その15 強力な協力者
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専門用語が多用されている科捜研の報告書は、見ても内容がさっぱり呑み込めない。城崎がかいつまんで説明してくれた。
「ガリウム?」
「そう。原子番号は31、元素記号はGa。融点が約二十九.八度と極めて融解しやすい金属だ。人肌に触れただけで融けてしまう代物だよ」
「それが、現場にあったおでんの鍋の底から検出されたのですか」
犯行直前に送られた不審なメールを見て、城崎も、あの場所に真鍋少年を足留めする必要が何かあったのだと考えた。そうして目をつけたのが、銃弾が撃ち込まれて消えた、あのおでん鍋だった。最初からおでん鍋に撃ち込むつもりだったなら、意味深長なメールを送って真鍋少年を立ち止まらせたことに納得がいく。
「現場であのおでん鍋に近寄った時、微かだが、鼻を突くような腐臭がしたんだ」
「あ、変な臭いならわたしも気づきました」思わず手を挙げるわたし。
「きみ、ずいぶん嗅覚が鋭いみたいだね……その臭いは、金属ガリウムが融解して液体になり、他の金属を侵食する時に発するものなんだ」
「侵食?」
「真鍋少年の首を撃ち抜いたのは、恐らくガリウムで作った銃弾だ。それなりの速度で発射すれば、軟らかい金属でも十分に殺傷能力を持つ。あるいは、先端にだけ鉄を仕込んでおいて、貫通時の強度を確保したかもしれない」
「その弾がおでんの鍋に撃ち込まれれば、鍋の熱で簡単に融けて、鍋底の金属を侵食して先端の鉄も紛れ込ませる。元から銃弾の形をしたものを探していれば、そう易々と見つかる事はない……ですね」
キキはガリウムの事について何も知らないはずだが、事前にある程度予想していたからか、城崎の主張したい事をすぐに察した。
「そういうこと。まあ、発射速度を調整していたとしても、ガリウムの銃弾の威力なんて高が知れている。犯人が首を狙ったのは、貫通後に確実に鍋に入れると共に、同じくらい確実に死に至らしめるためだろう。被害者の少年がメールの内容に不審を覚えて、思わず立ち止まっていたのなら、急所を狙うのは決して不可能じゃない。相当な射撃の腕がいるけどね」
「銃もちゃんと選ぶ必要がありますよね」
「当然だな。火薬を使った銃だと、発射時の熱で銃弾が融けてしまう。そんなもの、上手く被害者に当たったとしても、傷口に痕跡を残すし威力も落ちる。使うとすればポンプ式の空気銃がいいだろう」
「空気銃……エアガンですか」
「日本でいうエアガンは、厳密にはエアソフトガンと呼ぶべきだな。先々月の誘拐事件で君たちが使ったという、水鉄砲を改造した銃がこれにあたる」
やっぱりご存じでしたか……ぎりぎり法に触れないとはいえ、かなり危ない手段に打って出たのは事実だ。睨まれないかとびくびくしていますよ。
「正式な空気銃は、圧縮した空気を使って銃弾を発射するもので、火薬は使わないが十分な殺傷能力を持っている」
「もっちゃんが撮った写真にゴルフバッグが写っていたと思いますが、あれくらいのサイズに収まるものなんですか」
「物によるかな。結果がどうであれ、どのみち一発勝負なのだから、補充用のタンクなどの大きな装置を用意する必要はないだろう」
なるほど……これで謎は一つ解けた。ガリウムみたいに人肌で融けるデリケートな金属で銃弾を作ったなら、空気銃も自作の可能性が高い。射撃の腕だけでなく、機械工作にも長けた人物と考えるべきだろう。それだとかなり絞り込めるのでは。
「三件目で銃弾が消えた謎は解明できましたが……」と、キキ。「犯人に直接結びつく証拠は、どこにもなさそうですね」
「融けて原形を失った以上は、な。それに、同じ方法は他の三件だと使えない。四件目の現場にあったのは冷水だけだったし、一件目と二件目の現場には水さえない。銃弾が熱で融けたという考えは、三件目だけに通用する。もしかしたら、四件ともまるで異なる方法が使われているのかもしれない」
「つまり、全体の二十五パーセントが解けただけ、という事ですか」と、紀伊刑事。
「銃弾が消えたこと以外にも色々な謎があるから、二十五どころじゃないな」
「でも、銃弾が形を変えたという事なら、あっちゃんの事件でも使えるかも」
キキの一言に、城崎は眉を上げた。
「形を変えた……?」
「そうです。先ほど城崎さんもおっしゃいましたよね。軟らかい金属でも、それなりの速度で発射すれば十分な殺傷能力を得られるって」
「ああ」
「だったら、冷たい水に溶けるような強度のない物でも、高速で撃てば、ふくらはぎくらいは貫通するのではありませんか?」
「ふむ……病院からの報告だと、貫通したというよりかすめたという感じだったが、確かにそれだけなら、強度のない物体でも凶器になりうるけど……君は、何が凶器に使われたと考えているんだい?」
「岩塩ではないかと思います」
キキが真っすぐに言い放つと、城崎は目を見開いた。
「……そうきたか。岩塩を加工して作る銃弾は存在するよ。昔から、陽動のための偽の銃弾として使われてきた歴史がある」
「そうなんですか?」
「だからその発想はあって然るべきだった……」城崎は頭に手を当てた。「岩塩は確かに硬い物質だが、衝撃には弱い結晶鉱物だ。ふくらはぎをかすめて傷をつけたなら、プールの表面に張った氷に当たって砕ける。何もしなくても、岩塩は普通の塩と違って潮解性を持っているから、自然と濃い塩水に変化する。砕けて粉々になっていればなおさらだ」
「ちょうかいせい……」キキは呆然と呟いた。
「ああ、潮解性というのは、空気中の水分を吸収して溶ける性質のことだよ。塩の主成分である塩化ナトリウムは潮解性を持たないけど、岩塩には他にも様々な物質が混じっているからね」
「へえ、そんな性質が……」
この瞬間、キキの知識レベルが一だけ上がりました。
「まあ、岩塩自体が衝撃に弱いなら、オブラートみたいなもので包んで、多少は強度を確保したかもしれませんけど。運悪く氷に当たって砕けなくても、その後にあっちゃんがプールに落ちたら、下の水に触れてオブラート共々溶けますからね」
身近にある具体的な物から発想するのが、キキのやり方だ。
「そうだな……仮に砕けたとしても、全部が細かくなる保証はないし、少女が発見されるまでに完全に溶けなかったら意味がない。氷の下にある水に入れば確実に溶けてなくなるし、痕跡も発見しにくくなる」
「だったら、あさひがプールに落ちる事も、犯人は計算していたってこと? 表面の氷が割れて、岩塩の弾が水に溶けるように……」
「どうかな……」と、キキ。「ふくらはぎを撃たれたはずみでプールに落ちる、というのも都合がよすぎる気がする。確実に岩塩の弾を溶かすなら、同じように、あっちゃんが確実にプールへ落ちるようにしたと思う」
「つまり君は、少女を撃った人物の他に、そのあと少女をプールに突き落としたもう一人の人物がいる……共犯者が存在すると考えるわけだね」
また新たな可能性が浮き彫りになった。能登田中の裏手にある建物からあさひを撃った後、わざわざプールに戻ってきて銃を回収したと考えるのは無理がある。だが、共犯者がいたとなれば話は別だ。……いや、むしろ話が違いすぎるか?
「いや、でも共犯者がいたなら、その人が直接銃弾を回収する事もできるよね」
「それは無理だと思うよ」キキは表情を変えなかった。「表面に張った氷の上に転がっている小さな弾を拾うなんて。まして事件当日はかなり暗かったし、敷地の外にある街灯の光も届かないから、探すだけで手間がかかるよ。後から来た美衣にも見つかっているだろうし」
それもそうか……共犯者がいたとしても、やはりキキの推理が揺らぐことはない。広いプールのどこかにある銃弾を探す事と比べれば、あさひを突き落とすには一瞬で十分だ。共犯者の役割はそれだけだと考えるのが妥当だろう。
「共犯者がいたなんて……」紀伊刑事は神妙そうに言った。「木嶋さんや友永さんは公安の関与を疑っているけど、もしこれが組織的な犯行だとしたら、また一層その可能性が高くなってくるわね」
「公安が? それって本当なのか」と、城崎。
「少なくともあの二人はそう考えているみたいですよ」
「ふうん……これがテロや反乱の予兆だとでも考えているのか? 確かに腕のいい狙撃手がいるように思えるが。キキちゃん、君はどう思う」
城崎も完全にキキを信用してしまっているな。キキは本当に信頼を築くのが上手い。どんどん警察に味方を増やしていく。
「組織的犯行というのは、ちょっと解せないですね。集団でこんな犯罪を行なうなら、何か一つのはっきりした目的、あるいは犯罪によって訴えようとしている事があると思いますが」
「ふむ」
「でもこの四件で、あっちゃんだけは明らかに他の三人と特徴が異なります。三人目までは分かりやすい共通点があったのに、四人目でいきなりターゲットの性質を変えている。それが気になります」
「それは言えるな……最初の三人は年齢も性別も共通していて、程度は違えど不品行な態度も散見されるそうだ。それらの特徴が、四人目の少女にはまるで当てはまらない」
「ええ。途中から全く特徴の異なる人を襲ったら、どんな目的や伝言があるにしろ、それが伝わらなくなる恐れがあります。組織的犯行というなら、あっちゃんの事件は完全に無駄な犯行です」
「これだけ面倒なことをしておいて無駄な犯行というのはないな」
「恐怖を煽るための単なる無差別殺人という可能性もあるでしょう?」と、紀伊刑事。
「だったら最初から特徴がバラバラの人をターゲットにするはずです。銃弾が消えるという状況を作っている以上、他に連続性を疑わせるものを用意する必要はありません。途中から明確にターゲットの特徴を変えたら、下手をすれば模倣犯と思われますし」
「組織的犯行が模倣されたと思われれば、社会に与える影響は半減するな。模倣する側はたいてい面白半分でやっていると見なされるものだし。場合によっては、模倣された方も同レベルだと思われかねない。組織としては、途中からターゲットを変える事にメリットがあるようには見えないな」
「それに、この犯行で何かを訴えたいのなら、何らかの方法で事件のことを世間に知らせる必要があります。でもそんな様子はまるでありません」
「犯人なら、警察より事件の内容を詳細に知っているはず。ネットにもマスコミにも波及していない現状を、放置しているとは思えないね」
「もちろん完全に否定できる事ではありませんけど、わたしの心証としては、誰かに訴えかける目的ではない、個人的な感情で引き起こされた事件のように思えます。あっちゃんの事件は、その動機を探られないためのミスリードではないでしょうか」
そんな……わたしは内心で愕然としていた。そんな目的のために、あさひは命の危険にさらされたというのか。
「確かに、殺害方法や状況が似通っていれば、被害者にも何らかの共通点があると考えるのが自然だ。四件目が模倣犯だと疑われる可能性もあるが、どちらにしても警察の捜査が難航するのだから、犯人としては歓迎すべき状況だろう。個人的な動機による犯行だと考えた方が、状況を上手く説明できるな」
「城崎さん、さっきからキキちゃんの考えに寄り過ぎじゃありません?」
紀伊刑事のあからさまな不満にも、城崎は動じない。考えてみれば、階級は城崎の方が上なのだ。
「彼女の考えに妥当性があると判断した結果じゃないか。捜査は議論によって進展するわけじゃない。いつも反対意見が必要だという事もないだろう」
「それはそうですが……」
「もうひとつ言わせてもらうなら」キキが口を開いた。「わたしが気になるのは犯人の目的よりも、むしろ被害者の親の動向です」
紀伊刑事が言っていた。昨夜に突然、三人の被害者の親たちが行方をくらまして、パソコンは持ち去ったけどルータはその場で壊すという、奇妙な行動に出ていると。なんだか犯人よりも謎の多い行動をしている気がする。
「被害者の親が姿を消した事は、僕も今朝になって報告を受けたよ」と、城崎。「破壊されたルータについてはこれから調べる所だけど、君はこの状況をどう思った?」
「まだ想像に過ぎませんが、犯人の標的は中学生たちより、むしろ親の方にあったのかもしれません」
「ほほう?」
「ルータというのは、パソコンをネットに繋ぐための機械なんですよね。そのルータを使用不能にした上でパソコンを持ち去ったという事は、ネット接続を切断してでも、パソコンの操作が必要とする理由があったはずです。詳しい事は分かりませんが、パソコンがネットに繋がっていれば、外部からパソコンの内部に接触する事は可能だけど、ルータが使えなくなれば接触は不可能になりますよね」
「そうだな。何しろ外部環境から隔絶されたようなものだからな」
「パソコンの中にはたぶん、どうしても見られたくない何かがあった。この事件をきっかけに、その何かが調べられる危険が生じたと考えて、こんな事をしたのでは?」
「この事件に深く関わっているのは中学生の少年よりも、むしろ親の方ではないか……確かにそう考えても支障はないな」
「でも、ネットを使った通信ができなくなるのは不便じゃないの?」と、わたし。
「そうでもないよ。パソコンで文書を作成して、印刷したものを郵送すれば済むし」
「というか、ネットを介するよりもそっちの方が安全だな」城崎は頷いた。
「でもルータを壊す必要はなかったんじゃない? 電源を切っておけば、結局ネットに接続できなくなるし……」
「そこまでは分からない。だけど、壊さなければいけない理由が何かあった。電源を切るだけでも、あるいは持ち去って捨てるだけでもいけない、何か大事な理由が……」
キキはそこに着目するわけか。まだ想像にすぎないと言っていたし、具体的なことは何ひとつ思い浮かんでいないのだろう。彼女としては、取っ掛かりが掴めたら十分なのだ。一人で思考に没頭してしまうのはどうかと思うけど……。
「キキちゃんが色々気になるのも分かるけど」と、紀伊刑事。「我々が見る限り、被害者の家は全て普通のサラリーマン家庭よ。そんな大それた感じには見えなかったけど。それに昨夜の失踪だって、親御さんたちが自発的に姿を消したとは限らないし」
「家の中に荒らされた形跡でもあったのですか」
「いや、ルータが破壊されているほかに変な所はなかったけど……」
「これが計画的誘拐なら、相当に手慣れていると言えますね。連続銃撃事件の被害者の親たちが、ある晩、一斉に姿を消した……自発的に姿を消したか否かはさておいても、親たちに何もなかったとは考えにくいですね。皆さんも犯人の追跡に気を取られて、被害者の家族のことはろくに調べていないのではありませんか」
紀伊刑事は口をつぐんだ。キキに的確に見通されると、大抵の人はこうなる。
「こうなった以上、親御さんにも何か隠し事があるという前提で捜査を進めた方が賢明かもしれませんね」
「私もそれに同感だ」
いきなり知らない男性の声がして、わたしもキキも肩をびくりと揺らした。いや、厳密に言えばこの声を知らないのはわたし一人だ。驚いたのは、この場にいないと思っていた人の声が聞こえたからだ。
声のした方を向くと、鑑識部屋のドアを閉めている初老の紳士がいた。顔立ちや表情こそ柔和そうに見えるが、一挙一動にまるで隙がない。スーツの襟には赤くて丸いバッヂをつけている。確か警視庁の捜査一課員だけが身に付ける事を許されるものだ。何者なのかは知らないが、相当に場数を踏んできた警察官である事は間違いない。
「高村警部……もうお戻りですか」
え? 紀伊刑事のセリフにわたしは瞠目した。この初老の男性が、警視庁実力ナンバーワンと噂されている、捜査一課殺人犯捜査四係の係長、高村警部なのか。普通の中学生として生活していれば決してお目にかからない、別世界の人物だ。
「ああ。とりあえず予定分の聞き込みは済ませたから、捜査本部に戻って他の報告を聞いておこうと思ったのだが、まだ何人か席を外していたのでね……本庁の鑑識課に科捜研からの検査報告が届いていたと聞いていたから、こっちで何か動きが知れるとしたら鑑識部屋だろうと考えて来てみれば、なかなか面白い具合に議論が白熱していたじゃないか」
「私の目には白熱しているように見えなかったのですが……」
紀伊刑事は半眼で見返しながら力なく告げた。うん、わたしも同感。
「キキちゃん、しばらくぶりだったね。元気そうで何よりだ」
「あ、お久しぶりです……まさかまた会うことになるなんて」
警視庁の名警部が相手だからか、いつになくキキは緊張しているようだ。彼女はすでに一度会っているけれど、交友が深められているようには見えない。まともな会話が成立すれば、即座に誰とでも仲良くなれるキキにしては珍しい。
「で……」今度はわたしに目を向ける高村警部。「君がもみじちゃんだね」
「わたしのこともご存じなんですか」
「篠原龍一の事件に端を発した先々月の事件で、君が提供してくれた写真のおかげで、犯人をみすみす解放する事なく自供までこぎつけたからね。その前の誘拐事件でも犯人グループの確保に協力してくれたし。だから私も名前を覚えていたんだよ」
警視庁でも随一の実力を持つ警部に名前を覚えてもらえるのは光栄だが、内心で苦笑せざるを得ない。写真は功輔が何も知らずに撮影したものだし、その前の誘拐事件でわたしが直接確保に貢献したのは一名だけだ。最大の功労者といえるキキと比べたら、わたしは何もしていないのも同然である。
とはいえ、わたしがキキとセットで認識されれば好都合だ。何をするにしてもわたしが同行する事に違和感がなければ、どこでもキキの暴走を止める事ができる。今ひとつちゃんと制止しきれていないのでは、と思うこともあるが……。
「ところで、聞き込みの方はどうなりましたか」と、紀伊刑事。
「いやあ、寂しいものだよ。やはりある程度は容疑者の絞り込みを行わないと、聞き込みで成果を上げるのは厳しそうだ。友永くん達の報告も短く終わってしまったし」
「えっ、友永さんと木嶋さん、もう戻っていたのですか」
「私に報告を済ませたらまた出てしまったがね。能登田中学校に行って、被害者の少女を知る人たちに聞いて回ったそうだ」
あさひの通っている学校に行っていたのか。しかし、捜査指揮を担当している高村警部に簡単な報告をしてすぐ出て行くとは、その聞き込みで何か掴めたのだろうか。あの木嶋が先導しているとなると、本当に信用に値するのか疑わしい。
「それで、どのような?」
「話を聞く限りだと、選挙システムの改革を提言して不正の入り込む余地を無くしたり、予算配分の会議で全団体が納得する案を考え出したり、副会長なのに会長よりも有名なんだそうだ」
学校での評判は大体予想通りだったな。あさひは生徒会の仕事だと手を抜かないらしいのだ。終わってわたし達と会えばお構いなしにだらけるが、それほど大変な仕事を真剣にやっているから反動で疲れるのだ。
「出る杭は打たれると言いますからね。友永さんたちも言っていましたが、動機が生徒会絡みでもおかしくないですね」
「あまり出過ぎた杭は逆に打てないがね。それが証拠に、教師や友人の知る限り、その少女への敵意ないしは恨みの念を明確に示していた人はいないそうだよ」
「結局手掛かりはゼロですか……」
「だが、同時にこんな話もしていたよ」
高村警部によれば、捜査本部で友永刑事と木嶋はこのように話していたという。
『実は、他に少々気になる事がありまして……』
『何だね、友永くん。気になる事とは』
『事件の前日の土曜日は、一部の教職員が集まっていたので通常どおりに見回りが行われたのですが、その時点でプールの扉は施錠が確認されていたそうです』
『ほう。土曜日の、何時ごろの話かね』
『午後三時頃だそうです』
『もちろん鍵は職員室の保管庫に厳重に仕舞われていますし、金網に発見者の少女以外の人が上った形跡はありません』と、木嶋。
『それは確かに、いささか引っかかる話だな。それだと被害者の少女は、どうやって更衣室を抜けてプールサイドに入ったというのだろう。誰かが開錠して誘い込むとしても、やはり同じ事だし』
『我々もそこまでは……意識が戻ったら、被害者に直接尋ねようかと』
『フン』木嶋は鼻を鳴らした。『状況は明白だし、中学生だからな。素直に話してくれれば、これで事件は解決だろう』
…………以上。
「という事だそうだ。どうも木嶋くんには何か考えがあるようだが……」
どうせろくな考えじゃない。予断に流されるのはよくないが、少なくとも先々月の事件で、木嶋が的を射た意見を述べた事は一度もない。彼が自信満々に主張した事は、間違っているかすでに誰かが考えているか、そのどちらかしかなかった。
「しかし、事件の前後でプールの扉がずっと施錠されていて、一つしかないプールの鍵は職員室に保管され続けていた。おまけに被害者を恨んでいたと思われる人物も、現時点で全く見当たらない、か……」
「事件の前後という事は、あさひが発見された時も鍵がかかっていたんですか」わたしは尋ねた。「美衣は何も言ってなかったけど……」
「ああ、そうか。被害者と第一発見者は、君らの友人だそうだね。うん、通報を受けて駆けつけた救急隊によれば、発見者の少女が扉を開錠してから開いたそうだから」
なるほど、警察もすでに承知していた事だから、美衣に確認しなかったのだ。そのせいでわたし達は、今ここで聞くまで知らなかったのだけど。
「そういえばここでの話はどうなった? 途中からだったからよく分からなくてな」
「実は、三件目と四件目に関して新事実が……」
紀伊刑事はここでの話と新たに判明した事を手短に説明した。
「なるほど、共犯者か……こりゃあ、学外の人物にも容疑を向けるべきかな」
「いいえ」キキは高村警部の考えに異議を唱えた。「あっちゃんの一件に関わっているのは、連続銃撃事件の犯人と学校内部の関係者と考えた方が妥当です」
「ふむ……理由は?」
高村警部は顎を撫でながら問うた。被害者のことを“あっちゃん”と呼んでいる事は、特に気にならないみたいだ。
「事件当時……あっちゃんをプールに突き落とした共犯者がいたのなら、どんな方法であれ、事前にプールのどこかに潜んでいたとみるべきです。夜中にプールに忍び込んで待ち伏せるくらいですから、犯人は、あっちゃんがプールに現れると確信していた。何らかの手段でプールに呼び出していたのだろうと思われます」
「なるほど。事前に呼び出しておいて、しかも来ると確信していた、か」
「さらに、金網に痕跡がない以上、あっちゃんは正面から堂々と入ったはずです。というか、それ以外の手は取りません。取らざるを得ない状況なら、すぐにその場を離れます」
わたしも同感だ。何らかの使命感に燃える事がたまにあるとはいえ、後になって問題の火種になりそうなものは残さない、それがあさひという人間だ。
「まあそこは、被害者のことをよく知っている友人の言うことだから尊重しよう」
「ありがとうございます。あっちゃんは正面から堂々と入った。つまりその時点で扉の鍵は開いていた。方法はまだ分かりませんが、共犯者は、あっちゃんを確実に誘い込むために扉を開錠していた……どう考えても、あっちゃんの性格を熟知しています」
「君の言いたい事は分かった。被害者の行動パターンを理解している人間なら、自然とそれは学校関係者に絞られるという事だな」
「はい」キキは頷いた。
「それじゃあ」ずっと黙っていた城崎が口を挟んだ。「被害者を誘い込むための開錠、および脱出の際の施錠に必要な鍵は、どうやって手に入れたんだい」
「やっぱり、合い鍵を使ったと考えるしかないのでは? いくら厳重に保管しているといっても、使っている鍵はそんなに特殊なものじゃないでしょうし。具体的な方法については保管状況を見なければ何とも言えませんが、大体の予想はついています」
「早いなぁ。君はどんどん先に進んでいくね」
「学校のセキュリティのレベルなんて、どこもほとんど似たり寄ったりでしょう。こう言ったらアレですけど、人間の防犯意識なんて長続きしないものですからね、よほどの事がない限り、どの学校も防犯対策を強化しようとはしないのでは? 主として金銭面での問題がありますし」
泥臭い上に身も蓋もない事をさらっと言いやがった……学校経営者にとっては、耳が痛い話に違いない。
その時、ピコーンという電子音が鳴り響いた。わたし達が来るまで城崎が作業に使っていたパソコンからである。城崎はすぐさま駆け寄ってキーボードを操作した。
「おっと、鷺山先生からのメールか。ほうほう……」
「城崎くん」高村警部が言った。「鷺山先生というと、流成大学法医学研究室の?」
「ええ、鷺山順慶教授です。ちょっとした交流がありまして」
「君は相変わらず、所轄署の鑑識ながら顔が広いねぇ。で、どんな報告が?」
「三日前に死亡した真鍋俊成の解剖結果です。すでに四係のパソコンにも送信したそうですが、銃創を詳しく分析した結果、ねじれが全くなかったそうです。どうやら通常の拳銃やライフルじゃない、手製の銃を使ったみたいです」
「手製の銃か……君たちの推測ではガリウムの弾を使ったとのことだから、慎重を期すなら自分で作った方が確実だろうね。多少は面倒になるとはいえ」
よく分からないが、キキと城崎の推測はまた信憑性が上がったと捉えていいのかな。どうもわたしは、この事件の調査に関わる身としては、銃器のことを知らなすぎる。
「さて……」城崎はウィンドウを閉じてこちらを見た。「僕らから現時点で君たちに提供できる情報はここまでだ。これからどうする?」
「一件目と二件目について色んな情報が得られたので、直接現場に行って調べます」
「また思い切った事を……」城崎は肩をすくめた。
「殺害方法が判明すれば、また犯人に繋がる手掛かりが得られるかもしれませんし」
「別に僕は君たちを止めないよ? 捜査が進展してくれるなら願ったり叶ったりだ。だが他の捜査員が何を言うか分からないからね。星奴署の刑事で君たちを信頼しているのは、友永と、そこにいる紀伊刑事くらいだ」
「私はあの人ほど全面的に信頼しているわけじゃありませんけど……」
キキからすればそっちの方がいいかもしれない。要は大事な時に協力する姿勢を見せてくれればいいのだ。本職から全幅の信頼を寄せられると、重圧にしかならない。
「たぶん警視庁でも、キキちゃんのことを信頼しているのは高村警部くらいですよね」
「そうでもない」高村警部は否定した。「篠原龍一の事件を担当した蛭崎警部をはじめ、私と親交の深い人たちも彼女のことを知っている。多少は話に耳を傾けてくれるさ」
「それは高村警部ご自身の信頼ゆえのような気が……」
「ただし、警察官である以前に私は責任ある大人だからな、君たちが陰惨な事件に深く関わってしまう事が、君たちのためになるとは思いたくないのだよ」
それは……わたし達を止めようとしているのか。内心では協力する事に躊躇いがあるのだろうか。冷静に考えれば、それが当然の対応だけど。
「いくら頭の回転が速くても、君たちはまだ中学生、未来ある十代の若者だ。その身で警察の捜査に深入りすれば、思わぬ危険に巻き込まれかねない。先々月の誘拐事件で君たちが無傷で帰還できたのも、運の要素が全くないとは言えんだろう?」
反論の余地がない。振り返ってみれば、よく傷ひとつ付けずに済んだものだ。一歩間違えれば今回のあさひと同じく、凶弾を受けてしまう事だってあっただろうに。
「先々月の事件に関わっている君たちは不本意かもしれないが、凶悪犯罪の捜査は警察の専門領域だ。本来なら、情報提供にのみ関わるべきであって、君たちが自ら調べて真相を暴き立てる必要はどこにもないのだよ」
「それは」キキは真顔で告げた。「正論というより、理想論ですよね」
「む……?」
「そんな事は重々承知していますよ。実際、昨日まではこの事件のこと、関わる事さえ避けようと思っていましたから。でも……もうそんなことは言っていられない」
キッと睨みつけるように、キキは言い放った。
「あっちゃんを傷つけた犯人が捕まるまで、黙って待っていることなどできません。わたしは、真実を知らなければいけないんです!」
その場が水を打ったように静まり返った。キキはごまかさない、繕わない。自分の気持ちや考えは、理論武装などせずに真っすぐぶつけてくる。だからこそ、誰もが反論を許されないと悟ってしまう。
高村警部は無言で肩をすくめる。止めようはない、と気づいたようだ。
「……やはり一度決めたら引かないか。予想していなかったわけじゃないがね」
「元から何を言われても手を引くつもりなんてありませんでしたよ。そもそも、この事件に関しては本庁の方で妙な動きが散見されますしね」
「キキちゃん、そういう事を……」紀伊刑事は額に手を当てた。
「従うつもりなんてないですよ。事実がはっきりするまで、とことん追究します」
キキも見かけによらず、完璧主義者的一面があるのだな。
「あー、もういい。私はこれ以上なにも言わん。好きなようにやりたまえ」
「言いましたね?」キキはニヤリと笑った。
「言質を取ったつもりでいるようだが、頼むから君たちは自己責任で動いてくれよ。関知しきれんからな。時に紀伊くん、君はこれから体が空いているかね」
「まさかとは思いますが……」紀伊刑事は表情を歪めた。「私にこの子たちの付き添いというか監視をしてほしいとおっしゃるのですか」
「おお、話が早くて助かる」
「こっちはいい迷惑ですよ! 本来の仕事もあるのに……」
「しかしねぇ、平日の昼間に中学生が街を歩いていたら、何が起きるか分からんぞ。可能性はやや低いが、不良ばかり狙っている犯人に目をつけられんとも限らんし」
紀伊刑事は何も言い返せないようだ。わたしとしても、警察官が付き添ってくれるのは何かと心強い。まして警察学校時代に巨漢をも倒したと言われる紀伊刑事なら。監視されるとはいえ、どうせキキは意に介さないだろうし。
「……分かりましたよ。本庁の警部のご指示ですものね」
渋々といった態度が目に見えて分かる。高村警部は気にしていないが。
「指示ではなく、単なる頼み事と思ってくれればいい」
「力のある人の頼み事って、命令や指示と何が違うのかしら……」
いろいろ不満はあるようだが、紀伊刑事はわたし達の見張り命令に応じた。キキは親しげに紀伊刑事の腕をポンと叩いた。
「では、さっそく第一の現場に連れて行ってください、紀伊刑事」
「タクシーみたいな扱いをするな」
本当に……よく今まで敵を作らなかったな。見ていてハラハラするよ。