやカリウムといったアルカリ金属は、常温の水に触れると激しい化学反応を起こして、瞬時に発火するほどの熱を発生させるの。一昨日降った雪が融けた水が、撥水性のあるブルーシートの上にはまだ残っていて、そこに金属ナトリウムを放り込まれたから火がついたのね。ほとんどのブルーシートは火に弱いから……」

 そうか、だからキキは水をかけてはいけないと言ったのか。……あれ?

「待って。そばにいた紀伊刑事はともかくとして、なんでキキは気づいたの?」

「近くにいた人から話を聞いたら、誰もいない所で突然火がついたように見えたって。たぶん、隣のマンションのどこかから火種になるものを投げ入れたんだろうけど、水で濡れている所に投げ込んで大きな火がつくものっていったら、金属ナトリウムくらいしかないと考えたの」

 相変わらず凄まじいほど頭の回転が速い奴だ。

「でも、誰がこんな事を……」唸る紀伊刑事。「悪戯にしては度が過ぎているわ」

「一連の事件の犯人と考えた方がいいですね。警察が敷いたブルーシートが燃えたら、消火するためにこうして砂場が荒れてしまいます。つまり、事前にここで誰が何をしても、その痕跡が紛れてしまいます。当然足跡もあったでしょうが、今となっては……」

 ああ……わたし達は、出入り口からこの砂場へと続く、自分たちの足跡を見た。すでに野次馬も何人か公園の中に入っている。犯人の足跡を見つけるのはもう不可能だ。こうなる事が分かっていたから、キキは砂場に駆けつけるのを躊躇したのだ。

「紀伊刑事。ここって警官がずっと見張っていたのでは?」

「ええ。でも昨日には見張りが解かれたわ。十分に現場検証ができたら、保存のための見張りなんてすぐに撤退するし……」

「どうやら犯人は、そのタイミングを狙ったみたいですね」

「失敗したわ……見張りが解かれた直後に犯人が来たなら、もしかしたら色んな証拠を潰されたかもしれない。よりによって、その犯人の痕跡を消してしまうなんて……」

 紀伊刑事は額に手を当てて項垂れたが、キキはそれほど悲観的になっていない。

「まあ、目の前で警察の備品が燃えていたら、反射的に消火するのは自然ですよ。犯人が狙って起こした失敗ですからね。それにこの状況……犯人が見張りの解体直後を狙ってまで湮滅(いんめつ)したいものが、砂場の方にあったという事が分かりましたし」

「確かに他の所は無事みたいだね」

「犯人としては、やり過ぎは禁物だと思ったんだろうね。でもおかげで、トリックを仕掛けた所が砂場だという事が分かった。このヒントがあれば、第二の事件で使われたトリックもおおよそ見当がつくね」

 なんと、画竜点睛のヒントがここで舞い込んできたか。キキは運を引き寄せる力まで凄まじい。というより、些細な所から決定的な要素を探り当てる能力に長けている。

 もっとも紀伊刑事は、キキの思いつきに構っている余裕がないのだが。

「とにかく、この事を早く友永さんにも伝えないと……」

 そう言って携帯を取りだす紀伊刑事。真っ先に知らせる相手が友永刑事とは、まだ好意が冷めてはいないようだ。いいのかなぁ、刑事が捜査に私情を挟んで。それ以前にこれは捜査といえるかどうか。

 いざ友永刑事の携帯にかけようとしたところに、突然着信が入った。

「わっ……あれ、友永さんからだ。ちょうどいいや」紀伊刑事は電話に出た。「はい、紀伊です。……ああ、すみません。今ちょっと第二の事件の現場に来ていて、砂場にかけていたブルーシートに火が放たれたようなんです。……はい、すぐに消しましたが、大部分は焼けてしまって……ええ、一連の事件の犯人によるものと見られます。見張りが解かれた直後で、犯人が重要な証拠を回収するなどして、その痕跡を誤魔化すためかと」

 すると、友永刑事から何を言われたのか、紀伊刑事は表情を曇らせた。

「……ええ、お察しの通り、キキちゃん達もいます。……え? ちょうどいいとは?」

 紀伊刑事はしきりに頷きながら、友永刑事の話を聞いている。

「そうですか……では、しばらくしたら私たちもそちらへ行きます。はい」

 そう言って紀伊刑事は通話を切った。

「どうされたんですか?」

「いい(しら)せよ」紀伊刑事は安堵の面持ちで告げた。「病院から通達があって、今しがた、あさひちゃんの意識が回復したそうよ」

「あっ……本当に?」

 一瞬、脳内処理が間に合わなかった。紀伊刑事が頷くと、わたしもキキもほっと胸をなで下ろした。どうやら、最悪の事態は回避されたようだ。

「よかった……あっちゃんが無事で」

「すぐにでも病院に行こうよ。そろそろみかんを休ませてあげた方がいいだろうし」

 何しろあの子は、あさひが目を覚ますまでそばにいると決めていたからな。彼女はかなり意志が固いから、本当に寝る間も惜しんで待ち続けただろう。

 しかし、キキは全面的には賛成しなかった。

「そうだね。でもその前に行く所があるよ」

「行く所……?」

「うん。もしもの時に備えておきたいからね」

 どうやらまだ波乱が起きると、キキは予測しているらしい。いずれにしてもキキは何も打ち明けようとしないので、わたしは彼女を信じてついて行くしかないのだが。

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